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    しおり
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    しおり
    さよなら恋心 僕にはずっと好きな人が居た。
     小さな頃からずっと一緒で何でもできて個性も強くて格好いい幼馴染。
     そんな彼と自分が並び立てるのを夢見ていたのは四歳までだった。

     僕には個性がなかった。
     それでもヒーローになる夢は大好きな幼馴染にバカにされ虐められても諦められなかった。
     彼の隣に立つ自分を、諦めることが出来なかった。


     中学生になりバース性の検査が行われる。
     結果は自宅に届くことになっておりアルファとオメガだったものには別途案内が届くことになっていてプライバシーは守られる。
     僕は……オメガだった。
     何となくわかっていたことだ。この世界での強個性はアルファ。無個性、あるいは弱個性がオメガ。
     大体そういうふうになっている。

     僕は診断書と共に届いたガイダンスを読みながらため息をついた。
     予想はしていたのであまりショックは受けなかった。検査の結果僕はフェロモンが極端に弱いオメガであることが判明した。
     普段の生活は勿論、おそらくヒートになったとしてもフェロモンは強く香ることはない。
     余程鼻のいいアルファか運命の番と呼ばれる最高に相性のいいアルファでなくては僕のフェロモンは感知できない。
     オメガとしては出来損ないなのだろうけれど、僕は安堵の息を漏らした。
     折角オールマイトから個性を貰いヒーローへの道を進む資格を手に入れた今、バース性にそれを阻まれたくはなかった。
     僕のフェロモンはアルファを誘わない。
     憧れた幼馴染のアルファをどんなに想っていても無意識に放たれるフェロモンに気付かれることはないのだ。
     決して報われることのない想い。
     拒まれることは判っている。


     検査に訪れた病院で好きなアルファはいるかと聞かれて頷く僕にならば番になってもらってはどうかと言い出した医師に僕はこの想いは叶わないものだと詳細を告げた。
     医師は心配そうに眉を寄せベータ堕ちの話も症例は少ないが、と説明してくれた。
     とても深刻な状態に陥るその症状は時には命さえ落とすこともあるらしい。
     僕の置かれている現状を考えると起こりうることだと説明を聞いて納得した。
     ベータ堕ちの危険がある以上初めてのヒートが終わるまでは気持ちを告げないよう注意された。
     そして初めてのヒートが終わった後、改めて別のアルファと見合いすることを勧められた。
     今僕が幼馴染に抱いている想いはオメガとしてアルファを求めているのか、憧れが行き過ぎた物なのかヒートが来てからでなくては判断は付かない。ヒートが来てなおそのアルファを求めたらそれは本能が選んだ相手ということになるとその医師は言う。
     初めてのヒートが来てみたら全然違うアルファに惹かれたなんてことも充分起こりえるのだと慰めるように言ってくれた。

     せめてヒートが来るまでにその幼馴染との関係を改善できるといいねと優しく言ってくれる医師に頷きながらもそんな夢みたいなことは起こらないと心の中でため息をついた。

     番なんて。自分を誰かが好きになってくれるなんて想像もつかない。
     無個性で、何もない出来損ないのオメガ。そんなものを欲しがってくれる人なんていやしない。

     僕はきっとずっと独りで誰とも番わず生きていくのだろう。

     それでも、オールマイトと出会い個性を貰ってヒーローとして生きていけるのならそれで充分。
     本当にそう、思っていたし、覚悟も決めていた。


     雄英高校に入って制御が上手くいかない個性を自分の物にしようと頑張って来た。
     幸いなことにまだヒートは来ず、相変わらず僕のフェロモンは薄く弱い抑制剤を飲むだけでベータと同じように生活できた。
     担任の相澤先生とオールマイトは僕がオメガであることを知っているがクラスメイトは僕がオメガであることを誰も知らない。
     勿論、幼馴染である彼も僕がオメガであることは知らない。
     一度聞かれたことはあるがベータだと言った僕に特に突っ込むこともなくその話題は二度とされることはなかった。

     フェロモンの薄い僕はオメガとして不完全でもしかしたらこのままヒートも起こらず生きて行けるのではないかと思っていたんだけど……。

    「はぁ……調子が、悪……風邪?」
     朝から微熱が引かない。風邪にしてはなんだか気分がふわふわと落ち着かずオタク気質が幸いして読み込んでいたガイダンスに書かれていた症状であると気づく。
    「……ヒート……」
     期末試験が終わり全力を尽くした。
     久しぶりに幼馴染と長時間傍で僕らにしては濃厚な接触をした。普段教室の前後の席だが決して会話したり触れ合ったりするような間柄ではなかった僕らにとってあの共闘は何年振りかになる会話と触れ合いだった。
     あの後からずっと体の奥が熱かった。
    「お母さん、今日、休む……」
     くらくらしてきた頭でそう告げる。このまま学校に行ってヒートが起きてしまっては大惨事だ。
     いくら薄い香りしかでないといえ発情中のオメガのフェロモンだ。アルファの多いあの学校でどんなふうに作用してしまうか判らない。
    「あら、どうしたの?」
     朝食の用意をしていた引子が慌てて駆け寄る。
    「たぶん、ヒート……来た」
    「あらあら⁉ お母さん今日仕事休もうか?」
    「ううん、大丈夫。薬もあるしそんなに酷くならないと思うから行って来て」
    「そう? 誰か来ても開けなくてもいいからね?」
    「うん」
    「辛かったらすぐ電話してね?」
    「うん」
    「ちゃんと鍵かけるのよ?」
    「うん」
     仕事の時間が迫るというのに細かいことを何度も確認する引子に心配はいらないからと何度も言ってようやく出掛けて行った。
    「……ふぅ」
     ガチャリと後ろ手に鍵をかけて体の熱を吐き出すようにため息をついた。
    「ついに来ちゃったんだ」
     もしかしたら、出来損ないのオメガならヒートなんて来ないんじゃないかっていう甘い期待は打ち砕かれた。
     ヒートが来ると体質が変わることがあるという。
    「終わったら、病院行かなきゃ……」
     ふらふらと自分の部屋に戻りベッドに潜り込む。
     もぞもぞと足を擦り合わせ何とか熱を逃がそうとするが治まらない。

     触れるとびりびりと痺れるような快感が体を支配した。
     どれほど耐えようと思っても抗い難い熱が体中を駆け巡る。
     一応と思って敷いたバスタオルはそろそろ替えなくてはいけないほど濡れていて僕は体を起こした。
     その瞬間、玄関のチャイムが鳴った。
    「!!」
     びくりと体が震え、慌ててバスタオルで下半身を拭い下着とズボンを身に着けた。
     濡れたバスタオルを床に落としベッドに潜り込む。
    「何だろ……宅急便とかかな……。出なくていいってお母さん言ってたし出なくていいよね」
     いくらフェロモンが薄いとは言えヒート中だ。
     自分ではわからないがもしかしたら匂いが漏れている可能性だってある。
    「早く、帰って……」
     間隔を開けて鳴るチャイムの音が早く止んでくれと願うように布団を被った。

    「おい、デクいんだろ!」
    「⁉ か、かっちゃん……⁉」
     声を聴き慌てて布団から這い出し、のろのろと玄関まで歩く。

    「あの、何?」
    「プリントあんだよ! あと見舞い、ババアから!」
    「ごめん、開けるの、無理……。外に置いといてくれる?」
     今開けるわけにはいかない。
    「はぁ⁉ ……そんな具合悪ぃんか。おばさんはどうした」
    「お母さんは仕事……。具合は……、その、あんまりよくない……だから……」
     早く帰ってくれと祈るように呟く。
    「……チッ。いいからさっさと開けろ」
     イライラした声と同時に小さく爆破の音がした。
    「早くしねぇとドアぶち破るぞ!」
     みみっちい彼の事だ、本当にドアを壊すなんてことはしないだろう。けれどもしかしたおばさんに僕の様子をちゃんと確認して来いとでも言われているのかもしれない。開けて受け取ってすぐ閉めればいいだろう。

