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    薄明リミット 辺り一帯は血の海だった。
     日も落ちた暗闇の中、それが敵のものか味方のものなのか瞬時に判別できない。恐る恐るその先に、本丸へと足を進める。
     恐ろしいほど静かだ。見渡す限り生き物の気配はない。火を放たれたのだろうか、崩れた木片には火が燻っており、ぱちぱちと鳴るその音だけが嫌に耳につく。
     本丸に足を踏み入れると屋内も荒れ果てていた。畳は裏返り、家具は破壊され、足元には割れた硝子や鉄の破片等が散乱している。それは刀の破片のようだった。敵のものなのか味方のものなのか、混乱する頭では判別できない。遡行軍の死体は時間が経てば自然に消滅するが、武器はその場に残ることが多い。だからその破片も遡行軍の持ち込んだ武器の可能性があるのだ。いや、どうかそうであってほしい。
     誰かいないのか。そう声をかける気にもなれなかった。
     血痕を辿るように暗い廊下で足を進めると、やがて最奥の間である審神者の執務室へと辿り着いた。部屋の前に短刀が二振り転がっている。この刀は――と考えたところでやめた。今は主が優先だ。
     執務室の襖を開けると、その部屋だけやけに綺麗だった。不自然なほどいつもの日常の光景が残っている。部屋から見える庭の光景は先ほどまで歩いてきた散状のままで、それが一層不気味に映った。
     本丸には審神者専用の緊急避難装置が設置されている。いざという時に政府施設へ脱出することができる転送機能を備えたシェルターのようなものだ。執務室の隣、審神者に割り当てられた私室の押入れを開けると右奥の壁が隠し戸になっていて、そこに格納されている。審神者がシェルター内に隠れているか、或いは転送機能が作動したか、いずれかが確認できればと思った。
     私室へ繋がる襖に目をやると少しだけ開いていた。その先に何か見覚えのある白いものが見える。
     どうか、見間違いであってほしい。祈るような思いで、引き寄せられるかのように足を進め、襖に手をかけた。
     けれども、祈りは無残にも崩れ去る。
     その白は、かつて鬱屈した思いを抱えた己がその身を隠すために羽織っていた襤褸布だ。その布を抱きかかえるようにして、審神者は横たわっていた。大きく斬られた背中から流れた血が、畳の上に海を作っている。布に縋り付くいているようにも、布を守ろうとしているようにも見えるその光景を到底受け入れられるはずもなく、山姥切国広は静かに膝をつく。
     自分は審神者のための刀であるとの気づきを得て、審神者のために力をつけて帰ってきたはずだった。己の出自にこだわるのではなく、これからは主の、審神者のための誇り高き刀としてあろうと、そう決意して帰還したのだ。なのに――
    「俺は……間に合わなかったのか……?」
     問いに答える者はいない。
     やがて耳を劈くような慟哭が響いた。


     山姥切国広は刀工堀川国広が備前長船長義の刀を写して鍛えた打刀である。そして、その刀を依り代に顕現した付喪神がここにいる男だ。彼は堀川国広の傑作であるという自負と、どこまでも付いて回る写しという評価の間で葛藤し、己を人の身として励起させた今代の主である審神者に対しても捻くれた態度をとることが多かった。
    「……聞いてくれ。頼みがある」
     ある日、審神者の元を訪れた山姥切は修行の旅の許可を求めた。己の出自を辿り、己の強さを求める修行の旅であった。その旅の中で得た知見により、彼は自分が審神者に見出された傑作であり、審神者のための刀であるという事実が何よりも大事だとの結論を出した。迷いは晴れた、彼は手紙をそんな言葉で締めくくった。
     山姥切は修行の成果をもって極と呼ばれる姿になって帰ってきた。これまで片時も手放さなかった襤褸布と決別し、凛々しく美しいその顔を隠すのをやめた。自信に満ちた堂々たる姿であった。
     山姥切は本丸への帰路を急いだ。主に――審神者に会いたくて仕方がなかった。長い長い旅の中であってもその顔を忘れたことなどはないが、今や自分の存在理由にまで昇華された彼女の姿を改めて真正面から見つめてみたいと思った。
     素直ではない捻くれた言葉と態度をぶつけてばかりきた。どうせ俺なんてと逃げ隠れし、蓋をして隠した密かな想いを燻らせて過ごしてきた。本当は審神者が審神者となった日、彼女の初めの刀に選ばれたその日からずっと、彼女の側にいられることを誇らしく思っていた。その気持ちをようやく認めることができた。
     山姥切は早くそれを彼女に伝えたいと思った。会いたいと思い、帰路を急いだ、
     そして――
     彼女は今、視界に映る白い扉の向こうにいる。扉の上には手術中と書かれた大きな赤いランプが点灯している。目の届く範囲に時間のわかるものはないが、扉の向こうに消えてもう何時間かは経過しているはずだ。
     審神者は奇跡的に一命を取り留めた。
     畳に倒れていた審神者を抱きかかえて呆然としていた山姥切は、ふとその体がまだ温かいことに気づいた。気持ちを落ち着けて首元に触れると、微かに脈を打っているのが分かった。
     主はまだ生きている、それに気付くのとほぼ同時に政府の救急隊を名乗る集団が本丸に乗り込んできた。わずかに警戒を見せた山姥切であったが、先頭に立つ白衣の男の「まだ助かる」という言葉を信じ、審神者の身を引き渡した。救急隊員は審神者の容体を確認すると簡単な止血を施し、すぐさま政府が管理する医療施設へと運ぶよう手配した。山姥切も同行するように言われたので、言われるまでもないと思いつつ素直にそれに従った。
     医療施設に到着するとすぐに手術となった。医師から簡単に説明があったが、助かるなら何でもいいと言って話を遮ると、輸血に協力するよう要請があった。
     深く考えたことなどなかったが、刀剣男士の血液は審神者のものと非常に近く、型や成分等もほぼ同じであるらしい。霊力を扱う審神者の血液は特殊である場合が多く、一般人の血液や人工血液を使用するより、刀剣男士の血液を使ったほうが安全度が高いという研究結果があるという話だ。
    「主が助かるなら何でもいい、何でもする。俺の血でいいならいくらでも使ってくれて構わないから早く、早くしてくれ……!」
     山姥切の悲痛な叫びが冷たい廊下に響いた。
     採血の後、多少頭の働きが鈍っているように感じた。限界まで使って欲しいという願いは聞き入れられたのかわからないが、それなりの量の血を失ったのを感じた。
     大人しく椅子に掛けて待っていると、ピーという甲高い音の後に赤いランプの光が消えた。白い扉が開き、中から先ほどの医師と、数人の看護師、そしてベッドのような物に寝かせられた審神者が出てくる。すぐさま立ち上がるとわずかにふらつきを覚えたが、気にせずに駆け寄った。
     顔は青白いままだけれど直に安定する、と医師の口が告げる。あとは目が覚めるのを待つだけだと分かり、ひどく脱力した。
     審神者は助かったのだ。
     目覚めるまでは集中治療室に入るとのことで、山姥切は付添人用の仮眠室で休むよう勧められた。
    「このまま廊下にいても仕方ないし、あなたもそれなりに血を失ってる状態です。仮眠室にはベッドがありますのでちゃんと休んでください。案内の職員を呼んでおきます」
     廊下に取り残された山姥切はぼうっとした思考のままそこにいた。自分にできなかったことを悔やみ、今の自分に何ができるのかを考え、審神者の命が助かったことに安堵し、気持ちがぐちゃぐちゃなことに気づいた。けれどどうしようもなく、やがて頭を空にした。
     近くから一つの足音が聞こえ漂っていた意識が浮上する。そこにいたのは見覚えのある刀剣男士だった。
    「やあやあ、これなるは――」
    「狐、うるさい。鳴狐が案内をする」
    「ああ、鳴狐! 自己紹介を怠ってはなりませんよ!」
    「仮眠室はこっちだ」
     現れたのは鳴狐とお供の狐だった。見慣れた二人――いや、一振りと一匹であるが、同じ本丸に所属する鳴狐とは違うことを察知する。本丸の仲間ではないことを少しだけ残念に思いながら、静かに頷き、その後に続いて歩いた。
     階段を降りてしばらく歩くと仮眠室と書かれた扉がいくつか目に入った。その内の二十四号と書かれた部屋に通される。
    「部屋にあるものは好きに使っていい」
    「ではでは、ごゆっくりお休みくださいませ。明日の朝、またお迎えに上がりますので、その時に色々ご説明しましょう」
    「……わかった」
    「おやすみ」
    「……ああ」
     扉が閉まる。部屋には簡易ベッドが一つと小さな冷蔵庫があった。冷蔵庫を開けると水が入っていたため、それを一気に飲み干した。少しくらい気が落ち着くかとも思ったが、喉が潤った以外の効果はあまり得られなかった。
     ふらつく足取りでベッドに倒れ込む。簡易ベッドの足が軋む音がしたがどうだってよかった。
     主が助かってよかったという気持ちと、自分がいない間に危険に晒してしまった後悔、仲間の安否。様々な思考が山姥切の頭を駆け巡り眠れない夜を過ごすかと思ったが、血を失って冷えた体を温めるために布団をかぶったところ、程なくして意識を手放した。
     時刻は、空が白んでくる明け方のことだった。


