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    神の子と灰色の男、何故か交換日記をする「ひー、ふう、みい、よー、いつ、むう、なな」
     わざわざ日本の死にかけた言葉で数を数える男がいる。神に愛された音楽家、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトだ。彼はその音を奏でるためだけに在る繊細な指をピアノ以外のものに触れるために動かしていた。複数の紙が束ねられたその何かは本のようで本ではない。無地の紙の上に印刷された飾りと文字があるためただのノートでもない。これはすなわち日記帳。しかも交換日記というやつだ。
    「よくもまぁここまで続いたよ。あいつも律儀なもんだ」
     あいつとは、ここ最近カルデアに召喚された新しいサーヴァントのことである。名をアントニオ・サリエリという。名前だけはアマデウスのかつての友人と同じものだ。だが彼の在り方も姿も何もかもかつての彼とは違う。彼自身、自分はサリエリではないと述べたという。このことにアマデウスは如何ともしがたい気持ちを抱いていた。
     果たして彼は何者なのだろう? 名称を否定し己を殺すと宣うあの灰色の男は誰だ? そして何より自分が彼に抱く、この感情は何なのだろう?
     ぼんやりと暗いような、それでいて暖かいような、悲しいような嬉しいような、明確にするには理解が足りなすぎるこの感情は何か。
     といった旨を彼がマスターに告げたところ、渡されたのがこの交換日記であった。『分かり合えないなら語り合えばいいよ!』とかなんとか良い事言っているようでその実何も考えてなさそうな事をマスターは言っていた。そうして今、マスター経由で二人は文章のやり取りをしているという訳だ。
    「さて、今日は何を書くかな……」
     律儀に続ける彼も彼だが、自堕落なわりにこれを終えられない自分も自分だ。自嘲して口元が歪む。返事を書く前に既に読み終えていたサリエリの頁に再び目を通す。

     ――5月、吹雪の中にあっては季節の概念などあって無きような物だ。貴様が誰かは知らぬが、あの春を終えた瞬間の緑の輝きを知っているだろうか。

     日記の中でサリエリはアマデウスの名前を呼ばない。これは相手が自分だと彼に知られてはサリエリが日記の交換を拒否するだろうというマスターの配慮である。
     相手を知らずして行う交換日記とやらに意義はあるのかと思わなくもないが、一理あるのも事実なのでアマデウスはマスターの意向にそのまま乗っかっていた。
     ただ問題は一つ。彼に己と悟られないよう、自己を偽ればおのずと書けることが減る。下ネタは当然ダメ、音楽のこともダメ、そうなると自分には殆ど何も残らない。いや、何もというには言い過ぎだが、音楽こそが全てである自分にとって、音楽以外の楽しみなど、下ネタまで封じられてはあまり多く見いだせないのだ。
    「おお神よ、憐れなこの僕に救いの手を! ……ああそうか」
     ふと思いついてペンを手にした。書き始めればすらすらとペンが進む。先ほどまでの懊悩などまるでなかったかのように順調に頁を埋めたアマデウスは日記を閉じた。あとはマスターに渡すのみである。
    「返事が来るまで、曲でも考えようか」
     交換日記を置いたアマデウスはいつものようにピアノに向かった。
     それからマスターに日記を渡して翌々日、すぐに日記は返ってきた。文字の書き出しはまずクエスチョンマーク。アマデウスの書いた日記に感じた戸惑いがそのまま文章に現れていた。

    ――金色の湾曲した謎の何かとは何なのだ。その謎の何かは人体にさえ生えるのか?

