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    新一と影のゼロ(ねぇ、やっぱり目暮警部に送ってもらった方がよかったんじゃない?)
    「るっせーな。もう中学生じゃねーんだからひとりで――」

    帰れるってーの、と続けようとしてその言葉はしすぼみに小さくなっていった。
    新一はゆっくりと口元を押さえて視線だけであたりを見渡す。随分と大きな独り言を言った割には、注目を浴びているような気配はなかった。
    場所は駅前。夕方の帰宅時間は人通りが多い。
    そんな中でうっかりと上げてしまった声だったけれども、気にされていないならこれ幸い、新一は先ほど挙げた声をなかったことにして急いで改札を越えた。

    (ひと気のあるところで喋りかけてくんなよ)
    (今ここで話さなくていつ話すんだ)

    俺は心配してるんだよ、と呆れた声が耳元に響く。
    いつものことながら心配性なこの声を聞き流し、新一はホームに駆け上がり到着したばかりの電車に乗り込む。
    二十分もすれば最寄りの駅だ。

    (駅に着けばもう日は落ちてる。あそこらへん夜物騒だってずっと言ってるだろ。少しは自分の事件体質を自覚してほしいね)
    (だからいつまでもガキ扱いすんなって!)

    声に出さず頭の中で言い返せば、むこうにはちゃんと声は届いていて、さらに耳元でくどくどと説教をしてくる。
    さっきの事件はもっと早く被疑者を特定するべきだったとか、警察が来る前に先走りしすぎただとか。
    警察は皆、工藤君ありがとうよくわかったね!と褒めてくれるけれど、この声だけは新一を甘やかしたりはしない。
    その一方で、両親が居なくなった家に帰る道すがらは、まるで自分が親になったかのように危ないだのと口うるさくしてくるのだ。

    (おい、ちょっと聞いてるのか!?)
    (へいへい聞いてますよー)

    どうせ耳を塞いだところでこの声は聞こえてくる。今更ながらなんとも奇妙なものだなぁと思いながらたいして言葉の意味は追わずに新一は車窓から夕暮れの街を見る。
    もうすぐ宵闇に包まれる街並みは、夕日によって長い影を落としている。
    電車の中でなければ、新一の後ろにも長い影が落ちているはずだ。
    その影は、陽が沈むのを見届けて、時が来たとばかりに動き出すのだろう。新一の影の癖に、形はまるで違う真っ黒なで随分と大人びた造形をして。
    日中この影はただ耳元で喋るばかりだ。

    (あー、もうすぐ満月なんだね)

    ひとしきり喋り倒した影は、まるで新一に気が付いてほしいとばかりに耳元をくすぐって今までと違った柔らかい口調でささやく。
    それにつられて反対の窓を見れば、夕日で少しばかり浮かび上がった白い月がビルの隙間からちらほらと顔をのぞかせている。

    「あんたの大好きな日だな」
    (うれしいよ)

    月の明るい夜は影が動き出す。
    この影が、それをとても喜んでいるのを新一はよく知っていた。










    新一の耳元でささやく声。
    正確には、陽の光に照らされたり、照明の光でできる新一の影。
    それが、こうやって新一に喋りかけて来るようになったのは三年前のことだった。

    中学一年生の秋、その日はあと3日で満月になるという綺麗な月夜の晩だった。
    日の入りが早くなることに合わせて下校時刻が繰り上げられてたのを忘れて部活に勤しんでいた新一は、早く帰れと教師に急かされ真っ暗になった帰り路を歩いていた。
    帰りが遅くなることを咎めるような両親ではない。
    放任主義ではあるけれどもそれは確たる信頼を寄せられているからだ。無駄に愛されていることはよくわかっていた。
    だから、いつもと違う暗い帰り道でも、新一は家に連絡を入れることもなかった。
    街灯のちらほらとつく道の先には、夕日と入れ違いに出てきた月がいつもより明るく昇り始めていた。
    それを綺麗だなぁと思いながら眺めていると、ふと耳元で声がしたのだ。

    (こんな夜道で、君は無防備だね)

