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    [サンプル]古書喫茶とふたりの山姥切さん第一章 古書喫茶栞 角のある審神者の話第一章 古書喫茶
     それは例えるなら反転だった。重いものが軽く、暗いものが明るく、水底に沈んでいた体が浮き上がってくるような、そんなものを感じた。
     目元に数度力を込めてゆっくり瞼を開いたところで、彼女はようやく自分が眠っていたことを理解した。思考も視界も未だぼやけている。このまま目をつむればもう一度眠り直すことができそうな薄い覚醒だった。
     近くから人の話し声が聞こえる。男性のものと思われるそれはあまり穏やかなものではない。何か揉めているのだろうか。緊張感のある空気を察知してやはりここは寝直そうと思った。狸寝入りかもしれない。どちらにせよ、巻き込まれたくないと思ったのは確かだった。
     が、残念なことにその選択は間に合わなかったらしい。
    「――あるじ」
     ガタガタと大きな物音に続き、人がこちらに近寄ってくるような足音が聞こえる。目を閉じていればまだ逃げられるだろうかと狸寝入りを続行しようとしたが、強く肩を掴まれ遠慮なく揺さぶられ、「ひっ」と小さく悲鳴がが漏れ出た。
    「起きたのか、あるじ!」
    「おい、やめろ! 起き抜けに可哀想だろう」
     制止が入り揺さぶりが止む。肩は掴まれたままだ。観念して瞼を開くと、先ほどよりは鮮明な視界に二人の男性の顔が映った。自分の肩を掴む金髪の男と、それを止めたであろう銀髪の男である。どちらも恐ろしく顔が整った美形であった。
    「国広、放してやれ。彼女が怯えてる」
    「……すまん」
     国広と呼ばれた金髪の男は渋々といった表情のまま彼女の肩から手を放した。詰めた距離はそのままであるため非常に近い。至近距離からじっと見つめらるのは居心地が悪く、さっと視線を逸らした。二人分の体重が掛かっているからか、自分が横たわっていたらしいベッドが鈍く軋んだ。
    「ああもう、お前はは少し落ち着け。あっちで飲み物でも用意してこい」
     見かねた銀髪の男が国広の首根っこを掴み、ベッドから引き離す。そのまま部屋の入り口までぐいぐいと押しやると「大人しくしてろ」と声を掛けて部屋から追い出してしまった。
    「……さて、見苦しいところを見せたね。体に不調はないかな?」
     険しい顔を一瞬で穏やかなものに切り替えた男がそう尋ねてくる。視界も思考ももうはっきりとしているし、若干の気だるさはあるものの体に痛いところもない。彼女は小さく首を横に振った。
    「それは何より」
     男は緩やかに口角を上げ、上品な笑みを浮かべる。そして、愛おしげに頭を撫でてきた。どうしていいか分からずされるがままにしていると、勢いよくドアが開いた。びくりと肩が跳ねる。
    「山姥切、飲み物は珈琲で……何をしているんだ」
    「まったく。偽物くんはノック一つできないのかな?」
    「……ずるい」
    「お前も先ほど彼女に触れただろう」
    「……」
     またもや部屋が険悪な雰囲気となってしまったのを感じ、彼女は身を縮こまらせた。萎縮する気配にすぐ気づいた銀髪の男は「すまない」と声を掛けてドアの方へと歩いて行った。
    「ちゃんと説明する。少し落ち着いたらこちらに来てほしい」
     そう言い残して金髪の男共々退室した。静かにドアが閉まる。ほう、と一つ息を吐くと彼女はゆっくり部屋の中を見渡した。
     古い木製の家具で揃えられた気品のある部屋だった。アンティーク調と言うのだろうか。けれど特に気取ったものではなく、堅苦しさはあまり感じられなかった。そして、机も箪笥もこのベッドも、どれも見覚えがある。間違いなくここは自分の部屋だ。若干の違和感があるような気がするが、本棚に並ぶ書籍も机に飾られたお気に入りの文房具も、確かに自分のものだ。
     ということはつまり、今、自分の家に知らない男が二人いるということになる。果たして部屋の外に出てもいいのだろうか。ひとまず自分の体を調べてみるが衣服は乱れてはなく少しだけ安心した。ただ、先ほどは気づかなかったが左腕に白い包帯が巻かれていた。少し迷って解いてみると針を刺した跡のようなものがあった。点滴でも打たれていたのだろうか。
     警察に通報とも思ったがあいにくこの部屋には固定電話がない。固定電話は一階のレジ横だけだ。
     ならばスマートフォンはどこだろう。枕元には見当たらないため鞄の中か、パソコンの横にあるはず。そう思いベッドから降りようとしたところ、足が縺れ派手に倒れ込んでしまった。当然、物音を聞きつけ外から男たちが駆けつけてくる。
    「だ、大丈夫か?」
    「……そうか、ずっと眠っていたから筋肉が落ちているんだな。すまない、そこまで気が回らなかった」
     気になるフレーズが聞こえたが、考えるより先に近づいてきた銀髪の男にさっと抱き上げられてしまいそれどころではなくなってしまった。横抱きだ。俗に言うお姫様だっこなのではないか。寝起きの頭が激しく混乱した。
    「怪我をしてはいけないからね。さあ、こちらにおいで」
     どうやら脱出は失敗したようだ。ただ、こちらに危害を加えるつもりはなさそう――それどころか不慮の怪我もさせたくないらしい――なのは分かった。それをもって安全と判断していいのかはまだ分からない。
     ひとまず、不用意に刺激しないよう、大人しくしていよう。揺れる腕の中でまたも小さく身を丸めた。

