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    遺香を手繰る 殆ど放心したまま踵の向く先、勝手に足の歩むままに任せ、誰もいない廊下を一人進んでいく。ルーティーンの日常には別段不満はなく、寧ろ予測不可能なトラブルや非日常を嫌うパゴダにとっては望むべくもない理想であるのだが、毎日がそう上手い具合に運ぶ保証がどこにも永劫無いように、そうした願いそのものが自分にとって、いかにも都合の良い幻想を見ているような気がしてならなくなる瞬間がある。そうなるとちょうど今のように、思考と行動がバラバラに千切れてにっちもさっちもゆかなくなる。
      有り体に言えば、今日はとても疲れた。

    「おっ?」
     おもむろにすっとんきょうな声が聞こえたので顔を上げる。そこで今更ながら、パゴダはずっと自分の爪先だけ見つめて前を歩いていた事に気が付いた。就寝時間はとうに過ぎており、辺りの照明がすっかり消えていた事にも。僅かな動揺を覚え、数メートル程先で煙草を燻らせていた男へ距離を詰めていった。

    「ヴァイアス」
    「お疲れリウビア」
     ヴァイアス、と呼ばれた男は片手を掲げてパゴダを迎えた。リウビアと言うのは、自分が名乗った素性隠しの偽名だ。普段はそんな事に特別な感慨は沸かないが、ヴァイアスにこの名で呼ばれた時、パゴダは決まってリウビアという名が如何なる理由でラボに罷り通っているかを、頭の中で反芻する。
     誘われるままに隣へ並んで手摺にもたれる。先程まで曖昧だった意識が少しずつ輪郭を取り戻していくようだった。次第に重くなっていった疲労に耐えかね、今日一番の、深いため息をつく。そして代わりに、男が堪能していた紫煙の香りをゆっくりと肺に取り込んだ。身体を壊すばかりのこの匂いが、今はどうにも恋しく感じられる。
    「大丈夫か?」
    「恐らく大丈夫じゃない。多分同じ場所をずっと回っていた」
    「マジかよ」

     だったら今日は、俺の部屋に来るか?
    「距離的にも近いし」
      顎をしゃくりながら通路向こうを指す。物のついでで出された提案に、パゴダがヴァイアスを見る。断る理由は何も無かった。
     白い頭がこくりと頷いたのを了承と見て、よっこいしょ、と掛け声を合図に、怠慢な動作で歩きだす。煙草はそのまま唇に咥えたままだ。ふわりと靡く煙を追うように後ろへ続く。明日の仕事は室内でも出来る。酒を飲もうが夜更かしをしようが、支障はきたさないだろう。目頭を数度揉み込んでから、パゴダは殊更ゆったりと歩幅を合わせようとしているヴァイアスの背を見た。

    「……お前は? 苦しくないか」
      文脈を省いた問いを投げたのはわざとだ。パゴダのキズは、それを使用した人物の傍にある事で、はっきりとその気配を感じ取れる。歩みは止めないまま、ヴァイアスが微かに肩を竦めたのを認めた。小さなため息が耳に届き、吐き出された紫煙が宙に掻き消える。
    「かなり辛いんじゃないか」
    「ん~…」
      言葉を濁したヴァイアスの様子に確信を得た。目には見えない負荷が、彼の体内に埋め込んだキズを圧迫している。膨らみ続ける風船は、定期的に空気を抜いてやらねば破裂してしまうだろう。抑制に掛ける力の割合を、もう少し増やしておかなければならない。
     あとは文字通り、彼のストレスの、ガス抜きをしてやらないと。





    「───あ、」
      瞬間、パゴダの背中を這い、必死に追い縋る汗ばんだ指の感触が、脳裏をよぎった。己の手で、矜持や理性の輪郭をどろどろに蕩かされていく、彼の姿を。