    と。
    ぞわりとした感覚に新一は慌てて耳を覆って背後を振り返った。
    けれどそこには何もいない。至近距離で聞こえた声に絶対背後に居るはずだと確信していたから、呆気にとられた。

    「なっ」
    (残念、違うよ)

    また耳元で声がして振り返るけれどやはりないもない。
    何かに化かされているのか、そういう非科学的なことまで考え辺りをぐるりと見渡すけれど、やはり人の姿は見えない。
    両親が有名人だからこそ、誘拐事件まがいなことに巻き込まれたことは結構あった。
    それも成長と同時に少なくなってきていたものだから、最近はとんとそんなことに警戒をしていなかった。
    何かの前触れだろうかと警戒を強める。家まで走ればあと1分もかからない。
    走り出した方が早いだろうか、家までの道のり、そして来た道の安全を確認しているところで、新一はあることに気が付いた。

    (今更そんなきょろきょろしても遅いよ。暴漢だったらもう君の意識はないだろうからね)

    月が煌々と照っている晩、街灯もあるから夜といっても辺りは暗いながらも陰影を浮かべている。
    けれど、新一の足元にはそれがなかった。

    「は?」
    (あれー、気がついちゃった?)

    周りの電柱や家の影は確かにあるはずなのに、新一の影だけは忽然と姿を消していた。

    (やあ)

    唖然としていると、にゅっと目の前に黒い何かが現れる。
    ゆらゆらと少し揺れて頼りなく人の形をしているけれど、輪郭だけでのっぺらぼうだ。
    それはまさに文字のごとく真っ黒な、人の形をした影だった。

    「う」
    (う?)
    「うわあああああああああああああああああああああ!!!」

    その影を認めた瞬間、新一は全速力で走りだしていた。
    当たり前だ、目の前に突然理解不明なのっぺらぼうの黒い何かがあれば誰だって驚く。
    新一は幽霊なんて信じたことはなかったし、もしいるとしても興味を抱いただろうけれど、この時ばかりは純粋に驚きと恐怖が勝ったのだ。
    乱雑に家の玄関に飛び込み後ろ手で鍵を閉め扉に張り付いた。ぜぇぜぇと肩で息をして理解の及ばなかった先ほどのことを思い出す。
    いや、思い出したところで理解はできない。
    どーしたのー新ちゃーん!と大きな物音にリビングから有希子の声が聞こえてくる。

    「かあさ」
    (そうそう、ちゃんと話しておいた方がいいよ。帰り道に変なものに襲われそうになりましたってね)

    ひゅっ、と喉がなって言葉が止まった。
    聞こえてきた方に視線を動かせば、先ほど見たあの真っ暗な影がピースサインをしてお邪魔しましてるよと暢気にのたまった。
    あまりの恐怖だったのか、それとも理解できないことが許容量を超えたのか、ここで新一の記憶はプツリと切れている。
    のちに有希子はこの日のことを「反抗期に差し掛かってつっけんどんだった新ちゃんが涙目で怖いって言ってくるからかわいかったわ」と話す。
    新一にとっては人生で最も消し去ってしまいたい日となったのだった。

    真っ黒な影が喋るかけてきたなんて説明することはできず、──父親ならばもしかしたら小説のネタにしただろうけれど──よくわからない人に帰り道に追いかけられたということで両親には話が付いた。
    おかげで次の日には防犯用のスマートフォンを持たされるようになったのは怪我の功名だ。
    この間影は動く様子を見せず、あの妙な声も聞こえてくることはなかった。
    暇があれば自分の影を見て、また動き出すかもしれないなんて警戒すること数日。
    今度こそは取り乱したりはしないと心に誓った満月の晩にようやくその影は動いた。

    (そんなに見つめられると照れるんだけどなー)

    新一の自室、窓から差し込む月明かりに浮かび上がった影は、もぞもぞと動き出すと先日玄関で見た時のように新一に手を振った。
    正直なところ、新一としては動いてほしくなかった。出来ればあの時の自分は疲れていたのだ、ということで納めておきたかったのだが、現実は厳しいようだった。
    いやこの現実自体が受け入れがたい。
    ひらりと新一の影が床から離れて、まるで実体を持っているかのように動き出す。
    動きは心もとないので、人間というよりかは幽霊という方が近いかもしれない。
    幽霊、あー幽霊なのかこれは。ふとそんな答えが頭に浮かび上がった。

