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    しおり
    翡翠の夢「爆豪勝己、君を大将に任命する」
     その言葉と共に勝己は恭しく頭を下げる。そして授与される勲章。この国最強の将であるという証。
     誇らしく思うと同時にまだ俺はこんなものではない、この程度では満足できない。そんな思いの中式典が終わった。
    「流石爆豪だな!」
    「ずっと負けなしだもんなぁ」
     同期の上鳴と切島が声をかけて来た。
    「俺らもそろそろ個性でるといいんだけど……」
     この世界には「個性」というものがある。ただ、誰にでもというものではない。
     才能と強い意思と厳しい鍛錬の末、一握りの者だけがその特殊能力を開花させる。俺はこの国最年少で個性を発現させ、そこから負け知らず。先日先代の大将を倒しついにこの国最強の将となった。
    「まぁ、精々鍛錬を怠らねぇこったな」
     聞く人が聞けば厭味ったらしいその言葉を、付き合いの長いそいつらは激励と取ったようでにやりと全員が笑って。
    「すぐ追いつくから蹴落とされんなよ」
    「誰に物言ってやがる」
     喋りながらも新しく与えられた屋敷への引っ越しを手伝ってくれていた。
     ちなみにそいつらも勝己の近侍としてこの屋敷に住むことになっている。
     この世界で将とは兵士の代わりに国を代表して戦うヒーローである。国を守り富を与え暮らしを保証する。
     たとえ将が負けたとしても国民にとっては収める国が変わるだけで生活に変わりはなく。将がいることで安全に暮らしていけるのである。
     子供たちは将に憧れ、どの国にも規模は違えど将になるための育成所が存在してる。在籍中に個性を発現できる者は稀で大抵は卒業と同時に将への道を諦め学んだことを生かし国を動かす。個性のお陰で中々に上手く世界が循環しているといっても過言ではない。卒業の年齢は個性が発現するタイムリミットのようなものでその年齢を超えて個性が発現することはない。おそらく肉体に多大な負荷がかかる個性はある一定の年齢以上で発現した場合肉体が耐えられないのではないかというのが研究の末の共通認識だ。
     また厳しい訓練と難しい勉学について行けず退学する者も多く卒業できるだけでもかなりのステータスとなっている。

     勝己は卒業まで三年を残し最年少の将となりそして二年さらに研鑽を積み大将となった。

     この国の王はよく民を治め諸国からも信頼が厚い。勝己もこの王に仕えるのは悪くないと思っている。将が王を見限って他国へ行くというのもよくあることで。良き王の元に将が集まり大国になっていく。

    「爆豪、今日君をここに呼んだのは他でもない。この国の将と戦って勝ってきて欲しい」

     この世界での戦争は兵士ではなく国の将同士が戦う。仮に将に対して兵士を出したところで一万の兵士がたった一人の将に負ける。そのくらいの戦力差がある。ゆえに各国は将を育てることに力を注ぐのである。
     謁見の間で多くの人が集まる中での事例。将同士の戦いは王の宣告により相手国に宣言される。宣言された国は将を出し勝った方の条件を負けた方が飲む。拒否は出来ない。拒否は無条件降伏となるからだ。


    「……! この国は……」
     渡された用紙を確認して王を見る。
    「そこの国から産出される純度の高い宝石はかなりの価値があるよ、まぁそれはおまけで、最近そこで大きなレアメタルの鉱山が発見されたんだ」
    「目的はそっちか」
     レアメタルはいわゆる万能金属でこの世界の発展に欠かせない。この鉱石をどれだけ確保できるかが国の強さに影響するほどだ。
    「まだ情報がそんなに出回っていないけれど、ヴィラン国が目を付けたという話が出てね」
     ヴィラン国はそんなに大きくない軍事国家だが、欲しいものは力尽くで手に入れるやや強引な国で治安もよくない。将も強力だが大変残忍でこの世界で将となれるほどの人物は大抵殺されることなく、倒された将の支配下に置かれることが多いのだがこの国の将は相手が気に入らなければその場で殺してしまう。あまり評判の良くない国だ。
     今回狙っている翡翠国はヴィラン国にほど近い。今までは宝石くらいしか価値がなく将もあまり強くないので大国に挟まれながらも独立した国であったのだけれど。
    「なるほど、国ごと保護して手に入れようってことか。了解した」
    「場所日程は追って連絡する。頼んだよ」
     その言葉に一礼して勝己は謁見の間を去る。歩きながら顔が笑う。
     最近噂でこの国に新しい将が誕生したという話を耳にした。小さい国ながら豊富に取れる貴金属を狙って中規模な国家から時々勝負を挑まれるこの国は長い間ずっと一人の将がこの国を守っていた。あまり強くないその将は勝つのではなく引き分けに持ち込むのが得意な戦いをする。引き分けの場合は現状維持がこの世界の理だ。個性が発現すれば誰でも最強になれるわけではない。中には戦いに向かない個性もある。そういう個性の者は相性のいい個性の将と相棒関係を結び、ペア、あるいはチームで戦う。だが、その国にはその将しかおらず、その将もその国を愛していたので国を離れず。また小さな国ゆえそこへ所属したいという将もおらず新たな将も誕生せず長年一人でその国を守ることとなった。その将ももうじき個性が使えなくなる年齢になっているのを知っていた。その将に変わりこの一年新しい将が国を守っていると聞いた。
     碧の光を纏い弾丸のような速さと強さで戦うその姿を、戦った者たちは「碧の弾丸」と呼んでいた。
     代替わりが珍しくいくつもの国が面白半分に戦いを挑みその全てが完膚なきまでに倒されたが、その国も将も特に何も望まず現状維持のままであった。
     ずっと興味があった。この国の将とは鍛錬で戦い飽きた。また大国故他国に無意味に宣戦布告をかけるわけにはいかず。将は私闘を禁じられている。何度か命令で戦った別の国の将には勝己の興味を引くものはいなかった。
    「やっと戦える……」
     強い相手と戦って勝つ。かつてこの国に存在したという最強の将オールマイトのように。その為に将になった。まだ見ぬ碧の弾丸に想いを馳せ勝己は嗤った。







