Traum von Blumen ナハトはエレクトロンが苦手だ。
ナハトが闇の守神となった時、エレクトロンは既に雷の守神として存在していたが、その時から今に至るまで──その気持ちに全く変化はない。
彼はどこか人間離れした空気を漂わせ、近寄りがたい存在という印象を周囲に与えている。それが意図的なものか、無意識なのかは定かではないが。
同じ守神として長い事関わってきたが、未だに何を考えているのかその表情から読み取る事が出来ない。静かすぎる言動も謎めいていて不気味に思えてしまう。
守神の長であるエレクトロンの事は信頼している。けれども苦手意識だけはどうしても拭いきれない。
同胞ではあるものの、出来れば関わりたくない人物の筆頭として上げている。次点は光の守神グランツだ。説教ばかりの頑固ババァも精神的に大変よろしくない存在である。
普段ならば、間違っても二人の管理する領域には近付かない。絶対に。
それでもナハトがこの場所──雷の守神エレクトロンが住まう寺院を訪れたのは、どうしても確認したい──正確に言えば、確認せずにはいられない事があったからだ。
「はぁ……」
盛大なため息をもらす。
分かってはいた事だが、寺院の中は静寂に包まれていた。自分の足音だけが響いて、進むのが段々億劫になってくる。引き返したくなるというか。
もう少ししたら何かとんでもない者が出てきそうな雰囲気だ。実際とんでもない者が控えているのだが。
──ったく、本人が陰気くさいと寺院まで陰気くさくなるのかね。
心の中で文句を言う。目的の人物はまだ姿を見せないが、口に出すと届いてしまう気がしたのだ。
この寺院が常に静寂に包まれていてやけに音が響くからなのか、エレクトロンが神出鬼没だからなのか──気付けば背後にいたなんて事は日常茶飯事だ。
ちらっと背後を振り返る。人の気配は──いや、正確に言えば人ではないのだが、とにかく何の気配もない。
それに安堵のため息を吐きつつ奥へと進む。
寺院の最奥にエレクトロンはいるだろう。途方もない魔力が結晶化したもの──マナクリスタルを守る為に。
守神は人々を、そして人々が住む領域を守る為に存在していると思われているが、実際は違う。七つのマナクリスタルを守る為だけに存在している。
だからエレクトロンは人里離れた所に寺院を建てて引きこもっているのだ。
人が極力訪れる事のない様にとわざわざ崖っぷちを選んで。しかも定期的に落雷が降り注ぐという親切っぷりだ。
それでも先日この寺院に盗賊達が入り込んだらしい。ご苦労な事だ。わざわざ命を落としに行くのだから。
──大体何でよりにもよってエレクの寺院なんか狙うのかね。あの間抜けなロリババァの寺院あたりを狙えば、荒らしやすいだろうに。
守神らしからぬ事を考えている内に目的の部屋に辿り着いた。
予想通り、安置されているマナクリスタルの側に雷の守神が佇んでいた。
目を閉じているが、寝ているわけではないだろう。何事か思案しているのだ。ナハトが考えもしない様な複雑な何かを。
「よぉ、エレク」
一応声をかける。声をかけずとも、誰が来たかは気付いていただろうが。恐らくナハトが寺院に踏み込んだ時には既に。
エレクトロンがうっすらと目を開ける。何の感情も伴わない薄紫色の瞳が来訪者へと向けられた。
「──闇の守神ナハト。何用か」
男とも女ともつかない微妙な声が響いてナハトは首を竦めた。
その声音には何の感情も含まれていない。ただ用件を窺っているのか、自分がこの場にいる事を咎めているのか──それすらも分からない。
「視察だよ、視察。ちゃんとみんな役目果たしてんのかってな」
「……自らの守るべき闇のマナクリスタルを放置してか」
「あんな暗闇の底にわざわざ来るバカもいねぇだろ」
堂々と存在するテメェの寺院に比べりゃ来客は少ねぇよ、と言外に告げる。
いくら人里から離れているとは言え、海底に沈む寺院や、砂に埋もれた寺院、空中に浮かぶ寺院に比べれば発見は容易い。落雷もまぁ、何とかくぐり抜ければ侵入出来なくもないだろう。
ナハトの寺院はそもそも発見が困難だ。闇に隠れているのだから。
伝わったのかどうかは分からないが、エレクトロンが一つ頷いて見せた。
「表向きの用件は理解した。……それで、真の用件は何だ」
互いに懐の探り合いは嫌っている。一方は面倒と感じ、一方は時間の無駄と称するが故に。
そして、ナハト以上にエレクトロンはその事をよく理解している。だからこその直球な言葉だった。
ナハトもそれ以上余計な会話をするつもりはなかった。元々エレクトロンとの会話を長引かせるつもりはない。出来ればさっさと帰りたいわけだし。
