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    夏廻り○某年八月一日

     助けて欲しい。いつかの日に小さく呟いた言葉。
    誰にも聞こえない言葉。死に行く最後の、掠れた声。

     あれは誰に願ったのだろうか。


    ***
    ○十六歳×二十七歳

    「終業式でも話があったが、夏期休業期間は事故に気を付ける事。熱中症や、夏風邪に気を付けて・・」


     教壇で話す若い白髪の教師を、生徒達は半分程度熱心に見ていた。残りの半分は教室をじわりと蝕む暑さに心在らず。または既にこの後、放課後から始まる長い休みをどうするか。隣同士で耳打ちする、後方の座席にアイコンタクトを送り済ませる等、様々だった。白く涼しげな制服の群れを教壇から見た平山は、それが外で澄んだ青を背に厚く固まりを成す、雲と重なって見えた。テンプレートを口から流しつつ、既に浮かれ始める生徒に細やかな注意をしながら、話の流れは確実に終末へ向かう。次の月のお盆を過ぎる頃まで、ここ生徒達とも短い別れだなと感じながらも、平山は教師の仕事を淡々とこなす。自分もまた少し近付く開放感に、生徒達をとやかく言えない事をひっそり省みた。
     ふと窓際の、前から三番目の席へと目を向ければ、珍しくとも其処に赤木しげるの姿が在る。頭髪までも白に染まる、年齢にそぐわぬ姿はやはり異質で、ただ一人この学校で平山と同じだ。色を宿す頭髪の群れから浮き出た姿になる。案の定人の話も聞かず、外をぼうっと見ている様子から、終業式も大方あんな調子だったのだろうと思う。平山は溜め息を吐きそうになったが。
    『ま、それでも』
     最後の最後に、此処<きょうしつ>に居るだけまだ良いか。そう呟いた胸の内を知る者は、誰もいない。
     教師と言えど、平山はそこまで職種に強い熱を込めて向き合っている訳ではない。ただ自分は、誰かに何か教えるのがどれ程通じるのか。そして、数と向き合う世界に生きれるか。それに興味があった末この職に就いた男だった。実際はそれだけじゃなく、様々な人間関係に胃を痛める事になるのを今なら理解も出来るが。赤木しげるもまた、平山の悩みの種の一つではあったが、それでも既に"一過性の嵐"という位置づけに収まってしまっていた。
     嵐を操ることなんて出来ない様に。あの子供もまた、ただの大人が思い通りに出来るような部分など無い。それだけが一学年にアカギが入学してからこの短い期間で、平山が感じた確かなものだった。しかし教師と生徒という立場で在る限り、形だけは努めなければならないのを平山も理解していた。
     休みになればその嵐の手綱を持つフリも、少しの間はお役御免になる事を平山はこの時漸く認識したのだった。
     そんな思いから。無意識に視点を定めていた刹那。アカギの目線が流れて平山に当たる。
     平山はその瞬間が在るなど思ってもなく、少し驚いた。が、すぐに目線を離し廊下側の生徒達に目を向ける。

    「それから、くれぐれも警察のお世話になる様な事だけは、絶っっ対にするなよ」

    口漏らしたその言葉を、アカギは欠伸をしながら聞いていた。

    ***

    「最後のあれ、俺に言ってたの?」

     先生。
     
     平山はクラスで最後に掃除をした生徒の背を見送りながら手を振り、教室から聞こえる声に頭を悩ませていた。事実その言葉通りでしかないのもまた、自覚があるんだな。と、思い苛立つ部分でもあった。蒸し暑い廊下から、踵を返して教室内に戻る。
     先程の生徒と入れ違いに教室に戻ってきたのはアカギだった。平山もどうして戻ってきたんだ。と、訊ねれば"スマホを忘れた"とだけ目線も交えず告げた。そうして自分の席で、机下の空間から銀色の薄い端末を手にする姿を平山は見る事になる。
     夏の陽光の中、俯いて無表情に画面を眺めるアカギ。
     短く確認した後は、廊下で生徒を見届けて今になる。アカギはもう端末を見てはいない。日差しはまだ白く明るかったが、それも既に夕の気配の混ざる目映さを見せていた。
     真っ直ぐ向かう瞳の中に、自分が映し出されているのを平山は分かっていた。赤木しげるとは、最初からこうなのだ。その視線から妙に抜け出せない瞬間が、必ず存在する。今もまさにその時だ。白んだ教室の中に、まるで幽霊でも立っている。そんな異質さと透明度を持って、自分をその視界に入れていた。
     アカギの目が、子供の反抗的な時期の悪さとはもっと離れた部類であるのを、他の教師達同様、平山も思っていた。大の大人さえも、飲み込みかねない得体の知れない、何か。
     例えようのないモノ。
     そう口にするほか無かった。平山は大人しく先に目線を逃がし、閉ざす。心底溜め息を漏らした。

