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    アナコン新刊2冊目1.
    明智吾郎はパレスにいる。それだけは疑いようのない事実である。

     薄ら寒い空気。歩を進めると微かに波紋を生む地面。現実より遙かに軽く感じる重力。そして、このイセカイにおいてのみ現れる仮面の隣人―ペルソナ。


    「ロビンフッド……こいつが何よりの証拠だ」


     明智は喚び出したペルソナを見上げる。

    トリコロールカラーを基調とし、胸部にはその名を表す〈RH〉があしらわれた筋骨隆々の巨人。白と青のリバーシブルマントと黄金の弓矢。そして頭部の赤い装甲はロビンフッドハットそのものである。

     コミックヒーローのように派手なデザインは明智自身が演じる〈わかりやすい英雄(ヒーロー)〉像そのものだ。ぼんやりとした青い光に包まれ、自由を阻むように周囲を鉄(くろがね)の鎖が纏っている。

     しかし明智が釈然としない疑問点がいくつかある。

     一つは自分の外見が変わっていないことだ。他者の心の世界であるパレスは、己の意に沿わぬ異物を排除しようとする。

    その意思に反抗することにより侵入者として相応しい姿に変化させられてしまうのだ。

     だが今の明智の姿は普段と何も変わらない。白黒のストライプネクタイに、ライトグレーの学生服。使い慣れた黒い革手袋が握るアタッシュケースの重みまで平常通りだ。

     ただ、パレスは持ち主にとって重要なエリア以外は支配力が低い。明智の現在地が管轄外の可能性は高い。

     二つ目は―これこそ最も明智にとって不可解なことであるが……。

    パレスの持ち主を、明智は知らない。

     主だけではない。いつ、どこで、どんな経緯でこのパレスに足を踏み入れたのか。

    迷い込む、などあり得ないこの場所について、彼は何一つ思い出せなかった。

     知らないはずはない。普段なら取引相手の指示を受け、標的の心がメメントスにあるか、はたまたパレスにあるかを調査する。

    パレスならば侵入するためのキーワード―ターゲットの〈名前〉、重きを置く〈現実の場所〉、当人にとって〈イメージ〉―を推理し、スマートホンのアプリに入力する。それが一連の流れだ。

     それでも、何度記憶を掘り返しても明智には思い出せなかった。


    「どうなってんだ……」


     熱を持ち始めた脳を庇うように額に手を当て、彼は壁に背を預けた。

     今いる場所はよく見慣れた渋谷のブチ公前だ。行き交う人々と喧噪は現実と違わず、パレス―異世界の中であることを忘れそうになる。

     耳に届いた甲高い声に明智は視線を上げる。

    数メートル先の広場にいる女子高生が、彼を指さし破顔している。

     パレスの主も明智吾郎が女性人気の高い、近頃話題の高校生探偵だということを理解しているらしい。

    明智はおちおち考え事もできないな、と溜息をついてその場を離れた。

     試せることは何でも試そう。そう思い、まずは自宅を探しに行く。改札を抜け、ちょうどホームに到着した電車に飛び乗った。

     立ったまま明智は記憶を整理する。スマートホンのスリープを解除し、今日の日付を確認する。

    六月七日。記憶通りだ。昨日は特筆することのない一日だった。表のも、裏の仕事もなかったため朝から学校へ登校し、夕方まで授業を受けて帰宅した。

     先日から余計な仕事が増えて辟易している。心の怪盗団などというふざけた存在が台頭し、その調査を指示されたのだ。

     明智は表向きは探偵王子と呼ばれ、数ヶ月前からメディアで取り上げられるようになった。

    二年前から自らをSNSで発信し、個人の失せ物探しを始め、信頼を得た相手からは特定人物の素行調査まで依頼されるようになった。

     そうしてネット上で地道に下積みを重ねたうえで知名度を上げてきたが、それだけでメディアに取り上げられるわけがない。

     明智は表でのセルフプロデュースに加え、裏稼業でも同様の下積みを行っていた。

     それに必要不可欠なのがスマートホンのアプリである。いつから入っているかは定かでないが、少なくとも買った時にはなかった。

    ダウンロードした記憶もない。消去してもいつの間にか元に戻っている。ウイルスなのか調べようとしても認識されず、アプリ一覧にも表示されない。

     不気味以外の何物でもないが、今の明智には命の次に大事な商売道具である。これがなくてはパレスやメメントス―他人の心の世界に入れないのだから。

     アプリと心の世界の関係性については完全に手探りで、ほとんど明智自身の実地調査と研究によってのみ発見された法則しか判明していない。

    初めてアプリを起動した時は、どうやら人名に反応するということしかわからなかった。

     その時入力した人名に反応がなければ、明智は携帯電話を買い換え、たちの悪いスパイアプリか何かだと切り捨ててしまっただろう。

     獅童正義。国会議員であり次期総理大臣候補の一人とも謳われている。現在は共犯状態にある取引相手だが、明智は彼を絶望の底に叩き落とすために近づいた。

     彼は明智を孕んだ母を認めず、二度と自分に近づけぬよう社会的地位を奪った。そのため明智は幼い頃から苦労が耐えなかった。

    母はこれまでの高給な生活を奪われたせいか、心身共に貧しく醜い女であった。

    幼い明智には推測することしかできなかったが、常に金について母が愚痴を零していたのは確かだ。もちろんその不満の中心は自分の養育費だ。

    産まずに堕胎しておけば良かった、と何度も言われた。意味がわからずとも、母にとって自分は邪魔な存在なのだと理解した。

     勝手な話だと思った。産んでほしいなどと頼んだ覚えはない。欲しがったのはお前だ。言わずとも明智は心の中で反論していた。まさにお前に『産まれた』のだと。

    そうでなければお互い苦しい生活などせずに済んだし、自分自身も存在を呪わずに済んだ。

     それ故、明智が獅童を狙うのは母のためではない。

    過労で母親が他界した時も、やっと邪魔が消えたとしか思わなかった。

    自分が苦しむ原因であるにも関わらず、その存在も知らずのうのうと人生を謳歌している獅童が憎いだけである。SNSでも、国会中継でも、街角でも目にするこの男を、どうにかして叩きのめしたいと思い続ける日々だった。

     そこへ突如舞い込んだのが件のアプリだ。これほど不気味なアプリが人の名に反応するのだ。何かしら影響を与えることができるに違いない。

    もはやオカルトの領域であったが、燻った日々を濁った目で過ごすよりはずっと前向きに生きられる気がした。

     何かしらの助けにならないかと様々な研究分野を読み漁る過程で、一色若葉という研究者の論文に行き着いてから明智の計画は本格化した。

    認知訶学。心理学の一部となるが、彼女が提唱した全く新しい分野だ。天才と言われる彼女は理論上にすぎないが、心の創る世界の存在に気付いていた。

     個人の強い欲望が創り出す単体の空間『パレス』とは異なり、人類共通の心の世界である『メメントス』という空間を発見できたのは彼女のおかげである。

     その恩を明智は仇で返した。獅童に取り入るうえで明智は彼女のことを引き合いにだし、懐柔できないようであれば始末しろと指示されたのである。

     パレスやメメントスで特定の人物に働きかけると、現実にも影響する。それを可能にする特殊能力を持ったのがペルソナだ。

    心の世界の怪物―シャドウと呼んでいるが―に襲われた時発現した力である。ペルソナの能力でシャドウを操ったり殺したりすると、現実でも同様の結果になった。

     そうした様々な変遷を経て、現在明智は獅童を失墜させるために彼を担いでいる最中なのである。

    獅童には金と名声が欲しいからと言って話を持ちかけた。メディアに出るようになったのもその結果だ。実際生活費は貯金が増える一方であるし、無知な大衆が自分の思い通りに踊る様を見るのは楽しかった。

     電車が止まり、最寄り駅の名を告げた。その音で明智は意識を現実に戻す。ホームに降り自宅へと歩を進める。

    母を亡くした後は遠縁の家に引き取られたが、当然仲良くできるはずもなく、高校に入ってからは保証人だけを頼んで賃貸に一人暮らしだ。

     記憶に齟齬はない。抜け落ちた感覚もない。何も問題はない、という感覚が逆に明智を悩ませる。

     自宅であるマンションには程なく到着した。歩く時間も同じだ。注意深く観察したが景色にも違いが見られない。

     この空間は持ち主にとっての現実だ。本人にとって曖昧な部分は再現度が低くなると思われる。

    侵入者である明智は、自分ならば目で見て判断できると考えた。しかし、さすがの明智も街路樹の本数や建物の外観まで正確に覚えているわけではない。

     それにパレスの構造も明智が推測したものにすぎない。もしかしたらパレスもメメントスと繋がっていて、集合的無意識によってむしろ完璧な世界が構築されているのかもしれない。

     マンションはセキュリティが重視されていて、入り口の自動ドアからして鍵が必要なものだ。脇に設置されたキーリーダーに自分の鍵を差し込む。

    ―開いた。

     エレベーターも動く。三階で降り、自宅のドアにも鍵を入れる。こちらも同様に開錠された。


    「……俺がパレスに影響を与えないって根拠も無いしな」


     基本的に明智はパレスに長居しない。獅童の協力者と影の取引を行うにしろ、邪魔者を殺すにしろ、主の居場所を特定する以外歩き回ることはない。

    ましてテリトリー外など。

     長居することで自分自身がパレスに影響を与える可能性もある。他人の心に文字通り土足で踏み込んでいるのだから。

    はたまた、意識されていない空間だからどんな鍵でも開いてしまうのかもしれない。そう考え隣の部屋を試してみたが、こちらは開かなかった。


    「となると俺のせい……または集合的無意識の線が強いか……。うわ、中まで完璧じゃねぇか」


     部屋の中は明智の暮らす場所と全く同じだった。これこそ寸分違わない、というやつだ。クローゼットの中も、本棚の中も、全て揃っていた。


    「くそ、こんなことなら無理にでも一色を落としておけばよかった。言っても仕方ねぇけど……」


     それでも一息つける空間を得ることはできた。明智はベッドに横たわると再びスマートホンを手にした。

     時間は六時を回ったところである。おそらく、今日も高校に行き、一日を過ごした。そしてその帰宅途中にパレスに迷い込んだ……としか思えない。唯一曖昧といえば今日の朝からの記憶だった。

     そこへ一通のメールが届いた。明智は驚いて飛び起きる。パレスでは携帯電話はほとんど機能しないはずだ。電波は通じないし、カメラ機能も使えない。現に電波マークは圏外を表している。

    なのになぜメールが届いたのか。

     送り主は某テレビ局のプロデューサーだった。


    「怪盗団についてのトーク……?」


     このパレスのことで頭がいっぱいだったが、そういえば自分は怪盗団にも悩まされているのだったと思い出した。

     メールには今月頭に予告状を出し、宣言通り斑目一流斎の心を奪った彼らについて取り上げると書かれている。

     心の怪盗団と名乗る集団(団と自称するからには多人数なのだろう)は、著名な日本画家である斑目の心を奪うと予告状を出し、数日後に記者会見という形で本人の口から罪を告白させた。

    日本画の歴史に名を刻むとも謳われていた斑目が、弟子を飼い殺し、その発想を奪うことでアイデアを得ていたこと。そして贋作を売り巨万の富を得ていたことも白日の下に晒された。

     真偽は現在警察が精査中だが、明智はそれが真実だと知っている。贋作を売るに当たってルートなどを斑目に斡旋し、その仲介料を貰うという取引の連絡役を担っていたのが明智自身だからだ。

     斑目にはパレスがあった。明智は獅童の意思を彼のシャドウに伝えることで深層心理に情報を植え付け、常人には成し得ないビジネスを確立させていた。

     明智が怪盗団を調べることになったのはそのせいだ。資金源の一つであった斑目を潰され、ややもすると自分にも火の粉が降り注ぐ可能性に獅童は焦りだした。

    斑目が他人に脅された程度で罪を告白するわけがない。お前と同じような力を持つ人間が現れたに違いない、とその日の内に調査を押しつけられた。

     獅童の口利きで警察の捜査にも加わることになった。そうなれば明智が直接情報を得ることができるし、場合によっては捜査方針を誘導することも可能だ。

     臆病が過ぎると呆れもしたが、その勘は明智も否定できなかった。同じように異空間に出入りできる人間が増えるのは困るし、放置すればいずれ明智とぶつかりあうだろう。

    自分の計画を潰されるのは御免だ。敵に見つかる前にこちらから特定して先手を打たなければならない。

     まずは斑目の周辺を洗ってみようと思っていた矢先にこの正体不明のパレスだ。獅童に取り入る以来の厄介事に明智は嘆息した。


    「現実のメールが届いてるのか、それとも……」


     パレスの主がテレビ局関係者で、明智へのメールを知っているのか。プロデューサーのパレスかと思いアプリで確認したが、違うようだ。

     自分の返信が相手に届くかも確認しなければならない。日程は九日に下見、十日に本番だ。どうやら都内の私立高校の社会見学ともかぶるらしい。迷惑かもしれないが有名税だと思って耐えてくれ、などと書かれており、明智は思わず吹き出した。

