バニーボーイ
特注のピンクのミラーボールが薄暗い店内を照らす。
黒とピンクを基調とした乙女っぽい内装はオーナーの趣味らしい。
「いずいず~、7番テーブルにご指名よぉ~!」
「えっ、僕に?は、はあいっ」
まだ入店して間もない僕にとって、指名をもらうことはあまりない。
外に写真も出してないのに、なんで僕のこと知ってるんだろう?以前ヘルプで付いた人だろうか。
僕は慌てて控え室から出る、前に大きな鏡に全身をうつしてチェックした。
お尻に食い込むホットパンツの裾を直す。うう、これピチピチだからいつも食い込んじゃうんだよね。
いけない、早く行かないとだ。
賑やかな店内では僕と同じくバニーの格好をしている若い男の子達が接客をしている。
指定された席へ行くと、そこにはキャップを被ってグラサンをかけた若い男性が座っていた。
キャップの後ろから、そっと飛び出してる金髪を見てハッとする。
あ、あれってもしかして……!
いやな予感がするが、指名されている以上逃げるわけにも行かない。
気のせいだ、だってそんな、彼がこんなところに来る訳ないじゃないか。
慣れないヒールのせいもあり、震えてしまう足を一歩また一歩と進めて行く。
「いっ、いらっしゃいませ。バニーボーイへようこそ!ご指名ありがとうございま……ひっ!」
俯いていたお客様がグラサンを取ると、隠れていたのはよく知る赤い瞳だった。
や、やっぱりかっちゃんだあああ!
えっ、ななんでこんなとこに来てるの!?僕がここで働いてるの知ってるの?
「……」
かっちゃんはじっと僕を見るけど何も言わない。あれっ、もしかして僕って気づいてない?
あっ一応覆面だからかな?
僕は今、ウサ耳が付いたハーフマスクを被っている。まだ新人とはいえヒーローなので、顔出しはNGということで接客させてもらってるけど、ちゃんと隠せてるってことなのかなあ。
「……よろしく」
かっちゃんが小さく呟いた。やっぱり僕だって気づいてないみたいだ。
僕は少し安堵しつつも、やっぱりいつバレるか分からない緊張感に再び襲われながら彼の隣に座った。
「あっあの、お飲み物作りますねっ。み、水割りでいいですか?」
僕の問いにこくりと頷いた。いやに大人しい感じがするけどこういうかっちゃんもやっぱりこういうお店慣れてないのかな。っていうかだからなんで君はこんなお店に……。
それにしてもどうしよう、あんまりしゃべるとますますバレる気がする。取り合えず少し話したら、誰か別の人に代わってもらおうか。
「えっ、えっと、このお店は初めてですか?」
「ああ」
「僕も新人でして、あの……あっ」
緊張し過ぎて、アイスペールから取り出した水割りの氷を落としてしまう。丸くて透明な塊はころんと転がり右側のソファの下に入ってしまった。大きな氷だから無視する訳にもいかない。
「ごめんなさい氷落としちゃって。ちょっと失礼します」
僕は粗相を詫びて彼に背を向けると、屈んでソファの下を覗き込むが暗くて分からない。仕方ないのでそっと手を伸ばして探ってみる。うーん、こっちの方に転がっていったんだけどな……
「あっ、あった!あ、あ~っ、向こうにいっちゃっ……」
「ぷっ」
ふと向こうで、噴出す声が聞こえた。
「さっきから我慢してりゃあよォ、何やってんだよクソナード!」
いつも聞いていた罵声と共に、ぺちん!とお尻を叩かれた。
「いったぁ!ってやっぱり気づいてたんじゃないかあっ!」
僕がむくりと起き上がると、かっちゃんは文字通りお腹を抱えてゲラゲラ笑っていた。
「分からねぇ訳ねーだろが!むしろなんで隠せてると思ってんだよンなヒーローコスチュームそっくりのマスク被ってよぉ、他になかったんかよ」
で、ですよねー!確かに今被ってるマスク、僕の普段使用してるマスクに似てるんだ。素材は黒のレザーだけど、顔の上半分だけ覆ってるデザイン。
「ママからこれにしなさいって言われちゃったんだよ」
「つーかなんつー格好してんだよてめェ」
「うっ!だってこれがこのお店の衣装なんだから仕方ないだろ!」
かっちゃんは上から下まで舐めるように僕の姿を見てくる。
このお店はコンセプトバーになっていて、接客する男の子達は皆バニーの格好をしているんだ。