    「──もしかして俺、憑りつかれてるのか…?」
    (当たらずも遠からずってところかな。俺が悪霊なら憑りついてるって答えはあってるかも入れないけれど、残念ながら悪霊とか幽霊の類ではなさそうなんだよねぇ)
    「げっ!?」

    ひとりごとのつもりだったのだが、まさか会話が成立するとは思わずに新一は一歩後退る。
    幽霊、というには随分と理路整然としたことを言ったその影は、人の形から随分と輪郭を緩ませてふにゃふにゃと丸い形になると新一の周りとぐるりと飛び始めた。

    (そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。別に危害を加えようってわけじゃないし)
    「いやいやいやいや存在自体がおかしいだろう!?」
    (そーだよねー。俺もこの姿を受け入れるのに一年はかかったよ)

    でも慣れると楽しいもんだよ、君の私生活を覗くのは結構楽しいし。お父さんの書斎なんて本が多くてぜひ今度読ませてほしいな。あと好き嫌いはいけないよ、シリアルのレーズンだけ避けてるの知ってるんだからね。あとお気にいるのパンツはあのブルーのやつ?あんまり同じのばかり穿いてたら汚れも激しいから他のも穿かないとためだよ。
    新一の目の間で宙に浮いて、まるで人が顎に手を当て考えるかのようなポーズを影は取ると、つらつらとそんなことを言う。
    はじめはそれを唖然と聞いていたが、だんだんと話が進むにつれてわなわなと手を震わせた。
    恐怖とかそういうものではない。なんというか、これは軽い怒りかもしれない。

    「るっせー!てめーただのストーカーじゃねーかー!!!!!!!」

    思いのほか大きかったその声は、一階のリビングにいた両親にまで届いたようで、慌てて駆け上がってきた優作と有希子にいったい何があった今度はストーカーがいるのかと軽く問い詰められる羽目になった。
    その間、当事者であるはずの影は天井近くを浮遊したまま、我関せずとまるでにやにやと笑っているようにこちらを見下ろしているだけだった。
    どうやらその姿は両親には見えてはいないようで、たまに聞こえてくるあの影の声も届いていなかった。

    (君の両親はとてもやさしいね。君のことをとても心配してるんだよ、大切にしないとね)
    「てめーのせいで危うくストーカー被害受けてると誤認されかかったけどな!」

    30分ほど話し込んだあと両親が渋々納得した様子で部屋を出ていき、一階まで下りたのを確認すると、できるだけひそめた声を向けて新一は宙に浮かぶ影を睨み付けた。
    諸悪の根源はこの幽霊もどきなのだが、生憎当人(人?)にはその意識はないようだ。
    実際ストーカーかもしれない。いやストーカーだろう、なんでパンツのことまで知ってるんだどう考えても日常生活を覗かれすぎている。

    (ストーカーといわれると心外なんだけど、君の影みたいなもんだからねー、基本つかず離れず君のそばに居るって感じかな)
    「は?どういうことだよ」
    (離れたくても離れられないってことだよ)

    こうして動けるのも夜だけだしね、とひらひらと浮かぶ。
    日中は新一の影の形から動くことも出来ないらしい。声をかけることはできるけれど、できるだけ大人しくしてるんだなんて殊勝なことを言ってきた。
    触れるわけでも直接声が聞こえるわけでもなく、それを認識できるのは新一だけだ。

    (正直俺もなんで君の影なんかになってるのか、こんな姿なのか理解しがたいんだ。でも君と話ができるというのは大きな進歩だね、嬉しいよ)

    まるで元の正体でもあるかのような言い方をする。
    この姿に慣れるまでに一年かかったと言っていた。ならば本来は何なのか。

    「あんた、何者なんだ?」
    (さあね)

    きっとこの影は自らの正体は知っているのだろう。
    けれどこのあいまいな影という姿になっているからこそそこをはぐらかしてきた。意外にこのあいまいな姿が好きな様だった。

