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    回遊「南国由来の魚が鮮やかな色を持つ傾向にある事はDVDからの知識で知っていたが、やはり直に目にした時の感動は計り知れない」

     連れてきてくれてありがとう。
     そう言って機嫌良く微笑むクレトにエキニシィは軽く笑みを返し、二人はまた眼前の水槽に視線を戻した。天井から床を貫くようにして設置された、試験管を大きくしたような筒状の容器の中を、色とりどりの魚が悠然と泳いでいる。
     生息圏の全く異なる魚類が水温や環境を同じくして尚変わりなく生存している様子を「ちょっとおかしいな」とエキニシィは訝しんでいたが、その言葉の真意を汲み取る事は出来なかった。水槽を透過するとろりとした濃い水色の光が、照明を落とした廊下を照らしている。深海の神秘をモチーフにしてこうしたデザインを採用したのであれば、大層ロマンチックではないかとクレトは満足げに顎に手を添えた。何故ならば現実的に考えて、深海の底に光など届きやしない。エキニシィが海の図鑑を開いてみせながら教えてくれた知識を反芻する。
    (しかし、例え演出が現実から逸れていたとして、楽しいのならばそれで構わないのではないか?)
     癖の強い青髪を弄びながら、誰にでもなく語りかける。

     大好きな海の生物は水族館におり、エキニシィがそこへ連れていってくれる。クレトは今日という日を、とても楽しみにしていた。
     エキニシィが予てより休暇を取って、一緒に休息区を見て回る約束をしてくれたからだ。街の娯楽は休息区に集約されている。ここ以外に好奇心の塊に等しいクレトの退屈をまぎらわせそうなものはないので、出掛け先には適任であり、逆を言えば、ここ以外の選択肢がない。優しい男の心遣いをありがたく思いつつ、一つの気掛かりがふと頭をよぎった。先程から気難しい表情を張り付けて魚を眺めるエキニシィは、果たして退屈に感じていたりはしないだろうか。嬉々として展示物を見て回る自分の隣を、虚無の心持ちで同行してもらうのは少々気分が良くない。聞くか聞くまいか、モヤモヤとした気持ちが煙となって満ちていった。

    「言ってみなよ」
     物言いたげに口をもごつかせるクレトの様子を案じてか、考えている事は分かっていると言わんばかりにエキニシィが首を傾げて続きを促す。先程まで目で追っていたらしい群青色の魚は、クレトの背面にある水槽の岩場に隠れてしまったようだ。
    「つまらなくはないのかと思って」
    「水族館?」
    「いや、お前が」
     赤い手袋に包まれた細い指を伸ばし、その動きを静かに見つめていたエキニシィの、左胸にそっと押し当てる。手先はまだ器用には動かない。関節を曲げる度にぎこちない緩急を付けながら、とんとん、と心臓の辺りをつついてクレトは続けた。
    「お前も楽しみを感じてくれないと、二人で来た意味を感じられない。私は楽しそうなお前も見たいな」
    「ああ、そういう事。…まあ楽しいとは違うかもしれないけど、つまらないって事は無いよ」
     僅かに目を逸らして出されたのは、含みを感じさせる曖昧な答え。クレトはため息をつきながら、ブーツのつま先でエキニシィの靴を軽く踏みつけた。口に出しては言うまいが、せめていじらしく、抗議の意思を見せたかったらしい。せっかく水入らずの時間を過ごしているのだ、大人の余裕をめかして勿体ぶらないで欲しい。色素の薄い唇をムッと尖らせたクレトを見て、それまで穏やかな無表情でいたエキニシィの顔が、くしゃりと綻ぶ。困ったように眉を下げて、クレトが好きな、優しい笑顔になった。
    「お前が楽しそうなのを見てるだけで嬉しいからさ。来てよかった」
     簡潔にそう言いながら、隣をすり抜けるようにして歩き始めたのはエキニシィだった。すれ違い様に、指を差した状態のまま目を瞬かせているクレトの手を取る。
     二人揃って歩幅を合わせて奥へ進み、互いに繋いだ手を、強く握りしめた。

     このエリアを管理する上位者はいわく、相当に仕事熱心らしい。
     何をどうしたのかは分からないが、図書館にある本も動植物園の鑑賞生物達も、果てには施設の内部構造まで定期的に手を入れているのだとか。ここを訪れる住人達の飽きが来ないよう、その都度大幅にリニューアルしているのだと案内板に書いてあった。気の早いことに、次回のリニューアル予定日も。
     確かに他のエリアと比べれば大分見映えは良い。が、どこもかしこも相変わらずコンクリート建築物の無機質な外観であるから、アクアリウムと謳いはしつつ、この建物、もしや水棲生物の標本博物館ではないかと疑いはしたが、杞憂であったようだ。
      モノクロの色彩に埋め尽くされた街の景色は果てまで退屈一色としており、眺めていると心の動きまで停滞していくような錯覚さえ起こさせる。
     何も変わらないという事が、明日も、明後日も続いていく。そういう、漠然とした絶望。平穏の価値は、絶えず刺激に満たされていたい今のクレトには到底理解し難いものだった。

