今日は十五夜オフィスビルや商業ビルがひしめくターミナル駅から三十分ほど北上する、自然豊かなベッドタウンに活気あふれる商店街があった。商店街の名前は「北の町商店街」。これはその商店街にある、花とパンを売る店の話。
蝉たちが活動を終え、さらっとした秋の空気を感じ始めた日、商店街の片隅にある人気店「ねことひつじ」の店主 轟焦凍は開店準備のため、店頭に竜胆、コスモス、ダリヤ、彼岸花と色とりどりの季節の花を並べていた。
店内からはバターと小麦が合わさった芳ばしい香りが商店街に朝を告げていた。
「焦凍くん、今日十五夜だからススキ! 仕入れしてきたよね?」
厨房から緑谷出久が声を掛ける。彼はこの店のパン職人で焦凍の恋人。
掛けられた声に「おう」と反応し、仕入用や配達用に使用しているWのエンブレムがバンパーで存在感を示している緑と白のワゴン車からススキの束を下ろし、店頭の花たちのそばに飾る。
「よしっと!」
ひと一人通れるだけ開けて準備をしていた引き戸を全開にし、OPENと書かれた立て看板を出すと、「ねことひつじ」の一日が始まった。
店構えは濃いめのブラウンの木目ベースで、入口左側には先ほどのワゴンが止まっている。入り口には季節の花と季節のパンのメニューを載せた立て看板が出ている。
店に入ると手前にパン屋のスペース、パンはすべてショーケースに入れられるかショーケースの後ろにビニール袋にしっかりと包まれ並んでいる。
花屋を併設するにあたり、よくあるパン屋のようにトレーにトングで、未包装のパンを並べるというのはできないとでもどうしたら目にも楽しいパン屋にできるかと一生懸命出久が考えたこだわりのものスペースだ。
ショーケースの並びには会計用のカウンターを設置し、パンも花もこちらで会計ができるようになっている。
奥へ進むと花屋のスペースだ。こちらは焦凍が市場で仕入れてきた花を彩り豊かに季節の花からグリーン、小さめの観葉植物と鉢植えの花がところ狭しと並んでいる。
もちろん贈答用も対応可能で、幅六十センチほどの作業台にはリボンや包装紙が丁寧に収納されている。
さらに奥にはパン用のキッチンが広がり、右手にある階段は二階の住居スペースにつながっている。
店員は焦凍と出久の二名。店に立つときにはベージュの首掛けエプロンと動きを妨げない黒いシェフパンツという揃いの装いをし、母の日や歓送迎会のシーズンになると人手が足りなくなり、バタバタすることもあるがお互いが支えつつ楽しくやっている。
パン屋を営んでいるということもあり、朝七時と早く、夜は十八時で閉店となっているが店舗のSNSアカウントや電話で予約を受け付けることもでき、時間外の対応も可能としている。記念日など仕事帰りに受け取りたいという客もいるだろうと、なるべく臨機応変に対応したい焦凍が考えた配慮だった。
こうした客目線の店舗運営が好評で朝から晩まで客足が途切れることのない人気店となったのだった。
さて、今日は十五夜。
出久は月並みだが目玉焼きを厚く焼いたものをパンズに挟んだバーガーとウサギの形をした菓子パンなどを用意し、ショーケースに並べている。
焦凍は店頭に並べた以外のススキで十五夜用の花束を作成し、店内に飾っていた。
昼下がり、一人の少女が買い物にやってきた。見た目から小学校低学年といったところだろうか。
「いらっしゃいませ」
出久が人懐っこい柔らかな笑顔で声を掛ける。焦凍は奥で作業をしながらも気を配っている。
「何か探しものですか?」
少女は肩から斜めにかけているショルダーバッグの紐をぎゅっと握りしめがら言った。
「お母さんが赤ちゃん生まれて入院してるの。でもおうちではいつも十五夜の夜にはお月見をしてたから、今日できないのさみしくて、お母さんに十五夜の日にはお花飾るのよってきれいなお花飾ってたから、持って行ってあげたいなって」
「そっか、それはきっとお母さん喜ぶね。ところでここまで一人で来たの?」
出久は努めて明るく言った。この辺りは人通りが多い割には車などの交通量は少なく、歩きやすい街並みだが少女一人で、というのはとても心配だった。
「学校終わって、おばあちゃんのおうちに帰ったんだけど、どうしてもお花が欲しくて、公園行くフリしてきちゃったの」
「そうだったんだね。でもおばあちゃん心配してるといけないから一回おばあちゃんのおうち戻る? お兄さんでよければ一緒に行くよ」
「でもお花……」
少女が小さくつぶやく声に焦凍が言った。
「お母さん、何色の花が好きなんだ?」
ぱぁっと表情を明るくさせた少女は「黄色とピンク!」と元気に答える。
「じゃあ、今すぐ作ってやるから。そこ座って待ってろ」
ショーケース内にある木でできた丸椅子を指さし、少女を座るように促した。
焦凍は店内のから十五夜に合う花とグリーン、ススキを選び花束を作成する。出久はドリンクケースから一つパックのリンゴジュースを取り出し少女へ渡すと「楽しみだねー」と言って少女の傍らに座った。
程なくして少女がリクエストした通りの色合いの花束が完成した。少女の体に合わせ大きすぎないサイズで作成された花束を見た少女の表情は太陽ほどに明るくなった
