FUTARI GATARI
最近流行りの音楽をランキング形式で発表していく深夜番組を目的もなくテレビに映しながら、ロナルドは隣に腰掛けようとしている恋人を横目で見た。ロナルドが持っている服の中でも一番地味な黒の無地のTシャツに、同じく地味なグレーのハーフパンツを身につけた姿は最近見せてくれるようになったものだ。今日はこれでいっか、とぐだっとしたゆるい格好でリビングをうろうろされると、気を許されてることを実感して嬉しい。
こつんと隣り合った膝がぶつかった。薄い皮膚越しの骨の感触に、それだけでロナルドは「あ、良い夜だな」と思ってしまう。
「ジョン寝ちゃった」
「あー、昼にフットサル行ってたからな」
ソファの背もたれからジョン専用の籠ベッドを振り返れば愛らしい布団のふくらみが規則正しく上下していた。寝顔を覗きに行きたい気持ちを堪え、小声で「おやすみジョン」と呼びかけるだけに留める。
「久しぶりに晴れて暑かったからね。疲れたのかな」
確かに梅雨明けも近くなって気温も高くなってきた。暑いというだけで体力は削られるのだから疲れてしまうのも無理はないだろう。
そろそろ扇風機でも出すべきだろうか。風呂上がりのアイスだけでは汗が引かなくなってきた。使用頻度は抑えるにしてもエアコンの試運転もしなければ。
近付いてくる夏の気配に憂鬱になりそうな思考を「暑さを忘れてアツくなれ! 夏ソング特集!」という若い女性アナウンサーの声がかき消す。液晶の向こうでは若者に人気のバンドがひと夏の恋をテーマにした切ないながらも疾走感のあるロックチューンを歌い上げている。
「夏とか冬のラブソングってよく聞くけど、秋のラブソングってあんま聞かない気がする」
「それはきみがラブソングと縁がなかったからでは?」
「殺しました」
「正論言われたからってムキになるな!」
ぷんすこしながら塵から再生するドラルクを無視してテレビに視線を戻す。確かに今まで恋の歌を聞いたところであまりピンと来なかったけれど、今は違う。誰かを好きになることの苦しさや楽しさは十分知っているつもりだ。
「――あ、ほら。ここの歌詞とか俺らっぽいじゃん」
バンドが演奏している映像の下に表示されている歌詞テロップには一生に一度の恋だ、君だけを愛している、といった情熱的な文字列が並んでいる。まさに暑い夏にぴったりだ。ロナルドは陽にきらめく海のような瞳でドラルクを見る。となりにぴとりと寄り添うドラルクは。ロナルドの一生に一度の恋は。
すげえ目でロナルドを見ていた。
「ウワァ……」
「あんま恋人にウワとか言わない方がいいぞ。傷付くから」
なんで!? お前にとって俺って一生に一度の恋じゃねえの!? とか喚き散らしたいところだが、ここで騒ぐとこの「若ェな……」って目が「ッるせ……」って目に変わってしまうのが想像できるのでロナルドはそッと苦言を呈すだけに留めた。
「いや童貞みたいなこと言ってンなって」
「黙れ〜。追い打ちかけんなや」
「もう童貞じゃないのに」
「ぴ」
まぁ。そうなんだけど。そうなのだけれど改めて童貞をもらってくれた相手に言われると恥ずかしいやら嬉しいやらで困ってしまう。真っ赤になってしまったロナルドを見てふは、と無邪気に笑う姿が脳裏から引っ張り出されたいつぞやの夜の記憶と重なり、それがひどくアンバランスで卒倒しそうになる。恋人がかわいくてえっちで最高。
それはそうと非童貞だって恋人のこと一生に一度の恋って思ったっていいだろうがよ。ロナルドはぷんすこした。
女性アイドルグループが気になる男の子にアピールしたいといった内容の詩を歌っている。良い曲なのだが、いかんせん集中できない。ドラルクが先ほどからつま先でロナルドの足をつついて遊んでいるのだ。
剥き出しの足がロナルドの足の指の間をなぞり、するすると脛やふくらはぎをくすぐる。自分には無いすね毛の感触が楽しいのだろう。わさわさ動かしてはンフと吐息で笑っている。わさわさ。んふ。わさわさわさ。んふふ。ご満悦で何より。だが。