     ここでごねているより早く受け取って終わらせてしまおう。
     熱に浮かされた頭は回らない。よろよろと玄関に近づく。

     鍵を開けノブに手をかけドアを開いた。

    「っとにどんくせ……⁉」
     文句を言いながら僕を見下ろす幼馴染。
     赤い目が僕を見て久しぶりに真っ直ぐ視線が合った。
    「「……っっ」」
     その瞬間、僕の体からあり得ない量のフェロモンが放出された。
     僕の頭の中は目の前のアルファに抱いて欲しい。それ一色に染め上げられた。
     彼はフェロモンの香りに顔を歪めて僕を驚愕の目で見ている。
     見舞いの品だと言っていた紙袋が落ち、ぐしゃりと潰れた音がして中に入っていた果物の果汁が染み出し床を汚したのが見えた。
    「かっちゃん……」
     ごくりと喉が鳴る。彼が、欲しくてたまらない。
     欲しい、抱いて、彼の子を孕みたい。
     もうそれしか考えられなくなった。

    「お願い、抱いて……」

     助けを求めるように差し出した僕の手に彼は目を見開いて固まり次の瞬間怒りの表情を浮かべた。
    「……っ、ふざけんなクソデク!」
     腹の底から叩きつけるような罵声に体が竦み勢いよく振り払われた手の痛みに少しだけ正気が戻る。
    「……っ」
     言い訳をする間もなく叩きつけられるようにドアが閉められた。
    「……ぁ
     彼の心みたいに勢いよく閉ざされたドア。その大きな音に僕は冷水を浴びたように意識を引き戻された。

    「ぁ、僕は……何を……」
     伸ばしていた手を戒めるように胸に抱く。体が寒くもないのに震え出し止まらない。
    「なんてことを……」
     こうなることは判っていた。決してやるまいと誓っていたのに。
     医師にも特にヒート中は注意するようにと検診の度に言われていたのに……。
     バース性の恐ろしさをこんな最悪の形で知りたくはなかった。
    「あ……ぅ……」
     勝手に涙が零れ胸が潰れるように痛い。

     僕が番いたいと願ったアルファに拒絶されたことを理解した。

    「ぅ、わああぁぁぁ!」
     叫び咽び泣く慟哭が止められない。体中が引き裂かれるみたいに痛くて熱い。のたうち回りあちこちに体をぶつけるその痛みがぎりぎり正気を呼び起こす。

    「ああああ!」
     幸い個性が暴走することはないが体の異変に正気を保っていられない。
    「ぐぁぁ……っっ!」
     狂ってしまいそうな自分を止める為腕を噛み、体を、頭を壁や床に打ち付ける。
     形振りなど構っていられない。

     そうしてどのくらいの時間が経ったのか、再び玄関のドアが開いた。

    「外に落ちてたけどこれ……⁉ 出久⁉ どうしたの⁉」
    「ううう……」
     僕は腕を噛んだまま答えることが出来ない。床や壁は僕の流した血で汚れ、僕自身も傷だらけだ。
    「救急車呼ぶからね⁉ 待っててね⁉」
     あまりに悲惨な光景に引子は噛んでいる僕の口と腕の間にタオルを挟みながら救急車を呼んだ。
     サイレンを鳴らしすぐにやってきた救急車に乗せられ僕はそのまま入院することになった。


     暴れ自傷する僕は隔離されベッドに強制的に縛り付けられて定期的に鎮静剤と栄養剤を打たれながら一ヵ月を過ごした。
     その間の事はあまり覚えていない。
     ただ辛くて苦しくて悲しくて引き裂かれそうになる体と心を何とか繋ぎ止めようと必死になっていた。

     そしてある日、すっきりと目が覚めた。
     今までずっと苦しかったものが消えてまるで生まれ変わったように感じた。
     目を開け、体を起こそうとしたが動かず視線を巡らせて自分がベッドにベルトで固定されていることに気付く。
     あちこちを管で繋がれ自分がどれほど酷い状態だったかを理解して大人しく体の力を抜いた。
     最近怪我や入院に慣れていたせいで逆に落ち着いてしまった。

     しばらくそのままでいるとノックの後部屋の扉が開き看護婦が顔を覗かせた。
    「あの……」
    「あら⁉」
     声をかけたら看護婦が驚いた顔をして駆け寄って来た。

     いくつか質問をして僕の目に正気の色が戻っていることを確認した看護婦が慌てて医師を呼びに行く。
     君は死ぬところだったと医者から説明されながら怪我を治療され検査を受けた。
     僕を担当してくれたのはベータ堕ちを心配してくれていたあの医者だった。
     状況を説明しながら検査を受けた。

     ……結果。

     医者が心配してくれた通り僕はベータ堕ちをしてしまっていた。
     僕は、かっちゃんへの愛情的な執着とオメガと言う性を失いベータになった。
     だけどそれは僕にとっては喜ぶべきこと以外の何物でもなく。

     長期入院も半分は夏休みに入っていた為学校をあまり休むことなく、合宿にも参加できそうで本当に良かったと思った。
     オメガがアルファに恋をする時。
     それは生涯にただ一人。貴方だけと心に決めたアルファが現れた時だけ。
     そして普段は誰彼構わず誘惑するフェロモンがそのアルファにだけ向けられる。
     強く、深く、貴方だけが欲しいと望むそのフェロモンをアルファは拒めない。
     バース性において一番立場の弱いと思われるオメガだが、番を選ぶその本能にアルファは逆らうことが出来ない。
     だが、そのことは世間にあまり知られていない。
     オメガの方からアルファを求めること自体が稀であること。
     アルファの方が絶対数が多いこと。
     またこの個性社会においてオメガの多くは無個性であること、全てのアルファが強個性であること。
     虐げられて生きて来たオメガが自らを虐げるアルファに恋心を抱くことは殆どない。
     それでも番が産まれるのは逆らえない本能と惹かれ合った二人の間に育まれた愛情があるからだ。

     オメガに望まれ番った二人は深く結ばれ幸せになる。

     運命の番。そう呼ばれるものである。

     だが、極稀に己の定めたアルファに手酷く拒まれることもある。
     相手にすでに番がいる。あるいはアルファ側の特殊な事情や心因的な要因が上げられる。
     拒絶するアルファの方にも相当な精神的負担が圧し掛かるが拒絶されたオメガはその比ではない。
     アルファに拒まれたオメガはその場で過剰ヒートを引き起こし狂う。
     孕みたいと望んだ雄が自分と番うことはない。
     子を孕むこと、子孫を残すことを優先とするオメガ性にとってそれは死よりも辛いこと。
     己の選んだ雄の子を孕みたいと望む本能と、それはもう叶うことがない現実。
     気が触れたように暴れ自傷し、叫び泣く。酷い時にそのまま死んでしまう。
     そしてようやくヒートが終わったその時には。
     愛と共にオメガ性を失う。
     これがベータ堕ち、と呼ばれている現象だ。
     

     チャイムを押しても誰も出てこない。
     引子さんはどうやら仕事に出かけているらしい。
     となると家には出久一人。あの心配性の引子さんが置いてでかけたのだからそんなに酷いことにはなっていないはず。
     ならばこの母親に押し付けられた見舞いの品を叩きつけて終わりだと思っていたのに、一向に玄関が開けられることはない。
     間隔を置いて何度も鳴らす。
     寝ているのかもとは思ったが一人で留守番をすることの多かった出久はチャイムの音に敏感だ。
     これだけ鳴らしても出てこないなのならもしかしたら容体が悪化している可能性がある。
     もしも中で倒れているのなら放置することは出来ない。
     あいつは昔から体調を崩すと重症化しやすい。
    「おい、デク!」
     チャイムを鳴らしドアを叩き出久を呼ぶ。
     やがて人の気配がした。
    「あの、何?」
     倒れてなかったことに無意識に安堵の息を吐き、無事なら無事でさっさと開けろと苛ついた。
    「プリントあんだよ! あと見舞い、ババアから!」
     顔だけ確認したら帰ろうと思っているのに一向にドアは開かない。
    「ごめん、開けるの、無理……。外に置いといてくれる?」
    「はぁ⁉ ……そんな具合悪ぃんか。おばさんはどうした」
    「お母さんは仕事……。具合は……、その、あんまりよくない……だから……」
     早く帰ってくれという気配がして苛立ちに拍車が掛かった。
    「……チッ。いいからさっさと開けろ」
     威嚇爆破を久しぶりに起こせば中の気配が動く。
     やっぱりどんくせぇなと開いたドアから覗くと真っ直ぐ出久と目が合った。