    (さしずめ、影のおばけってところかな)

    その日から、この奇妙な影との共同生活が始まったのだった。






    そもそもこの影、新一のそばに居るようになったのは、初めて話をした日から一年ほど前だったという。
    気が付いたらそこにいて、影自身も相当驚いたらしい。
    「浮遊霊の類じゃねぇか?」
    自らが死んだことを理解してなくて、うっかりと新一の後ろに憑りついているとか。
    影の正体を掴もうといろいろ調べていた新一はそう問うてみたけれど、いいやそういうのじゃないし幽霊じゃない、ときっぱり否定した。
    新一に話しかける一年ほどでそのあたりは自分で分析して結論は出ているらしい。結論自体を教えてくれないから新一としては不満たらたらであった。
    俺も確信がないし正直その現実を受け止め切れていないんだ、と影は神妙に話す。
    けれど真っ黒なのっぺらぼうが真剣に考えている姿をしてもいまいち緊張感が伝わってこないので、まぁストーカーだしな、ストーカーじゃないよ!とお決まりの文句でいつも話は終わってしまうのだった。
    この影との共同生活で最も便利な発見だったのは、新一がわざわざ声を出さなくてもこの影と喋ること――意思の疎通ができることだった。
    影の声は新一にしか届かない。だから影はどこでもかしこでも一方的に新一に話しかけてくる。
    それに対して新一は初めのころ人がいるところでは話しかけることが出来なかった。それがかなりストレスだったのだが、言葉に出さなくても意思疎通ができるとなれば脳内会議が酷いことになった。
    意外とこの影、思考レベルが新一と似ているのだ。同級生ではついてこれない会話でもすらすらとついてくるため世間話をするには最適な相手だった。
    口を開かなくても喋れるので、脳内ではせわしくこの影と先日読んだ本についてやら映画の話やら学校の授業についてなどいろいろ論議をしているのだが、傍目から見た親は延々と一時間虚空を見つめている新一にかなり心配したらしい。
    俺今喋ってるから邪魔すんな、と一度言ってしまったときは本気で「大丈夫か?」と父に聞かれた。
    そのあたりは思春期にありがちなイマジナリーフレンド的な何かと会話していたということで片付けられることになった。
    新一としては大変遺憾なことではあったけれども、「じゃあ俺のことどうやって説明するの?」という影に言われれば、もうそういうことにするしかなかった。本当に遺憾である。

    話し相手だけではなく、この影が防犯装置として役に立つことが分かったのは中学二年生になったころだった。
    本物のストーカー(おそらく親目当て)に気が付いて教えてくれた。
    なかなか正体を現さないストーカーに、的確に証拠を集めて警察に通報しやすくしてくれたのだ。
    満月前後の夜限定ではあるけれど、この影は新一の元から離れることが出来る。
    ふわりふわり浮かぶ姿は新一にしか視認することはできないけれど、そうやって離れた影は結構な距離まで行くことが出来るらしく、その日は俄然影は嬉しそうにしていた。
    新一のそばに居ることが嫌なわけでもないが自由に動けることがたいそう嬉しい影は、満月の晩に新一の家の外でこちらを覗き見していたストーカーの居場所と時間、顔までしっかりと調べ証拠をつかんできた。
    一仕事終えた影はすごく満足そうだった。
    新ちゃんすごいわねまるで探偵みたいよ!と、有希子は在りし日の優作の姿を思い出したのか大喜びしていたけれど、自分ひとりの力ではないのでどうにも素直にそれを受け取ることはできなかった。
    ひとりでも犯罪対処ができるなら私たちが家にいなくても大丈夫そうだな、と言い出した優作は締め切り間近になると有希子を伴って高飛びするようになってしまった。
    長くて一か月もすればひょっこり家に帰ってくるのだが、「君のご両親行動力あり過ぎだね」と呆れたのは影の方だった。



