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    月が綺麗ですねと彼が言い、私は太陽が好きですと答えました その夜、ベンチで喫煙中の病理医の元へ、外部の弁護士が押し掛けた。
     断りもなく隣に座る男に、岸は悪いと評判の目付きを、さらに悪くして向ける。

    「湧くな部外者」
    「細木と打合せですー。5分休憩したら行くから休ませろい」
    「打合せ? 世間話だろう」
    「そういうのが仕事に繋がるんだよ。せんせーは本当に営業や接待と縁がねえのな。つっても、俺も得意じゃなかったけど」

     接待ゴルフは、上司やお偉いさんへのごま擦りがメイン。彼らを気持ちよく勝たせる為だけに、腕を磨く。千石にはそれが苦痛だった。
     彼らの意見は絶対で、中には羞明(光を眩しく感じる、痛みを伴う症状)のある千石に対し、サングラスが生意気だと言い放った者もいた。
     
    「……ゴルフ場は日陰が少ないからね」
     
     精神的にも肉体的にも向かないと、岸が言葉を付け足す。
     そのさり気ない理解が、千石には嬉しかった。だから何気なく、言ってしまったのだ。
     
    「月が綺麗ですね」
     
     実際、空には美しい満月があった。
     暫く沈黙があった後、岸は、僕は太陽が好きだと答えた。
     
     ―――――――――
     
    「最近、千石さん来ませんね。どうしたのかな」
     
     と、昼を前にぽつりと洩らしたのは、技師の森井だ。岸は、仕事じゃない? と興味なさげに答えた。
     
    「さすがに毎日来てたら暇すぎでしょ」
    「昼飯どうします?」
    「食堂行くかな」
    「そうですね」
     
     ここ暫くは、外に誘ったり買って来てくれたりと、弁護士が何かと顔を見せていた。
     
    「あと5分待ちますか?」
    「何で? 必要ないでしょ」
     
     そう言いながら、この部屋の主は立ち上がろうとしない。
     宮崎は学会にお出かけ中。だから気兼ねなく話せる。切り出そうと、森井は決めた。
     
    「喧嘩でもしたんですか?」
     
     聞くと、岸の手の動きが鈍った。
     
    「喧嘩? あの悪徳弁護士と? 友人だっけ?」
    「それ以上では? どうせあなたの失言でしょ。何言って怒らせました?」
    「月が綺麗ですね」
    「はぁ?!」
    「そう言われて」
    「言われたんかい。で?」
    「太陽の方が好きだと」
     
     うわっちゃー、と森井が天を仰いだ。遠回しながらも有名な愛の告白に対して、この男は辛辣な返事をしたようだ。
     ここまで冷血漢だったか? という疑問が湧く。
     
    「待ってください。意味はご存じ?」
    「含みは知ってる」
    「知っててその返し? え、嫌ってました?」
    「嫌いじゃないけど付き合う気はないよ」
     
     驚いていると、噂の弁護士と同級生である、細木がひょっこりと顔を覗かせた。
     
    「どもー。千石来てない?」
    「ない」
    「機嫌悪いね。森井君こいつどうした?」
    「痴話喧嘩みたいです。千石さんに月が綺麗と言われたそうですよ」
     
     途端に、細木の表情が変わった。獲物を見つけた猫のように、目を輝かせている。
     
    「うっわ、あいつそんな言い方したの? 太陽がダメな人間だから? 誤解されるように? 違いますよそんな意味じゃないですよ、て? チキンだな。逃げか。振られる前提か」
    「太陽がダメ……あれ、地毛ですか?」
    「そうよ。昔は大人しい髪型で、ピカピカの優等生だったから、悪目立ちはしてなかった。それが。あそこまで。出来上がるとは。プークスクスww で? 何て振ったの?」
    「……太陽の方が好き」
    「ぶっひゃっひゃっひゃっ! 鬼かよ! 日中グラサンなしで出歩けない人間に言っていい台詞じゃねえ。この人でなし」
    「希望を持たせる方が悪いでしょ」
    「裏の裏まで読む弁護士相手に、言葉少なは悪手よー。住む世界が違う、二度と来るな気持ち悪い、とまで受け取ったかもねー」
    「そこまでは……」
    「いやー、フルボッコ。全否定。泣きっ面に蜂すぎ。慰めてやりたいけどあいつネコだからなー。それに、今は無理させられないかー。怪我人だし」
     