     突き抜けるような青天。用意された舞台で勝己は対戦相手がやってくるのを待っていた。
    「お待たせしました。ブラスト」
     勝己は爆破を得意とすることから二つ名はブラストと呼ばれている。
    「そんなに待ってねぇ、開始までまだ時間あるしな」
     勝己はやってきた碧の弾丸を見る。パワー系ということから厳つい姿を想像していたのだが、それを裏切る小柄で細身の体。
     柔らかい声。軍服を身に纏い緑のモサモサと髪は手入れしているのかされていないのか絶妙な跳ね具合。そして、この国から産出される純度の高いエメラルドのような大きく美しい緑の瞳には強い意思が感じられた。おそらく同じくらいの年だろう。
    「僕、試合中継されるなんて初めてで緊張するよ」
     その顔がふにゃりと笑った。何故か心臓が激しく撥ねた。
    「ハッ、こんな田舎の国じゃなあ」
     用意された対戦場所は雄英国と翡翠国の間にある広い荒野。個性同士が激しくぶつかるにはある程度の広さと多少壊れても大丈夫な場所が必要だ。
     雄英国では魔道具によって将同士の戦いを中継し国民が娯楽としてそれを見ることが出来る。今回は特別措置で翡翠国の方にもこの戦いがリアルタイムで放送されることになっている。
    「魔道具って作るのに凄くお金がかかるからねぇ」
     自分たちの周りを飛び回っている見慣れない魔道具にびくびくとした様子を見せる碧に勝己は呆れた顔をする。
    「てめぇ、そんなんで戦えんのかよ」
     噂とかけ離れた姿にため息をつきかけたその吐息が途中で止まった。
    「確かめてみれば?」
     試合開始の時間が迫りカウントが開始された瞬間、碧の纏う空気が一瞬で変わった。
    「……っ」
     ざわりと全身が泡立つ。びりびりと空気を震わせる気迫に自然と笑みがこぼれた。
     こいつは、強い。
    「確かめ殺す!」
     開始の合図とともに同時に足を踏み出した。
     噂通り緑の光を全身からパリパリと走らせた碧が一息で勝己の目の前まで迫る。
    「SMASH!!!!!!」
     勝己はそれを軽く避けるとパンチが深く地面を抉った。
    「すっげ」
     思わず笑い空中で掌から爆破を利用し碧に殴りかかる。殴った姿勢のままだった碧は体を捻りそれを躱す。激しい爆破が起こりまた地面に大きな穴が開いた。
    「凄いね、君の個性!」
    「てめぇもな」
     視線が交わり同時に笑む。互いの個性を思い切りぶつけ合うことが出来る相手だと、同時に悟ったのだ。
    「全力で行くよ! ブラスト!」
    「来いや! それを超えて俺はもっと上に行く!」
     碧の戦いは殴りをメインとした戦いだと聞いていたのに。
    「シュートスタイル!」
     蹴りメインの攻撃に切り替えて来た。激しい乱打が続く。そして大技を出そうとしたのだろう大きく体を反らせて足に碧の光が集中するのが見えた。相当な威力だろうがモーションが大きい。当たればでかいだろうが避けるのはたやすい。そう思った瞬間シュートスタイルに切り替えてから使わなかった拳を攻撃に合わせて来た。
    「っっ! 小賢しい!」
    「シュートスタイルを見せるのは君が初めてなんだ。悪いけど色々試させてもらうよ!」
    「そんな余裕あんのかよ!」
     蹴りを爆破でいなし、鋭く切り込んで来る拳を躱しカウンターで殴りかかる。
     激しく攻防を繰り返す二人の周りの地面が削れ、もう中継は意味がないほど土煙で覆われていることだろう。
     中継は時々零れ出る碧の光と爆発くらいしかみえていないのではないだろうか。
     だが、それでいい。と勝己は思う。誰にも見せたくない。
     きっとこのシュートスタイルを見たのは自分が最初。本当に強い相手に出会った時に出すスタイルなのだろう。
     強く輝く碧の瞳と強く美しい戦闘スタイルに惹かれてやまない。

     ああ、こいつを俺の物にしたい。
     碧の全てを自分だけのものにしたい。

     戦いながら時々交わるエメラルドの瞳が楽しそうにしているのも最高だ。
     初めて他人を欲しいと思った。
    「てめぇを俺のモンにするわ」
     交わる拳と蹴りで近づいた距離でそう言えば
    「そういうのは僕にちゃんと勝ってからにしてくれる?」
     拳をもう片方の足で蹴り上げて碧は距離を取って笑った。
    「当然! そうするに決まってんだろ!」
    「負ける気ないけど!」
     二人とももうボロボロであちこち傷だらけだ。お互いこれが最後の攻撃になるのが判った。碧は纏う光をより強くそして足に力を籠める。勝己も両掌に力を込めた。
    「絶対勝つ!!」
    「死ねぇ!!」
     オレンジと緑の激しい光が交錯し、激しい土煙が収まった先には碧を抑え込む勝己の姿が映し出されていた。

     勝者ブラスト!!!

     魔道具から声が響き、組み伏せた碧が悔しそうな眼を勝己に向けて来た。
     最高に滾った。
     たった今からこれは俺の物だ。

     悔しそうに顔をしかめた碧は限界だったのだろう。やがて吸い込まれるように意識を失った。

     勝己が起き上がり遠く控えていた従者たちが駆け寄ってくる。当然碧の従者も。
    「触るな! たった今からそいつは俺のモンだ」
     抱き起そうとしている碧の従者を退かし碧を担ぎ上げる。碧の従者は抗議をしようとしたが睨みつける勝己にそれを飲み込んだ。勝った将が世界の正義。それがこの世界の掟だ。逆らえない。心配そうに碧を見ている。余程慕われていたのだろう立ち去る背中に悲痛な視線が突き刺さる。
    「別に取って食ったりはしねぇ。殺しもしねぇわ」
     そういえばようやく視線は緩まったが結局視界の外に行くまでその視線が外れることはなかった。