    「そう感じるなら、俺の休暇中にそういう事態を招く真似するなよ」
    「・・それ、先生に約束するの?」

     約束。
     自分の瞼と指先が揺らいだのを平山は感じ取る。本来なら気にも留めずともいい。しかし弱くも奇妙な感覚が、平山の目に見えない不安定な箇所を撫で上げて行く。例えるならば見えない薄い膜。それが一つ何処かにあって、触れたと感じるが、その膜の正体も場所も、結局平山には分からない。アカギが子供らしからない態度で手を焼く事はあっても、それでもこんな感覚に陥った事は平山は今まで一度だってなかった。
     暑さからか。思えば今日禄に水分を取って無かったかも知れない。と、この一日の流れを平山は思い出す。生徒の事ばかり念頭に入れ、自己管理が疎かになるなんて本末転倒だ。そんな思いが胸を満たした。でも、本当にそうだろうか。
     それだけ、だろうか?
     小さな違和感は輪郭を得て、それこそ幽霊にも似た物が染み出すのを塞ぐ為に。額に手を触れてしまった。
     平山の様子が少しずつ曇り出すのをアカギはただ、黙って眺めていた。別に平山の様子が変わり行く原因に、自分の発した言葉があるとは思っていない。
     でも、この"時期"を思えば、その少し陰を落とした顔は"昔"にもあったのかも知れない。自分の知らない時間の中で。そんな考えが薄らと頭を描いたのは事実だった。過去を思い出そうとした訳ではなかったが、脳裏に一枚の写真が浮かび上がる。

     それは平山幸雄という男が、この"季節までは"を生きていただろうという事。

    「先生。だったら、」

     アカギの声は特別その空気を乱したりもせず、平静の物であった。平山は自分に纏わり付く透明な感覚を拭えないまま、片手で視界が少し隠れる中でアカギの言葉の続きを聞く。

     蝉が遠くで鳴いている。
     教室を通して廊下へ。音は細くなりながら、抜けいった。


    ***
    ○十七歳×二十八歳

    『ああ・・そういう事もあったな』

     アカギが去年の夏を思い出してしまうのは、無理もなかった。高校入学した年、平山が夏期休業中の自分の行動が、不安なのだと遠回しに訴えてきた事を考えながら、何もない青空と蝉の鳴き声が聞こえる上空を眺めた。更にそこへ重なる何処かで通過する飛行機が轟音を立てながら遠くなる瞬間、首筋を汗が伝い始めた。そうしてTシャツに染み込む前に、拭い払う。今朝の最高気温は例年に比べ異常だと、先ほど通過した市街地内の、目立つビルに張り付くモニターはそう告げていた。明日はこれ以上の気温になるのだという。
     アカギの足は市街の外れに向かいながら、人の熱で揺らぐ波の中に消えていく。

     去年、アカギは平山に提案したのは「だったら、夏休み先生の家に泊めればいいだろ」という物だった。アカギはあの頃から平山にもう一度どう接触するか。その機会を着実に狙っていた。平山は当然その言葉に硬直したが「夏休みまで俺の顔お前見たいのかよ。お前もしっかり休め」と、まともに受け取られもせず、はぐらかされたのだった。そういう反応になるだろうというのは、ある程度アカギの中で分かっていた事だった。だからそれはこちらの意図に巧く乗れば儲け程度で、期待はなかった。
     以前の意志疎通も介さず、平山を暴くだけ暴いて振り乱すだけの事なら、例え年齢差があったとしてもいつでも出来た事だ。でもそうして触れるのを本能的に避ける自分が居るのだから、今自分の中に存在する望みがそれではないのだろう事を気付いていた。
     一年を通して分かったのは、平山が自分と他人と分け隔て無く接する中に、それまで自分には向けられない表情や感情があったと言うこと。
     逆を言えばまた、あの当時自分にだけ向けられていた平山の感情が、確かにあったのだと理解する。 分かる事と理解は似て異なる。