僕の格好といえば、白い襟に蝶ネクタイ、黒いベストに……って、ここまではいいんだけど、ベストは短くてお腹が見えてるし、下のズボンはいわゆる超短いホットパンツだ。ベストやパンツは全部レザー生地なので、滑らかなんだけどぴたりと食い込んでくるのでピチピチで下のお尻がはみ出してしまっている。ママの趣味らしいけどなんていうかすごくフェティッシュな感じがする衣装だ。すごく恥ずかしいけど、制服だといわれてしまえば着ないわけにはいかない。
「下ケツ見えてんぞ」
かっちゃんの冷静な突っ込みに僕は涙目だ。
「言わないでってばあ!っていうかなんで君こんなところに来てんだよ!」
「ンなもん、てめぇの無様な姿を笑いに来たに決まってンだろーが!」
やっぱり、そんなところだよね。
はぁ、と僕はため息をついて、それでもバレてしまった安堵もあってまたソファの下に潜り込もうとした。
「オイだからケツ見えてるっつってんだろーが」
「わあっ!だって氷が転がっちゃってるんだってば」
今度はお尻をむんずと掴まれてしまう。ちょっと、さっきからこれセクハラだよ?君にその気がなくても!
「ソファどけりゃ済むだろーがアホ」
かっちゃんはそう言うと、立ち上がって氷が隠れている向こうのソファへ行きソファをむんずと掴んで、馬鹿力で片方持ち上げた。
「わ、あった!」
僕は急いで転がってしまった氷を回収した。
「ありがとうかっちゃん」
「つかほっとけや」
「だって、こんな大きな氷だと結構大きな水溜りになると思わない?」
そしてようやく習ったとおり水割りを作ってかっちゃんの前に置いて、本題に入った。
「なんで僕がここで働いてるって知ったの?」
これはすごく重要な質問だった。
「どーだっていいだろンなこと。それよりオールマイトはこのこと知ってんのかよ」
う、それを言われると辛いものがある。
「そ、それは色々事情があって……僕も辛いんだけど、色々あるんだ。だからお願いだから、このことは内密にしておいてほしい。また時が来たらオールマイトには話すつもりだから……」
本当はこの仕事を受ける前に相談しようかと思ったんだけど、きっとオールマイトに心配をかけちゃうんじゃないかって思って、結局のところ事後報告をするつもりでいた。だって、言えないよこんな……。
「さそかし嘆くことだろーよ」
「そ、それは……っていうか、ほんとになんで君は分かったの?」
僕は最近働き始めて、お店の外に写真を出している訳でもないし、ヘルプに付くことがほとんどだ。
ましてやここはメンズ専用のゲイバーで、所謂本物のゲイの人しか入れないお店だから、そんなに簡単に広まるはずないと思うんだけど……。
「君もそっちの人なの?」
「ンな訳ねぇだろが」
そうだよね。かっちゃんなんてこの間、人気のセクシーな女優さんと噂になってたし男になんて興味なさそうだもん。
「……とりあえず君が何も言う気がないのは分かったよ。僕も色々事情があるから、本当に黙っててね」
「さぁ、どーすっかな」
「か、かっちゃん!」
そろそろしっかりと状況説明をしないといけないよね。
かっちゃんには言えないけど、僕は所謂”潜入捜査”中だ。
事務所を通じて使命が下さったのは一週間くらい前。
現在若い子を中心に非合法ドラッグが出回り、被害者が急増しているため調査が入った。
かなり広範囲に広がっていて事は思ったより深刻なんだけど、いかんせん情報が不足している。
その中で浮かび上がったのがこのお店で、客として来た密売人を見かけたという話が浮かんでいるみたいなんだ。
それで新人のヒーローより何人か極秘裏に指令が来て、僕にも白羽の矢が立ったという訳だ。
僕はまだ入ったばかりだけど、他の事務所からも何人か潜り込んでいる。昼間は普通のヒーロー活動をしながら、週3回くらいの頻度で通っていて、勤務時間がバラバラになりなかなかハードだ。
それにしても潜入捜査って、本当に大変だよなあ。
「まさかてめェがホモだったとはなァ。キメェな死ね」
「ぐっ……!」
いや、まったくの誤解だよ!僕だって女の子が好きな、”ド”がつくストレートだよ!