    「おや……?」
     アクリルトンネルの中を歩きながら、急に大きな影が床に映り込んだのを認めて上を見上げる。まばらに館内を歩く入館者を次々泰然と見下ろすようにして、巨大な鯨が通りすぎていった。ふうん、とエキニシィは鼻を鳴らす。
    「……そういえばお前、昔から鯨が好きだったね」
    「そうなのかい?」
    「あぁ、見るのも食うのも好きだって言ってた。スープにするのが旨かったらしいけど、油が酷いから後々後悔するんだって」
     遠ざかる鯨の尾ひれを見送り、昔語りをしている横顔。少しふっくらとした唇が忙しなく動いては、自分の知らない思い出が次々に溢れてくる。クレトは面を食らった。
     珍しいからだ。エキニシィは積極的に過去に触れる話はしない。自分自身の事も、クレトの事も。駄々をこねて聞き出したりもするにはするし、そうした時には話してくれるが。誰よりも傍にいるのに、それでいて誰よりも謎の多い男。
     故に、不意にこうした話題が彼自らの口から出てくるのは、クレトにとって意外に思えた。機嫌が良いというのは方便でないと見て良いだろう。何やらとても嬉しくなって、同時にクレトの瞳から十字の光が溢れだした。臍部を突き破るようにして生えた何本もの黒い紐が、まるで水中の只中を思わせる浮力を与える。クレトの痩躯がフワリと地面を離れた。

    「施設の中でキズは出すなってば」
    「辺りは暗いし、どうせ誰もいない。お前が内緒にしていれば問題ない」
     エキニシィが呆れ気味に忠告を促したが、あくまでやんわりと諌めるばかりの口調が、クレトが従順に言う事を聞くとは期待していない本心を物語っている。クレトもクレトで、話半分に頷きを返してからはエキニシィの周りをくるりと一周したり、肩の上に乗ってみたり、主に付き従う妖精のように傍を飛んで回っているだけだ。次第にその瞳から放たれる光に誘引されて、何匹かの魚達が水槽越しに二人の後をついてくる。銀色の鱗が光を反射し、それがまた新たな魚を引き寄せて。
     そうして少しずつ寄り集まった小魚達が、いよいよ見応えのある魚群を形成しかけた辺りで。エキニシィは一度、ため息を交えて大きく上げた右足を床に叩きつけた。裁判長がガベル――"静粛に!"と言いながら叩くハンマーの事だと、以前エキニシィから教えてもらった――を叩いた時にも似た、有無を言わせぬ威圧的な衝撃が足元から周りの空間に弾け飛び、魚群は瞬く間に散り散りに消え去ってしまう。

     嫉妬をしたのか、とクレトは揶揄を投げてみせた。からかわれたエキニシィの赤紫色の瞳が、微かな光を帯びる。
     クレトはいつだったか、前にエキニシィのそうした、濡れそぼったルビー色の瞳を見て思わず、"ワインのように美しい"と褒めそやした事があるのを思い出した。そんな訳があるか、と激しい拒絶を受けて後ずさったクレトを見、謝罪代わりに吐き散らかした謙遜の弁までが記憶から甦ってくる。確かあの時、辺りは暗く、互いに気分が昂っていた気がする。あれは一体何をしていた時だったろうか。

    「ちなみに、嫉妬したのか? 魚に」
     改めて問われた言葉に、エキニシィは踵をコツコツと鳴らしながら、
    「気持ち悪いだろ、群れてついてくるとか」と早口に答えるばかりだった。よく分からないな、とクレトはおもむろに両手を頭の後ろで組んでみる。
    「私は、さながら魚達の主人になったかのような気持ちだったのに。大勢を従えて歩く支配者」
    そうして夢を見るように瞳を閉じた。
     視界が消えても臍帯はエキニシィに繋がっているので、取り残される事も壁に当たる心配もない。クレトは支配者になどなった試しはなかったが、全てを思い通りに出来る力、そこには永遠の自由と野心を行使出来る世界があるのではと夢想した事はある。例えばこの場合、自分が魚達の主となり、水槽の中から外へ這い出て、成すがままに出来たなら。