    『あの時は"分かっていた"けど・・』

     果たしてその区別された感情を、理解しようとした自分が居ただろうか?
     錆びが所々剥き出している白い塗装の陸橋を渡りながら、浮かべる思案は答えに辿り着く。いいや、理解なんかするつもりはなかっただろう、と。平山をあの時どんな気持ちで蹂躙したかと言えば、ただただ運良く略奪に合わず、痛い目を知らないまま生きようとするのを、温いと思っていたのも真実だった。それと同時に、矛盾に等しい気持ちを抱えながら自分という存在を、直視しないのもまた不出来な生き物に感じられた。
     どっちつかずを、腹立たしくも思えた。
     だからその感情に揺らぐ平山を、自分の気の済むままにしていた。ガキと周囲に言われるだけの。我を通すフリをした、ただの暴虐だろうと今なら知れるし、そして如何に自分が狂気に身を委ねた男だとしても、抱く相手は歪な形であれ、選んだという事だ。
     そして今、その矛盾を抱えたまま失った存在に、もう一度触れたいという欲求と同じくして、"理解"もしようとしている事をアカギは自覚していた。

    ***

     一年の内に去年より平山との距離を、半ば強行にも似た形でアカギが詰めた結果、今年の夏ははぐらかされる事もなかった。ただ、平山は相当倫理的にだとか、社会的にだとか。兎に角理由を付けて拒んだが、どれもアカギ自体に嫌悪があるから故の、拒否では無い事に、結局押し切られる事になった。平山は既にアカギに自宅の場所は明かしては居たが、泊まる事を許したのはこれが初めての事だった。
     市街地から少し外れ出すと、ビル群は次第に高さを失いながら、やがて雑居ビルとアパート、住宅が入り乱れる街の境に入って行く。クリーニング店、美容室、輸入雑貨店、感覚三歩の横断歩道。スマホの画面を片手で操作しながら、最後の文面が『いつ来るんだ?』と、なっているのを見やる。アカギにその文面が届いたのは今朝の十時前。既読が付いて既に二時間は経っていたが、それ以上に問う事を平山はして来なかった。
     アカギはスマホを黒いボトムスのポケットの中に突っ込んで仕舞い込む。
     コンクリート壁が続き、右方向角を曲がって真っ直ぐ歩けば、もう直に平山のアパートに着くだろうと分かっていた。コンクリートの壁の終わりは、太陽に照らされている。返信送るのを忘れてた上にこの暑さからアカギは、その前にコンビニでも寄ってアイスを買うか。と、思い始めていた。

     アパートは五年程前に建てられたと言う、目新し物でもない建物になる。その外観は"当時"平山が住んでいたアパートに近い物があったが、内装はフローリングであったし、日当たりも部屋が一つ増えた分窓が増していて明るく、別物であった。しかしそれでも"二階"を選ぶのはこの男に染み付いた、無意識なのだろうと思う。勿論そんな事を今話した所で伝わる訳のない平山に、アカギは言わなかった。片手にコンビニの袋を下げ、アカギは階段を上り、殺風景な共通通路通り過ぎて、部屋の前に辿り着く。
     インターホンを一度指で押し、鳴らした。
    中に響いた音は微かに聞こえる。
     だがそこから直ぐに平山が来る事もなく、挙げ句人の動く気配すら扉の向こうに感じることも無くて、ただ沈黙する。
     陽射しと共に熱さを増す空気の中、部屋のナンバーが付いたプレートを見やる。以前この部屋に訪れた時に確認した数字と全く変わらない。
    『居ない訳・・ないのに』
     電子錠の付いた細いドアノブに目をやる。特に意識した訳でもなく、手はその突出した金色に掛かり、下りた手応えにアカギは意外に思った。神経質な平山は普段、こういった防犯部分を気にするだろうと思っていたからだ。

     室内へと続く隙間が出来、その先は夏なのに部屋を閉め切っているのか薄暗かった。

    ***

     エアコンが効いているのか、一帯は外よりひんやりとした空気を帯びていた。室内はやはり踏み入れても日中にしては薄暗く、カーテンが閉じているのだろうとアカギは悟る。手にしたコンビニの袋の中、水滴を纏わせ、張り付くアイスのパッケージが透けているのが目に入ってくる。平山に会うよりも早く、一人暮らしにしては規格が少し大きい冷蔵庫の、物入り少ない冷凍部分に収めて閉じた。それからアカギは、静かに足取りを平山の私室へと向けた。

