【赤安】未来の恋人へ。
組織が壊滅して三ヶ月の月日が経とうとしていた。
黒の組織との最終決戦の詳細は世間には公にできないため、組織の残党処理や盛大に破壊された建物についての言及にマスコミを通し情報操作をしながら一般向けに説明したりといった任務がまだまだ山積みとなって残されている。
公安やFBIの者たちが平穏な日常をおくるにはもう少しだけ時間がかかりそうだ。
しかし、そんな仕事に追われながらも、日常は天と地がひっくり返ったと思わせるほど変わったと言っても過言ではない。
「赤井はガールフレンドとか多そうですよねぇ」
「そんな風に見られているなんて心外だな。そこまで器用な男じゃないさ。それに、特定の相手をつくるなら一人でじゅうぶんだ」
「ふーん。女泣かせな顔をしておいて意外と真面目なんですね」
トン、と寄り掛かってきた左肩が布ごしで熱を高めているのが伝わってきた。
随分と気を許されたものだ。
ボトルまでキープしてすっかり行き着けとなったBARで、こうして仕事終わりに二人で肩を並べて酒をくみ交わす光景は今となっては珍しくはない。
「降谷くん、キミ少し酔っているな?」
赤井は吸っていた煙草を口から放し、さり気無く降谷から遠ざけるとそのまま灰皿のうえで揉み消した。
「ん〜〜? こんなの酔っているうちに入りませんよ。まあ明日は休みですし、少し羽目を外してる自覚はあります」
組織に潜入していた頃は曜日なんてあってないようなもので、生きてくうえで生活のリズムなんて感じられなかった。
だからなんだか嬉しいんですと、ほわっとアルコールでそめた頬を弛ませて降谷は笑う。
これは、スコープ越しによく見せられていたシチュエーションだ。
ターゲットに近づくバーボンの手管といえよう。
だが今は己の手に体温を重ねられ、指が絡められることもない。
また、向けられる笑顔がハニートラップのときに魅せてたそれとは全く異なるものだと知っている。
艶やかな微笑みをひとたび向ければ、数えきれない人間たちが惑わされていたのを直接この眼で見てきたのだから。
いまの降谷には隣の男と酒を楽しむ以外の他意はない。
赤井もそんな顔を見せられてはその手からグラスを奪うわけにはいかず、「そうか。それは何よりだ」もし眠ってしまったら家まで送り届けてあげればいい。
そんな風に考えてしまうくらいには、友と呼べるようになった彼を、ついつい甘やかしてしまうようになった。
「それにしてもキミがそういう話を持ちだすなんて珍しいな。気になる相手でもできたか?」
「ふふ、残念ながら恋愛以前の問題です。見合いの話はよく頂くんですけど、お恥ずかしながら学生のとき以来ちゃんとした付き合いってしてこなくて。今さら特定の人を作る自信がないんです......」
「ほぉ? 君ほどの男だ。紹介される見合い相手は名高いご令嬢揃いなんじゃないか?」
「えぇ、まぁ、僕には勿体ない程の。今までは仕事を理由に断ることもできましたが、落ち着いてしまえばいずれは......」
そう言いながらふせた睫毛の下、自信なさげに揺れた瞳が彼の言ういずれがさほど遠くはない未来であることを語っていた。
「そうか。話していてこんなにも楽しくなれる飲み友達を失うのは少し寂しい気もするが、しかし周りが放っておかんだろうな。俺でよければいつでも相談に乗るよ」
左手に持ったロックグラスを傾け湿らせた唇がついたのは本心であった。
所帯を持てばこんな風に気軽に飲みに出掛けることもできなくなる。
例えそれが本人の意思を無視した政略結婚であったとしても、根の真面目な彼ならきっと、友人よりも家族との時間を優先してとるだろう。
「あかい〜〜〜〜」
その気持ちが嬉しかったのか、こぼれそうなほど大きな瞳に星を散りばめ芯の抜けた声をあげる。
まるで手の掛かる弟を相手にしている気分だ。
無論、湧くのは愛おしさである。
彼の部下達がいまの上司の姿を見たら鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして固まることだろう。
「そう悲観的になるな。俺は君以上の良い男を知らない」
「うそつけ。僕よりモテる男に言われても説得力ありませんよ」
照れ隠しだろう。赤井の肩口に頭をぐりぐりと押しつけ金系を乱す降谷の声音は心なしか嬉しそうだ。
「本当のことだよ。それに俺は付き合っても長続きしないんだ。結婚なんてものは向いていないんだろうな」