    「おい、すげぇ怪我だな。お前がそんなにボロボロになるなんて碧の弾丸すげぇ」
    「寄越せよ。持ってやるって」
     従者となった切島と上鳴が寄ってきたがそれを手で制する。
    「触ンな。これは俺のモンだ」
    「え、マジか爆豪」
    「でも傷に響くだろ」
    「余裕だわ、舐めんな」
     結局意識を失った碧を一瞬たりとも手放さず国に凱旋した。本来は面倒くさい凱旋パレードがあったりするのだが今回は大怪我ということでそれもなくなり勝己は移動中の車内で自分と碧の応急処置を施しながら上機嫌だった。誰にも触れさせることなく碧の手当は服の上から処置をして早々に城の一角にある部屋に引きこもる。
     一応、暴れても大丈夫なようにと個性を封じる城の牢に碧を連れ込んだ。
     牢といっても将が入ることが前提となっている部屋は広く家具などの設備が充実していて一見牢には見えない。
     ただし風呂はむき出しで部屋のどこからも見え、トイレだけかろうじて衝立があるような監禁部屋だ。
     上手く急所を避けて躱していたのが傷のつき方でわかる。やはり洗練された体捌きをしていたと改めて思う。ようやく自分以外の人の目がなくなり碧の軍服のコートを脱がせまずは見えていなかった部分を消毒していると痛みからか碧が起きた。
    「いたっ!」
    「暴れんな。一応暴れられんように腕と足拘束した。外すかどうかはてめぇの態度次第だ」
    「別に、暴れる気はないけど。ここどこ?」
    「雄英国の城」
    「なるほど」
     体を動かすと重い音を立てて鎖が動いた。
    「僕をあの国に戻してくれる……ってことは」
    「ねぇな、おい、逃げんな。治療ができねぇ」
    「いいよ、自分でする」
    「そんな手でできっかよ、いいから来い!」
     両手を鎖で繋がれた手枷で固定され、足には重い足輪。この程度で完全に動きは封じられないだろうが行動は制限される。
    「外してくれれば自分でやるってば」
    「じゃあ俺のモンになるって誓え」
    「……」
    「あの国に何か未練でもあんのかよ」
    「……」
     今度はだんまり。
    「まぁ、もうあの国は雄英国の一部になった。てめぇが守らなきゃなんねぇもんはあそこにはねぇ」
     碧が負けたことであの国は雄英国となり統治はこの国の王がすることになる。王たちは領主という形で残るが決定権を持てない。
    「……」
     いつまで経っても口を開かない碧に業を煮やしとりあえず治療だけでも進めようと強引に服を剥ごうと手を伸ばした瞬間。

    『爆豪悪い。ちょっと……』
     通信が入り呼び出しをされた。相手は王らしいので無視はできない。
    「チッ。戻るまでによく考えておけ」
     勝己はしっかり鍵をかけ部屋を出て行く。この部屋の鍵は大将にしか持てない特別なもので勝己にしか開けられない。
    「家の方にも作らせるか……俺のモンになるって頷かせるかだな」
     碧をここに置くなら通わなくてはいけない。




    「そっか、もうあの国には戻れないのか」
     ドアが閉まり鍵がかかる音を聞き碧は悲し気に呟く。
    「僕は守れなかったんだな」
     瞬きをするとぽつりと手の上に水滴が落ち、涙が零れたことが分かった。
    「……泣き虫、治さなきゃ」
     涙を拭おうと腕をあげる。
    「痛っ」
     体中あちこち痛い。そして黒いコートを着ていたから気づかなかったけれど思った以上にあちこちに傷があり血が滲んでいる。
     幸いブラストが置いて行った治療道具はそのままで傷の処置くらいは自分で出来るけれど。
     碧は自分の体を見下ろす。あの戦いのままここに連れてこられたのだろう。
     体中土埃と滲んだ血で汚れており髪も埃だらけだ。あちこち殴られた傷も痛むしこのまま治療するのは不衛生だ。
    「こんなに豪華なのに何でお風呂むき出しなわけ? しかも内側からも鍵がないと閉められないとか。まぁ監禁部屋ってこういうものか」
     自国にはこんな部屋はなかった。これらの設備を作るのには物凄くお金がかかるのだと王が苦笑しながら言っていたことを思い出す。
     自由にならない両手に苦労しながら服を脱いでシャワーを捻って温度を確認し頭から被る。
    「痛っ」
     傷に染みるが仕方ない。
     備え付けのソープなどは新品の高級品だ。
    「本当にお金あるなぁ、この国は……」
     豊かな大国だとは聞いていたが調度品の端々から余裕が感じられる。
     柔らかい香りのするそれを手に取って全身を洗いシャワーで洗い流す。湯船に直接シャワーが注いでいるので浸かることはできないのが残念だ。最もゆっくりしている余裕はない。戻ってくるまでに着替えて自分で怪我を治療しなくてはいけない。
     ようやく一通り洗い終えシャワーを止めてバスタオルを掴んだ瞬間、ガチャリと部屋のドアが開いた。
    「チッ、しょうもねぇことで呼び出しやがって。なんだ、風呂か。丁度いい治療してやっからこっち来い」
    「……!!」
     慌てて体を隠し首を横に振る。
    「あ? 別に恥ずかしかねぇだろ、治療するだけだ」
     ずかずかと歩いてくるブラストにバスタオルで体を隠し湯船の中を逃げてみるがあっと言う間に捕まった。
    「手間かけさせてんじゃねぇ、さっさと治療させやが……っ!?」
     勢いよく引っ張り上げられバスタオルが落ちた。
     はらりと裸がブラストの前に晒される。ブラストが驚いた顔で視線を下から上へと移動させ目が合う。
    「お前……女、だったのか」
     片腕は痛くて上がらないので体を隠せずブラストはいつまでも不躾に視線を逸らさない。そろそろ羞恥より腹立たしさが上回る。
    「そうだよ! いつまで見てるんだ! 変態!」
     掴まれている腕に反動をつけて重りのついている足で蹴り上げた。
    「ハッ、足癖悪ぃな」
     個性も使えないので鈍いそれは簡単にブラストに掴まれてベッドに投げ落とされた。
     圧し掛かってくるブラストに恐怖しか感じない。慌ててベッドをずり上がるが抑えつけられ悔しくて仕方がないがこれから身に起こるかもしれないことを思ってぎゅっと強く目を閉じた。
    「何もしねぇつってんだろ。いいから治療させろ。アホか、血が流れすぎだろ」
     思ったより優しい声がしてうっすら目を開けてそちらに目を向ければ。
     暴れたせいで傷口が開いたのか掴まれた腕からは血が流れ落ちていた。ブラストはその手を恭しく取って大切なもののように血を舐め取り救急箱を取った。
    「てめぇ、名前は?」
     言いながら清潔なシーツで碧の体を覆ってくれるので小さく息をつく。
    「緑谷出久」
    「いずく? どんな字書くんだ」
    「出るに久しい」
    「そうか、俺は爆豪勝己」
    「へー格好いい名前だね」
     素直な感想を言えば治療する手が止まりじっとこちらを見つめて来る。
    「何?」
    「何で男の格好してんだ」
    「将はああいう服が決まりだろ? あと長い髪は戦うのに邪魔。胸はないだけだほっといて」
     昔長かった髪は将になるために短く切り揃えた。胸も成長期に大きくなって来たそれは戦うのに邪魔だったのでずっとコルセットで潰してきたから今胸にあるのは貧相なものでしかないが、これは将になるために必要だったこと。誇らしいことはあっても恥ずかしいとは思わない。軍服は国から将への支給品で型は違えどどの国の将も似たような服を着ているいわゆる正装だ。
     将のプロフィールは一応極秘扱いで国外には出ないので他国では知られていないが自国では女であることは周知の事実である。特に意図して隠しているわけではない。ただ、女だと知られると侮られることも多いのでわざわざ知らせることもないと思っている。
     手当が終わりブラストが丁寧な手つきで服を着せてくれる。下着はさすがに替えがなかったので諦めたし、仮にあっても男に着せてもらうのは遠慮したい。
    「しっかり怪我治せや。後今後も治療は俺がするから諦めろ。欲しいもんがあるなら言え、用意はしてやる」
    「あ、うん。ありがとう?」
     しっかり治療され汚れた布団を剥ぎ取り新しいものに変えブラストは部屋を出て行った。
    「暴君っぽかったのに意外とイイ人?」
     飲まされた痛み止めの薬湯に睡眠鎮静作用でもあったのだろう静かに訪れた眠気に逆らえず碧は目を閉じた。