     控えめなノック音が聞こえ、意識が浮上した。寝付けたとは言えあまり良い睡眠が取れたとは言いがたく、眠気が後を引いている。朧げな視界で扉を開くとそこにいたのは昨晩と同じく鳴狐とお供の狐であった。山姥切がまだ目覚めたばかりなのを察したのか、お供の狐が手短に用件を伝える。
    「おはようございます。着替えをお持ちしました。ここでは武装を解除する必要がありますので、こちらにお着替えください。患者の中には刀を怖がる方もおります故……何卒ご協力ください」
    「……」
     手渡されたのはシンプルな白のパーカーだった。前に銀糸のジッパーが付いた大きめのもので、服の上からでも手軽に着ることができそうだった。
     昨夜は気にしなかったが、よく見ると鳴狐も似たような服を着ている。何か共通の衣服なのだろうか。そう思っていたところ、すぐさま答えが得られる。
    「患者と職員以外はこれを着る。そういう決まりだ」
     刀も部屋に置いていくよう言われたため指示に従った。部屋には鍵が掛けられるし、万が一必要になっても、離れたところから本体を呼び出すことなど容易なことである。あまり距離が離れすぎていると難しいが、同じ施設内であれば問題ないだろう。
     着替えを済ませ扉を開ける。迎え出た鳴狐は「行くよ」とだけ言うと静かに歩き出した。後ろを着いて歩く。階段を上り廊下を無言で歩き進めるとやがて開けた場所に出た。横長の椅子が並んだそこはどうやら待合室のようだ。視線の先に、また別の刀剣男士がいる。
    「おはよう。眠れたかな?」
    「……多少は」
     そこにいたのは石切丸だった。戦装束でも内番着でも先ほど着替えたパーカーでもなく、その身に纏っているのは白衣だった。胸元には名札もついている。名札には職員、石切丸と書かれていた。
    「私はここの職員でね、医師と一緒に治療を必要とする患者に寄り添い、刀剣男士の視点から助言や支援をしているんだ。この施設についてはもう聞いたかな?」
    「詳しくは聞いていない。知っているのはここが政府の管轄する医療施設であることと、今うちの主が世話になっていることくらいだ」
    「そう。なら簡単に説明するよ」
     石切丸曰く、ここは戦いの中何らかの事情で傷ついた審神者や刀剣男士の保護を目的として政府が設立運営している医療施設らしい。人間である審神者は一般の病院でも治療を受けることができるが、この施設では霊力の取り扱い等、審神者の業務内容を加味したより高度な診療や治療を受けることが可能となっている。今回の山姥切の本丸のような事例はごく稀であるらしいが、そういった緊急時の救命も使命としている。
    「この施設は役割ごとにいくつかの病棟に分かれているのだけれど、この建物は救命の他に、精神面での支援も受け持っている。武装を解除するのはそういった患者への配慮ということだよ」
     説明を聞いた山姥切はひとまず施設については納得したが、何故自分が今この説明を受けているのかがよくわからなかった。施設についてより主の容体が知りたいし、可能なら顔が見たかった。そう不満げな視線を送ると、どうやら意図が伝わったのか、石切丸は一度咳払いをした。
    「君の主は意識も回復して集中治療室を出たよ。今は個室に移動していて、一応面会の許可も下りているのだけれど……」
     そこで石切丸は言いづらそうに言葉を区切った。そして、落ち着いて聞いてほしい、と前置きしてから重々しく続きを告げた。
    「彼女は怪我と事件のショックからか、記憶が混乱しているようでね。私たち刀剣男士、いや、『刀』がわからなくなってしまったらしいんだ」