「あー、なんか分かる気がします」
「おい......」
「でも、あなたは子供ができたら面倒見のいい父親になりそうだ」
「そうか?」
「そうですよ」
ふと疑問がわいた。先程まで自信の欠けてた瞳が人のことになると自信たっぷりに笑って頷くから、この瞳は一体いつから自分を映しているのだろうと、そんな疑問が。
もうそこに燃えるような憎しみや敵意は感じられないが、今もこうして透き通るほど綺麗な瞳が真っ直ぐと向けられている。
それは赤井自身の気付かない一面さえ見えているかのように。
「しかし長続きしないのは僕も同じです」
「ほぉ。それは意外だな。君はこまめに連絡をとるタイプだろ?」
「そう見られがちなんですけどねぇ」
ちびちびと飲んでいた酒を勢いよく仰ぎ、悲観にくれて肩を落とすさまを見ると言葉に嘘はなさそうだった。
「早くに警察官になることを決めてしまったから学業を優先させてしまって...... 勉強に集中しすぎてよくデートをすっぽかしたり相手の誕生日を忘れて泣かせてしまったり......って、学業は言い訳ですよね。たんに甲斐性のない奴なんです、ぼく」
頬を掻いて笑って誤魔化そうとする降谷が本当に甲斐性なしかどうかなんて、当時を知らない赤井にだってわかる。
「学生時代の付き合いなんてそんなものだろ。現にそのときの勉強が身となって今のキャリアがあるんだ。言い訳なんかじゃないさ」
「あ、赤井ぃ......っ」
「マスター、おしぼりを一つ」
「ううっ、すみません......」
冷えたおしぼりを差し出されまぶたを抑える降谷はどうやら羽目を外すと泣上戸になるらしい。
放って置けなくて、もっと甘やかしたくて。
正直なところ結婚なんてして欲しくないと思った。
だがそれは、目に入れても痛くない我が子を嫁に出したくない父親の気持ちと同じようなものだ。
手放したくない。
ずっとそばにいてほしい。
だけど、本人が望む幸せを手に入れてほしい。
だから不思議でならない。どうしてこうなったのか。
朝を迎えたいまでも信じられなかった。
携帯にはLINEメッセージが一件。
『おはようございます。
昨夜は付き合ってくれてありがとうございました。楽しかったです。
また飲みにいきましょうね』
酒で記憶をとばすタイプではかったが、まさか本当に実行するきか?
「ここまで僕が恥を晒したんだ。最後まで付きあってくださいよ」
逃さないように腕をがっしりと掴み、懇願しながらも向けられる瞳はいたって真剣そのものであった。
「女性と付き合って失敗しないためには練習が必要なんです。もちろんキスや身体のスキンシップなんてしません。ただ、恋人をつくる前の練習台になってほしいんです!」
ここまで何事にも全力で真面目すぎるといささか心配にもなろう。
「少し飲みすぎたか。今日はそろそろお開きに、」
「僕が一方的に連絡をいれるだけであなたは返さなくていい! だから、ね? 」
小首を傾げさせ、腕にしがみついてた手がするすると下に落ちてきて熱のある指を絡めてくる。
その仕草はバーボンがよく使う手管だが、しかし動きがどこかぎこちない。
赤井は悔しくも首を縦に振らされていた。完全に油断していたのだ。
バーボンが放つ色気や手管には呑まれない自信があったのに、プライドの高い降谷零が恥を忍んでおずおずと上目で頼みごとをしてくる威力がここまでのものとは。
そうして、未来の恋人を想定とした彼からのこまめな連絡がはじまった。
おはように始まりおやすみで終わる一日。
学生時代の失態を挽回しようとしているのが伝わってくるマメな報告が。
降谷には言えないが赤井が最も苦手とするタイプの女のマメさであった。
返信はいらないと言った本人の希望に救われていたが、彼の私生活を文字を通して眺めているといつしか架空の彼女と彼は同棲まで進んでいた。早くないだろうか。
◯日 20時
『今夜は帰りが遅くなります。ご飯は先に食べていてください。』
◯日 16時
『今日は早く帰れそうなのでたまには僕が夕飯作りますね。』
◯日 3時
『急な出動命令があったので出ます。朝ご飯、食べられなくてすみません』
つい、『何を作ったんだ?』と返信してしまったときには『お構いなく』の一言。酷い返しである。
たまにくる赤井宛へのメッセージには、
赤井へ
これなら寂しい想いをさせずに済みそうですか?