     騒がれること自体は嫌いではない。哀れな羊のように前に倣うことしかできない愚か者たちが、自分を盲目に有り難がるのは見ていて滑稽だ。

    スケジュールに問題ない旨を記し、明智は送信ボタンを押した。数秒待ってもエラー報告はない。おそらくメールは先方へ届けられた。暫くすれば返信が来るだろう。

     行く手を阻むいくつもの障害に奥歯を噛みしめたところで明智の腹の虫が鳴いた。

     冷蔵庫の中も現実と同じだった。パレスの中の食物を口にしたことはない。食べたらどうなるのか。今後の参考になるだろうと、明智は台所へ向かった。

     それから明智はこのパレスの正体を知るため、考え得る限り全ての行動を試みた。

     まずアプリに思いつく人名を全て入力した。数々の名にパレスが存在すると表示されたが、現在地を示すものは一つも無かった。

     次に銀行口座などが利用可能か確認した。自宅には明智の生活に関わる全てが存在し、当然その中には通帳も含まれている。

    万が一パレスから何日も脱出できなかった場合、認知上の通貨を利用して生きなければならない。食事が現実と同様に取れることはわかった。ならば金さえあれば生き延びられる。

     結果は『可能』だった。割増の手数料が記入された帳面を見て、明智はこの世界はほぼ現実と同じように動くと悟った。

     その日は認知上の自宅で夜を明かし、翌日は早朝から心当たりのある場所に足を向けた。

     パレスの出入り口は一つ、自分の侵入ポイントのみだ。そこに辿り着きさえすれば、入った理由が何であろうと脱出は可能だ。

     もう衣替えも始まる六月。気温は高く、明智の額から汗が滴り落ちた。愛用するマイクロバイクが無ければ、もっと苦労していただろう。

     そろそろ休憩しようと思った頃、電話の着信音が響いた。驚いて画面を見ると自分の通う高校の名前が表示されている。メールが届くならば電話も通じるのだろうか。訝しみながら通話を押す。


    「はい、明智です」

    「おはよう、明智くん」


     相手は担任の教師だった。


    「今日も仕事があるのかい? 連絡が無いからこっちからかけさせてもらったんだけど」

    「あ、ああ……申し訳ありませんでした。急遽収録の打ち合わせが入ってしまって」


     とっさに思いついた嘘を口にする。相手が現実の存在か、認知上の存在か判断できない以上下手なことは言えない。


    「それは構わないけど、連絡だけは入れてくれないか。事故とか病気とかだったら大事だから」

    「はい。ご心配をおかけして申し訳ありません。以後気を付けますので……」


     出席日数について注意を受けた後、明智は通話を切った。この電話が現実のものか否か調べるのは後にして、この世界がどこまで続くか確かめることにする。

     駅に向かい、いくつか乗り換えた後、青梅線で終点を目指す。

    これでパレスの範囲がある程度確認できるはずだ。明智すら知らない土地も存在するのであれば、パレスについての認識を改めなければならない。

     車窓を流れる景色が少しずつ変化していく。モノクロームのコンクリートジャングルから、青々と生い茂る草木が増えていく。一時間半もすると終点の奥多摩駅に到着した。明智は来たことの無い土地だ。

     東京とは思えない景色に明智は唖然とし、改札を出る。古風なデザインの駅を見上げ、辺りを見回す。

    人はまばらだが存在している。ここがパレスということを忘れるほど現実味のある光景に、何度目かの溜め息をついた。

     少なくともこのパレスに果てはないらしい。東京を虱潰しに歩き回っても侵入ポイントが見つからなかった場合、脱出は困難を極めることになる。

     そもそもここは本当にパレスなのだろうか。背筋を悪寒が襲い、ペルソナを召喚する。

     青い光と共に現れたロビンフッドの姿を目にし、明智は冷静さを取り戻す。現実でペルソナは召喚できなかった。それだけは間違いない。

     都心に引き返した明智はそのまま認知上の高校へ向かい、電話の件を確認した。

    朝のことを担任に詫びると気にするなと言われ、午前中に出された課題を渡された。どうやらこの世界からかけられたものだったらしい。

     であれば昨日のメールも認知上のテレビ局から送られたものだろう。今まで認知存在とコンタクトしたことが無いため、これがどういうことなのか判断することができない。

     ただ、確実なことが一つ。

     明智吾郎はこのパレスに閉じこめられたのだ。

     こうしている間に現実の時間も流れ続けている。明智と連絡が取れないとなれば獅童も何かあったと察するだろうが、彼はパレスに入る手段を持たない。

    故に、これが失敗や裏切りと判断されれば何もかもおしまいだ。

     それでもその日の午後を明智は高校で過ごした。脱出のために認知存在を無視することも可能だ。

    しかし不信感を抱かれた結果、シャドウだけでなく認知存在にすら命を狙われる可能性がある。さすがの明智も数万を相手に逃げ回る自信はない。

     普段通りの生活を保ちつつ、合間にパレスを探索するしかない。

    ただこの調子では認知上の獅童からも依頼が来かねない。自業自得とはいえ多忙な私生活を恨んだ。

     下校途中再びテレビ局からメールが届いた。明日の下見についての確認だ。

     そこで明智は怪盗団のことを思い出した。自分が怪盗団を調査すると考えていたが、先手を打たれたのは自分のほうではないだろうか。相手もペルソナを使える場合、その能力で記憶を操作された可能性がある。

     改心させずに閉じこめた理由はわからない。明智にパレスが無い、すなわちシャドウを叩けないから、ひとまず無力化させたかったのかもしれない。

     ここ最近で変わったことと言えば怪盗団の存在しか無い。彼らが現実で動くならば、このパレスにも情報が入ってくるだろう。脱出の鍵となるのは彼らに違いない。明智はそう確信した。

     翌日、明智は午前中は登校し、午後からテレビ局へ向かった。

     私立高校―秀尽学園の社会見学は今日明日の二日間だそうで、午後であれば入れ違いで打ち合わせが可能だろうと提案されたのである。

     テレビ局に入ると受付をするまでもなく案内された。打ち合わせは以前も使ったことのある控え室で行うと聞き、エレベーターで目的の階へ直行する。

     記憶を頼りに通路を進んでいると向かいの角から若い男女のかしましい声が聞こえてきた。


    「……ぜ、デカいパンケーキみたいな場所!」


     スタジオではない通路とはいえあまりに騒がしいのは迷惑だ。おそらく見学していた秀尽学園の生徒たちだろう。通りがかるついでに黙らせてやる。そう思い明智は足早に角を曲がった。


    「ケーキ、おいしいよね」


     突如会話に割り込んで来た明智に、声の主たちは驚きの声を上げる。半袖であるのを見る限り、秀尽学園は衣替え済みのようだ。

     男子生徒二人と女子生徒一人。男女二人が金髪という出で立ちだが、女のほうは地毛らしい。

    両サイドでくくられた髪はふんわりとして柔らかそうだ。女子にしては背丈があり、スタイルも女優顔負けである。腰の位置も高く、青い目からしてハーフか何かだろう。

     男のほうは指定のシャツをつけず、派手な赤いTシャツを着ており、前屈みの姿勢からしても不良にしか見えない。

     もう一人は跳ねた癖毛の黒髪に、黒縁のウェリントン眼鏡をかけた長身の生徒だ。教室の隅でひっそりと読書をしていそうな面持ちで、前者二人とは縁が無さそうに見える。が、一緒にいるからには仲が良いのだろう。


    「失礼。その服、秀尽の学生さん、ですよね?」


     怪訝そうに睨む三人の警戒を解くため明智は下手に出ることにした。番組中は良い顔をしているが、実際は無礼な男だったなどと噂を流されては困る。


    「たまたま近くを通ったんで、挨拶でもって。明日、一緒に出演するから」


     そう言うとさすがに彼らも驚きの表情を見せた。一泡吹かせることに成功し、明智は少しだけ胸がすいた。

     立ち去る際、眼鏡の少年と目があった。彼も前傾姿勢気味だが、金髪の少年とはニュアンスが異なるように感じる。

    後者がある種の警戒心からの防衛姿勢だとすれば、前者は反抗心からの攻撃姿勢に思えた。だらしなくも見える姿勢は、型にはまった俗世間には決して隷属しないという意思を感じる。

     度が入っていないらしい眼鏡の奥の瞳には明智に対する興味が薄く見える。それが気に入らず、気分は再び降下した。

     認知存在相手に本気になってどうする。そう、彼らは本物の人間ではない。パレスの主か、集合的無意識が作り出した想像上の人間だ。

     挨拶もそこそこに明智は打ち合わせ場所に向かうことにした。

     本番当日。明智は再びテレビ局へ赴いた。

     収録は午前から生中継で行われる。怪盗団へのコメントは既に決まっている。司会者から話を振られたら、批判的な意見を述べる予定だ。

    それから観客である秀尽学園の生徒にも怪盗団について答えてもらう。こちらは完全にその場の、生の声となる。

     明智と秀尽の生徒との答弁を狙っているそうだが、十中八九彼らは明智におもねるだろう。

    カメラを向けられないとしても、自分の意見が電波に乗って大衆に届けられるのだ。咄嗟に反対意見を出せる胆力のある生徒がいるとは思えない。

     昨日利用した控え室に入り、明智は出番を待つ。この用事が終わればフリーになる。ようやくパレスの探索に踏み出せるわけだ。


    「明智くん、そろそろスタジオに入ってもらっていいかな?」

    「はい」


     スタッフに導かれ舞台脇に待機する。


    「入られまーす」


     ADの合図で明智は入場する。万が一にも転ばぬよう気を引き締めて。

     彼の姿を目にした女生徒たちが黄色い声を上げた。先に収録を行っていたMCとアナウンサーと目配せし、ゲスト用のソファに腰を下ろす。


    「CM明けまーす! 七~六、五秒前~、四、三…」


     再びカメラが回り始める。


    「さて、続きまして、『今、会いたいヒト』のコーナーなんですが……」


     明智は臆さず観客席を見渡す。白いシャツに赤と黒のチェックの下穿きの制服がずらりと並んでいる。自分を見上げる彼らから、尊敬、憧憬、嫉妬、好奇心など様々な感情が向かってくる。

     その中に昨日出逢った三人を見つけた。金髪の二人は目を丸くしているが、眼鏡の少年は相変わらずぼんやりとしている。


    「前回の大好評を受けまして、本日も、彼に来てもらってます。現役高校生探偵、明智吾郎くんです!」

    「どうも」


     女子アナウンサーの紹介を受け、明智は笑顔で会釈する。途端に女生徒の悲鳴が上がり、期待通りの反応にMCが口角を上げる。


    「明智くん、ごめんね忙しい所。しかしすごいね、人気」

    「僕も驚いてます。ちょっと、恥ずかしいですけど……」


     心にも無い謙遜。いつものことだ。


    「なんでも、探偵として、今気になっている事件があるとか」

    「そうですね。斑目画伯のスキャンダル、でしょうか」

    「出たー、怪盗騒動ね! 明智くんも気になってたんだ!」


     台本通りの進行だ。今朝もニュースで報道されていた話題に客席もざわつき始める。


    「ズバリ聞いちゃうけどさ。正義の怪盗、どう思う?」

    「本当に正義のヒーローなら、いて欲しいですよ。夢があるし」

    「へえ、頭っから否定じゃないんだ?」

    「これでも僕、サンタクロースとか実在したらいいのにって、未だに時々考えますから」


     よくもここまで空しい台詞がすらすら出るものだ。浮かべた笑みに自嘲が滲む。


    「まあ、ホントのホントに実在したら、住居侵入で逮捕ですけど」


     言葉の裏の本心を見て見ぬふりをするためか、明智は蛇足のように付け足してしまった。

     女生徒には受けたようで、くすくすと忍び笑いが響く。

     薄暗い客席に視線を移すと、件の少年たちは不機嫌そうにこちらを睨んでいた。


    「でも、もし仮に、本当にそんな怪盗がいるんだとしたら……」


     その反抗的な視線に挑戦するように明智は光差す舞台から言い放つ。


    「僕は、法で裁かれるべきだと思います」


     一瞬の静寂。少年たちも意表を突かれたらしくはっと息を呑んでいる。明智は鼻で笑いたいのを堪え、神妙な顔つきを保つ。

     対するMCは動揺した様子もなく努めて明るく進行を続ける。明智のこの答えも既に用意してあるものだ。


    「ハッキリ言うね。彼らのやってることは犯罪? 

