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    【ゆく妖/腐】微妙な19のお題:17【柏秋】

    【17. 溢れ出てくるのはどろどろとした醜い感情】





     いつからだったろうか。世界というものが、灰色にしか見えなくなったのは。とはいってもそれは視覚的な問題ではない。目を開けていれば、これは赤いだとか、青いだとか…そういう判断はできる。
     だからこれは、視覚ではなく俺の心の問題。俺にとって憎むべきモノ、どうでもいいモノ全てが灰色にしか見えない。そこらを歩く人々も、街並みも、空も海も地面も含めて何もかもが灰色。
     忌々しい。こんな醜悪なばかりのくだらない世界が、何故存続しているのだろう。一刻も早く、滅びてしまえばいいのに――――


    *****


     色とりどりで形も千差万別、そんな鞄やトランクを抱えて、多くの人々が詰め寄る場所――空港の待合室。無数にある椅子に腰掛けてぼんやりと視線を窓の方に向けると、突き抜けるような空の青と、真っ白い巨体のコントラストがガラスの向こう側に映っていた。やっぱり青と白は実に映える組み合わせだなと、少しだけ現実逃避のようなことを考える。
     ちらりと視線を横に向ければ、落ち着かないのか俺のトランクに付けてある南京錠を弄っている親友の姿。俺のアメリカ留学が決まってから、誰よりも喜んでくれたと同時に、誰よりも寂しがってくれたのはこいつだった。今日だって、空港に近づくたびにどんどん口数が少なくなり、表情もみるみるうちに萎れていったが、今は俺の方を見ないままに黙りこんだり、新たな話題を持ち出してきたり。今、彼が何を考えているのか、その胸を満たしている感情がなんなのか、一見してわかってしまうその光景が、無性にいとおしかった。今日の出立は絶対に見送るんだと言い張ったのは彼だったけれど、ここまで全身で寂しいですと表してくれるとは、嬉しくてくすぐったい気分になると同時に、無性に居た堪れない気分にもなってしまう。
     それでもぽつりぽつりと、取りとめのない会話を交わしていると、あっという間に「その時」はやってきた。

    「……やる夫、俺、そろそろ行かないとだろ」
    「ッ…」

     ゆっくりと立ち上がりながら伝えると、同じようにゆっくりと立ち上がったやる夫は、俺の手をぎゅっと握って。

    「うっ、ん。じゃ、じゃっ…あ、む、向こう、行っても…がっんばっ、がっ、頑張って…お」

     震えながら言葉を紡ぐ、明らかに泣きそうなのを堪えていますという態度が全く隠せていない親友を前に、思わず苦笑が漏れた。初めて会ったときから、やたらと素直に感情を表に出す奴だなとは思っていたけれど、高校を卒業してからも全く変わらないこの真っ直ぐさが……とても愛おしい。

    「……ああ、頑張ってくるだろ。スケジュールの関係とかにもよるだろうが、年に一度ぐらいは帰ってきたいと思ってるし、手紙とかメールもするからさ」
    「やっ、約束、だお!? 向こうで、新しい友達とか、もしかしたらカノジョとかできちゃっても! やる夫のこと、忘れないでお…」

     ちょっと待ってその表情でそのセリフはまずいですやる夫さん。目に涙いっぱい溜めて、縋りつくみたいな弱弱しい声で、「忘れないで」なんて。ほんと勘弁してください、抱きしめたくて仕方なくなるじゃないですか。…「カノジョとか」ってのが、余計だけど。そんなの、できるわけがないのに。だって俺は、今目の前にいるアナタに、もう三年もの間片想いし続けているのですから。
     そりゃあ本人には伝えたことはないし、どころか自分自身以外の誰にも相談すらしたことがないけれど。

    「…忘れるわけないだろ、バーカ。俺はそんなに白状じゃないだろ。どこにいたって、俺の一番の親友はやる夫だろ」

     くしゃり、と頭を撫でてやる。途端に堰を切ったようにやる夫の目から涙が零れた。やる夫は俺の服の裾をぎゅっと握り、泣きながら必死の様子で言葉を紡ぐ。

    「う゛ぇぇ、ほ、ほんとに? は、離れてもずっと、親友かお?」
    「ああ、ずっとだろ。そういうお前こそ、大学行って新しい友達…できても俺のこと忘れんなよ?」

     やる夫の涙を拭ってやりながら、軽い調子でからかうように言ってみた。…「彼女とか」とは言えなかったけれど。それを口にするにはあまりにも重くて、想像するだけでも辛くて。
     
