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    おかえりシーグラス 寒くもないのに雪が降っていた。
     数日前から降り始めた雪は、時折晴れ間に途切れるものの、海の向こうまでずっと降り続いているようだ。積もることのない雪は、誰もが目で追っていて、しかしもう誰も気に留めなくなっている。本来の雪だったなら使い道はあるが、作物の心配がいらないのは良かった、と赤鬼は思っていた。ただ、異変が雪だけだったなら、この混乱は、ここまで長引かなかったかもしれない。

     展望に三人そろってから、どのくらい時間がたっただろう。長いような短いような間を、雪が静かになぞっていく。すぐ隣には突っ立ったままのギョギョが、数歩はさんだ展望の端には、魔王オロロソが座っている。彼らもまた、雪を見ているようだった。

    「それじゃあ、そろそろ答えを聞こうか」

     こちらを向いた魔王の顔は、普段と変わらないもののはずだ。ただ、どこか違う場所から聞こえてくるような声が、見た目以上の距離感を感じさせる。染まりつつある体の色は、傾き始めた空を取り込んでいるようで、伸ばされた爪先は、遠くの漁火を思わせる。指し示されたギョギョは、おずおずと口を開いた。

    「オレ、イマのオロロロ、コワい。……」
    「そう、おまえは正しいよ。オレ自身、この力を抑えられる自信がないからね」
    「……」
    「赤鬼の言うことを聞くといい。彼ならおまえを守ってくれる」
    「ワかった」

     「これからは、赤鬼の使いってところかな」。独り言にツッコミを入れようとして、しかし口から言葉が出て来ない。変わらないはずの金色の目は、黒く沈んだ視線の中で、ひどく鋭いもののように思えたからだ。

    「それで、どうかな。赤鬼は?」

     これからどうするか考えてほしい。そう切り出した彼の顔は、今思えばひどく穏やかで、憑き物が落ちたようですらあった。

     物資を運ぶ中継点として、赤鬼の根城を拠点とする。思い付きから始まった滞在は、道行きそのものを含めても、ずいぶん平穏なものとなった。ほんの一時だったが、彼の冠を預かっていたこともある。日常の外を楽しんでいるなら、連れてきた甲斐があった。そんな風に思ったものだ。

     だが、雪とともに運ばれた種は、急激に体を蝕み始めた。呻きながらうずくまっていたところを、介抱したのがずいぶん前のようでもある。目を覚ました彼は、誰にもしていないという話を、自分たちだけに語った。そこにはようやく話せたという、安堵の混じった声音が確かにあった。

     時間には無数の「道」があり、今生きているこの世界も、その内の一つでしかない。そんな絵空事じみた事実から、語られた話は始まっている。龍王と名乗った空の向こうの存在は、力と支配を与える代わりに、魔王たちと手を組んだ。赤鬼と出会う前、魔王になったばかりの頃に、すでに邂逅していたという。
     この世界の事実。最初に聞いた時は、自分も理解できなかったと、笑っていた顔はまだそこにある。だが、魔王たちは以前から、龍王の下で動いていたのは間違いない。赤鬼の主であるオロロソもまた、自身の変異という形で、明かされた構造を証明している。魔王の各地への侵略は、ひとつの段階に過ぎず、次がちょうど今であることは、誰の目にも明らかだった。

     「力はもう、馴染んだようだから大丈夫」。落ち着いた彼とは裏腹に、湧き出す疑問が渦を巻いた。竜宮を離れたがらない主が、拠点の下見という名目で、根城までの道に同行した。こうなることが分かっていて、自分たちを遠ざけるために来たのだと、気付いた時にはもう誰にも。選択肢は残されていなかったのではないか。

     世界はなにもかも、分からないことだらけだ。ただ、この苛立ちを向ける暇もないことは、赤鬼にも分かっていた。時期に龍王自身の侵攻が始まるだろう。今も降り続けているこの雪が、散っていった世界の欠片だというのなら。この世界もいずれ、同じように呑まれてしまうのかもしれない。

    「俺は……ギョギョと、子分たちを守らなきゃならねえ。
     その龍王サマっていうのを、知らねぇからな。なんもかんも駄目にするってぇんなら、俺は従えない。そんだけだ」
    「うん、……そうだ、それが当然だよ」

     「分かっていたのに、すまない」と、彼は真摯に詫びた。二人にあえて答えさせたのは、彼なりのけじめだと分かっている。ある意味ではずっと二人を、そして妹たちをも欺き続けたといえる。そんな自分を許していないことが、分かる程度にはもう。互いに互いの知らないことは、ほとんどなくなっていた。
     なぜ彼が。なぜ彼でなければならなかったのか。噴き出してくる怒りにも似た疑念を、噛まないように息を吐く。どんなに抗おうと、世界を前に、自分に出来ることはなにもない。すべてを知った彼はきっと、同じ思いを抱いたはずだ。突き付けられた無力感を、どんな思いでどうやって、これまで抱えてきたのだろうか。