     最初に開けた部屋は来客間だ。やはりその部屋のカーテンは下りていて、夏の日差しを完全に遮断してしまっていた。部屋にはテーブルとテレビ、座布団。掛けっぱなしの冷房は此処にあり、他に壁にはカレンダーがフックで釣り下げられていた。窓際に近い壁にも服が何種類か下げられ、その中には平山が職場に持ち行く見慣れた黒い鞄が提げられている。それらを一通り見た後に、戸の閉ざされた最後の部屋をアカギは見つめた。平山の寝室になる。この部屋に姿が無い時点で、あとはもうその部屋に居るのは間違無いだろう。室内に二、三歩踏み入れてドアの前へと歩み行く。

     鍵の無い一枚扉は簡単に開いていった。

     目に入ったのは薄い夏掛けにくるまる平山の嫌に小さく見えた背だった。ここまで来て人の気配に気付かない訳もないだろうと思いながら、アカギはその姿と目線が合うだろう位置まで近づき、膝を着いた。

    「来たんだけど」

     名前を言うこともなく来訪を告げて、平山の肩を揺すろうとしてアカギはそこで漸く平山の体調が崩れているのを、その体温で知る。
     異常な熱さ。
     来訪者が来ても動かなかったのではなく、動けなかったのだと。

    「あか・・ぎ」

     悪い。
     名前の後に平山が口を開いて呟けたのはたったそれだけだった。その後は何を言うわけでもなく、目を閉じてまた深い眠りへと入ってしまう。
     平山の手の中には、スマホが握られていたのを確認して、この時アカギは初めて連絡をすれば良かったという思いを持った。

    ***
    ○十八歳×二十九歳

     平山は自分の体調が"夏"になるに連れ、悪くなる傾向があるのを分かっていた。生徒に体調をどうこう言う前に、自分がしっかりしなきゃいけないだろうと気を付けて努めていたが、それでも七月終わりに差し掛かると制御も効かず、不快感へと絡め取られてしまう事になる。確かに昔からそうだったというのは、自覚があった。しかしそれでも、去年一昨年と発熱したのは初めての事で、一人"何故こうなったと"いう気持ちを抱えながら、寝入るしか出来なくなる。一昨年も市販薬を飲んで一人静かに眠れば、翌日にはダルさもすっと身体から引いたので、同じようにしようとしたのが去年の出来事だ。ただ去年は、アカギが自分のアパートに泊まると言って来たのを断る事が出来ずそれだけがイレギュラーとなった。
     まさか発熱直後、訪れた事も。その後見せた意外な程、普通に人を気遣う様も。その年は全てイレギュラーだった。結局あの年はアカギ(生徒)に看病させてしまったという、罪悪感が平山には残った。

     しかし、反面アカギは随分と淡々としながらも楽しげであったし、去年よりどこか一つ、また年相応を離れた印象を平山に与えていた。


    『何なら食べれそうなんだ』

     通話。からの、一切の詳細も聞かない相手の声に、平山は何とも言えない気持ちになった。どうして。とは、最早言えずに大人しく『ゼリーぐらいな、ら』と告げる口元は、熱が籠もって煩わしかった。平山の応答にスマホ越しからアカギの『分かった』という言葉が聞こえ、そこで終わる。恐らくこの近所のコンビニに今居るだろう事は、平山にも予想出来た。
     ベッドの上に寝転がって、何もない暗い天井を見つめる。一昨年も去年も今頃、天井ばかりを眺めていて、身体も思うようにならないのもそのままだと思った。病院に行っても身体に異常もなく、市販薬を飲んでも結局この状態になる。今年に入って平山は、そこまでしてダメだというのなら結論は一つしかないのだろうと思っていた。
     体調が崩れ出すのが七月の終わり。

     発熱は八月になってから。

    『間違いなさそうなのが、救えないよな・・本当に』

     記憶力が無ければ良かっただろうか。そう思わざるを得なかった。完全に前世でした事が付いて回っている今、この発熱もその一つなのだろう。記憶が手に入ってしまった事により、その事実を受け止めるほか平山は無かった。そうなってしまうと当時、自分で起こし辿った末路が頭を支配して仕方なくなる。

