接吻しないと出られない部屋 義城からの帰り道、少年たちを先に歩かせ、魏無羨は藍忘機と共に後から着いていった。
少年たちは何となく親しい者同士で固まった。金凌は藍景儀と言い争いをしながらも、藍思追と共に三人で歩いている。
突然、金凌の足元が光った。
「金凌、危ない!」
魏無羨は駆け寄ると、彼を軽く突き飛ばした。しかし、自分は間に合わず、光の陣の中に飲み込まれてしまった。
「――っ!」
藍忘機は藍思追をちらりと見ると、自身も陣の中に飛び込んだ。
藍思追は藍忘機の意図を汲み取り、信号弾を打ち上げる。門弟たちに先に雲深不知処へ帰って応援を呼ぶように伝え、自分たちはその場に残った。
一方、魏無羨と藍忘機は気が付くと、どこかの蔵の中のようだった。
あの陣は転送術の類のようだ。
扉には、紙が貼り付けてある。
そこにしたためられている文字を見て、魏無羨は叫んだ。
「『接吻しないと出られない部屋』!?」
部屋を調べてみたが、扉は固く閉ざされており、壁は容易に壊せそうもない。
「よし、藍湛。接吻しよう!」
「……」
藍忘機は夢うつつの様子だ。
「藍湛? 大丈夫か? これは夢じゃないぞ」
(藍湛ってば、現実逃避しているな?)
「別に接吻くらい.......」
「昨夜もしたし」と言いかけて、口を噤む。
(危ない。藍湛は昨夜のことは知らないんだった)
酔っぱらって眠ってしまい、その上俺なんぞに唇を奪われたことを知ったら、さぞかし怒るだろう。それとも、衝撃のあまり倒れてしまうのだろうか。気になるところではあるが、騒ぎになったら困る。
藍忘機をちらりと見ると、不思議そうな顔をしている。まるで「まだ昨夜の酒が残っているのか?」と言いたげな様子だ。
(俺だって、こんな馬鹿げた状況、夢だって思いたい)
だが他に方法がないのならしかたがない、むしろ藍忘機をからかう絶好の機会とばかりに魏無羨はほくそ笑む。
「藍湛、じっとしてろ。すぐ済ませてやるから」
「うん」
藍忘機は諦めたのか、この状況を受け入れたようだ。
魏無羨は藍忘機を部屋の壁際に押しやると、両肩に手を置いた。
藍忘機はまっすぐと、魏無羨を見つめている。
(藍湛の奴、随分素直だな。されるがままだ)
魏無羨は顔を近付けるが、藍忘機があまりにもじっと見つめてくるので、ぱっと顔を離す。
「目は閉じとけ」
魏無羨は再び顔を近づける。
(長いまつ毛だな)
今度はまつ毛が気になりだした。
(俺も目を閉じよう)
「じっとしてろよ」
ぶっきらぼうに言う。
「うん」
顔を近づける。
(藍湛っていい匂いがするな)
肌が触れ合ってるところが、じんわりとあたたかい。
顔をぶつけないように、魏無羨は片目を少しだけ開けた。
藍忘機の赤い唇が目に入る。
(藍湛の唇、柔らかかったな.......)
魏無羨は昨夜のことを思い出す。
彼の唇の感触を、自分はもう知っているのだ。甘くて柔らかくて、あたたかい。まだ口付けてないのに、昨夜の感触が蘇る。
その生々しさに、魏無羨はばっと藍忘機から離れた。
「景儀、今黒い影のようなものが見えなかった?」
藍思追が呟く。
間もなく、陣が光に包まれた。
光が消えると、 魏無羨と藍忘機が元いた場所に立っていた。
「含光君! 莫先輩も!」
藍思追と藍景儀は、ほっとした顔を見せた。
魏無羨が口を開く。
「心配かけたな。ちょっと手間取っちまって」
金凌は「心配なんかしてない」と言ったが、自分も後を追って飛び込もうかと体に入れていた力が抜けた様子だった。
「なかなか出てこなかったが、そんなに強力な陣だったのか?」
「強力というか.......少し変わったものでな」
魏無羨は頭をかく。
忘機が「接吻しないと.......」と言いかけたのを、
「厄介だったんだよ!」
と魏無羨が遮る。
(藍湛、なに馬鹿正直に答えようとしてるんだよ!)
「と、とにかく俺が鬼道で何とかしたから!」
そう言い捨てると、魏無羨は先に行ってしまった。
「どうしたんだ、あいつ」
金凌が不思議そうに呟き、思追と景儀も顔を見合わせた。
「いてっ!」
魏無羨は石につまづいて、転んだ。
相当ぼんやりとしていたらしい。
顔でも洗って気を取り直そうと、泉に近付く。
水面に写った顔は、彼らしからぬ不安そうな表情をしていた。
唇が目に入る。
感触を確かめるように、自分の指の腹でそっと触れる。
(接吻なんて、しなければ良かった)