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    リリィ「――あれ、坂田木さかたき……?」
     ある月曜の放課後、ちょっと遅い目に教室に戻ったらクラスメイトが一人残っていて、私は驚いた。
    「南?――おぉ」
     自分の机に向かって何かしていた坂田木は入り口の私――南幸の姿を確認して、軽く右手を挙げた。
     クラスメイトといってもそんな、仲良いわけじゃない。あまり長く喋ったことはない。挨拶とか、用事があったときに話す程度。
     坂田木のほうもそれほど交遊の幅が広い印象はなく、たいてい一人でいる。見た目は良い方だけど、誰かと笑いあってる姿、というのはあまり覚えがない。
    「忘れ物?」
    「ん――うん」
     坂田木に訊かれて、曖昧に頷く。
     自分の机に行って、中をゴソゴソと探ると――あった。
     私は机からあまり使ってない古語辞典を引っ張り出した。
     薄いカバンを開けてスペースを作り、分厚い辞書を詰める。
     その様子を、坂田木がじっと見ていた。
    「坂田木――は?」
     どうにも、さん付けもビミョーな感じだったからつい呼び捨てになってしまう。
     けど坂田木は気にしてない様子で、ふっと笑った。
    「日誌。
     ――あと、ちょっと自分の用事もしてたけど」
     坂田木の机にあったのは、四月から半年以上経ってすっかり見慣れた学級日誌。厚めの大学ノートは月に一冊新しくなっていて、閉じられてるその表紙には『11』と書かれている。
     十一月の放課後は、ちょっと時間が過ぎるともう陽が落ちかけてくる。
     今も教室の窓はオレンジと赤を足したような色が差し込まれ、眩しく光っている。
    「あ~。
     サワー、日誌命だもんね」
     ずれたメガネの位置を直して、私も笑う。
     サワー、ことウチのクラスの担任の澤森は歴史の先生で、クラスの日誌をけっこう丁寧に書かせる。『その日一日をちゃんとまとめることが、歴史の流れを把めることにもなるんだ』とか何とか、前に言ってた気がする。
     坂田木は荷物をまとめて、日誌を手にして席を立った。
    「あとは社会科準備室行くだけなんだけど――一緒に帰らない?」
     ちょっと驚く。
     今まであまり話したことないのに。
     嫌ったり避けたりしてるワケじゃないし、面白いかも。
     そう思った。
    「おっけー」
    「ありがとう。
     駅前の本屋で、見たい本があったんだ。
     付き合ってくれたら嬉しい」
    「ん――いいよ」
     特に用事もなかったし、軽く返事する。
     坂田木が先に教室を出て、私が追う。
     歩くの速いんだ――。
     そんなに身長も変わりないのに、と私はそんなことを思う。
    「どうかした?」
    「ん? なんでもない」
     振り返った坂田木に追いついて言う。


     サワーにちくっと、進路のことを言われてから私と坂田木は学校を出た。
     ――さすがに高三で十一月にもなれば、言われるのも仕方ないとは思うけど。
     通っているのはごく普通の、中間くらいのレベルの公立高校。
     駅からもビミョーに遠いし、学校のすぐ近くで遊べる所はほとんどない。
     せいぜいコンビニくらい。
     何か買い物したり、遊んだり、ってなったら一キロちょっと歩いて駅前まで行かなきゃ何もない。
     そんな学校に通ってもう三年。
     とりたてて言うようなこともなく、平凡に過ごしてきた――と思う。
     私は自転車を押しながら――チャリ通してる。坂田木が歩きだったので、カゴに重くなったカバンを入れて、私も歩いていた――隣の坂田木を見る。
     百六十cmそこそこしかない私より少しだけ、背は低い。そんなに変わらない。
     柔らかそうな、長めの髪。私はというと、クセの強いショートボブ。
     目もぱちっとしていて、肌も白くて、全体的に『可愛い』オーラをまとっている。
    「南って――」
     視線に気付いたように、坂田木が私のほうを向いた。
    「え?」
    「部活とかやってなかったんだ」
    「あ――うん。何も。
     坂田木は?」
     同じクラスになったのは三年になってから。
     だからか、何だか質問のし合いみたいになってしまう。
    「僕も――部活はしなかったなぁ」
     坂田木は苦笑をこぼした。
     そっか、自分のこと『僕』っていうんだ。可愛らしい外見と似合ってないのがちょっと面白い。
     コンビニの横を通る。
     同じセーラーの制服が数人、駐車場で喋っていた。
     カラーのラインの色が学年色になっていて、私たちは濃いめの緑。
     コンビニでタムロってる子らは紺だった――二年だ。
    「さっきサワーに言われたけど、進路――考えてる?」
     今度は私から聞く。
    「あんまり」
    「だよねぇ」
     ふたりで笑う。
     坂田木って、可愛い声してるなぁ。
    「大学、ってのもなんだかイメージ湧かないんだよね。
     コレだ、っていうやりたいことがあるワケじゃないし」
    「まぁ、ね。
     でも――もし行くなら音大、行きたいかな、僕は」
    「へぇ~。どうして?」
     坂田木のことを意識して知っていたわけじゃないから、意外というか、想像ができなかった。
    「坂田木って、何か音楽やってるの?」
     でもブラバンとか、部活やってたのではないようだけど。
    「ん――うん」
     曖昧に坂田木は頷く。
    「バンドやってるんだ。
     ――で、ちゃんと作曲とか勉強した方がいいのかも、って思ってる」
     坂田木の顔は真面目だった。
     可愛いのとキレイなのが混じって、夕方の光と重なって、一瞬ドキッとする。
     坂田木がバンドやってる、って知らなかったことも驚く。
    「サワーの言う『歴史の流れ』じゃないけど、基礎とかしっかりしないとダメかもなぁ……」
     そう、天を仰いだ。
     ――駅が見えてきた。

