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    Calling 私が座り込んでいる桟橋はぼろぼろで、いつまで私の体重を支えられるのかもわからない。むしろ私は、ある時突然この桟橋がばらばらになって私を海へ落としてくれる日を待ち望んでいるのかもしれない。


     おいで おいで ここへおいで


     今日もまた海の底から聞こえる声。とても優しくて暖かな声。声の主の元へ行きたい、一目姿を見たい、そんな衝動が私の体の中を熱く巡るのに、情けない事に私の足は海へ向かって踏み出してはくれないのだ。
     ――誰もいないこの岸辺、私を引き留めるものなど何も無いというのに!
     空を巡る星々は点ではなく線、ぐるぐると波紋のような模様を描く。私と一緒にこの空を眺めていた彼女も、私の座るこの桟橋を作った彼も、今はもう居ない。声に呼ばれた者は皆、海へと向かって二度と帰らない。
     きっともうこの地上には私しか居ないに違いない。
     世界で一番意気地なしの私だけが、海からの呼び声に応える勇気が無くただぼんやりと海を眺めているのだ。


     おいで おいで ここへおいで


     一番はじめにその声を聞いたのは海に近い場所で暮らしている人々だった。そして、その声を聞いた者は漏れなく声の主の元――すなわち海の底――へ向かい、姿を消した。無人になった町は、まるで誰も居なくなるのを待っていたかのようにゆっくりと海に飲み込まれた。
     世界中がパニックになった。温暖化による海面上昇、そんな使い古された言葉は誰の慰めにもならなかった。ほどなくしてその海面上昇が無差別ではない事、一人でも生きている者が暮らしている場所は海抜に関係無く海に飲み込まれずにすむ事が判明し、世界は落ち着いた。
     自棄になり自殺する者の数は減ったが、声に従い海の底へと向かう者の数は増え続けた。悪意に満ちた連続殺人犯も、汚職にまみれた悪徳政治家も、穏やかな表情で海の底へ向かったという。


     おいで おいで ここへおいで


     ある人は声の主は救世主に違いないと言った。海の底には楽園があり、そこへ行った人々は救われるのだと。
     ある人は声の主は悪魔に違いないと言った。優しげな声はまやかしで、惑わされた人々は地獄へ落ちるのだと。
     どちらの説もそれなりに支持者を集め、下らない宗教戦争まがいの争いが起こりそうになったが、大事になる前に終結した。何故なら、それぞれの説の発起者を含めた大多数の人間が声に呼ばれて海の底へと向かってしまったからだ。
     私は神や悪魔の存在を信じてはいないが、もし声の主が超常的な存在であるとすれば、少なくとも人間に好意的な何かなのだろうと思う。
     根拠は無い。ただあの声はとても優しくて、踏み出す勇気の無い私に無理強いする事もなく呼び続けてくれている。それだけで十分だ。


     おいで おいで ここへおいで


     ぼんやりと私が思考を巡らせているうちに線を描く星は流れ、左手の水平線から太陽が顔を出し始める。昨日の夜に合成音声の告げた一日予報と大分ずれがあるが気にもならない、予報は外れるものだ。
     昔のひとは天気予報の当たらなさに嘆いていたらしいが、一日予報に比べれば可愛いものだと思う。一日が一定の長さではなくなった為に二十四時間制が廃止され、太陽と月の角度で一日の区切りをつけるようになってから随分経つけれど――私は二十四時間時計を骨董品屋でしか見たことが無い――、新たに来る一日がどの程度の長さか予想する方法は確立していない。お偉いさんは自棄になって、自動機械に予報を丸投げしているという噂がまことしやかに流れていたが、あながち間違ってはいなかったらしい。
     だって、人々も街も何もかもが水底に沈んだ今もなお、一日予報は変わらずラジオから流れ続けているのだから。


     おいで おいで ここへおいで


     ふと私は、桟橋から腰を上げた。気が向いた時に食べ気が向いた時に眠るという生活は悠々自適とも言えるがともすると寝食を忘れる事が多々ある為、水平線の遠くに見える太陽時計をある程度の目安として私は生活していた。
     半径十数メートルもない大地が私の全てだが、その僅かな大地に地下シェルターへの入り口があったおかげで私はだらだらと生き続けている。
     大量に備蓄された食料や消耗品は恐らく私一人の命なら一生保たせる事ができ、危機感は私にとって遥かに遠い。しかし、もそもそと合成食料――本日はポークカレーとかいうアジアの料理だ――と水を口にする日々は、生きているという充足感からも遥かに遠い。食事の後はシャワールームで身体を洗い服を着替え、小さな寝台に丸くなって睡眠導入機のスイッチを押す。やがてすぐに眠気が訪れる……。