    「警戒心があるのは褒めるべきなんだろうが、こうも萎縮されるとやりづらいな。まあ、大半はお前のせいだと思うが」
    「……すまない」 
     場所を移し、建物の二階に位置するダイニングへとやってきた。先ほどいた彼女の自室は三階にあるため、一つ階を降りた形である。ダイニングテーブルの上にはハムサンドとミニサラダ、ジャムの掛かったヨーグルトが並んでいた。そしてもう一つ、香り高い珈琲からほのかに湯気が立っている。まるで喫茶店のモーニングのようだった。二人の会話から推測するに、どうやら彼女が目覚めるより前から準備していたものらしい。なるほど、確かにあの時間でこれだけ豪華な食事を用意できるはずもない。
     ちなみに、先ほど解いた包帯は国広の手により元通りになっている。手際良く巻くのをじっと見ていると「慣れているからな」との答えが返ってきた。そんな風には見えないがもしかすると医療従事者なのだろうか。
    「さて、どこから説明しようかな」
    「良ければ食べながらゆっくり聞いてほしい。長くなるし、腹も空いているだろう」
     言われた通り空腹感はある。たっぷりのレタスとハムをほんのり焼いたトーストで挟んだそれはとても魅力的に映った。そっと手を伸ばしたところで、もし毒でも入っていたら、と嫌な想像が働きぴたりと停止した。その様子を見ていた国広が悲しそうに眉を下げる。あからさまに、ものすごく傷ついた顔をしている。恐らくこれを用意したのは彼なのだろうとすぐにわかった。
     何故だ。どう考えても勝手に家に上がった不審者なのに、どうしてこうもその顔に胸が抉られるのか。彼女は罪悪感と警戒心を秤にかけた結果、ゆっくりとハムサンドに手を伸ばした。国広の表情がぱっと明るくなり、期待に満ちた眼差しを向けられる。食べづらい、とても食べづらい。けれどまたあの悲しい顔をされるのは心に悪いため、彼女は半ばどうにでもなれの気持ちで「いただきます」と言い、ハムサンドにかぶりついた。声が枯れていて少し驚いた。
     見えなかったが中にチーズも入っていたらしい。パンはふわふわとカリカリが共存しているし、普通に美味しかった。美味しいのだが――
    「あ、主が……俺の作ったハムサンドを、食べた……」
     何がそんなに嬉しいのか感激に震える国広が気になって仕方ない。まだ会話の通じそうな銀髪の方でさえ「良かったな」と微笑ましげに言う始末である。
     そういえばまだ銀髪の方は名前を聞いていなかった。いや、国広の方も名乗られたわけではないが。そんな思いを込めて視線を向けると、何となく伝わったのか一つ咳払いをして会話が再開された。

