【FE3H・現パロ】キャンユー・トラスト・ミー【ゴーティエ兄弟】「うわ」
戸を開ければ、そこには一面の銀世界が広がっていた。吐く息は白く、後ろでがなるアナウンサーは今年一番の冷え込みで、とかなんだか言っている。あまり量は積もっていないようだが、予報もなにもなかったはずなのに、急に降るときたもんだ。思わずため息が漏れ出てしまう。
残念ながら、マイクランは雪国の生まれでもなんでもない、むしろ南国に近いアンヴァル生まれですらある…一人暮らしの大学生である。それゆえ、気分が上がるよりも先にこれからどうしよう、という気持ちが先立つ。道路は完全に雪でうもってしまっていて、あまり知識のないマイクランでも危ないだろうことは平気に分かる…が、雪かき用のシャベル? スコップ? そんなもの、このうちにあったか? …こういったことは不慣れだ、と大きくため息をつく。
確か今日は一限から言語講義が入っているのだ。マイクランは真面目な大学生でもなんでもなく、一回生だった去年に落としてしまった単位だから、自主休講というわけにもいかない。…実は、もう4回まで休んでいる上、周りがとにかく一回生だらけで、代返というわけにもいかぬ…、と理由をあげれば休む選択肢はほぼなくなる。
もう一度ため息がまろびでて、時計を見ればもう時間である。マイクランは目の前の雪どもから眼を背け、靴を履いてしまうことにした。
「はあ? 雪で自転車ァ!? …めちゃめちゃ危ないよ」
「えー、だってえ、遅れそうだったんだもん」
「いや、本当に危ないからさ、やめたほうがいいよ。雪って、マジで人死ぬし。」
「えー!? うそぉ! 死ぬって…」
そう広くはない教室に、あはははと黄色い声が響く。どうやら、一回生の男と、取り巻きの女が話しているらしい。雪が降ったことに対して、変になめくさる女とたしなめる男。険しい顔をした男からは何やら物騒な単語も飛び出すが、きゃらきゃらと女たちは笑う。
余談でもなんでもなく、マイクランは騒がしい女どもが嫌いである。それに、慣れぬ雪道でもう5回は転ばされたのだ。まったくいまいましい!舌打ちを一つこぼし、華々しい集団の遠く後ろを通ることにする。すると、その集団の真ん中にいた男の秀麗な顔から声があがった。
「あ!先輩!来たんですね」
げ、と顔をゆがめ見れば、後輩のシルヴァンである。彼はにこにこ顔で手を振り、こちらに近づいてくる…まるでマイクランのしかめっ面は見飽きた、とでも言うようだ。
「もう四回休んでるのに、遅いから心配しましたよ。三回生になってこの講義受けるの、中々いませんもんね」
「…話してたんじゃねえのかよ」
「別に! …まあ、そのー、うわべだけって言うか。話してただけなんで」
「俺は別にお前と話したくはないんだけどな…」
「何か言いました?」
ちっ。大きく舌打ちをすれば、困った顔が帰ってくる。そんな表情をするなら、最初から話しかけなければいいのだ。
「シルヴァンくーん?」
甘ったるい声が目の前の男を呼び、マイクランは胸をなでおろした。別に面識はないのにやたらと話しかけ気を使う男…後輩であるシルヴァンに、マイクランは変な不気味ささえ感じる。離れていってくれるならこれ以上のことはない。
シルヴァン。姓はよく知らないが、女どもの呼ぶ声を限りに考えれば、そういう名前であるらしい…は、マイクランにとにかくひっついてくるナゾの後輩である。そして、非常にブキミだ。彼は、マイクランを見かけるたびに話しかけつきまといにこにこ顔で手を振りかけてくる。では、マイクランとなにかトクベツなつながりがあるかといえば、これまたそんなことはない。初対面の時点でそんな感じであり、出会ってからの数か月にわたってマイクランの心中を惑わせてくるのである。
マイクランは学内でもさまざまウワサの立つタイプの…悪い噂、ヤクザと関わりがあるとか(そんなことはない)、町中のチンピラと仲良しだとか(これもまたそんなことはない、はずだ)暴走族のカシラをやっていたとか(これは本当である…高校時代の三年間と浪人生をやっていた一年の、少しの期間だけであるが)、言ってしまえば不良だった。おかげで大学内に友達がいることもなければ、講師や教授陣すら少し引く始末。鼻つまみ者のマイクランに近寄ってくるのは食堂の肝の据わったばあさんか、件のシルヴァンくらいのものである。
シルヴァンのほうはといえば容姿端麗瞑目愁眉、女をひっかけては振り振ってはひっかけを繰り返す、そのくせ成績はいいらしい、これまた名物ハンサムであるから、そんな者がマイクランに寄ってくるというのもいかんせんアヤシイ話だ。