    「あっ、当たり前じゃんかお! 離れるのがこんな辛いのなんて、やらない夫だけだお! やる夫にとってだって、やらない夫はいっちばん大事な親友なんだからぁ!」

     叫ぶようなその「親友」宣言に胸が微かに痛んで、でもそれと同時に、俺だけだと、俺が一番大事だと言ってくれた言葉が嬉しくて頬が緩んだ。
     ちらちらとこちらを、微笑ましそうにだったり奇異の視線だったりで見つめてくる人々の存在すら、もう気にならない。

    「あーほら、もう泣くなって。…寂しいのはお前だけじゃないんだからな?」
    「う、ご、ごめ…」

     ごしごしと涙を拭いながら、やる夫は真っ直ぐに俺を見て。

    「…元気で、頑張ってお。でも、無理はダメだお?」
    「ああ、約束するだろ。やる夫こそ、大学でも頑張ってな。俺は考古学者、お前はプログラマー。お互い、夢叶えるために頑張ろうぜ」

     約束な、と拳をやる夫に向かって突き出す。するとやる夫は一度ぱちりと大きく目を見開いてから、涙でぐちゃぐちゃの顔のまま、綺麗に笑って。

    「…おうっ! 約束だお!」

     ごつん、と俺の拳に自分の拳を突き合わせてくれた。
     涙の痕は色濃いものの、にひひー、と見慣れた悪戯っ子のような笑顔を浮かべてくれるやる夫を見て、俺も笑みを浮かべる。
     良かった。最後にはちゃんと笑顔が見たいと思っていたから。

     そして名残惜しくもゆっくりと手を離して、「じゃあな」「おう、頑張れお!」と短い挨拶を最後に、身を翻してトランクを引きずり、俺は搭乗口へと向かった――


    *****




     ゴォォ、と音を立てて、俺が乗っている飛行機が地面から離れていくのを感じた。遠く遠く、日本から、やる夫から遠ざかってゆく。次にあいつに会えるのはいつになるだろうか、短くても数か月後か――下手したら何年も会えないかもしれないな、なんて考えたら、急にじわりと視界が霞み出した。

    (ッ……やっべ、数分前に別れたばっかだってのに、もう会いたくなってんのかよ。馬鹿じゃねーの、俺)

     ぎゅっと目を閉じて両手で顔を覆う。真っ暗な中で浮かぶのはやっぱり、あいつの姿だけ。唯一無二の親友であり、たった一人の「好きな人」でもある、あいつの。
     ほんの数分前まで隣にいてくれた存在が、今この瞬間に側にいない。たったそれだけのことなのにどうしようもない寂しさを感じてしまっているなんて、どうやら俺は自分で思っていたよりもずっとずっとあの親友に心を奪われてしまっているようだと苦笑が浮かぶ。
     アメリカへの留学が正式に決まったとき、実を言えばその前に告白しておくべきかどうか、迷った。迷いに迷った挙句、結局何も言わずに旅立つことに決めてしまったのだけれど。いつか日本に帰って、その時にやる夫がまだ独り身だったのなら――その時に、想いを伝えようと心に決めたのだ。
     我ながらなんてまだるっこしい真似をしているのかと自嘲する気持ちもあるが、これからのことを考えれば今はまだ駄目だという結論しか出なかったのだから仕方がないと割り切るしかないだろう。
     仮に、告白したとして。想いが届かないのならまだいい、アメリカという遠く離れた異国の地で、失恋の傷なんて考える暇もないぐらい研究に没頭してしまえばいいだけなのだから。それが本当に可能かどうかは置いておくとして、だ。
     だから問題なのは…もしも叶ってしまった場合。自惚れも甚だしいかもしれないけれど、自分がやる夫にどれほど友人として好かれているか、大事に想ってもらえているか、俺はよく理解している。それはもう、さっきもやる夫自身が言ってくれたように、あいつにとっての俺は「一番大事な人」という存在であるのだと。
     友情と恋愛は全くの別物だろうけど、それでももしも、と思ってしまった。もしも、受け入れてもらえたとしたら俺はどうなるだろう? そう考えたら、どれほど考えても「告白はしない方がいい」という結論にしか辿りついてくれなかった。
     だってそんなことになってしまったら、絶対に離れがたくなる。アメリカ行きなんて諦めて日本に、あいつの側に居続けることを選んで。そして俺の全てはやる夫で埋め尽くされてしまい、その姿を追うだけの木偶人形と化してしまうだろう。それは我ながら少し気持ち悪くなってしまうほどに、限りなく確信に近い予感で。
     俺は、あいつが自慢の親友だと、大切だと言ってくれるその真っ直ぐさに見合うだけの人間になりたい。あいつの隣に、胸を張って立つことができる人間でありたいと思っている。だから、あいつへの想いに溺れてただの木偶人形と化してしまうのだけは、絶対にごめんだった。
     …平たく言ってしまえば、好きな子の前ではいつも格好良い人間でいたい、という…恐ろしく子供じみた、つまらない意地にしかすぎないのだけれど。そんなプライドにこだわって、結局アメリカに行っている間にどこかの誰かに掻っ攫われてしまったらと思えば、どうしようもなく暗い気分にもなってくるのだけれど。
     それでもなお――あいつがこれから先に思い出す俺の姿は、いつだって格好良い俺だけであってほしくて。