ここはさっきも言ったとおりゴリゴリのゲイバーで、基本的にゲイの人しか入れないからそう言われてしまうのも分かるんだけど……うう、いや、ここは仕方ない。任務は勿論極秘中の極秘なんだ。例えかっちゃんであろうとも本当のことを言う訳にはいかない。
「そ、そうだよ。だからここは君が来るところじゃないんだ。分かったら早く」
帰って、そう言いかけた途端ぐいっと肩を掴み引き寄せられる。一瞬キスされるのかと思った位、近い。
「隙だらけなんだよ、野郎にガチでブチ犯されたくなかったら気ィつけろクソが」
意外にも真面目なトーンで、低くそう呟かれた。
「……う、ん。気をつける」
もしかして僕の任務のこと気づいてる?いや、まさかね……そう察してくれてるなら本当にありがたいけど。心配して来てくれたとか……まさか、僕らはそんな仲ではない。卒業してから、会うのも久しぶりなのに。
不覚にも、至近距離で見つめられてちょっとドキッとしてしまった。さすが黙っていればイケメンとか言われるだけある。
僕が素直に頷くと、かっちゃんの雰囲気もまたいつもの感じに戻って、
「まぁ、ガチで犯されてぇなら止めねーけどよ。きめぇから近寄んな」
なんて悪態をつきながら軽く突き飛ばしてきた。ったく、自分から引き寄せたくせになんだよ!
「かっちゃん、このお店でそーゆー差別的発言は本当に駄目だからね!君こそ怒られるよ!……でもありがとう、忠告は真摯に受け止めるよ」
かっちゃんは挨拶代わりにケッ、とはき捨てると席を立った。
「じゃーなクソナード。くれぐれもオールマイトの顔に泥塗るなよ」
「う。わ、分かったから。かっちゃんこそ、もう来ないでね!」
かっちゃんはようやくお店から立ち去った。
ったく、一体なんだったんだろう。
僕らは幼い頃からの幼馴染だ。小さい頃はいざ知らず、概ね決して仲がいいとは言えない間柄だった。
中学の頃なんてもうピークで、幼馴染というよりはいじめっこといじめられっこのそれに近い感じだったと思う。何しても器用にこなし、不良みたいな態度とるくせに真面目でみみっちい。また有り余る才能に胡坐をかかずに努力を怠らない彼に、僕は憧れた。ノートに彼の情報を書き散らし、無意識で真似しちゃうほどに。苦手になってしまっていたけど、いつだって惹きつけられた。
無個性だといじられていた僕にも、最高の師匠オールマイトに出会い、個性を授かって、本当に色々なことがあって……やがて本音を晒しあうことが出来た僕らの関係は、少し変わっていった。
なんやかんやで幼稚園から高校生まで一緒だった僕たちだけど、プロヒーローになってからは、僕らもクラスメイトの皆も日々の戦いに精一杯で、なかなか忙しい日々を過ごしていた。
個人的に連絡を取り合うほどの仲でもなく、彼が今一体どんな活動をしているのか……いや、知ってるんだけどね。大体はチェックしてるし。
だけど、もっと普通に会って、お酒とか飲みながら最近どう?なんて普通の同級生みたいに話したかったなぁ……。そうなのだ、もっとこう、普通に友達っぽいこととか、してみたいなぁなんて……いや、無理なのは分かってるけどさ!それにしてもまさか、こんな任務とはいえ恥ずかしい格好で、隠れてバイトしてるなんて思われ、それどころかゲイだって思われるなんて……!かっちゃんはむやみやたらに言いふらさないとは思うんだけど、それでも誰かに言ってしまうかもしれないし、任務が終わったら、ちゃんと誤解を解かないと。