    ネットとかじゃ、怪盗団がいなきゃ今でも悪事が続いてたって言う人もいるけど?」


    「斑目画伯のした事は許されない罪です。でも、それを法律以外の尺度で勝手に裁くのはただの私刑……正義から一番遠い行いです」


     法治国家としてこの意見に反論できる者など存在しまい。

     知らぬ間に明智の表情は険しくなっていく。自分を棚上げしていることは百も承知だ。

    それでもこれは自分の本心であるし、殺さなかったというだけで己と同様の犯行をしながら賞賛される怪盗団が腹立たしかった。

     

    「第一、人の心を無理やりねじ曲げるなんて、人間が一番やっちゃいけない事ですよ」

    「なるほど、確かにね。自分から怪盗なんて名乗る連中だもんね」


     無自覚に込められた気迫に押されたのか、MCがたじろいだ。


    「相変わらず凄いね! カリスマっていうか。なんか話に聞き入っちゃうよね!」

    「これで怪盗が本当は実在してなかったら、お恥ずかしいですね」


     明智はしまったと思いながら笑顔を取り戻す。何か場を和ます言葉を言わなければ。少しくらい馬鹿らしいほうがいい。


    「その時は、顛末を高校生活最後の自由研究にでもまとめたいと思います」


     おどけた調子で告げると場内に笑い声が響きわたった。張りつめていた空気は瞬時に和らぎ、明智は安堵の溜め息をつく。


    「では、明智くんと同世代の高校生たちにも怪盗について訊いてみましょう」


     アナウンサーに促され観客たちは自分の席に置かれていた小型のスイッチに目を落とす。


    「まずは『怪盗は実在する』と思う方。お手元のスイッチを、どうぞ!」


     舞台上におかれたモニターが動き出す。ここからは台本通りとはいかない。

     明智も真面目に数値に目をやり、意外な結果に驚いた。


    「三割ちょっとくらいかな? 明智くん、どう?」

    「意外と多いですね」


     怪盗団が報道されてからまだ数日しか経っていない。警察の発表も無い現状では一割超えるかもわからないと明智は思っていた。

    「ちょっと驚きました。みんなは、怪盗の行いについてどう思ってるのかな」


     アナウンサーが客席に降りる。座した生徒たちは落ち着かない様子で彼女をちらちらと窺っている。選ばれたいものの、いざそうなったらはっきり答えられるのか。そんな葛藤が手に取るようにわかる。


    「それでは、こちらの学生さんに訊いてみましょうか」


     そんな彼らの中から彼女は、あろうことか例の眼鏡の少年を選んだのだった。


    「もし仮に、怪盗がいるとして……彼らのこと、どう思いますか?」


     彼は猫背の姿勢を直そうともせず、不機嫌そうに口をへの字に曲げて見上げる。


    「正義そのもの」


     はっきりと告げた彼にアナウンサーが目を見開く。ぱっと見地味な彼なら明智に同意すると睨んだのだろうが、当てが外れたようだ。

     明智は彼なら自分に対抗するような気がしていた。自分への興味の薄かった瞳が、少しずつ怒りの色を宿し始めていたからだ。


    「言い切りますね」


     彼の意識がやっと自分に向いたことに明智は微かな歓喜を感じていた。


    「怪盗は法で裁かれるべきだ、と主張した明智くんとは反対の意見だね」

    「ええ、ここまでハッキリと怪盗を肯定するのは興味深い」


     彼でなければきっとこんな展開にはならなかった。不思議とそんな確信がある。

     どこまで彼がこの場のプレッシャーに耐えられるのか試してみたくなり、明智は意地の悪い問いを投げかける。


    「じゃあ、彼にもうひとつ訊いてみたいことがあるんですが……。もし君の身近な人……例えば、君の隣に座ってる友達」


     眼鏡の少年に向けられていた視線が突然金髪の少年に集中し、彼は気まずそうに視線を逸らした。その横の少女も心配そうに眼鏡の少年を見つめている。


    「ある日突然、彼らが心を変えられたらどうする? 怪盗の仕業だとは考えない?」


     友人が豹変し、それが心を操作できる者の仕業であったらならば。まともな人間であれば「許せない」と思うだろう。それでも怪盗を肯定できるのか。

     だが少年は明智の予想外の答えを返した。


    「怪盗は悪人しか狙わないから」


     反論したくてもすぐに言葉が出ないだろうと高をくくっていた。間髪入れず返答するとは思わず明智はつかの間動揺した。

     淀みない口調はまるで怪盗の信条が何か把握しているようだ。無関係の人間がこんな言葉を紡げるものだろうか。


    「なるほどね。でも、どうして言い切れるのかな?」


     探るように見つめると彼は微かに口元を歪めた。

    が、決して視線は逸らさず沈黙した。

     これ以上の答えは期待できないと判断し、明智は MCを振り返る。収録時間には限りがある。


    「僕は、実は彼らの行いの善悪より、もっと大きな問題がある気がするんです」


     アナウンサーも席に戻り、撮影の締めに備える。


    「ん? どういうことかな?」


     台本に無い明智の言葉にMCは首を傾げる。

     これは怪盗団に向けての牽制だ。予告状など送ってくる以上彼らは己の存在を主張したいはず。ならばこの番組もチェックするに違いない。


    「人の心をどうやって変えたのかってことです。心を操作する……そんな力があるなら、自白だけに使われるとは限らないですよ」


     明智の中ではおぼろげながらも一つの計画が練られている。怪盗団が自分と同じくパレスに侵入できるのだとすれば、彼らに自分の罪をなすりつけることができるのではないか。

     自分が精神を操り暴走させてきた人間は、世間では『精神暴走事件』として取り上げられている。

    直近では四月頭の『地下鉄脱線事故』が該当する。負傷者八十人以上を出したが、同様の事故はその前から相次いでいる。

    鉄道会社の上役が責任を問われ、批判はその関係者にまで及んでいる。

     一見すると労働雇用問題のように感じられるが、これも獅童にとって邪魔な相手を排斥する手段に過ぎない。


    「もしかしたら、僕らが普通の犯罪だと思ってることも、実は既に、そうやって起きてるのかも知れない……」

    「たしかに、その通りだ」

    「いや、誤解しないでください。もしも、そんな使える輩がいれば……そういう仮定の話です。でも、決して無視はできない。僕らの暮らしに対する脅威に他なりません」


     観客のみならず、MCもアナウンサーも明智の演説に神妙な面もちで頷いてる。よもやその事件の主犯が目の前の探偵だとは夢にも思わないだろう。


    「実はもう、警察とも足並みをそろえていくつもりで動いてるんですけどね」


     素直に自分の手のひらの上で踊った褒美に最新の情報を与えてやる。この程度は口にしても問題無いであろうし、怪盗団への宣戦布告にもなる。

     その後MCによって収録は締められ、カットの合図が入る。場の緊張が弛み、集中力の切れた生徒たちは一斉に騒ぎ出す。

     明智は関係者に挨拶を済ませ、報酬の支払いについて確認すると辺りを見回した。

     生徒たちは教師に促され次々とスタジオを去っていく。その中に目当ての姿を見つけ、明智は足早に舞台を降りた。

     途中で金髪の少年とすれ違うが、彼が視界に映ったことも気付かず明智は彼に声をかける。


    「……あ、君はさっきの!」


     振り向いた反動で跳ねた黒髪が揺れる。あの眼鏡の少年は明智だと気付くと眉間に皺を寄せた。


    「会えてよかった、お礼が言いたくてね」


     少しでも警戒が解けるようにと明智は友好的な言葉を選ぶ。


    「やっぱりアンチテーゼが無きゃ、アウフヘーベンは起こらない……」


     高校生には聞き慣れないであろう単語に、少年は不思議そうに首を傾げた。目を丸くしてこちらを窺う様は小動物のようにも思える。

    刺々しい雰囲気が消えれば、彼も年相応のあどけなさを見せるのだなと思った。


    「ハハ、ごめんごめん。君との議論が、とても有意義だったってこと。あんなにハッキリと意見をぶつけてくれる人、僕の周りにはあまりいなくてね。大人たちは若者を利用するばかり。同年代は、流されるまま肯定するだけ……」


     彼はきっと怪盗団の何かを知っている。知らずとも心当たりがある。ここで繋がりを持たなければきっと後悔する。明智の勘がそう告げていた。


    「君とは、良い議論ができると思うんだ。またどこかで話せないかな?」


     懇願するように眉をハの字に曲げれば、少年は戸惑うように視線をさまよわせた。

     自分より少し背の低い彼は暫し明智を上目遣いに見つめると、やがて首を縦に振った。


    「……機会があれば」

    「ありがとう、嬉しいよ」


     確約はできなかったが、拒否されなかっただけマシだろう。彼の校長も獅童の関係者だ。ツテを使えば彼がどこに住んでいるかもすぐわかる。


    「本当に秀尽には面白い子が多いね。また会えるのを楽しみにしてるよ。それじゃ……」


     捜査に加わる際懇意にしている女のことを連想し、彼女の妹も同じ学園だったと思い出す。彼女づてに彼について調べることも視野に入れておく。

     どうにかして監視しやすい状況を作らなければ。次の作戦を練るために来た道を戻る明智は、やはり金髪の少年には気付かなかった。

     更に困ったことに、明智はここがパレスであるということを……周囲の人間は皆認知存在であるということを忘れかけているのであった。




    2.
     収録が終わった明智はこのまま昼食にしようと局の食堂へ向かった。顔が売れてきた今では外食も落ち着いてできない。

    テレビ局は気楽なものだ。ここに生きる者たちに比べれば自分は一般人と変わらない。下心でもなければ基本的に声をかけてくる者はいない。

     正午前だからか人も少ない。何を食べるか悩んでいるとポケットの中のスマートホンが震えた。この振動はただの着信とは違う。明智は舌打ちを抑えて食堂を出る。


    「はい、明智です」

    「観たぞ」


     挨拶一つない第一声に明智は顔をしかめる。名乗られずとも誰かはわかっている。この振動は彼だと即座に判断できるよう設定したものだ。


    「リアルタイムでご覧いただけたなんて光栄ですね、獅童さん」

    「……名前は口にするなと言っているだろう」


     電波の向こうで苦虫を噛み潰したような表情を浮かべているであろう彼を想像し、明智は口角を上げる。


    「申し訳ありません、つい。それでご用件は?」

    「例のネズミ共の件だ。進展は無いのか?」

    「いえ、まだ始めたばかりで……今日の収録関係で時間も取られていたもので」


     そういえば何故こんなに忙しかったのだろうと明智は口元に手をやり、ここがパレスだったことを思い出した。脱出するために方々を歩き回ったせいで忙しかったのだ。

     ならばこの電話の相手も認知存在だろう。あまりに真に迫っていたので何の違和感も持てなかった。

     パレスの主が知らぬ人間を、ここまでリアルに再現できるものなのか? そもそもこの話題を持ち出せるわけがない。自分と獅童の関係を知る者は片手で数えるほどなのだ。


    「おい! 聞いてるか?」

    「っ……申し訳ありません。少し、考え事を…」

    「俺は忙しいんだ、何度も言わせるな」

    「はい」

    「ツテから情報が入った。同席した高校だが、そこでも奴らが犯行を起こしたそうだ」


     犯行。怪盗団の行いは確かに犯罪であるが、どの口が呼ばわるか。明智は怒りを通り越して呆れてしまった。


    「ありがとうございます。合間を見て調査を……」

    「頼むぞ」


     明智が言い切らぬうちに通話は切られてしまった。およそ人にものを頼む態度ではない。無駄話が無いだけマシなのかもしれないが。

     再び食堂に戻った明智はカレー定食を頼み、壁際の席に着く。利き手で食事を口に運びながら、片手で携帯電話を操作する。

     秀尽学園、怪盗、でネット検索をするとすぐに事情が掴めた。

     五月の頭辺りに報道されていた事件だ。元金メダリストの体育教師が性的な行為を含む体罰を行っていた。長きに渡り続いた犯行であったが、被害者である女生徒の一人が自殺未遂を行ったことから良心の呵責に耐えられず自白した、と発表されている。

     だがこれはあくまで公的な発表でしかない。ネット上では当事者であった生徒たちが、『心の怪盗団』の予告状が張り出されていたことについて言及している。


    「なるほど……」


     これ以前に心の怪盗団に関する情報は出てこない。彼らの初犯は体育教師の改心に違いない。

     となれば十中八九、怪盗団は秀尽学園の生徒である。異世界の存在を知らない者であれば確信には至らないだろうが、明智は別だ。

     しかし彼らが次に狙った相手が斑目一流斎というのが解せない点である。彼にも弟子という名の奴隷がいたが、その少年は都立洸星高校の生徒だと聞いている。高校は離れているし、部活繋がりとも思えない。