要するに、マイクランから見てシルヴァンという男は、とにかくアヤしくブキミ極まりない人物なのであった。
「ああごめん、もう行くから。じゃあね」
と思っていたら、荷物を取りに行ってさっさと引き揚げてきたらしい。白い歯が咲くハンサムな笑みで…マイクランの元カノはそう評していたが、マイクランにはハンサムだとか思えない…ひょこひょこ近づいてくる。手で追い払う仕草をしても、えーなんですか冷たいなあ、と図々しく隣へ腰かける。この教室は狭いから、自然距離が近づきなんともいえぬ心地である。
「なんでお前俺に話しかけてくるんだよ」
毎回聞いているなあ。心の中で独りごちる。特に、この講義で一緒になってからは。つまり、大体9回はこの男の隣に座らされているわけである。
考えていると、マイクランはなぜか泣きたくなる心地がする。なんで俺が男のわけのわからん後輩に追いかけまわされなきゃいけないんだろう。ケツでも狙われてんのか? 憂鬱をかみしめていれば、シルヴァンは遠くをみつめ、唇を開いた。
「…駄目ですか?」
「だめっつうか、意味が分からねえ。」
「意味も何も、俺がしたいようにしているだけですよ」
「……それがわけわからんっつってるだけなんだがな」
ちらりと琥珀色の眼がこちらを見る。思えば、こいつとは目の色も髪の色もいっしょである。嫌な偶然だ。
ちらりとシルヴァンの瞳が、マイクランの鼻元から目元にかけてをすべる。何を見ているのだか知らないが、なめるように見られて不快である。
「……あ? なんだよ」
「先輩は、俺を見ても何も思い出しませんか?」
「はあ?何を」
「…………えーと、雪山とか」
「…」
ますますもって意味が分からない。そもそもマイクランは南のアンヴァル出身だから、このガルグ=マクにたたずむ大学に来るまで、雪などひとつっきりも見たことがない。
「知るかよ」
冷たくあしらうマイクランをしり目に、シルヴァンは顔をしかめるマイクランをじっと見た。
「そういえば、今日の朝は大変でしたよね」
「あ?」
今日の朝? と言えば、ああ。
「雪! 小降りでしたけど、降っていましたよね。積もったのはホンの二センチくらいだったみたいだけど。」
「…まあ、こっちもそうだったけどな」
「転びました? まさかとは思いますけど!」
にやり、と口角があがるふてぶてしい表情がマイクランの視界に入る。なんだこいつ。
「うるせえ! 転ぶかあんなもんで」
「あれ、そうなんだ。それは良かったです。それに、あんまり積もっちゃ、怖いですもんね。
雪は人を殺しますよ。俺、雪山に置いて行かれたことがあるんですけど、本気で死ぬかと思いました。」
「…」
なんだそりゃ。というか、重い。それとも、こいつの生家では雪山に置いていくのはフツウの話なのだろうか? マイクランはどうにも言えぬ同情心にさいなまれた。
「それ、笑えばいいのか? それとも同情すりゃいいのか?」
「えー…」
なんともいえぬ体験談に、マイクランは居直った。マイクランの経験則から言えば、雪山に捨て置かれるなど常態のことではない。
ともすれば不躾な質問をされたシルヴァンは妙な顔をしたまま、マイクランを見るでもなく、手元に目線を落としている。
「俺」
「あ?」
「俺、ゴーティエ生まれです」
答えになっていない。
「…あ、そう。俺は別にンなこと知りたくもなかったが…」
「遊びに来てくださいよ。いや、嫌ですか? うん、遊びに行きますね」
「はっ?」
質問の答えにもなっていないし、押しの強さが異常だ。いよいよもって話が通じなくなってきた感触がする。マイクランはいよいよもって話を終わらせようと少し身体をずらした、が、シルヴァンはぐっと身体をこちらに向け、前傾姿勢になる。そうして、熱っぽくマイクランの瞳を見つめた。
「先輩のお父上って、どんな人ですか? お母上は?」
「…」
…これ、まずいのでは。
昔…というより高校時代、不良に両足も染め上げ、暴走族の棟梁までのし上がっていたマイクランは交友関係上、どこぞのあいつがヤクに引っ張られただのどこそこ高に手を出せば小指が持っていかれるだのと言う出所不明の話を聞くことが多かったが、それに共通するのは、個人情報をすっぱ抜かれたら終わり、という教訓であった。嘘をついてでもいいから本名と住所だけは言うな、これは少し裏に入った社会ではまったくもってまことしやかにささやかれるライフハックである。