     仕事の手を完全に止め、病理医は顔を上げた。
     
    「怪我? どういうこと?」
    「ネコに驚かないの? 興味ない? 興味ないのに聞くの? やだ楽しくなってきた。にやにやしちゃう」
    「何があったか聞いてんだ」
    「ウヒヒ怖っ。怪我は刃物による、ひーだり前腕の切創」
    「通り魔?」
    「誰があんなゴリラ襲うかよ。厄介な案件に巻き込まれたんだって」
     
     ストーカー被害の弁護。犯人との交渉役。しかしその犯人、前にも弁護士を怪我させており、どこも依頼を受けてくれなかった。結婚を控えた依頼人は、交渉役よりも身代わりが欲しかったのだろう。
     と、無関係の細木が説明する。
     
    「ベラベラ喋って、守秘義務は?」
    「契約違反どころじゃないもん。つか契約結べてないんじゃない?」
     
     ここでばら撒いたチラシ。病院で拾った依頼人が、断りもなく利用した。既に依頼したと嘘を。
     
    「あんたの写真もあったでしょ。だからあいつ、矢面に立ったんだよ」
     
     チラシに載せた姿そのもので、出向いた。
     
    「で、その打合せに向かう道中で、いきなりさっくり。待ち合わせしてた依頼人を帰して、警察対応して、タクシーで病院へ。ハンカチで止血しただけだった」
    「救急車呼んでいいでしょ」
    「歩けるからって断ったそう。見た目頑丈だし? 警察も上手く誘導したんじゃない? 幸いな事に神経と血管は無事だった。でも真皮まで達していて縫合。抜糸は来週かな。毎日消毒に来いっつったのにあの野郎。今日やっと来たよ。まあ振られた直後なら来るの辛いか」
    「いつの話?」
    「3日前。そういえば前日、月が綺麗だったね」
     
     細木が満面の笑顔を広げた。機嫌がどんどん急降下していく、同期の反応が楽しいらしい。
     
    「普段くだらないお喋りに来るくせに、そういう事は言わないのか?」
    「こっ酷く振った割には心配かよ。つか、嫌いな人間気にかけるなんて、そんな優しかった?」
    「嫌いなんて言ってない」
    「ふーん。不思議なのよね。あんたがわざわざ太陽を持ち出すなんて。回りくどくない? なーんで?」
    「別にいいでしょ」
    「交換条件よ。代わりにこれあげる。中華店のサービス券」
     
     ぱちり、とひとつ瞬いて、病理医は理由を口にする。
     
    「日の光の方が、顔を見やすいんだよ」
     
     陽の光に透ける金に近い明るい髪と、サングラスの奥から覗く甘やかな色の瞳。綺麗だなと思った。
     
     だから太陽の方が好きだ。

     ―――――――――

     千石は、ため息を吐いた。
     ここ数日忙しかった。被害届を出したり、住所がバレぬようビジネスホテルに移動したり、犯人確保を受けて警察に赴いたり。
     
     やっと時間と安全が取れて、病院へ行った。今はその帰りだ。
     
     捕まった犯人は、余罪もあって当分出て来ないだろう。依頼人も安心して、さっさと引っ越すそうだ。契約する前だったが、慰謝料なのか、ふた月程度の金額を包んでくれた。
     割の良い仕事だったと考えよう。時給にしたらどうだ。大手時代より多い。代わりに気力と体力がごっそり減ったが。
     痛みと気が張っていたからか、ホテルではあまり眠れなかった。薬は抗生物質以外、飲んでいない。
     
     睡眠不足を笑うように、頭上はいい天気だ。真っ青な空が抜けている。
     色の濃いサングラスがないと、目を開けていられない千石には、あまり縁のある景色ではなかった。人と違う空にも、慣れたと思っていた。
     
     太陽が好き。
     
     セリフがリフレインした。住む世界が違うと言われた気がした。あそこまできっぱりと振られたら、諦めも付く。もうしばらく時間が必要だが。
     そろそろ何か食べないと。
     そう思うのだが、足が進まない。食べたい物が決まる前に、混み合う時間になってしまった。
     細木に貰ったサービス券の中華にでも行こうか。気持ちを切り替えたが、直後に、そうか太陽が好きか、と思考が振り出しに戻った。
     