とりあえず、捜査の間だけだ。集中しよう。
「いずいず~!なんかご指名のお客様とぎゃんぎゃん言い合ってたけど大丈夫だった?」
控え室に戻ると、ママがピンクの巻き髪を揺らしながら心配そうに声をかけてきた。
「あっ、ごめんなさい。さっきのは知り合いなんです。もう来ないので大丈夫ですから」
このお店のママ、といっても勿論男だけど、彼はまるで舞台に立つようなド派手なメイクや奇抜な格好をしている。所謂ドラッグクィーンというらしい。本物の女性、というよりももっとファンタジック?っていうのかな、不思議な存在だった。
「えぇっ、もう来ないのォ!?イケメンなのにぃ!今度は私もテーブルに着くからまた来てもらってよォ~!」
筋肉質な体躯を揺らしておねだりしてくる姿はなんというか圧巻だ。普通にしてるだけでもショーを見ているような気分になる。
「う、う~ん。考えときます」
「絶対ね、絶対よぉォォ!」
社交辞令で誤魔化してごめんなさいママ。
「彼もやっぱりプロヒーローなの?」
ママには、僕がヒーローをやっていることは知らせてあるんだ。なので覆面で通させてもらっている。元々プロヒーローや警察官、サラリーマンとか昼間は普通の仕事をしている人がこっそり店子をしてるっていうのがこのお店のウリのひとつで、ある程度顔を隠せる訳なんだけど。
「え、えと……すみません、それは……」
僕が言い渋っていると、
「いいのよぉ~!今度来たら本人に聞いちゃうから!」
なんて許してくれた。
こんな奇抜な格好をしてるけど、優しくていい人だ。採用してくれたのもこの人だし、僕の正体も他に潜入している捜査官のことも、あんまり詮索せずに居てくれる。
性癖に関しては、誰しも自由になるべきだもの……そう言われると、騙していることが申し訳なくなるけど仕方ない。
今のところこのお店で取引が行われているという情報が入っただけで、ママが手引きしているのか、それとも店子の誰かが一枚噛んでるのか現時点では分からない。
ただ分かっているのは、違法ドラッグの売人に熊のような姿の男が居るらしく、この店で何度か目撃されているという話だった。
そしてまだひよっこである僕らにこんな潜入捜査の依頼が来たのは、お店が若い子をメインで揃えているかららしい。
とはいえ危険な任務だから、取り合えず決定的な証拠を掴んだら報告をして、最後の逮捕はベテランのヒーローと警察が実行するということだった。
とにかく早く手がかりを見つけて解放されたい。
「あんまり無理しなくていいのよ?お仕事がキツかったらお休みしていいんだからね」
「ありがとうございます」
ママはこう見えていつも気にかけてくれる。だからこんな人が犯罪者だなんて信じられない。
甘いかもしれないけど……。
夜勤明けの日勤はやっぱり少しきついな。
向こうに夜勤した次の日は遅出でいいって言われてるんだけど、つい癖で普通に朝出勤してしまう。
「あれ、緑谷くん昨日あっちだったのに大丈夫?」
事務所の所長に声をかけられた。
「ちょっと眠いけど大丈夫です。報告書が溜まっちゃってて」
「どうしてもしんどかったら言ってね。ところで捜査の方はどう?」