     ここでは資料が足りない。明智はスマートホンから手を離す。午後は登校する予定のため、放課後から行動することにした。

     授業を終えた明智は同級生への挨拶もそこそこに校門を通り抜ける。

     向かう先は検察庁だ。近頃明智が当てにしているツテの勤務地である。

     駅に到着し、明智は歩きながら彼女に電話を入れる。数コールの後、凛とした声が鼓膜を震わせた。


    「はい、新島です」

    「こんにちは、明智です」

    「こんにちは。駅に着いたのかしら?」

    「はい。すぐそちらに向かいますので」

    「入り口で待ってるわ」


     彼女にはあらかじめメールを送っておいた。特別捜査部の一員であるため、その場に赴けば会えるというわけでもない。

    幸いにして今日は時間が取れるとのことだ。と言っても、明智が『精神暴走事件』についての見解を述べたいと申し出たからなのだが。

     日本の行政機関の庁舎が連なる霞ヶ関は本当の意味で都心と言える。いずれのビルも高い柵で囲われ、直線的に整備された地理も相まって街全体に緊張感がある。

     しかしながら警視庁を越えた先には皇居が構えており、そこからは外苑を回るランナーや観光客が溢れている奇妙な立地でもある。


    「お待たせしました」


     明智が検察庁前まで来ると、既に新島が玄関先に立っていた。


    「そんなに待ってないわ。君、まだ冬服なのね」

    「移行期間中です。テレビに出る時、こっちのほうがわかりやすいって評判なんです」

    「そう。出演は君の自由だけど、守秘義務だけは頼むわよ」

    「もちろん。これでも口は堅いほうですよ。冴さんならわかってると思いますけど」

    「最近引っ張りだこみたいだから、少し心配なの。……ここじゃ暑いでしょう。中で話を聞くわ」


     明智は彼女に案内され検察庁のドアをくぐる。

     新島冴。女性の身でありながら東京地方検察庁特別捜査部に属する実力派だ。特捜部としては若手であろうに、政治汚職や脱税などの事件を次々解決した負け知らずである。

    私生活では早くに両親を失い、まだ学生の妹との生活を一人で支えているのだから大したものだ。

     標的を確実に追いつめる頭脳と、有無を言わさぬ気迫とで勝ちを掴み取る彼女の姿勢を、明智はそれなりに気に入っていた。

     空の小会議室を借りて情報交換を行う。


    「秀尽学園と斑目の関係? 君、精神暴走事件について話しにきたのよね?」


     期待と異なる話題に新島の切れ長の眼が明智を睨めつける。


    「もちろんです。冴さんこそ、斑目の件と精神暴走事件が全くの無関係だと思っ

    てるんですか?」

    「それは、そう、君も…そう考えているのね……」

    「よかった。僕一人が妄想膨らましすぎなのかって不安だったんです」


     おどけたように明智が肩をすくめると新島は溜め息をついた。


    「それは私の台詞だわ。こんな突飛もない考え、君でもなきゃ耳も貸さないだろうし」

    「……その様子だと、怪盗団の件はまだ冴さんが担当ってわけでもないんですね」

    「片手間に情報は集めてるけどね」


     やはり新島は優秀だ。明智は笑顔の裏で毒づく。

    しかし異世界のことなど彼女には知る由もない。アドバンテージは明智にある。


    「でも斑目はともかく、どうして秀尽学園が出てくるの?」


     明智はネットで得た体罰事件について簡潔に説明する。新島もまた報道そのままに受け取っていたようで、細めていた目を見開いた。


    「あそこでも怪盗騒ぎだなんて……」

    「ご存じなかったんですね。冴さんの妹さんも通ってるのに」

    「あの子、そんな胡散臭い話は信じないから……。体罰については聞いていたけど」

    「斑目の事件と発生が逆なら、学生の悪ふざけの模倣犯、とも考えられましたけど、こちらが先ですから」

    「そうね……。でも、どうして怪盗が体罰教師を狙うのかしら。正直、こんな事件他の学校でも起きてるでしょう」

    「……僕もまだ確実なことは言えませんが」


     学園の生徒に怪盗がいる、とはまだ言えない。怪盗が心を変えられる、というのは世間的には確定事項ではない。斑目の件ですら捜査関係者は皆半信半疑だ。

     いかに新島が優秀であろうと、いや優秀であるからこそ、そんな非現実な犯行を認められるわけがない。


    「体罰教師……鴨志田卓の被害者が怪盗団の関係者だったとは考えられませんか? 親とか、兄弟とか」

    「報復ってこと? あり得ない話ではないけど……でもそれなら……いや、新入生がそうだとでも?」

    「あくまで推測ですよ」

    「でも斑目と関係があるとは思えない。彼も昔は囲っていた子が多かったみたいだけど、今は一人しかいないでしょう」

    「喜多川祐介くん、でしたっけ。二年生ですけど、高校生という点では繋がらないこともないと思いますが」

    「学校が違うじゃない。彼、基本的に自宅に籠もっていたみたいだし」

    「そうですか……」


     新島視点で入手できる情報から考えても、やはり怪しいのは秀尽学園だ。彼女の知り得る『常識的な人間関係』上に怪盗団は存在しない。常人では想像もつかない発想こそが鍵となる。


    「……ごめんなさい、時間だわ」


     腕時計を見た新島が舌打ちする。


    「いえ、忙しいのにすみませんでした。大してお役にも立てなかったみたいですし」

    「そんなことないわ。君ほどの子が同じことを考えてるって知れてよかった。秀尽学園のほうも資料を見てみるから」

    「はい。僕も自分の足で調べてみます」

    「……しつこいようだけど、守秘義務は忘れないでね」

    「わかってますって。信用無いなあ」


     余程時間が無いのか新島は明智を見送ることもせず、エレベーター前で別れた。

     せわしなく去っていく背中を眺め、下りのエレベーターが開いたところで明智は彼女もまた認知存在であることを思い出した。

     無意識にこの世界を現実として受け入れつつある自分に恐怖し、明智はエレベーターの中で足踏みする。微かに生まれる赤い波紋。何度目の確認になるのか。

    ここはパレスだ。現実ではない。自分の目的はここから脱出することであり、怪盗を追うのはそちらの世界ですべきことだ。

     それでも怪盗団を追わないわけにはいかない。なぜか。認知上とはいえ獅童に命じられたからだ。彼に警戒されパレスを敵に回したらー。

     回したら。そう、警戒度が上がって。それから?
    「……シャドウに殺される」


     そうだ。だから警戒されるわけにはいかない。このパレスの住人のように振る舞わなければならない。


    「そういえば認知存在ばっかりでシャドウがいないんだな」


     主のイメージする現実の人物、認知存在は幻に近い。心を守る兵士は別にいて、衛兵をイメージする存在が仮面をつけて徘徊している。異物を見つければ即座に排除しようと襲ってくるのだ。

     しかしそれもパレスのエリア外では関係のない話だ。明智はこの空間の本丸すら見つけられていないことになる。

     山積みの課題に頭痛を覚え、他に忘れていることはないかと手帳を開く。見開きのカレンダーの十二日に記された『全国統一模試』の文字を見て、明智は今度こそうなだれた。

     それからの明智は多忙を極めた。パレスの探索をかねた聞き込み調査。認知獅童からの依頼。それに伴う下準備と、やはり調査。

     日曜日の模試には複雑な気持ちで参加した。ここで受けたところで現実には一切関係がない。

     このパレスで認知教師が明智に連絡したならば、現実でも同じようになっているだろう。そして明智はその連絡に応えることができていない。今頃行方不明扱いで捜索願が出されているかもしれない。

     それでも無策に脱出を目指すわけにはいかない。これだけ都内を動き回っても主のテリトリーは見つからないのだ。

     会場では新島の妹―真と出くわしたが、特に情報を持っているようにも見えなかった。姉とは違い従順な優等生然とした少女であるため、当てにできないかもしれない。

     日中は外回り、夕方からは自宅でデスクワーク。休みなど無いに等しい。

     今回の依頼は食品会社関係だ。チェーン店を全国展開するオクムラフーズの要望で、敵対する会社に不祥事を起こさなければならない。

     秀尽学園の情報収集はあっさり片付き、怪盗団の目星もついた。道行く女生徒に声をかけたら二年生であったため、一緒に出演した縁だと叫び、聞いてもいないことまでぺらぺらしゃべり出したのである。

     彼女の話では怪盗団が予告状を掲示板に貼ったのは四月末頃。赤い葉書サイズの紙に、新聞の切り抜きを貼って作った予告文。


    「何て書いてあったかなあ……。何とかのクソ野郎って書いてあったのは覚えてるんだけど」

    「……語彙力に乏しそうな文なのはわかったよ」


     また、鴨志田と問題児が揉めているような様子も見受けられたらしい。


    「内緒だけど、明智くんには教えてあげるね!」


     秀尽学園には四月半ばから編入した生徒がいるそうだ。なんでも傷害罪で訴えられ元の高校を退学し、親にも見捨てられ、保護観察処分のため東京にやってきたという。

     噂では昔から札付きの悪党で、暴力沙汰は今回が初めてではなく、ナイフなどを持ち歩く危険極まりない不良だと言われているそうだ。


    「怖いから近付かないようにしてるけど、私も坂本と一緒にいるの見た!」


     坂本もまた校内では有名な問題児であり、彼らが鴨志田と揉めているという噂も流れていた。


    「あ、そうだよ! 明智くん、テレビ局で話したでしょ? あの子、黒い髪の!」

    「え、あの子……が、坂本くん?」

    「違う違う。坂本は隣にいたほう。あれは森栖くんだよ」

    「ええ……?」


     話をまとめると有名な問題児が金髪の坂本であり、新参の問題児が黒髪の森栖であるようだが……。


    「森栖くん……? が、問題児なんて意外だね」

    「見た目は眼鏡で地味っぽいもんね。でもほら、保護観察だから良い子っぽくしてるんだよ。皆言ってるから間違いないって!」

    「……参考までに覚えておくよ」


     森栖に関して間違いないのは『保護観察』のみであろう。根拠のない噂で具体的な単語が出てくるとは思えない。

     札付きの悪党、については疑問が残る。退屈そうではあったが、喧嘩慣れしているようには見えない。

     その後も聞き込みを行ったところ、鴨志田と揉めた理由は体罰の有無について直接問いただしたせいらしい。彼の機嫌を損ねた結果、退学の危機にあったという噂だという。

     現在の情報から考えれば、森栖は保護観察中にありながら退学の恐れがあった。そうなれば今後の人生は絶望的だ。

    故に障害である鴨志田を改心させた、と考えるのが自然だ。新島も言及していたが、四月以前に力を持つものがいれば、さっさと彼を改心させていただろう。

     やはり自分の勘は正しかった。怪盗団、と名乗るからには二人とも力を持っていると見たほうがいい。

     獅童には即座に報告し、二人についての情報を提供するよう頼んだ。仕事を任せている明智自身が高校生であるため、荒唐無稽にも思える推理でも受け入れられた。

     次は彼らと斑目の繋がりや、近付く方法を考えなければならない。そう思いながら迎えた翌日、明智は偶然にもその姿を渋谷駅で捉えた。


    「君も同じ駅だったんだね」

    「…………あ」


     夏服に変えたせいか一目で明智だと認識できなかったらしい。森栖はじろじろと明智を上から下まで眺め、やっと気が付いたようだった。


    「凄いイケメンが話しかけてきたから、人違いかと思った」

    「アハハ、褒められてるのかな?」

    「別に。本当に関係ない人だと思っただけだから」


     森栖はそう言って視線を前に戻す。これ以上明智と話すことはないとでも言うように。

     何か話しかけて印象づけておかなければ。一目で明智と判断してもらえる程度には。


    「あの時もそうだったけど、君ってある意味素直だよね。周りのことって気にならない?」


     保護観察中にしては少々横柄な態度だろう。鴨志田と揉めた件いい、自分の身が可愛いのであればもう少し慎重に行動すべきだ。


    「もっとへこへこしてほしいって? 明智吾郎さん」


     視線だけを向ける森栖の口角が微かに上がっている。小馬鹿にするような態度に明智は笑顔を崩さないよう苦心した。


    「そういうところ、羨ましいって話だよ。テレビでもそうだけど、言いたいことがあっても諦めなくちゃいけないことが多いから」


     半ば本当だ。周りからすれば、明智は言いたいことを言って自由に生きているように見えるのであろう。

    しかしどれだけ背伸びをしようと明智の生きる世界で彼は子供にすぎない。生意気だという理由一つで意見を切り捨てられてしまう。

    そうならないためには、へりくだって気に入られるように振る舞わなければならない。自分で決めた道とはいえ非論理的な障害にはストレスを感じる。


    「でも思ったことを自然体で話すのが一番なのかな。君と話すと、色々と気付かされるね」


     森栖は返事をしない。横目で明智を見つめ続ける。

     そこへ電車が到着した。待ちわびた人々は空いた席に座れることを望んで列を詰めていく。


    「言ってたじゃん」

    「え?」

    「アウフヘーベンにはアンチテーゼが必要なんだろ」


     皮肉ではない笑みの口元に乗せ、彼は民衆と共に車内に呑み込まれていった。

     慌てて明智も乗り込むが、ドア際に無理矢理体を押し込むことになってしまった。高身長のおかげで息苦しいことはないが、明智吾郎として周囲に負担をかけるわけにはいかない。

     できる範囲で首を回してみたが、森栖の姿は見えない。有象無象の大衆に紛れ込んでしまった。

     テレビ局で言った言葉を、彼は覚えていた。明智に興味が無いわけではなかった。その事実が何故か鼓動を速める。

     最後に見せた笑顔が忘れられず、明智は駅に着くまでの間、他に何も考えられなかった。

     宵の口。街灯に彩られた銀坐駅の大通りを明智は往く。獅童に依頼されたオクムラフーズの件について方針が固まったので、プレゼンテーションを行うのだ。

     指定された出口に向かい、路肩に停められた車の中から特定のナンバーを探す。

     スモーク加工された助手席の窓を小さく叩く。数秒置いて鍵の開く音がした。明智は後部席に乗り込む。

     運転士と互いに頷きあうと車は静かに走り出した。向かう先は獅童の愛人宅である。

    運転士は無個性な顔だが見知った人間だ。獅童の側近の一人で、こういった場で明智を送迎する役を任されている。

     明智も目立たぬよう、学生服ではなくシンプルなサマースーツを身につけている。愛用しているアタッシュケースも使わず、地味な黒のビジネスバッグを提げた。

     獅童との関係を世間に知られるわけにはいかないため、こうして顔を見られずに済む方法をとることになっている。愛人宅と言っても別荘であり、家主も用事がなければ訪れない。


