眩い願いの行く末は少年の目の前で、一人の少女の命が失われた。
堅牢な盾を、強固な外骨格を鋭い氷が貫いていく。少女は真っ赤な血を滴らせながら、その場に膝をつく。
「マシュ」
と少年は呼びかける。だが、その声に反応は無い。当然だ、彼女の命はそこで途絶えているのだから。 マシュ・キリエライトという少女の人生はそこで潰えたのだ。共に悩み、共に笑い、共に歩んだ少女の魂はそこには存在しない。彼女が少年に笑顔を向ける機会は、もう、二度と訪れない。
それが、全ての終わりだった。
少女の人生だけではない。そこに立つ藤丸立香の終わり、より正確に言うならば彼の持つ"善性"はそこで途絶えた。
生気を失った瞳の少年はゆらりと立ち上がり、彼を呼ぶダヴィンチやホームズを無視して呟く。
「来い。」
その一言に呼応したように、彼の傍にあるトランクが駆動音を立てる。立香の身に刻まれた貧しい魔術回路が軋む。身体中から捻り出すようにして生み出された魔力がトランクへと送られる。
記録されたデータ。立香のこれまでの旅、人理修復を成し遂げる為の旅路で紡がれた英霊との"縁"が呼び出され、一つの存在を引きずり出す。
それは、大蛇の様な髪を持つ女。
それは、姉妹すらも取り込んだ魔獣の女王。
それは、人間が打ち倒すべきもの。
それは、人々への復讐を誓った女神。
「ふふ…ふはははは!!!何も言わずとも分かっているぞ。今の貴様は私と同じ目をしている!憎いか?許せないか?殺したいか?お前の声一つで、私はありとあらゆる存在を溶かしてやるぞ!」
自らを呼び出した少年を見つめながら、ゴルゴーンは言う。彼女は理解しているのだ。この少年が全ての希望を失ったと、自分と同じ存在に成り下がったのだと。だが、それは至極当然のことだととも思う。
この少年は余りにも多くのものを背負い過ぎていた。本来ならば暖かな家族を持ち、明るい友人を持ち、時に挫折し、時に笑いながら人生を終えるはずだっただろう。けれど少年は全人類の人生を背負い、七つもの世界を旅してきたのだ。どれ程の苦難や苦悩があったのか考えるまでもないだろう。
そんな中でも、彼は"善"であり続けた。自らの"善意"を失わずに来れた。それは、心を通わせ互いに支え合った唯一無二の友がいたからだ。そんな友を目の前でこうもあっさりと殺されて正気でいられるだろうか?ましてや、少女は何かを託す間も無く、ただ命を奪われた。
「マスターよ、何を殺して欲しい?盾の少女を殺したあの女か?それとも、その側に立っているあの男か?私はお前の思うがままに動いてやるぞ?」
復讐者である彼女の言葉がひどく胸に染み込む。彼女から同情や親近感といった感情を感じる。それは、自分が復讐者に堕ちたのだと実感するには十分過ぎるものだった。
「そうだな……じゃあ、ゴルゴーン 宝具展開だ。この氷の大地に存在する全ての生命を溶かし尽くして、魔力に還元してくれ。今の俺には魔力が必要だ。」
あまりにも冷たく、淡々としたその言葉にゴルゴーンは笑みを浮かべる。「そうか、この男はそこまで堕ちてしまったか。」と。手の届く限りは、出来ることなら全ての人を救いたいと願っていた少年は最早存在しない。
「……ああ、それがお前の望みなら。」
不用意な言葉をかける必要はないとゴルゴーンは知っていた。
七つの特異点、そして終局特異点。全てを駆け抜けた少年は数多の地獄を見てきた。そんな中であっても自身を律して来れたのは、確固たる善意を持っていたからだ。
そんな彼が善意を手放した。後に残るものは、今まで抑えてきた負の感情だ。
「令呪をもって命ずる。ゴルゴーン、お前の宝具でこの世界を溶かせ。」
手の甲が強く熱を帯びる。彼の手に刻まれたマスターとしての証明。その刻印が一つ失われる。