     気づくと鳴狐はいつの間にか姿を消していた。石切丸と二人で廊下を歩き、案内された先の二〇三号室と書かれた個室に入ると、白いベッドの上に山姥切の主である審神者が横たわっている。隣に立つ白衣の男は昨夜治療に当たった医師だった。何やら二人で話していたようだが、入室者に気がつくとその会話は中断された。
     山姥切と審神者の目が合う。けれど、彼女はきょとんとした顔のまま軽い会釈をして見せた。まるで他人にするかのような態度に山姥切の胸が嫌な高鳴りを上げた。
    「状態は安定しています。輸血に対する拒絶反応も見られませんし、この施設には治癒力を活性化する力が働いていますので背中の傷もすぐ治るでしょう。ただ……私たちみたいな人間の職員は見えるらしいですが、刀剣男士の職員の顔がよく見えないとのことで。自分が審神者として戦に関わっていたことも……正直なところ、審神者として復帰するのは厳しいと思います」
     医師もまた言いづらそうに山姥切と審神者の顔を交互に見た。審神者は医師の視線の意味が分からないのか小首を傾げている。
     山姥切はそんな彼女に何と声をかけていいのかわからず、心に浮かんだ言葉をそのまま投げかけた。
    「あんたには、俺が見えていないのか……?」
    「えっと、何となくぼやけて見えます。髪の色とか背丈とか。顔は……ごめんなさい、よくわからないです」
    「……そうか」
     視界の隅で医師と石切丸がそっと部屋を出るのが見えた。気を遣われたようだが、だからと言ってどんな会話をしていいのか見当がつかなかった。
    「本丸での生活も覚えていないのか?」
    「残念ながら。さにわ、という仕事をしていたんですよね」
    「ああ」
    「刀を扱うお仕事だと聞きました。鍛冶師のようなものでしょうか」
    「いや、審神者は刀工というより、刀を率いて戦う一軍の将だ。刀剣男士達に指示を出し、戦の指揮を取る」
    「そうなんですか」
    「ああ」
    「顔が見えないってことは……山姥切さんも刀、刀剣男士なんですよね」
    「……そうだな」
     扉の向こうから声がかかり、会話はここで途切れてしまった。審神者の点滴を交換する時間らしい。看護師から出ていくよう言われたので、小さく「また来る」とだけ告げて部屋を後にした。
     閉めた扉にもたれかかり、ずるずると力なくへたり込んでしまう。審神者が己の存在を忘れた上に、見ることもできなくなってしまった事実など受け入れられるはずもなかった
    ――正直なところ、審神者として復帰するのは厳しいと思います。
     医師の残酷な言葉が頭の中で反響する。旅の中、写しがどうではなく審神者の刀であることが何より大事だと気付いたのに、その審神者がいなくなってしまった。その場にいなかったという事実もまた、悔やんでも悔やみきれない。
    ――いってらっしゃい、国広くん。
     旅立ちを見送る審神者の笑顔が脳裏に蘇る。旅先に政府が支給するお守りは持ち込めないため、出立の時に審神者手製だという小さなお守りを受け取った。今でも肌身離さず大事に持っている。迷いが生まれた時、卑屈な感情に苛まれた時、決意を新たにした時、そのお守りを握りしめて己を奮起させた。
     けれど、今の彼女にはその想いすら伝えることが叶わない。
     力なく手足を投げ出していると、近づいてきた男に声を掛けられた。
    「おや、服が汚れてしまうよ」
     せめて椅子に座った方がいい、そう言う白衣の石切丸に連れられて山姥切は先ほど通りが買った待合室に移動した。どこから入手したのか、温かい緑茶を差し出されたため受け取った。じんわりとした温かさが手に伝わり、己の手が冷えていたことに気づいた。
    「今回の件は、他本丸による出陣先接続ミスによる事故だと政府から報告が入ったそうだ。敵襲を受けたというより、意図せず戦場と本丸が接続され敵がなだれ込んだ形だ。ただ、その外部からの接続に対して門を開いたのは審神者である彼女だったらしい。一度目が覚めた時、不用意に門を開いたことを酷く悔いて、自分を責めて取り乱してしまったんだ」
     門を開いたのはおそらく、山姥切が修行から帰ったのだと勘違いしたからだろう。いつものように修行から帰った刀剣男士を迎えるべく、審神者自ら門を開き、そして、外敵の侵入を許してしまった。審神者の真面目な性格を思えば自分を責める光景は容易に想像できてしまった。
    「二度目に目覚めた時、彼女は私の顔が分からないと言った。隣に立つ医者の顔は見えるのに、あなたは何故、と」
     そう言う石切丸の顔は暗く沈んでいた。いつもの穏やかな笑みは見当たらなかった。自分が励ますのも変な話だとは思ったが、山姥切は心に思うところを素直に伝えた。
    「あいつの命が助かったのはここにいるあんたたちのおかげだ。感謝している」
     間に合わなかった己に対して、この施設の救急隊員は間に合ったのだ。感謝してもしきれない。命は一度失われてからでは遅すぎる、取り返しなどつかないのだ。
     山姥切の言葉に、石切丸は小さく「ありがとう」と声を漏らし、強張っていた表情を少しだけ緩めた。そうして、静かな声で山姥切に『大事なこと』を語って聞かせた。
    「基本的に彼女の病室にいてもらっていいけど、夜間は患者と職員以外立ち入り禁止になる。仮眠室は分かるかな? 自由に使ってもらって構わないからそこで休むといい」
    「わかった」
    「それともうひとつ。君がここにいられるのは長く保ってあと二日だ」
    「……どういうことだ?」
    「本丸ならともかく、こういった外の世界で審神者からの霊力供給が途絶えると私たちは姿を保てなくなる。彼女は今、審神者としての力を発揮することができないから君には霊力が供給されていないはずだよ」
    「あんたはここにいるだろう」
     山姥切は訝しげに石切丸を見ると、彼はなんと言っていいのか、と迷いながら少しだけ言葉を濁して説明した。
    「私たち――ここの職員は審神者とは別の者を主とし、そこから霊力を供給されている。あなたも職員になればこの場所で姿を保ち続けることができるけれど、その場合、彼女の刀ではなくなる。主を変える、ということだからね」
    「それは……だめだ、俺は主の刀だ」
     修行を経て出した結論を自ら裏切るわけにはいかない。その選択肢だけは絶対にないと山姥切は言い切った。
    「……霊力の供給が途切れるとどうなるんだ」
    「元の刀の姿に戻るよ。またこの人の身をとるには、審神者の……彼女の霊力と呼び声が必要になるね」
    ――正直なところ、審神者として復帰するのは厳しいと思います。
     石切丸の言葉に続くように、医師の残酷な宣告が再度脳裏に反響した。