    「「!!!!!!!」」
     ぶわりと漂うこれは出久の匂い。フェロモンだ。
     やっぱりコイツはオメガだった。
     誘う様な普段はない色気、多分、初めての、発情期ヒート

     とろりと蕩けた目が俺を見て嬉しそうに綻んだ。

    「お願い、抱いて……」

     持っていかれそうな意識を必死に踏ん張り、伸ばされた手を力一杯叩き落としドアを閉めた。
     見舞いの品の袋がどうなったかなんてどうでもいい。

     俺の腹の中は怒りと熱で一杯で他の事を考える余裕なんてない。

    「くそ、くそ……! やっぱりデクのやつ、オメガだったじゃねぇか!」
     気を抜くとすぐにでも引き返して俺を誘う香りのする体を抱きしめに行きたくなる。
     身を引き裂かれるような痛みを怒りとプライドで振り払い何度も戻ろうと立ち止まる足を動かし自宅へ戻る。
    「はぁ……」
     玄関を開け中に入り込んで息を吐けば、まるで全力疾走した後のように汗が零れ落ちて来た。
    「くっそ、くっそ!! ふざけんな!」
     
     抱いて……。

     そう言って手を伸ばしてきたデクの幻影を一体何度振り払ったことだろうか。
     もしも昔問いかけた時、素直にあいつがオメガだと言っていたのなら俺はきっとあの手を取っただろう。
     だが、アイツは俺に嘘をついた。
     それが酷く悔しくて許しがたかった。


     ずっと俺のモノだと思っていた。
     誰も感じられないデクの匂いを俺だけが感じられていた。
     デクが俺だけに向ける特別な感情にも気づいていた。
     あいつがヒーローになるのを止めると言えば……。または好きだと直接告げられたのならばヒーローになる事を諦めるのを条件に受け入れただろう。
     だが、アイツはどれも選ばなかった。
     それどころか己がオメガであることすら偽った。

     ずっと許せなかった。俺に嘘なんてついて少し痛い目を見ればいい。
     もしも、万が一ヒートになって俺を頼ってきたのなら意趣返しとして突っぱねてやろうと思っていた。
     自分以外のアルファを出久が頼るとは微塵も思わなかった。
     あいつは、俺に惚れている。
     予想通り俺を頼って来たあの瞬間何物にも代えられないほど満たされた。
     堪らなく幸福で愛しくて……腹立たしかった。
    「……ハッ、ざまぁみやがれ」
     誤算はこれほど酷い喪失感を味わうと思っていなかったことだ。
     どれほど振り払っても鼻の奥に残る出久の香しいフェロモンの匂い。
    「俺に嘘なんかつきやがるからだ。精々苦しめ」
     散々苦しんだ後、やっぱり君じゃなきゃダメだと不細工な泣き顔を晒して縋りついてくればいい。
     未だ流れ落ちる汗は止まらない。体中が鼓動するように熱くなり喪失感は増すばかり。
     出久に会いに戻ろうとするのは本能だろうか。気を抜けば出久の元へ駆け出して行ってしまいそうな体を無理やり押さえつける。
     それを誤魔化す様にシャワーを浴び何度も吐き出して部屋に戻って気絶するようにベッドに倒れた。

    「……き、勝己!!」
    「⁉」
    「どうしたの、あんた。風邪? 熱あるの?」
    「……なんだ?」
    「何度呼んでも返事しないから見に来たんだけど……? ちょ……⁉」
    「??」
    「何? そんなに辛いの?」
    「何だよ、ババア?」
    「……あんた、気づいてないの? 泣いてるわよ?」
    「⁉」
     そう言われ慌てて体を起こし顔を擦って自分が泣いていることに気付いた。
    「ンだ。これ……?」
    「熱……計りなさい。出久君といい。風邪が流行ってるのかしらね」
    「? デクがどうした?」
    「あら、あんたあの騒音にも気づかなかったのね? 本当に大丈夫?」
     伸ばして来る母の手を振り払う。
    「出久君、容体が悪化したって救急車で運ばれていったのよ。しばらく入院になるってさっきすれ違った引子さんが言ってたわ」
    「……入院?」
     そんなに酷いヒートだったのだろうか。もしかしたらあの後鍵も閉められず通りがかりの誰かに……。
     そう考えたらゾワリと寒気がした。
    「病院、どこだ……」
     ふらりと立ち上がるが落ち着きなさいと引き戻された。
    「もう遅いわ。行っても家族じゃないのに面会なんて出来ないし、しばらくは面会謝絶なんですって」
    「……」
     心配よね、という母の言葉はどこか遠いところで聞こえた。

     体の半分をごっそりと持っていかれたような喪失感が拭えない。
     どこから来るのか判らないそれは片割れが死にゆく断末魔だったのだと後で知ることになる。
    「緑谷合宿来れてよかったなぁ」
    「心配したぞ!?」
    「ほんま、見舞いにもいかれへんくて」
    「ごめんね、でももう大丈夫だから」
     久しぶりに目にした出久に俺は違和感を感じていた。
     今まではどこに居ても俺の視界に勝手に入って来てその姿を見止める度に抑えられない衝動に駆られていた。
     その衝動を発散するため暴言も吐いたし暴力も振るった。衝動を発散する術がそれしかなかったからだ。
     だが、今出久の存在を感じない。
     声が聞こえてから。あるいは視界にはっきりと映らない限り出久の存在を感じることは出来ない。
     そして腹の底から湧き上がっていたあの衝動はすっかりなくなってしまっていた。

     その違和感の正体も掴めないまま敵連合が合宿に襲撃をかけてきて俺はやつらの手に落ちた。


     切島の手を掴んであげた視線の先に居た出久を見た時は驚いた。
     こんなに傍に居たのに出久の存在に気付かなかった。もう昔とは違うことを認めなくてはいけない。
     俺のせいで終わらせてしまったオールマイト。次は君だという言葉を一人だけ違う意味で受け取っていた出久。
     突然芽生えたデクの個性。
     もやもやを抱えたまま臨んだ仮免試験に落ち、渦巻く様々な感情をもう一人で抱えきれなくなった俺はその夜出久を呼び出して腹の内を吐き出した。
     デクはいつまでもどんくさい何もできない子供ではない。
     出久はオールマイトの意志を受け継ぐヒーローとして立つためにここにいる。
     何も出来ない木偶の坊ではない。

     
     ようやく一人の人間として認めることが出来た。
     そして己の心を理解した。
     出久を見ると湧き上がってくる押さえられない衝動は、俺がデクを手に入れたいと望む本能だった。
     全力で殴り合い腹の中を吐き出していくうちに雁字搦めになっていたしがらみが一つずつ解けていく。
     綺麗な翡翠色の目が真っ直ぐ俺を見て、誰より君が特別だと鮮やかな色を持って俺を射抜く。
     ああ、そうだ。
     俺は……こいつが……。
     ぎちぎちに縛り付けられていた感情が解けていくのを感じた。