     その戸惑いを目にした瞬間、アマデウスは吹き出し椅子から落ちそうになるほど大笑いした。落ちそうな、ではない。実際に落ちた。それがまた面白くて床を転げまわりげらげらと笑った。
     アマデウスが書いたのは以前カルデアに起こった珍事件の粗筋である。宇宙から来たらしい謎のセイバーと幼い剣士との出会いから始まったあの事件。それを脚色もたっぷり加えて語ったのだ。アントニオ・サリエリには理解出来ようもない荒唐無稽な珍事に彼はきっと目を丸くしたことだろう。
     そう、彼の知る己を出せないのであれば、彼の知らない今を語ればいいだけのことなのだ。幸いにもこのカルデアという場所は話のネタに事欠かない。遅れて後からやってきた彼には知りようもないことばかりなのだ。
    「次は何を書いてやろう。やっぱりあれか、三段重ねキャッスル盛り。それともあのノブノブ鳴く小さな混沌達にしようか」
     口角を上げて楽し気にペンを取る。アマデウスはそんな己を自覚していた。しかし何が悪いとも思わない。ほんの僅かに思うことは、どうせなら己だと名乗った上でこうして語らいたかった、ということのみだ。
     無理なのは承知の上だ。しかし手を伸ばせば届く位置にあって何もできないというのはなんとももどかしい。
     ここまで考えて自問する。本当に自分は彼とどうなりたいのだ?
     ……自分は彼に何を思っているのだろうか。
     続きを書き終えてアマデウスはページを閉じた。自分の心の結論は先送りにして、今は深く考えたくなかった。
     それからしばらく二人のやり取りは更に続いていった。アマデウスが大げさに語る数々の出来事にサリエリは素直に驚嘆して見せた。彼の実直な返答を見る度に、かつてアマデウスと交遊を深めた彼が戻って来たような心地であった。そう、アマデウスは気付かないフリをしていたがすでに答えは出ていたのだ。
     アマデウスはサリエリに懐かしさと親しみを抱いていた。とりわけ特別な古い友人への愛情、望郷の念と自身の終焉に対する悔恨。その全てをサリエリはアマデウスに思い出させていたのだ。
     だがそれが正しいことなのかアマデウスには判じ切れなかった。人として正しいかなどあまり考えたことのない彼である。だが彼なりの誠意というものがある。果たして、あの自分をサリエリではないと告げる男に対して抱くこの感情は、誤った感情ではないと言えるのだろうか?
    「ああ、……あいつのピアノが聴けたらなぁ」
     言葉で語るよりもそれが最も早い。アマデウスにとって音楽が全てだ。そしてサリエリにとってもそうだと信じている。彼の音さえ聞けば、音楽に全てを捧げた彼の心の音が聴けるというのに。
     もどかしい。あまりにもどかしい。しかし手がないわけではない。しかしそれをすればこのやり取りすら終わるだろう。あまりにも呆気ない方法で僅かなつながりさえ消えるだろう。
     だが、それでも、アマデウスはペンを手にした。
    「始めはLa……」
     交換日記の上に五線譜を引いた。引いた線の上から音符を落とし込んでいく。音は軽やかに、指は跳ねて美しい音に変わる。アマデウスは音の中でサリエリに問いかけた。お前は何者なのか。何を思い今自己を否定するのか。そして自分を前にして何を求めるのか。悶々とアマデウスの身の内に残っていた疑問を全て音符に叩きこんだ。後から沸いてくる感情のままペンを動かし、これが書き終わるまでそう時間はかからなかった。
     出来上がった曲は、いつもながら素晴らしいものだ。さすが自分と自分を褒めたたえる。そしてこれだけ素晴らしい曲を書けば彼なら日記の相手が誰か気付くことだろう。己とやり取りした相手が誰か知るだろう、そして……。
    「……やめよう」
     アマデウスは日記を閉じた。閉じた日記を見下ろして、破り捨てようと手が動く。
     結局破ることはできずに、そのまま机の引き出しにしまった。
     もうなんだか何もする気になれない。ベッドの上に身を投げだし目を閉じる。何かやらなければならない事があったような気がしていたが構うことはない。寝てしまおう。寝て起きてマスターに朝の挨拶をしたら、さっさと交換日記を返してしまおう。それで終わりだ。
     そろそろ潮時だ。あまりにも長々とくだらない時間を続けてしまっていた。あの男の真実が見えたからといってどうだというのか。己が何をしてやれるでもない。あの男のために死んでやるつもりもない。それはあの男が本物かどうかなど一切関係のないことだ。
     明かりを落とせばすぐに部屋は暗くなる。窓のない部屋には月明りも星も見えない。そもそも外は猛吹雪だ。カルデアの堅牢な壁ごしでも耳の良いアマデウスの元には微かに吹雪の音が聞こえていた。
     吹雪の音を音階に変えてみる。案外悪くない音楽だ。アマデウスは吹きすさぶ風と雪の音を子守歌に気付けば眠りの中へと落ちていた。

