耳を劈くような咆哮を上げ、竜は、地面に伏した男を長い体で覆い、守りつつ迫り来る軍勢を威嚇する。
最前列で盾を構える兵士達は、地を震わすその咆哮に一歩が踏み出せずにいた。
なあ、俺はただの兵士だ。
国に命令されて動いているだけのさ。
今まで、どんなつらい命令だって生きるためこなしてきた。
だが、お前は、お前だけは、どうしても傷つけることなんて出来ないみたいだ。
そういって彼は優しく微笑んで、己の体より大きい頭を慈しむように撫でる。
そして、足元にあるいま外したばかりの己の相棒を苦しめていた枷を勢いよく蹴飛ばした。
逃げろ、ソーニャ
お前がこんなことされる謂れはねえんだ
愚かな…
誰がこのようなことを許可したというのです?
それは…陛下の…いや…直接は聞いておりませんが大大臣の…
止めるよう指示してください、そして彼らの保護を。
このようなことをしても何の得にもなりません。
しかし…それは…陛下のご意思を…
黙れ!
皆、手に持つその武器を離せ!
今すぐにだ!
それは、この広い平原すべてに響き渡るような怒声だった。
普段温厚である彼の激昴した凄まじい形相に、兵士達に慄いたようなどよめきが起こる。
足元には彼がいつも身につけていたモノクルが叩きつけられ粉々に砕けていた。
彼は大股で使いの者を通り越し、困惑している甲冑の群れを掻き分け対している一人と一匹へと向かってゆく。
その背を見つめながら、兵士達は一人、また一人と兜を外し、弓や、槍といった武器を地面へ置いていった。
…ソーニャ、すみません。彼の治療を行いたいのです。
あなたの治療も行いたい。よろしいですか?
我々はもう攻撃をしません。約束をします。もう、大丈夫です。
先程の表情とは打って変わり、怒り猛る傷だらけの竜にあくまでも優しく彼は諭す。
竜は、彼の姿を認めると大人しく自分の腹を退かし、彼を迎い入れた。
竜の鱗に囲まれ、血と土に塗れた男が倒れている。
男の身に纏っている衣は、血か汗かわからないほどに濡れ、その体躯にはりついていた。
彼は一瞬息を呑んだが、すぐさま男の傍へ駆け寄り息があることを確認すると素早く怪我の箇所を見ていく。
主だったものはすべて矢の傷であったが、どうやら致命的な部位に傷を負ってはいないようだ。
さすがは、歴戦の勇士だ。どのような状況であったのか分からないが、致命傷は避けたのであろう。
彼は、今出来うる限りの治療を行いながら安堵のため息を一先ずついた。