       ■□■□■□

     坂田木は本屋に入ってすぐ、音楽関係のコーナーに向かった。
     私もその背を追って、ついていく。
     音楽雑誌とかを通り過ぎて、坂田木はひとつの本棚に並べられてる大きめの本を探っていた。
    「――楽譜?」
    「うん。バンドスコア」
     短く坂田木は言う。
    「探してるのって、これ?」
    「まぁね。今日思い立ったんだけど」
     こっちを見ないで笑いながら、中腰になって細い指で厚い背表紙を次々に繰っていく。
    「何を――――」
     私が言うより前に、坂田木は顔を上げた。
    「やっぱり、なさそう」
    「そうなんだ」
     坂田木は腰を上げて、私を見て苦笑した。
    「思いつきで動くのってよくないね。
     南――は何か見る?」
    「あ~……私、何も考えてなかった」
     言って笑う。
    「じゃあ適当にブラブラする?」
     いつの間にか坂田木は手に、雑誌を一冊持っていた。
     けっこうハードっぽい感じのロック雑誌で、外人の髪もヒゲも長い、ムサい男の人が表紙になっている。
     外見とのギャップありすぎ。
    「そうだね」
     私は頷いて、坂田木と一緒にレジに向かった。

     本屋を出てからは二人で、服見に行ったり雑貨屋に行ったり、ゲームセンターでちょっと遊んで、それからファストフードに入った。
     坂田木は、見た目通りに可愛い服が好きだったり、女の子っぽいアイテムに目がなかったり、そのくせ格闘ゲームとかやたら強かったり、ぱっと見で想像できるのと意外なの、両方が混在していた。
     今も坂田木は大きいトレイにバーガーを四個置いて、平然としている。
    「――どこに入るの!?」
    「よく聞かれる」
     坂田木はセットのポテトをつまんで笑う。
    「なんか、食べれちゃうんだ」
     私はセットのバーガー一個とポテト。
     その包みをはがしていると、坂田木が言った。
    「バンドって結構、体力使うし」
     いつ食べたのか、バーガーの包みはあと二個になっていた。
     何ていうか――今日一日で、坂田木との距離が近くなったような気がする。
     色々な面を一度に見たからかも。
     私がそう言うと、坂田木は嬉しそうに微笑んだ。
    「それは――嬉しい。
     実を言うと、僕はもっと早くに南と仲良くなりたかったんだ」
    「そうなんだ。
     ――私、声かけづらい雰囲気してた?」
    「そういうんじゃない。ただ――僕が色々考えてしまってたから」
     坂田木は頬を少し赤くする。
     なんだか、すごく可愛い。
    「ごめん――坂田木って、名前なんだっけ?」
     私は悪いと思ったし、迷ったけど、ストレートに聞いた。今まで意識して覚えてなかったせいか、どうしても思い出せなかったから。
     坂田木とこれから、仲良くしていきたくなっていたから。
     坂田木は目を丸くさせてから、ぷっと吹きだした。
    「千紗都だよ。坂田木千紗都」
     そう言って、紙ナプキンに字を書いてくれて、冗談ぽく口を尖らせる。
    「六文字なんてありえなくない!?」
    「いいじゃん。私なんて対極――二文字だよ」
     二人して笑う。
     気付いたら坂田木は、バーガーを全部食べていた。
    「行こっか。もう夜になってきたし」
     坂田木が言う。
    「そうだね」
     二人してトレイを片付け、荷物をまとめた。
    「南――も、こんな服着てみたらいいのに」
     と、さっき買った服の入った袋を掲げる。
    「いや、それは似合わないわ」
     ビミョーな顔で手を振る。
     坂田木ならその可愛らしい色柄のシャツ、似合うと思うけど。
    「そう? 着てみなよ。眼鏡もコンタクトにしてみたら印象変わると思うよ」
     制服の裾をちょっと払って、坂田木が先に立った。