     サングラスを取る。腕に引き攣るような痛みが走ったが、千石は気にも留めなかった。
     太陽に嫉妬心が湧きそうだった。天動説ならまだ許せただろうか。自分を中心に回ってくれれば。
     空を見上げた。
     痛みに眉を顰める。それでも頑張って、世界を見ようとした。せめて、あの病理医が好きだと言った、同じものが見たかった。
     
    「…痛ってえ…な……クソ」
     
     激痛に、前屈みになった。膝に手を付いて耐える。腕を切られた時より痛い。心のダメージかも知れない。視界がぼやけた。
     千石は内心で、馬鹿かな、と零した。ここで蹲っていても仕方がない。
     よっと勢いを付けて、立ち上がろうとした。しかし寝不足もあって、目の前が大きく揺れる。一旦全ての動きをストップした。
     うー……と唸りながら、ガラ悪くしゃがみ込む。
     
    「立てない?」
     
     俺か。声かけられてるの。
     
    「大丈夫大丈夫。立ち眩み。少し休めば平気」
    「そ、ならウチ来て休んだらいいよ」

     え?
     
    「タクシー捕まりましたよ」
    「……あれ? 森井君?」
    「無理して目を開けなくていい」
    「せんせ?」
     
     一瞬だけ合った目を、岸はすぐさま細めた。千石にはそう見えた。こうなると本気で目付きが悪い。
     睨む仕草に感じて、本格的に嫌われたかなと。勝手な判断だと分かっていても、千石の心が軋んだ。無意識に目元を拭う。
     
    「どうして外した?」
     
     と、握り締めたままのサングラスを見遣り、岸が言った。軽く、千石が舌を打つ。
     
    「……そんな気分? せんせーだってあるだろ。空を見たい時が」
    「写真でいい」
    「情緒ねえな」
    「とりあえず移動するよ」
     
     岸が腕を取った。タクシーまで誘導しようとしたのだ。サングラスも掛け直そうと。だがその前に――
     
    「っ……!」
     
     千石が息を詰めた。細木が話した左腕ではなく、右腕を掴んだ。にも関わらず、痛みに耐えるよう身をすくめている。
     岸が力を抜き、触診するよう指先を動かした。スーツ越しにある、包帯の感触。
     
    「怪我、右腕?」
    「……細木に? ああ、まあ、ちょっとミスった」
    「そう(細木め)」
     
     細木にしてみれば、振った岸が面白くないのだ。だから、うっかり中華屋で鉢合わせして怪我した腕に触れてイタタわあごめん病院へ行こう、になればいいと思った。キッカケになればと。
     岸も同期だが、今回は千石の肩を持った。一歩踏み出した、勇気を讃えて。
     あとは単純に、くっ付いた方が面白いからだ。
     
    「歩ける? この問答が面倒だな、救急車呼ぶか」
    「立ち眩みだっ。そんな気軽に呼ぶなよ医療従事者」
    「……襲われた時ぐらい呼べば良いだろ」
     
     岸の手が、サングラスを千石の顔の定位置に戻した。
     それから腕を取らず、背を支えて、タクシーの車内へと誘導する。一連の動作は、口調からは考えられぬほど、優しかった。

     そうして降りた場所は、岸の職場だった。
     仮眠用ソファーへ導かれた場違いの弁護士に、岸は断りもせず、オーダースーツの上着を脱がし、ベストとネクタイを外し、シャツを寛げた。
     
    「ちょっとだけ見せて」
     
     そう言われたから、千石は袖のボタンを外した。  
     岸は包帯を解き、傷を確認してから丁寧に巻き直した。細木が口出ししたのか、細い糸で細かく縫合されている。これなら痕も残りにくいだろう。掴んだ影響も無かった。
     
    「次はこっち。真っ直ぐ前見て」
     
     サングラスを上にずらした。予想外だったのか、千石が目を丸くする。酷く無防備な表情だった。
     見詰めながら、岸は千石の手首に指先を添えた。念のため、脈を確認する。

    「冷やします?」
    「うん。仰向けで横になって。これ目に当てて」
     
     気の利く技師が持って来た、濡れたタオルを添えて、岸は千石をソファーに横たえた。180cmを超える成人男性。ソファーではだいぶ脚が出てしまう。
     床よりはマシだろうと気にせず、高いスーツのジャケットは、少し迷ってソファーの背凭れに掛けた。サングラスはそのポケットに。

