冬少女この国には、十六年ごとにひとりずつ、冬少女と呼ばれる生贄を氷の城へ捧げるならわしがあった。
氷のように美しい銀の髪を持つ少女。
十六の
齢になったばかりの少女を。
冬少女の名は伝わっていない。
仮に名付けるとすれば、メル・ラ・ヴィー。
これは冬少女の物語。
メルにはなぜか、その日までの記憶がない。昨日までは違う世界、違う自分、別の時代だった気がするのに。どうして今は冬少女となって、こんなところに座っているんだろう?
はてさてどうして困った話のこの運命。今はどこ? わたしはなぜ? ここは誰?
とにかく、今、メル・ラ・ヴィーは、冬少女としてこの椅子に座っている。
でも、周りの人はそんなことぜんぜん気にしていなくて。そもそも彼女の顔なんか誰も見ていなくて。
同じように顔のない神官たちが声を揃えてオジギをする。
「十六歳のお誕生日をおイワイ申し上げます」
「貴女様こそがシンジツの聖女様でございます」
「素晴らしい聖女さまに心からのカンシャを」
「我が国のクナンをお救いくださる聖女さまはなんとお美しく気高いのでしょう」
入れ替わり立ち替わり、今度は王子様に王様までやってくる。
「君の瞳はまるで太陽、ハニーベイビーキュートなキッスに僕のハートもメロメロプリンさ」
うやうやしくひざまずいては、貢物を捧げて逃げてゆく。
黄金、宝石、南国の果物、ステキにおめかし選び放題、褐色の肌のイケメン執事。美少女美幼女美魔女なメイド。それからそれから? きらめくグラスのプリンタワーは世界でいちばん甘美な誘惑。何でもござれの贅沢三昧。
何てラッキーな人違いかしら。どうしてみんなこんなによくしてくれるの?
現れたのはお付きの修道女。かしずき、ぬかずき、しずしずと言う。
なぜなら今日は、あなたの
誕生日です。
冬少女を捧げないと、氷の女王は激怒する。天から大地へ突き刺さる氷の城は、まるで大地を殺す千本槍。
冬少女を捧げないと、氷の女王は激怒する。人間の何十倍もある氷の槍が無数に降り続いて、国じゅうを白く凍りつかせる。
冬少女を捧げないと、氷の女王は激怒する。次の冬少女が捧げられるまで、ずっと、もっと、大地を凍らせる。
氷の女王を恐れた人々は、銀の髪の少女を聖女として、愛おしく育て、きよらに飾って、氷の城へと連れてゆく。
誰もが言祝ぐ、それは十六年に一度の、盛大なる氷の祭典。
誰もが聖女の死を望む、それは十六年に一度の荘厳なる氷の葬礼。
ようやく、メルは思い出す。
ある日、森の中。メルが出会ったのは、それはそれは美しい銀の髪をくしけずる春の女神だった。
銀の髪の少女は歌う。
氷の山の氷の泉の氷の流るほとりには 天から大地に突き刺さる氷の城があるという
あまたの
氷薔薇に囲まれて
冬寒み
冱てつき
凝るという
近づくことすらままならぬ 氷の城のその奥に 氷の女王が住まうという
雪の吐息氷の瞳流れる髪はつららの針 氷の手をした氷の女王
あしたわたし氷の城へ嫁ぐの。十六年に一度の花嫁として。
わたしあした冬少女になるの。赤い花をいっぱい摘んで。
花の綱をドレスにつけて、女王様のもとへまかり越すの。まるで春の嵐みたいに花びらを舞い散らして。だからわたしあしたお城へ行くの。ああ何て幸せなことかしら。
銀の髪の少女とメル・ラ・ヴィーは、まるで鏡で写したように瓜二つ。
「もしかして、わたしたち離れ離れになった双子の姉妹かもね」
なんて、いたずらっぽくころころ笑ったりして。
「そうかもね。あなたのお名前は何ておっしゃるのかしら?」
「わたしの名前は、メル・ラ・ヴィー」
二人の声が重なって。二人の運命が重なって。二つの運命の輪が永遠に回り始める。
彼女の物語をつむぐ歌を、歌うわたしはあなたの運命。あなたはわたし。わたしはあなた。あなたの歌を、わたしは歌う。