    「ちょっと怖いな」
     小声でエキニシィが呟いた。独り言に聞こえたその一言はクレトからして、空想に膨らみきった心に、チクリと刺された針に思えた。浮かれた身体を地に降ろし、以前として先を歩くエキニシィに何とか並び歩く。この先は右手に見える通路を進むなら一段と暗いトンネルをくぐって植物園へ繋がり、左手を行くならそのまま土産物のコーナーにたどり着き、出口に向かう。……今は一刻も早く、明るく広い場所へ行きたかった。
    「何も本気でお前や世界を支配するなどという話ではないよ。怖いだなんてらしくもない。何が怖いんだ?」
     ムキになったクレトがいつの間にかポケットに突っ込まれていたエキニシィの手を取り、足取り早く土産のコーナーに誘導していく。街中ではお目にかかれない多種多様な草花にも興味はあったが、それは次回に回しても良い。

    「なあ答えてくれよ。私がそうなるとして、一体何が怖いんだ」
     いやに高々とした声音を作りながら、クレトは眼前に構えた鯨のぬいぐるみをエキニシィに向ける。
      先ほど土産のコーナーで買い与えられたぬいぐるみは大きくて柔らかく、デフォルメの利いたデザインをいたく気に入ったらしい。欲しいな、と言ったクレトに、エキニシィは二つ返事でレジに向かったのだった。帰り道に歩いているのは緑のアーチが美しい、自然を基調とした遊歩道。これから日々を過ごす仲間が増えたと喜びつつ、早速その仲間を介して先の質問を投げ掛ける。爪を弄りながら空返事を繰り返していたエキニシィは、どうにも返答を渋っているように見えた。
    「お前が支配者みたいになると、本当に歯止めが利かない感じがするから」
    「と言うと?」
    「う~ん……」
      押し問答に白旗を上げたか。おもむろにエキニシィの手が伸びてきて、クレトの顔を隠すぬいぐるみを優しく退かした。虚を突かれてポカンとする緑色の瞳を見ながら、舌先で唇を軽く舐めてから言葉を紡ごうとしている。この一連の動作はエキニシィが僅かな動揺、緊張を感じている時の癖だった。

    「………手加減が、なくなりそう」
    「は?」
     私の何を恐れて、何にする手加減か。
      文脈を図りきれず、クレトの口からすっとんきょうな声が漏れる。とりあえず手元に抱え直したぬいぐるみにも先の疑問を問うてみたが、やはりというか何というか、答えはかえってこなかった。対して、頬を掻きながらばつが悪そうにしているエキニシィの顔はクレトの目からしても上気しているのが見てとれる。少し前まで笑ってみせたかと思えば漠然とした不安を煽ってみたり、ともすれば今のようにもじもじしたり。二者の間に広がる温度の差は、意味深な解を出した本人から聞かねば埒が開かない。どうにも煮え切らない態度でいる男の鼻にぬいぐるみを押しつけてみながら、辛抱強く話の続きを待った。
    「そういう時にさ…」
    「どういう時?」
    「だから………。あぁ……」
     遂に観念したのか、顔を軽く振ってクレトのぬいぐるみを制する。エキニシィの頬は、酒を飲んだのかと疑う程に紅潮していた。

    「ただでさえ、容赦ないのに。……夜の、あれ。」
      泣きそうな顔をして白状した彼の、呼気の震え。濡れた赤紫の瞳。クレトの中に点在していた疑問が線となって繋がった。

    「だから言いたくなかったんだよ……」
    「アハハハ! ああ、なるほど! だから支配者だの何だのと……。お前、やはり今日は私と同じく浮かれているね? らしくない振る舞いばかりだから色々と翻弄されてしまった」
     安堵と共に訪れた意地の悪い喜びを堪えきれず、クレトは空を見上げて笑った。どこまでも退屈で、無機質な灰色の空の下にあって、今は愉快な気持ちに満ち満ちている。鯨のぬいぐるみも、心なしか嬉しそうに見えた。
    「しかし今日は二人でここに来れて本当に良かったよ。お前の本心の一端や私自身の細やかな過去も聞けた。……時々の密やかな遊びについても、案外満更でもないようだしね。お前さえ良ければ、今夜しよう」
    「……好きにして」
    「仰せのままに」
      ちなみに君は、私達の子供役だからね。
     クレトの細腕に抱きしめられ、今しがた二人の子供という大任を授かったぬいぐるみを睨み付けながら、エキニシィは控えめな相槌を打った。
    侍騎士アマド Link Message Mute
    2022/04/11 0:28:38

    回遊

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    クレトとエキニシィが水族館デートをするお話。
    漫画よりも糖度高め。若干の性表現、BL。
    推敲不十分の可能性があるので必要になりましたら逐一加筆訂正します。

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