【FE3H】you are my brother【ゴーティエ兄弟】 なんか、昔はもっと憎んでた気がする。シルヴァンはカンテラの灯りに光る酒を見ながらそう思った。
誰がと言えば、兄マイクランのことであり、そして今日は彼の命日なのだった。本来なら命日というからには墓参りだのなんだのをすべきだということだが、兄にはろくな墓がない。なんといっても廃嫡された身だから、ゴーティエ家の墓には入ることは許されぬ。父は何を思ったか、死後にやっと親心を思いだしたか、家近くの小高い丘なんぞにマイクランの墓を建てたが、シルヴァンが思い返す限りあそこには悪い思い出しかない。確か、シルヴァンがマイクランに首をつられそうになったのはあの丘である。マイクランだって何も人の首をつりそうになった丘に葬られたくはないだろう。
そういうわけで、シルヴァンは兄の名目上の墓には赴きたくない、しかしながら命日には何かするべきだろう。そんなわけで、シルヴァンは今ゴーティエ家の地下牢で酒を飲んでいる。
何故地下牢なのかと言えば、シルヴァンとマイクランをこのゴーティエの家にあって繋げる場所など地下牢くらいのものだからだ。
マイクランはシルヴァンが大きく、つまり自分に対する失望のまなざしがひどくなってきたころ、民に対し暴力を振るう、盗賊や悪漢と付き合い盗みを働くなどの行為が増えた。マイクランに対し興味の薄そうだった父には怒るも疲れる頻度だったのか、マイクランをこの地下牢にやたら放り込んだのである。
別に、地下牢と言ってもわかりやすく捕虜だの罪人だのを放り込んでおくものではなく、いわゆる子供に対する仕置き部屋のようなものである。現に地下牢らしからぬように、天井は高く、天窓さえある。もちろん、雪深きゴーティエ領の冬には天窓は閉鎖されてしまうものであるが。鉄格子はなく、樫の木でできた扉と冷たい石がまわりをぐるりと囲っている。それでも、いくら地下牢らしくないとはいえ、子供に対する仕置き部屋としては相当暗く物寂しい。
しかし兄は人の失望と軽蔑のまなざしある屋敷よりも居心地が良かったのであろうか、やたらと地下牢に入り浸っているなどと言う話を耳にした事がある。侍女か誰かが噂していたのだったか。
シルヴァンが地下牢へ入ったときは一度だけ、マイクランにむりやり連れてこられたときのみである。結局、地下牢へ閉じ込められまる一日放置されたのだ。それも冬の間だったものだから、剥き出しの石の床に霜が降りてとにかく寒く、指のつめたさは凍傷一歩手前であるとすら診断された。ひどくばつの悪そうな顔つきでマイクランが扉を開いたのを覚えている。きっと屋敷内で何だか問題にでもなって、あわてて助けに来たのだろう。確か、まだマイクランが決定的に父から離反する前のことであったから、ばれたくない一心で助けに来たのだろうが、結局ことは露見し、叱責を受けていた。それでまたシルヴァンにやつあたりが飛んで来て、まったくもってひどい話だった。
もちろん、地下牢なぞマイクランにとってもシルヴァンにとってもそこまで良い思い出がある訳でもなし、屋敷の自室で酒を呑めば良いという話なのだが、どうにもそれは芳しくなく…というのも、思い出深い屋敷の中で呑むと、変にマイクランの加害行為を思い出してしまい、そしてそれは普段の生活にも糸を引く結果になってしまう。しまいには幻視痛のようなものまで出る始末で、結局なんとはなしにマイクランの命日には地下牢で酒を呑む習慣のようなものができてしまったのだった。
シルヴァンが地下牢で酒を呑む、つまり兄の事を思い出すおり、いつも酒に糸目は付けない。ひどく強い行軍用の酒を持ち出す事もあれば、巷で売っているような安酒を持ち出す事もある。今年は銘柄も見ず持ってきてしまったが、やたらと薄い葡萄酒のようなものであった。まあ、上等かな。シルヴァンは独りごちた。悪酔い出来れば出来る程よいのだ。変に上品に呑んでいても仕方がない。
カンテラにちらちら光る炎を見つめながら、兄の燃えるような憎悪の瞳を思い出す。皇帝陛下がこのフォドラを統一してからと言うもの、紋章主義も最早久しく、もし今生まれていたら、兄はあの瞳を持つ事は無かったのだろうか、などと考える。それはまったく意味の無い問いかけであり、同じようにシルヴァンにとっては大事な事なのだった。マイクランは真に邪悪な人間ではなくて、シルヴァンが生まれて…つまり、紋章を持った子供があとから弟として生まれてしまったから“ああ”なってしまったのだとすれば。