「くすぐってえんだよ!」
「ンワーッ!?」
ロナルドの手の内に収まる足首を掴んで膝の上で抱え込めば簡単にドラルクは体勢を崩してソファに倒れた。驚きと衝撃で砂になるも逃げることなく両足をロナルドの膝に載せたまま再生する。それを再びつかまえて肉のないふくらはぎを指先でくすぐればドラルクは体を捩らせて笑った。
「ばかばか! やめ、ひ、アハ、こら!」
「さっきから変ないたずらしやがって! ちょっとえっちだったし!」
「それはきみの考えすぎ、ふひ、あははっ」
ドラルクの無駄に長い足がばたばたと暴れる。逃がすものかとそれを追えば、ハーフパンツの裾が戯れの拍子でずり上がっているのが視界に入った。ぶかぶかだったそれはドラルクの太腿を簡単にあらわにする。骨ばかりの他の部位より少しだけやわいところを露出しながら、くすぐられて息を上げている恋人。背景はソファの座面。
ンィ……。ロナルドは真顔になった。さっきまで笑いながらじゃれ合っていたのに、急なえっちに情緒が追いつかなった。
「……きみってほんと面白いな!」
「……ッス……アス……」
「怒られた野球部員みたいになっちゃった!」
きゃあきゃあ笑い転げ、しかしドラルクもまた真顔になる。
「……いや別にいいけど」
「え何が?」
「だから、してもいいけど」
「ポゥ!」
「マイケルにならないで」
ディスイズイットしてもいいってことスか。そう言いかけて、マジでファンに怒られそうだな……とロナルドは言葉を飲み込む。そりゃあ出来ることなら毎晩だってその、ホラ、あれをしたい。ロナルドとて若い男だ。それも、頻繁に殺すとはいえかなり恋人を溺愛しているタイプの。だから少しでも求められるそぶりを見せられたら食らいつきたくもなる。
けど。
「きょ……ッうは、しない日じゃん……」
ある程度デスリセットで回復できるが、ドラルクは虚弱だ。体調によってはただでさえ少ない体力すら完全に回復できるわけではない。ロナルドは若いし恋人を溺愛している。だからこそ大事にしたいのだ。いくら普段しょうもない悪戯や煽りをかましてきたとしても。
「やだ……私の男が紳士的……」
「ただちょっと落ち着きたいので少し離れてもらえませんか」
「童貞すぎる。少しってどれくらい?」
「ジョンの歩幅で2歩」
「なるほどね」
ドラルクは完全に理解したので、きっかりジョンの歩幅で2歩分離れて座った。
番組も終盤。知っている曲をドラルクが口ずさむたびに大袈裟に苦しんでるフリをしたりして、夜更け。画面に映った歌手を見てロナルドは「あ」と声を上げた。
「この曲好きなんだよな」
甘く爽やかな曲調に恋人との別れを苦く歌ったそれは、まだロナルドが幼い頃にリリースされたものだ。最近その曲の続編という形で新たな物語を描いた新曲が出たということで話題になっているらしい。懐かしさにつられてロナルドも何度か聴いているが、確かに耳によく残る感傷的で新しくもノスタルジックなメロディーは思わず口ずさみたくなる。
「歌詞の意味わかってたの?」
「いや全然。でも兄貴がよく聴いてたからその影響かも」
「きみらしいな」
友達からCDを借りたといって兄はよく彼らの音楽を聴いていた。親しみやすいそれらはまだちいさかったロナルドにもよく馴染んだ。大人になった今聴くと歌詞の意味を理解できるようになったため「こんな意味だったのか」と驚かされることもある。明るい曲なのに、歌詞はほろ苦いんだな、と。
楽曲の背景の紹介が終わり、演奏が始まる。新曲を披露してくれるらしい。アーティストの後ろにある液晶に見覚えのある港町の写真が写っていた。
「この曲、横浜が舞台なんだよ」
ロナルドの言う通り、歌詞には赤レンガ倉庫や小宇宙ランドを彷彿とするワードが盛り込まれている。夏によく似合う音運びは海に反射する夜景を色濃く想像させた。ドラルクは少し笑ってテレビから隣に視線を移す。