    「良いと言うまで、そのまま。動くな」
     
     理不尽な命令をされた千石は、状況を飲み込もうと頭を働かせる。
     どうしてこうなった? 何が裏で動いている?
     そうして細木が自分以外にも、サービス券を配ったと思い至った。
     
    「せんせー方はお昼食べに? ありがとう。助かりました。食べ損ねたんじゃね?」
    「食べ終わった後だよ。そっちは?」
    「……適当に」
    「まだか。金欠? スーツ買った?」
    「買ってねえよ。修繕に出しただけです」
     
     岸は椅子に戻り、仕事を始める。何となく、会話はそのまま。
     
    「貧乏弁護士なんだから、ローンで買うほど見栄張らなくても良いんじゃない?」
    「見栄も大事。俺は特に……」
    「目立ちたいの?」
    「…どうしても目立つ。サングラスとのバランス…もあって……。それに、あんたには……なんの価値もないだろうが、俺にとっちゃ戦闘服と…一緒で……」
    「白衣はそんな意味じゃないよ」
    「無くても……戦える…せんせーがすごい…」
     
     あのスーツだから、今も……バッジを着けていられるんだ。
     そんな言葉が、途切れ途切れに聞こえた。
     
     切れたお湯を沸かしていた森井が、非常食片手にソファーの部屋へと足を運ぶ。
     
    「カップ麺で良かったら作ります? 千石さん?」
    「……電池切れたみたい」
     
     口調が怪しいと思っていれば、そのまま眠ったようだ。
     立ち上がった岸は、ソファーの前で屈んで、目元のタオルを外す。温くなっていたので、森井に手渡すと、再び冷やしてくれた。
     瞼をそっと撫でてから、自分の机に戻った。
     
    「眼科には?」
     
     技師の問い掛けに、岸は顕微鏡から目を離さずに答える。
     
    「寝不足と貧血。目は大丈夫。炎症は起こしてない」
    「犯人は捕まったんですかね」
    「たぶんね」
     
     でなければ、病院に赴かない。万が一を考えて。そんな男だ。
     
    「怒ってますね。付き合った方がいいですよ。隠されたくないなら」
    「森井君、そんなお節介だっけ? お互い仕事ばかりだから、結果は目に見えているよ」
     
     それぞれの仕事の音が重なる。カチャリとガラスが擦れる音、ペンを走らせる音。イレギュラーな会話を続けようとも、2人の速度は落ちない。
     
    「守るって心情の強い人だ。契約切った僕まで……。でも、じゃあこの人は誰が守る? いつも側に居られる人間の方がいい」
    「そう思うの、あなたぐらいです」
    「え――」
    「普通は自分よりガタイのいい人に対して、守りたいなんて思考、出て来ませんよ」
    「冗談か?」
    「俺に怒らんで下さい。一般論です」
    「どんなに強くても怪我をするし、病気にもなる。先天性の遺伝疾患なんて……本人にはどうしようもない」
    「あなたみたいな理解者なら、良いんじゃないですか?」
    「どうだか」
    「科長……あんたさっき、救急車が来ていたら何て言って乗るつもりでした? 通りすがりの病理医?」
     
     今は、本人に隠されたらどうしようもない。そんな間柄で。
     
    「……経験者は語る? きみ、もしかしてプロポーズしようとしてた?」
    「張っ倒すぞ!」
     
     よほど安心出来たのか、大声にも千石が起きる気配は無かった。スゥスゥという穏やかな寝息が、夜まで途切れず続いた。
     
     ―――――――――

    「長々とすみません。おたくの上司にお礼言っておいてください」
     
     起きた千石は、時計を二度見し、頭を抱えた。取り急ぎ、目の前の森井に深々とその頭を下げる。
     
    「煙草休憩です。ご自分でどうぞ」
    「……ちょっと気まずいのでお願いしたいのですが」
    「諸々聞いてます。ご自分で、どうぞ」
     
     森井の笑顔が怖い。黙って逃げよう。
     そう決めた千石より先に、察知した森井が襟首を掴んだ。そのまま、ベンチへと向かう。
     
    「言った分、あんたの方が勇気ある。もうひと押しだ頑張れ。俺は早く帰りたい」
    「いやムリムリ難攻不落だろあれ」
    「照れるな」
    「違うわ。キツいんだよ。2回振られるとか心死ぬわ。森井君、押したら行けると思ってんだろ。そんなんじゃすぐ振られるぜ。それに上司が男となんて、君も嫌だろ?」
    「すでに振られてんだよテメェら揃いも揃って古傷エグりやがってそれにあそこまで極悪な上司に同性愛が加わった所で今更どってことねえわむしろプラスだ」
    「ノンブレスすげーな。つか君、筋力も凄くねえ? 俺引き摺るとかかなり鍛えてる?」
    「仕事で身に付いたんです」
    「残業で? よし上司訴えようか!」
    「その前に自分達の問題話し合えやクソ野郎共!」
     