それは嫌な考えでもあり、シルヴァンを長年燻し続けている問いでもあった。俺が生まれてさえいなければ、あの人と俺は兄弟になれていたのかな。
ふと、今まで…つまり、毎年酒を呑む間は思索に耽っていて見ていなかった机が眼に入る。やたらと豪奢で、要するに当主のお下がりかなにかなのだろう。ダスカーオークで作られたと見える黒光りする机は、きっと今ではもう手に入らないものだ。ダスカー人は今ではダスカー半島にちらほら集落があるだけと聞く。皇帝陛下はダスカーの地に価値を見いださなかったようで、特段貿易や属州などという話にはなっていないはずだ。であるから、最早今この帝国ではダスカーオークなど見た事も聞いた事も無い者が大半を占めるだろう。
この地下牢で、一体なにを書き物すると言うのだろう?えもいわれぬ興味心が沸き立ち、シルヴァンはカンテラを手に立ち上がった。長年戦いに出ていない体は立ち上がっただけでも痛みを発する。腰を押さえながら机に近づけば、様々な悪戯書きが眼に入る。その内容は多種多様だが、ひとつだけやたらとはっきりしたものがある。矢印だ。…引き出しを指し示している!何とも言えぬ冒険心が沸き立ち、シルヴァンの体を動かす。その重たい引き出しを開けてみれば、そこには。
何だ、これ?見つけたのは一冊の日記のようなものだった。表紙はずいぶん古めかしく、というより実際かなり古いものだろう。何年前のものなのだろう?シルヴァンが見る限り、ウン十年はたっているように思える。
しかし、誰のものなのだろうか。こんな地下牢にあるようなものではない。……まさか、兄のものか?何しろ、ここに長期間入るものなど、日記を書くように日常を過ごすものなど限られている。この地下牢に寝台を設置したのも、確か兄が使いだしてからだと聞いたことがある、ような。でも、兄に限って日記など書きそうもない。シルヴァンの頭の中に様々な可能性が閃いては消え、消えては閃いた。
結局、脳裏に人のものを勝手に覗く罪悪感を感じながら、シルヴァンは本を開いた…。
はたして、そこには様々な筆跡があった。変に達筆なものから、汚いこどもの字のようなもの。内容は様々で、自分がなぜ地下牢に入ったのかという理由から、夕御飯の配膳内容まで。
つまり、これは日誌のようなものなのだろう。地下牢に入った人間たちが、なんとなしに暇を潰すべく書き込むもの。シルヴァンは見つけられなかったけれど、今まで入ってきた人間が偶然見つけ、そしてみな、この日誌について沈黙を選んだということなのだろう。
シルヴァンはえもいわれぬ好奇心を刺激され、頁を繰る手を進めた。
"俺は悪くない、あの野郎が悪いんだ"
"この国はどうなってしまうのでしょうか。私はそれをただ憂いただけであるのに…"
"面白い日誌を見つけたので書く。後世の者たちも、この日誌のことは露見せぬように。何しろ、面白い!"
"しかし、この地下牢はなんだろう。こんな陰険な仕置部屋、あるなど知らなかったが"
そこには、年代も異なる様々なメッセージがあった。なるほど、こりゃ面白いな。シルヴァンは嘆息し、酒を注いだ。カンテラに油を足すのも忘れない。今日の夜は長くなりそうだった。それに、シルヴァンにはすこし期待していることがあった。兄マイクランはこの日誌を見つけたのだろうか?見つけていたら、彼の筆致が見れたりするのではないか…、それは悪く言えばただの好奇心であったし、加えて言えば兄への愛のようなものだった。シルヴァンは兄のことが知りたかった。そして、憎しみを思い出したかったのかもしれない。
そのまま頁を繰り続ける。どうやら年代順に並んでいる所も有ればそうでない所も多く、要するにひどく自由に書かれているようだった。人の書いた箇所に落書きや添削をしているような書き込みも見られる。シルヴァンは、年代は違えども間違いなく生きていた人々の息づかいを感じ、面映い気持ちになった。
頁の最初の頃などは随分古い文章が散見されたが…候、なぞ今時古典に足を突っ込んでいるだろう!…続けて読んで行けば、身に覚えの有るような話も出てくる。次期王子殿下ランベール。ディミトリの父の若い頃。思い出されるのは父でああるが、どうにも父の筆跡ではないような気がする。
“ランベール王子殿下はいやにあわてものの粗忽者であった、正直に言えば不安だ”
“彼よりも王兄リュファス様のほうがよほど…”