「はい、まだそれらしき現場は特に……熊男の姿も見ませんし、店側もあやしい動きは今のところありません」
「そうか。新人の君にこんなことをさせてしまってすまないね。本来は新人にやらせるべき仕事ではないんだが、しかもオールマイトから預かった大事なルーキーに……」
「いえ、僕からすすんでお受けした話です。いい経験になると思うのでやらせてください」
そもそもこの潜入捜査の話が来たとき、なかなか依頼できるヒーローがいないとのことで警察も地域のヒーロー事務所も困っていたとのことだった。若い男性でまだ知名度が低く、とっさに対応できる強い個性のヒーロー……まだ未熟かもしれないけど、僕で力になれるならば頑張りたい。
しかもこの事件、異なスピードで拡がっている違法ドラッグについて……これは、オールフォーワンの息がかかった組織がばら撒いているという噂があるんだ。それならば、僕としても何か動きたい。
そうだ、だからこれは大事な任務なんだ。
大事な任務……そう自分に言い聞かせる。
「いずいず~!今日はねー、ナースデーよ!」
「ナース!?」
そうなのだ、このお店は、普段はバニーボーイの格好で接客するんだけど、たまに別のコスプレをする日があるみたい。これもやっぱりママの趣味なんだろうか。きっとそうだろう。
「ほらこれ!可愛いでしょ!」
見せられた衣装は、なんというかあの激安の殿堂で買ったような、いかにもコスプレって感じのナース服だった。しかもスカート丈が異様に短い。ってスカートって……完全に女装じゃないか。いやバニーの格好も男性とか女性とか関係なくなんかすごい感じだけども!
「ぼっ、僕普段の奴じゃだめですか?」
「駄目駄目~!絶対似合うから!見て~このナースキャップウサ耳付いてるの!特注で作らせたのよー可愛いでしょーっ」
う、やっぱりウサ耳も付けるのか。なんというかコスプレへの拘りが半端じゃない。
「うちはね、コンセプトバーだから、若い男の子の可愛いところを魅せるのがウリだからね!」
肩をぽんと叩いて励まされる。
「大丈夫よ、最初は誰でも緊張しちゃうもの……でも、いずいずも可愛くなりたいからうちに来たんでしょう?自信持って!絶対可愛くなれるから!」
お店でも一番派手なドピンクのいかついナースに励まされ、僕は戸惑いながらも素直に頷いた。
「は、はい……頑張ります」
そうなんだ、僕は今自ら志願して入店しているんだ。しかもヒーローをしながらも隠した性癖を解放するために、わざわざ危険を冒してまで……したくてここに来ている、という設定なんだ!
だから嫌がるそぶりなんて見せられない。けれど……
「に、似合うかなぁ~ハハハ……」
絶対にお笑いにしかならないと思うと、引きつった笑いにしかならなかった。僕はまだまだ未熟者だ。
「ギャハハハハハ!なんじゃそりゃテメェ!マジか!」
だから言ったじゃないかーっ!さっそく爆笑をさらってるじゃん!
「っていうかなんでまた来てんだよかっちゃん!もう来ないでって言ったのに!」
ご丁寧にキャップとグラサンで素顔を隠し、また幼馴染が僕を指名してきた。
しかもバニーに続いてナース服とか最悪だよもう。世界で一番見られたくなかったよ。
いやオールマイトが一番かな!かっちゃんは二番目かな!