         ●

     眠ったアマデウスが目覚めたのは朝、ではない。四半刻程度過ぎただけの、寝入った直後だ。アマデウスの鋭敏な耳が部屋の中の異常を感じとった。目を開いてもどうせ暗闇を見通せない。アマデウスは目を閉じたまま耳を澄ませて音の主の動きを探った。
     音の主は一人。痩せ型の男だ。鉄の擦れ合う音がする。相手は武装している。霊体化したところで間に合わないほど近く、アマデウスの部屋の中に入り込んできている。
     武装して人の部屋へ侵入しておいて、何もしないということもあるまい。最悪は座に還ることになるだろう。意味の不明な襲撃がこの召喚の終わりかと思うと何ともやるせない。せめて不審な者の存在をマスターに知らせるべきか。だが最弱争いをしているような自分の貧弱な霊基で何が出来るだろうか。
     アマデウスがしたくもない最後の覚悟を決めていた間も、侵入者は少しづつアマデウスが横たわる傍へと接近していた。その足音はやや乱れている。さ迷うように、惑うようにじわじわと距離をつめては時折止まる。部屋の様子を探っているのかと思えばそうではない。ただ足を止めているだけなのだ。その足音はまるで迷子が不安にかられて後ろを振り返るようだ。感情的な足音がようやくアマデウスの寝台にまで到達した。
     接近した後でも侵入者は何をするでもなく、ただアマデウスを見下ろしていた。うっすらと熱を感じる。もしかすると侵入者は光を灯しているのかもしれない。では相手にはこちらの挙動は丸見えだ。こっそりと闇に隠れて何かをすることも出来ない。侵入者がよりいっそう近づいてくる。手がアマデウスの髪に触れた。これから殺す相手を嬲る趣味があるのか、その手はアマデウスの長い髪を掬いあげて指から零した。鋭く尖った指先が、次はアマデウスの肩へと触れる。肩から首筋へ、首から顎へ、頬へ、爪先が擦れて頬に痛みが走った。
     獣のような熱い吐息がかかる。顔が近づいている。自分がこれから殺す者を前にして、侵入者は高ぶりから声を零した。
    「……アマデウス」
     それは聞き覚えのある声だった。アマデウスは思わず閉じていた目を開いて侵入者の姿を捉えた。
    「サリエリ……?」
     その名を口にしてしまった直後に、アマデウスは自分が過ちを犯したことを知った。己の名を耳にした途端、サリエリの霊基が変容した。外装が燃え上がり角は伸びて、覆面はひび割れ獣の様相を呈していた。
     獣か、いや、これは違う。この姿は、この姿こそが死神だ。アマデウスの死の幻想と共に語られてきた、死神が眼前に顕現したのだ。
     死神が雄叫びを上げた。悲鳴のような叫び声が部屋の内外へと響く。抜かれた刃がでたらめに振り回されて周囲を破壊する。アマデウスは身を起こし死神の刃を防ごうと構えた。寝台も切り裂かれて中の繊維と綿がまき散らされる。彼の愛用していたピアノも譜面台も悉く破壊されていく。机もまた破壊されて、引き出しの中にあったものが宙を舞った。
     破壊の衝撃で引きちぎられた日記の頁が舞い踊る。死神はその姿を見て動きを止めた。攻撃を止めたわけではないことはアマデウスには分かっていた。よりいっそう激しい爆発の前兆を感じて彼は破壊された寝台を盾にして部屋の隅へと逃げた。 
     死神はすぐには破壊を再開させなかった。落ちた日記の頁を抓み上げてしげしげと読んでいる。ああ、まずいと思った時には遅い。頁を読んでその意味を理解した後、死神とアマデウスの目が合った。
     アマデウスは息が止まるような錯覚に陥った。死神は惑いをまるでなかったかのように一息でアマデウスへと距離をつめた。一か八かで放った魔術の光も全て正面から薙ぎ払われてしまう。すぐ背後の壁に叩きつけられ、死神の手に握られた刃が赤く煌いた。
     最後の時を想起させられ、反射的に顔を背け目を閉じた。その直後に激しく刃を撃ち付ける音がして、アマデウスは恐る恐る閉じた目を開いた。自分の顔の真横に刃が突き刺さっていた。しかし、自分は無事だ。死神は手の平を天に向けながら立ち尽くしていた。茫然と自身の手を見つめているようだった。
    「我は……私は……」
     アマデウスは声を発することも出来ず、壁に背を預けたまま死神の動向を見守った。死神はひどく打ちひしがれていた。その理由がアマデウスにはさっぱり理解できない。救いを求めるように彼に視線が向けられた。だが、アマデウスには何も返すものがなかった。
     死神が再び吠えた。がむしゃらに辺りを攻撃し、破壊しつくした。最後に放った無差別な攻撃の余波を受けて、アマデウスは今度こそ自分は死んだと感じた。痛みはあまりにあっけなく、アマデウスの身体をつらぬいていた。