こんなこと、大声で吹聴して廻れば顔をしかめられるどころか不敬罪だろう。しかし王子殿下と謁見出来る程度には、この仕置き部屋のごとき地下牢へ入れられる程度には、それなりの身分を持つ人間が書いたのだろうが…シルヴァンはそこで思考を止めた。この日誌は犯人を詮索しないというお約束、この日誌を他者へ吹聴せぬと言う約定のもと守られてきたものなのだろうから。
それから頁を一枚繰ると、ふと見覚えのある筆跡が見つかった。…これは、もしかして、まさか。兄の。兄マイクランはその粗暴な人格とは裏腹に、いやに達筆な文字を書く青年だった。まさしく流麗な、筆が手の一部になるような文字を書いていた。幼きシルヴァンはそれが羨ましくて、こっそり兄の文字を真似していた。上手くいかなかったけれど。今でも思い出す事が出来る。彼は字がうまかった。
いけないと思いつつも、覗き込んでしまった。兄はここの地下牢に有り、一体何を考えたのだろう。やはりシルヴァンのことを考えていたのだろうか。そこには、紋章を持ち可愛がられる弟への怨嗟が詰まっているのだろうか。
“彼女は何が好きなんだろう”
“今日、王都で評判だとかいう店の、ペンダントを贈ったが、喜んでもらえただろうか”
“彼女の事を考えると頭の中がゆだったようになり何も考えられない”
“侍女、しかもデアドラから来た!あの地の事を私は何も知らない、それを悔しく思うときもあれど話の種になるのなら重畳だ…”
“あの金髪の、翠の目を考えるとひどく落ち着かない心持ちになる…あの輝ける瞳に私が映ったならば…”
…これは、恋文か?シルヴァンは首をひねった。情熱的で、しかし拙く、どことなく微笑ましさすら感じる。幼子の書く文のようで居て、その情熱には若き青年の迸るはつらつさを思わせる。兄とは到底結びつかない。が、間違いなく兄の筆跡であるし、デアドラ生まれの金髪の翠の目の女の…侍女。その女にはシルヴァンは思い出されるものがあった。確か、シルヴァンがまだ幼かった頃の、坊っちゃん付きの侍女だった。マイクランの侍女だったはずだ。とても優しかったのを覚えている。デアドラの生まれらしく、どことなく垢抜けていて、そして…紋章を持たぬ兄にも分け隔てなく接していた。シルヴァンはそんな様子を見て、幼心に彼女の事を好いていた。初恋とまで言ってしまってもいいかも知れぬ。そのころは恋などという感情はわからなかったけれども、その侍女が通るたび目で追ってしまったし、自分のお付きの侍女になってくれまいかなどと考えた事もある。実際、父に頼み込めばなってもらえたのだろうが、これ以上マイクランから奪うのはシルヴァンが後ろめたくて、一度だけ考えてやめたのを良く覚えている。
兄は侍女…“彼女”に懸想して居たとでも言うのか?そんな様子、シルヴァンはまったく知らなかった。いくらマイクランとシルヴァンとに距離があったとはいえ、懸想などしていたら分りそうなものなのに。
じゃあこの文字列が兄のものでなかったのかと言われれば、これは間違いなく兄の文字である。そして、本人の文字であると認めてしまえば書いてある内容は真実なのだろう。この日誌はそういうものだった。犯人の詮索をしないが故に自由に書き連ねる事が出来るもの。そういう約定のもと存在しているもの。
ここに至って、シルヴァンはずっと驚きのさなかにあった。兄がそんな事を思っていたなんて知らないし、兄がそんなことを“想える”人間である事も知らなかった。彼はこの世界のすべてを憎悪の眼でもって見ているのだとばかり思っていた。シルヴァンのせいで、その眼しか持てなかったのだと思っていたのだ。
“彼女はどうやら他の侍女どもにいじめられているようで、それはもしかしたら私のせいなのかも分らない。私をかばうが故にひどい言葉を投げかけられているのなら、それは…”
シルヴァンはふと思い出した。兄が一時期、やたらと優しくなったことがある。あの時シルヴァンはとうとう思いが通じたのかと喜んだが、もしかしたらこの所為なのか?“彼女”のために兄は変わろうとしたのだろうか。
しかし、しかし、彼女は確か…庭師の男の子を孕み、この屋敷を去って行ったのではなかったか。その庭師は言葉を隠さずに言えば風体の良くないうだつの上がらぬ大男で、別に心優しくもなければ紋章主義に浸っていないという事も無い男だった。むしろ、当主様…つまりは当時のゴーティエ辺境伯、父によく懐いていた。長いものに巻かれて職を得た男だった。
シルヴァンはそんな男を選んだ女を見て、ひどく嫌な気持ちに苛まれた。その前まではマイクランにもシルヴァンにも同じように接する侍女のことを好きだった、懐いていた…正確に言えば、初恋のようなものだった。しかし、庭師の男を選んだ事で好意は一転、嫌悪へと変化したのだった。