    「女だったんか……」
     目に焼き付くしなやかな肉体。程よく筋肉が乗り形のいい大きな尻と大きくくびれた腰、大きさはないが綺麗な形の小さな胸は情欲をそそるに充分な肢体だ。
     押し倒した時はそのまま犯してしまおうかと思うくらい好みではあったが流れ出る血を見て手を止めた。
     欲しいのは体だけではない。緑谷出久の全てが欲しい。
    「緑谷出久……いずく」
     いずく、いずくと脳内で覚えのある名前を繰り返していると。不意に昔の記憶が蘇る。
     大きな山から流れる小さな滝の前にある原っぱでシロツメクサの冠を作ってやった初恋の相手。
     緑の長い髪を揺らし喜ぶ少女。どうしても花冠が作れないと泣くその少女に冠と指輪を作って渡してやったものだ。
     彼女をずっとデクと呼んでいたけれど。
    「いずく……ってデクじゃねぇか!」
     ようやく自分の初恋の少女と先ほどの将が=(イコール)で結ばれる。
    「おい! こいつを頼む!」
    「あ、はい」
     歩いていたメイドにリネンを押し付け再び部屋へ駆け戻る。
     宝石商をしている両親について翡翠国に何度かついて行った。大きな屋敷で商談中にいつも遊んだ少女がいた。
     勝己はその少女に淡い恋心を抱いていたのだが、将になるため勉学や鍛錬に励むうちその記憶は遠い片隅へと追いやられていた。
    「そうだ、デクだ。デクじゃねぇか!」
     一つ思い出せば溢れるように思い出す。扉の前に来て鍵を取り出すが上手く穴に入らない。
    「ああ、クソッ!」
     ようやく鍵を開けて中に入って。
    「デク! ……寝てんのか」
     駆け寄ってみれば薬湯を飲ませたせいで気持ちよさそうに眠っている。
     頬を撫で髪をかき上げれば懐かしい面影が見えて自然と笑みが零れた。
    「やっぱデクだ」
     間違いない。
    「お前は俺を覚えてんのか?」

     早く起きろ。またあの綺麗な目で俺を見ろ。

     ベッドに座り飽きることなく髪を頬を撫で続けた。









     さわりさわりと気持ちいい手が髪を頬を撫でる。優しい手だ。
    「おか……さん?」
     こんな風に自分を撫でるのは母以外にいない。
    「お母さんじゃねぇ」
     不意に聞こえた低い声に飛び起きて。
    「痛っっ!」
    「バカが、急に起きたらそりゃ痛ぇに決まってんだろバカデク」
    「バカって何だよ、びっくりしたら誰でも飛び起きるに決まってるだろ!」
     丁寧に寝かされ布団を整える手の先にはブラストの姿。
    「え、ブラストずっとここにいたの?」
     嵌め殺しの窓の外はとっくに暮れている。
    「何だよ、いちゃ悪ぃんか」
     拗ねたような物言いに意表を突かれ言葉に詰まった。
    「あ、えと……別に」
    「あとブラストって呼ぶな。名前教えただろ」
    「爆豪さん?」
    「あ? ナメてんのか」
    「え、じゃーえー……」
     名前で呼ぶのは躊躇われてブラストの顔を見ていると、にやりと意地の悪い笑い方をしたので思わず身構える。
    「昔はちゃんと呼んでただろ? デク?」
    「!!」
     デク、と自分を呼ぶのはこの世界で一人しかいないはず。相手のフルネームはすっかり忘れてしまっていたけれどあだ名は覚えている。
    「か、かっちゃん、なの?」
    「おう」
    「え、ほんとに!? ブラストがかっちゃん!?」
    「だからそう言ってんだろうがクソデク」
    「うわー懐かしいその呼び方! よくそうやって罵られたよねぇ」
    「罵ってねぇわ。てめぇがどんくせからだろ」
    「うん、暴君変わってないね。うわー懐かしい。全然気づかなかったよ。かっちゃんはいつから気付いてたの?」
    「最初から」
    「え、嘘!」
    「嘘、さっき思い出した」
    「あ、酷い騙した!」
     他人行儀が嘘のように懐かしいやりとりが続く。
    「そっかーかっちゃんはこの国で大将になったんだねぇ、有言実行だ」
     小さい頃から会うたびに一番強い将になると豪語していた。
    「てめぇもなってるとは思わなかった」
     短くなった髪を勝己の指が梳くように撫でる。どんさくて泣き虫で、誰かと戦うことなど想像もつかなかった。けれども出久にはどうしても守りたいものがあった。
    「どうしてもね、守りたかったんだ」
    「何をだ」
    「君と会ってた場所……」
     あの場所はレアメタルが取れる鉱山への入口。出久が大事にしていた場所だからこそ国王兼将である父はレアメタルの産出をずっと隠し国を守っていた。実際宝石だけでも充分国は潤っていたし大量のレアメタルは世界の混乱を招きやすい。もしレアメタルの鉱山が他国に知れて戦に負けてしまえば出久が大切にしているあの場所を切り崩してレアメタルを掘り出すだろう。
     出久にとって勝己との思い出の場所は何にも代えられないほど大切なものだった。戦う道を選んだとしても。
    「ってことは何か、てめぇはあの国の姫ってことか?」
    「まぁ、そういうことになるけど実際あの国は小さな町みたいなもので王っていうのは便宜上で町長程度のものだから」
     山に囲まれた小さな山村。国とは言っているが規模としては町寄りの村だ。
    「でもこれでもうあの場所もなくなっちゃう」
    「……ンなに大事な場所だったんかよ」
    「……君と、逢った場所だったから……」
     出久にとって勝己は初恋の相手。そして叶わぬ相手でもあった。出久はあの国から出る気はなかったし勝己は一番大きな国で将になると言っていたからもう会うことはないと思っていた。いつかこの恋心が消えてしまうまで、他の誰かを好きになるまであの場所を大切に守りたかった。結局この年になっても持ち続けついに将となるまでになってしまったけれど。
    「……」
    「でももういいんだ……。だって……」
     出久は勝己に手を伸ばす。
    「あの場所で想い出を抱えていなくても、君がここにいる」
     もう会えないと思っていたから、せめてあの場所くらいは大事にしようと頑張ってもう戦えなくなる父の代わりに将になる努力をした。成長した姿を間近で見られた。それだけで出久は充分だと思った。
     小さな国では教育も施設の環境もあまりよくなく、必死の努力を積み重ねかなりぎりぎりの年齢になってようやく個性を発現させ将となり短い間であったが守ることが出来た。
    「君が仕える王様ならきっとよくしてくださるはずだ」
    「まぁな。あの王は食えねぇが信用は出来る」
     あの場所はなくなってしまったとしても、掘り出したレアメタルは人々の為有意義に使われるだろう。ならばいいと出久は思う。
    「かっちゃんが言うなら大丈夫だね」
    「つーか、てめぇそんなに俺の事好きだったんかよ」
    「え、うん」
     成長した勝己は想像以上に強く逞しく格好いい。本当にこの目で見られてよかった。忘れないようにしっかり焼き付けておこう。こんな機会はもうないだろうと思うから。
     満更でもない顔をした勝己の目が優しく笑うのを零れ落ちそうな涙を我慢して見上げた。
    「そーかよ」
    「うん」
     見つめ合ったまま静かに時間が流れる。