     どんな思いをしたのか。
     どうしてああなってしまったのか。

     それを思い起こしても何一つ変わる事はない。全ては起こり、終わった事であるのに。気持ちは引きずられ、そのせいか身体を包むダルさも酷くなった様な気がしてならなかった。息が煩わしいとさえ思うのに、これ以上の思考は放棄した方がいいだろうと瞼を閉じ、何もない暗闇へと意識を落とす。それが一番安全なのはこの二年で良く知れたことだった。

    ***

     次に目を平山が開けた時、部屋のカーテンが開き、陽が室内に入っていたのがまず最初に気付いた変化だった。次に時計の針があれから一回り半していた事。
     自分の眠るベッドサイドに背を預けて、寝ているアカギの姿があった事。それが最も目に付いた変化になる。
     去年は記憶が無くても、アカギが人の世話をするというのが、意外すぎて驚いていたな。と、平山は振り返る。去年平山が寝入った後、次に目を覚ます時までアカギはただ傍にいた。起きてから何が要るのか平山に聞きながら、余計な事は一切しなかった。その後分かったのはアカギは誰かを看病などするのが実際初めてだったと言うことだった。
     そして今年は既にこうなる事を予想して居たのだろう、通話の仕方を考えると、アカギは恐らく分かっていたのだ。自分が何故ああなるのか。自分と違い、アカギは最初から"当時"の記憶を持ち合わせて自分を見ていたのを、二年生の冬に知らされている。
     それ以外にも、アカギから宣言された事が一つあった。

    『あの当時、より・・か』

     平山は静かに上半身を起こしながら、アカギの寝顔をただ見つめる。閉じた瞼と、毛髪と同じ白い睫毛がレース越しの光を浴びる。呼吸を確かに繰り返し、この場所に存在している。
     この男は何を思ったのか。自分に"触れたい"とだけ言われれば、あの当時の事をただ繰り返せばいいと思えたのに"知りたい"と、口にした。自分に暴き立てられる物など、何も無いというのにそれでもそれが必要だと言ったのだった。お前に分からないことなんか何一つ無いはずだろう?と、平山はアカギの意図が読めなかったがそれでも、確かに。
     
     確かに、それでも。

    『受け入れた俺が馬鹿なのか・・』

     今更何を。とも、思いは巡る。だけどこうして今も縁が繋がり続けるならば、そこに意味が在るのかも知れない。そう平山は思いたかった。
     過去幾度自分と似たと言われたその横顔を見やる。何も返ってくる事は無い。自分の過去に根付く影の男は、決してこんな穏やかではなかったなと振り返りながら、平山は少し息を吐いた。それは呆れからでも、虚無からでもない。
     昔の在りし日全てを不幸だとは決して思わないが、それでも此処に確実に存在する凪は、幸福なのだろうと思えた。例えそれを見い出す相手が、あの赤木しげるだったとしても。
     平山は自分の目元が細く弧を描いたのを感じ取る。
     しかし、眉根は戸惑いを表していた。

    「お前・・今俺が助けて欲しいなんて言ったら、」

     助けてくれるのだろうか。
     こうして今、悪化した体調の波を押さえようとしてる事自体が、助けだと知ってても尚。明確に口にした時、果たしてお前は俺を助けるのだろうか?少なくとも、あの時代を生きたお前は、他者を救う為に生きては居ないだろう。だからこれはただ、気まぐれに遊ばれてるだけの出来事なのかも知れない。そう線引きしたがる自分が居るのを平山は分かっていた。

     一度口にした言葉は、ぽつりぽつりと外へ流れ出す。
     目元を隠した所で堰を切った幽霊は止まれない。


    「今更、あの時どうだったかなんて此処では意味もないのにな」

    「・・でも、俺は言いたかったのかも知れないな。本当は」

    「あれは・・最後に、誰にも何も残遺さず去ったから」


     死ぬとも思わなかった。
     だから誰に何を伝える訳もなく、遺すことも無く、八月二日の日付を俺は迎えることは無かった。平山は記憶が戻った後、それをアカギに言う事は大抵が最低限であり、必要以上を言わなかった。赤木しげるという男の、それまでの性質と関係を考えれば"言えない""言いたくない"と思ったのも、仕方なかった。
     最後の願いを向けた相手は、恐らく誰でもない。あの時は、自分を助けてくれる人間なら誰でも良かった。それほど平山は瀕死であったし、必死だったのだ。でも、同時にこの賭けを求めたのが自分である事を誰より知っている。あの結末の全てに、後悔が無いと言えばそれは嘘になるだろう。

