近くて見えぬは… 折角の二人揃っての貴重な休日。
前々からじゃあその日は外にデートしに行こう、と約束してた。
カカシ先生とデートなんて本当に久しぶりで、どこに行こう、何しよう、何食べようって、オレは数日前からずっとずっと毎日楽しみにしてたんだ。
なのに、いざ当日になるとまさかの土砂降りの雨という最悪の事態。
ついてないにもほどがある。とはいえ、休日であることは変わらない。オレはひとまず朝から先生のアパートへとやってきた。
「まぁこの雨だしね。残念だけど外出は諦めて、今回は家デートにしとこ」
「そりゃあ、別にいいんだけど…。で、先生のその手に持ってるもんは、なんだってばよ?」
「あぁ、これ…。んー…実はさっき急に綱手様から呼び出しがあって、明日からの重要な任務押し付けられてね…その資料というか…」
ジトッとオレが睨むと、先生は頭を掻きながら視線を明後日の方向へとそそくさと流した。
つまり、オレとのデートよりも仕事を取ったというわけか。
いやむしろ、雨が降って外に出られなくなったからちょうどいいと、明日からの作戦行動準備を今からしてしまおうという魂胆だろう。
ばあちゃんから直に資料を渡されたということは、間違いなくカカシ先生が隊長のSランク任務だろうしな。
それはまぁわかるとしても、今日は休日で、オレは先生の恋人で、今日はデートの予定だったのだ。それはそれ、これはこれだ。
「ふーん…じゃあオレは?」
「……悪い、少しだけ待っててほしいんだけど。あとで一楽ラーメン奢ってやるから」
「先生、オレが一楽の名前出せばなんでも言うこと聞くと思ってるだろ」
「本当にごめん…頼むよ、ナルト。かなり危険な任務だから、どうしても事前に確認しておきたいんだ」
両手を合わせ、わざとらしく上目遣いでオレに頼み込んでくる先生に、オレはもう呆れて溜息すらも出なかった。
どうせダメだと言っても聞きゃしないんだろうし。
なんせこんなこと初めてじゃない。
「あっそー。先生は恋人より任務が大事なんだな。それならもう勝手にしろよ」
「そう? ありがとう、ナルト。終わったらちゃんと一楽行くからね」
オレの嫌味も完全スルーするくらいには、頭の中はもう明日からの任務でいっぱいらしく、許可が出たと先生は足取りも軽く一人寝室へと籠った。
どうして別の部屋に行くかというと、オレが勝手に任務内容を見ないようにするためだ。
重要任務であればあるほど、機密性が高い。いくら恋人といえども迂闊に見せていいものではないから。
と、いうか…以前オレがうっかり興味本位で内容を覗いてしまったせいで、しこたま怒られてそれ以降こうして別室作業になってしまったのだ。
折角一緒にいるのに、まさかの室内別行動ってどういうことだよ。
オレだって最初以降はもう気をつけてるし、絶対見ないからってちゃんと約束もしてんのに、カカシ先生ってば全然信用してくれねぇの。
「あ、終わったらって…いつ終わるんだ?」
オレを信用ならない先生の言い分もわかるけど、正直オレだって先生のことこれっぽっちも信用してねぇ。特に時間に関してだけは。
先生のちょっと、とか、少しだけ、は絶対当てにならないのだ。
「なぁ先生っ、やんのはこの際いいけど、せめて時間決めてくれよ! 何時に終わんの!?」
オレは寝室の扉をドンドンを叩き、中の先生に声を掛ける。しかし、予想はしてたがすでに先生の返事は帰ってこない。
一度集中し始めるとすーぐこれだ。
以前も愛読書イチャパラを読み始めたら、オレが何を話しかけても生返事のまま、かなり放置されたことがある。
さらに同じように寝室に籠った先生を待ってたら、夜になったことだって一度や二度じゃない。
真剣に任務に向き合っていると言えば聞こえがいいが、その反面取り残されたオレの虚しさや切なさだって半端ない。
「はぁ…くそ、どうしよ…」
ちらっと時計を見れば、今は十時前。そして外ではまだ叩きつけるように雨が降り続いている。
オレは盛大に溜息を吐いて、仕方なくリビングのソファに身を沈めるしかなかった。
それから一時間が過ぎ、二時間が過ぎ。
「せんせぇ…もう昼だってばよ。せめて飯食おうぜ」
無駄だと思いつつも、寝室の扉を叩いてみるが、当然反応は無し。先生は恐らく兵糧丸で食い凌ぐつもりだろう。
オレは勝手に冷蔵庫を漁り、先生が昨日作り置きしていただろう和食をおかずに一人昼飯を済ませた。
それからさらに二時間後。ようやく雨が弱まってきた。テレビの天気予報では夕方から雨が上がって晴れるらしい。
「先生~夕方から晴れるって。晩飯は絶対一楽行くんだからな!」
返事のない扉に幾度も話しかけつつ、オレはもう何度目になるかわからない溜息をついた。