マイクランはどう思ったのだろう。“裏切った”彼女に対して、どう考えたのだろう。やはりシルヴァンと同じように、嫌悪を持って迎えたのか?哀しみをもって別れを告げる彼女を見送ったのか。シルヴァンは、兄の事を何も知らなかった。兄がシルヴァンが真に兄ときょうだいになりたかったと知らないように、シルヴァンも兄がこんな秘められた恋心をもっていたなど、知らなかった。
兄マイクラン、シルヴァンに憎悪を向ける兄。では、彼女に懸想していたマイクランという男はどんな男だったのだろう。どのように頬を染め、どんな気持ちで彼女に贈り物を選んだのだろう?そこには、マイクランという生きている男がいた。シルヴァンはふと、泣きそうになった。父はもう居ない。シルヴァンが首を落とした。母もいない。シルヴァンが帝国の走狗として走り回っていたあの五年の中で病気で死んだ。シルヴァンも、マイクランのことを知らない。知らなかった。知らなかったことを、いま思い知った。
頁を繰るが、侍女の別れの日も、その後のことも、書かれてはいないようだった。”彼女”と話ができたと喜ぶところで途切れている。日誌に独白をすることに飽きてしまったのだろうか、それとも地下牢自体に近づかなくなったのかはわからない。はっきりしているのは、日誌の中にはシルヴァンが知らなかった兄が存在しているということだけだった。
俺も丸くなったな。こんなもの見てしまったら、もっと、身の裂くような痛みがあったっておかしくない。シルヴァンは一息いれるごとく、酒瓶を傾けた。実際、士官学校時代のシルヴァンなどは兄に対する罪悪感と紋章への憎悪と、それでも消えぬ兄からの加害の傷でおかしくなりそうだった。実際おかしくなっていた。女性達に声をかけなく…つまり、子供が出来てからもう何年になるだろう?その子供は紋章を持たないが、士官学校へ行くことが決まった。皇帝陛下へ謁見もした。我が子は自分に自信があり、溌剌としていて、昔の不幸など、自分の叔父がどういう運命をたどったかなど何一つ知らぬ如く育っていた。
マイクランがそれを見て何を言うかなど分からない。知らない。シルヴァンには、もう何もわからない。しかし、シルヴァンはやっと紋章への憎悪と哀しみと、加害行為に隠れていた青年マイクランを見つけた気がした。
やっぱ俺たち、紋章が有ろうが良い兄弟にはなれなかったと思いますよ。あんたの読み当たってたみたいだ。だって同じ女を好きになるなんて、兄弟として最悪だろう。似た者同士といっても、悪い方の似た者同士だよ、おれたち。シルヴァンは嘆息した。今までシルヴァンの中で燻っていた問いの答えがこのような形で分かってしまうとは。マイクランが肉を得ていく。こんなことで兄と分かりあえる日が来るなんてシルヴァンは思っていなかった。確かに彼女は魅力的だった。間違いなく。シルヴァンの心の中は暴風雨に巻き込まれた畑のようにまっさらだったが、代わりに妙なすがすがしさがあった。
シルヴァンは、日誌を隠してしまう事にした。この地下牢は使われないだろう…使わせないが、この思い出だけはあったっていい。この世に間違いなく生きていた人々の言葉くらいはあったって許される。マイクランはこのゴーティエにあって存在を許されなかった。ゴーティエの象徴とでも言うべき破裂の槍を盗もうが、彼はにっくき弟に殺されて終りだ。シルヴァンが殺したのだから!彼は紋章を憎んだけれど、結局今の時代において紋章主義を撤廃せしめたのは彼に全く関わりのない皇帝陛下である。彼は何も残せなかったのか。違うだろう。不足かも分らないけれども、この世に確かにいた兄の、哀しき恋路くらいは残されてしかるべきだ。
だから、…彼にとってはおぞましき事かも知れないが…“弟”たるシルヴァンだけは、この、マイクランの息づかいのひとかけらを守ってやりたいと思うのだ。これは不誠実で…、まったくもって不誠実かも知れないが…それでも、だ。幼なじみを殺し、父の首を落とし、守るべきだった、そして可愛い弟分だった主君を殺し、愛すべき故国を滅ぼしてまで紋章主義の否定を手に入れた。そして、マイクランの知らぬ顔さえ知ってしまって、マイクランをひとりの人間として知ってしまったのだ。
兄上。俺、やっとあんたと同じ地平線に立てた気がするよ。シルヴァンは、ここに至って初めて、兄に顔向け出来るような気がした。