     おいで おいで ここへおいで


     そうして同じような日々をどれぐらい過ごしただろう。声は相変わらず優しく、私も相変わらず桟橋で海を眺め続けていた。
     ――いつからか、みゃあ、という声が私の世界のBGMに加わった。
     それは桟橋から少し離れた海上に突き出すかつての電波塔のてっぺんで、羽を休める海鳥の鳴き声。確か、うみねこ、という名だったか。
     野生の動物がこの大地から姿を消して久しい。今思えば、動物たちは敏感だから人間よりも先に呼ぶ声を聞き、海へと向かったのだろう。そんな所に現れた海鳥の姿はとても異常に見え、彼を見つけた当初の私は桟橋にすら近付く事が出来なかった。
     けれど、やってくるのは毎日同じ一羽らしい事――突然変異か、尻尾に真っ青な羽が一筋混ざっているのが目印だ――、機械ではなく正真正銘「ナマモノ」らしい事などをひとつひとつ何日もかけて理解する頃には、私はその奇妙な隣人を受け入れていた。


     おいで おいで ここへおいで


     私の唯一の隣人である彼は、奇妙な知性の光を瞳に宿しており、実際とても頭が良かった。私を怖がる様子も無く、戯れに海水を跳ねさせてみてもひょいとかわすだけで飛び去ったりはしない。こちらには彼を害するつもりが無い事を理解しているようだった。
     彼は、私が保存食の欠片を差し出すと嘴で器用に受け取るようになり、そのうち私の取り留めのない与太話に耳を傾けるような仕草を見せるようにまでなった。だから私は、その大事件を自然に受け入れたのかもしれない。

    「きみ、どうして彼女の元へ行かないんだい?」

     落ち着いた深みのあるバリトンは、昔聞いた中世のオペラ歌手の声に似ていた。久方振りに聞いた人間の言葉は疑う余地も無く彼の嘴から流れていたが、反射的に周囲を見渡した私の姿は滑稽だったと思う。
     改めて彼を見ると確かな知性を湛えた瞳が私を見つめ返しており、私は狼狽えるのもおかしな事のように思えて彼に答えた。

    「どうしてだと思う?」

     桟橋で一人と一羽が向かい合い問答する姿は不自然だろうか。すべてが海に沈んだ景色の中では逆に自然だろうか。
     質問を質問で返すという禁じ手を打った私を非難するでもなく、彼は嘴を開いた。

    「ひとつの可能性としては、自分以外の人間が現れるのを待っているというのがあるね」

     そしてふるりと頭を振って、

    「だとすればそれは叶わない。きみが、この地上に残っている最後の人間だから」

     静かに絶望的な言葉を紡いだ。……予想通りだったとはいえ驚いた私は絶句し、黙って私を見詰める彼との間に沈黙が流れる。
     しばらくすると彼は翼を羽ばたかせ私の目の前へと近付き、子供をあやすような口振りで話し掛けてきた。

    「だからきみも彼女の元へ向かったらどうだい、ここでこうしていたって無為な時間が過ぎるばかりだよ……」

    「じゃあ、」

     ふと浮かび上がった疑問は気づいた時にはもうするりと唇の端から零れ落ちた。

    「どうしてあなたは、ここにいるの?」

     彼は、呼ぶ声に従い海の底へ向かう事を私に勧めている。それなのに、彼はもう随分と前から私の前に現れ続け、声を気にする素振りすら見せた事が無い。
     ――今度は彼が絶句する番だった。
     落ち着かなげに周囲を見回すと、彼は器用に翼で手招き――この表現はおかしいが――した。それに従い彼の嘴へ頭を近付けた私の耳を、少し上擦ったバリトンが擽った。

    「きみに、恋をしてしまったからだ」

     その台詞は、人類滅亡の宣告よりも私を驚かせた。生まれてこの方色恋に縁の無かった私がまさか他人から想いを寄せられるなど……嗚呼、他人ですらない、彼は海鳥なのだから。
     困惑している私をよそに彼は開き直ったのか、頭を上げて真っ直ぐ私を見上げた。そしてその彼の嘴から、とんでもない告白が始まった……。


     おいで おいで ここへおいで


     ――要約するならば。
     この世界――彼は「彼女」と呼んだ――はもう死の瀬戸際なのだという。世界が死ねば当然そこに住むいきとしいけるもの全てが道連れとなるが、世界は自らの子供にも等しいものたちを道連れにするにあたって苦痛を与えたくなかった。だから、子供たちを呼んだ。自らの――母の――胸で穏やかに眠らせる為に。