「……横浜というよりみなとみらいだね」
「横浜って聞いてシンヨコを思い浮かべる方が珍しいだろ」
確かにウェブで『横浜』で検索するとずらりと桜木町や中華街の写真が出てくるくらいだ。新横浜の風景は――残念ながら、全然ヒットしない。ドラルクは新横浜に来たばかりの頃興味本位で調べてみたときのことを思い出して「それもそうだな」と言った。
「あっちの方っていかにもデートスポットって感じだよね。いつだかのロナ戦のデート企画も桜木町の方だったし」
「よく覚えてんな。もしかして嫉妬?」
「違うが? 天才的な頭脳を持っているが故の記憶力だが?」
「はい照れてる~絶対嫉妬~」
「ン――ッ!!」
ぺす! とよわよわなパンチを二の腕に食らうもロナルドは緩む口角を隠そうともしないし、代わりにドラルクが反作用で死んだ。
「つっても赤レンガとかは俺もあんま行ったことねえな」
「近隣住民ほど観光地に行かないってやつね」
「今度行ってみるか」
気付けば口に出していた。そういえばにっぴきで観光目的で行ったことなかったよな、と思った途端、それがとんでもなく損なことのように思えてしまった。
提案と呼ぶには少し軽い気持ちの言葉にドラルクがぱっとロナルドの顔を覗き込む。近付いた小さな瞳はきらきら、と形容するにはどこかやわらかい輝きを湛えていた。
「若造にしてはいいこと言うじゃないか! 前にジョンと行きたいねって話してたカフェがあるんだ!」
具合の悪そうな色の頬を染めて嬉しそうに見上げてくるのが幼く見えて、それだけで言ってみて良かったと思える。早いところ休みの日を確認しておかなくては。ドラルクは今にも鼻歌を奏でそうなほど上機嫌に笑った。
「ふふ、お礼にかわいい恋人であるきみの好きなラブソングの歌詞を再現してやろう」
「?」
「ほら、あの曲みたいに、観覧車を花火みたいだねって言ってあげる♡」
ヒュッ。甘くとろける可愛い顔と、言っていることの残酷さに嫌な動悸がロナルドを襲った。思わず早口で捲し立てる。
「やめろバカあれは別れた恋人たちの歌だわ! 別れねえからな! えっそれともこれ遠回しに別れたいって言われてる!? エーン俺のなにが悪かったんですか」
「ほんと面白いなお前……」
後半にいくにつれおよおよ泣き出しそうになっているロナルドのドライヤーで念入りにケアされたふわふわの髪をドラルクの細い指がかき混ぜる。縋りつきながらどさくさに紛れて真っ平な胸に顔を埋めている男の両頬に手を添えて顔を上げさせ、笑いかけてやれば涙が引っ込んだ。
「でも見たくない? 観覧車の光に照らされて微笑む私」
「自己肯定感モンスターがよ……見たい」
「素直か」
だって、想像してしまったのだ。
色や模様を絶え間なく変えていく光に照らされた夜の子の横顔が、腕の中の使い魔と言葉を交わし、ロナルドを振り返る。きっと目尻を緩めて無邪気に笑うのだろう。近くで見た者だけが知っているあの赤い瞳に、瞬く星のようにたくさんの光を閉じ込めて。そしてその時ロナルドは思うのだ。吸血鬼もカメラに写るのならば今この瞬間を写真に残せるのに、と。
「……あー……死ぬ気で休み取らなきゃな」
ドラルクはぼんやり呟くロナルドをじっと見つめた。休みの日の過ごし方を知らなかった青年が、遊びに出かけるために自主的に休みを取ろうとしている。良い変化だ。それを変えたのが自分だと思うと、とても気分が良い。
テレビには次週紹介するアーティストの予告が流れている。次のこの時間も、こうしてただ喋って、たまになんてことない過去を語って、戯れていられればいい。そういう夜が指折り数えても足りないほど続いていくよう、願う。きっと隣の相手も同じことを考えているのだろうと思いながら、夜明けが遠いことにふたりは安堵した。
まだまだ話したいことは、たくさんある。