マイクラン自身は身のまますべて裏に染まることなく、サッサと足を洗ったから実体験自体はないが、その恐怖には覚えがあるのだった。
いい加減、こいつを放置しておくのは、よくないかもしれない。背筋を怖気が走り、指先が凍る。とその時、始業のチャイムが鳴った。同時に、講師が入室して来る。
話を邪魔された形になるシルヴァンは、特に残念がる様子もなくノートを開いている。マイクランは少しだけ、できる限り彼から身体をずらした。
今日一日、雪は降るわ、様子のおかしい後輩につきまとわれるわでさんざんである。大きくため息をつけば、横から視線が向けられるが、黙って無視をすることにした。
*
「うっっわ…」
戸を開けるまでもなく、窓から見えるは一面の銀世界…というか、まっしろである。後ろでがなるアナウンサーは昨夜は大雪警報が発令され、なんて言っている。さすがに今はふぶいてはいないようであるが、ン十センチは積もっているようである。
やられた。マイクランは頭を抱えた。一週間前に雪が降ったが、そのあとはあたたかくなってきたからとニュースなんて見ていなかった。爆弾的な寒波が襲い…云々、背後から聞こえる情報に耳を傾ければ、雪が降るだろうことは想定できたはずだ。
ため息をつけば、呼応するように腹の虫が鳴る。仕方なしに冷蔵庫を開ける、が、そこにはなにひとつも無かった。見事にカラの保冷室は、マイクランにその身を差し出している。そう言えば、今日の帰りに買い出しにでも行こうと思っていたのだ。そして哀しいかな、非常事態に限ってカップ麺すらないのである。しかし、腹の虫はいっこうに姿を消さない。なんだったら、昨晩などは酒だけ浴びるように飲んで寝たのだ、ひどいすきっ腹である。
マイクランは思わず窓の外を見た。やはり現実は変わらず、窓の外は突き抜けるような青空と真っ白な一面で構成されている。
「…どうすっかなあ…」
別に外へ行けなくはないけど。でも。悲嘆にくれた小さな声は、ぽおんと放たれ床に落ちた、その瞬間であった。ピンポーン。間の抜けたチャイムが響く。
…。この雪景色のなか、わざわざえっちらおっちら家まで来る危篤ものがいるらしい。マイクランは少し驚き、それから憂鬱になった。こんな日に誰だよ。セールスお断りって、読めねえのか? いや、もしやマイクランを慕う暴走族時代の後輩かもしれない。そうだったらどうしてやろうか、雪かきにでも動員してやろうか…不満と不平を抱え込み、そう意気込んだのちドアを開けたマイクランの眼の先には、マイクランとまったく同じ赤毛がいた。
「ご無事ですか、先輩! 死んでませんよね?」
「何しに来たんだよてめえは!」
「いや、すみません。トチっちまいまして」
「頭がか?」
「早とちり、のトチです。」
マイクランの目の前には件の後輩がいた。なぜ。ハテナマークが場を席巻し、その答えははるか遠く、シルヴァンのケイハクな笑みにかき消される。彼はおもむろに背負っていたリュックサックを開けると、なんらかの包みをマイクランに渡してきた。
…ヤクかな、もしかして。もしかして、こいつ昔俺がとっちめた族の生き残りか、なんかなのかな。こわごわ受け取れば、それは缶詰だった。しかも、サバ。
「なんだこれ」
「困ってるかな? と思って。困ってなかったら、それでいいんですけど」
「……」
困ってるけど。そりゃ、冷蔵庫の中には何もなくて、困ってたけど。
「あ、別に今買ってきたとかそういうわけじゃないですよ。寒中見舞いで実家から仕送り来たんです。余っちゃって。俺、あんまりサバ好きじゃないですし」
「…そうか」
顔が引きつる。完全に引いているマイクランを見て慌てたのか、シルヴァンは言い募る。
「そう、ついでです。別にこれが本題ってわけじゃない…このために来たとか、そういうわけじゃないんですよ」
「ついでって…お前が俺の家に、どういう事情があったら来ることになるんだよ」
「いや、今日一限、休講なんです」
「は?」
イチゲン。一限…マイクランの頭が徐々にはっきりしてくる。
「イチゲンって、言語の」
「そうです。ラインで休講だって掲示があったって、回ってきたんですけど、先輩多分知らないんじゃないかなと思って。言語以外、俺今日何もなかったので、暇だったので、つい」
「へ、へえ…」
「…」
「…」
沈黙が場を支配する。シルヴァンのほうは大体のことは話し終えてしまった様子で、マイクランは何とも言えずただ黙りこくるだけである。
