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    お守り『——例年よりかなり高い気温となり、正午の現在は二月の観測史上最高気温に迫るほどとなっています』

     オフィスからすぐ近くにある行きつけの老舗定食屋。昔ながらの古ぼけた店構えには、言葉にならない安心感がある。仕事の合間にも洒落た店でランチを撮りたがる同僚たちから距離をとるようにここへ来るのが、私の密かな楽しみだ。
     画面の向こうのお天気キャスターが言うように、今日はおかしなくらい暑い。昨日までは結構寒かったのにな。うっかり厚着をしてしまったせいで、お味噌汁の温もりも相まって段々と汗が出てきていた。
     毎日おかずがランダムに変わる素朴な日替わり定食に、遠い実家のお母さんの味を思い出す。いつもと変わらずお昼のニュースを映す店の隅に置かれたテレビを見つめながら、私はなんでもない平日の昼休憩を過ごしていた。

     この店は常連客の雰囲気もいい——特にいつも見かけるあの女の人。毎日のように見る顔だけど、会話したことは一度もない。声だって殆ど聞いたことがないのに私がその人に好印象を抱いているのは、彼女の恐ろしく整った顔立ちのせいだろう。
     いつもきっちりとしたスーツ姿で、長い髪を綺麗に結い上げている。丁寧な所作で行儀よく日替わり定食を食べる彼女は、まさに完成された大和撫子だった。
     私が瓶底眼鏡をかけたオタクでネクラな女子高生だった頃、彼女はきっとお嬢様学校の窓際で淡い色の表紙の純文学とかを読んでいたに違いない。全部妄想だけど。
     何も知らない彼女のことを、私は心の中で勝手に『なでしこさん』と呼んで毎日こっそり観察していた。

     この暑い日にも『なでしこさん』はスーツ姿。私は暑さに耐えかねて上着を脱いでしまったけど、少し離れた席に座っている『なでしこさん』は顔色一つ変えずに黙々と定食を食べ進めている。
     相変わらずモデルさんみたいな横顔だなあ、着物とか絶対似合うだろうなあ。そんなことを思いながらチラチラと横目に見ていると、『なでしこさん』は不意にハンカチを手にとって自らの額に当てた。あんな美人も汗をかくんだなあ、汗を拭く姿も綺麗だなあ。
     しばらくそうしていた『なでしこさん』が、唐突にジャケットを脱ぎ始めた。流石に暑いんだ。今日の定食はちょっとボリュームがあるし、この気温だし仕方がないよね。
     私は相変わらずチラチラと彼女に目線を向けながら、残ったお味噌汁を勿体ぶってちょっとずつ減らしていた。しかし三度目に目線を向けたとき、手が止まってしまった。

     シワひとつないシャツ姿の『なでしこさん』が、軽く袖を捲った。その瞬間に私は睨まれたのだ。
     穏やかな老舗定食屋の店内。いつも通りの落ち着く雰囲気。そこに突然見慣れないものを見て、一瞬頭は真っ白になった。
     こちらを睨みつける恐ろしい眼。それは『なでしこさん』の左腕にいた。
     龍が、いた。

    「……っ」

     思わず目を逸らした。自分の存在を『なでしこさん』に気付かれたらまずい気がした。
     見えたのはほんの少しだけ。僅かに膨らんだ鼻とぎょろりとした眼の片方と、大きく裂けた口だけだった。しかしたったそれだけで、彼女の白い肌の上に黒ずんで浮かぶ巨大な龍の全貌を想像できてしまった。

     今までは「いつか何かの拍子にちょっとお喋りとかできないかな」なんて思っていたのに。もう関わろうなんて思うだけで悍ましくて耐えられない。
     嘘でしょ、という言葉はお味噌汁と一緒に飲み込むしかなかった。清楚で穏やかな『なでしこさん』は、私が人生で一番関わりたくないタイプの人間だったのだ。
     ずっと幼かった頃にお兄ちゃんが持っていた青年漫画を読んで、あまりに恐ろしくて泣いてしまった記憶が蘇った。