     千石をポイ捨てし、森井は仕事を片付けに行った。
     ベンチで煙草を咥える岸が、ちょいちょいと手招きする。
     千石は少し距離を空けて座った。せめてもの抵抗として、足は行儀悪く開いている。
     
    「森井君怖いね……」
    「うん。誰に似たのかな」
     
     上司を見習った結果か、生来の性格か、悩む所だ。
     
    「月、好きなの?」
     
     どう無かった事にしようかと、脳内でトライアンドエラーを繰り返していた千石に、岸が率直に問いかけた。
     
    「俺の脳内努力を……いきなりそれ持ち出すか? いや俺が悪いか。うん。ご迷惑をお掛けしました。弁明していい? 俺さ、体質的に太陽が辛いの」
    「うん」
    「そのせいか妙に月が綺麗に見えて……あの有名な言い回しは分かっていたけど、つい言った。一緒に見たかった。それだけだから。付き合うとか、望んでない。忙しい先生に負担かけるつもりないし。……たまに、営業で顔出すだけにするから、その、嫌悪感を出さないで貰えると、助かる」
     
     ここに細木が居たら『誰が?』と本気で首を傾げ、森井が居たら『ゲイ如きで? あの人にそんな細い神経ありませんよ』と一刀両断しただろう。残念ながらツッコミ不在だ。
     
    「何のこと?」
    「目が合った時……」
     
     怯えにも取れたと。それでも支えてくれて、ありがとうと千石が続ける。
     岸は反論しようとした。が、止めた。あの時、一瞬戸惑ったのは確かだ。
     だがそれは、千石が泣いていたからだ。
     目が痛かったのはわかる。でも、あれは別の痛みに泣いていたように見えた。
     加えて、立てずに蹲っていたのに、誰も手を差し伸べようとしなかった。声すらかけられずに。
     せめて、具合が悪いと言えばいいのに。助けを求めず、独りで泣いている事に、岸は憤りすら感じた。
     
    「怪我……教えてくれても良かったのに」
    「悪い。注意喚起はするべきだった。標的さえいれば他に目が行かないタイプだったから。近付かない方がいいと思った。でもお医者様の、それこそ目や手に何かあったら取り返しがつかねえな。悪かったよ」
     
     手を怪我して、目を痛めた男が言う。岸が聞きたいのはそういう意味ではなくて。
     
    「逆恨みを買い易い職業だし、事務所がねえと露骨でね。俺は慣れてるけど、迷惑ならもうここにも……」
    「森井君は正しいね」
    「へ?」
     
     恋人なら、教えてとねだる事も、隠すなと文句を言う事も出来る。
     
    「もうすぐ終わるから待っててくれたら夕食奢るよ」
    「いやいい。早く終わるなら帰って休んでくれ」
    「眠い?」
    「俺? ゆっくり休ませて貰ったから大丈夫」
     
     煙草を消して、岸が千石の方を見ていた。心配げな目線に、患者に向けているのだな、と千石は思う。
     
    「ほんと、良い先生だよな。勘違いしそうになるから、やめてくれ」
    「勘違いすれば良いよ」
    「え?」
    「太陽が好きだと言ったのは、嘘じゃない」
    「……うん」
    「でもそれは、嫌いという意味じゃなくて、明るい所で見る君が好きだったからだ。色素薄いから、月明かりだと顔色悪く見える。心配させないでくれ」
    「待て、混乱してきた」
     
     岸が上を指差す。
     
    「もう一回言ってみようか」
    「これで否定されたら、さすがに泣くぞ」
    「昼間往来で泣いてたじゃん」
    「痛かったんだよ(主に心が)」
    「泣くほど……傷付けるつもりは無かったんだ」
    「待てって。心の準備出来てねえ」
    「今度はちゃんと、返事をする。だから言って」
     