その後予報通り、四時を過ぎるとようやく雨が上がり、雲の切れ端から赤い光が覗き始めた。
オレは窓から夕陽を眺めつつ、休日ってなんだっけ…と予想通りの結果に呆れかえるしかない。
「なぁ…もう雨上がったしさ、そろそろいいんじゃねぇ? 一楽行こうぜ」
とうとう六時を過ぎ、夕陽も陰り始めた頃、オレはやる気のないまま再び扉を叩く。
どうせ返事はないし、先生も出てくるわけがない。馬鹿したら明日の朝まで出てこないんじゃないかこれ。
「ちくしょうカカシ先生のバーカ! おたんこなす! 遅刻魔! 約束破り! バーーカッ!」
ありったけの罵詈雑言を叫んでみても、恋人の耳には届かないことくらいわかってる。もしかして結界でも張ってるんじゃないかというくらいの無反応だ。
オレは最後に腹いせのように寝室の扉を蹴り、もういいっ、と先生のアパートを飛び出した。
こうなることもわかっていた。なんせいつもこのパターンなのだから。
「待ってるだけホントバカだったってばよ…っ」
こんなことなら、最初からデートの予定なんて入れなければよかった。楽しみにしてたのに。ずっとこの日を待ってたのに。
「………先生のバーカ……」
帰り道、まだ少し濡れたままの地面を眺めながらのろのろと歩いた。時折後ろを振り返りながら。
先生は追いかけてなど来ないだろう。
それがわかっているから、余計に自分の行動が空しかった。
家に帰ると、晩飯はいつものカップラーメンを啜り、風呂に入ったあとは別段興味もないドラマをただ流し見ていた。
ちらっと時計に目をやると、時刻はそろそろ十時前。少し早いがもう寝てしまおうか、そう思いテレビを消そうとベッドから腰を上げかけたその時だった。
突如背後にある窓ガラスが、外側から思いのほか控えめにコンコンと叩かれる。
「………」
オレはその場でぴたりと動きを止める。しかし振り返りはしない。わざわざ見なくとも、それが何なのかはわかっている。
今回は意外と早い方だっただろうか。そんな感想をぼんやりと抱きつつ、オレは無言のまま振り返ることはしない。
「………ナルト…」
すると窓の外から、今度は申し訳なさそうにオレを呼ぶ声。
もちろん間違いなくカカシ先生の声だ。任務の確認に夢中になって、気づいたら夜になってるし、オレは当然もういないしで、慌てて飛んできたというところだろう。
これもいつものパターンだ。
「その……ごめんナルト…。つい集中しちゃって…気づいたら、また時間が過ぎてて…。えーと…あっ、そうだ一楽! 遅くなったけど今から行こう、ね?」
下手下手にご機嫌伺いするように声を掛けてくる先生を、オレはまるで石になったかのように背を向けたまま動かない。
いつもなら大抵折れるのはオレの方で、しょうがねぇなぁって一楽で手を打つのがいつものお決まりだった。
けど、今回は違う。
流石のオレも堪忍袋の緒が切れたというか、いい加減我慢の限界というか。
オレはこれまで、惚れた弱みもあってカカシ先生に甘い顔をし過ぎた。そのせいで先生はオレなら何をしても許してもらえると思い込んでる。
だから今回という今回は、先生にオレの鬱憤と怒りを思い知らせてやりたかった。
「…ナルト…?」
「………」
「ねぇ…ナルト……」
「………」
先生は困ったように何度も窓を叩きつつ、すぐそこにいるのに反応しないオレを呼ぶ。
絶対振り返らないし、一言だって返事してやるもんか。これまで先生がオレを無視してきた分、同じようにお返ししてやるんだ。
オレは心を無にするように、じっと足元の一点を集中して見つめ始まる。
背後では先生が次第に焦り始めていた。
「お…怒ってる…よな。本当にごめん…その…次からは絶対気をつけるから…!」
怒って当たり前だし、次もまたオレを放置する気あるのかよ。そもそもその前提がおかしいつっうの。
「あ、今回の任務が終わったら改めて休み貰うから、今度こそちゃんとデートしよう。次は雨でも出かけるから…ねっ」
そう言ってこれまで何度も約束を反故にしてきたくせに。そしてその都度オレを放置したくせに。
「あぁ、ほら約束してたし、早く一楽行こう。今ならまだ開いてるし。大盛りおかわかりもしていいぞぉ! 先生いくらでも奢っちゃうよ」
だからカカシ先生は一楽を出せばオレが何でも許すと思ってるのが、まず大間違いなんだってばよ。
「……ナルト……ねぇってば……」
そんな悲しそうに呼んだって、オレはそう簡単には振り返られねぇんだからな。
「…なんでこっち見てくれないの……無視しないでよ…」
先生が最初にオレを無視したんだろ。
「ナルト…頼むから、顔が見たいよ……」
オレが見たいときには見せてくれなかったくせに。ほんっとに自分のこと棚に上げすぎじゃねえ?