    ——確かに着物は似合う。極道モノのドラマとかに出たら絶対映えるだろうなあ。


    ***


     あれからなるべく『なでしこさん』を避けるようにしていた。そもそも話したこともないけれども、とにかく顔を見たくなかった。
     ヤクザに関わるくらいなら、真新しくて居心地の悪い店で洒落たランチでも食べた方がマシ。誰でもそう考えると思う。
     とはいえあの定食屋は大好きだし、たまに日替わり定食が食べたくなってしまうのはどうしようもなかった。耐えきれなくなって、今日は息を潜めつつ定食屋に行くことにした。

     定食屋に向かう道で待ち構えていたのは、紛れもない不運だった。
     目の前を『なでしこさん』が歩いている。それだけじゃない、見るからに怪しい振る舞いの男が彼女の隣にいた。
     見るからに怪しいといってもスーツ姿で、微かに聞こえてくる会話の内容を聞くに仕事関係の人間らしい。彼はとにかくしつこく『なでしこさん』を食事に誘おうとしている様子だった。
     『なでしこさん』は笑顔を浮かべているけど、奥ゆかしく曖昧な言葉で断り続けている。横顔に見えるのはささやかな困惑の感情。男はというと、それに気付いていないふりでもしているのか「美味しいパスタが有名で」やら「奢るから」とまくし立てている。

     ああいう人間は男女問わず苦手だ。私の同僚女子たちもやたらしつこくて困っている。輪に入れてやろうと情けをかけてくれているのかもしれないけど、結局のところ迷惑でしかない。彼女たちの言動から見え隠れするのはいつだって、自分と価値観が違うだけの人間を勝手に見下す快感だった。
     あの男も彼女たちと同類だ、独り善がりな関係のために他人の神経をすり減らす存在。世の中には一定数そういうヤツがいる。わたしはそんなヤツらにも強気になれず、こうして逃げ出しては心の中で悪態をつくことしかできない弱虫だった。

     様子を伺っているだけで心に積もった不快感をどうにかしたいと思った。かと言って割って入る気にもならなかった。『なでしこさん』がそこにいるからだ。
     血の気が引く反面、いつ路地裏から強面の男たちが現れて「姐さん!」とか叫んだりしないかとか、はたまた『なでしこさん』のバッグから〝ドス〟でも出てこないかとか——ちょっとワクワクしてしまう自分がいた。勿論そんなことになったら巻き込まれる前に逃げるつもりでいる。

     見守っているうちにも迷惑男は『なでしこさん』にぐいぐいと迫っていく。『なでしこさん』の表情からは笑顔が消え、完全に困り果てた様子になった。男の方はというと、調子に乗っているのか相手の表情など何も見えていないのか、完全にその気になってしまっているようだった。
    ——あれ、なんかこれって結構マズくない?

    「一回だけだからさ、行きましょうよ」
    「あ……」

     迷惑男が『なでしこさん』の左手首を掴んだ。数歩後ろの私も思わず口から息が漏れた。男が掴んだスーツの下、そこにはあの龍がいるのに。なんと怖いもの知らずな男か。
     誰でもいい。なんでもいい。強面スーツの集団でも、ビジネスバッグに潜む短刀でも、実体になった刺青の龍でもいい。なにか、『なでしこさん』を助けてくれるものは——

     男から逃げるように後退りした『なでしこさん』が、私を見た。
     どうして私を。路地裏でもバッグでも、龍が彫られた腕でもなく。私を?
     何故、私に助けを求めるの。