     店を出て少し歩く。
     すぐに駅のロータリーにさしかかり、坂田木が足を止めた。
    「僕はこっちの団地の方なんだけど――」
     あぁ、なるほど。
    「あ、ビミョーに方向違うわ」
    「そっか」
     坂田木は何か緊張してるように少し目線を泳がせ、程なく私を見た。
    「今日はありがとね。
     えっと――その、南って……」
    「ん?」
    「い――いま好きな男子とかっている?」
     早口に言ったから、理解がちょっと遅れた。
     ――男?
    「いや、いない……ていうか男ってちょっと苦手」
     迷って、正直に言った。
     男子ってどこか敬遠気味にしてる。怖いのとは違うけど、仲良くしてる人とかはほぼいない――なぁ。
     そういうとクラスの中で、浮いた感じを自覚することも時々あるけど。
     と、坂田木の表情が目に見えて明るくなる。
    「そうなんだ。
     よかった――――」
    「よかった、って?」
     ちょっと不思議会話な感じ。
     坂田木の真意を計りかねて、私は次の言葉が想像できてなかった。
    「うん。
     僕さ、実は前から南のことが好きなんだ」
     一気に坂田木は言った。
     まるで告白だ――って、
    「ええっ!?」
    「ずっと気になってたんだけど、話しかけるのもきっかけがなかったし、でもこのまま卒業はしたくなかったし、今日こんな時間に一緒にいられたのはきっとチャンスなんだと思って――えっと」
     さっきより更に早口になって、坂田木は言った。
     可愛いけど、戸惑う。
     この流れって、まるで――――
    「僕と付き合って――ほしいんだ」
     そう、こんな感じの――
    「!?」
     予想した言葉を坂田木が言っていた。
    「どうかな……」
    「ちょ、ちょっと待って――考えさせて」
     少し、混乱してきた。
    「あ――うん。
     じゃ、じゃあ……今日は帰るね。
     ありがとう――南。ま、また明日ね」
    「あ――うん。また明日」
     坂田木はちょっとほっとしたように可愛い笑顔を見せて、スカートをひるがえした。

       ■□■□■□

     翌日。
     いつも通りの時間に登校したら、下足ホールで坂田木と会った。
    「お――おはよう、千紗都」
     ちょっとためらったけど、思い切って名前で呼んでみる。
     昨夜一晩考えた。
     私も、坂田木――千紗都と仲良くなりたいのは確かだし、キライじゃないし、今朝会う時にどう感じるかでどう呼ぼうか決めよう、そう思った。
     退きかけたら変わらず、名字で。
     ちょっとでもドキッとしたら名前で――
     今朝の千紗都はギターっぽいケースを肩にかけ、カバンと別にスポーツバッグを持って、緩くくしゅっとしたレイヤーの髪をポニーテール風に頭の後ろで軽くまとめていた。
     どこか不安げな、テスト直前のモヤッとした感じのような表情で下足ホールに向かってるのを見て、確かに私の鼓動は少し早くなった。
     驚いた様子で振り返った千紗都は、私を見て、弾かれたように笑顔になった。
    「お、おはよぉ……み、南?」
    「幸でいいよ」
     靴箱の前で並ぶ。
    「なんか――嬉しいけど照れる」
     そうはにかむ様がやっぱり可愛い。
    「あの、さ」
     上履きを取って、私はちょっと上気した千紗都を見る。
    「付き合う、ってのは正直よくわかってない。でも千紗都と仲良くしたいのはホントだから」
    「うん――ありがとう」
     千紗都はさらに頬を赤くする。
    「女同士だし、気持ち悪がって避けられるかな、とか思いながら来てた」
     一緒に教室に向かう。
    「うーん……それはない」
     三年の教室は、三階になる。
    「そうは思わなかったけど――」
    「けど?」
    「驚いて、戸惑って――今も考えてる」
    「あ――ごめん」
     千紗都の表情が曇る。
    「突っ走りすぎたかな、って思ったんだ。迷惑じゃなかったらいいけど」
    「迷惑だなんては思ってないよ」
     教室に着いた。
    「――これから色々話していったらいいんじゃない?」
    「そうだね――ありがとう」
     千紗都はにこっ、と口角を上げた。