「お兄ちゃん、ありがとう!」
「ん、おばあちゃん心配してるといけねぇから早く帰ってやれ、お金は今度でいいから」
「うん! ありがとう!」
そう言って「ばいばい」と手を振る少女につられるように焦凍は手を振っている。その様子がとても微笑ましく、出久は柔らかい気持ちで満ち溢れていた。
「じゃあ、僕送ってくるね」
「いってらっしゃい」
出久を見送ると先ほどまでの作業をいったん止め焦凍はカウンターに腰を掛け、次の客を待った。
少女の名前は「まいちゃん」といった。商店街の近所に住んでいて、祖母の家も同じ町内にあるらしい。普段はもちろん家に帰れば母が待っていたが、入院中は祖母の家にお泊りするようにと言われているとのことだ。夜に帰ればお父さんが帰ってくるから少ししかさみしくないよ、と言っている。
話を聞くとどうやらいつもパンと花を出久たちの店で買っているらしい。
「羊の柔らかいパンと中にジャムの入ったねこさんのパン、大好き」とまいちゃんは笑って話してくれた。
店から十分程度歩いたところにまいちゃんの祖母の家はあった。祖母は玄関先に出てオロオロと辺りを見渡している。
「おばあちゃん!」
まいちゃんは祖母に駆け寄ると花束を見せて、出久の方を指さした。出久は会釈をしながら祖母へと近寄り、顛末を説明する。
「それはご迷惑をおかけしました。お代、払いますので」
「いえいえそんな迷惑だなんて。まいちゃんに何もなくてよかったです。お代は今度またお店でいろいろ買い物してもらえれば大丈夫ですよ」
「でもそんな……」と恐縮している祖母へ笑顔を見せ、まいちゃんの目線の高さに腰を落として言う。
「ね、まいちゃん。早くお母さんにお花も見せたもんね」
「うん! おばあちゃん、早くお母さんのところに行きたい!」
ぐいぐいと手を引っ張られる祖母は「ちょっと待って」とまいちゃんに声を掛けた。
「必ず支払いにはいきますので、今回はご親切にありがとうございました」
「いえいえ、いつでも結構ですので、お待ちしておりますね」
大きく礼をする祖母と元気に手を振るまいちゃんに見送られ、出久はその場を後にした。
「ただいまー」
「おかえり」
会計カウンターで接客をしていた焦凍が返してくれる。見た人からすればそっけなく感じる恋人のその表情や物言いは出久には心地よく、とても安心するものだった。
「ありがとうございました」
会計を済ませた客に二人で声を掛けると先ほどのまいちゃんの話になった。
「おばあちゃん、やっぱり心配してたよ。すぐ近くに住んでるって、よくうちの店も来てくれてたみたい。今度来た時にお花代払ってくれればいいからって帰ってきちゃったけど良かった?」
「うん、何の問題もねぇ。お母さん喜んでくれるといいな」
「そうだね」と答えて、出久は笑った。
夕方ごろになると次の日の朝食用のパンを求める客で忙しくなる。出久はその前にと言って、二階の住居スペースに戻って、月見の準備を始めている。
今日は十五夜では八年ぶりの満月。綺麗に見えるといいなと窓の近くに手作りの月見団子と梨や葡萄、栗を並べ、焦凍が作った花を花瓶に入れて飾る。夕飯は自分で作った月見バーガーとサラダ、あとはスープを用意すればいいかなと、キッチンで手際よく作った。
「こんなものかな!」
団子が乾かないようにカバーをかぶせ、出久は急いで店に戻った。
夕方の店内はやはり大賑わい。一組帰れば、すぐに次の一組とひっきりなしで途絶えることはない。焦凍もこの時間はパン屋の方に集中し、花の方は注文が入れば対応するというように決めている。
十八時、最後の客を見送ると閉店作業をし、引き戸を完全に閉め、カーテンで覆い、店の明かりを消す。
「はぁー、疲れたねー。夕方からのピークはいつになってもなれないや」
「そうだな。今日は特に花も出久が作った十五夜のパンもよく売れたしな、お疲れ様」
焦凍は出久をねぎらうように額にちゅっと軽くキスをした。
店舗にいるときは恋人らしい雰囲気を出すことをあまりしない焦凍だが家に帰ると一変、出久を甘やかしたり、時に甘えたり、甘い雰囲気でいっぱいになる。
「今日満月だっていうから、狭いけどベランダでご飯食べようか」
出久はそういうとアウトドア用の簡易テーブルと椅子をベランダに広げ、用意した夕飯を並べた。
「団子はさすがに乗らないな」
焦凍は残念そうにテーブルの上を見た。
「これ食べたら片してさ、今度はお団子にしよ」
出久は「早く早く」と手招き、焦凍が座るのを確認すると嬉しそうに言った。
「見て、すっごいねー満月だよ」
「きれいだな」
「上手く撮れるかな」
出久は店のSNS用にと月と月見バーガーを写真に収めている。焦凍はそんな様子の出久がたまらなく愛おしく感じ、それは口から零れた。
「出久、愛してるぞ」
「へっ⁉」
突然の愛の言葉に驚いた出久は目を丸くし、月明かりに照らされた頬が見る見るうちに朱に染まった。
「ぼ、僕も焦凍くんのこと愛してるよ」
「うん、知ってる」
いたずらに笑う焦凍を「もー」と小突き、二人は笑った。