     その後担任に散々叱られ謹慎を言い渡された。

     無言で寮の掃除を二人でする。何と声を掛けていいか判らない俺に出久が恐る恐る、と言うように声を掛けて来た。
    「シュートスタイルさ、どうだった?」
     そうだった。こいつは昔からずけずけと切り込んで来る図々しいやつだった。
     こいつは言った。
     俺はデクが憧れた一番身近なヒーローだと。
     まだ出久の中で俺が特別な存在だと確認出来て知らずほっと息を吐いた。
     ぼそぼそといくつか会話をして思い出したように問いかける。
    「そういや、てめェ。ヒートは大丈夫なんか」
     新学期からクラス単位で寮生活をすることになった。
     出久はオメガであるはずなのにアルファも多いこのクラスで項を守る首輪も保護シートもつけないまま生活をしている。
     この間のが初めてのヒートであるならばもうそろそろ次のヒートが来るはずだ。
     今なら、出久を受け入れられる。
     望むなら番になってもいい。
     そう思って出久を見下ろした。
    「僕ね、ベータになったんだ」
    「……はぁ⁉ てっめェ! この期に及んでまた嘘を……!」
     思わずソファに座っていた出久の胸倉を掴み上げる。
    「違う、嘘じゃない。最初の、時は本当にごめん……あの時は……あれ以上君にバカにされる要因を……言いたくなかったんだ……」
    「……」
     ごめんと再び視線を逸らす出久に俺も掴み上げる手の力を緩める。
     中学時代、散々無個性を理由に苛めた。その上オメガだと俺があの時知ったならきっとそれもネタにして苛めは加速しただろう。もしも素直にオメガと告げたデクが俺の物になったとしてあの時の俺がデクを大切に扱えたかと言えばきっとできはしない。
    「……」
     己のクソ加減を改めて思い知り俺は手を放した。
    「あの時、ヒートが来てたじゃねぇか。オメガがベータになるなんて聞いたことねえぞ」
     ソファに再び腰を下ろした出久の横に距離を空けて座る。
    「……ベータ堕ちって言うんだって。凄く珍しい現象だから知ってる人はほとんどいないみたい」
     出久はふにゃりと笑顔を向けて俺を見た。
    「ヒートの時は、本当にごめんね。君の顔を見た瞬間君に……、だ、……抱かれたいしか、考えられなくなっちゃって……」
     君は僕の事が嫌いだから拒絶するのは当たり前なのにね。と当然のように言われた。

     嫌いだったわけじゃねぇ、腹が立っただけだ。
     抱いてと言われたあの瞬間の幸福感は確かに本物だった。
     あのフェロモンは誰でもいいと振りまかれたものではなく、確かに俺だけを誘うために溢れ出したのだと確信できる。
     何故そう思うのかは分からないが確かにそうであったとしか言いようがない。
    「もうね、あんなことは二度と起こらない。僕はもうオメガじゃない。信じられないなら今度家に帰った時に診断書持ってくるよ」

     何故出久の存在を認識できなくなったのか。
     何故出久の香りがしなくなったのか。
     何故、出久からあの熱の籠った視線を向けられなくなったのか……。
     あの時俺の半身が捥ぎ取られる様な喪失感を味わったのか……。
     その原因がようやく判った。

    「……てめェは、俺の事が、好きだった、んじゃねぇんか」
     バース性が変わるだけでその想いまでなくなってしまうのか?
    「オメガの時はね、好きだったよ。オールマイトに出会ってなくて、もし奇跡が起きて君の番になれたらヒーローになれなくてもいいとさえ思ってた……」
     もしもバース性を問いかけたあの時、俺からデクに手を伸ばせばとっくに俺たちは番になれていた。
     その事実を今更思い知り頭を殴られたような衝撃が走った。
    「!!!」
    「叶わないことは判ってたけど」
    「……今は?」
     緊張で思わず擦れた声が出る。
     今は、どうなんだ?
     まだ俺たちは……?
    「今は君に対して憧れだけ、そういう感情はもうないよ。安心して?」
    「……」
    「君の隣に立てるオメガはきっと君と同じくらい凄い人なんだろうね」
     眩しそうに俺を見つめる出久の目はもう俺を求めていない。デクが想像する俺の未来にデクはいない。
     あの時とはまた違う喪失感が沸き上がる。
     何も言えず黙る俺に話は終ったと思ったのか出久はソファから立ち上がった。
    「じゃあ僕部屋で勉強してる」
     そう言って部屋に帰っていった。

     その後ろ姿を見送ってスマホでベータ堕ちというものが何なのか調べる。
     オメガがベータになるなんて聞いたことがない。勿論ベータ堕ちなんて言葉も初めて聞いた。

    「……は?」

     文章を追っていくうちに手が震え、体が冷たくなる。
    「アルファに拒まれることで……?」
     抱いてと誘う出久の手を振り払ったのは俺。
     少し痛い目を見ればいいという嘘をついたことに対してのただの意趣返しのつもりだったあの行為がデクをベータに堕としたというのか?
     俺の、オメガをベータに堕としたのは、俺自身……?
     デクから俺への想いを殺したのも……俺……。

    「……ぅ」
     体に渦巻く感情で息が出来ない。
     引き返せ、デクを抱きしめろと本能が鳴らした警鐘に従うべきだった。
     プライドや意地なんか投げ捨ててあの時デクを抱きしめていたら、俺たちは……。
     何度も俺たちが結ばれる道はあった。
     それを俺たちが……いや、俺が全て蹴散らしていたのだ。

     ようやく気持ちが追い付て、出久を見ると勝手に湧き上がっていた衝動の正体を知った。
     俺を欲しがるデクのフェロモンはとてつもなく微量でアルファの俺は本能的にそれを不満に思った。
     俺を、俺だけが欲しいならてめェをもっと寄越せ。
     言葉で、フェロモンで、態度で好きだと全身で訴えて来い、と。
     そうしてなりふり構わず全力で求めて来るなら応えてやらないでもない。

     幼く傲慢な思考。

     ずっと小さい頃から俺はデクの特別で。
     あの恋い焦がれる視線はこの先もずっと変わることなく。
     デクは何があっても俺を求めて来るものだと、思っていた。

    「……俺が」

     自らの番を殺したのだ。

     ベータ堕ちの症例が少ないのはオメガの数が少ないこと、オメガからアルファにアプローチをすることが殆どないうえ、アルファがそれを拒むことなどほぼない。
     オメガを拒んだアルファの殆どがすでに番がいたから。その他は体質的なものでオメガのフェロモンにアレルギーが有る者、心因的な理由で性的接触が出来ないなどで、意地とプライドと意趣返しという子供じみた理由でオメガの手を放したバカなアルファは自分以外いないことも知った。

     アルファに拒まれたオメガの七割以上がその後引き起こった過剰ヒートで命を落としていて、生き残った者は恋愛感情を失い、性行為に対して苦痛を感じるようになりパートナーを得ないまま一生を終える。
     それらの現象をベータ堕ち、と総称しているのだ。

     デクもあの時死んでしまっていたかもしれない可能性を知り俺は背中に冷たいものが走った。

     俺はようやくプライドも意地も投げ捨てて出久を認め、己の心に気付いたばかりだというのに。
     番にしたいと思ったオメガは俺がこの手で殺していた。

    「デク……」

     勝手に涙が零れ落ちた。
     今俺が気持ちを告げたとしてデクはそれに応えることはない。
     デクがずっと俺に抱いてきた気持ちを今度は俺が抱えることになった。
     結局俺たちはどこまでもすれ違う。俺がやって来た事は全て俺に跳ね返って来た。


     どちらかが凝り固まった認識を何処かで投げ捨てて一歩踏み出していたなら俺たちは今頃幸せな番としていられたのだろう。

    「……はぁ」

     大きなため息を吐き出して涙を拭う。
     俺はデクを諦められない。
     拒んだアルファがもう一度同じ堕ちてしまったオメガにアプローチしたことはない。それに対してオメガがどうなるかも判らない。

