愛するあなたに花束を。
一度その幻影を見てから、時折出逢うようになった。
最初は死の淵の深海・・海の墓場。
次は少し底から離れた黒く深い場所。
次に逢うのだろう場所は、日差し差し込む海中だった。
陽の光が見えるのだから前よりずっと海上に近い所なのだろう。
どこぞからの気泡がたまに横目を通過したり、銀色の魚が傍を横切ったりした。
潮の流れも感じられず、苦しくもない。
いつもと同じだ。
となれば、どこかにその姿があるはずなのだ・・この海のどこかに。
辺りを見回しても居るはずの姿が見えない。
幻の海の中を泳いでみる。
不思議と服に海水が含まれて重い気配だけは、やけに生々しくある。
思うようには動かないがそれでも進んではいる。
光は見えているが海上へと俺は向かおうとしなかった。
分かっているのだ。
海面に出てしまえば、その姿には会えないのだと。
この暗く冷たい水の中でしか、その姿には逢う事はないのだと。
手がもう一度水を掻き分けようとすると、片手だけその動きが出来ずに止まる。
思わず口を開いてしまって、息が水中へと逃げるように気泡をと化す。
振り返って気泡の先に居る何かに気づいた。
申し訳なさそうに、人の手を掴み漂う平山がそこには居て。
『ひらやま、』
名前は当然水の中に溶け消える。
泳ぐのをやめてその姿と向き合おうとするが、平山は緩やかに底へと沈んでいく。
サングラス越しでもその眼差しが、寂しさだとか切なさだとか。
そんな類の物を持ち合わせて俺を見て居るのはよく分かった。
それらを俺は一切持ち合わせてないけれど、それら全てを俺に分かるように教えたのは平山だった。
教えられた時は、知らなくてもいいと思った。
自分の感情に余計な波風が立つような気配があったから。
でも今、それを知らなければ俺はこいつの持つ目線の意味を理解しないまま、ここに居ただろう。
俺が見る事のないものを、お前は知っている。
だから俺は、俺に持ち合わせないお前の世界を・・本当は、
『ばかだな・・』
その口がそう呟いた気がした。
平山の口元から少量の気泡が出て、海上へと向かいだす。
俺はその沈みゆく姿を追わなかった。
こいつがわざと俺の前に姿を現そうとしなかったのだ。
それを知ってしまった。
だからもう、追わない。
その姿が無くなるまで、目を離さずにいてやろうと決めた。
『お前は、まだ、』
『ここに・・来なくて、いいんだ』
唇が、そう伝えたのが見えた所で俺の視界は一気に現実へと戻る。
砂浜の上に倒れていた俺は、自分でここで何をしていたかの記憶を辿る。
朧だったものを組み合わせていき、売り言葉と買い言葉でチンピラ相手に高所から海に落ちる事が出来るかどうかの話になったのを思い出す。
相手は怖気づいて逃げてしまったが、俺はそこで死ぬなら死ぬでいいのかも知れないと思った。
夜の海が口を広げる、断崖絶壁の上で。
人を死地へと食い殺そうとする風を受けながら。
今以上に自分を満たすものが果たしてこの世にあるのだろうか・・と、感じてしまったから。
それは自分に対する賭けだった。
俺は自分自身と、それで生きるか死するか賭けをしたんだ。
「これで死ねないのだから・・生きるだけだろうな」
次はいつ、あいつに逢うのだろう。
今度は海面で会えるのだろうか。
きっとその時が最期なのだろう。
砂に塗れた頬を拭って、俺はその海岸に足跡を付けながら、行方の知れない目的地を探す。
20191116
・しげるが死ぬ思いする度に幸雄と再会する説。
花束が出ていないけれどこのタイトルにしたかった。