    大きな変化が現れたのは中学三年生に上がってすぐのころだった。
    影が突然喋るかけても全く応えなくなったのだ。いつもうるさいくらいだったのに、何も反応がないのは気味が悪いくらいだった。
    もしかして成仏してしまったのだろうか。新一はその影が浮遊霊である線を捨ててはいなかった。
    たまにこの景色は知ってるか?何かあんた自身のことを覚えているか?と聞くことがあった。
    けれど影は何も話してはくれないし、いつも新一のことを聞いて新一の話す話題ばかりに返事をするだけだった。
    影が喋ったり動かなくなってから三日経つ頃には、登下校を一緒にする蘭が心配するほどに新一は気落ちしていた。
    打てば返ってくる返事がなければ今度こそ思考はひとりで悪い方向に埋没していくばかりだ。
    何も知らなかった、知らないことばかりだった。あの黒い影のことを、本当に新一は知らないばかりだったのだと、この時初めて思い知ったのだ。
    あと数日で満月の晩だ。
    影が一番好きな日で、傍から離れてはぐねぐねと人型とはいいがたい姿で新一と相対する。
    その姿で話し込むこともあれば、突然家から飛び出して夜中まで帰ってこなかったりする。
    一瞬だけ離れてくれるその時間だけが、新一の唯一のプライベートな時間だったけれども、こうして何日もいないだけで寂しく思ってしまう。
    いつの間にかそばに居ることが当たり前になってしまっていたことに、新一自身も驚いてしまった。

    満月の晩、夜になってもうんともすんとも言わない影に新一は早くに布団に潜った。
    両親は二日前からまた海外に行っている。落ち込んだ様子に心配をしていたけれど、新一はさっさと出ていけと両親を追い出した。
    こんな姿を両親にこれ以上みられるのもみっともないと思ったからだ。中学生なりの意地だった。
    彼らが帰ってくるまでに心の整理をしよう。たぶん影は成仏したのだ。もう帰ってこない。いないのだ。
    そう思い、思いこまなければ、この喪失に耐えられそうにはなかった。
    夢と思考の狭間を行ったり来たりしている真夜中。
    丁度月明かりが眩しく部屋の中に入ってくる時間に、新一のベッドがギシリと鳴った。
    何事かと、夢うつつのまま頭まで被っていた布団から顔を出せば、そこには布団の上から自分に覆いかぶさっている真っ黒な影の姿があった。
    その異様な姿に一瞬ひゅっと息が止まった。

    「───っ」
    (生きてる?)

    真っ黒なのっぺらぼうの顔は、あるはずもない目を凝らすようにじっとこちらを見ていた。
    その曖昧な形をした手は頬を撫でると、そのまま首筋をなぞり布団に覆われたままの胸元を押す。
    心臓の上、そこを確認するように手を置いて影はそのまま蹲った。

    (新一君は、生きてるよね。死んでないよね)

    確かめるように新一の上でつぶやく憔悴した姿など、これまで一度も見たことがなかった。
    この影がなぜか酷く新一を心配するように、新一だって心配だった。
    一週間も動かなくて声も聞こえなくて、返事もない。成仏してしまったのかと気が気じゃなかった。
    影ばかりがまるで新一の安否を気にしている様子が気に食わなくて、新一は柄にもなく影に手を伸ばした。
    重さを感じないその影を、布団から抜け出して抱きしめる。
    実体がないから、実際には抱きしめられないのは知っているけれど、こうして抱きしめる仕草だけでもしてやらないといけないような気がした。

    「どこ行ってたんだよ、俺だってすっげ―心配したんだからな。喋る相手がいないからどうしたらいいかわからねーし、蘭には元気がないって怪しがられるし」
    (………君、俺に依存し過ぎじゃないの)
    「お前だってそうだろ」
    (はははっ、そうだね。君が居なかったら、きっと今頃駄目になってたかな、俺)