     俺は八方塞がりのまま日々を過ごしていった。
    「かっちゃん、今日もありがとう!」
     にこにこと嬉しそうに近づいてきながらタオルで汗を拭う出久。もう昔のように若葉と陽だまりのような香りはしない。
    「おう」
    「やっぱりかっちゃんとするトレーニングが一番楽しいし勉強になる!」
    「そうじゃなきゃ意味ねぇだろ。まぁ、ナンバーワンになるのは俺だけどな」
    「僕だよ!」
     楽しげに笑う出久。思わず無意識に抱き寄せようとした自分の手に気付き誤魔化す様に出久のタオルを掴み乱暴に頭をぐしゃぐしゃと拭いた。
    「ちょ、乱暴!」
    「汗滴ってんだよ、シャワー行くぞ」
    「うん!」
     俺は謹慎が終わってから少しずつ歩み寄っていった。

     今は仲の悪い幼馴染から友人くらいのポジションになれただろう。
     放課後のトレーニングと休日の何割かを一緒に過ごせるようになっていた。
     番になれなくても出久の一番傍に居たい。
     恋愛感情が消えてしまった出久が俺の番になることはない。
     でも、だからと言って出久のことを諦められない。だから出久の一番のパートナーになってやろう。
     ……せめて、そのくらいの距離は許して欲しい。
    「デク、今週の土曜日……」
    「あ、ごめん。土曜日は病院に行かなきゃなんだ」
    「……どっか悪ぃんか?」
     どこか怪我でもしているのだろうかと用心深く出久を見下ろす。
    「あ、怪我とかじゃなくてね。定期的に通ってるやつだから」
    「定期的?」
    「持病でもな……? うーん、ある意味持病? でも病じゃないよな……」
    「ブツブツうるせぇ!」
    「痛ぃ! 叩かなくてもいいじゃないか」
     詰め寄る出久からふわりとボディソープの香りがした。
     違う。この匂いじゃない。
     無意識にそう思ってしまった。
    「で、何だ?」
    「バースのお医者さんなんだ。オメガの時から通ってる信頼できる先生だよ」
    「でも、てめェはもうベータなんだろ?」
     発情期もなくなった今頻繁に通う必要もないはずだ。
    「……先生が言うにはベータ堕ちしたオメガは総じて短命なんだって」
     ヒュッと喉が嫌な音を立てた。
    「原因が判らないから頻繁に検査しに行かなきゃいけないみたい」
     OFAの事もあるから僕も寿命が判ってる方が安心できるしね、と何でもないみたいに言う出久。

     俺のせいだろうが。何シレっと受け入れとんだ。もっと俺を責めろ、お前のせいでと泣いて<ruby>詰<rt>なじ</rt></ruby>れ。
     ……その価値もねぇってのか。

    「……短命ってどんぐれぇだ」
    「堕ちてから十年~十五年が限界みたい」
     後十年と少し……。ただでさえ気づいたら飛び出していたと言いながら大怪我を負うこいつは早死にしそうだというのに。
     俺のせいでそれが決定づけられてしまった。
     今更取り返しのつかない大きな過ちは形を変えて何度も俺にのしかかって来る。
    「でも、それまでヒーローとして精一杯生きるから! 逆に限られてるなら計画も立てやすいし!」

     足元が崩れていくような絶望感が俺を支配する。へらへらと何でもない顔をしているこいつは本当にイカれてやがる。
     いや、悩んで苦しんで泣いて恐怖したはずだ。
     ……俺が知らないところで。
     どうすればいい。どうしたらいい。俺は一体どうしたらこいつを失わずに済む……?
    「俺も、その医者に会いてぇ」
    「かっちゃんどこか悪いの?」
     さっきとは逆に心配気に顔を覗き込んで来る。
    「俺も、バースについて聞きてぇことあんだよ」
    「バースの事って難しいよね。あの先生は見聞も広いし博識だからきっと君の力になってくれるはずだよ。土曜日一緒に行こうか」
     いつも午前最後の診療だから先に話ししてみるねという出久に頷いた。
     土曜日一緒に病院へやって来て慣れた様子で検査に向かった出久と代わり医者の前に座った。
    「君が、緑谷君の……」
    「爆豪勝己、です」
    「そう……」
     出久は先に検査を終え一足先に帰宅していった。待っていると言った出久を先に帰したのは万が一にも聞かれたくなかったからだ。
    「デクの……出久のことで……」
    「その前に、君が緑谷君を拒んだ理由はなんだい? オメガから番を望まれそれを振り払うには相当な覚悟と精神的負荷があっただろう? それを振り払うだけのどんな理由があったんだい? 責めてるわけじゃない。ただ純粋にそこまでして拒んだ理由が知りたい」
     番がいるわけでも身体的に問題があるわけではないアルファがオメガを拒む理由を見つけられないのは当たり前だ。
     俺は子供じみた意趣返しで本能を振り切った前代未聞の大馬鹿野郎のアルファだ。
    「あいつが……嘘をついたから……」
    「……どんな?」
    「匂いでオメガだって判ってた。あいつのフェロモンは俺を誘ってた。でも、言葉でも態度でもそれを俺に伝えてこない。フェロモンだって風が吹けば消えちまうくらいの薄いモンで……あいつが俺のオメガだって確証が欲しかった」
     だからお前はオメガなのかと聞いた。答えの分かった答え合わせ。俺たちの間で嘘は一度もなかった。
     その問いを除いては……。個性の事だって俺に話したあいつがたった一つ俺についた嘘。
    「君はそれが許せなかったんだね」
    「……」
     俺は静かに頷いた。
    「嘘をついた癖にヒートになったからって都合良く頼ってきたのが死ぬほどムカついた。ちょっとくれぇ苦しんで我慢できなくなったら泣いて謝って縋ってくればいいって……思った」
     ……それが、あんな結果になるなんて思わなかった。
     片手で顔を覆う。そうしないと涙が勝手に零れ落ちてしまいそうだった。
    「緑谷君のフェロモンが極端に薄いのは求めているアルファが自分と番うことがないと思っていたからだよ」
     オメガはより本能に近い種だ。求める雄に拒否される恐怖を本能的に悟り無意識にそれを回避しようとした結果だという。
    「⁉」
    「緑谷君がオメガだと判った時、好きなアルファはいるかと聞いたんだよ」
    「……」
    「いるなら望んでみてはどうかと問いかけた僕に彼は番える望みはないってはっきり言いきった。この個性社会でオメガは無個性か弱個性。虐げられている彼らは元々アルファに希望を持っていない。アルファは自分が選ぶ側、優秀種である傲慢さからそれらに気付くことはないけれど」
     耳の痛い話だ。
     オメガから、デクからしたらその声を上げる事すら自分には許されていないと思っていたのだろう。
    「そもそもあの年で番いたいアルファがいるオメガはいない。違う形で出会っていたら君たちはこんなに拗れていなかったんだろうね」
     吐き出される医者のため息に俺は答えることが出来ない。
     成長するに従い互いを絡めとられ身動きが取れなくなった末の最悪の結末。
    「……」
    「ベータ堕ちは一般には知られていないんだ。ネットの片隅に多少の知識として触りだけが乗っているけどあくまで都市伝説の域を出ないただの噂話で本気にしてる人なんてまずいない。実際に目にしないとね」
    「……先生、アンタ」
    「僕はね、番持ちのアルファなんだ。僕も最初はそんな噂話信じてなかった。でも、事実だった。僕にアプローチして来たオメガがいたんだ。でも、僕にはすでに愛するオメガがいた。だから拒んだんだ」
    「オメガからアルファへの求愛は運命じゃねぇんか」
    「それはまだ番がいない場合だよ。僕には僕の番が運命だ」
     きっぱりと言い切る医師の姿は番との強い繋がりを感じさせた。……羨ましかった。
    「僕が拒んだそのオメガはその場で過剰ヒートを引き起こして……狂い死んだ」
    「⁉」
    「それから僕は独自に調べ、ベータ堕ちの事を知った。あんな悲しい死に方をする人を一人でも減らすために……。君が見たネットの記事は少しでも世間に知っておいてほしくて僕が書いたものだよ」
     バース性に逆らうのは難しい。けれど知っていると知らないとではやれることが全然変わって来る。
     なるべく多くのアルファ、オメガ、どちらにも知っていて欲しかった。
    「君には別のオメガと番って緑谷君を忘れ生きていく道だって残されてる」
    「俺は、出久を愛してる。あいつ以外の番は考えられねぇ」
    「……」
     医師が目はなぜそこまで愛しているなら拒んだりしたんだと言っているのが判ったが言葉にすることなくため息を吐き出した。
    「愛してるから……許せないこともある、か。君たちは難儀だなぁ」
     自分を守ろうとしたオメガの嘘。その嘘が許せなかったアルファ。すれ違ってしまった故に起こってしまった。
    「……」
    「今君たちがこうなってしまった責任の一端は僕にもある。もっと事細かく緑谷君に注意喚起しておくべきだった。あれほど強く想っているオメガが本能のまま求めたフェロモンを拒否できるアルファなんていないと思っていた。人の心を甘く見てたよ……」
     深いため息には後悔が色濃く乗っていた。
     番もいない身体的にも問題ない相手のアルファ。医師は俺たちが番になれると踏んでいたのだろう。