     石切丸と別れた山姥切は迷いつつも審神者の病室に戻ることにした。扉の向こうに声を掛け、許可を得ると静かに入室した。
    「山姥切さん、おかえりなさい」
     審神者には快く迎え入れられた。心なしか先ほどより調子が良さそうに見える。もしかすると、あれはまだ意識がはっきりしていなかっただけなのではないか、そんな淡い期待を抱いたが、その幻想はすぐに打ち消されることとなる。
    「先生にこれを渡されて……何が書いてあるかわかりますか?」
     審神者が手にしていたのは分厚い書籍だった。古い書籍なのか表題は掠れて読めないが辛うじて図録という単語だけ読み取れた。中を見ると刀の押形と姿の写真、その横に刀剣男士の姿が描かれているようだった。図録とはそう言う意味か、と一人納得した。
    「あんたにはどう見える?」
     無意識的に、見える見えないではなく、どう見えるのかを聞いた。見えないという回答は聞きたくなかった。せめて何か瞳に映ってくれれば、そんな気持ちで回答を待った。
    「うーん、この細長い版画みたいなのは見えます。あとは長い銀色の金属っぽいものと、人? 子供から大人まで様々な人ですね」
     押形は見えるが写真は駄目らしい。姿の写真に至っては刃物だとすら認識できないようだった。
    「その人物の中に見覚えのある奴はいるか?」
    「顔がぼやけてるのでなんとも……」
    「……そうか」
     審神者はパラパラとページを捲っていく。その中に山姥切国広について記載されたページもあったのだが、特に何事もなくそのまま流されてしまった。
    「この本がちゃんと読めるようになったら退院だと言われました。なのでちょくちょく眺めてみようかと思います」
    「そうか。見えるようになるといいな」
    「……どうなんでしょう」
     山姥切が何気なく発した軽い応援の言葉に思いも寄らぬ反応が返ってきた。審神者を見ると、暗く落ち込んだ顔でぶつぶつと何かを言っている。
    「わたしのせいで何か大きい事故が起きたと聞いています。記憶を取り戻したところで、また迷惑になるんじゃ……戦の指揮なんて、どう考えてもわたしに向いてないですもん。顔が見えないってことは山姥切さんも刀、なんですよね。石切丸さんと同じで。あれ、これ前も聞いた気がする……えっと……あっ……あのっ……!」
    「落ち着け。大丈夫だ、ゆっくりでいい」
     不意に取り乱し、呼吸を荒くした審神者を宥めるよう、そっとその頭に触れた。勝手に腕が動いた形ではあったが効果はあったようで、数度ぽんぽんと柔らかく撫でると徐々に落ち着きを取り戻していった。
    「すみません。あの……あなたもここの職員さんなんですか?」
    「いや、俺は……俺はただの山姥切国広だ」
     俺はあんたの刀だ。本当はそう言いたいのに言葉に詰まる。今の彼女には刀がわからないのに、あんたの刀だなんて伝えてどうなるのか。その勇気が湧いてこなかった。
     本当は「主」とも呼びかけたかった。けれどそれも叶わない。今そう呼んでも余計に混乱させるだけだ。
     そうしてしばらく会話をしていると、看護師から面会終了の時間だと告げられた。
    「今日はありがとうございました」
    「ああ。ゆっくり休んでくれ」
     そんな会話を最後に、山姥切は一人仮眠室に戻った。ベッドに身を転がすと大きくギイと軋む音が鳴った。
    「時間がない。俺は一体どうすれば――」
     山姥切の声は狭い仮眠室に響くだけで、誰に届くこともなく虚しく消えた。