     じっと大きなエメラルドの瞳が自分を見つめる。真っ直ぐ逸らさず憧れと恋情を乗せて。
     個性が発現した時、大将に勝った時、どれとも違う喜びが体を駆け巡った。
     戦うことでついてしまった傷が残る出久の腕を引き寄せ細い体を抱きしめる。軍服は体系が判りにくい。思った以上に細い。
    「デク」
    「なぁに?」
    「もうてめぇはもう戦うな」
    「え、やだ」
    「はぁ!? もう目的も果たしたしてめぇが戦う理由はねぇだろ!」
    「折角将になったんだからもっと皆の役に立ちたい! そりゃ動機はアレだけど今は皆を助ける将でいることが僕の目標でもあるんだから!」
    「将なんてあぶねぇだろ! 体傷だらけじゃねぇか!」
    「これは将になってからじゃなくて将になるためについたものだし! なってからは君以外に傷付けられてない!」
     そりゃ確かに強ぇけど……。絶対意志は曲げないという出久の様子にそう言えばこいつは言い出したら聞かない頑固者であったことを思い出す。
    「はぁ……、判った。じゃー俺の相棒になれ」
    「ブラストの!? いいの!? それは凄く嬉しい!」
    「てめぇはブラストって呼ぶなつってんだろ」
    「えー僕ブラストのファンだったんだからしょうがないだろ」
     そう言ってブラストの噂をノンストップで喋り出す。嬉しいが、はっきり言って。
    「うるせぇ!」
     怒鳴っても止まらないそれを引き寄せ唇を塞ぐことで物理的に遮った。
    「……かっちゃん?」
    「しばらくは相棒として傍にいろ。時期が来たら嫁にしてやる」
    「誰を?」
    「てめぇを」
    「なんで!? もっと綺麗なお嫁さん貰いなよ!」
     真顔で言われて死ぬほど腹が立つ。
    「俺は! てめぇが! いいんだよ! わかれや!」
    「え? かっちゃんもしかして僕の事好きなの?」
    「好きでもねぇ相手を誰にも触らせずに監禁してどうやって手に入れるか外堀から囲い込んでこの際男でもいいから既成事実作って俺のモンにするか画策したりしねぇ!」
    「かっちゃん若干犯罪臭がする」
     ドン引きすんなコラ。てめぇ以外にゃやらねぇわ。
    「うるせぇ、てめぇは黙って俺のモンになっときゃいいんだよ。判ったかクソデク」
     もう一度深く唇を合わせて離れれば、やっと静かに体を預けてきて。
    「へへへ、なんか夢みたいだ」
    「夢じゃねぇわ。てめ、さっさと怪我治せ」
    「え、無理だよ。そういう個性じゃないもん」
    「いいから治せ。治ったらもう一回手合わせと……」
    「かっちゃんと手合わせ!! する! したい! 今しよう!」
    「バカが、満身創痍が何言ってやがる。あと今手合わせ出来るんならその前にセックスすんぞ!?」
    「!? 誰が!?」
    「俺と、てめぇが、今ココで」
     ばさりと布団に押し倒されシーツの中を探られ素肌の腹を勝己の手が撫でる。
    「無理、怪我人。マダムリデス。手合わせも、ムリデス」
    「チッ」
     あっさり降参した出久に分かっていたように勝己が退く。そして腕についた手枷に鍵を差し込んだ。
    「もう俺のモンになるからこんなものはいらねぇよな」
    「うん」
     がちゃりと重い音を立てて手枷がベッドの下に落とされ同じように足輪も取って投げ捨てる。
    「すぐに別のてめぇを縛るもんくれてやる」
     ぽかんと訳が分からないという顔の出久の左手を引き寄せて。
    「ここにな。それまでこれで我慢しとけ」
    「痛っっ! ちょ!」
    「てめぇもつけたかったらつけていいぞ」
     見せつけるように左手の薬指の根元には血の滲む勝己の歯形か残され指輪のようになっていた。
     少しためらう様子の出久の口に強引に左手の薬指を突っ込んで。
    「おら、噛め」
     悪戯するように舌を指で弄ぶ。
    「噛まねぇと、エロいことするぞ」
     言った瞬間指の根元に激痛が走った。
    「いってぇ!! てめ! 加減ってものを知れ!!」
    「だって! かっちゃんが変なこと言うから!!」
    「ぶっちゃけ指しゃぶるてめぇのツラがエロ過ぎて勃った」
    「君だって怪我人でしょ! 僕だって全力で蹴って殴ったのに何でそんな元気なの」
    「目の前にご馳走がありゃ元気にもなるが、まぁ今日のところはこのくらいで勘弁しといてやる」
    「何で入ってくるの!?」
    「ここで寝るからに決まってんだろ」
    「ちょ……! 寝れない! 無理!」
     暴れる出久を抑え込んで腕の中に閉じ込めてよしよしと頭を撫でていれば、気づけば寝息が聞こえてきて。
    「秒で寝落ちじゃねぇか」
     幼さの残る寝顔はかつての記憶と重なって。
    「デク……」
     愛しさを思い出させた。
     