    「正直言えばちょっとしんどいかな。でも問題ねぇよ」
     ヴァイアスがそう言うや否や、パゴダの右手にパシリと衝撃が走った。反射的に顔を上げる。腕を掻いていた手が、諌めるように彼の手に掴み取られていたのだ。力を込めて手首を握る指が、ほんの少しだけ震えている。眉を寄せてパゴダの顔を見つめるヴァイアスは、その手と同じく震えた唇で、
    「お前の方がよっぽど辛そうだ。あんまり無理すんな」
     そう言って弱々しく弧を口元に描く。これが中々器用なもので、口に咥えていた煙草は幾らか短くなっていたものの、言葉を話す途中で取り零したり、床に落ちる事はなかった。結局の所は言葉の真意を測りかね、腕を引かれるままに後をついていく。これ以上遠退きも近付きもしない背中を今一度、精神を集中させて見つめたが、ヴァイアスの身体の中に感じていた痛みは、幾らか和らいでいるようだった。




    「お先にどうぞ、リウビア先生」
     カードキーを差し込まれてロックが解除されたドアを引くと、恭しく頭を下げたヴァイアスがリウビアを室内へと促す。
    レディファーストか?その通り。何の事もないやり取りが交わされる。リウビアは切れ長の目を細め、
    「ありがとう」
     いつの間にか手袋を外した指でヴァイアスの顎を掬い取った。手付きは優しいが抵抗を許さない絶妙な力加減。虚を突かれた当の本人はされるがまま、必然的に顔を上げる流れとなり、二人の目があった。
    「………」
     仄かな光を宿す橙色の瞳。まるで琥珀の美しさを見紛う程の、深みのある色をしている。宝石に造詣が深い訳ではないし、カラスでもあるまいし、光り物に興味はない。しかしヴァイアスは知らぬ内に息を呑み、その目に魅入られたように動けなくなった。
     彼がリウビアと呼ぶ、目の前の男。年頃は自分より一回り程若い青年に見えるが、その実彼の誕生日や、実年齢だとか、そうした事は尋ねる度に無視されたので追及するのはとうにやめてしまった。誰にだって言いたくない話題はあるのだし。欲を言えばこれまでに繋がるだけ繋がったこの身体に免じ、そのぐらいは答えてくれても良いのではと、思ってはいるが。
    (せめて誕生日くらいなあ)
     フィルターを一層強く噛みしめる。もっともヴァイアスの方も、自分の誕生日は追憶に埋もれてしまい、正確な日付は思い出せなくなってしまった。誤解なきよう言うならば、思いだそうとすると、先に追憶を掘り起こしてしまうので、出来ない。
     吐き出した紫煙が散り散りに、絶え絶えに消えていく。下らない思い出も、大切な思い出をも押し潰した追憶から分かる事があるとするならば、ヴァイアス・ウェインという人間はいかに愚かで、社会にとって必要とされない存在であるか、その事実を決定的とする忌まわしい記憶ばかり。
     触れさせたくない場所全てを暴きたてて尚それを否定してくれたのは、彼だけだった。

    「酷い隈だ」
     リウビアの親指が瞼を撫でる。ごく繊細で、優しく。
    「お前は疲れた顔してても綺麗なまんま。羨ましいこった」
      彼の目元にも濃い隈は浮いていたが、持って生まれた美形がそんな些事で損なわれる事はない。今や常にはない危うげな憂いを帯び、かえって艶っぽく見えるかもしれない。続けて何かを言いかけたヴァイアスの唇を細指が滑り、咥えていた煙草を引き抜かれた。流れる動作で胸ポケットから灰皿代わりのケースを取り出し、すっかり短くなった吸い殻が放り込まれる。いつの間にか、ヴァイアスの眼前を通り抜けたリウビアが玄関へと向かっていくので、軽い舌打ちをしつつ後を追った。



      先程のレディファーストは、気遣いのつもりだったのか、いつもの茶化しの延長線上だったのか。疲弊した頭では上手く考えを導こうにも、ままならない。ここはヴァイアスの家だが、パゴダにとっては殆ど第二の自宅といった気楽さで日常から出入りしている。リビングに入った辺りで後ろからついてきたヴァイアスが扉を施錠した音が響き、ようやく安心出来る空間に到着したという実感を得た。深く息をつき、それから軽く肩を回す。固まった筋肉が少しでも解れるように。
    「シャワー浴びるか?」
     白衣のままでは気も休まらぬだろうと言う事で、パジャマ代わりにフリーサイズのワイシャツとパンツを手渡される。言葉短めに感謝を伝え、着替えを手に真っ直ぐ寝室へと向かう。踵を返した方向を見、ヴァイアスもパゴダの意思を汲んだらしい。
    「おやすみ。腹減ってんなら冷蔵庫から好きなの出していいから」
     辛めのつまみくらいしかねぇけど。手をひらひら振りながら浴室へ歩いていく背を、何となく見守る。
    「ああ。……おやすみ」
      不意に強まった眠気に目を擦る。ふらりと身体を揺らしながらドアノブを捻り、そのまま中へと入っていった。