    辛いことがあったんだ、と影は新一の腕の中に留まる。
    まるでこちらに体を預けている仕草は、いつもの勝気な姿からは想像もできなかった。
    辛いことがあったんだと影は繰り返すけれど、どうしてなのかは口にしない。
    ただ新一は相槌を打ってやることしかできなかった。
    一方的に話をするだけで心の整理ができる、ということをこの影と話をするようになってから知った。
    新一の中に溢れる知識を、この影はいつも受け止めてくれる。その逆も然りで新一は思った以上に物知りな影の言葉を一方的に聞くときもある。
    それがこの思春期の間の新一の心の落ち着きにも結び付いた。影が居なければ随分と荒れていたと思う。
    だから、今はこの影の声を聞いて寄り添ってやる時なのだと思った。
    悲しい、辛い、どうして。曖昧な感情を吐露する影にただ頷く。真っ黒なその顔が泣いているようにも見えた。

    (───ゼロっていうんだ)

    泣いているようにも聞こえた影の感情の言葉の中から、突然懇願めいた声が転がり出た。
    いったい何が、と影ののっぺらぼうの顔を覗けば、ゼロだ、と繰り返す。

    「ゼロ?」
    (俺の名前は、ゼロっていうんだ。今度からゼロって呼んでよ)

    新一君にだけ教えてあげるから。新一君だけがそう呼んでくれ。
    繰り返す影の──ゼロの言葉に、新一は何度も頷く。
    握ってやりたいと伸ばしたその手は、ひんやりとした感覚があるような気がした。

    「ゼロ」
    (うん)
    「ゼロ」
    (うん)

    呼びかければ嬉しそうにするので、眠気が来るまでずっとその名前を呼んでやった。
    もうどこにも行かないでほしいと、真っ黒な手を握ったまま布団の中に潜り込めば、影もそれに付いて一緒に布団の中に入ってきた。
    いつも布団の上から頭を撫でてくれていただけの影が、とても幼く思えた瞬間だった。
    朝起きれば、布団の中には影の姿は跡形もなくなっていたけれど、やあおはよう、と耳元で囁く声が聞こえる。

    「おはよう、ゼロ」

    その日から、新一はその影をゼロと呼ぶようになった。






    それから影──改めゼロは、たまにふらっと新一のそばから離れるようになった(存在というか気配というか、声が全く聞こえなくなる)。
    でもそれはこの間のように突然一週間もいなくなるのではなく、明日いないかもとか、明後日にはまた話しかけるから、と事前告知がある。
    なんでいなくなるのかは理由は話してくれなかったけれど、帰ってくるたびに「お帰りゼロ」といえば、ものすごく嬉しそうにゼロはうねうねと動いていた。

    新一が高校になると、とうとう両親が家に帰ってこなくなった。
    「執筆の拠点をロスに移すことにした」と優作が事後報告のように電話をしてきたのは高校入学式が終わってアメリカに飛び立った後だ。
    一年くらい前からなかなか家に帰ってこなくなってきていたので、もういっそあっちに暮らした方が早いんじゃないかと思っていたころだったので、別段驚きはしなかった。
    (今まで随分放任だったから今更驚きはしないけど、この家の管理を任せるとかそれもそれでちょっと)
    「るっせー、たまに蘭が掃除しに来てくれるって」
    (すごく人任せ過ぎて酷い)
    俺がいろいろ出来たらいいのになぁ、とゼロは悔しそうに満月の晩にキッチンに立ってコーヒーメーカーに触る挑戦をしていた。
    残念ながら、それは一ミリも動く気配はない。
    両親が家にいなくなってから、それまで頭の中で会話をするようになっていたゼロと、新一は声を出して喋るようになっていた。
    もちろん外ではむっつりと口を瞑っているけれど、家の中で無表情にそんなことをする必要もなくなったので、それならばと身振り手振りやりたい放題だ。
    傍から見たら危ない人なのだろうが、生憎とこの家は新一ひとりだ。誰も訝しむこともなかった。
    おかげでたまに外で声を出して反応をしてしまうようになってしまって、危ういこともしばしばだった。

    新一の周りの環境が変わったことはこれだけではなかった。
    両親にアメリカに呼ばれ行ったときに飛行機の中で解決した事件以降、高校生探偵として警視庁に捜査協力をしたり、世間様に少しばかり注目されるようになった。
    生憎アメリカにはついてきていなかったゼロは、どうしていきなり警察にと戸惑っているようだったけれど、あれがこうであーでと説明すると(君らしい…)と呆れていた。
    危ないからやめろ大人しくしておけと初めのことは口を酸っぱく言っていたけれど、ゼロが一緒なら大丈夫だろ?俺たちいい相棒じゃんとにこやかにいればすぐにほだされてくれた。満更でもなかったらしい。