     お昼を千紗都と一緒にするのも、もちろん初めてだ。
     千紗都に誘われて、学食に行く。
     ごった返してる中で何とか二人の席を確保して、千紗都は定食を買いに行った。
     お弁当持ってるのに。
     程なく、天ぷらうどん定食のお盆を持って千紗都が戻ってくる。
    「――ほんと、どこに入ってくの?」
     運動部の男子みたいだ。朝食、早弁、昼食、おやつ、夕食、夜食って食べる類の。
     それでいて太らないなんて詐欺だ。
     千紗都って見た目はすごく『女の子』なのに。
     今の笑ってる様なんて、その辺の男子を軽く虜にしそうなくらいに可愛いのに。
    「千紗都――質問、いい?」
    「うん。なに?」
     私は普通のサイズの弁当。お茶だけ買って、ゆっくり食べる。
    「付き合う、って――千紗都は女が好きなの?」
    「女が、というより幸が好き。性別よりも」
     千紗都の瞳は吸い込まれそうなくらい、澄んでいた。
     思わず赤面してしまう。
    「恋人、ってこと?――友達とは違って」
    「うん。どう言ったらいいか判らないけど、恋人って支え合うことかな、って思ってる。僕は幸と、何でも話せる親友よりも深い関係になりたいんだ」
     ストレートに千紗都は言う。あまりにまっすぐでハッキリしてて、そこまで考えてなかった私は話題を変えた。
    「――バンドって、校外で?」
    「うん。『コルポ・ディ・ヴェント』って――知ってる?」
     私は首を横に振る。
    「ごめん」
    「ま、インディーズの末端のほうだしね。謝らなくっていいよ」
     千紗都の弁当が空になっていた。
    「女ばっかり四人でね。近場のライブハウスでやったり、自費でCD作ったりしてる。聞く?」
    「うん。聞きたい」
    「じゃあ明日CD――あ、そうだ」
    「?」
    「今夜ヒマ?」
     何か思いついたように、天ぷらの最後の一口を飲み込んでから千紗都が言う。
    「今夜さ、ライブやるんだけど――来る?」
    「いいの?」
     唐突だ。
    「もちろん。チャージ料おごるし」
     予定は――ない。予備校に行ったりしているわけでもないし、バイトもしていない。
    「――どんなバンド?」
    「メタル寄りのハードロック。キツい……かな?」
     それで昨日、あの雑誌買ってたんだ。
    「大丈夫……だと思う。あんまり聞かないけど。
     千紗都は何やってるの?」
    「ギター兼ヴォーカル」
     つゆもきっちり飲み干して、完食する。
    「無理にとは言わないけど、幸には僕のこと、何でも知ってて欲しい」
    「うん。
     ――私も、千紗都の歌うの、聞きたい」
     私と千紗都は学食を出て、中庭に行った。
    「どこで?」
    「JRの『原田宮』の近くの『ホワイト・バーチ』ってライブハウス」
     原田宮は、ここから一番近い繁華街だ。映画観たり、ちょっといい服を見にデパートに行ったりするならまず思いつくところ。遊ぶところも多いし、食べるところも多い。
    「小さいハコだよ。詰め込んで百人――は入らないかも。それくらい」
    「チケットとかあるの?」
    「ないないない」
     笑って、千紗都は手を振った。
    「普段はバーで、ライブの時、出る人で席多めに作ることがあるぐらい。
     入る時にチャージ料、ってのを払うんだ」
    「へぇ~。
     未成年だよ?」
    「バー、ったってお酒しかないワケじゃないよ」
     千紗都は手をぐっと握っていた。
    「今日はずっと、幸と一緒にいられるなぁ」
     心底嬉しそうだ。
     そんな千紗都を見ていると、私もドキドキしてくる。
    「あ――でも、制服……」
    「あそっか。僕は着替え持ってきてるからいいけど――一回帰る?」
     さすがに、夜中まで制服で繁華街をウロウロするのはヤバいと思う。補導とかされるのもイヤだし。
    「うん……そうする」
    「そっか……」
     千紗都の表情が少し曇る。
     が、すぐに笑顔に戻り、
    「でも、夜は一緒だしね。うん。
     ライブ七時からなんだけど、六時くらいに来てくれたら嬉しい」
    「ん――わかった」
    「教室戻ろう。地図描いてあげる」
     ぽん、と千紗都は立ち上がって私の肘を引いた。