    (…だっせ)

     人生十八年、あいつに出会う前までだって好きになった女の子の一人や二人はいたけれど。これほどまでに心捕らわれ、これほどまでに愛されたいと思ってしまう相手が、未だかつて存在しただろうか? いくら考えても、答えは「NO」しか無かった。
     好きなのだ、心から。たとえあいつにとっての俺が、ただの友人止まりでしかなくとも。男同士なのだから、想いが実る可能性などゼロに等しいだろうとは思っていても。どうあがいたってあいつへの気持ちは絶対に変わらないと、もうとっくに確信してしまっている。
     その姿を思い浮かべるだけで、自然と頬が緩む。笑顔を思い浮かべるだけで、幸せで。柔らかな声が紡ぐ俺の名前を聞くたび、どれだけ嬉しくさせてくれるか。顔を合わせるたびに、こんなに好きなんだ、と…何度思い知らされてきたか。この気持ちは、きっとずっと続いていくのだろう。たとえ、あいつに選んでもらえなかったとしても、ずっと。

    (覚悟、決めとかないとな。次に日本に戻ったときやる夫が独り身だったら、絶対告白してやるんだからな!)

     ぐっと拳を握りしめて、自らに決意表明。たとえそれで振られようとも構わない、きっとあいつはそれでも俺を嫌悪したり絶交しようなんて考えないだろうから――だからきっと、一生言わない方が絶対に後悔すると思えるんだ。今だって、ずっと言えなかったことを後悔してしまっているのだから。

    (…さて、向こうに着いたらやらなきゃいけないことが山積みだろ。まず向こうでの生活環境整えて、考古学の研究して、…あと男も磨かないとだよな、うくく)

     自然と、小さく小さく、笑い声が零れた。まだ見ぬ異国の地を、日本にいては見ることすらできないだろう研究を、そしていつかの未来を、夢見て。





     ――――齢十八の春。俺の心は、希望に満ち溢れていました。



    *****




    「…………うくく、うくくくく……馬鹿だったなぁ、あの頃は。本当に、馬鹿だった! うくくくくくくく!!」

     人の気配などまったく感じられない、静まり返った廃墟をバックに、希望なんてモノを胸に抱いていたバカな子供だったあの頃を思い出して、真っ暗な空の下でひとり笑いを零す。辺りを見回せば、今しがた自分がこの手で命を奪ってやったばかりの骸がごろごろと無造作に転がっている。それらを無感情に見下ろして、俺はひとつ息をつく。

    「今思えば、どっちが正解だったんだろうな。なあ? ポチ」

     しゅる、しゅるり、と右腕のポチを蠢かせながら呟いた。ポチは何も答えはしなかったけれど、気にすることなく続ける。

    「あの時、ただのニンゲンでいられた頃に告白してりゃあ良かったって後悔するとこなんかな。それとも、告白してなくて良かったって喜ぶべきか? なあ、どっちだと思うよ?」