    そしてようやく冒頭に戻る。
    過保護なゼロは自ら身を挺して何かをしてやれることがないから口だけは妙に出すようになった。
    事件にあった日は目暮に家まで送ってもらえだとか、夜は遅くまで出歩くなだとか。
    (事件に会う確率の高さをもっと自覚すべきだ)
    とゼロはわめく。
    大体事件にあった日は、連鎖してもう一つ事件にあうことが多い。
    好きで遭遇しているわけではないのだから、それで新一を責めるのは止めて欲しかったけれど、もう自衛しない君自身も悪い!と当て所頃のない苛立ちをゼロは新一にぶつけるようになっていた。

    「正直月夜の晩はあまり出歩きたくはねーな」
    (だろう、いくら明るいからといっても逆にああいう変な輩は出てくるわけだし)
    「初めて変な奴に襲われたのもこんな月の晩だったしな」
    (なんだ経験があるんじゃないか。じゃあもっと慎重にだね)
    「真っ黒い影に」
    (───あー……………うん、ごめんね)

    あの時はちょっと脅かしてやろうかと…、と月夜に照らされた影が動き出して言葉尻をすぼませながらもごもごとつぶやく。
    あの頃は中学一年生だったけれど、今では高校一年だ。
    護身のためにとサッカーをやって脚力は鍛えたし、なぜかこの影に暴漢に襲われたときの対処法も習った。
    ちょっとやそっとのことで怪我をするようなこともないと思っている。
    ゼロに話しかけられてきたときの事の方が恐ろしいし、よっぽどのことがなければそれは覆らないと、この三年間で新一の肝はだいぶん座っていた。
    珍しく、という言い方もおかしいのだが、何事もなく家に辿り着く。
    門灯も何も灯っていない家はさながら幽霊屋敷の様でもあったけれど、天高くに上り始めた月明かりのおかげで暗くは感じなかった。

    (そういえば、明後日の満月の晩はスーパームーンらしいね)

    満月まであと2日という月明かりを見上げるようなそぶりを見せながら、ゼロは思い出したようにそんなことを言った。
    新聞でも覗き見ていたのだろう、今度の満月は珍しい事ずくめだった。

    「スーパームーンにブルームーン、皆既月食も重なるらしいぜ」
    (わー、目白押しだね)
    「スーパーブルーブラットムーンっていうらしいぞ」
    (青いのか赤いのか……)

    ブルームーンは青い月ではなく、同じ月に二回満月の日がやってくることを言う。
    ブラッドムーンは皆既月食のおかげで月が赤く滲む様子から。
    スーパームーンは、月と地球の距離が近づくせいで大きく見えるから。
    要するにいろいろと月にまつわる現象が重なるのだ。世間では少し話題になっている。

    (園子さんに誘われた天体観測は行くのかい?)
    「行きたいのはやまやまなんだけどなぁ。いろいろともったいねぇ気がして」
    (もったいない?)
    「だって、せっかくゼロが動ける日なんだぜ」

    家に入って電気をつければ月明かりはあっという間に分からなくなった。
    けれど人工灯に照らされた中で、ゼロは真っ黒な姿のままで新一の前に立つ。
    満月前後の晩、ゼロは自らの体をもって自由に身動きすることが出来る。
    その体を触ることはできないけれど、声が聞こえるだけという状況と体があることはかなりの違いだ。
    真っ黒で気味の悪い影だと思っていたけれど、逆に今はこんなに愛着が湧いてしまっているということに新一自身も驚いている。

    「せっかく動けるのに、ずっと息を潜めてんのも楽しくねぇだろ。園子や蘭が居たら動けねぇし。それなら家でも月は見れるんだし、ゼロも動けるだろ。そっちの方が楽しと思うんだけど」
    (…………へー)