    「二人とも、もう少し寄って、並んでくれるかな?」

     ひらひらと漂う爪先が、不意に視界を引き戻す。一度顔を見合わせたギョギョと、ぴったり並んだところで、彼がそばまで歩み寄って来た。
     強く背中を押される。同時に抱き締められたのだと分かった時、その顔はもう、肩の向こうに見えなくなっていた。

    「二人はオレの大切なしもべ。……だからこれから手放す。そうすれば大丈夫」

     大丈夫、と繰り返す声が、静かに降り積もっていく。息が詰まりそうになって、思わず口を開けていた。一体どんな顔をして、そんなことを言うつもりだったのだろう。腹立たしい、寂しい、悔しい……自分は一体どの気持ちで、この空を見上げれば良いのだろうか。

    「……オロロロ、またアう?」
    「全部終わったら、また会おう」

     腕から力が抜け切る前に、自身も腕を伸ばしていた。つかむ形で触れたのは、指輪のようなギョギョの指先だろう。放したくない。だから放さなければならない。こんなに道理の通らないことも、なんとか呑もうとしているのが分かる。

    「一つだけ約束してくれるか?」
    「なぁに?」
    「ぜってぇに下手を売るな。俺はまだ勇者に会ってねえ」
    「……オレが見届ける、その約束だったね」

     見えていない顔が脳裏で笑い、フフ、と小さく息をつく。

     正しきもののために力を振るい、いつか勇者にスカウトされる。語った理想の筋書きに、彼を加えたのはずっと前だ。あるいはこの理想ですらも、出会った時すでに、世界に定められていたのかもしれない。

     だったらなおさらだ、と思う。この約束が続く限り、彼も自分も、決して理想を手放すことはない。彼と出会ったどの自分も、彼を諦めなかったからこそ。途切れた「道」のその先にも、今が繋がっているはずだ。

     雪はいつしかやんでいる。寒くもないのに、冷え切った体が温まったような心地を覚えた。まわされたままの腕に、もう一度力がこもり、ゆっくりと離れていった。




     竜宮まで随行し、根城に帰還する間にも、雪はまだ空を舞っていた。世界の中心には今、大きな穴が開いており、そこには見たこともない姿のドラゴンがいるらしい。そんな話を思い返していると、なにが起きてもおかしくないように思えてくる。

     この数日はいろいろあり過ぎた、と極赤鬼は大きく息をつく。突然の訪問者と、彼らが見聞きしたという、異変の数々。背後に見えるのは、魔王たちと龍王の影であり、その爪先の鋭さを、人々はまざまざと感じている。自分はといえば、対応に追われる中で、姿まで変わる事態だ。
     オロロソと別れてからというもの、無意識の内に、あの穏やかな日々を探していた。竜宮に居た頃は、たまの襲撃さえあったものの、自身が出向く場面はほとんどなかった。静けさを好む魔王自身が、平穏を作り上げていたのだと、今更のように気付いたのもある。

     先に休んでいたギョギョは、極赤鬼が戻って来たことに気付くと、卓の飲み物を手に取った。悪ぃなと一声かけ、受け取った湯呑みを片手に、窓のふちに肘をつく。雑魚寝のようにして、窮屈に眠った夜が、ひどく懐かしく思えた。なにもかも大きいぶん、一人足りないだけで、こんなにも隙間が出来てしまうものだろうか。

     水平線に囲まれた島には今、大きな塊が一つ、くっ付くように浮かんでいる。海賊船は帆を畳んでなお、小さな山のように見えた。根城に戻るなり、飛び出してきた子分たちが、狼狽していたのも無理はない。
     目的が分かった今となっては、味方と言っても相違ない、心強い存在となった。彼らは義賊であり、人々を助けながら、海を巡行していると告げた。中には魔王が敵対している相手、乙姫マヨリの一派も居たが、こぶしを受けた瞬間、悪い奴ではないとすぐに分かった。飲めるようになったら一杯やろうと、約束も取り付けている。

     ――俺様は本当に……。
     正しいことをしているのだろうか、と思う。彼らは舟に乗った人々の、受け入れ先を探しているとも言っていた。島に近づいたのもそのためだったが、あいにく先約があると言って、断らざるを得なかったのだ。子分たちの伝手もあり、ひとまずの行き先は見つかったが、いくら大きな船であっても、乗れる人数には限りがある。