     あの瞬間は今でも鮮明に思い出せる。俺を欲しいと縋る香しいフェロモンと潤んだ瞳、伸ばされる手。何物にも代えがたい幸福感と、制御できないほど貪り尽くしたいと暴れまわる欲情。それを焼き尽くす様な怒りで押さえつけた。

    「君はこれから先、愛情を受取ってくれない人に愛を注ぎ続けることが出来るのかい? 途中で疲れて他のオメガを選んだりしないかい? それが出来ないなら緑谷君の事は忘れて新しいオメガと見合いでもしなさい。緑谷君は君から拒まれ苦しんだことを忘れてるわけじゃない。同じアルファから二度捨てられたら……きっと緑谷君はその場で死んでしまう」
    「デクじゃなきゃいらねぇ。あいつでないなら番なんて持つ意味ねぇ。例え俺の愛情を受取ってもらえないままあいつが死んだとしても俺はあいつだけを想ってる」
     俺の本気を感じ取ったのか医師は息を吐いた。
    「緑谷君は自分が短命だって君に話したんだね。本当にそこまで信頼しあってるのに何だってこんなややこしいことになってるんだ君たちは……」
     大きなため息を一つ吐き出した。
    「ベータ堕ちが何故短命なのかはちゃんと理由があるんだ」
    「デクは原因が判らないって言ってたぞ」
    「そう言うしかないだろう……」
     ベータ堕ちと便宜上言っているがオメガの体のまま発情期がなくなり生殖機能が止まる。
     それは即ちオメガという生物としての本能が奪い取られているということだ。

     番を選ぶ恋愛感情は沸かない、子を成すための生殖行為は苦痛でしかない。もしレイプなどされたらその場で死んでしまいかねない。
     オメガと言う種はバースの中で特に動物の本能に一番近い。
     その本能を失うこと。それが肉体、精神にどれほどの悪影響を及ぼしているのか想像に難くない。
     表面上は健康でも心と体にかかる無意識のストレスが寿命を蝕んで行くのだ。

     もし、ベータ堕ちしたオメガを救いたいと思ったなら深い眠りに落ちてしまった愛情を取り戻してやることだがそれがどれほどの労力がかかるか見当もつかない。戻って来るかもわからない。
     愛情を受取ってくれない相手に愛を注ぎ続けるのは砂漠に水をまき続けるようなものだ。
     与える方が途中で疲れ心折れてしまうことだって充分ある。

    「僕が知ってる限りベータ堕ちしたオメガに拒んだアルファがもう一度手を伸ばしたことはない。そしてベータ堕ちがオメガに戻ったこともない。どんな結果になるか判らない。君は死ぬより苦しい想いをするかもしれない。それでもやるのかい?」
    「やる」
     即答した俺に少しだけ医師が満足そうな顔をした。
    「はぁ、判った。なら僕も全面的に協力しよう。何でも、どんな些細なことでも相談してくれ」
    「よろしくお願いします」
     ほんの少しだけ、光が見えた気がした。
    「デク、話ある。部屋に行くから待っとれ」
    「あ、うん」
     談話室で轟君たちとテレビを見ながら寛いでいた僕にかっちゃんが声を掛けて来た。
     くしゃりと頭を撫でて去っていくその背中を見送っていると二人が柔らかく笑って僕を見ていた。
    「仲良くなったみてぇだな」
    「うむ、仲良きことは美しきことなり、だな!!」
    「へへへ、そうだと嬉しいな」
     拗れに拗れ切っていた僕たちの関係はあの喧嘩を経て随分改善された。
     僕は二人に挨拶をして部屋に戻りかっちゃんを待った。