     初めて握った『なでしこさん』の手は、少し冷たかった。

    「……!」
    「どっ、どうも。こんなところで会うなんて、き、奇遇、ですね?」
    「は?」

     突然見知らぬ女が邪魔に入って、迷惑男はさぞ驚いたことだろう。しかしその顔は一瞥するだけに留めて、目を見開いている『なでしこさん』に精一杯の笑顔を向けた。

    「き、今日の日替わりメニュー何でしょうね! はやく行きましょ!」
    「ちょっ……」
    「ああスミマセン! この人先約あるんで! では!」

     何かを言おうとする迷惑男を振り払うように、物言わぬ『なでしこさん』の手を引いて駆け出した。向かう先は勿論あの老舗定食屋だ。
     一体私は何をしてるんだろう。知らない人に話しかけて、嘘までついて、ヒーローぶって。今日は特段暑くもないのに汗がダラダラ出て、みっともないし恥ずかしい。
     それでも『なでしこさん』は黙って手を引かれてくれる。ベタな少女漫画みたいだ。
     ヒロインである必要なんて、強い貴女にはないはずなのに。



     定食屋に転がり込むように入店して、久しぶりに走ったせいで上がってしまった息をなんとか整えていく。早くお冷が欲しいけど、いつもの席は少し遠くてそこまで歩く気にもなれなかった。
     冷静になってきて、色々な後悔が渦巻き始めた。そんなところへ、これまでは断片的にしか聞くことのなかった声が自分に向けられるのを感じた。

    「今日は、唐揚げ」
    「へっ?」

     思わず飛び跳ねて振り返ると、やっぱり声の主は『なでしこさん』だった。結構なスピードで引っ張ってきてしまったにも関わらず、涼しげで凛とした表情をしている。
     刺青の美女が私を見つめている。綺麗な黒い瞳としとやかな微笑みに、思わずどきりとしてしまう。
     多重の緊張が全身を駆け抜けて、私は固まって動けなくなってしまった。それでも『なでしこさん』は優しい顔を私に向ける。

    「今日は唐揚げ。だから楽しみにしてたの」
    「へっ、あ、そ、そうなんですか……」
    「うん。助かりました、ありがとう」

     丁寧に頭を下げて『なでしこさん』はお礼を言った。所作がいちいち美しくて、間近で見ると全てが輝いて見える。それでも腕の龍のことを思い出して肝の一部は凍えきっていた。
     関わらないって決めたのに。血なまぐさい世界に足を突っ込むなんて死んでも御免って思ってたのに。いやまだ他人に戻る余地はあるはずだ。
     少しずつ距離をとりながら適当な会話を続けてみる。なるべく刺激しないように、愛想よくフェードアウトに持っていきたい。とりあえず会話をぶった切って逃げるのはよくない気がした。

    「か、唐揚げか~。事前にどっかでお知らせされてるんですかね? あはは」
    「ううん。ここ、わたしのお祖父ちゃんのお店だから」
    「へぇ~おじいさんの……お、おじい……?」

     さあっと顔が青褪める感覚があった。ここがお祖父さんの店だって?
     つまりここは、逃げ出すべき敵地のど真ん中。にこやかな『なでしこさん』は出入り口の前に立っていて躱せそうにもない。なるほど袋の鼠というやつだ。
     顔が思いっきり引き攣っている自覚があるけど、取り繕うことも叶わない。流石に『なでしこさん』も不思議そうな表情に変わってしまった。

    「どうかしましたか?」
    「いっ、いやぁ~……お、お財布! 会社のロッカーに忘れてきちゃって」

     当然嘘だ。逃げるにはこれしかないと思った。しかしその目論みは、舞い戻った『なでしこさん』の微笑みによって不発に終わった。

    「それなら今日はご馳走しますよ。いつも来ていただいてますから、サービスさせてください」
    「ヒエェ!? でっ、でも、借りは……!」

     ヤクザに借りなんて作ったらろくなことにならない。人生経験の浅い自分にもそれくらいはわかる。私は平穏に美味しいご飯が食べたいだけなのに!
     『なでしこさん』は「後から請求したりしませんよ」とくすくす笑うけど、その笑顔だけは信用してはいけないと脳裏で何かが警鐘を鳴らす。どれだけ優しい顔をされても、蛇、いや龍に睨まれた蛙の気分は拭えなかった。
     覆い隠せないあからさまな怯え顔は、今度は『なでしこさん』に訝しげな表情をさせてしまう。しかし彼女は突然「あっ」と声を上げ、また穏やかな笑顔に戻った——こんなに表情が変わる人だったのか。いやそんなことは今はどうでもいい、何か、何か逃げる方法を探さなくては。