       ■□■□■□

     六時五分前に、私はそのライブバーに辿り着いた。
     木でできた看板が控えめな目印になっている。
     大きなビルの一階部分を半分くらい使って、そのスペースを作っている。
     まだ人はいなくて、バーも開いていなくて、バーの入り口とは違うガラスの自動ドアから恐る恐る入ってみると、エレベーターとジュースの自動販売機。
     よくわからなくて一度外に出たところで、声をかけられた。
    「幸っ♪」
     長いダウンジャケットを羽織った千紗都が、バーの入り口から出てきていた。
    「千紗都ぉ。地図の目印のガソリンスタンド、なくなってたよ……」
    「――あ。ごめんっ」
     千紗都は学校で見ている時よりも明るく、生き生きしていた。
     ただその瞳にどこか不安の色があるのは、本番が近いせい――なのかな?
    「でも来てくれた。嬉しい」
     千紗都はバーの入り口の横の壁にもたれ、隣に私を招いた。
    「迷った?」
    「ちょっと」
    「ごめん――幸、可愛い服持ってるんじゃない」
    「そうかな……?」
     家に帰って着替えて、親にチクチク言われながら出てきた。
     親といい担任のサワーといい、放っといてほしい。
     着てきたのは縦に一本、太めのアーガイル模様が入った白のニットワンピ。上にボレロ羽織って、靴は最近買ったショートブーツ。
     ダウンのポケットから千円札を一枚出して、千紗都は私の手に押し込んだ。
    「これでチャージ料払って」
    「あ――ありがと。
     千紗都はそのジャケットの下は――なに?」
    「本番までのヒミツ」
     やっぱり楽しそうにしてる。
     ジャケットが膝まであるから、タイツなのかニーソックスなのかも判らない。靴は学校の時と同じローファー。
    「……でも」
     ふと、千紗都の表情が沈んだ。
    「え?」
    「ううん、何でもない。
     楽しんでってくれたら嬉しい。
     ――また後でね」
     バーの人かな、黒板を持った男の人が現れて、その黒板を入り口のすぐ脇に立て掛けた。その人に軽く挨拶して、千紗都は中に入ってしまう。
    「あ……千紗都」
     ちょっと心細い。
     それにさっきの表情。
     黒板には
    『今夜のライブ
       コルポ・ディ・ヴェント
       浅井樹――Itsuki Asai――』
     とあった。
     千紗都たちともう一組、誰か出る、ってことかな。
     気が付くと、人が少しずつ集まってきていた。
     時計を見ると六時二十分。
     自然と、私を先頭にして列ができてゆく。