    「では、順を追って説明しようかな。まず、俺は山姥切長義。こっちが国広――山姥切国広だ」
    「……初めまして」
     その挨拶に僅かながら銀髪の男――長義の顔が歪んだような気がしたがすぐに取り繕われた。自分の名前は分かるかと言われたため続けて名乗ると満足げに頷かれた。
    「二人はご兄弟なんですか?」
    「まさか」
     同じ名字、それもなかなか聞き慣れない珍しいものを名乗っていたためそう聞いてみたがどうやら違ったらしく長義に即答された。では一体何なのかと思っていると、立ち直ったらしい国広が小声で長義に話しかけた。
    「山姥切、ここでの俺たちは兄弟という設定だったはずだ」
    「……そうだった、つい。お前も俺のことは長義と呼ぶ決まりだったな」
    「そうだった、つい」
    「……ということで、先ほどのは間違いだ。俺たちは兄弟だよ」
    「そう、兄弟だ」
     嘘だ、思いっきり『設定』って聞こえたぞ。そんなツッコミをぐっとこらえ、彼女はハムサンドをもう一口齧った。この頃にはすっかり緊張が解れていた。むしろ警戒するだけ損な気配を感じてきたとも言う。
     怪しさしかない自称兄弟たちの話は続く。
    「きみは訳あって五年間眠りについていて、先ほど目覚めた」
    「あんたにはその五年間分の記憶がない。俺たちのことは見ず知らずに感じるだろうが、危害を加えるつもりもない。まずはそれを信じてほしい」
    「はぁ……」
     五年間眠っていてその間の記憶がないとはどう言いうことなのだろう。眠っていたのなら記憶がなくて当然なのではないだろうか。見ず知らずに感じる、ということはその五年の間に面識があったということか。聞けば聞くほど謎が深まるばかりである。そしてこの二人、どうにも意思の疎通が図れていないというか連携が取れていないような気がする。あまり仲が良くないのでは、そんな直感がした。
     ハムサンドを食べ終えたところでカップに手が伸びる。ブラックかと思ったがミルクが入ったカフェオレのようだ。これなら胃への負担も少ないだろう、ありがたくそのまま頂くことにする。 
    「……!」
     向かいに座る国広がまたも顔を綻ばせた。やや涙目になっているようにも見える。今までごく一般的な食べ方をしていたと思っていたが、もしかすると自分の食事シーンはそんなに変なのだろうかと彼女は不安に思った。
    「主が俺の珈琲を飲んでくれた……ずっと、ずっと夢だったんだ……」
     じんと、感激に打ち震えたような声がする。どうやら自分の所作がおかしかった訳ではないらしい。彼女はほっと一息つく。夢だったということは、やはり五年のうちにこの二人と面識を持ったがそれを忘れているのだなと理解した。自分の記憶にまつわる話だというのにとても冷静にそう思えた。
    「国広、ちゃんと打ち合わせ通りにしろ。主とは呼ばないと決めていただろう」
    「すまん。ただその……名前を呼ぶのは恥ずかしいというか……照れる」
    「思春期の娘か」
     そういえば先ほどから時折「主」という呼び方をされている。今時ファンタジーの読み物かゲームの中でしか聞かない用語である。それが自分に向けられているのはとても不思議だった。
    「きみはどうかな、何て呼ばれたい?」
     思考に耽っていたところ長義にそう聞かれ、すぐに何の案も浮かばなかった彼女は彼らに任せることを選んだ。どちらかというと、主というその呼び名の意味の方に興味が湧いたため、質問を添えた。
    「呼びやすいもので構わないですよ。あの、それより主だったんですか、わたし」
     長義と国広はどうしたものかと顔を見合わせる。できればそれを伏せておきたかったのだろうが、詰めが甘すぎるのだ。
    「……ああ、そうだ。きみは俺たちの主だった」
    「俺たちはあんたの刀……あんたの指示で刀を振るう戦士、のようなものだった」
    「……謎は増えるばかりですが、名前に慣れるまでは主でもいいですよ」
    「いいのか!?」
     どこか遠い目をしていた国広がぱっと顔を上げる。その顔はとても嬉しそうだった。表情が大きく動く訳ではないのに、不思議と感情が読み取りやすい人だと彼女は思い、どうぞと言葉を続けた。