     二日目の朝。この日は鳴狐の迎えはなかった。特に約束をしたわけでもないため、深く気にせず昨日と同じ順路で審神者の病室へと向かう。
     戸を叩き入室の許可を得る。中に入ると少し元気のない審神者に迎え入れられた。
    「どうした。どこか痛むか? 具合が悪いのか?」
     審神者が着ているのは薄手の病衣だ。もしかすると寒くて風邪をひいてしまったのかもしれない。心配になった山姥切はなるべく平静を保ちながら、審神者の顔を覗き込むようにして尋ねた。
    「あ、いえ。なんだか眠たくて」
     どうやら昨夜、気持ちが落ち着かず、なかなか眠れなくて医師に睡眠薬を処方してもらったらしい。遅い時間に飲んだためその効果が切れていないのか、まだ眠気が続いているという話だった。
     正直に言えば少しでも長く彼女と話していたかったが、決して無理をさせたくはない。迷わず休息を優先するように伝えた。
    「出直す。俺に構わず休んでくれ」
    「そうします。診察の時間までもうちょっと寝ます」
     そのまま、うとうとと眠そうな顔に見送られて病室を後にした。
     仮眠室に戻る気にはなれず、少し施設を見て回ることにした。あまり人影は多くはないが、偶に審神者と思わし薄手の病衣を纏った人間とすれ違った。誰も彼も戦いの中で心に傷を負った者なのだと思うと、なんとも悲しい光景だった。
     時折、刀剣男士の姿も見かけた。石切丸と同じく白衣を纏った彼らはここで働く職員なのだろう。待合室の椅子に腰掛けながら職員と思わしき刀剣男士の働く姿をどこか異世界の出来事のように眺めた。
    「隣、いいかい?」
     背後から声を掛けられ、山姥切の肩が跳ねる。病院とはいえ、周囲を全く警戒をしていなかった己を少し恥じた。
     振り返るとそこにいたのは鶴丸国永だった。自分と似たような白いパーカー姿をしている。通常の戦装束と印象が変わらないため、違和感はなかった。
    「きみもここに入院してるのかい?」
    「いや、俺はただの見舞いだ」
    「そうかい、それにしては随分と暗い顔をしていたが……まあ、主の体調が悪くて明るい顔をしている訳もないな。すまん」
     この鶴丸も自分と同じ本丸の仲間ではない、他所の本丸の刀であることを察した。けれど、いつもの鶴丸国永らしい語り口がなんだかとても懐かしかった。
    「ここにいるということは、あんたの主もそうなのか?」
     そう口にしてから軽率な質問だったか、と少し後悔した。けれど鶴丸はあまり気にした風でもなく答えた。
    「まあな、といっても入院しているわけじゃない。俺のところの審神者は定期的にここに通院しているんだ。俺はその付き添いだな」
    「……そうか」
     気にしていなかったが、そもそもここは待合室だ。通院の患者がいてもおかしくない。
     広い待合室には多くの長椅子が設置されている。今ここにいるのは山姥切と鶴丸だけであるが、もしかすると、これだけの椅子が必要なほど患者がいた時期もあったのかもしれないと考えて寒気を感じた。
     それにしても、待合室の椅子は他にも空きがあるのに、何故鶴丸はわざわざここに来て山姥切に話しかけたのだろうか。多少の気晴らしにはなるため追いやるつもりはないが、不思議に思いその顔をじっと見上げた。視線の意図を読み取ったのか、鶴丸はいとも容易く返答する。
    「いやなに、うちの本丸の山姥切国広も暗い顔をしてることが多いからな。なんだか放っておけなかったんだ」
     鶴丸は山姥切の隣に座ると「少し付き合ってくれ」と言って、自分の本丸の山姥切国広について語り始めた。
    「俺のところの審神者と山姥切国広は仲睦まじい恋仲にあったらしい。けれど、主は事故で記憶を失ってしまった」
    「記憶を……」
    「あ、いや、部分的に覚えているらしいんだが、酷く曖昧で混乱して不安定なんだ。体調もよく崩すようになった。そしてまあ、何があったか詳しくは教えちゃくれないが、山姥切国広はそれを己の責任だと考えてるらしく塞ぎ込んでいる。いつもの布のさらに奥深くに心まで隠してしまった」
     まるで自分たちのことのようだと思った。どこか他人のような気がせず、見知らぬ山姥切国広に少なからず同情した。
    「あいつは今、何かと主と距離を置こうとしてなぁ。近侍はあいつなのに、病院への付き添いが俺なのもそのせいだ。なあ、きみはどうすればいいと思う?」
    「俺にそれを聞くのか?」
    「山姥切国広のことは山姥切国広に相談するのがいいかと思ってな。良かったらきみの意見を聞かせてくれ」
     何とも軽い調子でそう聞いてくる、相変わらず腹の底の読めない奴だ。山姥切は鶴丸にそんな印象を覚えながらも、どこか放っておけない別の山姥切国広に思いを馳せた。
     布に心を隠す、ということはその山姥切国広は過去の自分と近しい考えを持っているのだろう。まだ自分が写しであるという事実に囚われている過去の自分と。
     山姥切は「余所の本丸のことに口を出す趣味はないが」と鶴丸を皮肉するように前置きして、自身の感じたところを素直に述べた。
    「そいつも山姥切国広ならいずれ気づくだろう。自分が審神者の刀であるという事実がどれほど大切なことなのか……俺は、それが少し遅かった。あんたのところの山姥切国広は、間に合うといいな」
     鶴丸は山姥切の言葉を聞き、静かに何事かを考えていた。そんな彼の思考を止めたのは割り込んできた明るい女の声だった。
    「つるまるさーん。お待たせしましたー」
     こちらに駆け寄ってきたのは人間の女だった。歳の頃は主と同じか、やや上くらいだろうか。シンプルなニットのワンピースにやはり白いパーカーを羽織っている。彼女が鶴丸の主――審神者なのだろう。
     山姥切の予想取り、鶴丸は笑みを浮かべながら「お、待ってたぜ」と言った。
    「どうだった?」
    「いつもと変わらないですよ。あ、でも血液検査の数値はちょっとずつ良くなってきてると言われました」
    「そりゃあ何よりだな。寒くないか?」
    「平気です。さっき温かいお茶をいただいたので」
     鶴丸の主はふと横にいた山姥切の姿に気づき、じっと見つめてきた。じろじろ見られるのはあまり好きではない、山姥切は少しだけ嫌そうな顔をした。
    「うーん。どこかで見たような……」
    「なんだ、俺はあんたのところの山姥切国広ではないぞ」
     内心、この審神者はそんなことも分からなくなったのか、と憐れみの気持ちを抱きかけたところで、目の前の女は「ああ!」と高らかに声を上げた。
    「そっかー。前にまんばくんと一緒にわたしの実家に帰った時、丁度そんな服を買ったんですよ。まんばくんのあの服装、こっちじゃ目立つと思って。お店で色んなお洋服着せ替えたりして楽しかったなぁ」
     呆気にとられた山姥切と鶴丸を他所に女は楽しそうに「うんうん」と何度も頷いた。
    「あれ、まんばくんだっけ、国広くんだっけ……まあいっか、また一つ思い出せた。ありがとうございます、見知らぬ山姥切国広さん。鶴丸さん、そろそろ帰りましょっか」
     女に呼びかけられた鶴丸は「あ、ああ……」と気のない返事をした。そして、軽く頭を掻きながらやれやれといった口調で山姥切に向き合った。
    「まさか俺の方が助けられるとはなぁ、こいつはいい驚きをもらったもんだ」
     ありがとうな、そう言った鶴丸の顔はとても嬉しそうにくしゃくしゃと笑っていた。
    「ま、お互い悲観せず、俺たちの主を信じて待とうぜ」
    「……そうだな」
    「お、少しはいい顔になったな。もしまた会うことがあれば雑談に付き合ってくれ。まあ、こんなところとは無縁になるのが一番だがな」
     そう言い残して女の背を追いかけた鶴丸の足取りは軽い。玄関を抜けた先で、どこともない空中から本体である刀を取り出し、白いパーカー姿からいつもの戦闘服に切り替えて歩き進めていた。なるほど、ああやって姿を変えることもできるのか。
     ふと、そこで気づく。
     あのパーカーはここでの共通服らしい。山姥切や鶴丸のような見舞客とあの審神者のような通院の患者が着るのだろう。そして、入院患者は薄手の病衣を纏っていて、医師と刀剣男士の職員は白衣を纏い、胸に名札がついている。
     ならば一体、山姥切を仮眠室に案内した鳴狐は何なのだろうか。


     鶴丸国永とその主を見送った後、山姥切は審神者の病室に戻ろうとした。
     そして、その途中で鳴狐と出会った。先ほど抱いた疑問を聞いてもいいのか迷っていると、珍しく狐ではなく本人が先に口を開いた。
    「霊力が尽きる。今晩はここに居るといい。見回りの職員は鳴狐が何とかする」
     じっと鳴狐の姿を見る。着ているのはやはり山姥切と同じパーカーだ。病衣でも白衣でもなく、その胸に名札もない。
    ――やはりそうなのか。
     山姥切の脳裏には一つの悲しい仮説が浮かんでいた。
    「……あんたも、主を待っているのか」
    「そうだ。鳴狐はここで、鳴狐のあるじを待っている」
     山姥切の問いかけに、鳴狐は静かな口調で答える。
     意識してその姿を見つめると真実が分かる。
     彼はここにいるが、ここにいない。そこに『見える』ものはただの霊体だ。
     きっと始めは彼も審神者の見舞いか付き添いだったのだろう。やがて何らかの事情で審神者からの霊力が途絶え、職員になることを拒み、己の審神者の刀としてここに在り続けることを選んだ。そして、石切丸の説明の通り刀剣男士としての身を失ったのだ。
     思い返せば医師も石切丸も審神者も、鳴狐のことは何も話さなかった。医師は仮眠室への案内を職員に頼んだと言っていた。けれど、鳴狐は職員ではない。あの夜、本当は別の職員がやって来るはずだったのだろう。それに先んじて鳴狐が山姥切を仮眠室へ案内した。
     この施設の者には鳴狐の姿が見えていないのだ。
     山姥切にだけその姿が見えるのは、審神者の刀であることを選んだ者同士、何らかの波長が合ったからだろうか。おそらく本体である刀はこの施設のどこかに保管されており、その刀を依り代に霊体となった鳴狐がここに見えている。
     遠からず自分もこうなるのだろう。山姥切はそう直感的に理解したが、それでも決心が揺らぐことはなかった。
     その強い決意の目を見て、鳴狐とお供の狐は背中を押すように言葉を投げかけた。
    「鳴狐もここであるじを待つ。応援する」
    「山姥切殿、鳴狐もまたあるじどのを待つ刀の一振り。鳴狐もわたくしもあの方の帰還を心より願っておりますぞ」
    「……ああ。世話になった」
     この施設には悲しい光景が多すぎる。誰も彼も、早くこんな場所から解放されればいい。そう思わずにはいられなかった。