    「まず一、二ヶ月かけて各地の従業員にミス…火災や異物混入を起こさせます。クレームが増加したところで上層部を操作。候補は資料に上げた通りですが」


     まるで新築のように磨き上げられた一室。家具のみならず調度品の一つ一つが高級品だが、それらを眺めることもなく明智は事務的に説明する。

     客間には獅童と二人きりだ。ここまで明智を案内した男はリビングでつかの間の休憩を取っている。密談の内容はあくまで自分たちだけが知っていればいい。


    「特にこちらに影響は無いな。どいつを操作しても構わん」

    「わかりました。その時の状況に適した候補を処理します」

    「ああ。それと……お前に頼まれていた生徒情報のコピーだ」


     獅童もまた一冊のファイルを取り出し机に置いた。


    「ありがとうございます。早いですね」

    「学生は元々情報がまとまってるからな」


     表紙を開きざっと目を通す。全生徒の個人情報が顔写真付きで記されている。提供者は秀尽学園の校長だろうが、仮にも愛すべき生徒をこうもあっさり売り渡すとは。とんだ小悪党だ。


    「これはまだ対策案の一つでしかないのですが……。今後も怪盗団が動き続けるようであれば、それを逆手にとって自滅させようと考えています」

    「ふむ。お前の犯行を奴らに擦り付けるわけだな」


     お前の犯行。まるで明智が好きでやっているとでも言いたげだ。未成年に手を汚させながら一片の罪悪感も見受けられない。さすがこの国全てを手中に収めんとする男は心の持ちようが違う。

     全て意のままに事が進んでいるのも自分のおかげだというのに。明智はファイルを握る手に力を込める。


    「現時点では世論に大した影響も与えられないと思います。次に狙う相手次第、でしょうか。再び犯罪者を狙うのであれば怪盗団の評判は多少上がると思います。調べたところ……このようなウェブサイトがありまして」


     明智は自分のスマートホンを操作し、ページトップに『怪盗お願いチャンネル』と大きく表示された画面を呼び出した。


    「何だこれは」

    「怪盗団のファンと思しき個人が作ったものです。怪盗に改心して欲しい相手を書き込む掲示板と、支持率調査用の投票欄もあります」

     『怪盗団に正義はありますか?』という質問に対し是非を答えることができる。現在は支持率は二割にも満たない状態だ。

    「怪盗の実在が世間一般に信じられるようになったら、ここを利用して徐々に支持率を上げていきます。相手は学生ですから、増長して更なる手柄を求めるでしょう。獅童さんの政敵をターゲットに誘導することも可能ですし、廃人化の原因を怪盗にすることで彼らは国を脅かすテロリストだと国民に思いこませることができます」

    「相変わらず考えることが容赦無いな」

    「誰でも考えられることですよ。重要なのはここからです。獅童さんは時期を見て怪盗団について批判しておいてください。国民の安全を脅かすテロリストを現政府は取り締まることができない。事が大きくなる前から意見を述べていた貴方に都民は流れていきます」

    「なるほど。俺は不信任決議案に持っていく必要があるわけだな」

    「ええ。巧く事が進めば、長年の悲願が達成されることでしょう。ただ、進行の上で多少の不利益には目を瞑っていただければと思います」

    「ああ。最近は金城が手広くやっているようだから、あいつを狙われると少し手痛いな」


     金城潤矢。渋谷を縄張りにしている犯罪組織のボスだ。獅童は、明智を使うまでもない障害を処分するために彼を利用している。

     ここ数ヶ月ドラッグの運び屋として学生を利用しており、警察からも目をつけられている。

     直接会ったことはないが、明智も彼にパレスが存在していることは知っているし、何度か潜入したこともある。学生の被害が大きくなれば、怪盗団が次のターゲットとして狙う可能性も高くなるだろう。

     そこで明智は一つの疑問に行き当たった。そもそもここがパレスだ。異空間の認知上の怪盗団は如何様にして認知存在の改心を行うのだろうか?
    「……僕からは以上です。オクムラの件が進めば僕も警察と行動する機会が増えますし、今後は呼び出しに応えられない日も増えると思いますが、どうかご理解ください」

    「わかっている。ただし怪盗団についてわかったことがあれば逐一連絡を入れろ」

    「はい。では僕はこれで失礼します」


     一礼して明智は席を立つ。


    「出前くらい取ってやってもいいぞ」

    「お言葉に甘えたいのはやまやまなんですが……日曜も模試があったものですから。さすがに僕も疲れてるんですよ」

    「そうか。まあ無理にとは言わん」


     特に気にした様子もなく獅童は資料に目を落とす。

     明智はもう一度頭を下げ出口に向かう。腹は減っているが、できれば獅童の前で食事はしたくなかった。

    衝動に負けてナイフでその首を切りつけかねないからだ。

     廊下に出ると側近が待ち受けていた。行きと同じように彼に伴われ別荘を出る。

     彼と別れ、銀坐から渋谷へ向かう。

    改札を抜け、人通りの少ない路地裏に入ってから異世界用アプリを起動した。


    「金城潤矢。渋谷。銀行」

    「目的地がヒットしました。ナビゲーションを開始します」


     動いた。そう思った瞬間明智の周囲が変化する。

     景色が赤と黒の波紋に覆われたかと思うと瞬く間に様変わりした。空には暗雲が立ちこめ、街灯は青黒い光を放つ。辺りを闊歩するのはATMに手足がついた奇妙な認知存在だ。

     これが金城のパレス。宙を舞う紙幣は上昇気流に乗って空に浮く『金城銀行』へ吸い込まれていく。

     見ればスマートホンを持つ明智の手が白い布に覆われていた。


    「服が変わってる……」


     白を基調とした礼服を紅の袖とマントが彩る。細部を豪奢な金糸で飾りたてられた明智の姿はまるで西洋貴族のようだ。不気味で陰鬱な渋谷の景色に全くそぐわないが、パレスではこうなるのが常である。


    「これが認知上の金城のパレスなのか、現実のものなのか……。くそ、さすがに頭が混乱してきた」


     パレスからパレスへ移動できるか試したことはないため、ここが現実に対するパレスなのか、認知上のパレスなのか判別できない。

     そもそも認知存在が欲望を抱くことなどあるのだろうか。しかし明智が現在囚われているパレスの存在は皆、あまりにも現実的すぎる。


    「……このパレスから現実へは」


     来た道を戻りカネシロパレスから渋谷へ帰還する。

    景観は喧噪と熱風が入り乱れる渋谷そのものであるが―、


    「ロビンフッド」


     ガラスの割れるような音と共にペルソナが現れた。

    やはり現実に戻ったわけではないらしい。アプリはあくまで侵入地点へ戻す機能しかないようだ。


    「くそ!」


     明智の衝動に反応し、ロビンフッドが壁を殴りつける。巨人の一撃を受け同心円状にひびが入り、数ミリほど壁が沈んだ。

     そのまま何度か怒りに任せ殴りつける。認知上の壁だ。どうせ数分後には元に戻っている。


    「この様子じゃメメントスも普通に入れそうだな」


     再びアプリを立ち上げると予想通りだった。次に現れた渋谷の空は赤く染まり、壁や地面には血管のような不気味な触手が絡みついている。


    「ここが認知上のメメントスでなければ……」


     明智はネット検索で『怪盗お願いチャンネル』を開く。掲示板には既に怪盗団に依頼を受けてもらった人間のコメントもついていた。パレスの無い一般人の心を変えるなら、メメントスを使うしかない。

     予告は掲示板上で行われるようで、ある程度怪盗団の侵入を予測することは可能だ。

     ここに来た怪盗団が現実のものであれば、一緒に帰ることができるかもしれない。

    異世界において怪盗団と接触することは明智の本意ではないが、なりふり構っている場合ではない。同じ能力を持つと相手に知られてでも明智は現実に帰還したかった。

     パレスに囚われてからもう一週間が経ってしまう。行方不明と判断されるには充分すぎる。この間に獅童から連絡が入っていたとしたら。テレビ局から出演以来が来ていたら。いや、現にパレス内で呼ばれているのだ。嫌な予感ばかりが募っていく。

     打ちひしがれながら明智はメメントスからパレスへ戻った。頭痛が酷い。早く自宅へ戻らなければ。


    「いてっ……!」


     何かにぶつかり彼はふらついた。倒れる、そう思った瞬間力強い何かに支えられたのを感じつつ、咄嗟に謝罪した。


    「すみません……前、見えてなくて……」


     これで面倒な相手だったらどうしようか。明智を生意気な子供だと思う大人は多いはずだ。謝っても許されずにくどくど説教される可能性は高い。


    「……明智さん?」

    「え?」


     聞き覚えのある声に明智は顔を上げた。

     ボリュームのある跳ねた黒髪に黒縁のウェリントン眼鏡の少年。凡庸な特徴であるが、眼前の容姿は明智の脳に強く焼き付いている。


    「あ……君は…」


     その名を呼ぼうとし、彼から直接聞いたわけではないことに気付く。


    「びっくりした。凄い偶然」

    「そうだね……ごめん、全然見えてなくて」

    「もしかして調子悪い? そこ座れば?」


     彼は道ばたにある車止めを指す。明智は素直にその言葉に従った。

     額の奥に感じる鈍痛に顔をしかめていると目の前にペットボトルを差し出された。オーソドックスなスポーツ飲料だ。


    「ありがとう」


     受け取るとひんやりとした温度が掌に広がった。買いたてのようだ。振り返ると背後に自動販売機が立っていた。行動が早い。


    「お金は払うよ」

    「いいよ、別に」

    「君には安くないだろ。僕に貸しでも作っておきたいわけ?」


     言って後悔した。取り繕う余裕もなく刺々しくしてしまった。

     対する少年は意表を突かれたように目を丸くした後、くすくすと笑い出した。明智は意味がわからず口をへの字に曲げる。


    「ふふふ、ごめんごめん。大した自信だなと思って」

    「え?」

    「俺にまで好かれてると思ってる」

    「っ……そういうわけじゃ」


     己の態度があまりに尊大だったことに気付かされ、頬が熱を持つのを感じた。別に彼に好かれているとは思っていない。明智はただ、些細なことでも弱みを握られたくないだけだった。


    「結構…いるんだ。物をあげたからとか言ってしつこい人……」

    「あー、やっぱりゲーノージンってそういうの面倒臭いんだ」

    「僕は別に芸能人じゃないよ……。事務所に所属してるわけでもないし」

    「まあとにかく、俺は明智さんのストーカーにはならないから。それ飲んで。水分不足じゃない?」

    「……そうかもね」


     考えてみれば獅童と会った時も何も出なかった。夜とはいえ気温は高いままだ。この頭痛も疲れのせいだけではないのかもしれない。

     蓋を開けて口を付ける。舌の上に甘味が広がる。身体は水分を欲していたようで、明智は中身を一気に飲み干してしまった。


    「はぁ……。ぶつかったのが君で良かったよ。よく僕だってわかったね」


     今朝は学生服でも気付いてもらえなかったのに。


    「さすがに朝会ったから顔は覚えてたよ。声も」


     よく見ると少年も黒のインナーに白の半袖ジャケットという私服姿だった。


    「そういう明智さんは俺を見つけるのが巧いね」

    「仕事柄、人の顔を覚えるのは得意だからね」

    「ふーん。本当に探偵なんだ。今日も仕事か?」

    「まあね」


     じろじろと無遠慮に明智を眺める彼の視線に後ろめたさを感じ、明智は次の話題を探す。


    「そういえば君の名前をまだ聞いてなかったんだ」

    「えー? 俺の名前なんてどうでもよくない?」

    「そんなことないよ。こうして助けてもらったわけだし……」

    「借りは作らないんじゃないの?」

    「……僕だけ名前を知られてるのも落ち着かないし」

    「それは名前を売ってる明智さんの自業自得じゃない?」


     ああ言えばこう言う。名前などとうに知っているが、だからこそ本人から聞き出さなければならない。

    うっかり呼んでしまった場合、なぜ知っているのかと揉めることになる。彼に警戒心を抱かれるわけにはいかないのだ。


    「こうやって損得無く親切にしてもらったのは久々なんだ。だから僕も君が困っているときはお礼をしたいって思った。それじゃあダメかい?」

    「ん~~」


     まさに好青年といった真摯な表情にも彼は頷かない。女であればそうさせる自信があったが、同年代の男では巧くいかないようだ。


    「俺が変な人に絡まれたりしたら助けてくれる?」

    「もちろん。君の言い分を信じるよ」

    「……森栖富良乃、です」

    「森栖くん。改めて、よろしくね」


     やっと聞き出せた。粗野なようで意外とガードが堅い。大抵の学生は明智に尋ねられればすぐに教えるというのに。


    「よろしく」


     言って森栖は手を差し出してきた。細く長い指にはところどころ小さな傷がついている。手作業で何かしているのだろうか。

     明智は戸惑いながらも手を伸ばす。社交的な場以外での握手は何年ぶりだろうか。高校でも同級生とはあまり交流していないので調子が狂う。

     握った彼の手は、明智を支えた時と同じく力強かった。

     森栖富良乃。春先に傷害罪で訴えられ、元の高校を退学となる。裁判では保護観察処分を下される。

    編入は本人の希望で、学力に問題はなく、無事更正すれば評判も上がると考え秀尽学園が受け入れた。

     明智は獅童から渡されたファイルを一通り確認し、すっかり冷めてしまったコーヒーを口にした。

     学園の評判のために前歴持ちの生徒を受け入れる。あの校長の考えそうなことだ。備考欄には保護観察処分については伏せると書いてあるが、あっさり校内に広まっている辺り教師陣の統率もできていないのだろう。