    「あれ?」
     目が覚めた時、同時に目に映ったのは泣きそうな顔のマスターと親交深い他のサーヴァント達だ。
    「僕完璧に今回は死んだと思ったよ。いやラッキーラッキーははは」
     笑いごとじゃないだろうと一斉に野次が返って来た。起き上がって確かめてみても、怪我一つなく修復されている。結構なことだ。ひとしきり仲間たちと微笑ましい生き残りのお祝いの言葉を交わして、本題に入った。襲撃者は誰なのか、何故アマデウスは狙われたのか。
     犯人は予想通りの相手であった。アントニオ・サリエリ。灰色の男。アマデウスを殺したという、偽りの伝記によってサーヴァントとなった男。
     アマデウスは襲われた直後だからとマスターからそれとなく勧められた護衛を断った。マスターも気の毒に。契約の始まりから殺人が含まれるサーヴァント等、この善良な人間には扱いきれないだろう。破壊された部屋はいかんともしがたく、新たに他の部屋が用意されたことも知らされたが、曖昧に笑って返すのみだった。すっかり治ったからにはもう心配はいらないと、アマデウスは彼らと別れて一人となった。 
    足は一路部屋へと向かう。新たに用意された部屋ではなく、破壊された元の部屋だ。入り口で明かりをつけようとスイッチを押しても電気は反応しなかった。まあ当然壊されているだろうと、アマデウスは指揮棒を振るって魔術の光を灯した。
     部屋の惨状はすさまじいものだった。ピアノは吹き飛び寝台は真っ二つに折れ、机はもはや見る影もない破片となり原型を留めていない。これでよく生きていたものだとアマデウスは自分を誉め称えた。
     腰掛けるのにちょうどいい瓦礫に腰を下ろして、しばしこの惨状を見つめていた。そして彼は俯き、顔を覆い隠した。
     深く、溜息が零れ落ちる。結局のところ全てが無駄だったのだろう。彼らしくもない僅かな憐憫は何の意味も為さないことであった。あれは灰色の男だ。アマデウスを殺すためだけに存在する者だ。サリエリ本人かなどもはや問題ではない。感情を向かわせようと何を思おうと最終的にアマデウスを殺すことに着地する、そんな機械人形じみた存在でしかない。
    「ああ、くそっ」
     床を蹴り上げると何かを一緒に蹴とばした。ただの石ころでもない感触が気になり光で照らす。見ればそれはボロボロに切り裂かれた日記帳だった。
    「……ははっ」
     乾いた笑いがこみ上げる。戯れにずたずたのそれを拾い上げて、どうにか読める頁をめくりあげていく。切り裂かれはしたものの最低限の装丁は無事に保たれており読めなくもない。千切れ飛んだ頁もそこもとに散らばっているだけで復元が可能そうだ。アマデウスは何となく落ちた頁を拾い集めて日記の中に戻していった。いくつかの頁を揃え終えた時、彼は急に違和感を感じて首を傾げた。その違和感の主は彼の手にした日記にある。切り裂かれた日記に足りない頁はいくつもある。だがそのほとんどは攻撃を受けて自然と切り離されたものだ。だが、日記をめくって確認していけば、足りない頁のうちある数枚が意図的に千切られていることに気が付く。明らかに人為的な千切れ方をしているのだ。
     千切られていたのはアマデウスが楽譜を書き込んだ頁であった。あの音に乗せてサリエリに問いかけた楽譜が千切り取られている。そしていくら探しても部屋の中にそれらしい破片一つ残っていない。おそらくは持ち去られている。それは何故だろうか。
     アマデウスは黙って日記を見下ろしていた。そしてそれを部屋の一番目立つ場所へと置いた。なぜそうしたのか自分でもよく分からないまま、彼は日記を瓦礫の上に見えるようにしておいた。何故か、と言えば一つだけ言えるとしたら、自分はもう日記を書き終えていたからだろう。交換日記はもう書いた。次は相手が書く番である。
     ふと思い立って一言だけ日記の表紙に書き添えた。にこりと笑みを浮かべ、書いた文言を読み上げる。