     宿題を片付けているとノックの音がした。
    「はぁい」
    「開けろ」
    「うん」
     最初鍵なんてかかっていなかった僕の部屋はこうして彼が訪れるようになってから鍵をかけるようになった。
     何でか判らないけど掛けてないとかっちゃんが凄く怒るからだ。
    「そういえば先生どうだった?」
    「ああ、いい医者だった」
    「そうでしょ!」
     僕は長い間お世話になっている先生を褒められて嬉しくなる。
    「デク」
    「何?」
     真っ直ぐ僕を見据える視線の強さに知らず息を飲む。
    「俺をてめェの人生が終わるまで傍に置け」
    「……え? 何? どういうこと?」
    「医者と話した。てめェの短命の理由も聞いた」
    「え……? 原因不明なんじゃ?」
    「てめェ一人じゃどうにもならんから便宜上そう言ったんだとよ」
     かっちゃんは淡々と僕が短命の理由を話した。つまり僕はベータになったわけじゃなくオメガとしての機能が停止した状態でそれが体と心に負荷をかけているのだと。
     その負荷に体が耐えられず死に至る。治療する術は、ない。
    「それで、なんでかっちゃんが?」
     意味が分からない。が、もしかして、ということに思い至る。
    「……君が僕の事に関して責任を感じる必要はないんだ」
     これは全て僕側の都合でしかない。勝手に君を好きになってきちんと対策を取らなかった僕の責任。
     拒んだ君には何の責務もない。
    「君には関係のないことなんだ」
     そう言った瞬間かっちゃんの顔が怒りに染まった。
    「そうやって何でも勝手に決め付けて、俺をバカにすんのもいい加減にしろ!!」
     胸元を掴まれベッドに投げ落とされた。
    「君には関係ないことだろ!」
     君は君に相応しいオメガを選んで輝かしいヒーローの道を歩んで行けばいい。
     僕の事なんて道端にあった石ころが足に当たって側溝に落ちたくらいの認識でいいんだ。
     ……君が、苦しむことなんてないんだ。
     そう言った僕にかっちゃんは顔を悲し気に歪めた。
    「関係あんだよ!」
     マウントを取ったかっちゃんの顔がさらに苦し気に歪む。
    「関係、あんだよ……」
    「……もしかしてOFAのこと心配してるの? その辺はもうオールマイトに全部……」
    「ちっげぇんだよ! 関係ねぇなんて言うな! ……言うな」
     頼むから……と、かっちゃんから聞いたことのないか細い声が聞こえた。
    「……泣いてる、の?」
     ぽつりぽつりと降り注ぐのは初めて見る彼の、涙。
    「こんなことになるなんて、思わなかった……」
     弱々しい声。俺だって弱ェよ、と吐き出したあの時と同じ。
     彼は本音を吐き出しているのだ。
    「嫌いな相手に抱いてなんて言われたら仕方な……」
     そう言った僕の口は彼の手に塞がれ強制的に言葉を止められた。
    「いいから! 聞け!」
    「……」
    「あん時……本当は、抱きたかった……」
    「……ぇ?」
    「抱きたかった。普段のてめェのフェロモンが俺を誘ってんのも知ってた」
    「僕のフェロモン、届いて、た?」
    「すっげぇ薄いけどな。感じてた」
    「……嘘だろ」
     絶対気付かれていないと思っていた。
    「オメガかどうか聞いたのは意思確認と答え合わせのつもりだった。オメガだって素直に言えば……ヒートが来たら噛むつもりだった」
    「……」
     色々な衝撃が襲ってきて言葉が出ない。
    「……君は、僕が嫌い、なんじゃ……?」
    「てめェが好きだ……。この気持ちに気付いたのは最近だがてめェを俺のモンにしてぇとはずっと思ってた」
     かっちゃんの手が僕の頬を優しく撫でた。こんな風に触れられるのは初めてだ。
    「じゃ……何で?」
     何で拒んだの? 嫌いじゃないなら、何で?
    「てめェに嘘つかれたんがムカついた」
    「え? それだけ?」
     思わずぽかんとかっちゃんを見上げてしまった。本当に? 本当にそれだけなの? 他に理由はないの? 
     探るように見つめる僕にかっちゃんは真っ直ぐ僕を見下ろし頷いた。
    「そんだけだ」
    「えー……」
     嘘だろ。たったそれだけの理由であんな死ぬような思いをして寿命まで短くなったっていうのか。
    「あー……、でも、まぁ、何となく君らしいねぇ……」
     恐ろしくプライドが高く、そしてみみっちい。
    「拒むのも凄く辛いって聞いたよ?」
    「何度も引き返したくなった。気絶もしたし喪失感も半端なかった」
    「……それを意地とプライドで耐えたわけ?」
    「……」
    「……バカじゃないの?」
     思わず零した本音にかっちゃんの顔が怒りに染まったが一瞬で鎮火した。
    「てめェが……俺に嘘なんてつくから……」
     弱々しく呟いて僕を抱きしめる。
     ああ、この人はあの瞬間を今でも後悔しているのだ。
     それだけであの苦しかった日々が報われる気すらするのだから僕も大概おかしいのだろう。
    「もう僕の事はいいよ。僕は君に同じ気持ちを返せない」
     今だって好きだと言われてもそうか、としか思えない。
    「僕の寿命は短いけれど僕の傍に居る必要はない。君の人生を無駄にすることはないんだ」
    「無駄じゃねえ。他の奴なんていらねぇ」
    「そうは言っても僕は君の愛情には応えられない。キスもセックスも出来ない。子供だって作れない」
     堕ちたオメガが元に戻った凡例などないのだ。期待も出来ない。
    「全部なくていい。俺は俺がしてぇようにてめェの一番傍でてめェを勝手に愛して生きる」
    「……君が良くても僕が嫌だなぁ」
     絶対引かないという鉄の意志を感じさせる目が僕を真っ直ぐ見下ろしている。
    「僕は君には幸せでいて欲しい。君に見合ったオメガと番って可愛い子供を残して最高のヒーローになって欲しい」
    「てめェの想像程度のちんけな幸せなんざ一つもいらねぇ」
    「うーん……」
     困ったなぁ。かっちゃんは僕の事を頑固だって言うけどかっちゃんだって相当頑固だ。
    「てめェがいい。てめェの傍で生きさせろ」
     嫌だとまるで子供の我儘のように駄々を捏ねるかっちゃんはちょっと懐かしくて、なんだか可愛かった。
    「じゃあ、二つ約束して」
    「条件次第だ」
    「飲まないなら、僕は君と一緒に居られない。君が絶対手の届かない場所に行く」
     幸い(?)寿命は短い。きっと逃げ切れるだろう。
     もしかしたらかっちゃんだったら僕を捕まえられるかもしれないけれどその時はもう僕の寿命はあまり残されていないだろう。
     かっちゃんが望む生き方ならそれは無駄な時間でしかない。
     かっちゃんもそれを悟ったのか眉間に深く皺が寄り聞くだけ聞いてやるから言えと促した。
    「一つ、他のオメガを好きになったら躊躇わずその人と番って」
    「!!」
     嫌だと叫ぼうとするかっちゃんの口を個性を使って手で塞ぐ。使わないと軽く振り払われちゃうからね、仕方ない。
    「もう一つ、僕が死んだら僕の事は忘れて」
    「~~!! どっっっちもお断りだ!!!」
    「じゃあ、交渉決裂だね」
    「~~~~~~……」
     散々唸り怒り考え感情を抑え深く深くため息をついてかっちゃんは呼吸を整えた。
    「じゃあ逆にその約束さえ飲みゃ俺は好きなだけてめェの傍にいていいんだな?」
    「うーん……僕としてはお見合いとかも……」
    「却下、自分から行くのはちげぇだろ。俺がてめェを愛し殺して日常を過ごしたその上でてめェが言う様な事態になったら、だ」
     もうこれ以上の交渉は無理だろう。ここら辺が落としどころなのかもしれない。
    「……かっちゃんは、本当にそれでいいの?」
    「いいっつってんだろ」
    「キスもセックスも出来ないんだよ? いいの?」
    「ハグはできんだろ」
     こうして抱きしめられていても嫌悪感は湧かない。
    「……そうだね」
     そっと自分からもかっちゃんの背中に腕を伸ばしてみる。
     拒まれることなくそれどころか足りないというように抱きしめる腕が強くなった。
    「じゃあいい。これで充分だ」
     少し離れて見上げれば、かっちゃんは見たこともないほど満たされた顔をしていた。
     在学中俺とデクは付き合っているということにした。
     アルファの俺とベータだと思われているデクが付き合うことを心配されたが外野の声はどうでもよかった。
     ハグは問題なかった。手を繋ぐのも、恋人繋ぎをするのも問題なかった。
     デクに引きずられているのか不思議と性欲は湧かなくなった。
     共用スペースで並んで勉強をしてどちらかの部屋に行き一緒に眠る。
     授業では積極的にペアを組み飯もなるべく近くで食べた。
     最終学年になる頃には俺たちはニコイチかのように扱われ、まんまとデクのパートナーとしての地位を築き上げることに成功した。
     プロヒーローになり同棲もして、あっと言う間に時間は過ぎていく。
     新人の頃はどうしようもなかったが意地とプライドで同級生の誰よりも早く独立しデクを引き抜き俺たち二人でビルボードの一位二位を独占し、俺たちは目指した最高のヒーローとして今日も街を駆け回る。
     概ね平和に俺たちの時間は刻一刻と過ぎていった。
     ……そして、今日。デクは二十五回目の誕生日を迎えた。

    「明日、僕は引退する」

     デクと人生を共にすると誓ってから十年。俺はあの日から変わらぬ愛をデクに捧げ続けて来た。
     だが、デクに恋情もオメガ性も戻ることはなかった。
     俺たちに奇跡は起きなかった。判っていたことだ。悔しいし悲しいが悔やむのはまだ早い。
     デクは生きている。まだやれることがある。悔やむのも悲しむのも全て終わった後でいい。
     ここから先、デクの身体機能は低下していく。
     加齢による心肺機能の低下は深刻でじわりじわりとデクを蝕んでいた。ここ数ヵ月、ヒーロー活動にも影が落ちていた。