     明智の記憶が正しければ保護観察処分は自宅でも可能だが、森栖の緊急連絡先と現住所が一致していない。前者の住所は北関東、後者は東京都内。ここから察するに彼は実家から追い出されたのだろう。

     通うのに時間がかかるという理由で彼だけこちらに来た、と考えることもできる。

    だが仮にも傷害罪を起こし退学処分まで受けた少年だ。大なり小なり将来への不安を抱いている息子を一人きりにするだろうか?
    善良な親であれば息子を見捨てず、片親だけでもついてくるだろう。それが安定した更正へ繋がるというものだ。

     そうでない以上彼は両親の信頼も失ったと考えるほうが自然だろう。お灸を据えるという意味もあるかもしれないが、親として支える気が無いのは確かだ。


    「それにしては大して……いや、ああだからか」


     渋谷での邂逅を思い出す。森栖の横柄な態度はとても保護観察中とは思えない。反省していないとは言い切れないが、裁判で訴えられてなおあの様子だ。親の前でもそうだったのだろう。


    「どちらかと言えば坂本のほうがまともだな」


     坂本竜司。母子家庭。陸上部のエースとして評価されていたが、練習中に膝を痛めてから素行が悪くなったとある。

    最終的に暴力事件を起こし退部。以後は髪を染めるなどの校則無視が目立つようになったそうだ。ケースとしてはこちらのほうが珍しくないだろう。

     明智は再び森栖のページを開く。現住所に違和感があったからだ。


    「純喫茶ルブラン……って、店だよな」


     住居一体型の店舗かもしれないが、前歴持ちの少年を居候させるとは酔狂な者もいたものだ。親戚か何かかもしれない。

     しかし居候先が喫茶店というのは好都合だ。偶然を装って森栖に近付くことができる。

     明智はルブランの住所を手帳にメモした。明日行くことも可能だが、獅童の依頼をこなすほうが先だ。森栖とは会ったばかりであるし、数日置いたほうが怪しまれないだろう。

     放課後、田園都市線へ乗り換えるため渋谷駅で下車する。

     街の賑わいは平常通りだが警官の数が増えている。違法薬物取引の捜査が本格的に始まったのだ。金城は用心深い男だというが、引き際を弁えなければいずれ尻尾を掴まれるだろう。

     明智は基本的に精神暴走事件に関して警察に協力することになっているため、マフィア捜査は関与していない。警察側も何から何まで素人の高校生に頼るわけにはいくまい。

     改札を通らず少し足を伸ばしてその先の連絡通路を覗き見た。

    そこには三人の少年少女がたむろしている。一人はテレビ局で出くわした金髪の少年、坂本竜司。同じくテレビ局にいたクォーターの少女、高巻杏。

    そしてもう一人の黒髪の少年は―喜多川祐介。

    斑目一流斎の養子であり、被害者だ。

     彼らに注目してからその姿をよく渋谷で見かけるようになった。あまり近付くわけにはいかないので会話の内容は不明だが、坂本のみならず高巻と喜多川も怪盗の一員だと予測できる。

    そうでなければならず者の坂本とああも親密そうに話はしないだろう。

     その輪の中に森栖の姿が無いことが気になる。ここ数日何度か彼らの様子を確認したが、森栖がいたためしがない。彼は怪盗団ではないのだろうか。それを確認するため明智は踵を返して改札を通った。

     純喫茶ルブランへの道はネットで確認してある。駅を出て、住宅地へ繋がる路地の間に建っているそうだ。写真では看板も出ているようだし、迷うことはないだろう。レビューでは隠れた名店と言われていたので味も期待できそうだ。

     年代物のリサイクルショップを目印に横道に入る。

    数メートル先にルブランの看板を見つけ、明智は満足そうに頷いた。

     木造モルタルと思しき二階建ての家屋だ。壁は長年風雨に晒されたのか汚れが目立つ。大きな窓ガラスがはめられており、中の様子がよく見える。が、客の姿は見られない。

    店先に置かれたボードにはコーヒー以外のメニューも書かれている。自家製カレーが売りのようだ。

     格子ガラスのドアを引くとドアベルが軽快な音を慣らした。


    「いらっしゃい」


     低くぶっきらぼうな声が明智を迎えた。カウンターの奥に壮年の男が座している。男にしては長めの黒髪を撫でつけオールバックにし、手入れの行き届いた顎髭をたくわえている。

     気むずかしそうな垂れ目がじろりと明智を睨んだ。強面ではあるが、丸眼鏡とピンクのシャツがその印象をほどほどに抑えている。

     接客業を営む人間の態度とは思えず明智は苦笑する。これでは客など来るはずもない。

     ドア近くのカウンター席に腰を下ろし、向かいの棚を眺める。様々な銘柄のコーヒー豆が保存用の瓶に詰められ陳列している。


    「ご注文は?」

    「あ、えっと……ブレンドで」

    「はいよ」


     名前を知ってはいても豆の違いが明智にはわからない。不味くなければいい。


    「あとカレーもお願いします」


     壁にかかった時計を見てここで夕食を済ませてしまおうと思った。帰ってから炊事をするのは面倒だ。


    「カレーね。おーい、ちょっと手伝え」


     店主―資料によれば佐倉惣治郎というらしい―は奥から続く階段に向かって叫んだ。

     森栖が降りてくるかもしれない。明智は頭上のランプシェードを眺めるふりをして階段のほうを窺った。


    「……明智さん?」


     現れたのは予想通り森栖だった。


    「あれ、森栖くん?」


     怪しまれぬよう目を見開き、予想外の遭遇という体を取る。


    「何だお前ら、友達か?」


     コーヒーを淹れながら佐倉も口をはさむ。面倒を見ている以上交友関係は気になるのだろう。


    「友達っていうか……」


     森栖は目元にかかる前髪を弄りながら言いよどむ。


    「先日の社会見学の時に話をする機会がありまして。通学の電車が同じだったのもあって、たまに話すんです。ね?」

    「ん」


     口をへの字に曲げながら森栖は小さく頷く。自分の前とは態度が大違いだ。さすがの彼も保護者の前ではしおらしくなるらしい。

    明智は笑い出しそうになるのを必死に抑えた。


    「へぇ……」


     抽出を終えた佐倉は顔を上げ、意外そうに森栖を見た。彼はというと気まずそうに目を逸らしている。


    「な、何で家知ってんの。調べたわけ?」


     佐倉の気を逸らしたかったのか森栖は明智に食ってかかってきた。咄嗟の台詞だったのだろうが、図星を指され明智は心臓がドキリとした。


    「君がいるなんて知るわけないだろ。っていうか家って……バイトじゃないのかい?」

    「それは……っ」


     森栖はしまったと顔を歪める。これでおあいこだ。


    「はいよ、ブレンド。お前はカレーの用意しろ」


     ふしくれだった手が明智にコーヒーを差し出した。


    「こいつの両親が出張だってんで、俺が預かってるんだよ」


     彼のことを考え佐倉は助け船を出すことにしたようだ。本人は口を引き結びカウンター奥の調理場へ姿を消した。


    「ご親戚なんですか?」

    「あ~……親戚じゃねぇんだが」


     できるだけ嘘はつかないつもりらしい。

    そのほうが後々信用問題にならないからだろう。用心深く賢い男だ。


    「随分と信頼されてるんですね」

    「どうなんだかね」


     佐倉は曖昧な返事をすると再び調理場前のスツールに腰を下ろし、新聞を読み始めた。隣の棚の上には小型のテレビが置かれ、夕方のニュースを流している。

     コーヒーに口付けると酸味の少ないクリアな味が広がった。明智でもインスタントとは違うとわかる。

     暫くすると店内にカレーの芳香が漂いだした。熱が通り始めたのだろう。奥からはかちゃかちゃと食器を用意する音が聞こえる。

     通りから外れているせいか喧噪も届かず、店内は穏やかだ。顔を売り始めたせいで最近は店に入るだけで人に群がられていた。食事が来るまで時間を持て余すのは久しぶりである。

     冷房は控えめで何時間でも過ごせそうだ。窓からは夕日が差し込み、内装をノスタルジックな橙色に染めている。そのせいか初めて訪れたというのに懐かしい感じがした。


    「……お待たせしました」


     不服そうな声とともに目の前にフォークとスプーン、それからカレーライスとサラダが出された。

     お盆を持った森栖は先ほどまではなかった濃緑のエプロンを身に着けていた。伊達眼鏡の奥の瞳はそっぽを向いている。


    「ありがとう。このカレーは君が作ったのかな?」

    「そんなわけないだろ……。サラダは作ったけど」

    「そっか。でもまさか君にご飯を出してもらうことになるなんて思わなかったなあ」

    「……お礼どころか仇返しだよこれじゃ」

    「ごめんね。いただきます」


     口だけで謝罪した明智はスプーンを手に取る。具材は人参、じゃがいも、豚肉。玉ねぎも入っているのかもしれないが、完全に液状化しているらしく見当たらない。

    見た目は何の変哲もないカレーライスだが……。


    「んんっ」


     凝縮された旨味と他では味わったことのないスパイスの加減に明智も呻き声を漏らした。


    「このカレーおいしいね」


     明智が顔を上げると森栖は調理場から頭を覗かせ、すぐに引っ込めてしまった。佐倉も黙っている。明智の声だけが虚しく霧散した。

     暫くするとエプロンを外した森栖がいそいそと二階へ向かおうとした。が、「お前が相手しろ」と佐倉に引き留められてしまった。


    「何でですか……」

    「やることねーんだろ」

    「宿題が……」

    「そんなのこいつが帰ってからでも間に合うだろ」


     逆らっても無意味と諦めたのか、森栖は明智から少し離れた位置にスツールを置いて座った。


    「ごめん。なんだか迷惑かけちゃってるね」

    「別に」

    「静かなところだし、ご飯もおいしいからまた来ようかと思ってたんだけど。君が嫌ならやめておくよ」

    「そういうこと店長の前で言うか? 俺にもう来るなって言えると?」


     森栖はちらりと背後の佐倉を見やる。当の本人は気にしたふうもなく新聞を眺め続けている。

     明智としては他意は無く本心からの言葉であったため、あまりに刺々しい態度に目を瞬かせてしまう。


    「そんなつもりは無かったんだけど……。何だかいつもの君らしくないね」

    「いつもの俺って何だよ」

    「僕みたいに周りに気を遣ってるからさ」


     皮肉を交えると森栖は眉間に皺を寄せた。それから溜め息をつくと小さく頭を振った。


    「明智さんが来たいなら来ればいいんじゃないの。俺みたいに遠慮しないでさ」


     カウンターに頬杖をつきじろりと明智を睨む。少し頬が赤らんでいるように見える。

     ああ言えばこう言うだ。明智は思わず笑みをこぼした。彼は必ず自分の言葉に対してやり返してくる。決しておもねない。

     保護観察中なのだから点数稼ぎで佐倉の前では愛想を良くするのも賢い方法だ。嫌なら嫌だと明智を追い出すのも正直だろう。

    だが森栖はそのどちらも選ばない。明智に負けるのは不愉快だから。そうならないためだけの道を探す。

     そんな彼の真っ直ぐな反抗心が、不思議と明智には心地良かった。


    「うん。なら、お言葉に甘えてそうさせてもらうよ。ついでにおかわりもらっていいかい?」

    「は?」

    「僕も育ち盛りだからさ。一皿じゃ足りないんだよね」

    「~~~っデスソース仕込んでやる」


     森栖は空になった明智の皿を引ったくると、エプロンも着けずに調理場へ入っていった。

     それを佐倉が目で追うが、その口元には小さく笑みが浮かんでいた。

     すぐさま戻ってきた森栖の手には、雑に盛りつけられたカレーライスが載っている。

    不穏なことを口走っていたが、意を決して食べたそれは一皿目と同じように美味だった。

     意図せずとも森栖がルブランへ知人を招いたのは初めてなのかもしれない。佐倉が接客態度を諌めないのは、明智のことを一応彼の友人と認めたからだろう。

     であれば森栖と坂本はそこまで親しくないのだろうか。だがテレビ局では行動をともにしていた。仲の良いクラスメート程度ということなのか。

     それから明智は怪盗団と思しき坂本らと森栖の様子を調べることにした。

     新たなターゲットが決まったのか怪盗団はほぼ毎日渋谷に集まっている。周囲から人気が減ったタイミングで姿を消すため、まさかと思い明智もパレスのキーワードを入力したところ嫌な予感は的中した。