フツウの後輩って…しかも、特につながりもない後輩って、休講であることを知らぬだろう先輩の元へ押しかけサバ缶を差し出すものなのだろうか。いかにマイクランが困っていそうだったからといって、それはさすがにないのでは。マイクランにフツウの後輩などいたことさえないから、よくわからないが、一般常識に触れて考えてみるに中々ない。それに、件の人物は顔よし頭も悪くなし口もいやに良く回る、人間関係に曇りの見えなさそうな男なのである。フシンだ。すごく。
「あのー、すみません、やっぱり邪魔でした? 俺…」
「邪魔とか、じゃなくて…あー…」
ちらりとシルヴァンを見れば、こわごわ見返してくるようである。本人にも自覚はあったようであるが、怖いのはこっちである。端的に言えば、身の危険を感じる。こういった場合は、良い人の顔をしてさっさと撤退するに限るのだ。マイクランは話を切り上げようと、唇を開いた。
「まあその…なんだ。ありがとよ」
「いや! ほんと、俺も急に押し掛けてすみませんでした。いや、はい」
シルヴァンは危険人物のくせにいやにしょんぼりした表情をしている。マイクランは何故だか毒気を抜かれた…そんな殊勝な顔をされても。だからこそブキミではあるのだが、へにょりと下がった眉がマイクランの良心を刺激する…。
「正直な話、冷蔵庫にまったくメシなくて困ってたのは本当だ。鯖缶だけあっても仕方ねえけど、少なくともお前は俺の命を救った…とまではいかないか」
慰めるように言えば、シルヴァンはぱっと目をかがやかせて顔を上げる。マイクランはその仕草に実家に置いてきた犬(5歳メス)と、暴走族のヘッドとかしづかれていたころ、面倒を見てやっていた後輩たちを思い出していた。
マイクランは暴走族のヘッド、つまりリーダーのようなことをやっていた。それは家庭との折り合いが少し悪くなってしまったこと、そして元々社会に対する不信感があったこと、そもそもそういう連中とつるんでいたことなどに由来する。今ではすっかりおとなしそうな顔をして大学生なんぞをやっているが、昔はまったくひどかった。
暴走族とは、そして中学だの高校だのから飛び出して”ツッパ”る人間とは、相当な悪餓鬼か相当な社会ズレを起こした連中である。前者は敷かれたレールから自らはみだし暴走している、だからまだいい。マイクランはこういった者たちの側で、あくまでも自分から社会に背を向けたに過ぎない。だからこそ、結局こうして平和な生活を送れているのである。しかし、後者は違う…社会のほうから何か様々な理由で押し出され鼻をつままれ排斥されて、挙句暴走している者が多い。両親と不仲。学校で問題を起こした。法律を犯した。そのどれも、本人の責でもあれば周りの責でもある。子供は、学校だの家庭だの社会だのという大きな濁流、もしかしたら悪意のあるかもしれないそれに呑まれ道を踏み外し、もしくは流され、孤独にじぶんの足元を見つめるほかない。
マイクランはそんな社会に迎合できなかった者たちの面倒をよく見ていた。それは、マイクランの途方もない頑張りと、ほおっておけないという、いわばどうしようもない感情によって支えられていた。本当なら、別に手を放してやっても構わない。マイクランの責務でもなんでもないからだ。しかし、それで、どうやって生きていくのだろう? ひとりっきりで、誰も気持ちをわかってくれなくて、すべてに憎悪を向けて生きていくしかないんじゃあないのか。それではあんまりじゃないか。だからマイクランは手を伸ばしてやっている。ただそれだけの話だ。
マイクランは決して慈善事業をやっている気ではないから、やさしいというわけでもない。ただ、来るものを拒まないし、来たら慰めてやるし、一人で立ち尽くしていたらコーヒーのいっぱいでもやる、ただそれだけだった。これが正しいことなのかは、マイクランにはわからない。ほんとうに助けてくれるかもしれぬ、あかるくて寒い場所に連れて行ってやるのが良い行いなのかもしれない。しかし、マイクランはただ、見ていられないという理由だけで動いているのだから、そこに正しさはいらない。
後輩の顔に重なって見える、目の前の男もそうなのだろうか? そう考えた瞬間、暗く寒い雪山で、赤毛が雪に巻かれて立ち尽くす幻影が見えたような気さえして、マイクランはかぶりを振った。シルヴァンは甘く上品な…言ってしまえばお嬢さん的な顔立ちとくるくる回る弁舌でうまく立ち回っているように見えているが、その真実などマイクランにはあずかり知らぬところだった。彼もまた、マイクランに助けを求めているというのか?