    「《箱舟》の時に彼女は悔いた、洪水で苦しみながら死んでゆく我が子たちの姿を見てね。だから今度は我が子……つまりきみたちの意志を尊重したいんだよ」

    「《箱舟》?」

    「ああ、知らないなら良い、昔の話さ」

     けものたちは素直に世界の声を聞いて各々の眠る場所へ向かったが、世界の手を離れて久しく、そもそも世界の命を縮めた元凶である人間といういきものにはなかなか世界の声が届かず、世界が呼ぶ声は日に日に大きくなり――ついに人間の耳に届いた。それが、


     おいで おいで ここへおいで


     ……この声。とても優しい、この声だという。

    「……そしてあなたは、人間が海へ向かうのを見届けていた、と」

    「なんて容易い仕事かと思ったよ。仲間たちが担当した人間たちは、長くても数週間で海へ向かったからね」

     海の使者であり空の使者でもある彼ら海鳥たちは、一羽につき数名の人間の見届け役となり、担当している人間がすべていなくなれば晴れてお役御免、彼らも彼らの居場所へ帰る事が出来るらしい――彼らの居場所を訪ねると、当たり前のように空を示された――。そして彼は、よりにもよって私という臆病者の見届け役となってしまった。

    「なんて運の悪い……」

    「本来ならね。けれどぼくはきみに……その、一目惚れしてしまったものだから」

     ひとめぼれ。お伽話以外でその言葉を聞く事になるとは。
     ……それから彼は私を見守り続け、遂には我慢出来なくなって私の目の前に現れ、こうして長い告白をする羽目になった、という訳だ。

    「ずっときみを見ていたかったけれど、そうもいかない。もう世界は限界なんだ」

     つま先に冷たい感触。彼の言葉に聞き入っていた為気付かなかったが、海がすぐ傍まで迫っていた。残されているのは、私と彼がいる半径数メートルにも満たない大地。

    「拒まないで、彼女の声に身を任せるんだ。……きみが苦しむ姿は、ぼくも見たくない!」

     ふわりと彼が舞い上がる。見る間に彼の居た場所も海に飲み込まれ、打ち寄せる波が踝を越えた。
     ――声。聞こえる、声。おいで、おいで、ここへおいで……。

    「いや!」

     腰まで海へ浸かりながら、手を伸ばす。これまで一度も私の体を動かす事の無かった知らない衝動が、優しい声をかき消すように乱れた叫びをあげさせる。

    「わたしを愛してくれるひとが見付かったのに、離れるなんて……!」

     私が差し伸べた腕に彼がとまる。ごつごつとした爪の感触など気にせず、私は彼の脚に手を重ねた。彼は身体を震わせたが、拒みはしなかった。

    「落ち着いて、きみは人間で……ぼくは海鳥だ。ぼくの片想いにきみが無理をしてこたえる必要はないんだよ、だから……」

    「わたしは!」

     未知の衝動をうまく言葉にする術を持たない私は、彼の翼にそっと頬を寄せた。ひたひたと腰を這い上がる水の感触を頭から振り払い、彼の鼓動を聞いた。

    「……まだあなたに話していないことがたくさんある、聞きたいことだってたくさんある、なのに……」

     頬に生温い水の感触があった。まだ海は胸に達していないのに、唇の端に塩辛い味がした。
     ――死にたくない。心からそう思ったのは、皮肉にも最初で最後になりそうだ。ただ独りで海を眺め、理由も無いのに海へ行きそびれた私の見付けた理由。

    「きみ、……けれどね、」

     彼の困った声。嗚呼、そうだ私が行かなければ彼も行けないのだ。だけど私の手は彼を離さず、彼もまた抵抗しない。……そっと、私の額に彼の嘴が触れた。

    「度し難い、本当に……この病は」

     彼が何か難しい言葉を紡いでいるが、その意味も考えられないほど胸が苦しい。跳ねる波が彼の美しい翼を濡らさぬようにと腕を持ち上げ懸命に背伸びする。
     押し寄せる海に私が目を閉じたその瞬間、――彼の爪に、力が入った。

    「――!」

     何かを叫ぶ彼の声を聞いたと思った次の瞬間、もう何も聞こえなくなった。


     …………。

     ……。


    「……出来の悪い子ほど可愛いとはいうが、母親の愛というものは本当に際限が無いな。
     自らを死に追いやった子ですら愛し、最期の瞬間まで守るとは……理解しかねる。
     けれど尊重はしよう。
     それに、彼女は息子の嫁としては勿体ないぐらいだからね」


     ……。

     …………。


     一面の蒼。そこから、最後のうみねこが二羽、飛び去った。




    《幕》
    新矢 晋 Link Message Mute
    Aug 11, 2018 11:57:27 AM

    Calling

    #小説 #オリジナル #SF
    海と私と海鳥と。

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