     バーの扉は十分後に開けられた。
     さっき千紗都にもらった千円を入ってすぐ右にあったカウンターで払い、奥に進む。
     中は薄暗く、そこそこ広く、小さいテーブルと椅子が並べられている。
     左手奥にはバーらしいカウンターがあって、バーテンの男性と棚に並んだ色々なお酒の瓶がいかにもな感じだ。
     一番奥がステージなのだろう、楽器とか機材とかコードがゴチャゴチャとしていて、そこと一mあるかないかくらいの所から席になっている。
     私は最前列の真ん中――メジャーアーティストならプラチナチケット級の席を難なく取り、ちょこんと座った。
     椅子はステージを向いていて、斜め後ろにテーブルがある。
     バッグを置いてひと息ついて、ようやく後ろを見てみると、続々と人が入ってきている。男も女も、年齢層もばらばらで、これがまさに『老若男女』かとどうでもいいことを思ってしまう。
     分厚い木のテーブルはけっこう重そうで、ちょっと押しても動きそうにない。テーブル上の、席に合わせた場所が丸く掘られ、ちょっと深めの穴になっている。
     何か解らないでいると、店の人らしい男性が近づいてきてメニューを渡してくれた。
    「ワンドリンクになってますんで、どれかお願いします」
     そう言われてメニューを見る。といってもソフトドリンクにそんなに選択肢はなく、私は無難にウーロン茶を頼んだ。
     そのカップがきて、ようやく納得した。
     さっきのテーブルのくぼみにぴったりと、五cmほど頭を出してそのカップは収まったのだ。
     カップも落としても割れないようにか、ガラスや陶器っぽくない。
     私はウーロン茶を一口飲んで、まだきょろきょろと周囲を見回した。
     熱気で熱くなってくるくらい、人が増えている。私の周り――前列あたりは私と同じくらいの年代の女の子たちで埋められている。
     ちらほら若そうな男の子も混じっていて、後ろの方へいくほど年齢層が上がっているように見える。
     七時まではまだあと、十五分くらいある。
     わっ、とざわついている中、近くの女の子の会話が聞こえた。
    「――『コルポ』ってヤバいって聞いたよ」
    「ヤバいって?」
    「解散かも、って」
     !?
     そんなこと聞いてない。
     後ろを振り返ると、同年代ぽい女の子三人が小声で喋っていた。
    「なんかよく判らないけど、あんまり仲良くいってないらしいよ」
    「へぇ~え。巧いのに、もったいないね」
     ボソボソ喋っている話題は違うものになり、私は払っていた注意をやめた。
     どういうことだろう。後で千紗都に直接聞いてみようか、そんなことを思う。
     そうこうしている内に時間がきた。
     薄明かりだった照明が落とされ、ざわざわしていた席がすっ、と静まる。
     暗い中、人の出てくる気配があって、ステージ上でカチャカチャと準備をはじめる。
     やがて――――
     照明が当たるのと演奏が始まるのが、ほぼ同時だった。
     どん、と圧倒的なイントロから一曲目が始まり、『コルポ』の世界に連れ込まれた。
     真ん中ではギターを掻き鳴らして千紗都が歌う。
     普段の話し声の可愛らしさからは想像できない張りのある声。時折、隣のベースの女の子がハモる。
     あとはキーボードとドラム。
     女の子四人で、重低音からギターの啼くような高音までずんずんと腹に響く。
     千紗都は革のビスチェと短い革のスカート、オーバーニーのハイソックスに革のショートブーツまで黒系統でまとめられていて、露出してる肩まわりや脚の白さと強いコントラストを生んでいる。
     柔らかそうな髪は左右に分けられ、こめかみあたりから流している真っ赤な一房のエクステがアクセントになっている。
     他の三人も革のジャケットだったりの違いはあるけど、だいたい似たようなブラックレザーで統一されていて、雰囲気づくりに一役買っている。
     すごい、と素直に思った。
     曲の重厚感もだし、千紗都の歌声も。
     これもやっぱり普段の千紗都から想像できない声や姿で、学校での可愛らしい、柔らかな感じとは印象が違う。

     女の子らしい愛らしさのある千紗都。
     男の子のように『僕』という千紗都。
     アクセや小物にはしゃぐ千紗都。
     とんでもない量を食べる千紗都。
     キュートな話し声の千紗都。
     力と艶のある歌声の千紗都。