    「――話を戻そう。ここはきみのお祖父様が営んでいた喫茶店だそうだ。彼が集めた古書が一面の本棚に並んでいて、自由に読みながらゆったりと珈琲を楽しむことができる、というコンセプトらしい。お祖父様のことは……覚えているかな」
    「……」
     彼女は小さく一度頷いた。彼はそれ以上追求しない。
    「この店の今の名義人はきみだ、きみの店だ」
     ただし、と付け加えて長義は何かを彼女に向けて差し出した。銀行の通帳のように見えた。自分の名前が書かれているが、中を開く勇気は湧かず、彼女はなんとなく視線を逸らした。
    「きみには遊んで暮らしていけるだけの資金がある。悪い金じゃない、きみの五年分の働きに対する正当な報酬だ。もちろん法に触れるような仕事をしたわけでもない、それは俺たちが保証するから安心してほしい」
     持っていて損はない、そう言いながら長義は通帳を彼女の方に押しやった。発言のない国広の方をちらりと伺うが、彼もまた首を縦に振った。受け取れと、そういうことなのだろう。どうしようか迷っていると国広が小さく「だが」と割り込んできた。
    「この店を継ぐのはあんたの夢だったと聞いている。俺たちはそれを手伝いたい」
    「そう。辞めるのはいつだってできるからね」
     顔を上げた彼女と二人の視線が交わる。そして力強く、けれど優しい声が返ってきた。
    「俺たちはあんたの人生の支えになると誓おう」
    「任せてほしい」

     +++

     朝食の後、彼女はまずテレビとスマートフォンを探した。今が西暦何年かを確認して、本当に今が二〇二〇年であることを理解した。確かに自分の記憶から五年が経過しているようだ。
     情報番組では知らないアイドルが歌って踊り、知らないお笑い芸人がよくわからないネタを披露していた。どのチャンネルも間もなく開催されるというオリンピックの話題が流れている。五年ぶりに電源を入れてもちゃんと動いたスマートフォンもやはり二〇二〇年を表示している。これに関してはよく動いたなと褒めるべきかもしれない。
     家の中を歩きながら記憶を遡ってみる。祖父の葬儀のことや高校の卒業式のことはぼんやり覚えているが、その前後はどうにも曖昧だ。店を売るかどうか、そんな話を誰かとしたような気もする。
     五年間眠っていたというのも恐らく事実だろう。少し家の中を歩いただけなのに妙に足が震えて力が入らない。階段を登っただけで息は切れるし、危うく踏み外しそうにもなった。その度に二人が駆けつけてくるので申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
     二階はダイニングキッチンと風呂場、トイレ、祖父が使っていた部屋がある。祖父の部屋はすっきりと片付いていた。そういえば片付けたような気もする。本以外の物に執着のない人物だったため、遺品整理には苦労しなかった覚えがある。
     三階に上がる。先程彼女が眠っていた部屋の他にもう一つ大きめの部屋があるのだが、どうやら二人はそこを使う予定らしい。書庫兼物置だった部屋に見覚えのない二段ベッドが置かれていた。なんとなく上の段が国広さんだろうな、彼女は直感でそう思った。広い部屋とはいえ、二人分となるとやや狭い気がする。後で、必要があれば本棚は祖父の部屋に移動していいと伝えようと思った。元々全て祖父のものなのだ、動かすくらい構わないだろう。
     当然のようにここで暮らすつもりらしいが、もはや彼女には気にならなかった。先ほども我が物顔でキッチンを使っていたし、自分が眠っている間にいろいろと使いやすいように整えていたのだろう。
     それよりも、彼女にはもっと気になったことがある。
     どの部屋を見てもそうだが、全体的に新しいのだ。家具はそのままだが、壁や天井、床――建物自体が新しくなっているし、新築の家のような匂いがする。喫茶店の古書の並ぶ本棚も妙に綺麗だ。掃除が行き届いているどころか、汚れた形跡がない。
     恐る恐る家の外に出て全体を眺めてみると、剥げてぼろぼろになっていたはずの外壁も、ささくれてカビの生えた木製の看板も、やはり何もかもが新しかった。老朽化対策をしなければという話を祖父としたような気もするが、一体誰が、いつの間に……。
     家の周りだってそうだ。店の立地が違う。ここは住み慣れたあの街ではない。移転することになると、そんな説明を受けた気がする。誰の説明だっただろうか。
     突如頭が割れるように痛み、彼女はその場に蹲った。視界が黒い渦を描き揺れる。
     店から見ていたのだろう、駆けつけた国広に抱えられ、喫茶店のソファ席に寝かせられた。無理せず少し休め、そんな声を最後にふと意識が遠のいてしまった。