     あと何年、何か月、何週間。
     デクは体に爆弾を抱え、いつその命が尽きるか判らない。

    「……ああ」
     傍で見て来た俺が一番わかっていた。
    「OFA……君に、託したい」
    「……俺で、いいんか」
    「君がいい。ずっと一緒にオールマイトを追いかけて来た君だからお願いしたい」
    「……そうか。DNAを取り込めばいいんだったな。どうする?」
     髪を食うのはごめんだが血か涙を舐めるくらいだろうか。
     じっと見下ろしているとデクがごくりと喉を鳴らしたのが判った。
    「……キス、していい?」
    「……!」
     俺は目を見開いた。
    「てめェ、そんなことしたら……!」
     学生時代一度だけ、合意の元にキスを試した時は触れ合うことすら出来ずデクは苦しんで気絶してしまった。
    「きっと、最後になる……。僕のファーストキス、貰ってくれる?」
    「……貰い殺すわ。……耐えられんくなったら突き飛ばせ」
    「うん」
     向かい合わせに立ってデクを抱き寄せる。
     緊張で震える手でデクの顎に手をかけ顔を近づけた。目を閉じたデクが少し震えるのを感じ体を引くとデクの腕が俺を抱きしめた。やめなくていいと無言の訴えに俺は再び顔を近づける。
     吐息がかかりゆっくりと唇が重なった。
    「……」
     デクは震えてはいるが苦しそうな感じはしない。
     脅かさないように唇を舌でなぞり口の中に入った。
    「……ン」
     緊張で引っ込んでいる舌に舌を絡め唾液を舐め取って行く。
     注意深くデクの様子を見ながら互いの唾液を混ぜ飲み込んだ。
    「……!」
     体の中に風が吹き抜ける。初めてのはずなのに何故か懐かしい。
     これがOFA……。
    「……はぁ、無事譲渡完了、だね」
     顔を赤くして荒い呼吸をするデクはふにゃりと笑って、崩れ落ちた。
    「おい、デク! デク!!」
     ぐったりとしたデクを抱き上げベッドに寝かせる。熱い息を吐き出し苦しそうに顔を歪めるデクを宥めるように何度も撫でた。
    「デク……! 救急車……!」
     スマホを取ろうとする俺の手をデクが止めた。
    「だいじょ、ぶ……大丈夫だから……」
    「……くそ」
    「大丈夫だから……抱きしめて……」
     望むままベッドに潜り込みデクを強く抱きしめる。
    「デク、デク……」
     どうかまだ、まだ俺からデクを取り上げないでくれ……。

     一体どれほどそうしていただろうか。
     荒い呼吸は整わないがデクから苦しげな表情は消えて代わりに顔に赤みが差していく。
     熱が出て来たのかと額に手を当てた瞬間。

    「……ひゃ!」
    「⁉ どうした?」
    「か、かっちゃん……からだ、あつい、おかしい……」
     しがみ付くデクから香るのは懐かしいフェロモンの匂い。
    「お前……? もしかして……発情して、んのか?」
    「ふえ⁉」
     驚くデクの体を確かめるように手を這わせると艶めかしくビクビクと震えた。
    「う……そ」
    「デク、もう一回、キスしていいか?」
     ダメそうだったら殴っていいからと潤んだ緑の瞳を覗き込む。
     躊躇いながらデクが頷いた瞬間我慢できずにキスをする。
    「……ン、ぅ……っ」
     舌を絡める度、デクのフェロモンが強くなっていく。煽られるように俺の性欲も今までが嘘だったように湧き上がってくる。
    「かっちゃ、ん……」
     唇を離し飲み切れなかった唾液を舐め取りデクを見下ろす。
    「きも、ちぃ……。溶けそ……」
     デクの中から消え去ってしまっていた性欲が、発情期と共に戻ってきたのだ。
    「デク、番うぞ」
    「うん……」
     発情期が戻って来た理由なんてどうでもいい。

     一旦小難しい理屈なんて投げ捨ててしまえ!

    「かっちゃん……」
     君が欲しいとあの時と同じ顔とフェロモンが俺を誘う。
     今度こそ間違えない。
     デクが手を差し出す前に捕まえる。
    「デク……デク……」
     あれほど好きも愛してるも告げた口からはデクの名前しか紡がない。
     完全にバカになった脳はデクのことしか考えられない。
     直接触れたことのない肌に触れ香しいフェロモンを胸いっぱいに吸い込む。

     もう引退の表明はしてしまった。今更取り消しは効かない。
    出久はもうヒーローを続けられるような体でもない。……だったら。
    「君の子を、孕ませて?」
     同じことを思っていたらしい出久が俺に手を伸ばして懇願して来た。
     その色気に完全にあてられた。
    「あああ、くっそ!!」
     優しくしてやりたかった。大事にしてやりたかった。
     だがもう我慢が出来ない。
    「ねぇ、君が欲しいよ……」
     デクからキスをされ、最後に残っていた理性が吹き飛んだ。
    「っとにてめェは、ふっざけんな!」
     愛しいデクを腕の中に抱き込む。
     背中に回る温かい腕の感触、緑色の綺麗な瞳が懐かしい恋情を孕んで俺を真っ直ぐ見つめて微笑んだ。
     俺の、デクだ。
     そう思った瞬間零れた涙をデクがゆっくり舐め取った。
    「……君が、好きだよ」
    「……!!」
     ああ、俺の、デクが……還って来た……。
     美しい緑の目が、記憶の中の色と同じ熱を持って俺を見た。
    「僕を、君の番にしてください」
    「し殺すに決まってんだろ! ……噛むぞ」
     怖がらせないようゆっくり顔を項に近づけると覚悟を決めた出久の目とぶつかった。
    「……うん」
     返事と同時に強く項を噛んだ。

     フェロモンの匂いが変わっていく。

    「デク……」
    「……かっちゃん」
     やっぱりすっかりポンコツになってしまった俺たちの口は互いの名前しか紡がない。

    「やっぱり譲渡が原因かな? OFAが君に渡ったことによって僕DNAが……」
     ブツブツと考察を始めたデクを呆れた顔で見下ろす。
    「色気ねぇ……」
     ため息とともに吐き出せばデクが俺を見上げた。
    「先生のとこに行かなきゃね」
    「おう、明日会見終わったらすぐ行くぞ」
    「うん……。僕さ」
    「ん?」
    「まだ生きられるかな……?」
     身体能力が衰え始めていたのは間違いない。
     本能や気持ちが戻ったとしてもそれらが回復するかどうかは判らない。
    「生きろ。ガキの為にも」
     そう言ってデクの腹を撫でる。
     出来ているかどうかは判らない。だが発情期が戻ったということは今日がダメでもいつか近いうちに孕むことが出来るはずだ。
    「うん……」
     僕、もっと生きたい。

     堕ちて以来初めてデクはその言葉を口にした。

    「現場復帰できるようになるまでOFAは預かっといてやる」
    「!! 僕、またヒーローしていいの⁉」
    「ガキがある程度育っててめェの体が問題なければ、だ」
    「頑張る! 頑張るよ!!」
    「しっかし色気ねぇなぁ……」
     初めて番った夜だというのに、腕の中のデクはノートを取り出して復帰計画表なるものをブツブツ言いながら書き始めている。

    「まぁ、俺らはこんなもんか……」
     放っておいたら朝までノートを埋めていそうでそれを取り上げ腕の中に抱きしめた。
    「デク……」
     相変わらず好きも愛してるも言えないまま想いだけを詰め込んで大切な名前を呼べばデクは幸せそうな顔で微笑んで俺の名前を呼び返した。
     最高に幸せだと、思った。


     衝撃的な引退をしたヒーローデクは数年後元気な姿で現場復帰を果たした。
     その時初めてヒーローデクがオメガなこと、すでに番がいて子供もいて、その番がヒーロー爆心地であることが判明し世間を賑わすことになるのだった。

    siromerukuru Link Message Mute
    Nov 24, 2020 9:11:22 AM

    さよなら恋心

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    • 深愛siromerukuru
    • 指令科 IF年下勝×年上指令官デクのパラレル。

      右出要素を存分に含んでおります。ご注意ください。
      #勝デク
      siromerukuru
    • 忘れてしまうデク君の話。かっちゃんと付き合っていたけれど浮気をされて付き合っていたこと全てを忘れてしまったデク君と。
      それを取り戻そうとするかっちゃんの話。

      でっくんのパパが何かクソになってるのでご注意。
      色々捏造!
      どうやったら幸せになるか迷走中。幸せになれる未来が見えません(´;д;`)ブワッ
      まだ途中

      #勝デク
      siromerukuru
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