    「次はお前が書く番だ、サリエリ」
     アマデウスは日記を部屋に置き去りにして新たに設えられた寝室へと戻って行った。
     そしてその夜のことだ。人知れずアマデウスの部屋を訪れる者がいた。二度目の来訪にアマデウスは驚きはしなかった。そしてあまり危機感も抱かなかった。この男は日記を返しに来ただけだ。
     寝たふりをして、男の動向を探る。サリエリは日記を置いた後しばらくアマデウスの傍に立って彼を見下ろしていた。眺めたまま一向に帰る気配もない。いい加減アマデウスは彼を放って本気で寝てしまおうと自分の心音を数え始めた。自分でも驚くほど心臓の音は一定だった。
     「……アマデウス」
     音を遮るようにサリエリがアマデウスの名を呼ぶ。実際に呼びかけに答えてほしい訳でもあるまい。アマデウスはその声すらも放って本当にいつの間にか眠ってしまった。
     朝起きてアマデウスは自分の新しい部屋を確認した。部屋に壊れた様子はない。机の上を見ればやはりあの日記があった。さっそく手を伸ばして開いて見る。壊された日記は丁寧に修復した痕跡があった。自分で壊しておいて自分で直したのかと、そう思うとアマデウスは軽く笑ってしまった。
     糊で固まりスムーズにぱらぱらと開けなくなったノートを一枚一枚確認して、そして最後の頁、サリエリが新たに書いて寄越した頁を開くとアマデウスの表情が凍った。サリエリが書いて寄越したのはアマデウスが最後に作った遺作、K.626すなわちレクイエムだ。
     だが、ここに書かれているのは自分の死後、世に広く知られたあの曲ではない。あの曲は結局書ききる前に彼は死んだ。その後第三者の手によって完成されたのはサーヴァントとなってから知ったが、ここに書かれているのはそれではない。
     アマデウスが生前書いた部分から補足しているのは別の人間だ。無論、アマデウスはそれが誰だか聞くまでもなく確信していた。
     サリエリだ。サリエリがアマデウスのレクイエムの続きを書いている。あの男が無辜の怪物となった一因とも言えるこの曲をあの男が自ら望んで書いているのだ。そして、これがサリエリの返答なのだ。先にアマデウスから問いかけを託した楽譜に対しての、これがあの男の返答なのだ。
    「ははっ」
     アマデウスの肩が揺れた。始めは低く、次第に高く。弱い笑いが強い笑いへ。アマデウスは気が狂ったように笑い続けた。
    「はははははははははははははははははははははははっ!」
     あまりに可笑しくて呼吸さえ乱れる。ひぃひぃと肩を震わせて目尻にたまった涙をぬぐう。あの男はなんと愚かで、滑稽で、そしてあまりに可哀そうだ。
     アマデウスは寝台から降りて机に向かった。ペンを取って五線譜を増やす。サリエリが書いて寄越した曲に更なる”続き”を付け加えていく。それだけでなくアマデウスは曲をめちゃくちゃにしかねない破天荒さを見せた。最初の曲調から真逆のものを全て新たな音符に付け加えたのだ。
     そう、過去の自分を、その自分故に生み出された灰色の男をも全て否定するかのごとく逆向きに曲を導き始めた。
    「さあ、ここまでくればまるで別の曲だ。お前はどうするサリエリ」
     書き終えた日記は机の上に放っておいた。ここに置いておけば夜のうちにサリエリが取りにくるだろうと思ってのことだ。実際にその夜のうちに日記はなくなり、そしてすぐに返された。返された日記には新たな音符が続いていた。
     そこではアマデウスがひっくり返した曲調が、逆にひっくり返され、戻され、元通りの曲が進んでいた。
     これにアマデウスは再び大笑いした。もはやこのやり取りが楽しくてしょうがない。アマデウスは勿論すぐに机に向かい作曲仕返しを始めた。曲調は勿論レクイエムとは真逆。しかし前回のひっくり返しともまるで違う方向に真逆の曲を送る。