ただ、ほんの少し戸惑いはあった。……何となく、聞きにくかったのだ。相手が相手なだけに。
そしてどういう会話に発展するか読めなかった事もあって。
言い淀むナハトをエレクトロンがじっと見つめる。急かしているわけではないのだが、それはそれで恐ろしく感じられてナハトは重々しく口を開いた。
「……お前、ルフトに花をやったんだって?」
「…………花?」
エレクトロンが怪訝そうな表情を浮かべたので、ナハトは言葉に詰まってしまった。
まず、そこで躓くとは思わなかったのだ。エレクトロンの事だから当たり前の様に頷くと思っていた。エレクトロンは事実しか口にしないから。
実際には考え込む様子を見せたので、ナハトは口をへの字に曲げた。何となく嫌な予感がした。
「あのバカ──ルフトがエレクから花を貰ったって喜んでたぞ。……三日前くらいに」
「あぁ、あの時の……少し語弊があるが……」
「語弊?」
嫌な予感がますます強くなる。ナハトが渋い表情になっていく事に気付いているのかいないのか──エレクトロンは気にした様子もなく話を続けた。
「鳥が……咥えていた花を落としていったのだ」
「……それで?」
「それを見ていたルフトに強請られたというだけの話だ」
「はぁ……?」
「私の物ではないから当然断る理由もない。どうせ捨て置くだけだからと承諾はしたが、私から意図的に贈ったわけではない」
嘘や誤魔化しを嫌うエレクトロンの事だ。その言葉に勿論偽りはないだろう。
だからこそナハトは戸惑った。という事はどういう事なのかと。
脳天気に喜ぶバカな小娘の様子を思い出す。
『エレクからおはなをもらったんじゃよ』
大事そうに一輪の花を両手で持って、照れ笑いを浮かべる姿は凄く幸せそうだった。
あまりに幸せそうなその様子に苛立って、枯れちまえば良いのに、といつもの様に悪態をつきもした。勿論ぷりぷり怒られたが。
あの浮かれっぷりは好意を示された事を喜んでいる──様にしか思えなかった。
しかし、実際はそういうわけではなかったのだ。
あの言葉に間違いはない。ないのだが……絶対的に何かが間違っている。
絶対的に説明が足りていない。いや、むしろ説明が多すぎたのかもしれない。ただし、妄想でほぼ補完されているという形で。
『ついにわしの想いが通じたんじゃよ~。ナハトは知らんじゃろ? この花は好きな人に贈る花なんじゃよ。らぶらぶな両想いなんじゃよ』
『はぁ? 勘違いも程々にしろよ。エレクがお前みたいなガキだかババァだか分からねぇヤツ、相手にするはずねぇだろ』
『何でそんなひどいことを言うんじゃ! エレクはわしのことをかわいいって言ってくれたんじゃよ』
『……エレクに可愛いとか綺麗って思う心がある様に思えねぇけど……その上お前とか冗談も程々にしとけよ』
『本当にナハトは失礼なんじゃよ! そもそもエレクが好意を持ってない相手に花を贈るわけないじゃろ!』
『……………………』
最もらしい台詞に思わず納得してしまった。確かにエレクトロンが好意を持たない相手に花を贈るわけがない、と。
ナハトが勘違いする程度にはいらん情報が混じりすぎていたのだ。
──あんのバカ女ァっ!! 全然話が違うじゃねぇかっ!!
思わず拳を柱に叩き付ける。エレクトロンが咎める様な視線を投じてきたが、ナハトはそれには気付かないフリをした。
どういうつもりでルフトに花なんか贈ったのかを確認したかったのだ。
いや、別に確認したから何という事はないのだが──とにかく解せなかったのだ。
どこか人間離れした存在がそんな人間じみた行動を取る事が。
だが、それも勘違いである事が分かった今、最早確認する事は何もない。
やるべき事はただ一つ。今回の騒動の元凶でるロリババァをとっちめる事だ。
「──ちっ。帰る!」
「そうか」
ナハトの突拍子もない行動に驚くでもなく、エレクトロンは当たり前の様に頷いた。
荒々しい足音を立てながら引き返していると静かな声が響いた。
「──ナハト」
「あんだよ」
呼ばれて嫌々振り返る。相も変わらず読めない表情を浮かべ、けれどもその視線だけは真っ直ぐにナハトへ向けられていた。思わずたじろぐ。
「……ルフトには鬱金香が似合いそうだ」
「いらねぇよ、そんな情報っ!」
「そうか」
本気で怒鳴るナハトにエレクトロンは静かに頷く。相変わらず何を考えているかが分からない。
何を思ってそんな発言に至ったのか──全く。だからといって、理解したいとは微塵も思わないが。
──やっぱ、こいつ苦手だわ。大体何だよ、その『うっこんこう』ってのは?
内心呟くと、ナハトはマントを翻して部屋から出て行った。