     しばらく横になると落ち着いてきたため、彼女はゆっくりと身を起こした。もしかすると眠っていたかもしれない。国広と長義は彼女の様子を気にかけつつ、何かの作業をしている。聞こえてくる単語から店の開店に向けた話をしているのだと分かった。
     ぼうっと眺めていると、話に区切りがついたのか長義から暖かい紅茶が差し出された。珈琲だけも寂しいからね、と言ったためこれもメニューに入れるつもりなのだろう。白い陶器のポットから揃いのカップに自分で注いで飲むスタイルらしい。珈琲ほど詳しくないが、特徴的な香りからすぐにアールグレイだとわかった。抽出の目安を知らせる砂時計を眺め、ゆっくりと経過を待った。
     ふと、影が差す。国広が何かを抱えて彼女の元を訪ねてきた。
    「お合席でもいいですか?」
     国広がそう言うと、彼女の回答を待つことなくソファの向かい側の椅子の上に白いぬいぐるみが置かれた。大きな角がかわいい枕くらいの大きさのひつじのぬいぐるみだ。よくキャラクターカフェでこういった『相席』サービスがあるらしいが、実際に体験するとなかなか楽しいものかもしれない。
    「かわいいですね」
    「ああ、俺たちは彼女が大好きなんだ」

     五年ぶりに目覚めたら知らない人たちと一緒に暮らすことになっていて、一緒に喫茶店を経営することになっていた。こんなにも不可思議な出来事だと言うのに、胸が弾むのはどうしてだろう。
     今、少しだけ楽しいかもしれない。相席となったひつじの女の子の顔を見つめて彼女はそんなことを思った。
    栞 角のある審神者の話
     十八歳の冬、大好きな祖父が亡くなった。
     真冬なのによく晴れた暖かい日だった。学校から帰宅すると家の前に妙な人だかりができていた。立ち尽くすわたしに気づいた常連のお客さんが「落ち着いて聞いてほしい」と前置きしてから祖父が倒れたことと、搬送された病院の名前を教えてくれたことは覚えている。混乱したまま駆けつけた時、祖父は既に息を引き取っていた。眠るように穏やかな死に顔だった。
     心臓の病だったそうだ。ずっとわたしには秘密にしていたらしい。何気ない朝の「いってきます」が最後の会話になったことに思い至って、病院の帰り道、人目もはばからずに声を上げて泣いた。

     あれから数ヶ月。今日は高校の卒業式だった。カウンター席に腰を掛けると「卒業おめでとう」という声が聞こえるような気がして、なんとなく「ありがとう」と口にした。
     祖父はわたしにとって唯一の肉親だった。両親について詳しく聞いたことはないが、その話題になるといつも祖父は顔を顰めて「あんな奴など知らん」とだけ言った。どこかで生きてるんだろうなとは思っていたが、葬儀にも来ない人間になどもはや興味はない。
     カウンターの内側に移動し、祖父の視点から店を眺める。この家は一階が喫茶店になっていて、二階と三階が居住スペースになっている。喫茶スペースは壁一面が本棚になっており、祖父の集めた古い書籍が所狭しと並んでいる。珈琲を飲みながら読書を楽しむことができる、言うなれば古書喫茶だ。
     高校を卒業したら店を手伝う約束をしていた。この場所に祖父と並び立って珈琲を淹れるのが夢だった。隠れて練習していたのに一度も振る舞えず終いとなってしまった。
     この家は間も無く、建物ごと取り壊しとなる。古い建物だ。祖父の残した遺産はごく僅かで、高校を卒業したばかりのわたしの稼ぎを乗せたところで、家の維持費には届かない。店を開けたところで祖父ほど集客することもできないだろう。
     先日、この区画の担当者を名乗る職員からも同様の説明を受けた。手元に残された数枚の書類にサインすればこの店は完全に終わってしまう。どうにもならない世知辛い現実に耐えられず、結局その日はカウンターに突っ伏したまま眠ってしまった。寒いし体も痛かったが、そこから動く気になれなかったのだ。

     あくる日のこと、先日とは違う職員が店を訪ねてきた。回答の約束までまだ日があるのにどういうことなのかと睨み付けると、彼は少し困ったような顔をして「話をさせてほしい」と言った。
    「私は、君とこの店を守るための提案をしに来たんだ」