    ――なあ、サリエリ、僕らは。

     曲のやり取りの中でアマデウスはサリエリに対する気持ちを新たにした。あの日別離した友。親愛なる友人へアマデウスは呼び掛ける。あの日の悔恨、あの日の無関心、あの日の熱情、あの日の出会い、その全てにアマデウスは想いを馳せる。

    ――もう少し分かり合えても良かったんだ。それなのに僕らは互いが見えていなかった。僕は君に対して達観しすぎた。君は僕に対して信望しすぎた。ある意味ではお互いに多くを望み、多くを否定し、多くを壊してきた。僕らはそれゆえに誤解を招き、君は無辜の怪物に成り果てた。今ならば、君のことがよく分かる。君は誰よりも僕を知る男。僕のかけがえのない友人だったと。

     翌日も翌々日も日記の交換は行われた。間髪入れぬ楽譜の応酬にアマデウスの周囲から異様な気配が漂い、彼を囲む人々は彼に幾度となく声をかけた。もしかするとこの姿は、死に際の彼自身を彷彿とさせたのかもしれない。だが、彼は死神に魅入られたわけではなかった。むしろその逆だ。あの日の自分、あの日のサリエリ、あの瞬間の全てを否定し、新しい物へと塗り替えようとしていた。それを察したサリエリがさせまいとして曲を戻そうとするが、アマデウスは一切の容赦もなく新たな曲へと変えていった。その応酬は無限に続けられるかと思われた。これにピリオドを打ったのはサリエリのほうであった。彼はとうとうギブアップしたのだ。アマデウスが書きこめないように楽譜をフィナーレに導き一方的に応酬を打ち切ったのである。
     アマデウスはしかし、これを許さなかった。終わりに導かれた曲をも無理やり繋げて、こじ開け、新たな展開へと続けた。これを見たサリエリは悲鳴を上げたかもしれない。日を跨がずに繰り返された交換はぱったりと止まり、しばらく夜にサリエリがアマデウスの元を訪れることもなくなった。
    「なんだ、もう終わりか」
     少しだけつまらなさそうにアマデウスは呟いた。ここ数日サリエリの気配を夜に感じない日がなかったせいで、逆に寂しくもある。久しぶりの誰にも邪魔されない夜に、アマデウスは楽器へと触れた。サリエリに壊されたピアノも全てすっかり修復されている。鍵盤を叩けば変わらない音がする。
     アマデウスは演奏を始めた。曲はレクイエム、そのアレンジ。アマデウスとサリエリが連日繰り返した応酬の成果だ。躍起になって書いたせいで非常に長い曲となってしまったが、アマデウスは問題なく記憶した音をピアノに伝えていく。自分の死を伝える音が自分の生を伝える音となり、再びひっくり返されては元に戻る。なんとも奇妙な曲だ。だが、この奇妙さこそ捻じれ曲がった自分達には相応しいようにアマデウスには思えた。
    「今日は闇に乗じて来ないのかい?」
     部屋の入り口にいつの間にか人影が立っていた。振り返るまでもなく、その人影はサリエリである。アマデウスは幾度も夜に彼の訪れを迎えたせいですっかり彼の生体音を覚えていた。気難しく神経質な歩幅に、心の迷いを足したような歩き方。部屋の前にまで来て明かりの下で向き合うことを躊躇う弱さ。往生際の悪さ。全てが彼のものだ。
    「入りなよ、どうせなら連弾しよう。これは僕らの曲だ」
     その瞬間、サリエリを赤黒い炎が包み灰色の外装が彼の身を包んだ。刃を構えてアマデウスの懐めがけて飛び込んでくる彼を、アマデウスは腕を広げ笑顔で迎えた。
    「……っ!」
    「どうした、僕を殺すんじゃなかったのか?」
     アマデウスのあまりの無抵抗さを見たサリエリの動きが止まる。刃はアマデウスの心臓を貫く寸前で止められて、それ以上動かない。その姿を見かねたようにアマデウスが何気なく刃を掴もうと手を動かせば、今度はサリエリが悲鳴を上げて刃を宙へと放り捨てた。