     もし、オロロソが竜宮を離れることがあれば、居所だけは守ってやりたい。彼自身がどう答えるかは分からないが、冠を置いても良いと思えたなら、行き先の一つにできるはずだ。そう思ってした返答は、果たして正義と言えるのか。

     守るために壊す。告げた龍王の面差しは、確かに優しいものだったと魔王は言った。龍王にもまた、守るべきものがあり、そのために戦っているのは間違いない。相手がこの世界だったというだけで、自分たちとなにも変わらない。だとすれば、自分は一体、誰を成敗すべきなのか。

     考えれば考えるほど、絡んだ糸が一本増えていく。どうにも話相手が欲しくなり、ギョギョがまだ起きていることを確かめた。横になったままでいいと断って、昼に話していたことを、もう一度卓に乗せる。

    「どう思う? 全部オロロソさまがやったと思うか?」
    「……ウミ、とてもヒロい。オロロロ、ヒトリは、タイヘン」
    「だよなあ。やっぱりどうにかなっちまってんのか、世界が」

     闇の色をした結晶は、聞いた限りではすでに、魔海中に広がっているようだ。人々が追われた島では、なにもない場所に、ひとりでに生えてくることさえあったらしい。本当にそんなことができるなら、防ぐ手立てはあるのだろうか。この島にはまだ、異変らしい異変は無いが、いつまでも安全だとも言い切れない。

     気がかりはもう一つある。そんな力に染められている、魔王自身はどうなるのか。目を背けていた想像は、無視できないほどに膨れ上がっている。とうとう観念して、極赤鬼は背筋を伸ばした。

    「……ッしゃあねぇな、考えてても始まらねえ!」

     両手の平でパン、と面を叩き、顔を洗うようにわしわしとなでる。不思議そうに見ているギョギョに、羽織を一枚足してやった。

    「俺様は朝一、島を出る。ついてくるんなら、今のうちに休んどけ」




     人が消えた竜宮は、いやに静まり返っていた。いつもなら奉公人とすれ違うものだが、影といえば自分のものと、そばのギョギョのものしかない。
     結晶が樹のように生えていた時は、さすがの極赤鬼もどきりとした。しかし、踏み入れた中に異変は見当たらず、誰かが取り込まれた様子もない。
     心当たりを一通り回ったが、魔王もまた姿をくらませたまま、足取りが判然としなかった。衝突が起きた痕跡もない。龍王や乙姫たちが動いたなら、戻るまでの道中で、なんらかの様子が伝わってきたはずだ。

    「ミンナ、いない……。オロロロ……いない?」

     不安そうに縮こまっている腕に、つかまれているとそこで気付く。震える指先もまた、なにかしらを感じ取っているように思えた。捉えたくもない想像が、足元にまとわりつき、闇の向こうに影を引き入れる。振り払うように踏み出して、転びそうになったギョギョに詫びた。腕で体を支えていると、青色がふと、既視感となって視界を覆う。

     魔王との手合わせは、配下となったばかりの頃、「気晴らし」に出くわしたのがきっかけで始まった。切り立つ岩肌に、無数に刻まれた鋭い跡。そんな壮観を目にして、力を欲している誰もが、虜とならないはずがない。
     こんな風に、自分も力を振るえたなら。言いながら見上げたその顔は、今思えばどこか困ったような、複雑な形をしていたかもしれない。そうして打ち倒されるたび、魔王の力を思い知った。いつも起こされる側だったが、いつか起こす側になってやると、思い描いていたこともある。

     手合わせを重ねる中で、実地の戦術だけでなく、防衛の考え方も教わった。竜宮は海底の山にそって造られており、客人は必ず正面を通る必要がある。ちょうど裏側に面する外階段は、中から辿り着くには主の部屋を、外から入り込むには、岩肌に隠された小道を通るしかない。万が一のための造りだが、工夫次第で、状況を覆せるともいえる。その考え方からは、根城の造りはもちろん、戦術として学べることも多かった。

     状況から見て、魔海の侵略は大詰めだと思われた。残りを籠城戦にするならば、主は当然、隠された場所に籠るだろう。
     ギョギョを引っ張るようにして、彼の私室に向かう。観音開きの扉のそばには、細長い光が転がっていた。魔王の冠だと気付いた時、言い様のない焦りと衝動が、体中を駆けていた。
     得物を放り出した手で、普段は隠されているはずの戸を押し開ける。ゆっくり降りてこいと言い残し、露台から伸びる外階段を、勢いのままに駆け降りた。どうか間違いであってほしい。その思いだけが頭にあった。一段ずつ降りるのさえもどかしく、最後はわざと転がり落ちる。