     +++

    「そんなこんなで、わたしは審神者になったんだよ」
    「おい待て、一気に端折りすぎだ」
     わたしが「ええー」と不満そうな声を上げると、山姥切国広くんは「そこからが大事なところだろう」とわたしの頭に遠慮のないチョップを浴びせてきた。ぽふぽふと布の沈む音がする。痛くはないがなんとなく嫌なので、掻い摘んで続きを話すことにした。
    「その職員さんは政府の――わたしの時代の政府のお偉いさんでね、今の時代の政府の指示で審神者の適性をもった人間を探してたんだって」
    「あんたが生きていたのは二〇一五年だったか。過去の時代の人間を審神者にするなど、歴史改変には当たらないのか?」
    「さあね。今から遡って過去二百年分くらい、ちょうどわたしが生きてた平成の時代くらいまでを対象範囲にして大捜索したって話だったけど」
    「わからないな。何故そんな面倒なことを……」
    「時間を超えた物質の転送試験も兼ねているとかなんとか言ってたかなぁ。結局、生身の人体を二百年先の亜空間なんかに飛ばすのは不可能って結論になったけどね」
     わたしの話を聞いた国広くんはもう一度「わからない」と口にして考え込むように黙りこくってしまった。
     二〇一五年の三月、祖父の店を守りたい一心でわたしはその契約に応じた。遥か未来で繰り広げられる歴史を守るための戦いに審神者として身を投じること。それが職員の提示してきた条件だった。任期は五年間で延長はなし。見返りとして与えられるものは祖父の店を守るのに十分な権利と金だった。
     人間が五年間消えることになるため、余計な混乱を招かないよう店は移転することになるが了承してほしいと言われたが、ついでに老朽化した建物も建て替えてくれると聞いてそれも二つ返事で了承した。
    「その『喫茶店』とやらは幸せだな」
    「そうかな?」
    「ああ。あんたが人間を辞めてまで守ろうとした、それだけ愛されているということは俺たち『物』にとってこれ以上ない幸せだ。少し、羨ましいくらいに」
    「辞めてないよ。帰ったら人間に戻るもん!」
     短い手を振って国広くんに抗議のパンチをお見舞いする。布と綿でできたそれは大したダメージにはならず、むしろ国広くんは嬉しそうに受け止めて見せた。ぽんぽんとかわいい音がしてまた少し悔しくなった。
     この時代の技術を持ってしても二百年前の人間を転送することは困難だった。失敗に失敗を重ね、わたしの安全性を優先した結果政府から提案されたのがこの布製の義体だった。枕くらいの大きさのぬいぐるみにわたしの魂を憑依させ、それを審神者として本丸のある空間に送り込む。よくもまあそんな案が出たものだと、だいぶ驚いた覚えがある。
     今の『わたし』は手足が可動式のひつじのぬいぐるみだ。一応、二足歩行が可能で、手を使って簡単な物を持つくらいのことができる。逆に言うとそれしかできない。角の部分が目と耳と口、そして脳の役割を担っていて、映像情報や音声を取得したり、スピーカーから音を発して喋ったり、物事を記憶したりすることができる。魂の仕組みなんてわからないが人格も当時のわたしそのもので、ちゃんとあの頃のわたしの続きだと感じられる。まさしくぬいぐるみの体にわたしの意識が憑依したような状態だった。