     彼らの次の狙いは金城潤矢だ。しかも、いつの間にかその面子には新島冴の妹、真まで加わっていた。

     すぐさま獅童に報告したところ、彼は金城を切り捨てることにした。警察と怪盗に狙われては長く保たないと判断したのだろう。

     怪盗を押さえる必要は無いが、代わりに自分と金城の関係を知る者の始末を任された。金城が自白した場合、他の証人を立てられたら獅童もただでは済まない。

     オクムラの件は立て込んでいるわけではないため、時間はあるが……。


    「はぁ……」


     連日人の心を破壊していればさすがの明智も疲労が溜まる。胸の奥にわだかまる疲れを吐き出すように彼は嘆息した。


    「明智さん、疲れてる?」


     洗い物を終えた森栖はカウンターをはさんで明智の前に座る。

     ここ数日で彼は白だと結論が出た。ただの一度も坂本たちとパレスへ向かわなかったのだ。


    「ちょっと仕事が忙しくてね」

    「そうなんだ。もしかして噂のマフィアの捜査?」

    「あれに僕は協力してないよ。さすがの警察だって高校生に犯罪組織の捜査はさせないさ」

    「ふーん。じゃあ何やってんの?」

    「詳しいことは言えないけどもっとシンプルなことだよ。捜し物とか」


     捜し物。メメントスでターゲットのシャドウを捜すことだ。嘘ではない。

     怪盗団はパレスの攻略に集中しているようで、例の掲示板の依頼を受けてはいない。その隙に障害を何人か始末した。


    「そういう普通の探偵っぽいこともしてるんだな」

    「こっちのほうが本業なんだ。僕はあくまで素人だから、警察に協力するのは呼ばれた時だけだよ」


     森栖が怪盗一味ではないと判明した以上もうルブランに通う必要は無い。そのはずなのだが明智は気が付くと四軒茶屋を訪れていた。

     いや、森栖が坂本の友人であることは間違いない。もしかしたら彼を通じて怪盗団の様子を多少なりとも探れるかもしれない。だからまだ関係を切る時ではない。これはそういう戦略なのだ。

     明智は半ば言い訳するように己に語りかけた。


    「でもマフィアのことは聞いてるよ。秀尽にも被害者が出たって。君の周りは大丈夫?」

    「あー、先生から注意された。あんまり遅くまで出歩くなとか」

    「奴らは昼間学生に声をかけてるって話だから、夜注意すればいいってわけじゃないんだよ」

    「そうなんだ。気にしてるからなのかわかんないけど、皆も最近すぐ帰っちゃうんだよな……」

    「皆って友達?」

    「うん。仕方ないから一人でぶらぶらしてる」


     怪盗団は森栖には何も話していないようだ。パレスの存在を知らない者は巻き込まないつもりなのだろうか。

     そうなると坂本と高巻の二人がどうやって異世界を知ったのかが気になる。


    「それが危険なんだ。一人じゃすぐ目を付けられちゃうよ」

    「だから他に人がいないんだって。そんなに言うなら明智さんがついてきてよ」

    「え、僕?」


     意外な申し出に明智は目を丸くする。


    「できないなら俺がどこ行こうと口出すな。お前は俺のお母さんか」

    「まかり間違ってもそんなことはないけど。僕とどこに行くっていうの」


     適当にそれらしい言葉を述べていたせいで話がおかしな方に向かっている。


    「うーん、浅草とか」

    「漠然としてるね」

    「せっかく東京に来たから色んなとこ行きたいんだ。明智さんって色んな店知ってるから教えてもらえると助かる」

    「え、何で」


     森栖の言う通り明智は都内の飲食店などには詳しい。テレビ局の関係者と食事をすることもあるし、話題になりそうな商品はすぐ試す。近頃は店側から宣伝してほしいと頼まれることも多い。

    だがそんな話を彼にした覚えはない。

     森栖は一瞬押し黙ると少し俯いて前髪をいじった。考え事をする時の癖だ。


    「……よくレビューとかしてるじゃん」

    「まさか君、僕のブログとか見てる?」

    「いや、その……本当に有名なのかと思って調べたら出てきたから」


     もごもごと珍しく歯切れの悪い返事だ。

     明智も想定外の展開にあんぐりと口を開いた。

     名を売るために明智は複数のSNSを利用している。特に書きたいこともないので、もっぱら食事や話題の商品のことを書いている。

    ほとんどは連携機能を利用しているので見た目より手間はかかっていない。

     まさかと思い明智はスマートホンを取り出す。


    「あ、待て待て! そうはさせん!」


     明智の意図を察したのか森栖も慌てて自分の物を操作し始めた。

     よくレビューをしている。森栖はそう言った。一度きりではなく、それなりの頻度で明智の更新を確認しているということだ。

     であればおそらく明智のアカウントをフォローしている。森栖も明智が自分を特定しようとしたのを察したのだろう。


    「これだね」


     最新のフォロワーの中から明智はコーヒー豆の瓶の写真がアイコンにされたアカウントを選んだ。ラベルにはコピ・ルアクと記されている。

     明智がコーヒーを頼もうとするたびに森栖が飲ませようとするものだ。


    「クソッ……後でアカ消しする」


     一歩及ばなかった森栖は悔しそうにカウンターへ突っ伏した。


    「別にその必要はないだろ。君、鍵アカウントじゃないか」


     自己紹介欄には「あまりつぶやかない」と書いてある。内容は非公開なので、名前と自己紹介以外はわからない。フォロー、フォロワーともに数人しかいない。その一部は坂本や高巻なのであろう。


    「全く油断ならないね、君は」

    「ちぇ、こっそり監視しようと思ったのに」


     森栖が怪盗であれば空恐ろしいセリフだ。SNSにやましいことは何一つ無いが、いい気はしない。


    「明智さんは本当に俺を見つけるのが巧いなあ」

    「僕は知らない人だって探せるんだよ」


     探偵だからね、と片目を閉じてみせると森栖は肩をすくめた。


    「おい、俺は帰るから戸締まりだけは忘れるなよ」


     これまで石のように黙り込んでいた佐倉が口を開いた。見れば既に帰り支度を整えている。


    「あ、すみません。長居しちゃって」

    「あー、いたけりゃいていいよ。こいつも会計くらいはできるからな」


     立ち上がろうとした明智を制し、彼はさっさと店を出ていってしまった。


    「いいの?」

    「マスターが言うんだからいいんじゃない? それより俺と浅草行くの?」

    「え、まあ……暇な日ならいいけど」


     森栖がいれば店に並ぶ間も気が楽だろう。友人と一緒だからと言えばつきまとう者も減るだろうし、彼も手助けしてくれるはずだ。多分。

     そうして二人は七月三日、日曜日に約束を取り付けた。

     珍しく駅前まで森栖に見送られた明智は、電車に揺られながら仕事以外で誰かと出かけるのは久しぶりだな、とぼんやり考えていた。


     約束の日が来るまでの間も明智は何度かルブランへ赴いた。人の心を壊すたび、獅童へ報告するたび、休息を求めるように夕暮れの路地裏へ向かった。

     いかなルブランといえど客は明智のみではない。評論家を自称する青年や、いつも連れだって訪れる老夫婦、定時帰りのサラリーマンなどの常連もいる。彼らとて明智の知名度は心得ているため、声をかけられないわけではない。

     それでも通うことをやめられない。他の店に比べれば被害が少ないからか。

     森栖はよく笑うようになった。その上、明智に自分の予定をよく話す。明日は出かけるから開店時間中は帰らないだとか、それまでには帰るだとか。

     明智はコーヒーを見つめながら思う。別に彼に会いたいわけではない、と。それでも森栖が戻るまで店内に居座ってしまうし、不在の日は大人しく自宅に帰ってしまう。

     そうして日々を過ごすうちに約束の前日になってしまった。


    「ねぇ、怪盗団だって!」

    「え、何なにどこ!?」


     渋谷を訪れていた明智はすれ違った女性たちを振り向いた。彼女らは明智にも気付かぬようでセントラル街へ向かって走っていく。

     見れば他にも「怪盗団」「予告状」と口にして盛り上がっている者たちがいる。

     どこかしらに予告状が貼られているのだろうか。明智は踵を返して女性たちを追った。


    「金を貪る暴食の大罪人、カネシロジュンヤ殿……」


     詐欺に明け暮れ、未成年だけを狙う愚劣な手口。我々は全ての罪を、お前の口から告白させることにした。その歪んだ欲望を、頂戴する。心の怪盗団ロスト・イン・クオリアー。

     斑目に送りつけられたものと同じ赤い予告状が、セントラル街のいたるところに貼り付けられている。野次馬の中にはそれを手に取って眺めているものもいた。

     彼らに倣い明智も一枚を手に取る。裏面にはガムテープが輪状に貼られている。ざっと観察してみたが指紋らしきものは見当たらない。白い繊維状の物が付着しているため手袋を使用したのだろう。

     怪盗団もそこまで馬鹿ではないらしい。まして、今は新島真がいる。秀尽学園の生徒会長を務める彼女は、文武両道の才女だ。

    経緯は窺い知れぬが、彼女が怪盗となった以上、今後の彼らはそう簡単にボロは出さないだろう。


    「警察には……届けるまでもないか」


     通りの向こうからバタバタと二人の警官が駆け込んできた。誰かが通報したのだろう。

     明智は道の隅に向かうとアタッシュケースを開き、証拠保存用のビニールパックに予告状をしまった。

    あまり役に立つとは思えないが。

     予告を出したということは近日中……。金城に確実に伝わることを考えれば一日待つだろう。であれば彼らの決行日は明日だと思われる。

     鴨志田、斑目の時も彼らはご丁寧に予告状を直接本人に伝わるように用意した。今回も同様の手口を使っている以上、これは改心において必要な手順なのだ。

     歪んだ欲望を頂戴するとはそのままの意味なのかもしれない。こうして相手に何かを奪われる、という心理的圧力加えることで、パレス内の何かを実体化させる。そういう方法が考えられる。