    「……ッ、ぅっ……オロロソさま!」

     見上げた先で、二つの影が同時に動く。一つはうずくまっていた魔王のもの。もう一つは、魔王を見下ろしているマント姿だった。乙姫の一味が話していたが、彼らには確か、トリトと呼ばれていたはずだ。

    「あ……赤鬼? どうしてここに……」
    「……た、助かったあ……!」

     予想に違い、双方からは間の抜けた声が返ってきた。てっきり追い詰められているのかと思ったが、この様子では、決着はすでについていたようだ。

    「オレじゃあ動かせなくて困ってたんだ。魔王に手を貸してやってくれないか?」
    「助けてほしいなんて、誰も頼んでいないだろう」
    「動けないって言ったのはお前だろ?」

     今のやり取りで、状況はおおむね把握できた。窮地に陥っているのでもなければ、当然駆けつける必要もなかった。思った途端、体中の力が底から抜けた。

    「本当に甘いヤツだ。あとの心配をするくらいなら、とどめを刺せば良かったろうに」
    「そういう言い方……っ! お前はマヨリを悲しませたいのか!」
    「……オレが悲しむのは良いというのか?」
    「いいわけないだろ! だからオレはここまで来たんだ!」

     苦虫を噛み潰したような顔は、そこでぽかんと口を開けて、そのまま押し黙ってしまった。今回ばかりは、完全に魔王の負けだ。首がわずかにうな垂れたのは、しかし傍目にはよく分かった。

    「あー……あとは俺様たちに任せてくれ。世話んなったな」

     トリトの背中を見送り、ようやく追いついてきたギョギョと、並んで前に腰かける。彼はやはり黙っていたが、小道を吹き抜ける暖かい風が、代わりに無言の間を取り持った。

    「これ、落ちてたぞ。本当に、体はなんともねぇのか?」

     差し出した冠の先に、ようやく上がった顔を見る。声の調子はもちろん、闇に染まっていた体も、今は戻っているように見えた。与えられた力を失ったことで、一時的に消耗しているだけだろう。受け取ったものをかぶりながら、ばつが悪そうに付け加える。本人がそう言っているのなら、大丈夫なのだと思うことにした。

    「……そういえば、赤鬼、一段と格好良くなったような気がするね?」
    「おう。これからは極赤鬼様だ、覚えとけ!」
    「フフ……そうか。おまえがもっと強くなる瞬間、見逃してしまったな」

     話を聞かせてくれるだろうか。ようやく正面を向いた顔が、よく知っているものであることに、今更ながら安堵を覚える。ギョギョと二人で思い出しながら、拠点で起きたことを順に辿った。彼の方はといえば、侵攻を進める中で、天竜を名乗る騎士たちと衝突をしたようだ。

     その中で、龍王とも接触をしていたらしい。だが結局、その手は取らず、竜宮に戻ってきてしまった。世界の終わりをどう迎えるかなど、考えてもいなかったと彼は笑った。
     奉公人たちを退避させたあとは、一人でただ、終わりを待つつもりだったとぽつりと語る。その結末が今だとすれば、どうやらこの世界は、彼を一人きりで終わらせるつもりはないようだ。浮かんだそんな憶測は、自分の内に沈めておいた。

    「それで、二人もやはり戻ったのかい?」

     ――オレは手放してしまったのに。
     言葉こそ続かなかったが、彼がそう言おうとしたのは分かる。自分の下に居る限り、こうしてまた、強大な渦に巻かれるかもしれない。高波に揉まれれば、同じてんまつを辿る保証もない。

     それでも、と思う。帰るべき場所がある限り、自分たちは必ずどこかへ辿り着く。降り続いたあの雪も、きっとどこかへ。海とはそういうものなのだろうと、今は凪いでいる金色の目に思った。

    「オレ、オロロロ、オいかけた。イッパイ、ハシった」
    「俺様たちは、居たいからここに居んだよ」
    「そう……じゃあ、皆も呼び戻さなければいけないね」

     肩を借りながら立ち上がった体は、思ったよりもしっかりとしている。この分なら、すぐにでも私室まで戻れるだろうが、外から回った方が良いだろうか。
     そんなことを考えていると、うわっ、と小さく声が上がった。

    「二人とも、よく見たら砂だらけじゃないか。……ああもう、こんなにして」

     苦笑した彼は、二人を抱えるように腕を伸ばし、髪や服の砂ぼこりを丁寧に払っていく。そっとなでるような手の平は、大切なものを包むように、抱き締める形に変わっていった。おかえりと囁いた魔王に、二人分のただいまで答えた。
    三咲 Link Message Mute
    2026/01/25 15:06:47

    おかえりシーグラス

    オロ&鬼&ギョ。竜血イベントでのやり取り。 ##オレカバトル

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