しかたねえなあ。昔見た後輩の、とほうにくれた眼を思い出してシルヴァンに重ねて…、気がついてしまえばマイクランの敗けも同じことで、いかな変に見える行いでも、多少は目をつぶってやるほかない。
そんなことを考えて黙っていれば、マイクランが困っているかと勘違いでもしたのだろうか、シルヴァンはあわてて口を開いた。
「…雪かき、しましょうか? 俺」
「はァ?」
「うまいんですよ! 実は。ゴーティエの生まれなものですから、母親の指より鉛筆より先にスコップを持たされる、てなもんで。」
「いや、別に」
「や、やらせてください。いや、えっと…気味悪がらせたお詫びじゃないですけど」
「…なんだそりゃ」
「いいじゃないですか! 俺は先輩のために働けて嬉しい、先輩は外に出かけられるようになって嬉しい、これぞ一挙両得…」
には、なりませんかね? 思い出したかのように付け加えるシルヴァンは、マイクランを上目使いに見やっている。
「そもそも、礼だか詫びだかに雪かきってのおかしな話だが」
「えっ。そうですかね。雪かきって、そりゃあ重労働なんで、誰かがやってくれるというならこれ以上の話はないですし、ゴーティエではふつうでしたけど」
「…ていうか、別に、わざわざしなくても溶けるんじゃないか、雪」
マイクランとしては軽い気持ちでそう発言したのだが、雪国育ちと雪など見たこともなかった南国育ちでは感覚が痛ましいほどに異なるらしい。その甘っちょろい言葉を聞くやいないやシルヴァンは眉を思いっきり吊り上げた。
「…先輩、ンなわけないじゃないですか、冗談言ってます? こういう微妙に南国に近い土地の雪の、溶けたあとのヒサンさを知らないから言えるんですよ。」
「あー…?」
「ここ下コンクリですよね? 先輩は知らないかもしれないですけど、コンクリって凍るんですよ、…つるっつるに!」
シルヴァンは半歩後ずさるマイクランを後目に熱弁を振るう。
「俺のひいひいひい…えーと、ひいが五個かな。その爺さんは、凍結した道で馬を滑らせて頭を打ってそのまま…ウウッ! 数日後の先輩が目に浮かびますよ、俺。」
「あ、そお…」
なんでこいつ言うことなすことなんか演技がかってんだ? それもなんだか、本人は少し恥ずかしそうなのがまた不審である。
じゃあ頼む。そう言いながらも腰の引けるマイクランと、頑張りますねと笑うシルヴァン。二者は二者とも、なんともいえぬ表情をしたまま雪の大地を踏みしめた。
「うおっ、あぁ!?」
半歩ほど足を出せば、雪がマイクランの足をからめとり、思わずけっつまずきそうになる。シルヴァンはあわててマイクランを見やり、その腕を伸ばしてくる。マイクランは必死でその腕をひっつかみ、脚を止めた。ありがとな、頬を赤らめながらそう言って顔を上げれば、ビックリとしか言い表せぬ眼がこちらを向いている。
シルヴァンはまんまるにした眼を直さず、下手ですねえ、意外ですとつぶやく。なんだと? マイクランは眉を跳ね上げた。
「…あ? 雪国育ちのお嬢さんにはわからねえだろうが、なんもかんもハジメテなんだっつうの。こっちはアンヴァル生まれなんだからよ」
「…お、お嬢さんって…ていうか、アンヴァルの生まれなんですか? …ほんとに?」
ふん、と鼻を鳴らせば、シルヴァンはなんだか変な顔をしている。あれ? マイクランの予想では、そんなヒドイこと言わないでくださいよだかなんだか言って、じゃれてくるはずなのだが。やはりシルヴァンの考えることはよくわからない。
というか、驚いているのだろうか。マイクランがアンヴァル生まれであることが、そんなにも驚愕をもたらすとは到底思えない。少し不思議に思って問おうとすれば、口を開くのはシルヴァンの方が早かった。彼はマイクランを怒らせたことを後悔しているようで、つたないアドバイスをよこしてくる。