    「明日か……」


     明日は森栖との約束がある。

    断ることも可能だが……。

     いや、どのみち自分は金城の本拠地には入れない。

    獅童にも阻止しろとは言われていない。

     それよりもこのことを獅童に報告し、怪盗団の印象操作を始めたほうがいい。

     そう結論づけ、明智はセントラル街を去った。


    「明智くん、今日はお仕事じゃないの?」

    「うん。でも、知り合いの頼まれごとなんだ」


     翌日の午前十時。浅草駅前に立った明智は、さっそく見知らぬ女性に声をかけられていた。年は同じくらいに見えるが、それ故に遠慮が無い。


    「えー、それってもう仕事じゃない? 休みの日なのに超優しいー!」

    「アハハ、お給料は出ないから。頼まれごとって言っても大した用じゃないし」


     遠回しに立ち去って欲しいと言ってもまるで伝わらない。四軒茶屋から森栖と一緒に来ればよかったかもしれない。

    私服であれば一目で自分だとはわからないと考えたのだが、読みが外れてしまった。


    「明智!」


     ふいに名前を呼ばれそちらを見やる。


    「ごめん、待たせた」

    「森栖くん」


     走ってきたのか森栖の息は少し上がっている。約束の時間を過ぎているわけではないのだが。


    「知り合いが来たから、じゃあ……」


     そう告げると女は苦笑いを浮かべてそそくさと人混みに紛れていった。


    「……いつもこんな感じ?」


     森栖は彼女の消えた方を見ながらシャツの襟刳りをぱたぱたさせる。


    「まあね。今日は制服じゃないから平気かと思ったんだけど」

    「ふーん」


     肩をすくめる明智を森栖は睨む。不満の原因がわからず明智は首を傾げた。


    「別に。それより早く行こう」

    「うん。雷門見たいって言ってたよね。こっちだよ」


     事前に森栖からリクエストを受けていた施設を見て回る。

     浅草は日々観光客で溢れかえっているが、日曜の今日は輪をかけて酷い。

     日光を受けて通りの温度も上昇する一方だ。

     それでも森栖は楽しそうにあちこちを猫のように観察している。


    「凄い。刀型の傘だって、浅草っぽい!」

    「そんなの東京ならどこでも売ってるよ」

    「え、そうなのか。なんだ……」


     仲見世通りの雑多な土産物を手に取ってははしゃいでいる。明智からすれば珍しくも何ともないのだが、彼からすれば真新しいらしい。


    「そろそろお昼にするかい? 正午ぴったりだと一時間以上待つかもしれないよ」


     腕時計を見ると十一時前だ。この時間でも飲食店は待たされることが多い。


    「んー、じゃあそうする。オススメは?」

    「ふぐかな」

    「ふぐ? 高いんじゃないの?」

    「うん。ちゃんと食べると五千円以上すると思うよ」

    「は? 明智さんが奢ってくれんの?」

    「自分の分は自分で払ってほしいかな」


     さすがに明智とてふぐのフルコースを奢る気にはならない。


    「俺に合ったチョイスをしてほしい」

    「残念だなあ、美味しいお店を知ってたんだけど」

    「俺に払えないってわかって言っただろ」

    「いいや。君なら受けて立つかなって思ってたよ」

    「本当に?」


     森栖は怪訝そうに眉をひそめる。


    「もちろん。この僕にわざわざ案内を頼むんだから、何が出ても驚かないかと」


     期待としては半々だった。常識的に考えれば断るし、森栖であれば忌憚せず了承するかとも思った。

     彼は家賃や光熱費などのライフライン以外の生活費は全て自分で賄っているそうだし、断るのも無理はない。嫌なら嫌で別の候補はある。

     そう思ったのだが―、


    「じゃあ行く」

    「えっ、本気かい?」

    「なに驚いてんの。明智さんから誘ったんだろ。早く案内しろ」

    「まったく、君は本当に負けず嫌いだね」


     口を尖らせる彼を見て明智は小さく笑った。森栖は見ていて飽きない。平坦で凡庸な行動はしない。必ず明智の予想を超えてくる。


    「こっちだよ、どこ行くつもり?」


     当てずっぽうな方角へ歩きだそうとする彼の腕を掴み、明智は国際通りのほうへ向かう。

     赤と黒を基調とした和風の店内は間接照明でぼんやりと照らされている。こんな高級店に昼から入る者はいないようで、明智としては気が楽だ。


    「うぇ~、本当に高い……」


     メニューを開いた森栖は口元を戦慄かせている。明智が覗き込むと彼は机の上に広げてみせた。

     一つの品物が最低でも二千円を超えている。ファミレスならばそれだけ払えば充分腹が満たされるだろう。


    「この一番安いふぐ刺しと……」


     紙面と睨めっこする森栖を横目に明智も自分の財布を確認する。もしもの時のために忍ばせておいた三万円を目にし、安堵の息をつく。


    「他は何が美味しい?」

    「美味しいかは人次第だけど…」


     ふぐちり、ふぐ皮を薦め、その他白米や飲み物を選んで、女将に注文する。


    「明智さん、いつもこんな高い物食べてるのか?」

    「そんなわけないだろ。君、僕を何だと思ってるんだい?」

    「学校の女子はどっかの御曹司だとか言ってたけど」

    「そう思う?」

    「うーん……御曹司だったらうちには来ないと思う」


     それはそれでルブランに失礼ではないだろうか。


    「僕は早くに親を亡くしてね、親戚の家も居づらいから一人暮らししてるんだ」

    「一人暮らし? 凄いな、家賃も?」

    「うん。大家さんの好意で少し安くしてもらってるけどね」


     答えながらも明智は少し驚いていた。大抵の人間は明智の事情を知ると可哀想だとか苦労しているとか、月並みなことを言うものだ。


    「それならテレビ出たりしなきゃいけないよな」

    「テレビはたまたま注目してもらえただけで、偶然だけどね」


     嘘だ。だが森栖に真実を話すわけにはいかない。


    「なんか、ごめんな。そんななのにいつもルブランに来てもらって……」

    「僕が好きで行ってるんだ。そんなこと言わないで。ルブランに通えるくらいのお金は稼いでるよ」

    「うん……。でも、ありがとう。俺、いつも明智さんが来てくれるから……最近ちょっと、楽しいんだ」


     そこへ女将が料理を運んできた。鍋や刺身の載った皿が机に並べられていく。


    「何これ?」

    「浅葱(あさつき)ですよ。お刺身で巻いて一緒に食べてくださいね」

    「はーい」


     森栖は言われた通り皿に載った浅葱をふぐで巻く。

     女将は一礼すると下がっていった。


    「ふぐはポン酢が良いよ。はい」

    「ん」


     勧められた通りの食べ方をする森栖だが、咀嚼の間も真顔で目を瞬かせている。


    「どう?」

    「……しゃきしゃきしてる」

    「うん。それは浅葱だね」

    「ふぐだけにしてみよう」


     明智は彼の様子を眺めるが、やはり最初と様子は同じだった。


    「こりこりしてて普通の刺身とは違うけど、味がよくわからない……」

    「そうだね。まあ、ふぐなんて嗜好品だからね」

    「明智さん、こんなの好きなの?」

    「特別好きじゃないよ。付き合いでもなきゃ食べないもの」

    「え~、そんなの勧めたわけ!?」

    「アハハ、でも良い経験じゃない? それに高い物食べるとそれなりに気分はいいでしょ」

    「まあそうだけど。うーん、二度食べたいとは思わないな」

    「刺身より鍋のほうが美味しいかもね」


     その後も森栖は無を体現した表情をしていたが、ふぐ皮は少し気に入ったのかよく食べた。


    「俺ね、佐倉さんはああ言ってたけど親が出張してるわけじゃないんだ」


     食後に出された茶を飲みながら森栖は言った。


    「本当は地元で退学になって……。信じてもらえないかもしれないけど、酔っぱらいに絡まれてる女の人を助けたんだ。でも、そしたらそのおっさんが勝手に転んで……」


     相手は転倒したのは森栖のせいだと言い張り、警察も社会的地位の高かった相手の言い分を信じた。更には助けた女も彼の証言に頷いたと言う。


    「あの女の人、きっとあのおっさんの部下だったんだ。それで逆らえなくて、俺を……」


     見捨てた。救おうとした相手に裏切られるのはどんな気分だろうか。彼は悔しそうに口元を歪めている。

     明智は何か引っかかる気がしたが、よく思い出せない。


    「親にも凄い怒られて、俺の言うこと信じてもらえなかった。信じるとかいう問題じゃないって。裁判まで起こされて最悪だった」


     両親としては自分たちですら解決できない問題を持ち込んだ森栖が許せなかったのだろう。親とて人間だ。子の不祥事の責任は親に求められる。

     彼らの迷惑も考えず、厄介事に首を突っ込んだ森栖も確かに悪いのだろう。


    「で、今の学校に入れたけど…初日から保護観察なのバレてて……」

    「噂の体育教師とも揉めたらしいね」

    「っ何で知ってるんだ……!?」


     彼は珍しく狼狽した。


    「ごめん、怪盗団のことを調べてて……君の学校でも聞き込みをしたんだ」

    「怪盗団を……」


     彼の表情が曇る。明智は胸の隅が痛むような感覚に襲われたが、そのまま言葉を続けた。


    「でも君の噂は信じてなかったよ。保護観察は、そうかもしれないって思ったけど」

    「……もしかして俺が怪盗だって疑ってるのか?  それでルブランに……」

    「違う!」


     思いの外大きくなった声に、明智は自分の口を手で覆った。

     森栖も驚いて目を丸くしている。


    「違うよ。初めは、そうかもって思ったよ……だけど、君は……多分、怪盗じゃない。だって君、いつもルブランにいるだろ。最近は一人だって言うし」


     彼は沈痛な面持ちで黙している。


    「僕は、ルブランを気に入ったから通ってるんだ。君と、話すのも……楽しいと思ってる。信じてもらえないかもしれないけど……」

     いつの間にか俯いていたようで、視界には冷めて色が暗くなった茶が映っていた。

    「……明智さんは俺の話、どう思う?」

    「冤罪で訴えられたこと?」

    「うん」


     わざわざここで話を持ち出したのは、明智が自分の事情を打ち明けたからだろう。森栖の性格からして己だけが秘しているのは耐えられないはずだ。

    悪評が立っている以上、本人の証言では信用されないかもしれない。それをわかって彼は打ち明けた。


    「信じるよ。そんなこと、黙ってればいいじゃないか。それなのに君はわざわざ僕に打ち明けた。それって、多少なりとも僕を信じてくれてるからだろう?」

    「……うん」


     顔を上げると彼の口元が少し戦慄いていた。泣きそうになっているのだろうか。何となく、彼の涙は見たくないと思った。


    「君は君の正義を貫いたんだ。何も恥じることなんて無いよ。君は……後悔してるのかい?」

    「してない」


     告げた声ははっきりしていた。


    「後悔してない。あそこであの人を助けなかったら、そのほうが後悔してた。だから、俺は……」


     誰に何を言われようと過去の選択を間違っているとは思わない。


    「明智さんにずっと嘘ついてたくなかったんだ。言おうか、ずっと迷ってたんだけど……」

    「ありがとう。君から本当のことが聞けて嬉しいよ」


     自分は森栖に信頼されている。彼の安らいだ笑顔を見ると、胸の痛みは消えていった。

     店を出ると一時を過ぎていた。思ったよりも長居してしまったようだ。

     森栖は財布の中身を見て無言になっている。

     他に行きたいところはあるかと尋ねるとスカイタワーと答えた。


    「スカイタワーって有名だけど何があるわけ? 東京タワーとどう違うの?」

    「電波塔って意味じゃどっちも変わらないけど、スカイタワーのほうがより観光向けって感じかな。上に行く料金もこっちのほうが高いよ」

    「えっ……」


     値段を教えると森栖は「今日は諦める…」とうなだれた。


    「今日は土曜日だし、この時間じゃ並んでも無理かもね。人数制限あるし」

    「それならまた今度にする。明智さんも人が並んでるところだと気を遣うだろ?」

    「僕に遠慮することはないけど……。君の財布の中身は切実だよね」

    「でもそれじゃあ行っても意味ないかな」

    「展望デッキより下ならお金はかからないよ。グッズだけなら一階でも買えるし、五階までなら無料だよ。商業施設ともくっついてるからお土産だけじゃなくて、プラネタリウムとか水族館もあるし」


     やろうと思えばスカイタワー周辺で一日過ごすことも可能だろう。

     明智がそう考えていると森栖は顔をきょとんとさせていた。


    「どうかした?」

    「明智さんと一緒ならどこ行っても困らなそうだなって」

    「ふふ、そうだね。大抵の場所なら案内できる自信があるよ」


     外に居続けるのもつらいため、ひとまず施設内に入ることにした。

     自動ドアをくぐると冷えた空気が肌を撫でていく。反射的にぶるりと身体が震えた。

     適当に店舗を覗いてみたが、森栖は手持ちが少ないため特に土産を買う気にもならないようで大して時間は潰せなかった。

     用が済んだのならばお開きにしても良いはずだが、明智は何となく別れがたく辺りを見回した。


    「あ、見て。水族館で金魚の特集やってるって」


     つい先日リニューアルされた金魚ゾーンにて、二十三品種もの金魚が展示されているそうだ。某ホテルとのコラボレーションでコーナーは提灯で彩られているらしい。

     料金を調べると森栖も出せると言うので二人は水族館で過ごすことにした。


    「わぁ、見て見て。この提灯、金魚型してる」


     チケットを買う際も大分待ったが、中も同様に混雑していて、とてもゆっくりはできそうにない。

     それでも江戸風と謡う内装は和柄でまとめられ、水槽も木をイメージした色合いで落ち着いた雰囲気を醸し出している。

     そして森栖が指さす天井には紙製の提灯がところ狭しとぶら下がっている。デフォルメされた紅白の金魚は柔らかい飴色の光を放っている。


    「綺麗だね」


     色とりどりの金魚を見つめて笑う彼を見ていると、明智は胸が締め付けられるような思いがした。じんと目頭が熱くなる。悲しいわけでもないのに。


    「そうだね……。凄く、綺麗だ」


     入場時間が遅かったことと、観覧に時間がかかったせいで、水族館を出た頃には日が暮れかけていた。

     見下ろす街にも街灯が点き始めている。道行く人にも青い陰が落ち、黄昏時と呼ぶにふさわしい。

     そろそろ別れの時間だ。明日は明智も森栖も高校に行かなければならない。

     ふいに左手を握られる感触がし、驚いて手元を見る。

     自分の手を握るのは他でもない森栖であった。無意識なのか、彼はじっと隅田川の方角を眺めている。


    「森栖くん……」

    「え?」

    「その…手……」

    「えっ、あっ!」


     やはり自覚してなかったのか、彼は慌てて手をふりほどいた。


    「ご、ごめん! 他意は無いんだ……!」


     顔が真っ赤になっている。薄暗くなってもこの距離ならよくわかる。

     視線をあちこちに動かして動揺する彼を見るのは初めてだ。テレビ局のプレッシャーの中ですら決して視線を逸らすことは無かったというのに。

     そんな森栖を、明智は素直に愛らしいと思った。


    「……君って他意も無く人の手を握るわけ?」


     ただでさえ近い距離を明智は更に詰める。手すりの側とはいえ、広場であることも忘れて。


    「いや、その……」

    「ねぇ」


     肩を掴み無理矢理こちらを向かせる。自分を見上げる彼の瞳は少し涙に濡れているように思える。


    「明智さん……」


     頬にかかる息を熱く感じたのは、夏のせいか。


    「もう一回触ってもいい?」

    「いいよ」


     再び左手を温もりが包み込む。汗のせいか少しじっとりしている。


    「俺ね…。俺……結構明智さんのこと、好き―」


     森栖が言い終える前に明智はその唇を塞いだ。

     怪盗団が金城を改心させた夜。明智吾郎はスカイタワーを背に森栖富良乃を抱きしめた。

     ここがパレスであることも。

     目の前の森栖が認知存在であることも。

     怪盗団のことも。

     全てを忘れ、生まれて初めて愛を囁いた。
    戸田野 Link Message Mute
    Jun 14, 2018 11:16:00 AM

    アナコン新刊2冊目

    6月から見知らぬパレスに閉じ込められた明智が、怪盗ではない認知上の主人公と出逢う話です。サンプルには含めていませんが、本自体はR-18です。ご了承ください。一冊目[※R-18G]と話が繋がっていますが、単体でも読めるようになっています。A5/本文152p/88,272文字/\1,300の予定です。一冊目とセットで買っていただいた方にはポスカをお付けする予定です。スペースは西2ホール チ75bです。よろしくお願いします。

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