半サギョSSS お試しも兼ねて
「……っ、スマン」
謝って、先輩は偶然に触れた手を慌てたようにさっと引いてしまう。ついでに隣を歩いていたその距離も、少し離されてしまった。
「いえ……」と小さく答えながら、僕は内心では溜め息をつきたかった。
偶然触れた手は、偶然なんかじゃない。歩いていればいずれは手ぐらい触れるだろう距離だった。先輩も流石にそれに気づかないほど鈍感ではないだろうし、あそこまで詰めた距離をすぐには離されない意味に気づかないほど、僕だって鈍感ではないのに。
それでも、今日も何も起こらなかった。いつものように何も起こらないまま、いつものように寮まで戻ってきてしまった。
先輩の部屋の前まで来て、僕らは足を止める。
「じゃあ、また明日」
「ああ……」
最後に軽く会話を交わしてから、僕はもう少し奥にある自分の部屋へと帰るべく、先輩に背を向けて歩き出した。
「サギョウ」
そして二歩ほど歩いたところで名前を呼ばれた。振り返れば、先輩と視線ががっちりとかち合う。
琥珀色の瞳がいつになく真剣に見えて、心臓が跳ねた。
「なん、ですか?」
気恥ずかしさに目を逸らしたくなるのを必死にこらえ、僕は次の言葉を待つ。
しかし先に目を伏せて視線を外してしまったのは、先輩のほうだった。
「あ、いや……何でもない。また明日な」
「あ……はい」
逸らされた視線は結局再び交わることはなく、先輩は逃げるように自分の部屋へと戻っていってしまった。
「……いくじなし」
閉じたドアを暫く見つめたあとに思わず零れた言葉は、誰にも届かず夏の夜の静かな空気に溶けて消えた。
最後のひと押しを、僕はずっと待っているのに。
頬を撫でる風はまだまだ生ぬるい。
――この風が冷たくなるまでに、言ってくれるだろうか。