白く白く どこまでも白く 氷の鎖につながれて
赤く赤く どこまでも赤く 愛の火にその身を焦がして
女王は歌う このセカイを縛る歌を
このセカイが凍りつく歌を そのココロを凍らせる歌を
歌う 歌う 愛がコワレるその日までずっと
そこへ現れたのは銀の騎士。聖女に恋する高貴な若者。愛に殉ずる数奇な騎士は聖女の手を取り、知り得たまことの真実を告げる。
今すぐ、ここから逃げ出そう。
手に手を取って追っ手から逃れ、山越え国捨て川を下って海へ向かおう南の島へ。
そこは毎日が夏のようにじりじりと暑く、茹だるような恋の島。心の冷たい氷の女王には近づけない島だ。
僕は聞いたんだ。王様と王子が言っていた。
何もかもが嘘なんだ、って。メル・ラ・ヴィーは聖女じゃないって。
城へ行く道のあちこちに、閉ざされた氷に飲み込まれ、生きながら溺れる氷像の騎士がいる。聖女を救おうと愚かにも願い、氷を乗り越え正義を歌い、望みかなわず愛する聖女と、ともに氷の鎖に囚われて。永遠の絶望を見上げている。
氷の女王と氷の城は、死にゆく聖女の涙でできているんだ。
もし君が僕を愛してくれるなら。
もし君が僕にすがってくれるなら。
君を愛する僕の話を聞いてくれ。
君を助ける僕の歌を聞いてくれ。
今すぐ、一緒に逃げ出そう。
僕は聞いたんだ。
聖女とともに城へ向かった騎士は、聖女とともに氷の城の、深い深い地下の湖に、氷の刃となって眠りにつく。
氷の女王は壊れた聖女の成れの果て。
死んだ聖女が世界を呪って。
世界を氷の涙で覆い尽くすんだ。
君を氷の城へ捧げても世界が変わる訳がない。凍った国は凍ったままだ。人の心もとっくの昔に凍りついて、二度と溶けない永久凍土。誰も君を本当に愛してなんかいないんだ。君を、城に、投げ捨てて、16年の猶予を貰うだけ。
だから逃げよう。今すぐ逃げよう僕と一緒に。何もかもが嘘だったんだ、君が教えられてきたことは。
だって愛は我儘だから。
だって愛は奪うから。
だって愛は縛るから。
だって愛は壊すから。
永遠に。
愛は。
愛し合うものの手には届かない。
さざめき、笑う。微笑み、笑う。氷が、笑う。笑う。凍る。
銀髪の聖女は騎士から逃げる。逃げる。赤い花を手に走り出す。
騎士は聖女を抱きとめる。ひらめく刃が氷のよう。銀の兜の下にあったのは、氷のように青い顔。逃がさないよと騎士は言う。
氷の女王は君を愛してなんかいないから。
冬少女を氷の彫像にして。
冬少女を冬の魔女にして。
冬少女の涙で、セカイを凍らせてるんだ。
それは愛なんかじゃないだろう。
君を本当に愛しているのは僕だけなんだ。
だから愛して。守ってあげられるのは僕だけなんだ。君の笑顔でセカイを溶かして。季節外れの花を咲かせておくれと騎士は言う。
殺されるために生まれた君を。
愛してしまって殺せないなら。
こんな国など滅べばいい。
冬少女は微笑みがえし。
あなたも、やっぱり、嘘をつくのね。
女王に愛を媚びるために、偽りの愛を捧げるこの国も。
いっときの愛を買うために、仮面の正義を語るあなたも。
みんな、やっぱり、嘘をつく。だから。
わたしは女王様のもとへゆく。わたしの涙を、永遠に凍らせて。わたしの憎しみを、永遠に閉じ込めて。
叶わぬ想いに、騎士は叫ぶ。
逃げる聖女を、追いかける。
白い大地に、赤い花が咲く。
どこまでも赤く。赤く。赤く赤く。
咲いて咲いて雪の大地に赤い花が。季節外れに狂い咲く。咲いて、こぼれて。
埋もれゆく。
「お願い、メル・ラ・ヴィー。わたしを氷の城へと連れて行って」
胸に赤い花咲く冬少女はもうひとりでは歩けない。最後の願いを手のなかに、握りしめて声ふるわせる。
「お願い、遠い国の吟遊詩人。歌をおしえて。この悲しみを癒す歌を」