「あのー、えっと、腰をもう少し。もう少し、ですね…」
「もう少し、なんだ?」
シルヴァンの手を離し、なんとか自力で立ち上がろうとするも、雪とは重いものである。見事に足をとられ、うめく。
「…落とすんですよ。もう少し。」
シルヴァンは何故だか目に見えて元気がない。先ほどのマイクランの発言からこっち、眉をさげっぱなしだ。…そんなにお嬢さんってからかったのを気にしているのだろうか? マイクランとしては、ただその顔立ちと肌の白さを揶揄したにすぎないのであるが。
やはりよくわからない男である。そうため息をついて、マイクランはシルヴァンを置いて進んだ。なんとか家の底から引っ張り出してきた少し小ぶりのシャベルを杖がわりにしながら、えっちらおっちら歩いてみる。これで本当に雪かきなんぞできるのか。マイクランは半ばやけになりながら、シルヴァンの方を振り返った。
見れば、何故だか呆けた顔をしている。
「先輩って、ほんとーに、…アンヴァル生まれだったんですね…」
「…あ!? 悪いか!?」
「そーでなくて…、何ていえばいいのかな。すこし寂しいですね、なんか。
俺、実は、あんたが雪国生まれだと…本音を言えば、ゴーティエ生まれだと信じて疑っていなくて、だから…」
「…い、意味が分からねえ! うおっ」
泣く寸前の子供のような顔をしたシルヴァンはつったったまま、あわれマイクランは雪に足を取られてスっ転んだ。尻が鈍く痛むマイクランを鈍く光る冬の太陽がまるであざわらっているようである。シルヴァンは悲しそうにマイクランを見るばかりで、それもまた嘲笑に思えてならない。
「なんだてめえ!」
「あっいえ、そんな。ただ、転ぶんだと思って…転ばないと思ってたので」
「ば、バカにしてんのか?」
「いえ…」
「…」
シルヴァンの手が差し伸べられる。どうしようもなくイラついて、マイクランはその手をはらった。まったくいまいましい。何より不快なのは、シルヴァンの悲しむがごとき目線である。シルヴァンはそれが当たり前だとでもいうように、ふいと眼を逸らした。傷ついてもいないようだった。
結局ふたりは妙の雰囲気のまま、雪かきを終えた。シルヴァンの調子は持ち直したようであるが、眼は暗がりにひそんでいる。長い前髪が、彼の琥珀色をかくしている。マイクランは、それをあえて無視した。また元通りコンクリートが日の光を受けているのを眺めつつ、大きくため息をついて、玄関の縁に腰を下ろした。シルヴァンは日を眺めじっと黙っている。
「帰るのか?」
もう、とは口に出さなかった。こちらはやっと相手を受け入れる気になったばかりだというのに、件の本人が妙に黙りこくっている物だから、調子が狂う。こんなこと、普段のマイクランならば言わない。勝手にくる奴はくればいいし、帰りたい奴は帰ればいい。マイクランが用意してやるのは居場所だけである。
シルヴァンは聞くやぱっと振り向き、マイクランを見つめた。そして、玄関口にすわるマイクランに近づいてくる。その足取りは軽やかで、きっと昔から雪とたわむれてきたのだろうと感じさせる。目の前にたたれると、彼の顔は逆光で良く見えない。感情をゆたかに表現する琥珀色の大きな眼も、いつもゆるんでいる口元も。ただ、マイクランと同じ赤毛が太陽に溶けて燃えている。
「嫌ですか? 俺のこと、邪魔だと思います?」
マイクランは面食らった。何を言い出す? こいつ、何が言いたい?
「…やっぱり」
付け加えられた言葉に、マイクランは眉をひそめた。やっぱり、邪魔だと思います? そう聞きたいのか?