     その日二人のみた夢は、あの小さな滝が流れる原っぱでシロツメクサの冠を被って結婚式の真似事をしていた夢だった。




     美味しそうな匂いに釣られて目が覚めた。
    「飯、食えるか?」
     言われた瞬間お腹が音を立てて鳴り思わずお腹を押さえた。
    「くっ、はらへりみてぇだな」
    「わ、笑わないでよ」
     昨日の夜から何も食べていないのだ仕方がない。
    「ほらよ、零すなよ?」
     どこから運んできたのかワゴンには美味しそうな食事がたくさん並んでいて、思わず唾を飲み込む。
     パンとスープとスクランブルエッグに厚切りのベーコン。ベッドの上に置いてくれた簡易テーブルに次々と並べられて。
    「食べていいの?」
    「おう」
    「かっちゃんは?」
    「もう食って来た」
    「そっか……」
    「何だ、一緒に食いたかったのかよ」
    「え……うん」
     そう素直に頷けば頭を撫でられた。
    「悪い、俺も減ってて」
    「あ、そっか。待たせちゃうもんね」
     同じ時間に眠ったのだ勝己が一体何時に起きたのか分からないけれどこれを用意するだけでも結構な時間が経ったはずだ。
    「昼は一緒にな」
    「うん!」
     食えと促され、ふわふわのスクランブルエッグをフォークで掬う。
    「ん~~……美味しい!」
    「うちの城のシェフは腕がいいんだ」
     ベーコンも自家製なのだろう、齧ると肉汁が口に溢れ柔らかく噛み切れた。
    「いっぱい食え」
     勝己はベッドの横に持ってきた椅子に座りながら甲斐甲斐しく給仕をしてくれる。
    「ブラストにご飯用意してもらってるとか贅沢すぎるね」
    「ブラストって呼ぶなつってんだろ」
     紅茶を淹れてくれながら不機嫌そうな顔をする。
    「何でブラスト嫌なの? 格好いいのに」
     お腹いっぱい食べて満足したのを見計らった勝己が皿を下げ、代わりに今淹れた紅茶を出してくれる。
    「恋人にはな、名前で呼ばれてぇ」
    「!!」
    「特にてめぇには、てめぇが付けてくれたあだ名で呼んで欲しい」
     色っぽい仕草で顎を撫でられ顔を覗き込まれた。
    「……」
    「真っ赤」
    「だ、誰のせい!」
    「俺だな。俺以外にンなツラ見せんじゃねぇぞ?」
    「君以外、僕にこんなことしないよ!!」
    「されてもすんなよ?」
    「しないよ! 僕は……」
     淹れてもらった紅茶を一口飲んで。
    「……君が、好きなんだから」
     そう小さく言えばカップをソーサーに戻した絶妙なタイミングで抱きしめられた。
    「俺もだ、デク……」
     朝の爽やかな雰囲気が一瞬で甘くなる。降りて来た唇を拒むこともなく朝に似つかわしくない濡れた音が部屋に響く。
     服の中に勝己が手を入れて……。
    「い、痛いっ……」
    「チッ、やっぱ治るまでお預けか」
     渋々勝己の手が引いていく。骨折などはしていないけれど昨日の戦争で怪我と打撲だらけだ。一晩経った体はおそらく服と包帯の下は酷い色合いになっていることだろう。
    「……えと、ごめんね?」
    「まぁ、俺が付けた傷だしな」
     そう言いながらテーブルを片付け今度は治療道具を取り出した。
    「湿布と包帯替えんぞ」
    「僕自分で出来るよ?」
     将になるための勉強の中には医術も当然あって専門的なことは無理だが大怪我以外は自分で対処できるのだが。
    「俺がやりてぇんだよ」
     まるで懇願されるように言われてしまうと拒めない。
    「うん、じゃあお願い……します」
     そう言って治療のために服をはだけた。
     丁寧な手つきで湿布を張り替え、薬を塗りまた包帯をして化膿止めの薬を飲む。打撃を受けた場所はやはり酷い色になっていて勝己と出久はその痕を見て二人で顔を顰める。
    「結構凄い色だね」
    「まぁ、手加減しなかったしな。久々に本気で戦える相手で興奮しちまった」
     痛いかと優しく撫でられ、痛くないと言えば嘘になるけど。
    「君が本気で戦ってくれて嬉しい」
    「マジ滾った。怪我治ったら手合わせ楽しみにしてる」
    「うん! 僕も!」
     包帯を撫でる勝己の手に自分の手を重ね微笑む。憧れたブラストに本気で戦ってもらえたなんて光栄以外何物でもない。
     勝己は出久を優しく抱きしめ布団に寝かせる。
    「少し寝てろ」
     掛け布団をかけ軽く叩く勝己の手を摑まえる。
    「かっちゃんは?」
    「これ置いてきたら俺も寝る。俺も療養中だ」
     ワゴンを指さしきっちり着ている軍服の前を開けてみせると、おそらく普段はきっちりシャツを着こんでいるだろう中身はラフな服だった。外を歩くので形だけ整えた様子。
    「君の手当は?」
    「もうとっくにした」
    「ずるい……」
     そう言えば、宥めるように頭を撫でられて。
    「すぐ戻る」
     額にキスをして部屋を出て行く。

     しばらく勝己が出て行った扉を見つめて。改めて勝己にされたことを思い出し出久はベッドの上を恥ずかしさで悶え転がった。

    「ブラストが恋人でかっちゃんで……ちゅーいっぱいしちゃったし一緒に寝ちゃったし、これは夢? 夢なの??」
    「おい、転がんな。あと下着持ってきてやった」
    「ふぎゃー! おかえり!?! いつからそこにぃぃぃ!」
     今さっき出て行ったばっかりなのでは!?
    「てめぇが悶え転がり始めた辺りからだわ」
    「最初からぁぁぁ!」
    「いや、外に従者が居て渡すだけだしな」
    「そういうのは先に言ってよ!!」
     出久の絶叫は防音が施されたこの部屋の外に聞こえることはなかった。