     昨日急接近して、この短い間に一気に千紗都のことを知った。
     今までそんなに意識していなかった千紗都のことが、私の中で大きな存在になっていた。

     一時間くらいで千紗都たちのステージは終わった。

       ■□■□■□

    「お疲れ様ぁ!」
     ファミレスで、今夜の打ち上げ会が行われた。私も千紗都に誘われ、加わっている。
     といっても人数は四人。ぱっと見、夜遅くに女の子四人で食事に来ただけにも見える。
     キーボードやってた奈緒美、という女の子がこの場にいなかった。
     千紗都はやっぱり凄い食事量で、私はサラダと飲み物だけ、ベースの禎香さんはコーヒーとサンドウィッチ、ドラムの梨穂さんは普通に一人分のメニューをとる。
    「どうだった? 幸」
     千紗都は私の隣で、ステージの強そうな雰囲気はどこへやら、私に甘えんばかりの勢いで聞いてくる。
    「うん――すごかった」
     上気しているのが自分で判る。
    「よかったよ、ホント」
     もっと言いたいけど、表現できる言葉を知らない。
    「ありがと――幸に言ってもらえるのが一番嬉しい」
     千紗都がメンバーに私のことをどう紹介したのか知らないけど、禎香さんも梨穂さんも受け入れてくれている。参加しなかった奈緒美さんも私にはお礼言って帰っていった。
    「今日はでも、上手くいったよね」
     禎香さんが言う。細い黒フレームのメガネが似合う美人だ。
    「うん。凄くノれてた気がする。千紗都は――やっぱり南さんがいたから?」
     梨穂さんはスポーツでもやってたのか、ややがっしりした体格で背も高い。
     千紗都は嬉しそうに微笑んで頷いて、私を見る。
     三人が演奏内容とか深い話題になって、私はちょっと席を外した。
     お手洗いに行って戻ってくると、なんだか真面目な空気感で入りづらい。
     私はつい、近くのドリンクバーに行って立ち聞きしてしまっていた。
    「――奈緒美のことなんだけど」
    「うん……」
    「千紗都があまり考えたくないのも解るし、ウチも好転したら、なんて期待してもいる。けど――」
    「わかってる」
    「やっぱり、このままでいくなんてできないよね――あたしは、奈緒美があのままじゃ駄目だとは思う」
    「うん……」
    「結成の頃には戻れないし、ね――」
    「そうだよね――――幸?」
     顔を上げた千紗都と目が合った。
     何となく気まずかったけど、席に戻る。
    「お邪魔かな、と思って」
    「そっか。ありがとう」
     なのに千紗都にお礼言われてしまう。
    「幸、カラオケ好き?」
     千紗都は唐突に話題を変えた。
    「え? あ――まぁ」
    「ちょっと行かない? 禎香も梨穂も」
    「ごめん、ウチはいいわ。明日バイト早いし」
     そう言って禎香さんが立った。テーブルに千円置いて、荷物を取る。
    「南さん、今日はありがとう。
     ――じゃあ千紗都、梨穂、また相談しよう」
     禎香さんが去っていった。
    「一時間くらいなら」
     と梨穂さんは微笑む。
     私も頷いた。

     カラオケでは、喉をだいぶん使った千紗都よりも、私と梨穂さんが曲を入れた。
     梨穂さんはハスキーな声で、R&Bが多かった。
     千紗都は自分の歌とは真逆のような、可愛らしいアイドル曲を歌ったりして――そのギャップが可愛らしかった。
     ところが私が――思い切って歌うと、二人の表情が変わった。
    「幸――すごい」
     千紗都が溜め息混じりに言う。
    「お世辞抜きですごいよ。巧いというか――いい声。
     僕の変わりにヴォーカルやらない?」
    「!? いや、それはないよ」
    「あたしも同感。南さんの声、千紗都とはまた違う力があるよ」
     なんか単純に上手、と言うんじゃなくて実感がこもっていた。
     きっかり一時間でカラオケもお開きになり、梨穂さんとも別れて、深夜近くに私と千紗都は二人きりになった。
     タクシーを拾って、他愛ない会話をしながら帰った。


     ――次の日、千紗都は学校を休んだ。
     私は親に怒られ、担任サワーにはまた進路のことを言われ、気が滅入ってしまった。
     その次の日も、千紗都は来なかった。
     ケータイにかけても、電源が切れてるのかつながらない。

     金曜。
     千紗都は来ない。
     サワーも連絡を聞いていないようで、誰か仲の良いのはいないか、知らないかHRで聞いてきたけど、誰もいないようだった。
     と言うよりその時初めて、千紗都も孤立に近い存在だったんだと知った。
     今週あたまに告白された私が一番、千紗都のことを知っていた。