なんて感想を求めてくるものだから、思わず携帯を握り潰しそうになった。
「いやっ寂しいに決まってるだろう!? 今から帰りますとくれば来ないとわかっていながら起きててしまうし、うまそうなご飯が写真付きで送られてきても帰れば部屋の明かりすらついていないんだぞ!?」
目の前にいたジョディは八つ当たりを受け耳を塞ぐ。
「やだちょっとなに?! 急に大声を出さないでちょうだい」
なんだなんだシュウ、溜まってんのか? と面白がって群がるFBIの仲間を蹴散らし、庁舎内に間借りしている捜査室は赤井の怒号でその日大いに荒れた。
「そんな訳で俺からも一つだけ要求をだしたい」
「はぁ、どんな訳でしょう」
きょとんとした顔は一人の男を振り回している自覚がまるでない。
勤務中に呼びだせば「忙しいので簡潔にお願いします」と要件を促される。
「端的に言う。期待させるような連絡はやめてもらいたい」
「へ?」
降谷は間の抜けた声をあげ、これまでの行いを自分の胸に問いかける仕草をする。
「......えーっと、あなたにハニートラップを仕掛けた覚えはありませんが??」
「君のそれは天然か?」
腕を組み、赤井は苛立たしげに言葉をえらぶ。
「俺は君の作る料理が好きだ」
「それはそれは、ありがとうございます。貴方に食べてもらった記憶はありませんが」
一体いつどこで食べたんでしょうねえ、と降谷は顎に手を添え謎解きするときのポーズでにやにやと笑って詮索をいれてくる。くそっ、白々しい。
「それで?」
かと思えばプライベートで見せてくれた優しい笑みを向けられ、その先の言葉を待つからどうやら悪い返答ではなさそうだ。
「......きみがご飯を用意したときは、写真だけじゃなく俺にも食べさせてくれ」
歴代の女たちにだって君の手料理を食べたいなんて口にしたことがない。
気恥ずかしくてぶっきらぼうな言い方になってしまった。
「ふっ、はは!」
あの赤井秀一が手料理を要求するなんてと、可笑しそうに腹をかかえられては恥ずかしさで眼もあわすことができない。
「あー、おっかし。べつにかまいませんよ。こっちが付き合ってもらってる訳ですし、次からはあなたを家に招待します」
「あぁ。......というか笑いすぎだぞ、降谷くん」
目尻に涙まで浮かべるから気分を損ねたふりをすれば「あはは、こんど赤井の好きなもの作ってあげますから今は許してください」なんて、そう言われてはこちらが折れてやるしかないではないか。
その先も、相変わらず降谷からのこまめな連絡は続いた。
ただ日常に変化はつきものだ。
『今から帰ります』
その一言に、お疲れさま、と送れば『赤井も、お疲れ様』と返してくれるようになった。
そして遠くはない未来、文字通り男の元へと降谷は帰るようになる。
「ただいま」
慣れない言葉を気恥ずかしそうに使って笑い。
「お帰り、零くん」
やさしく腕に迎えられながら擽ったそうに額へと落とされるキスを甘んじてうける降谷の姿がそこにはあった。
始まりはキス一つないごっこ遊びであったのに。
未来の恋人にあてられた拙い文字が、いまも赤井のもとへと送られ続けている。
end