揺れたのは『兄さん、起きて!
こんな良い天気なんだから起きなきゃダメだって!』
『ん……うぅ……』
『もー!兄さんってばー!』
ニコラに体を揺さぶられる。
まだ寝ていたいと頑なに瞼を閉ざすが、彼に頬をつねられて漸く起きる気になった。
『おはよう、お寝坊兄さん。』
『今起きたから寝坊ではない。』
『まーたそうやって言い訳するんだから!』
つねられた頬をさすりながらゆっくりと起き上がる。
そこには涙跡で目の周りが赤くなったニコラの姿があった。
……先程まで泣いていたのだ。
ニコラではなく、ニコラを演じる白椋れいが。
●
休憩の合間。
スプリングの軋む音がするベッドに座り、次のシーンの立ち回りを考えて一人の世界に溶け込んでいた。
しかし、その世界はすぐに壊されてしまう。
「崚さーん、この後のシーンってどうやってやればいいんですかね。」
「灰羽に聞けばいいだろう。」
「えー……だって崚さん……じゃなかった、ロミオとニコラがじゃれあうシーンですよ?」
「……そうだったな。」
と、時間稼ぎにホンのページをめくる。
内容はすべて入っている、これはフリだ。
「…………」
「えっ、無視!?無視ですか!」
それでも構わず白椋は迫ってくる。
「近い。」
左右不対称の色の瞳がこちらを見つめてくる。
本当に俺の事を兄だと思っているのか、それとも……
「……どちらにしても仕掛けるのは俺からだ、気にする事は……」
「えーい!」
「ッ!」
抵抗する間もなく白椋に押し倒されてしまった。
押し倒された拍子に落ちたホン、体を包もうとしてくる小さな体、そして、舞台の上に立っていても早々起こらない速い鼓動。
「えへへ、襲っちゃいました♪」
無邪気な笑顔がこちらを見ている。
こうなると白椋を止めるのは不可能だ。
押し返すのも難しいほどにぎゅっと抱きついている。
あまり無駄な時間は過ごしたくない。
なので名前を呼んで離れてもらおうと考えた。
……が、
「……白椋」
「はい、なんですか崚さ……うわぁあっ!」
仕返しに押し返した。
マットが彼の体を軽く跳ねさせる。
ぷぎゃ!と白椋は悲鳴をあげた。
「うう〜、ひどいですよ崚さーん……」
「……君が襲ったからだ。」
これで離れられる……と、ベッドから立ち上がろうとしたが白椋の話で腰が止まってしまった。
「でもなんとなく掴めましたよ!崚さんは突然のことをされると顔が赤くなっちゃうんですね!」
どういうことだ?
俺は単に仕返しをしただけなのだが。
「気づいていないんですか?僕が崚さんを襲ったあたりから顔が赤いですよ?」
「な……」
羞恥、というものか。
自覚はなかったのだが、言われてはじめてそのような気がしてきてしまう。
「さっきもそうでしたけど、崚さんって意外と……」
「白椋」
「わーっ!!あは、あはははっ!や、やめてくださいよ崚さ、ああーーー!」
余計な事を言われる前に弱点をくすぐる。
先程もそう、いつまでも泣きじゃくられても困ると考えた藍沢がなにか笑わせられないかと考えたのがこれだ。
いまは応急的に利用したが。
「はー、はー……」
笑い疲れたのか息を切らして寝そべっている。
「白椋、息が整ったら再開するぞ。
それまでおとなしく……」
「えーい!隙ありでーーす!」
「うっ……!」
改めて少し距離を置こうとその場から離れようとしたが、またベッドに押し倒されてしまった。
そして腰を擽られる。
「あれ?崚さん平気なんですか?」
「…………っ」
平気ではない、一時の辛抱だと己に言いつけて耐え忍んでいるだけ。
長らく耐え忍ぶことになるのを覚悟したのだが、すぐにその手は止まった。
「……誰も、見ていない……ですよね……?」
白椋は小声でそう呟く。
彼の纏う空気は先程とはガラリと変わった。
……ふむ、藍沢と朱道は別室で、灰羽はおそらく隠れて練習でもしているのだろう。
少なくとも俺と白椋以外に誰もそこにはいない。
「…………白椋?」
「崚さん、目を閉じてください。」
「なぜだ。」
「なぜだもなにもないです!とにかく閉じてください!」
「あ、あぁ……」
言われるがまま目を閉じる。
頬を指で撫でられている感触がする。
なにかされるのではないか、とゆっくり瞼を開けると……
「ちゅっ…………」
「……ん………!」
白椋に唇を奪われていた。
状況がうまく読み込むことが出来ない。
ただひたすらに白椋に飲まれていくだけ……
漸く状況がわかったところで慌てて押し返そうとするも腕を取られてしまう。
だが……
何故だか極端な嫌悪はなかった。
抵抗しながらも、もっとしてほしいというこの気持ちは……感じる体の熱さは……
一体……
「……崚さん、早く気付いて下さいね。
僕の気持ち……
……お茶、持ってきますね!」
漸く唇を離されると白椋はそう言って立ち去っていく。
なんだ、この気持ちは。
緊張とも、焦りとも、増しては興奮ともとれない高い鼓動。
何も言い返せぬまま、穏やかではない感情に浸ったままの身をその場に預ける。
身じろぐだけでギシギシと鳴る敢えて古い設計がされたベッド。
おそらく先程の彼は演技ではなく、本当の彼そのものだ。