なんてそんなことはどうでもいい、とにかくもうなんていうか死にたい。
「本当に嫌だ、っていうか何考えてるんだよ君は」
「ハッ、そりゃ完全にこっちの台詞だわ。いいからはよ酒よこせや。客だぞこっちは、サービスしろ」
「ぐぬううぅううぅ~」
僕は怒りと恥辱とやるせなさに震えながらも、ズカズカとかっちゃんの隣に行った。ボッスと勢いよく座るとパンツが見えそうになり、うんざりしながら少しでも隠そうとスカートを下へと引っ張る。
「てめぇそれ下何履いてんだ」
かっちゃんが不躾な視線を寄越しながら呆れ口調で聞いてくる。
「聞かないでよ……水割りでいいよね」
前回と同じく僕は水割りを作り始めた。
氷を落とさないようにグラスに入れ、マドラーを使ってくるくる混ぜる。グラスを冷やすためらしい。グラスのふちに沿って、あまり音をたてないように……それからお酒を注ぐ。なんでもボトルのキャップは手に持ったまま注がないといけないんだって。こういったやり方はすべてママや先輩に習ったんだけど、意外と難しくてまだ慣れない。
「手ぇぷるぷるしてるぞ」
「それが意外と難しいんだよこういうの」
それからミネラルウォーターを注いで、もう一度混ぜる。よく混ざったら今度は氷の回転をそっと止めて、その頃には氷が少し解けちゃってるから、追加でひとつ、氷を乗せる。それでグラスに水滴がついちゃってたら、ハンカチで拭ってからお出しする。
「はい、どーぞ」
「似合わねぇことしやがって」
かっちゃんはやっぱり文句を言いながらもグラスに手をつけた。僕もそう思うよ。
「てめぇは飲まねーんかよ」
「僕はお水でいいよ。お酒苦手なんだ、ママには内緒ね」
本当は店子は別でドリンクを注文してもらったりすると、別料金でお店の儲けになるらしい。でも僕はすぐ酔っ払っちゃうし、潜入捜査中だからなるべく飲酒は避けている。他のお客様のテーブルに着いたときも少しは飲まざるを得ないんだけどね。
「なんで僕の出勤日分かったの?」
もしかしてかっちゃん、僕が捜査をしている情報をどこかで……?
「ハッ、店に電話して聞いたったわ、いずいずの出勤日いつですかってな!」
かっちゃんがまたゲラゲラ笑いながら言う。
ううぅマジでかかっちゃん!わざわざ僕への嫌がらせのためにそこまで!?
「他に源氏名なかったんかよ」
「ママに名前可愛いとか言われちゃって……」
「まさかてめぇがホモでこんな趣味があったとはなァ」
そう言いながらまたじろじろ見てくる。これには海より深い事情が……っていうかもう察して欲しい。言ってしまいたい。
すると急に、かっちゃんの手がぬっと伸びてきて僕のスカートの裾を摺り上げてきた。
「ちょ、ちょっと何すんだよ!」
「だから下に何履いてんのか気になんだよ、きめぇパンツ履いてんじゃねぇのか」
「きめぇなら見ないでよもう!」
僕はかっちゃんの手を払いのける。スカートの下なんて……見せられるわけないだろ!だって仕方ないじゃないか、短すぎていつも履いてるボクサーパンツじゃはみ出るんだもん。用意された下着をつけるしか……うう、絶対に見せる訳にはいかないよ。特にかっちゃんには。
駄目だ、もう限界だ。問いただそう。
「かっちゃん、真面目な話どうしてまた来たんだよ?もし爆心地がゲイバーに通ってるって噂になったらどうするんだ」
「別にいーだろが。悪いことしてる訳じゃねぇ。俺の勝手だわ」
「僕が嫌だ」
「あ?」
「君にこれ以上妙なスキャンダルがつくの、僕は嫌だ」