     病室を訪ねると審神者に「こんばんは」と迎え入れられた。昼寝と診察のせいで昼食を食べそびれたため早めの夕食を済ませ、今はのんびりと寛いでいるところだと言った。窓の外からは橙の光が差し込み、日が沈もうとしている。いつの間にそんなに時間が経過していたのだろうか。
    「今日もまた睡眠薬を処方されていて、夕飯の後に飲むことになってるんです。お話があるなら飲むの待った方がいいですか?」
    「ああ、少し俺の話を聞いてほしい」
     山姥切は手近にあった小さな椅子を引き寄せると審神者の横たわるベッドの側に置いて座った。ベッドはリクライニングになっているのか、半身が起こされていて多少話しやすい体制となっている。
     山姥切はなるべく柔らかい声になるようにして審神者に話し始めた。
    「あんたは覚えていないかもしれないが、俺たち刀剣男士は強さを求めて修行の旅に出ることがある。己の来歴や刀としての有り様を見つめ直すことで新たな力を手に入れることができるんだ」
     審神者は静かに話を聞いている。その表情からは何も読み取れないが、山姥切は気にせず先を続ける。
    「俺はあの日、その修行の旅から帰ってきた。けれど手遅れだった。本丸は戦いで荒れ果て、敵とも味方とも判別できない刀が散らばり、主は血塗れで倒れていた」
    「……」
    「敵が本丸に侵入できたのは主が門を開いたためだが、その原因は俺だ。俺の帰りを待つ主が開いた。全て、俺の帰還が間に合わなかったせいなんだ」
    「あなたのせいじゃない」
     審神者は山姥切の言葉を遮るように語気を強めてそう言った。そして「……と、聞いています」と取ってつけたように呟いた。やはりそうなのか。山姥切の中で希望が確信に変わり、その言葉を続けた。
    「俺は主を守れなかった、間に合わなかった。そう思った。だが、主は――あんたはここにいる。ここにいて、生きている。目を逸らすな、俺を見てくれ、主」
     そう言うと山姥切は立ち上がると空中に手を伸ばし、現れた己の本体たる刀を掴んだ。白いパーカーの姿から、刀剣男士の姿になる。
     濃紺のジャケットに橙が映える新しい衣装だ。その身を隠す布はもう存在しない。
    「俺は山姥切国広。足利城主長尾顕長の依頼で打たれた刀だ。堀川国広の第一の傑作で、今はあんたのための刀。旅の中でそれが、それだけが大事だと気付いた。主、俺をもう一度あんたの刀にしてくれ」
     山姥切の名乗りを聞いた審神者の目が揺れる。不安げに視線を彷徨わせながら、肩を震わせた。
    「わ、わたしにはあなたが見えない。この辺りにいるというのはわかるけれど……大体の背の高さや、服装も見えるけれど、どうしても顔がぼやける。お医者さんや景色とかは普通に見えるのに、刀だけが見えない。記憶も失ったわたしに、あなたの主になるなんて資格は、もう――」
    「いや、あんたは覚えている。忘れてなんかいない」
     審神者の言葉を今度は山姥切が遮った。
    「忘れていたら、病室で初めて会った俺の名を呼ぶことも、今この場であの事故が俺のせいじゃないなんて言うこともできないはずだ。嘘をつかないでくれ」
    「……」
     審神者はぐっと押し黙る。傾いた緋色の夕日は完全に沈み、部屋には重苦しい暗闇が満ちていた。
     病室で審神者が目覚めた日、山姥切は名乗っていない。けれど彼女は山姥切を山姥切さんと呼んだ。刀剣男士の顔が見えない彼女は、大凡の外見とその声だけでそれが山姥切国広であると判別したのだ。たったそれだけの情報で判別できたのだ。
     先ほども、己を責める発言をした山姥切を庇って見せた。もう記憶がないなんて言い訳は通用しない。言いようのない感情が沸き起こり、思わず声を張り上げてしまう。
    「主……目を逸らすな。俺はここだ、あんたの元に帰ってきた。あんたはどこだ。あんたの心はどこをほっつき歩いているんだ……いい加減帰ってこい!」
    「……わ、たしは、みんなを不用意に傷つけて、取り返しのつかないことをしてしまった……み、みんなが戦い傷つく中、何もできなかった。よ、夜、夜が怖い……また恐ろしい夜が訪れるのに、耐えられない。またあの悍ましい化け物がやって来る。みんな……みんな……いなくなる……怖い、怖いよ……国広くん……」
     ぽろぽろと両目から涙を零す審神者はガタガタと大きく震えだした。自分の身を守るようにぎゅっと縮こまり、その体を抱きしめる。けれどその震える声で吃りながらも必死に声を発した。
    「い、今はもう見えないけれど、あなたは、素晴らしい刀……や、優しくて強くて、美しい、見事な刃……それは知っている、わ、わかってる。だからこそ、わ、たしは……もうあなたの主ではいられないの……わかって、わかってよぉ……」
    「この力はあんたのために得たもの。俺の主は、あんただけなんだ」
     震える審神者は徐々に呼吸が荒くなる。細かく息を吸って吐き切らずに次の息を吸ってしまう。このままでは過呼吸を起こしてしまうかもしれない。けれど、ここで希望を手放してしまえば、もう二度と審神者は審神者に戻れない気がした。自分本位な考えだとは分かっていても、己の存在意義を見出したこの女を手放すことはもうできなかった。
     やがて、幸いにも自然に呼吸が落ち着いてきた審神者は、力なく両腕を投げ出した。額から汗が流れていたため、近くにあったタオルでそっと拭ってやる。水を飲むよう勧めると、少しだけ迷ってから受け取り、二口ほど飲み込んだ。
    「……夜が、怖い」
    「もう二度とあんな怖い目には合わせない。俺が必ず側にいる」
    「わたしにはもう国広くんが見えない。他の子だって図録を見ても分からなかった。もうずっとこのままかもしれない……審神者には、もう……」
    「見えるとか見えないとかどうだっていい。目を逸らすな、俺を見ろ」
     審神者はぐったりとした体のまま、難しいことを言うなぁ、と思いながらも首を少し倒して山姥切の方を向いた。けれど、その顔は悲しい表情で歪んだままだった。
    「わたしのせいで、あなたたちをまた傷つけるかもしれない」
    「主を守るために戦うのが俺たちの使命だ」
    「なら、そんなことはもう……」
    「それが嫌なら――」
     山姥切は再び審神者の言葉を遮る。そんな泣き言など聞きたくなかったし、言わせるつもりもなかった。
    「あんたが俺たちを強くしてくれ。これはあんたにしかできないことだ。あんたがくれたその力で、俺たちは必ずあんたを守ってみせる」
     審神者は「強く……」と山姥切の言葉を拾い上げ、考えるようにそっと瞼を閉じた。
    「わたしも、強くなれるかなぁ……」
    「ああ、なれるさ。あんたは俺の主なんだからな」