「……本当にごめん、ナルト……オレが悪かったから…」
だいたい謝るにしてもさ、先生はマジで口ばっかっていうか、一番大事な誠意が欠けてるつっつか!
まるであのいつもの任務に遅刻してきたときみてぇな嘘くさい軽さがあるっつうか。
どうせ謝ったって……また同じこと繰り返す癖にさ……。
「………ナルト、窓開けるよ?」
流石にオレの無視の態度に痺れを切らしたのか、先生がいつものように窓のサッシに手を掛け開けようとする。
「あ…」
でもそれはあっさりと、鍵という堅牢な存在によって防がれる。
それには流石にカカシ先生も酷く驚いたようだった。それもそうだろう、今までその窓の鍵を締めたことなど一度もなかったのだから。
なんせカカシ先生はちゃんとした玄関があるにもかかわらず、楽だからといつも窓からやってきてくる。
だから先生がいつ来てもいいように、オレはその窓の鍵だけは締めずにいたのだ。それを今回とうとう締めてしまった。
これでオレの本気が、先生にも嫌というほど伝わっただろう。
「……ナル…ト……」
いつでも先生のために開かれていたはずの窓が無くなったことで、カカシ先生からは酷く動揺したような気配がありありと伝わってくる。
いつも研ぎ澄ましたかのように落ち着いている先生の気配。こんなにもはっきりと揺れて感じることなんて初めてかもしれない。
正直予想以上の反応に、むしろオレの方が驚いてしまう。
だがお陰でようやくちょっと気が晴れた。先生もまぁそれなりに反省しただろうし、そろそろ無視し続けるのも飽きてきたし。
これでもう許してやるってばよ。
そしてオレはようやく、背後の立ちすくんでいるであろう先生を振り返った。
「カカシ先生、これでちっとはオレの気持ちわか……えっ?」
窓の外では、確かに先生がぽつんと立っていた。窓の中を覗き込むように、オレを見つめていた。
その頬に一筋の涙を流しながら。
「えっ、ちょっ…嘘だろ先生!?」
流石にそれにはオレも慌てふためく。まさかあのカカシ先生が泣くなんてありえねぇだろ。
オレはすぐさま窓際に走りよると、鍵を開けわざと閉じていた窓を開け放った。
「カカシ先生…っ」
「ナル…ト…」
「ご、ごめんっ! 別に泣かせるつもりじゃ…ってかこんなことくらいで泣くなよ…っ!」
先生が泣くところなんてもちろん初めて見たし、まさかこんな意地悪されて泣くなんて誰が予想しただろう。
オレはすぐさま先生に両手を伸ばし、窓越しにぎゅっと抱きしめた。先生も恐る恐るオレを抱きしめ返してくる。その体が震えていて、オレは本気でしまったと思った。
「ナルト……怒ってる…?」
「怒ってねぇ、怒ってねぇからっ! マジでごめんっ。ちょっとやりすぎたっつうか…!」
「……ごめん……本当にごめんね…。お前が怒るのも当然だ…。こんな恋人…もう嫌いだよね…」
「別に嫌いじゃねぇから! 先生~マジでごめんって~泣き止んでくれよ~っ!」
「ナルト…嫌いにならないで…お願い…」
「ならねぇからっ! ちゃんとずっと好きだってばよ!」
先生はオレをぎゅっと強く抱きしめたまま、未だにぐすぐすと泣いている。
まさかこんな風にカカシ先生を追い詰めることになるとは思わなかった。というか、先生…意外と泣き虫、なの、か?
それとも……オレに無視されて本気でショックで泣くくらい……オレのこと、大好きなのかな。だったらいいな。
現金なもので、オレってばもう先生に無視されて傷ついたことなんてすっかり忘れきっていた。
先生を懸命に慰めつつ、でかい図体をなんとか部屋に招き入れると、その夜は先生が泣きやむまでずっとベッドの上で抱きしめていた。
「せんせぇ…まさかそれ」
「………あ、いや、えーと…ごめん…」
そしてその後どうなったかというと、別に何も変わっていない。
相変わらず先生はオレとのデートよりも任務を優先するし、相変わらず別室に籠るとビクとも反応しないし出てこない。
オレってばその度に放置されるし、結局最後は一人自宅に帰っている。
でも、唯一変わったことといえば。
「……ナルト……お願い……開けてぇ……」
そのあとでカカシ先生が泣きながらオレの家を訪ねてくるようになったことくらいだろうか。
窓はあれ以降毎度鍵を締めてるので、先生はいつも締め出しを食らったまま、オレの許しが出るまで窓の外で泣いている。
「ナルトぉ…ごめんん…許してぇ」
「はぁ……なんだかんだで結局泣き虫なだけなんじゃねぇかな…」
オレは背後でひたすらわんわん泣き詫び続ける声を今日も無視しつつ、さて、いったいいつになったらカカシ先生は玄関の鍵は開いているということに気づくだろうかと、今日も愛しい泣き虫の相手をするのだった。