     答えの無い問いを繰り返す。当然ながら返事はあるはずもなく、ポチはごろごろと転がる骸をひたすらに貪り食っている。ごき、ばり、ぺきっ、といった骨の砕ける音をぼんやりと耳にして、同じ骨でも部位によって音が微妙に違うことに一抹の感嘆を覚えてしまう。そんな自分に僅かに苦笑を零す。この異端の生物を体内に取り込み、話しかけてすらいる自分は、ボウフラ共から見れば「狂っている」と騒ぎ立てるに値する存在なのだろう。けれどもう何も感じなかった。
     それだけじゃない、最早周囲に転がる無数の骸も、生温かい血液も、骨の砕ける音も、人の体内から引きずり出された臓物がそこらじゅうに散らばるサマも、人の生命が消えていく瞬間に聞こえる断末魔すらも、冷え切ったこの心に波風ひとつ立てるに至らない。俺の心を動かせるのは、波風を立てられるのは――この世でただひとつ。淡く透き通るような、柔らかな輝きをもったあの光だけだ。

    「…………」

     己の手をじっと見つめる。ポチを蠢かせていない方の、生身の左手を。細かい傷こそところどころにあるものの、大きな傷はない。返り血を浴びるような無様な真似も、していない筈。なのに、どす黒い血と泥に塗れた薄汚く醜い手にしか見えなかった。
     …誰が死のうが苦しもうが、世界は何も変わらない。警察が動いたり墓石が増えたり、悲しむ奴だって出てくるだろうとか、そういった「変化」の話ではなく。何が起ころうとも「世界」を司るシステムには一片の変化も見られないという意味の話だ。
     誰が消えようとも朝は来るし、太陽は東から昇り、雲は流れ、空の色は時間によって変化し、月は満ち欠けを繰り返す。そして無為な日々を過ごしていくうちに、少しずつ少しずつ、忘れ去られていくのだ。その、死んだ人間がどこの誰であったのか、その「死」は何によってもたらされたものなのか、それどころか――そこに建てられた墓石が、誰のものであったのかさえ。
     命の重さを考えることが大事だと、人々は囁くけれど。そう言いながらも、結局のところはいずれは必ず忘れてしまう程度のものでしかないのだろう。
     この世界はひどく歪で、醜い。必要性がまるで理解できないし、何故存続し続けているのだろう、一刻も早く滅んでしまうべきだと頑なに思っている。思い続けている、あの日からずっとずっと。そして同時に己の存在意義というものについて深く考え始めれば、途方もない憎悪と殺意と衝動が胸を貫く。世界を壊せと、この世に存在する何もかも滅ぼしてしまいたいと心が叫ぶ。自分はそのために生を受けたのではないかと、本気で思えてしょうがなくなる。
     ならばその、醜い世界を破壊しようと画策する己はどうだろうか? かつて抱いていた夢も希望も幸福も、全てを壊され、全てを擲(なげう)ち、異形の生物を身に取り込み、昼行灯のような顔をしながら心の内に憎悪と怨嗟を滾らせ、何の感情もなく人を殺し、赤黒い血をあたりに撒き散らしている、自分は。あの忌々しい連中を憎みながらも、最早俺自身、奴らと何も変わらないイキモノに成り下がっているじゃないか? 奴らに反旗を翻したと、奴らにさえ手に負えないほどの化け物に変貌できたのだと言いながら、結局のところはどこまで行っても奴らに縛り付けられている、俺は……これ以上はないほどに醜く歪んだマリオネットのようではないかと、自問する。
     恐らくこれは、言わば同族嫌悪。結論として、この世界に存在する全ては等しく醜く、それは俺自身も例外ではないのだろう。俺には塵芥ほどの価値もなく、ただ醜いばかりの肉塊が、同じように醜い世界を壊してしまえるだけの知識と力を有したに過ぎない。
     そう結論付けるたび、己の内から途方もない嫌悪感が湧き出てくるのを感じる。こんな醜い世界で、こんな醜く無様な生を紡いでいかねばならないとは、想像するだけで虫唾が走るというものだ! ああ、早く、早く、一刻でも早くこの世界をめちゃくちゃに壊してしまいたい――!