     それから二人で夜通し会話をした。
     山姥切の旅の話を中心に、あの夜の話もした。審神者は時折苦しそうな顔をしたが、山姥切がそれを支えると、審神者はまた話を続けた。門を開いた後のこと、敵から遠ざけるようにみんなが守ってくれたこと、シェルターに駆け込む前に敵に見つかってしまったこと、斬られて朦朧とする意識の中、見慣れた布を手繰り寄せ、抱きしめたこと。最期に国広くんに会いたいと思った、その言葉に山姥切の胸も痛んだ。
     鳴狐がどんな手を使ったのかは分からないが、一晩中、見回りの職員も誰も来なかった。同じ立場に身置く仲間同士、心の中でそっと感謝した。
    「……空が明るんできたな」
     重苦しい暗闇は徐々に薄明かりに追いやられ、部屋には朝日が差し始めた。希望にも似た新鮮な光だった。
    「朝焼けの前の薄明かりと、夕焼けの後の薄明かり、どちらも指す言葉があるんだ。あんたは知っているか?」
    「……ううん」
    「薄明と言う。薄い明かりと書いてはくめい、だ」
    「はくめい、かぁ」
     審神者は窓の外の光を見つめながらその言葉を何度か口に出して言う。国広くんは物知りだね、そう付け足した。
    「どんな一日でも薄明で始まり、薄明で終わる。薄明かりが長く暗い夜に変わっても、また薄明かりに戻り日が昇る。全部繋がっているんだ。そう考えると、夜だって大して怖くないと思わないか?」
    「……そうかもね」
     審神者はようやく少しだけ笑みを零した。この施設に来て初めて見た審神者の笑顔に、山姥切も釣られて笑顔になった。
    「今、国広くんが笑った気がする。合ってる?」
    「……さあな」
     答えは自分の目で確かめてくれ。そんな言葉を密かに飲み込む。
     審神者はまた窓の外に視線を向ける。薄明は日の出となり、新しい一日の訪れを告げた。とても綺麗な、真っ白な光だった。
    「きれいだね、国広くん……国広くん?」


     朝の見回りに来た石切丸が見たのは、一振りの刀を抱きかかえて呆然としている審神者の姿だった。見覚えのある打刀に触れると、優しく諭すように審神者に説明した。
    「山姥切国広は審神者からの霊力の供給が途絶えて元の刀の姿に戻った。君のせいではないよ。彼は随分と無茶なことをしたみたいだからね」
     じっとその拵を見つめていた審神者は、そっと力を込めて刀を抜いた。重く、雄々しい刃だった。長い銀色に浮かぶ刃文が、とても美しかった。
    「……この美しい刀を、わたしは知っている」
     一体、山姥切国広はどんな荒療治を行ったのか。少しだけ想像した石切丸は苦笑を零したが、結果的にそれがいい方向に繋がったなら、それでいい。
    「もし望むのなら、君はまた審神者になることができる」
    「……審神者に」
    「怖い思いをするかもしれない、怪我をするかもしれない、仲間を失う恐怖と戦うことになるかもしれない。決めるのは君自身だよ」
     審神者は山姥切国広を鞘にしまうと、胸に抱き、強い意志を持って宣言した。
    「――わたしを待ってくれているから。わたしが強くなれるって国広くんは信じてくれたから……わたしは、復帰してみせます」
     強い子だ、石切丸はそう思った。どこか、かつて己が仕えていた審神者に似ているようで、寂しさにも似た懐かしさを覚えた。いや、今はこの道で彼らの支えになること、それが私の務めだ。そう己を奮い立たせた。
    「それならまずは体力を回復させないとね。健全な霊力は健全な肉体に宿るものだ。リハビリセンターに専門の職員がいるから、私から取り次いでおくよ」
     この施設に満ちる力で背中に負った傷はすっかり塞がっている頃だ。あまり無理をすると開いてしまうかもしれないため、ここから先は専任の職員に任せることにした。彼もまた刀剣男士だ、きっと彼女の力になれるだろう。
     連絡を入れるとすぐに迎えに来るとの返事があったため、自分は別の仕事に向かうことにした。気持ちを新たに、今の自分にできることを大事にしようと思った。
     病室を出る間際、石切丸は審神者の方を振り返り、言い残したことを伝えた。
    「……お大事に」


     審神者がリハビリセンターに向かった後、石切丸はもう一度彼女の病室を訪ねた。この部屋でやるべきことがもう一つ残っていたからだ。
     部屋の奥の棚に飾られた一振りの刀剣の前に立ち、そっと触れる。確かな霊力の手応えを感じ、口を開いた。
    「――ひとつ、いいことを教えてあげよう」
     姿はないが、彼はそこにいる。石切丸はただ静かにその魂に語りかける。
    「あの本丸に折れた刀はいないよ。全員保護されて、審神者の帰還を待っている」
    「……何故、今それを言う」
    「君の心が折れそうな気がしたから、かな」
     山姥切の姿は見えないがその顔は決して明るくないだろうと容易に想像できた。これが私にできる最後の仕事、そう思った石切丸は審神者にも伝えられていない事実を伝えたのだった。どうかこれが彼らにとっての希望の一つであるように、励ましになるように、と。
     けれど、刀から返ってきたのは熱く真っ直ぐな強い想いだった。
    「侮るな。俺は主のための傑作、山姥切国広だ。主を置いて折れたりなどしない」
     何とも頼もしい発言に、石切丸は病室で一人、思わず声をあげて笑ってしまった。きっとこの二人なら大丈夫だろうと、心からそう思えた。
    「どうやら私の祈祷も不要みたいだね」
    「なあ、一つ頼んでもいいか?」
    「なんだい?」
    「この施設のどこかに鳴狐がいる。俺と同じく、審神者の霊力が途絶えて刀に戻った鳴狐だ。あいつのことも助けてやってほしい」
    「……分かった。引き受けよう」
     石切丸は山姥切国広からそっと手を離すと、今度こそ病室から立ち去った。
     彼の支援を必要とする、姿なき刀剣を探し求めて――