     床に脱ぎ捨てられた私服や、ゴミ箱に入れるのも面倒臭がってそこらに放った処方箋で作られたカーペットを爪先で歩き、キングサイズのベッドに陣取る服を薙ぎ払う。とりあえず大人二人が眠れるスペースだけは確保し、パゴダはそのまま雪崩れるようにして身体を沈めた。ギィ。ベッドの足が少しばかり、軋む。仰向けになって長い手足をうんと伸ばし、それから見上げた天井の模様から、脳裏に様々な図形を描き出していった。この部屋は傍目から見て誰もが汚いと酷評しそうな散らかりぶりだが、時折深く息を吐く自分の呼吸の音を除けば、まさに静寂そのもので構成された空間だ。不思議な事に、自分の家か、それ以上に、居心地が良いと感じている。
     傍らに置いてあった枕を手繰り寄せ、鼻を押し付けた。煙草の匂いに混じって染み着いた、ヴァイアスの気配。深く深く息を吸い、その残り香を肺に閉じ込めようとした。
    (あいつの匂い、か……)
      匂い、と言うと本人が何かと気を揉むようなので口には出すまいが、パゴダは彼の匂いというものを気に入っていた。生活の痕跡を色濃く残す彼の家には、そうした気配があちこちに残っている。不意に、ワイシャツの袖に唇を寄せた。借りた衣服はヴァイアスのもの。今は全身が、彼の残り香に包まれている。
     いつしか閉ざした瞼の向こうから、扉の開く音が聞こえた。

    「自分んちみたいに寛いじゃって」
      茶化すような独り言はごく優しい声音に紡がれ、いつものヴァイアスらしい、ひねくれた棘や皮肉の意図は感じられなかった。足音を殺しながら近付いてくる気配がス、と消え、瞼に落ちる影が一段と暗くなった気がしたので、薄く目を開ける。一瞬、パゴダの唇が緩く弧を描いた。

    侍騎士アマド

    「髪が少し濡れてる」
      伸ばした手を、そっと黒髪に差し込む。やはりそうだとは思っていたが、気付けばパゴダの身体に覆い被さるようにして、ヴァイアスが身を乗り出していた。シャワーを浴びてきたからだろう。周りの空気は仄かに温かく、指を通した髪は、まだ微かに濡れている。心地好さげに目を細めて、彼は微笑んでいた。
    「ほぼほぼ乾かしたんだから、問題ないだろ」
     悪戯っぽく笑いながら、褐色の手の平でパゴダの左胸を撫でた。ちょうど、心臓の辺りを包み込むようにして。平たい皮膚でもやわやわと揉みしだかれると、くすぐったさに似た快感に身体が震えた。

    「……、は、ぁ……」
     パゴダの唇から、色香を帯びた吐息が零れる。部屋に招かれた時点で、予想していなかった訳ではないのだ。寧ろ、彼の手の内に、この鼓動が伝わっているならば。

    「なあ」
      ワイシャツ一枚の隔たりの向こう、ヴァイアスの指先が胸元を滑り、確かな意図を孕んで、指を引っ掻ける。シャツのボタンを、一つ外された。

    「しても、いい?」
     疲れてるなら、俺がリードするから。互いの息がかかる程の距離で、ヴァイアスが首を傾げる。パゴダは何も言わずに彼の背に両手を回すと、そのまま静かに唇を重ねた。
    侍騎士アマド Link Message Mute
    2022/07/12 1:26:31

    遺香を手繰る

    人気作品アーカイブ入り (2022/07/12)

    パゴダとヴァイアスの小説。パゴダが右寄り。
    BL/ぬるい性的表現あり。

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