     監禁部屋に寝泊まりしてそろそろ一週間。傷も治って来つつある。
     包帯を巻く出久の腕の痣は大分薄くなり傷口も塞がってきている。
    「そろそろ筋トレとかしたいなぁ」
     だめ? と上目遣いで見上げて来る出久にダメだと即答できる奴がいたら見てみたい。いや、この顔は俺だけのものだ。
    「ここに器具持ってくるのめんどくせぇからな、俺の屋敷に移るか?」
    「いいの?」
    「イイも悪いもねぇ。それ以外の場所に住まわせる気はねぇよ。俺の相棒になんだろ?」
    「うん!」
     その日のうちに部屋を移る。久しぶりに軍服を着る出久に改めて惚れ直す。
    「……なに?」
     じっと見つめていたら視線を感じたのかこちらを見上げる。
    「その格好も悪くねぇなと思って」
    「かっちゃんもそれ凄く格好いいよね。初めて見た時ちょっと見惚れちゃった」
     そう言って顔を赤らめる出久は最高に可愛い。よく再会するまでこんなに可愛い存在を忘れていたものだ。それでも再会できたのだから運命も中々捨てたものではない。
    「さ、行くぞ。うちの従者も紹介したるわ」
    「従者……」
     歩きながらそんな話をしていると珍しい軍服だからだろう。出久はよく人の視線を集めたが、背筋を伸ばし真っ直ぐ前を向くその横顔は凛として綺麗だった。
    「ねぇ、僕の従者どうなった?」
    「俺がてめぇを運ぶときに視線で殺す勢いで睨んできてたぞ」
    「あははは……まぁ、麗日さんなら、そうかも」
    「あとメガネの方もな」
    「飯田君もかぁ、僕には過ぎた素敵な人たちだったなぁ。またどこかで会えるかな……」
     寂し気に呟く出久に。
    「呼び寄せればいいんじゃね?」
    「いいの? でも……迷惑じゃないかな?」
     不安げに見上げて来る出久の頭を撫でる。
    「間違いなくすっ飛んで来るだろ」
     あの従者たちは間違いなくもう仕えるべき主人を決めていた。その意志が覆ることがないのはあの強い視線で充分伝わってきた。彼らは出久の味方になり出久を守るだろう。
    「書簡、書いてみる」
    「おう」
     そんな話をしながら屋敷の前に立つと扉が内側から開いた。
    「お帰り爆豪と、碧の弾丸」
    「いらっしゃい」
    「まぁ、入れよ」
     切島と上鳴、瀬呂が中へ促す。
    「こっち側からクソ髪、アホ面、しょうゆ顔だ」
    「名前教えてよ!!」
     いい加減な紹介に思わず出久が突っ込む。
    「俺が切島」
    「俺上鳴!」
    「俺は瀬呂な?」
    「うん、切島君と上鳴君と瀬呂君だね。覚えた。僕は緑谷出久。今日からお世話になります」
     頭を下げる出久に。
    「礼儀正しい」
    「可愛い」
    「爆豪見習った方がいいんじゃね?」
    「うるせぇな! 後デクは俺の相棒でいずれ嫁になるからそのつもりで」
     そう言えば三人はあんぐり口を開けた。
    「相棒はともかく嫁?」
    「嫁? 男? だよな?」
    「いや……」
     首を傾げる切島と上鳴を他所に出久に一歩近づくと瀬呂はじっと出久を見下ろす。
    「女、か?」
    「うん、正解。別に隠してるわけじゃないけど女だって知られてると変に侮られることもあるから聞かれない限り答えない。聞かれれば否定しないけど」
    「そうか、緑谷、でいいんだよな?」
    「うん、そう呼んでよ。瀬呂君」
    「まじかー女の子が爆豪と互角に戦ったのかぁ」
    「すっげー、なぁなぁ今度俺とも手合わせしてくれよ!」
    「あ、俺も! 俺も!」
    「うん! 是非!」
     出久を囲んでわいわいしているところに入り込んで出久を引っ張り出して腕の中に入れる。
    「いいか? こいつは俺んだ。手ぇ出したらぶっ殺す」
     そう言って牽制すれば。
    「爆豪マジ本気なんだな。お前女に全く興味なかったじゃん。一瞬男に走ったのかと思っちまった」
     よし、アホ面は後で爆破したる。
    「え!? そうなの? かっちゃんモテモテなのかと思った」
    「おーすっげぇモテてるぞ? 本人全くその気がなくて誰とも付き合ってねぇけどな」
    「そうそう」
     チッ、こいつらは付き合いが長すぎてダメだ。余計なことまで喋りやがる。
    「いつまで立ち話させんだよ。俺もデクも病み上がりだぞ」
     これ以上デクに余計なことを吹き込まないよう話題を強引に変えた。
    「え、もう大丈夫……」
    「黙ってろ」
    「わぁ!」
     出久を抱き上げて屋敷に入っていく。
     その後ろ姿をぽかんとした顔で見送った三人は廊下の奥に消える勝己の姿に慌てて後を追いかけたのだった。

     



     出久に一部屋与え、本当は同じ寝室で寝たかったのだが拒否されたので勝己の寝室の隣の部屋を出久に宛がい扉で急遽つなげた。扉に鍵はかからないが出久が文句を言わないのをいいことにそのままに。執務室は勿論一緒で出久用の机も早々に運び入れて概ね順調に生活に馴染んだ。
     愛想も人当たりもいい出久はすぐに屋敷の使用人たちとも打ち解けた。
     ほんの数日で屋敷の主である勝己よりも馴染んだのではないだろうか。出久を探しに出るとあちこちで楽しそうに会話をしているのを見かけ、その度に何度出久を連れ戻したか分からない。


     そうしてさらに数日過ごしようやく湿布も取れ、傷も塞がってきた頃出久を相棒として登録するために国に書類を出しにいくことにした。ついでに城内を案内する。

    「で、ここが食堂。丁度いい時間だから飯にすっか。あそこで飯を受取る。俺の席はここだからここで食え」
    「かっちゃんは?」
    「こいつを出しに行って来る。すぐ戻るから大人しく食ってろ」
     昼飯の後になると処理が後回しになってしまうので今のうちに出さなくてはいけない。出久の頭をするりと撫でると出久は促されるように受け取り口に向かい食事を受取って大丈夫だと言う様に微笑んだ。勝己はそれに笑みを返し食堂を後にした。






