あまいものをひとつ「——あー、くそ」
頬を伝った汗を拭い、吐き捨てるようにメブキは悪態をつく。体内に残った煙の毒が、思考までもをぐるぐるとかき乱しているようだった。一刻も早くその束縛から逃れたくて、胸に指先を突き立てて乱暴に体内へと呪力を巡らせる。身体中に散らばった毒を一粒一粒かき集めるような繊細な作業には、よりもどかしさを駆り立てられた。
そのすぐに後ろに玄が背を合わせるように立つ。長距離を走った後にも関わらず彼は涼しい顔をしているが、その表情はどこか険しくもと来た道を見据えている。
「……もう追ってきていないようだな」
言いながら、玄は腰に携えた重い刀に添える手をそっと離す。自然体を取り戻した玄は、しかし相変わらず警戒しているようだった。
「まあ、あんだけ手酷くやっときゃあ、そうそう追いかけて来れねぇだろ。にしても……また手がかりは無し、か」
はあ、とメブキは大きなため息をついた。近頃ますます警備の厚くなる京洛へと、こうして何度も足を運んでいるのには理由があった。この広い都の何処かに、二人が追い求めるかの妖刀が存在しているはずなのだ。
しかしこうも見つからないとなれば、その話の真偽を怪しむほかなくなってくる。目星をつけた所は既に調べ尽くし、その度に向こうは警戒を強め動きづらくなっていく。こちらが何も盗んでいないにも関わらず、一度見つかっただけでも芋づる式に宿直たちが現れ、こちらを捕らえんとしてくるのだ。最も、こちらの一方が前科を大量に抱えた大盗賊であるからには、京洛の平和を守るという仕事の上そうする他に手はないのだが。
納屋の影に二人で身を隠し、手製の地図を手に屋敷までの逃走経路を思案する。まるで迷宮のように入り組んでいる京洛は、侵入するのも撤退するのも一苦労だ。
メブキは頭を掻いて舌打ちをする。久しぶりに〝渾然一体〟を使った影響か、頭が妙に混濁している。図面を見ることはできても、それが思うように脳内に入ってこない。
これでは埒が明かない、とそれから一旦目を離す。そしてふと隣で未だ警戒態勢を崩さない玄を見遣り、思い立ったように彼を壁に追い込むようにして片手をついた。
一瞬驚いたような反応を見せた玄が、次第に目隠し布の向こうで怪訝な目をし始めたのが見て取れた。こんな所で一体何をしようというのか、とでも言いたげな顔だった。メブキの顔が迫ってくると気付いた時点で、玄はすぐさま口元を手の甲で隠してしまった。
「……ンだよ。いいじゃねぇか」
玄の手のひらに軽く口付けをしながら、メブキは不服そうに唸る。玄はそれに呆れたようなため息を返して、少しだけ顔を背けた。
「いいわけが無いだろ……外だぞ」
「別に口吸い以上のことはしねぇつもりだけど」
そう言葉にしながら、メブキはふと目線を移す。その先には玄の詰襟があった。
メブキは不意をつくようにして、玄の手のひらに舌を這わせる。その感覚にぞわりと背筋を震わせ、玄は身を硬くした。彼の見せた隙に付け入るようにメブキはにやりと笑って、彼の首元の留め金と釦を慣れた手つきで手早く外し、その奥の素肌を露わにさせた。
僅か一瞬の出来事。生まれながらに盗賊であり、玄の服の構造など何度も脱がして身に染み付いているメブキにとって、一連の動作は呼吸と同等と言うべき程に容易いものだった。
「なッ……!?」
闇に溶け込む艷やかな黒髪と黒毛に対し、ヒト型に準ずる彼の素肌は白磁のように透き通った色をしている。メブキがこれまでに抱いたどの女よりもそれを愛する理由はただ一つ、赤く色付くとたまらない甘い色香を発するからだ。
玄が押し退けようとする前に、メブキは素早くその首筋へと唇を寄せる。喉元から首の付根の窪み、鎖骨に至るまで音を立てて強く吸い付く。赤い痕をつけて、仕上げにそれを舐めあげれば、玄の口からは反射的にも湿った声が漏れ出た。
「うぁ……っ」
それを聞いて満足したように、メブキは顔を上げて楽しそうに笑う。ぺろりと己の唇を舐めて、僅かに頬を染めた玄の頭をぽんと撫でた。
「ごっそーさん」
玄はそんなメブキを直視したくないようで、大きく顔を背けて彼の手を跳ね除ける。解かれた襟を直しながら、紅潮の収まらない頬を手で隠しながらぼそりと零した。
「……色情魔め」
「はは。それも間違いじゃねぇが……ほら、あれだよ」
メブキは取り落としていた地図を拾い上げて、赤らみの落ち着いた玄の顔を横目に流し見る。口の端を上げてにやりと笑えば、その顔つきに最早苦悩は感じられなかった。
「苛々した時には甘味を食うに限る、ってな」
— 了 —