    「もしかして、『たっちゃん』を見ました?」
    「いっ、いいえ何も見てませんッ! だから見逃し——はい?」

     たっちゃん。たっちゃんって誰?
     思わず瞬きをした。すると『なでしこさん』はなんとなく照れくさそうな顔をして、自身の左腕を右手でそっと撫でた。そこにあるのは当然、例の龍の刺青。あの時僅かに見えただけでも、かなり精巧に彫られているのがわかる迫力満点のそれ。
     龍の刺青。龍。りゅう。えーと、干支で言えば子丑寅卯、たつ……。
     『たっちゃん』とは、つまり。

    「勘違いさせてしまったならごめんなさい。わたし、別に怖い人じゃないです」
    「は、はあ……」

     上品に笑う『なでしこさん』は、誤解されるのも慣れていると言いたげに見えた。それはそうだろう、軽いワンポイントタトゥーくらいならまだしも見事な和彫りの龍なんて、それだけで任侠の世界を垣間見た気分になる。
     本当に怖い人じゃないんですか、と問い詰めると『なでしこさん』は実家と家族の写真を見せてくれた。そこに写っていたのは、誰もが簡単に想像できるほど在り来たりな戸建て住まいの一家だ——全員が驚くほどの美形ではあったが。
     証明してもらった以上は信じるしかない。彼女もまたカタギの人間に違いない。嬉々として例の龍を私に見せびらかす辺り、ちょっとした感性のズレは感じるけれども。

    「かわいいでしょう。家族も皆『たっちゃん』が大好きなの」
    「うーん……っていうか、それチラッとでも見せちゃえばあんなナンパ野郎なんて一発撃退できません?」
    「普段ならそうするんですが、流石に取引先の方にお見せする訳にはいかなくて」
    「そ、そっかぁ……」

     それなら仕方ないな。色々おかしい気がするけど、常識的な理由でよかった。
     普段なら、ということは。これだけの美人で大人しそうな彼女なら、やはり日頃からそういう標的にされてしまうことも多いのだろう。『たっちゃん』と名付けられた降り龍は、彼女の守り神ということか。誤解を生んでもなお彼が愛されるのは、彼がこれまでに積み重ねてきた実績故なのかもしれない。
     あれだけ自らを困らせた男のことを「悪い方ではないんです」と笑って許してしまう『なでしこさん』には、きっとこの怖い顔をしたお守りが必要なのだ。そう思って納得することにした。

     でも。今日はそんな『たっちゃん』のパワーも不発だった訳で、万能とは言い難いのは事実。嫌なヤツから逃げたくても逃げられないお人好しの美女は、そういったときどうしてきたんだろう。毎回私みたいな通りすがりに頼っているんだろうか?

    「今日は本当に素敵な日。助けてもらえるなんて思ってなかったの。やっぱり貴女って、見た目通りにいい人なのね」

    ——ああ、変な気を起こしそう。そんな目で私を見ないで。
     これからは毎日この店に食べに来るから。道中、待ち合わせして並んで歩いたっていい。『たっちゃん』では守れないあなたを精一杯守る友達に、私がなるから。私だってそうなりたいから。
     だから、そんなきれいな目で私を見ないで。



     腕に龍を飼う大和撫子に、私みたいな心が陰湿な人間はきっと釣り合わない。
     そのはずなのに、一緒に食べた日替わり定食の唐揚げはこの上ないほど美味しいし。別れ際には明日のランチタイムが待ち遠しくて、ほんの少し胸があつくなった。
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    2021/03/02 23:06:48

    お守り

    強気になれない女たちが、見た目通りだったりそうじゃなかったりする話。
    一応百合。恋愛的な描写はほぼありません。でも割とそういうつもりで書いています。

    「第3回Fediverseワンドロワンライ」にて、お題「刺青」「勘違い」で参加した作品……を、更に数時間かけてとりあえず書きたかったところをまとめた感じのものです。完成品といえばそうかもしれない。

    #創作百合

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