     初めは慣れないことばかりだったが五年も経てば身に馴染むものである。パンチを諦めたわたしはくるりと身を翻して国広くんの膝の上に座った。国広くんもまた慣れたようにわたしの頭を撫でてくる。そうだ、多少の触覚もあった。撫でられているという感触が伝わり、そこそこ快適である。
     こんなやりとりも、もうじき終わってしまう。五年の任期満了は目前だった。寂しくなって頭を下げると、気づいた国広くんが「主?」と気にかけてくれた。
    「もうすぐね、五年経つの」
    「……ああ」
    「この体の耐用年数の観点で、延長はどうしても不可能なんだって」
     言わんとしていることが伝わったのか、国広くんはわたしの体を抱きかかえて、子をあやすように背をぽんぽんと叩いてくれた。本当に優しい子だ。
    「ごめんね」
    「あんたが悪いわけじゃない。元の世界に帰ってからも元気でいてくれれば……それでいい」
     修行から帰ってきた国広くんはよく笑うようになったと思う。知らない人が見たら笑顔には見えないかもしれない細やかな表情ではあるが、わたしはそれが――その成長が嬉しくて仕方なかった。契機となったのがわたしの存在だと聞いた時は嬉しさのあまりひっくり返ったが、それはわたしだけの秘密だ。
     だからこそ、お別れは寂しい。
    「偶に思い出してくれ。俺たちのこと、本丸のことを……」
     その言葉に体がぴくりと小さく震える。国広くんにとっては細やかな願いだったのだろう、わたしにとってはひどく残酷な願いが告げられた。下手な嘘を吐く気にもなれず、正直に告白する。
    「……それは、できない」
     わたしの回答に驚いたのか、国広くんの体が小さく跳ねた。
    「今のわたしの記憶がどこに保存されてるか知ってる?」
    「……この角の部分だな」
    「そう。だから角がなくなると、角に保存された記憶は『見えなくなる』の」
    「……っ!」
     これは当時の説明ではメリットとして伝えられた義体の仕様だった。戦争に参加しても、戦いの血生臭い記憶を持ち越さずに元の平穏な生活に戻れる、と。今にして思えばこれは耐え難いデメリットでしかないのだが覆すことはできない。悔やんでも、どうしようもないことだった。
    「この体から抜けた途端、わたしはあなたたちのことを忘れちゃう、思い出せなくなっちゃうんだ」
     どうしようもないとは分かっていても謝らずにはいられず、わたしは小さくごめんねと口にした。口にしたと言っても、その音が発せられた場所は角に開いた小さなスピーカー部だった。



    ――第二章へ続く
    7saka Link Message Mute
    Feb 10, 2019 9:41:17 AM

    [サンプル]古書喫茶とふたりの山姥切さん

    2/24 春コミにて発行予定の新刊サンプルです。
    姥さに+長義さに=山姥切サンドの全年齢向け小説となります。文庫サイズ128ページ、全9話、価格未定です。
    原作にない独自設定(人外審神者等)や、二人の相手との同時進行いちゃいちゃを含みます。
    長義の二人称は「きみ」としています。審神者・女の子の名前は出てきません。よろしくお願いします。

    スペース:東6ぜ58a 幸花庭
    ---
    ◆あらすじ
     とある本丸の審神者はぬいぐるみだった。枕くらいの大きさのひつじのぬいぐるみは『義体』と呼ばれるもので、2015年から呼び寄せた娘の魂が宿っている。慣れない体で審神者として日々の務めを果たしてきた彼女は、5年の任期満了を迎えたその日、あるべき場所へ帰っていったのだった。
     そんな審神者との別れを惜しんだ山姥切国広・山姥切長義は彼女が元いた時代へと渡り、記憶を持ち越せない彼女の支えとなるべく共に暮らし、その夢を手伝うことにする。
     彼女の夢、それは彼女の祖父が営んでいたという古書喫茶の再開だった――

    #刀さに #姥さに #長義さに #女審神者

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    • おにいちゃんと傑作くんのたのしい姥さに会!!11/24閃華(紅一点)の無配だったものです。

      姥さに=山姥切長義×女審神者だと思い込んでいる山姥切長義くん(H.N.おにいちゃん)と
      山姥切国広くん(H.N.傑作)が姥さにオフで出会ってしまうSNSみたいなノリのゆるいお話です。

      スペースにお立ち寄りいただいた皆様、ありがとうございました!

      #刀さに #長義さに #姥さに
      7saka
    • 嘘つきたちの夢(テスト投稿)ギャレリアくんさんを使ってみたかったのでテスト投稿です。
      山姥切長義→審神者への人称を捏造してます。
      こういうお話を書きたいなあ、というプロローグ。
      #刀さに  #長義さに  #女審神者

      11/15 追記
      突発ペラペラ本になることになりました。ご興味ありましたらよろしくお願いします。
      7saka
    • 薄明リミット11月閃華紅一点にて頒布予定の短編集より、サンプルとして収録中の一話を全編公開します。読み切りです。
      スペース:東6ギ21a 幸花庭

      あらすじ
      山姥切国広が修行から帰還すると本丸が敵襲を受けていた。瀕死の重傷を負った審神者は救助により一命を取り留めるも、刀と刀剣男士が認識できなくなり審神者としての復帰は絶望的と告げらる。そして審神者の霊力が尽きた時、山姥切は消えてしまうと言われ……

      #刀さに #姥さに #女審神者
      7saka
    • やまんばぎりくにひろくん(テスト投稿)11月新刊の表紙用に描いたもの。
      使用画材:透明水彩、F4ストラスモア紙

      #山姥切国広
      7saka
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