    「月が……綺麗ですね」
     
    「私は太陽が好きです」
    「っ……あんたマジで…」
    「でもあなたと見る月は綺麗だと思います。それから、あなたがもし太陽に焼かれるのなら、私の影に入るといいでしょう。あなた1人分の日陰ぐらい、私でも作れます。これでどう?」
     
    「……満点だよチクショウ」
    「え、号泣とか引く」
    「嘘だろ。なんでこんな極悪人好きになったかな」

     肩を抱いて慰めたりはしない。けれど、悔しげに言う千石の涙が止まるまで、岸はベンチを離れなかった。
     
     ―――――――――

    「こんちは」
    「千石さん、1週間ぶりですね」
     
     病理科を訪れた千石に、宮崎が挨拶した。訪問を喜んでくれた小さな先生に、千石は紙袋を手渡す。
     
    「出張でね。はいこれお土産」
    「わあ、ありがとうございます。お茶淹れますね」
    「京都だっけ?」
    「おう」

     八つ橋の入った袋。森井が岸を見る。ちゃんと知ってたのかと、口には出さずに安堵する。
     
    「そっちの先生には、ご当地カップ麺でいいだろ」
     
     雑なビニール袋に入ったそれを、空いたスペースに。傍を通りかかった森井には、自転車用ストラップの、交通安全の御守り。
     
    「夜は仕事?」
     
     と、顕微鏡から目を離さずに、岸が言った。
     
    「これから報告。8時には終わる」
    「なら中華でも食べに行く?」
    「蕎麦の方が好きじゃなかったか?」
    「醤油ラーメンも嫌いじゃないよ。蕎麦は買ってきてくれたし」
    「あ、うん……じゃあ、夜に」
     
     心なしか顔が赤い。食事に行ける事と、優先してくれた事。サングラス越しでも、嬉しいという表情が目に見えた。
     仕事では欺瞞偽証を平気ででっち上げそうな顔をしているのに、プライベートだとこうも鎧が剥がれるのか。戦闘服は必要なのだろう。
     
    「可愛い人ですね」
     
     森井が岸にこっそりと告げた。
     表情に加え土産のカップ麺は、見事に岸の好む蕎麦ばかりが積まれており、せっせと集めたのかと思うといっそ健気だ。
     分かっているのか返事は、あげないよ、というシンプルなもの。
     
    「俺は早く帰れるなら何でもいいです」
    「寂しいね。また傷心した?」
    「デリカシー持てやクソが」
     
     揉める2人を気にせず、宮崎と千石は八つ橋を選んでいた。限定の味がおすすめだと言って。
    lev Link Message Mute
    May 24, 2022 3:03:07 PM

    月が綺麗ですねと彼が言い、私は太陽が好きですと答えました

    人気作品アーカイブ入り (May 25, 2022)

    フラジャイルの病理医(岸先生)とサングラス弁護士(千石)のお話。付き合うまで。

    空を見上げた。
    痛みに眉を顰める。それでも頑張って、世界を見ようとした。せめて、あの病理医が好きだと言った、同じものが見たかった。

    #岸千

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    • その温もりを食べるフラジャイルの病理医(岸先生)とサングラス弁護士(千石)のお話。焼肉。後の描写あり。

      「きみは食べ応えありそうだ」
       
       ほどよく脂が乗っていて、柔らかくて、でもちゃんと弾力もあって。

      #岸千
      lev
    • ラストノートが消えてからフラジャイルの病理医(岸先生)とサングラス弁護士(千石)のお話。lev
    • 昼はナポリタン夜は蕎麦ふらジャイルの病理医(きし先生)とサングラス弁護士(せんごく)のお話。おうちご飯。lev
    • ストレイシープはどこへ行ったかフラジャイルの病理医(岸先生)とサングラス弁護士(千石)のお話。林さん視点。