そう言われれば、答えは間違いなくイエスである。邪魔というか、ブキミだ。何といっても、行動が意味不明だし。
けれど。けれど、その一言が、マイクランには言えなかった。何故なら、彼の震え声が、どうしても突き放せなかったからである。仮に、マイクランが真に冷たい人間だとしても、その声を振り払えはするのだろうか? 仮に、マイクランが彼を心の底から憎んでいても、その声を振り払えはするだろうか? それは誰にもわからない仮定であり、しかし現実に今いるマイクランは、彼の声を黙殺できなかった。はあ、と大仰にため息をつけば、彼の肩が大きく揺れる。
「何が言いたい?」
「きっ…、…迷惑になっていたら、嫌だなと思って、ですね」
「……迷惑もクソもないけどな」
先ほどから容量を得ないし、言葉がどうにもたどたどしく、マイクランはなんだかこどもを相手取っているような…こどもをいじめているような感覚に陥った。そんな趣味はないので、尻の座りが悪いったらない。
シルヴァンが何を考えているのかわからず、とにかく彼の貌を見る。やはり逆光にさいなまれてはいるものの、前髪のすきまからちらりと琥珀の眼が見えた。しかし、こどものような雰囲気に反して、目は人形のようににびめいていて、感情がどこにあるか不明だ。
シルヴァンは、少しの間マイクランの顔をじっと見ていた。正しくは、鼻筋から目元にかけてを、じっと。しかし、ふと、まぶしそうに眼を細めた。
その眼は、いかんせんマイクランを見ているとは言い難く…、つまり、マイクランではなく、他の誰かを思い出しているのじゃあないか? そんな印象だった。シルヴァンはマイクランの目線から逃げるがごとく顔をうつむけると、また唇を開いた。声の震えは止まっている。
「俺、兄がいたんです。大昔ですけど。あー、えっと、仲は良くなくて…、俺はなかよくしたいと思ってたんですけど、兄には邪魔だったんでしょうね。俺が。
でも、ふたりだけの兄弟だし、仲良くしたいじゃあ、ないですか? でも、もう死んじまいましたけど。」
…だから? だから、なんだ? なんなんだこいつ。何が言いたいんだ。それをマイクランに話す意図は、何だ。しかし、その言葉は喉にへばりついて出てこない。マイクランと同じ赤毛が、闇夜にとけて燃えている。しかし、その下にあるだろう眼が映し出す感情はどこにも見えなかった。マイクランでは見えないのかも、しれなかった。
こいつ、このままほっといたら、泣くかな。マイクランはぼんやりそう思った。なら、泣けばいい。そこまでするのだったら…、よく知りもしない、出身地すら知らない男の前で泣くくらい、切羽詰まっているのだったら、マイクランだって、手を差し出すくらいはする。シルヴァンは、そうは思っていないのだろうか。マイクランが手を差し出すとは。
「似てます。」
数秒の沈黙の後、唇を開いたのはシルヴァンだった。予想外に、堅い声をしている。泣くかな。泣かないかな。少しの好奇心がマイクランを刺激する。
「…何が?」
「あんたが。兄上に。そっくりだ。ほんとうに…」
……そんなことかよ? マイクランはびっくりしてしまった。
マイクランは彼の兄でもなんでもない。そもそも、学部も同じではないし、サークルやなんだ、出身地すら同じでない。ただ、シルヴァンがマイクランを見つけて話しかけて、マイクランはそれに付き合ってやっている、それだけなのだ。ただ純粋に、家にまで来られた、それがとにかくブキミであるというだけで…。
つまるところ、彼による一連の珍奇な行動は兄恋しさ故のものだったとでも言うのか。いや、ちょうどいま、こいつはそう宣言をしたけれど、人間はそんなことでここまでの行動に奔れるのか。マイクランには兄も弟もいないから、よくわからない。しかし、それはそれで不気味だな。まったく無礼であると分かりながら、不理解のままでマイクランはそう思った。
しかし、これで、彼が何故マイクランに付きまとうのか、わざわざ雪かきにまで出てくるのか、その意味が分かったというわけだ。ならば、マイクランが、兄になんてならない、付きまとうのをやめろと一言言ってやれば、こいつとの関係も、これで終わりになる。兄が死んでしまったというなら、兄を欲するべきではない。兄の代替えを探したって、兄は戻っては来ない。子供でも分かる話だ。
…そう、であるはずだ。マイクランはやっと元の自分に戻れる気がして、ため息をついた。…。………。
シルヴァンの眼は、また隠れてしまっている。
「ああそう。知らねえけど、そんなこと」
「…すみません。関係ないですよね」
「そりゃもう、まったくだな」
「……すみません。迷惑かけました」
「…」
「…」
…この言い分、もしかしたら、こいつ、もう付きまとわなくなるんだろうか。マイクランは根拠なくそう思った。けれど、どうにも真実のように思えてならなかった。