「重ねて令呪をもって命ずる。溶かした全ての生命を魔力に還元しろ。」
また一つ。
「更に重ねて令呪をもって命ずる。全ての魔力を俺に回せ。俺が、俺の望むことを成すために。」
最後の、一つが失われた。
三画分の魔力を受けたゴルゴーンの宝具が、異聞帯全土に広がっていく。逃げ場など存在しない。この瞬間に、この地に生存する全ての生命体の運命が決定された。
目の前の惨劇にこの地のクリプターである、カドック・ゼムルプスは呆然とするしかなかった。立香との戦闘で魔力を大きく消費し、彼のサーバントであるアナスタシアも瀕死。彼らに立香を止めるだけの力は残っていない。
「な、んて、ことを…ヤガだけじゃなく、草木や魔獣までもを溶かしているのか!こんなことを…よくも…!!」
アナスタシアを横たわらせ、立ち上がり叫ぶ。自身の存在意義とも言えるこの国を奪った男を黙って見過ごすわけにいくものか。何か言わなくては。そう思い立ち上がったカドックを氷のように冷ややかな瞳が見つめる。
「お前もやったことじゃないか。」
「キリエライトのことか!」
「マシュだけじゃないぞ。カルデアのみんなだって殺しただろ。」
カドックの身が固まる。
「俺の救った世界のみんなも殺しただろ?だから同じことをするんだよ。」
立香の魔術回路では受け止めきれなかった魔力がバチバチと弾け、皮膚を切る。体のあちこちから血を流しながらも、立香は無表情で淡々と話す。
「安心しろ、この世界の命を無駄になんてしないさ。俺の救った世界のために使わせてもらう。お前たちがしたみたいに。」
カドックは叫ぶ。
「見捨てた訳なんかじゃない…あんな存在に勝てっこないさ。僕たち人間なんかじゃ敵うわけがーー」
その言葉に無表情だった立香の表情が歪む。
「だから、諦めたのか?」
「っ、そうじゃない!諦めたわけじゃーー」
「じゃあなんでそこに立ってるんだよ。お前たちが救うはずだった世界を滅ぼした相手に従って、反抗もせずに、何をしてるんだよ。」
「それは…」
「勝てないと思ったから諦めました。命と引き換えに取引されたから受け入れました。救うはずだった世界は滅びたけど、見過ごしました。その上に、新しく国を作ります。違うのか?答えろよ、カドック・ゼムルプス!」
この期に及んで彼は怒っているのだ。救うはずだった世界を見捨てた彼らを、強大な力の前に諦めた彼らを。
「まぁ、良いさ。何も出来ない先輩方はそこで黙って見てれば良い。俺が全てを救ってみせる。お前たちには出来なかったことだ。」
「うるさい…黙れ…!!」
「来い、みんな。世界を救おう。人理救済、グランドオーダーの始まりだ。」
彼がそう言うと、膨大な魔力がトランクへと注ぎ込まれる。騒音とも言える大きな駆動音を響かせながら機械が作動する。
呼び出されるのは"悪"とされた者たち。秩序ではなく混沌を是とする者たち。
そして、立香の隣には漆黒の旗が掲げられていた。
「来てやったわよ、マスター。……………ハッ、全くヒドイ顔ね。」
「そう言わないでよ。こっちだって色々大変だったんだ。それじゃあ、皆よろしくな。」
彼の手の甲には、もう令呪は刻まれていなかった。そこに刻まれるのは"獣"の刻印。
「お、前……なんだよ…何なんだよ、その魔力は………」
そう言われ立香は自分の手の甲に目をやる。それを見て何か納得したような顔をすると、カドックに向き合い宣言するように告げる。
「俺は人類悪、ビースト、藤丸立香。俺の救いたい"世界"の為にあらゆる命を奪わせてもらう。よろしく、先輩。」
人類"が"滅ぼす悪。人理を脅かすその本質は悪意だけではなく、行き過ぎた愛。即ち、人類愛を指すものだ。「人理を救い、世界を救う」という尊く眩い願いはアポトーシスとなり、悪へと昇華された。
ここに抑止力は藤丸立香をビーストⅦ「救済」の獣と認定した。