    「うわ! 美味しい! すっご!」
     一口食べてわかる美味しさ。出久は頬を緩ませる。これは多分あの最初の朝食の味だ。かっちゃんここで作ってもらいに来てたんだ。
     屋敷の料理も美味しいけどここのはまた格別に美味しい。
     後でお礼を言いに行こう。
     そう思って上機嫌で食事を進めていたが……。
    『視線が煩い……』
     徐々に眉間に皺が寄っていく。
     一国の将となり戦をするたびに感じるこの手の視線は正直鬱陶しいが自分が屈強な体や迫力のある顔でないことは充分承知しているので目くじらを立てる必要はない。
     ようは実力を示せばいいだけだ。毎回それでこの視線ごと相手を叩きのめしてきた。
     いつか演習を開いてもらおうと思っているとひそひそ話す声が大胆に大きくなっていく。
    「アレが噂の……」
    「碧の弾丸じゃないのか?」
    「え? 嘘だろ? あんな可愛いわけないだろ」
    「大将の相棒になったって話だぞ」
    「あの大将のか!」
    「あの顔で堕としたんじゃないのか?」

     煩いな、そんなわけないだろ。大体あのブラストが色仕掛けなんかで落ちるかよ。

     思わず脳内の言葉が汚くなってしまう。


    「実は大将もそんなに強くねぇんじゃね? 俺に個性が出たら勝てそう」
     嗤う士官候補生を一瞥する。自分の事はともかくブラストをバカにされるのは我慢ならない。
    「……」
     出久は静かに立ち上がり食べ終った食器を返却口に戻し、その足でテーブルの間をゆっくり歩いていく。背筋を伸ばし視線を先ほどの士官候補生に定めただ真っ直ぐ。元々注目されていたがその堂々とした立ち振る舞いに食事中のものたちが手を止めその行動を見守る。
     コツコツと石床を歩く出久の足音だけが賑やかだった食堂に響き。

    「ねぇ、君?」

     先ほどの士官候補生が食事をしているテーブルにしなやかに乗りあがって顔を覗き込む。
    「君に個性が出たらブラストに勝てるって? 随分強気じゃない?」
     色っぽく人差し指で逸らそうとした士官候補生の顔を上げさせ目を合わせる。
     深いエメラルドの瞳が挑戦的に士官候補生を見つめた。
    「実技は一番だ。個性が出たら絶対負けない」
     ごくりと唾をのんだ士官候補生はそれでも出久を真っ直ぐ見つめてそう言った。
    「へぇ、根性あるんだね。嫌いじゃないよ?」
     うっとりと笑う碧に目を奪われる。
    「じゃあさ……」
     顎を上げさせている人差し指をするするとゆっくり、首、胸へ色っぽく滑らせていく。
    「まず僕で試してみる? 君の力がブラストに通じるか。この僕が……」
     体を倒しコートを挑発的に片手で開く。
    「顔と体でブラストを落としたか、君の体で、確かめてみなよ?」
     静まり返った食堂で何人かが唾を飲む音が響いた気がした。
     士官候補生がごくりと喉を鳴らし、何か言おうと口を開いた瞬間。

    「へぇ? 誰が? 誰の体を確かめるって?」
    「へ? うわ!」
     出久の体が後ろから抱きしめられた。気配を感じさせないなんて誰だと振り返る必要すらなかった。
     この数日ですっかり馴染んだ甘い香りが鼻をくすぐる。
    「ブラスト」
     勝己が不機嫌そうに出久を睨む。ブラストって呼ぶなと恐らく言いたかったのだろうがここは外だ、勝己の開きかけた口がグッと力を入れて閉じられ士官候補生に向き直る。
    「なぁ? よくもまぁ俺のデクに安い挑発をしてくれたなぁ? ガキ?」
    「ブラスト!」
     気配もなく現れた大将の存在にざわりと空気が揺れる。
    「デク、飯は食ったんか?」
    「うん。食べ終わったよ。美味しかった」
    「そうか、じゃあ行くぞ」
    「え、ブラストご飯は?」
     腹に回された腕にぐっと力が入った。
    「かっちゃんて呼べや」
    「あ、うん。かっちゃん」
     小さく言われて小声で返せばようやく勝己は満足そうな顔をした。
    「おい、てめぇ!」
    「はい!」
     いきなり声をかけられ先ほどの士官候補生は椅子から勢いよく起立敬礼する。
    「俺の相棒はこいつ以外にありえねぇ、顔も体も確かに好みだが腕も超一級だ。午後一演習場に来い。デクは貸してやらねぇが俺が直々に個性無しで相手してやる」
    「ハッ! 光栄です!」
    「デクは俺のモンだからな、デクと手合わせしてぇならまず俺を倒せ」
    「……それは、ちょっと本末転倒じゃないかな?」
     出久が思わず突っ込むと、
    「うるせぇ! ちょっとばっか目を離した隙に浮気してるてめぇは仕置きだ」
    「浮気じゃないってば! ちょ……!」
     顔を近づけて来る勝己に出久が顔を赤くしてこんな場所で何をする気だと腕を突っ張る。
    「クソモブが来るまで演習場は俺らのモンだ。判るな」
     その腕を抑えつけ、まるで見せつけるようにキスをするような距離で出久に囁きかける。角度によってはキスをしているようにも見えるだろう。
    「!!! 早く! 早く行こう!!」
     やっと手合わせが出来ることに気付いた出久は打って変わって嬉しそうに勝己に纏わりつく。そんな出久を満足そうに抱き寄せて視線を寄越す者たちを一瞥して食堂を出て行く。
    「本気で戦っていいんだよね!?」
    「個性ありでブッ込んでこいや」
    「やったぁ!!」
     仲睦まじそうに食堂を出て行く二人の後ろ姿を食堂にいた者たちは呆然と見送って。
    「どっちかっていうとブラストが顔と体を使って碧を堕とした感あるな」
     誰かがぽつりと呟いた言葉に、その場にいた全員が大きく頷いたのだった。



     演習場へと足を運んだ士官候補生たちは、激しくだが楽しそうに打ち合うブラストと碧の弾丸を目の当たりにし。
     二度とバカなことは言うまいと心に誓った。
     例え個性が出てもこの二人には勝てないだろう。そう思わせるのに充分な手合わせは誰にも中断させることが出来ず。いつまでも終わらないそれはそのまま士官候補生たちの戦闘の教材に使われたことは楽しく戦っている二人には知らないことなのだった。











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    2018/11/14 19:33:04

    翡翠の夢

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