     …そう思うのに、それこそが俺の本心だと言い切れるのに、どうして。

     どうしてこんなにも醜悪な世界で、心地良さなんてものを感じてしまうのだろう。どうして、自分の物ではない血に塗れた手を、悲しく思ってしまうのだろう。
     澄み切った空気、青く深い空、穏やかな日の光、満ち引きする波の音…一般的に、人に癒しや安らぎを与えるとされるもの。それらすらもう、俺の目には薄汚いモノクロームにしか見えないのに。この世にあるもの全ては等しく醜い、きっとそれは間違っていないのに。ならば、何故「汚れている」「醜い」などと思ってしまうのだろう? まるで「綺麗」だと思える比較対象が、まだこの世に存在しているかのようじゃないか。

    (……んなの、一つしかない、だろ……馬鹿か、俺は)

     今の時間ならアパートで一人眠りこけているはずの同居人の、自分とは違って後ろ暗いことなど何一つ持たない、まっさらな笑顔を思い出す。世界の全てが醜くしか見えなくなった今でも「醜い」なんてまったく思えない、その笑顔。この世で唯一、穢れず美しいままの存在。

    (…やっぱり、あの時告白しなくて正解だった、な)

     何度も何度も、いっそ殺せと、死んだ方がどれほどマシかと考えていたあの地獄の日々を生き延びることができたのも、すべてはあいつの存在が胸の奥で光っていたからで。――だからこそ、俺にはもう、あいつに告白なんて出来ないし、する資格だって最早持ち合わせていないのだと思う。あの、醜く歪んだモノクロームだらけの世界の中でも鮮やかに清冽に咲き誇る色彩には、もう触れられない。世界と同じように汚れきった醜悪な、人の血を思う様浴びてきたこの手では、最早彼に触れることもかなわない。どす黒い血の色が、あの淡く透き通る色彩を汚してしまうことだけは耐えられなくて、それは俺にとって何よりもの恐怖だから。
     …だけどもしも。もしもこの手が、血に塗れる前に。ひとの血肉を削ぎ、命を屠る道へと引きずり込まれる前に――まだ彼と同じ、ただのヒトであれた頃に。あの光に、手を伸ばせていたのなら。これまでの関係を崩したくないとか、離れがたくなるだとか、あいつには格好良い自分の姿だけを焼き付けて欲しいだとか。そんな温い考えを持つことなく、まっすぐにぶつかり、最早永遠に口にのぼらせることもないであろうこの想いを、あの頃に伝えられていたのならば。
     そしたら、今の俺の生も、目に映る汚らわしいばかりのこの世界も…少しは違うものになっていたのだろうか。この世界で唯一愛しいと思える存在を、いずれ必ず裏切り苦しめてしまう痛みを、抱えることもなかったのだろうか。

    「……う、くく…」

     一度首を振ってから、自嘲気味に笑いを零す。我ながら、何を愚かなことを考えているのだろう。如何にやる夫を想い、憧憬し、焦がれたとして。この十四年もの間に植え付けられた、魂の奥底にまで深く根付いた昏(くら)い激情が消えるはずもない。胸の内から溢れ出てくるものは、やる夫を除くこの世界で生きとし生けるすべてのものへの、憤怒、嫌悪、憎悪、怨嗟、劣等感、殺意――どんなに挙げ連ねてもきりがないほどの、膿のようにどろどろとした醜い感情ばかりなのだから。
     一度深いため息をついてから、ちらりと彼と自分が住むアパートの方角に視線を向け、淡い笑みを浮かべた。

     ――何の意味もないことだと、わかってはいるけれど。せめて、最後までその笑顔が曇らぬよう、守り続けることだけは許してくれ。今となっては、お前の幸せだけが、たったひとつの…俺の夢だから。


    「……やる夫、 『      』」


     小さく小さく囁いたその言葉は、彼どころか恐らくは最も近くにいるポチにすら届くこともなく、闇の中に静かに消えていった。
     …たとえ永遠に伝えられない想いであっても。もう二度と、近づくことすら許されなくなっても。ただ同じ空の下に、彼がいる。それだけを想い、彼の幸福だけを祈り続けよう。このモノクロームの空の下で。
    青藍 Link Message Mute
    2022/10/01 20:31:14

    【ゆく妖/腐】微妙な19のお題:17【柏秋】

    学生時代の柏崎の心情と、本編の数ヶ月前ぐらいの柏崎の心情話。
    相変わらず捏造だらけです。

    「01.ただ、偶然かもしれなかったあの瞬間」(https://galleria.emotionflow.com/55714/639371.html)と何気に繋がってます。
    自分で書いておいて、遣る瀬無さすぎて死にたくなってきたのはここだけの秘密。

    ※「微妙な19のお題」様(http://www.geocities.jp/hidari_no/fr.html)に挑戦中です。
    お題なのでシリーズ扱いにしてありますが、続き物ではありません。

    #柏秋 #やらやる #ゆく妖腐向け

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