    パチンパチンと電気のスイッチを押しながらリビングに移動する。
    当たり前のようについてきているのだと思ってリビングの扉を閉めようとすれば、黒い影はなぜか廊下の途中で立ち止まって何かを考えるように顎に手を当てていた。

    「なんだよ」
    (いや、新一君がそこまで俺のこと思ってくれていたんて知らなかったから)
    「どういうことだよ」
    (だって、蘭さんや園子さんたちよりも俺のこと優先してくれるってことでしょ)

    嬉しいなぁ。
    視覚的には真っ黒なので表情なんて何一つわからないし見えないのだけれど、もしあるのならばきっと満面の笑みでも浮かべているのだろう。
    それがわかって、新一はじわじわと自ら発した言葉の意味を理解していく。
    そういう意味ではない。でもそういう意味にとれるのだろう。いや違うんだけど、でも違うくない。
    新一くーん!なんて喜びの声とともに廊下を全力疾走してくるゼロを、恐ろしさ半分恥ずかしさ半分で、リビングから締め出した。
    バタンと絞められた扉に黒い掌がべたべたと触れる、ある意味ホラー映画の定番シーンのようになっているが新一には慣れたものだ。

    (酷い開けてよ!今すぐ抱き着くし抱きしめる!)
    「るっせーなんで抱き着くんだよしかもくっつけねぇし!通り抜けるしな!」
    (それでも今のは抱き着く場面でしょ!君はノリってのをしらないのかい!?)
    「真っ黒なお化けにそんなこと諭されたくねぇよ!」

    五分ほど、リビングの扉の前であーじゃないこーじゃないと言い合いを続けた後、ゼロはしれっと扉をすり抜けてリビングに侵入してくる。
    ギャー卑怯だぞそれは!と新一はまた逃げ回るのだけれど、結局どこへ逃げてもすり抜け反則技(普段生活する上では使わないという約束)を惜しげもなく使ってきたので二十分ほどの押し問答はあっけなく終息を迎えた。



    満月の晩、世間はちょっとしたお祭りムードだった。
    五十年ぶりの怪奇現象目白押しということもあって、テレビでは専門家が楽しみですねぇと月食の起こる時間を説明したり、ネットでは実況中継もやるらしい。
    学校ではクラスメイトがどこに集まろう、見に行こうと口々にする中、「俺はパス」と新一は全てを断った。
    最後の最後まで園子がなんでこないのよー蘭も来るのよーと誘いをかけてきて、いい加減しつこいので「目暮警部に呼ばれてるんだよ!」と嘘をついてしまった。

    (口は災いの元というじゃないか。あんな軽率な嘘を吐くから現実になるんだよね)
    「うるせーゼロだってもういっそ嘘吐いた方が、って言ってただろ」
    (むしろ俺はちゃんと園子さんの誘いを受けたほうがいいと言っていたけどね)

    嘘のつもりだったはずの目暮警部からの呼び出しは、夕方に現実となってしまった。
    あと少しで家というところで鳴りだした携帯に表示されている名前は目暮で、「工藤君力を貸してくれないか!?」といつものセリフが耳元から聞こえてくる前に、新一は駅にUターンしていた。
    時間はそうかかることはなかったのだが、晩御飯時を拘束されてしまったからご飯をおごるよと一緒に食事に出かけ、家の近くまで送ってもらえばすでに時間は二十二時を回ろうとしている。
    送ってくれた警視庁の車が見えなくなるまで手を振って、一つため息をつけばそれまで黙って成り行きを見続けてきたゼロが嫌味全開で喋り出した。
    園子にお呼ばれしていても似たような時間だっただろう、いや天体ショーは今からだからあちらの方が遅いか。
    えの/moto Link Message Mute
    Jun 13, 2018 2:10:17 PM

    新一と影のゼロ

    #コナン  #降新  #小説  #いつか消す

    話の中では終盤までこの影が降谷さんだとは言ってないんですけど、降谷零だと思いながら読んでもらえるととても楽しいと思います。
    降谷が真顔でピースサインしてるとか笑っちゃうでしょ(爆笑)

    まだ最後まで書いてないんだけども、せっかくなので書きかけ投稿ということで。推敲も何もしてないので変なところあったらごめんなさい。

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