「あの、…シャベル。返します。俺が言えたことでもないですけど…雪かき、さぼらずにやったほうがいいですよ。俺、ゴーティエの生まれなので、わかります。
雪って、人を殺しますよ」
「…おう」
「俺は死にませんでしたけど」
シルヴァンは物騒な言葉をこぼすと、顔を上げる。そこには、いつもと変わりない乾いた眼があった。
なんだよ、泣いてねえじゃん。マイクランに弟などいた記憶はないが、ここで泣けないシルヴァンには、弟の才はきっとないだろうと、身勝手にも思った。おそらく、こいつの兄貴というのも、ろくでもない人物だったのだろう。何といっても、弟が弟らしくないのは兄の責任である。…マイクランには兄弟は一切いたことがないけれど、やたらと頼りの少ない後輩は見てきているから、なんとなくそう思う。兄に、他者に、頼り慣れてない奴の行動なのだ、これは。
相手に迎えられることを心の底から信じられず、対価を与えて何とか光を持たせようとする、涙ぐましい努力の結実なのである。
差し出されたシャベルを受け取る。シルヴァンは、そば近くに置いていたリュックサックを手に取ると、帰り支度を始めている。しかたねえなあ。俺も、こいつも、まったくもって仕方がない。ただ、外は寒いし、寒いと辛い。マイクランは南の生まれだからかもしれないが、寒いのがとにかく嫌いだし、雪は人を殺すらしいし。
だから、仕方がない。
「…上がってけよ」
「…はい?」
「雪かきの礼」
「いいんですか?」
「こういうのは、ちゃんとしねえと気が済まねえ。」
「でも」
「と…いや、…」
「と?」
シルヴァンは、眉を下げたままだ。実家にいる犬も、マイクランが上京すると言うと、同じような顔をしていた。
まったく。大きくため息をつくと、もう動かぬ自分の決意に辟易した。俺も損な性分してるよな。自嘲したって言葉と行動と、心にひらめく甘い光は帰っては来ないのだ。
眼を背けて、唇を開いた。
「雪かき屋なら、知り合いになってやってもいい。」
「えっ、…あのー、ごめんなさい。えっと、どういうことですか?」
「雪が降ったら来い。雪かきしろ。相応の礼はやる。」
マイクランにできる譲歩とは、これだった。こいつの言う通り、兄になんてなれない。血は覆せない。兄が兄でなくなることはないように、兄でもなんでもない人間が急に兄になるということもない。それに、マイクランの心情として、シルヴァンと家族になるなんてまっぴらごめんだった。
それでも、繋がりをはなさないことは、できる。ただそれだけの話だ。
「…てめえの兄になんてなるかよ。
…ただ、その雪かきの腕に免じて、知り合い程度ならなってやる。これでだめっつうんなら、交渉は御破算だ。」
シルヴァンは、形のいいまなこを大きく見開いている。その目は、へんに煌めいている。…喜ばれている、のだろう。平素から甘い声色が、発音の柔らかなさまも相まって、より甘ったるく聞こえる。
「おれ、ゴーティエに、生まれてよかった、って…こんなに思えたの初めてかもしれないです。
あの地獄の雪かきの日々も、無駄じゃあなかったって、ことですね!」
はたして、シルヴァンの笑みは今まで見たことのないくらい微笑ましいものだった。本人は軽薄な笑みを目指しているようだが、どうにも歓喜がにじみ出ている。
…男の花開くような表情を見てもなァ。マイクランは早々に、自分の発言を後悔し始めていた…、ここまで喜ぶとは、予想していなかったのだ。
「兄貴なんざなれねえからな、言っとくけど」
「…わかってます。それは、そうだと思います。
でも、これからも来ていいんですよね。」
じいっとみられる視線に、もしや自分は間違えたのではないか? と一抹の不安がよぎる。念押しする気持ちで、マイクランはもう一度宣言する。
「知り合いだぞ、知り合い!」
「わかってます。知り合いですよね。」
それ、ゴーティエでは友達っていうんです。…先輩って、わりあい面倒見いいですよねえ。気を付けた方がいいですよ。
マイクランと同じ髪色同じ目の色似た形のくちびるから放たれるやたら図々しい言葉に、マイクランは己の軽率さを呪った。
*
そういえば。マイクランはサバの缶詰を開きながら思った。横では、シルヴァンが持参したパスタをゆでている。そういえば、無視してはいけない問題が一つ残っているじゃないか。
「そういえばお前、なんで俺ン家知ってたんだよ」
聞けば、シルヴァンは少し不安げな顔をしてから、言った。
「あっ、あー…あの、事務に連絡して教えてもらいました」
「…そんなことできるのかよ」
「いや、えっと…色々事情を説明しまして」
「…」
「…えへ」
「…」
「…」
「やっぱムリ、こえーわお前、今すぐ帰れ」
「え! ちょっと先輩! そりゃないですよお! 俺、雪が降るたびここ来ようと思ってたのに! ちょっとー!」
…やはり雪なんて嫌いだ。一生降るな。雪深きゴーティエなんざ一生行かない。そう思うマイクランの声は、はたして音にならずにかききえた。外では粉雪がちらつき始めていた…。