【9/2追加】烏賊蛙短文ログ■花指輪 春の陽気がうららかな昼下がり。
スクーバがナイアガラベースで読書していると、森から自分の名前を呼ぶ声がする。気の抜けそうな声の主はダイバーだ。
スクーバは読んでいた本をテーブルに置き顔をあげる。読書中の自分に彼が声をかけてくるのは珍しい。何かよほどのことがあったのか。
「これな、ビッグホーンはんに作ってもらったんよ」
そう言ってダイバーは楽しそうに頭のそれを見せてくる。それは花冠という、ガイア人の子供の遊び道具だ。名前の通り花を組み合わせて丸く冠のようにした物体。
子供騙しな冠だが、ダイバーは心底嬉しそうに頭のそれを見せつける。
(うむ、気にくわないな)
スクーバは楽しそうなダイバーとは裏腹に酷く不満げな顔をしていた。ビッグホーンはイカ娘に盲目であり、この花冠に他意はないことは分かってる。ダイバーが喜んでるのだってただ仲間から何か作って貰えたのが嬉しかっただけだ。物珍しさもあるのかもしれない。
分かってる、分かってはいるのだ。
(子供の嫉妬じゃあるまいし……)
スクーバが不満げなのは単なるヤキモチ。自分で自分に呆れるが仕方がないことだ。どういう理由であれ、想い人の笑顔を他の者が作っていることはちょっと悔しいのだ。
「なあダイバー、その花冠から一本だけ花を貰っていいか?」
ちゃんと元の冠の形にはするから、と言うと不思議そうな顔をしつつダイバーはスクーバに花冠を渡す。器用にスクーバは一本だけ花を抜き取り元の形にしたあとダイバーに返す。一本抜いただけならまあ大きさに支障はあるまい。
不思議でたまらないという顔のダイバーを尻目に彼の手をとる。そして指に先程の花の茎を括り付け、キュッと結ぶ。
そう、これは──
「花の指輪やねえ……」
細い茎にちょこんと白い花がついた指輪。
自分も、何かあげたかったのだ。花冠に比べればずいぶん簡単な作りだし、元々その花もビッグホーンのあげたものなのだが……。
いささかやり方が子供じみている、自分らしくもないとスクーバは一人ごちる。
ダイバーはしばらくその花の指輪を見つめていたが、やがてスクーバのほうに顔を向ける。
「スクーバはんが何かくれるって珍しいでんなあ……」
そう言う彼の口はだらしなく緩み、とても幸せそうな笑みを浮かべてる。
凄くバカみたいな表情だ。だが、スクーバが見たかったのは紛れもなくこの表情であって。
たまにはこういうのもいいのかもしれないと思うのであった。
次の日、当たり前ではあるがダイバーの指には花の姿は無かった。それとなくあの指輪はどうしたのかとスクーバが聞くと、ダイバーはスクーバを自室に招いた。そして沢山積んであった技術書の下にあった一冊から、薄い紙を一枚取り出す。
それは、押し花の栞だ。
「せっかくスクーバはんがくれたのに、枯らしちゃうのは勿体無くて」
こうしておけば無くさへんしね、とダイバーは笑う。
指輪であったことが分かるように薄い紙に綴じられた花。
ああ、こういう発想力ではかなわないな、とスクーバもまた自身の顔の緩みを認めざるをえないのであった。
■■■ スクーバは考える。
人は分かり合えることが出来ない。皆違う人生を歩み色々な考えを持つのであって、それを理解しあおうというのは知能を持った生命体同士では到底不可能な話なのだ。体という防護壁で覆われた他人の心を覗くことは一生出来ないだろう。
「隣にいてくれるだけで心が暖かくなるような人がいるって、凄く幸せなことやね」
川を渡るスクーバの背中の上でダイバーは幸せそうに呟いた。ずっとこうしていたから、だいぶ彼の腹とスクーバの背中の間は温もっていた。
悪い気分じゃない。むしろダイバーが述べる幸せとはこういうことなのだろう。
ダイバーが何を考えているかなんてスクーバには予測は出来ても真に分かり得ることは出来ない。それはダイバーも同じことだ。
人は分かり合えない。それでも。触れ合うことで体から心へと熱伝導で暖かさを分け合うことは出来る。その熱は互いの幸福を実感させる。
分かり合うことは出来なくても、分かち合うことは出来るのだ。
そんな相手がいることは確かに幸せな事だとスクーバも思う。
■■■ ──もう少しで完成だ。
ゴツゴツとした岩には似合わぬ、岩壁の中に埋め込まれた沢山の基盤を見てダイバーはニマニマする。
秘密基地・ナイアガラベース。まだ用途はあまり深く考えてないけれど、仲間を守りたい、その一心で作り上げてきた愛しい我が子だ。とっておきのアイデアを沢山詰め込んだ隠し球、まだ仲間の誰にも教えていない。ビックリするキッドの顔が頭に浮かびワクワクしてくる。
作業が一段落ついたので新鮮な空気を吸いに洞窟の外に出る。キョロキョロと見回すと入口の隅にぽつんと置いてある小さな紙袋。
「あ、あったあった」
外に出たもう一つの目的。中にはサクサクの固形エネルゴンクッキー。こんな可愛いもの船の物資に積んでいるわけないから手作りなのだろうか、作ってる姿を想像すると微笑ましい。
「誰にもバレてないつもりやったんけどねえ」
察しのいいあの人だからこっちの意図を読んで気づいてないふりをしてくれてるのかもしれない。こんな差し入れを毎日置いてれば元も子もないだろうに。
疲れた体に染み渡るのは甘味と彼の海の香り。
■■■ ナイアガラベースにて。
「スクーバはん、今日は何読んでるん?」
「この国の歴史書ゲソ」