    「サリエリ……」
    「違うっ! その名で呼ぶな」
     怯え恐れ慄き、サリエリはアマデウスから距離を取るように後ずさった。外装はみるみるうちに崩れて、覆面の下から彼の恐怖に満ちた顔が現れた。
    「我は死だ、お前を殺す者だ。サリエリを語るただの死神だ」
    「……ただの死神が僕の曲に応酬出来るものか。お前はお前だ、サリエリ」
     再び名を呼ばれて激高したサリエリが、アマデウスに掴みかかる。だがその力はあまりに弱く、彼を殺すにはとても足りない。アマデウスの首へと手が回されたが、少しの圧迫を感じるのみで何の苦痛も感じなかった。
     アマデウスはサリエリの背に腕を回して、彼を抱きしめた。腕を回した瞬間、サリエリの肩が一瞬跳ねた。だがサリエリは抵抗することなくアマデウスの腕の中に納まった。アマデウスに受け入れられて、灰色の男の姿は彼の中から見る影もなく消えてしまっていた。
    「君に僕を殺すのは無理だ。あの夜に殺せなかった以上は、これからもずっと。君が抱いた殺意は仮初のものにすぎない。だって君そもそも僕を殺した事実がない」
    「違う……」
    「違わない。何故なら僕は病で倒れたんだ。僕の死に際に君への憎しみはなかった。あの時思ったのはただ、美しい音楽の旋律だけだ」
    「違うっ!」
     急にサリエリはアマデウスの腕を振り払い彼を睨みつけた。
    「貴様は何も分かってはいない。お前は私が殺したのだ。そうでなければなない。そうであってくれ!」
    「……サリエリ」
    「黙れゴッドリープ……。それ以上何も喋るな……お前へのこの憎悪が、悪意が、熱情が、お前には分かるはずもない」
    「でも僕らは楽譜の中で語り合ったじゃないか。お前に対して僕は答えた。お前もまた僕に応えた」
    「黙れ黙れ黙れっ! ああ、至高の神よ我を憐れみたまえ!」
     急激な魔力の高ぶりにアマデウスは身構えた。しかし予想していた衝撃とは別の衝撃が彼の身体に叩きつけられた。彼の身体はサリエリによって強引に投げ飛ばされ床に倒され上から押さえつけされた。両手を床に縫い付けられ見上げた先でサリエリは涙を流していた。
     自ら縫い付けたアマデウスの手を拾い上げ、サリエリはその手の甲へと口付ける。信じられないものを見たアマデウスの目が大きく見開かれた。
    「ああ、ゴッドリープ・モーツァルト……私はお前を、……愛している」
     その言葉を聞いて、アマデウスは見えない筈の空を見上げた。ああだからこそ自分達はどうしようもなくすれ違ったのかと、分かり合えたと思った今でさえすれ違った理由を知った。サリエリは自分の感情に締め付けられたまま、耐えきれずに霊体化して消えてしまった。一人残されたアマデウスは茫然として空を見つめ続けていた。
    nemo20000smile Link Message Mute
    2018/06/13 19:39:55

    神の子と灰色の男、何故か交換日記をする

    #FGO腐 #サリアマ #腐向け #二次創作小説

    弊デア仕様注意。ご都合時空により健在のカルデアに召喚された二人がマスターのはからいにより交換日記を始める話。元々おかしかった二人の日記はある日の事件を境によりいっそうに奇妙なものへと捻れていく。設定とか深く考えず読んでください何でもしますから!

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