かっちゃんが怪訝な顔をする。何の話をしてるのか察しがついたんだろう。
「あのさ、別に君がセクシー女優と噂になったとか、全然構わないんだよ。本気だったらさ。でもそれならやっぱり女性のいるお店へ行くべきだと思う。このお店こう見えても観光ゲイバーじゃなくて、本物のゲイの人向けのお店だから。君が本当に来たくてここに居るならそりゃ止める権利はないけど、ただ僕をからかいに来てるんだったら……」
「あら~、いいじゃない!イケメンなら歓迎よ!」
僕がかっちゃんに真面目に話をしていたら、背後から店内一いかついピンクのナースが診察に来た。
「ちょっとちょっと、紹介してよいずいず~!こんなイケメンのお友達がいるなんて聞いてないわよぉ~!はじめまして、ここのママです!どうぞゆっくりしていってね」
「ッス」
かっちゃんはぺこりと頭を下げた。
「ゲイ向けのお店だけど、堅苦しいことは言いっこなしよ!それにほら~、わざわざ何回も来るなんて理由は決まってるじゃなぁい、ねぇ?」
ママがばちこんとウインクすると、かっちゃんは満更じゃない顔をして僕の方へ向き直る。
そしてそっと、むき出しの太ももに手を乗せられた。
「こいつは鈍くてなかなか靡かねぇから、なあ」
「え、えっ?」
急に、彼はさも僕に気があるみたいな態度をとってきた。えっ、かっちゃんて本当は僕のことを……?ってそんな訳ないか。じゃあママに追い出されないように、ゲイアピールしてるんだろうか。なんでそうまでするの?僕はかっちゃんの考えてることがさっぱり分からない。
「あら~いいじゃない!いずいずしっかり通ってもらってちゃあんと考えてあげるのよ!振られたら私がなぐさめてあげるわ~!」
ママはやたらとテンションが高かった。
それにしてもなんだか困った展開になったなあ。
「ちょっと、いずいずはなんてこんなイケメンなお友達を拒否すんの?」
「えっ、いや、あの……」
一体どう答えたらいいんだろう。やっぱり彼はストレートだからって素直に伝えたほうがいいんだろうか。
「あのねいずいず、もっと解放されていいのよ。自分の欲望に素直になりなさい。ここはその為のお店なんだから~!」
だめだ、色々退路を塞がれる前にきっぱり断らなきゃ。
「……あの、好みじゃない、から?」
「あァ?何で疑問系なんだよ」
「あら、若いイケメンはダメなの?私は大好きよ!でもじゃあ、どんな人が好みなの?」
「え、えっと、つ、強い人かな?」
「あ?じゃあなんで好みじゃねぇんだよドンピシャだろが!」
「まあまあ!あなた強いのね、ますます素敵だわ!」
「た、確かにそうだけど、うーん、あの……背が高くて、ムキムキで、最強なのに優しくて笑顔が爽やかで出来れば金髪で……」
誰のことを言っているのか察したらしく、かっちゃんの顔がどんどん曇っていく。
「……てめぇ、マジかよ……さすがに引いたわ」
「あっ、いや違うけどっ、だだだれか特定の人を差してるわけじゃないようなあるような感じだけどっ」
違うんだ!決してそんな目で師匠を見ているわけじゃないんだ!
でもたとえ話をするなら彼しかいないんだもの!
「あらでも、だったら彼イイセンいってるんじゃない?いずいずより背が高いだろうし服の下はなかなかゴツそうだし、金髪じゃない?ん~、いずいずはオラオラ系より、優しい爽やか系が好みなのね!」
そっ、そう言われてみれば確かに、そこまで外れている訳でもない!嘘だろ!