     土曜日。
     半ドンで、昼には授業は終わり、私は職員室に呼び出された。
     やっぱりまた、進路のことだった。
     来週には答え出します、と啖呵を切ってしまった。
     適当にでっち上げてもいいや、と思いながら――千紗都とはやっぱり連絡がとれない。
     不安なのと心配なのと、寂しくなっていた。
     結局私には誰もいないんだ、そんなネガティヴなことを思ってしまう。
     トボトボと靴をはき替え、校舎を出たところで一陣の風が落ち葉を巻き上げた。
    「――?」
     なにか聞こえた気がした。
     上のほう。
     そういえば『コルポ・ディ・ヴェント』ってイタリア語で『一陣の風』の意味だとあの夜、千紗都に教わった。
     校舎を見上げる――――
     微かに、何かが聞こえた。
    「!」
     私は上履きに戻すのももどかしく、閃きに従って走った。
     屋上から千紗都の声が聞こえた気がした。

       ■□■□■□

     ――屋上の入り口は施錠され、チェーンが巻かれて立ち入り禁止になっていたはずが、鍵もチェーンも壊されていた。
     その鉄扉をゆっくりと開け、秋風の通る屋上に出る。
     千紗都の歌声がはっきりと聞こえた。
     屋上は給水塔とアンテナくらいで大した物はない。
     そっと屋上に出た私は、千紗都を見つけた。
     校舎はコの字になっていて、屋上はその全面に高いフェンスが張られている。その、扉に背を向ける格好になる場所で制服姿の千紗都はフェンスにもたれて歌っていた。
     ギターを抱いて。
     でも電源もつないでいなくて、音は出ない。
     ピックで弦を爪弾くチャッチャッという音と、千紗都のしっとりとした歌声。
     どんな表情で、どんな気持ちで歌ってるの?
     どうして――連絡も取れずにいたの?
     何日も、何をしてたの?
     そんな疑問や不安やらを全て吹き飛ばしてしまいそうなくらい、秋の空に染み渡る澄んだ声だった。
     とくん、と胸が高鳴る。
     ここ数日考えたマイナスなこと、黒い気持ち、自分の不甲斐なさ――自己嫌悪と千紗都への怒りを押し流す力のある歌だった。
     私の頬を涙がつたう。
     どうして私なんだろう、って思ってたけど、それはどうでもいいことだった。
     単純なきっかけとかじゃなく、心が何かを感じ取って、引き合ったんだ。
     意識してなかっただけで、私も千紗都をどこかで感じていたから、こんなに違和感もなく千紗都を想うようになってたんだ。
     数日前に千紗都は『支え合うこと』って言ったけど、精神的な『支え』を求め合える相手だと心のどこかで感じたら、その感情の正体が解ってなくても気になるだろうし、惹かれるだろう。
     確かに解った。

     ――私は、千紗都が好き。

     完全に閉まってなかった屋上の扉が重々しい音を立てて閉まり、その音に驚いて千紗都は振り返って――私と目が合った。
    「――幸」
    「千紗都ぉ……」
     私は千紗都に駆け寄り、腰を浮かせた千紗都を抱きしめた。
    「逢いたかった――何してたの……」
    「ごめん……」
     千紗都はギターをフェンスに預けて、私を抱き返してくれる。
    「禎香と奈緒美と梨穂――みんなで相談して、奈緒美と禎香が『コルポ』を抜けることで落ち着いた。新しいベースとキーボードを探さなきゃいけない――」
    「! 何があったの?」
    「それは……禎香と奈緒美のプライベートにも関わるから詳しくは言わないけど――人間関係の亀裂でどうしようも修復できなくなったんだ。
     なんだかどうでもよくなって、でもギターを手放せなくて、気付いたらこんな所に来てたんだ」
     あぁ、そんな悲しい顔しないで。
    「――でも、幸はどうして?」
     千紗都がきょとんとして訊く。
     そっか。数日前はこんなじゃなかったから――
    「逢えない間考えて、ちょっと腹立ててて――でも今歌ってるの聞いて、何か解った気がした」
     私は素直に言っていた。
     月曜に思い切って告白してくれた千紗都は偉いと思う。
    「私――千紗都のことが、好き。
     この間千紗都が言った『支え合う』って少し解ったかも知れない」
     千紗都は微笑んだ。
     この笑顔のためなら、私はがんばれる。
     そう思えた。
    「気付くの遅くて――ごめん。
     私からもお願い。千紗都――私の……彼女になってください」
     やっと言った。
    「幸――」
     千紗都の返事は、言葉にならなかった。


     私の唇に触れた彼女の唇の柔らかさが、その答えだった。
    あきらつかさ Link Message Mute
    2020/03/09 23:36:15

    リリィ

    #小説 #オリジナル #創作 #百合 #GL #掌編

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