      副流煙(他所様から流れてきた素晴らしい幻覚)『採寸してスーツ作ってくれるだけなんだけど世間話上手でとても心配している林さん』が元ネタです。
      #岸千
      lev
    • 杖と眼帯 後編クリード×ビリー。
      テラー×ビリーです。
      lev
    • 八年前15 ピザトースト説明。
      神コロ後、能力の弊害や裏切りの件で
      色々と限界に達したビリーさん療養中です。
      ご飯しか作ってない。
      クリードさんとファンさんと同居中。
      lev
    • 杖と眼帯 前編webイベント開催おめでとうございます。
      クリード×ビリー。
      テラー×ビリーです。
      lev
    • 八年前14 ステーキ久々なので説明。
      神コロ後、能力の弊害や裏切りの件で
      色々と限界に達したビリーさんです。
      今はクリードさんとファンさんと同居中。
      今回はステーキを食べに行くようです。
      lev
    • 森のクーさんクマのクリードさんとビリーさん。
      ハロウィンも近いので可愛い感じに。
      もくりの拘束も少しだけお借りしました。
      lev
    • ドッグファイトビリーさんがクリードさんとテラーさんとタチアナちゃんから全力で逃げて最終的に捕まるという、素敵なリクエストから生まれたお話です。
      ありがとうございました。楽しく書けました。楽しすぎて長くなり逆に申し訳ないです。
      lev
    • 死神の顔不死の能力確認中のクリードから、テラーに連絡が入って、というお話。
       ※妄想満載です。
        今週のネタバレを含みます。
        ビリーの目は要視力能力の発動時に一緒に借りています。
        なので通常は見えない設定です。
      lev
    • 王と黒豹 其の三 ―汽車と船―電車で旅に出たかった。
      海に行きたかった。
      サメを釣りたかったけどこれはどの道無理だ。
      lev
    • 王と黒豹 其のニ ―四季・春―もふもふしたかった。花見に行きたかった。
      そしてリヴリのうちの子可愛い。
      などを詰め込んだ。
      lev
    • 王と黒豹 其の一 ―櫻の国―旅行に行きたい欲求と、毛玉をもふもふしたい欲求と、ファンさんとビリーさんもっと仲良くして欲しかった欲求をぶつけてみました。
      続きます。
      lev
    • お題、三題噺
      『天国』と『糸』と『恐怖の物語』で
      『時代小説』

      火付盗賊改の長官ビリーさんと与力のテラーさん。クリードさんとは匂わせ程度。
      lev
    • ビリーさんのくびれビリーさんの腰のくびれをネタに、クリードさんとイチャイチャしています。
      ファンさんはビリーさんを真っ二つにしようか考え中。
      lev
    • 盾と翼とダイヤモンド今週、72話の内容。
      ネタバレ注意。
      出てこないクリードさんとビリー様。
      lev
    • untouch & unbelieve…?ビリー様贔屓によるループもの。
      手持ちがあったので。
      アン風とビリタチ。
      lev
    • 八年前13 カルーア・ミルククリードさんとビリーさん。
      この後は暫く更新をお休みします。
      lev
    • アイ・ロボット 技師の良心ロボット技師のビリーさんと、協会のアンダーの話。
      タチアナちゃん視点ではありません。
      lev
    • 裏の顔ムイちゃんと、ビリーさん。
      ユニオン時代。
      戻ってきたシリーズ。
      書いた頃はビリーさんが裏切るなんて思ってもいなかった。
      lev
    • アイ・ロボットビリーさんとロボットのタチアナちゃん。
      続けたいが本誌次第です。
      lev
    • 八年前12 チキンブリトークリードさんとビリーさん。
      今回はビリーさんがほとんど作りました。
      おじさん頑張った。
      あとファンさんはわりと激辛好き。
      lev
    • 鬼平パロディ2 クリード×ビリー火消しのクリードさんと長官のビリーさん。
      其のニ。
      鬼平様パロディ。四季。
      夏、秋、冬、冬、春。
      lev
    • 鬼平パロディ クリード×ビリー火消しのクリードさんと長官のビリーさん。
      バッテンです。
      鬼平様パロディ。
      lev
    • 八年前11 フライドライスクリードさんとビリーさんと、
      今回はファンさん。
      ファンさん生き残ってほしい。
      lev
    • クリードさんのレシピクリードさんとビリーさん。
      バッテンを抜いて一纏めにしてみました。
      lev
    • 八年前⑩ チキンスープクリードさんとビリーさん。
      直接的な描写はありませんが、前後があります。
      lev
    • 八年前⑨ ディナークリードさんとビリーさん。
      ラトラさんが薪をくべています。前半部分は記憶を頼りに書き直しました。
      lev
    • 個人用メモテラーさんとビリーさんの傭兵時代の設定。
      箇条書き。
      個人用メモ。
      lev
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