「そ、そうです。僕優しい人が好みなんです」
「へぇ~、だったらそう言ってくれやクソナード君よぉ?」
かっちゃんがにやりと笑った。でもそれは爽やかな微笑みというより、まるで中学時代を思い出すような悪魔の微笑みだ。怖い。
「優しくしてやるから何でも言えや、あ?ボトル入れるか?」
「い、いやいいよ。高いんだから」
「あらーっ素敵!じゃあメニュー持ってくるわね!」
ママはいそいそと席を立つ。
「ちょっとかっちゃん、本気で何考えてんだよ」
「っせーな、こうでも言わなきゃ店おん出されるだろが」
「おん出されたらいいだろ!なんでまた来る的な雰囲気出してんだよ!」
「次のシフトは明後日だろーが」
マジか、明後日も来るつもりなのか。さすがにこれはおかしい。
「……君、一体何が目的なの?もしかして……」
僕が入店している理由を知っているの?でもそれならこんな、邪魔するようなこと、さすがに僕のことをよく思っていなかったとしてもかっちゃんはしそうにない。
じゃあ一体なんで……
「だからあ~、目的なんてひとつに決まってるじゃなぁい?ねぇお客さん?そろそろお名前教えて欲しいわ」
そういうと、かっちゃんは今までかけていたサングラスを外す。
「爆豪です」
そう頭を下げた。
「えっ、かっちゃん!?」
「あらっ、あなたもしかして……」
さすがにこの見た目では、ママも正体が分ったらしい。
かっちゃんは今爆心地として、同期のルーキーとしては1番といっても過言じゃないほど活躍をしている。
「できれば俺が同級生のケツ追っかけてンのは内密にしてもらいてーんだけど、お願いできますか」
「やだ……分ったわ!二人の秘密は店外に漏れないように私が責任持つわ!だから安心してちょうだい!存分に愛を深めて頂戴~!」
ま、待って!この展開に頭が全然追いつかない。
ママはかっちゃんにメニューを見せて、結構するボトルを注文していた。ああ、どうすんだよこれ。本当に通うことになるじゃないか。きっと大きな事務所に入った君は、僕なんかより高いお給料貰ってるんだろうけど、それでも消して安いものじゃないのに。
「かっちゃん……君、本気なの?」
「さっきからそう言ってんじゃねぇか」
「ほらほらいずいずもそんな顔しないの!初めての上客じゃない~!ほら、ちゃんとお礼を言わなきゃ」
「もう……ありがとうございます」
僕はむすっとしたままぺこりと頭を下げた。
「そんだけか?」
「ほんとよ~。ハグとちゅうくらいしたげなさいよ!」
「ええっ、お、お触りはなしなんじゃないんですか?ここは紳士の社交場なんじゃないですか~っ」
僕は抵抗したけど、やんややんやとはやしたてられ、引けない状況になった。
「分りました!かっちゃんこっち向いてっ」
やけくそになった僕は、指示通りにこちらを向いたかっちゃんの両肩をがっと掴んで思い切り引き寄せた。
そして背中をバンバン叩くと、かっちゃんのほっぺにぷちゅっとキスをする。
ホントに、なんでこんなことやってるんだろう。
かっちゃんだってさぞかし嫌だろうに!
そう思って彼を見るけど、なんだか複雑そうな顔をしていた。でもなんか、心なしか頬が少し赤い気がする。
照れてる?ってまさかね。お酒飲んでるせいだからだろう。
ママはよくやったと拍手して褒め称えてくる。
「ボトルも入れてくれたことだし、また是非来て頂戴ね!」
その日は結局二人でゆっくり話す間も持てないまま時間切れとなり、ママと二人でお見送りをした。
お店が終わった後でそっとスマホを取り出し、メッセージアプリを見る。かっちゃんとはお友達登録をしていないけど、クラスのグループチャットを辿れば彼のアカウントにアクセスすることは可能だ。
……どうしよう。一体なんて声かけたらいいんだ。
理由を問いただしたとして、もしこちらの目的まで話さなければいけなくなったとしたら……現時点ではそれは出来ない。僕はスマホを静かに閉じた。
事務所に相談しようか。でもかっちゃんの痴態を晒すような自体になったらそれはそれで嫌だし。
も~っ、しっかりしてよ爆心地!今活動してるヒーローでは断トツでファンなんだぞ!ゲイでもないのになんでゲイバーにいりたびってんだよ!もっとこう、ヒーローとしてリスクマネジメントもちゃんとしてよね!
やっぱり絶対裏があるんだろうな。でもあの調子じゃ素直に話してもらえないと思う。
ああ、一体どうしたら……。
「爆心地がお店に来た?」
結局、そっと事務所に話だけは通しておくことにした。
「もしかして爆心地、緑谷くんのこと好きなの?」
「いや、そんな訳ないじゃないですか!絶対何か裏があると思って」
「うーん、そうかあ。もしかしたら向こうでも調査してるのかな。潜入メンバーについては情報共有させてもらってるけど、彼の事務所にはいないしねぇ。」
「本人に聞いても教えてくれそうにないんです」
「