そうでっか、といつも通りの社交辞令をしてから隣に寝そべる。後は特に何するわけでもなく、ひたすら日向ぼっこである。自分達は恋人なわけだけど、それ以上のことはなにもせず。前にキッドにお前たちはもっと恋人らしくいちゃつくとかしないのかなんて言われたっけな。
でも、意外とシャイな性格のスクーバと奥手な自分ではこれが最大のイチャイチャなのだ。彼のテリトリーにここまで近づけるなんて、分かりづらいけど彼の愛情というかなんというか。
お互い自分のことをしつつ、たまに会話したり、ときたまキスにまで発展してみたり。
他人からは理解されづらい彼と自分のマイペースなイチャイチャである。
■■■「なあスクーバはん知ってる?烏賊は海水で、蛙は淡水でしか生きられへんのやで」
「知ってるが…それがどうした?」
「いや、何でもあらへんのやけど…」
笑ってごまかす。
たまに不安になるのだ。自分はスクーバの恋人を名乗っていいのか。彼は何をしても優秀で完璧で、雲の上の人のようだ。かたや自分は井戸の中の蛙。失敗を恐れ、そこから飛び出せないでその変わらない暮らしを惰性で生きてる。住む世界が、見えるものが違うのだ。
だから不安になる。自分はこの人に相応しいのか。それは一つのコンプレックスのような。
なんて後ろ向きな考えをしてるとスクーバが読んでいた本からこちらに顔を向ける。
「海を泳いでるお前が今更何言ってるんだ。本物の蛙と烏賊の生態なんて私達には関係ないゲソ」
「せ、せやなあ。互いに普通に海に川に泳いどります」
「それにな、淡水だろうがなんだろうがそちら側に行きたいと思えば何としてでも行ってやる。相手の環境は受け入れ適応する。それが私だ」
ああそうだ、この人はそういう人だ。スクーバという男の前では地位やら人としてのステータスやらなんやらは関係ないのだ。いやスクーバというより……恋愛というものの前では、か。
彼が愛してくれると言ってるのだから、そんなこと気にすることのほうが間違いだったのかもしれない。ズバッとした回答に心のモヤモヤが晴れた。
ああ、あなたにはかなわない!!!
♡♡↓21年5月10日までに頂いたハートへのお礼SSです!いつもありがとうございます!
ジリジリと暑い真昼の中にいた。
緑が異様に強い葉、眩しすぎるほどに日に照らされた川。見慣れた森の中にいるはずなのに、そのコントラストの強さは現実離れしたものを感じさせる。
「スクーバはん」
すぐ隣から聞き慣れた声がした。いや、聞き慣れたというのは少し嘘になる。彼は、彼はそんな──。
「ふふ、スクーバ」
そんな優しい声で自分を呼んだことはないだろう。
己の顔を伝う汗に嫌なものを感じる。それはこの「シチュエーション」への罪悪感からだろうか。
自分は夏の湿気た空気を掻き分けるようにゆっくりと手を動かし──、その隣人の頬に触れた。遠慮がちに笑う彼の顔は暑さで火照っていて。
ついに目が合う。その瞳はとても優しい笑みを浮かべていて。そんなものは私は……。
「──なんという夢だ」
夢から醒めたスクーバは、あまりの自分の脳味噌の都合の良さに苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。
愚かだろう。未だに向こうからの好意すら素直に受け取れない自分が、都合のいい世界で恋人のお遊戯を興じるのは。溜息しか出てこない。
スクーバとダイバーは同じ部隊に所属してからそれなりである。
ダイバーは何故か、スクーバには全く検討がつかないのだがふしぎと彼にとても懐いていた。
積極的なようでいてこちらの顔も伺っているような、そんなダイバーの控えめながら確かに存在する優しさがスクーバには暖かく、同時に怖くもあった。
理由も分からない優しさは酷く心を臆病にさせるのだとスクーバは初めて知った。
聞けばいいのだろう、何故そんなに自分に構うのか。触れてみればいいのだろう、その暖かい優しさに。
だが今でもスクーバは逃げてしまっていた。ヒラリヒラリと交わし続け、自分のメンタルが万全の時にだけおずおずと、ポーカーフェイスは崩さずに向かい合う。
だから、そんな卑怯者の自分に都合のいい夢を見る資格はないのだ。
「スクーバ、えらいしんどい顔してまっせ」
渋い顔を引きずったままのパトロール中、件の人物にスクーバは声をかけられた。
「夢見が悪くてな」
「はあ、スクーバはんも悪夢なんて見るんですなあ」
「……お前は私をなんだと思ってるゲソ」
思わずスクーバは渋い声を出してしまった。この件は少なからず謎の好意を押し付けてくるダイバーにも責任があるだろうと、酷い転嫁をしてしまってもいいだろうとつい思ってしまった。
そんなこと露知らずのダイバーは、気楽そうな顔で笑って口を開く。
「格好いい人でんがな、あんさんは」
思わずスクーバは小さい目を白黒させた。
「……格好いいのか」
「格好いいイカでっせ、とっても頼りになる仲間ですがな」
別に、仕事が出来るとか格好いいとかその手の褒め言葉を貰うのは、スクーバにとって自慢ではないが初めてではないのだ。
ただ相手が相手なのであって。
思わず見てしまったその言葉を伝える顔があまりに優しくて。
覚めた世界で夢を見ていいのだろうか。その言葉を拠り所にして、手を伸ばしてみてもいいのだろうか。
「……スクーバ?」
「いや、そうか。そうなんだな……」
川のせせらぎがスクーバの耳に長く残り続けるのであった。