    「でも、色々思い出してから・・変な話になるが、今はあれで良かったんだって思ってる」

     平山はあれが自分の博徒の終わりである。今はそう内心に決着を着けていた。既に違う生き方を歩み出している今を、平山は惨めだと思ってはない。この今の世で、自分がどう生きたいか、在りたいか。
     自分の中に根付いた"今"の赤木しげると、どう向き合いたいと、願うのか。
     手はゆっくりと目元を離れ行く。光は少しずつ掌を照らし、平山は顔をそっと上げた。

     そうしてその目下に座り込んでいた男の双眸が開いていた様に、息を飲んだ。いつの日か教壇から目線が合わさった時の様に、流れ当たる動きに今度こそ逃げられなかった。

    「さっきの言葉。全部分かった上で、助けられるの・・現状、俺だけしかいないだろうな」

    "その相手を分かった上で、お前が俺に言うなら"

     それは過去の自分を裏切るだろうか。怒れるだろうか。少なくとも全てを知った上で自分の声に応える男は今、この世に一人しか居ない。
     そしてそれは何も知らずとも、自分が選んだ人間だという事実。
     平山は何度か言葉を形作るの止めた後に、小さく「お前に、助けて欲しい」そう凪の空間に告げれば、アカギは目を閉じて笑っていた。買ってきたゼリーでも持ってくる。と、様子を窺うことなく部屋を出て行く背を、平山はただ見送った。

    ***

    「俺と接触したのが要因だろうな」

     時間が過ぎ去るのも早く、既に蒸し暑い夏の夜が外には出来上がっていた。光を受け入れていたカーテンは閉ざされ、来客間に二人の姿は並んでいた。夜間の音楽番組がテレビの中で流れ出している。
     それまでの体調不良が急激に病になり、決まった様にすっと平山の中から消え去る事象を、アカギも平山もそう結論付けていた。レトルトの卵粥を口にしながら平山は、アカギが座布団に腰を据え呟いた言葉に何も言えなくなる。聞こえぬ振りして黙々と口へ詰め込む。
     その顔が熱だけで赤みを帯びていないのを誤魔化す為にも。

    「・・それでいいの?来年もそうなるって事、決まってるけど」
    「訊くな・・」
    「まあ、もう嫌だとか・・今更言われても俺も、変わる気無いしな」

     アカギが言ったその何気ない言葉が出て暫く、平山は口に運ぶ粥の手が止まり、意味を整理するのに随分と神妙な顔をし出す。その変化する様をアカギは黙って見つつも、口角は次第に弧を作り出す。

    「あの頃のまま、全部を繰り返そうなんては思ってないよ」

     来年はアンタが具合悪くなる前に、海にでも行ければいいのにね。
    そう呟いた男に平山は呆然としながらも、自分たちが今を進んでいるのだと知る。テレビ画面は番組の終盤を飾るのに花火が映り、打ち上がる音が聞こえた。それは外にも在って、画面の中の光景が自分たちの直ぐ傍にあるのだと知らせた。
     平山はアカギを直視するのを止める。そうしてテレビで打ち上がる赤紫色の火花を見た。

    「お前との約束って、あんまりいいもんじゃ無いと思ってるけど・・」

     そうなればいいな。
     平山が返した言葉にアカギは何も返しはしなかった。
    再び凪ぐその空気が、今の答えなのだろう。

     ひとつ一つ知る。過去の願いも、今の約束も。
    夏を一つ終える毎に、変わり行く姿を自分たちは知らない。変わり行く先にも出来ればこの凪が在ればいい、と。

     最初にそう願ったのは、どちらか。



    20200801

    ・まとまり無い感情の文になってしまったのですが、○年ぶりの幸雄命日。何年経っても私平山に救いを探してしまうのと、夢を見てる・・いつまでも こういう女なのだと思い知った次第です。追悼。
    錦シギノ Link Message Mute
    2020/08/01 16:54:11

    夏廻り

    堕ちて廻ったその先で。(https://galleria.emotionflow.com/83351/514793.html)の二人が8/1という日を迎えるの三年分を一つの流れにした話。只管淡々やってる感情の文章になります。ただしげるさんが吃驚する位ゆきおに対して優しいので解釈が違う場合はそっと見なかった事に・・という話になってますので御注意下さい。
    ##fkmt #アカ平

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