歌う声が氷の道を開く。氷の鳩が群なしはばたき、氷のけものが見守るなかを、氷の馬車がきらめき走る。氷の鐘が打ち鳴らされる。氷のウサギが頭をたれる。氷のシルクハットを胸に当て、手を差し伸べて口上を。
「冬少女さま、女王陛下のお召により、お迎えにあがりました」
荘厳な月夜の星くずきらめく夜を、氷の馬車はまばゆく走る。
はためく氷の旗のもと、氷の馬車はかろやかに走る。世界に突き刺さる氷の槍にむかって。世界を凍らせる女王の元へ。
馬車を降りると城の前。冬少女が歌うと、雪の下に花が咲く。
花咲き乱れる春の歌。氷の小鳥が肩に止まる。ぴいちくぱあちくさえずり歌う。
いろとりどりの花を摘んで、ツルを編んで、花の指輪を作る。
冬少女はひとつを指にはめ、ひとつを手渡す。お揃いね、と笑いあう。
氷の城門が重厚な音を立てて開いてゆく。白い霧が立ち込める。
ああ、何て優しい冬の霧。すべてを包み込む優しい霧。手を伸ばして触れると、ふわり、とすり抜ける。決して触れることはできないけれど、でも、たしかにあると分かる。
ここまでね、と冬少女。わたしにそっくりな、遠い国の吟遊詩人さん。わたしたちの歌を、皆に伝えてくれるかしら。
むかしむかし、あるところに、十六の
齢のきよらな少女を、氷の生贄に捧げるならわしの国がありました。
銀の髪の聖女たちが、冬少女を出迎えに現れる。誰も死んではいないし、誰も氷漬けになどなってはいない。永遠の命を与えられて、永遠に若く、生きているのだという。
差し上げる指輪が、これじゃあいくつ作ってもたりないわ。冬少女はくすくすと笑う。
深い鐘の音が鳴り渡る。白い霧がきらめきを増す。出迎えの聖女たちは、銀の髪をたなびかせて氷柱のようにひざまづく。
現れた女王は、まるできらめくシャンデリアのよう。誰よりも美しい氷の髪に誰よりも美しい氷の指先。氷のドレスの裾をひき、氷の王冠の宝石を瞬かせる。
女王は、胸に赤い花を咲かせた冬少女を抱き寄せる。
この国に愛されるべきものはもういない。
女王はいう。
この国はわたくしと氷の城を憎んでいる。物語を忘れ、冬少女を嘲り、歌を伝えることをあきらめた国。
わたくしたちはこの国から去ろう。冬が去れば、やがて春が来て夏が来るだろう。永遠の夏が。終わらない夏。もう、どこにも、わたくしの愛した氷の国はない。
氷の城が溶け始める。降りしきる雪解けの水はやがて雨となり、滝となり、どうどうと流れ落ちて溶けてゆく。
氷の女王が歌う。ありがとう。わたくしが愚かにも人の世を愛してしまったがために、この地に遺してしまった最愛の我が娘、その最後のひとりを助けてくれて。
氷の城は溶けてゆく。
わたくしたちの歌をつたえておくれ。わたくしは人の世を愛した。人の世を愛し、人を愛し、この国を愛した。だから。
この灼熱の国を氷で守り続けてきたのだ。吟遊詩人よ、歌っておくれ。人々に伝えておくれ。
それでもわたくしは愛している。
たとえ、どんなに裏切られても。この気持ちは変わらない。
決して、忘れはしない、と。
氷の女王の涙が溶けたとき、大地を覆っていた氷もまた淡雪のごとくに溶けてゆく。
天から大地を突き刺す氷の槍。その氷の下にあったのは。
灼熱の血を吹く火山だった。
噴煙立ち込め、毒の気を吐く火山だった。
大地は赤く溶けてゆき、割れた裂け目に溶岩が煮えたぎる。
氷の女王は眠りにつく。愛しい銀の髪の娘たちとともに、はるかな極北の地で眠りにつく。いつか、また、優しい雪がこの国を覆い尽くすときまで。
詩人は歌う。冬少女の物語を。
どんなに冷たく肌を切る風も。
とめどなくこぼれおちる涙の雪も。
てのひらに落ちて、はかなくあわく、とける氷も。
ひとひら、ひとひらが、愛のかたち。