     その後、審神者は体力の回復とは別に、審神者としてのリハビリも開始した。痕は残っているが背中の怪我はすっかり完治し、体の動きにも支障がない。順調に霊力の回復も見られていたが、多少無理をしがちな傾向にあるため、リハビリを担当する職員は気がかりで仕方なかった。
    「お主は随分と頑張り屋だなぁ。根を詰めすぎないか心配だ、少し休憩にしないか?」
     水を差し出しながら苦言を呈す職員に、審神者はようやく我に返ったかのように、ぴたりと動きを止めた。
    「早く回復させたい気持ちは分かるが、それで体を壊しては元も子もない」
    「……す、すみません」
     そう言って苦笑いを浮かべながら水を受け取った審神者は、ごくごくと何口か一気に飲み込んだ。体に水分が行き渡り、火照りが冷えるのも感じる。気持ちが落ちついたところで、自然に笑顔になりながら職員に語りかける。
    「目標ができると、人間って頑張れると思うんです」
    「ふむ。その心は?」
    「えっと、会いたい人がいて」
     審神者は自分から話し始めたのに急に恥ずかしくなったのか一度言葉を濁した。けれど、首を振るい、強い眼差しで職員に宣言した。
    「絶対に『おかえり』って言うんです。まだ言えてないから……それがわたしの目標」
    「なるほど、それは素敵な目標だな。俺も力を尽くす。共に頑張ろうではないか」
     リハビリの成果で審神者からは確かな霊力の鼓動が感じられた。この調子なら程なく全回復するだろう。職員はそう思い、石切丸にもいい報告ができそうだ、と笑みを浮かべた。
    「これはじじいの勘だが、お主の目標はそう遠くない内に叶うと思うぞ」
    「……うん。わたしもそう信じてる」
     審神者は職員の方を向き、まるでいたずらが成功した子供のような、底のない明るい笑みを浮かべながら言葉を続けた。
    「天下五剣のお墨付きなら、心強いね!」
    「……おお、そうか。俺がわかるか!」
     リハビリを担当する職員――三日月宗近は審神者の言葉を心から嬉しく想い、審神者に釣られるように声を弾ませて笑った。
    「そうか、そうか。お主の本丸の俺にもその顔を見せてやってくれ。きっと待っている」
    「……あ、職員さんはうちの三日月さんじゃなかった! タメ口使ってごめんなさい!」
    「ははは、よいよい。これからもその調子で頼む」
     審神者を待つ者が山姥切だけでないことを彼女が知るのはもう少しだけ先のこと。
     薄明かりの極限、その果てにあるものは――




    「――ああ。戻ってきたのか。俺を傑作として輝かせてくれるのはあんただけなんだから……頼むぞ」
    7saka Link Message Mute
    Nov 14, 2018 3:29:28 PM

    薄明リミット

    11月閃華紅一点にて頒布予定の短編集より、サンプルとして収録中の一話を全編公開します。読み切りです。
    スペース:東6ギ21a 幸花庭

    あらすじ
    山姥切国広が修行から帰還すると本丸が敵襲を受けていた。瀕死の重傷を負った審神者は救助により一命を取り留めるも、刀と刀剣男士が認識できなくなり審神者としての復帰は絶望的と告げらる。そして審神者の霊力が尽きた時、山姥切は消えてしまうと言われ……

    #刀さに #姥さに #女審神者

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    • おにいちゃんと傑作くんのたのしい姥さに会!!11/24閃華(紅一点)の無配だったものです。

      姥さに=山姥切長義×女審神者だと思い込んでいる山姥切長義くん(H.N.おにいちゃん)と
      山姥切国広くん(H.N.傑作)が姥さにオフで出会ってしまうSNSみたいなノリのゆるいお話です。

      スペースにお立ち寄りいただいた皆様、ありがとうございました!

      #刀さに #長義さに #姥さに
      7saka
    • 出会って5秒で即結婚!?(期間限定Web再録)2018年11月に発行した短編集「言葉なんて」より、期間限定で1話公開します。(〜7月末まで)
      Twitterアンケートにてご投票いただいた皆様、ありがとうございました。

      「え、むり……結婚したい……」
      「ああ、いいぞ」
      審神者に就任したその日、こんな短いやり取りでうっかり夫婦となってしまった山姥切国広と女審神者のお話です。(読み切り)

      #刀さに #女審神者 #姥さに

      同じ本に収録されているお話をもう1話公開中ですので、よければこちらもお楽しみください。
      https://galleria.emotionflow.com/52900/472191.html
      7saka
    • 嘘つきたちの夢(テスト投稿)ギャレリアくんさんを使ってみたかったのでテスト投稿です。
      山姥切長義→審神者への人称を捏造してます。
      こういうお話を書きたいなあ、というプロローグ。
      #刀さに  #長義さに  #女審神者

      11/15 追記
      突発ペラペラ本になることになりました。ご興味ありましたらよろしくお願いします。
      7saka
    • やまんばぎりくにひろくん(テスト投稿)11月新刊の表紙用に描いたもの。
      使用画材:透明水彩、F4ストラスモア紙

      #山姥切国広
      7saka
    • [サンプル]古書喫茶とふたりの山姥切さん2/24 春コミにて発行予定の新刊サンプルです。
      姥さに+長義さに=山姥切サンドの全年齢向け小説となります。文庫サイズ128ページ、全9話、価格未定です。
      原作にない独自設定(人外審神者等)や、二人の相手との同時進行いちゃいちゃを含みます。
      長義の二人称は「きみ」としています。審神者・女の子の名前は出てきません。よろしくお願いします。

      スペース:東6ぜ58a 幸花庭
      ---
      ◆あらすじ
       とある本丸の審神者はぬいぐるみだった。枕くらいの大きさのひつじのぬいぐるみは『義体』と呼ばれるもので、2015年から呼び寄せた娘の魂が宿っている。慣れない体で審神者として日々の務めを果たしてきた彼女は、5年の任期満了を迎えたその日、あるべき場所へ帰っていったのだった。
       そんな審神者との別れを惜しんだ山姥切国広・山姥切長義は彼女が元いた時代へと渡り、記憶を持ち越せない彼女の支えとなるべく共に暮らし、その夢を手伝うことにする。
       彼女の夢、それは彼女の祖父が営んでいたという古書喫茶の再開だった――

      #刀さに #姥さに #長義さに #女審神者
      7saka
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