【腐向け】自宅ガン太×ショタパラ「クレノヒ、話というのはだな……」
そう神妙な顔で切り出してきたのは、浅黒い肌に黒髪を持つ長身の男だった。ギルド『ヨアケノヒ』で副リーダー──つまりクレノヒの補佐──のような立場にいる巫医である。名をイスカと言った。
クレノヒと呼ばれた銃士の少年は、眉間にしわを寄せ、怪訝な顔をして視線をよこした。イスカの態度から、ろくでもない提案であることは察していた。洞察力に優れたクレノヒは、会話の必要が無いほど人の心が読めてしまう。
「おっと、そう睨まないでくれたまえ……。確かに、君にとっては余計なお世話だろうが……」
「……」
「薄々察しているかも知れないが、カレハ殿のことでな。明日広場でとある楽団が演奏会を催すので、安全の為周辺の警護をしたいそうだ。
手伝いとして、君を連れて行ってもらうよう頼んだ」
「一人で充分だろうが」
「カレハ殿は聖騎士として依頼を受けた訳ではなく、独断だから、一般市民に緊張感を与えないために私服で行くと言っていた。
本当に一人で大丈夫だと思うか?」
「…………」
頭が痛くなるような話だった。というか実際、慢性的な頭痛が更に悪化した。
「……面倒なことにはなるだろうが、俺の知ったことじゃねぇ」
カレハのせいで余計なことが起きるとしても、問題を起こしたごろつきが骨を二、三、四本折られたり、建物が損壊する程度だろう。死人はさすがに出ない……はずだ。
「クレノヒ、私は正直言って、カレハ殿のことはどうでもいい。彼にちょっかいをかけるような者は更に。気がかりなのは君のことだ。
世界樹の探索も近い内に終わりが来る。そうなればギルドも解散だ。このままろくに話す機会もなく、別れていいのか?
いや、上帝の残した実験体たちは異常に厄介だ。最後の魔とやらを発見する前に我々が全滅する可能性だってある。それなのに」
「何が言いてぇんだよ」
「わかるだろう。隠せているつもりなのか。
君にとって、あの人は特別なんだ」
イスカの顔は真剣だった。本当にクレノヒのことを想っている故の決断である。それがクレノヒにも分かっているから、強く反発できないのだ。
クレノヒがカレハを避ける理由について、イスカの想像は半分誤解だ。ただ、半分正しいのも確かだった。
「ナナエが行けばいいだろ……あいつは騎士さまが行くなら尻尾振ってついて行くだろうが」
クレノヒは苦しい心中を隠すように、同じギルドの一員である赤毛の剣士の名を挙げた。
だがイスカは首を横に振る。
「その場にナナエもいたんだ。彼も私の提案に同意したよ。『クレノヒが行った方がいい』だそうだ」
「どいつもこいつも……何なんだよ……」
ナナエはカレハの手助けをするために冒険者になって、遥々ハイ・ラガードまで来た男だ。普段であれば喜んで同行するだろうに。能天気なくせに、どうしてこう局所的に勘が鋭いのか。
「伝えたからな。では、おやすみ」
ほぼ一方的に話を告げて、イスカは自室に戻っていく。
クレノヒは談話室の天井を仰いでため息をついた。カレハはまだ宿に帰ってきていない。聖騎士団の駐屯所で仕事を済ませ、樹海の巡回をしてから戻るのだろう。そうしてろくに眠れもしないくせに、ベッドで朝を待つのだ。カレハほどではないが、不眠に困り、無為に朝を待つ憂鬱さはクレノヒにも分かる。
人目を盗んで酒でも飲みたい気分だったが、以前試した時に酔えなかったことを思い出して、やめた。
■
「うわ……」
宿屋の玄関に立つそれを見て、クレノヒは自分の予想が甘かったことを思い知った。
「クレノヒ、今日は君が手伝ってくれると聞いたが……本当か?」
澄んだ声が響く。金髪のショートヘアの美少女……にしか見えないそれは、クレノヒの姿を認めると歩み寄ってきた。
「君、私のことが嫌いだから意外過ぎてな。イスカに仲良くしろと叱られでもしたか? 私は気にしてないんだが。……クレノヒ?」
クレノヒは声を失っている。私服とは聞いていたが、これは聞いてない。
カレハは普段ガチガチに着込んでいる鎧を脱いだだけでなく、華奢な体のラインがくっきりと見える服を着ていた。女装ではないし、肌の露出も無いが、可愛らしく、否応なしに通行人の視線を吸い寄せる。これでは誰も彼を男とは認識しないだろう。
加えて言うと、今の姿は恐ろしくクレノヒの好みだった。
「引きつった顔をして……私の服、そんなに変か……?」
カレハは視線を落としたり、身体をひねったりして自分の服を確認する。全てがあざとく見えて、クレノヒはもはや殺意を覚えた。
黙っているとカレハは勝手に何かを納得した様子でため息をつく。
「はぁ、おかしいなら、新しく買うか……。見回りの前に、悪いが店に付き合ってくれないか? 私にどういう服が似合うか、君が選んでくれると助かるんだが……」
「その服もそうやって選ばせたんだな」
カレハの言葉を聞いた瞬間、クレノヒの高性能な脳が瞬時に解を弾き出す。
「えっ? まあ……確かにこれは、部下の見習い騎士に選んでもらった服だが……。休日も個人指導を頼み込んでくるほど熱心な奴でね。ファッションにも興味があったのか、妙に興奮して協力してくれた」
クレノヒは目眩がした。こいつマジか? と。休日に二人きりで買い物に? わざと誘惑したのだと言われた方がマシである。
「その見習いはもう剣を置いただろうな」
クレノヒの言葉に、カレハはギクリという擬音が聞こえそうなほど動揺の色を浮かべ、だが一瞬で平素の表情に戻ってみせた。
「な……なんでそう思う?
辞めてはいないよ。……今の様子は知らないが、多分。ただちょっとした認識のすれ違いがあって……寝込むほどとは思わなかったが……」
語る内に落ち込んできたらしく、歯切れが悪くなる。
──クレノヒはカレハのこういうところが本当に嫌いである。
だが、嫌いではあるが、この程度はまだ些事なのだ。そもそも好き嫌いで言うなら、クレノヒの『嫌い』の対象は人間全体に及ぶ。
「もうわかった。行くぞ」
クレノヒは全ての感情を封印して、カレハの前を歩き始める。
「あ、まずは仕立て屋に付き合ってくれるか?」
「必要無ぇ」
ドアを開ける動作がやや乱暴になったのは、仕方のないことだった。
■
「クレノヒ、見回りの手伝いとは言ったが、君に特別何かをしてもらうつもりはない」
歩きながらカレハが説明を始める。
可憐と言って差し支えない姿は道行く人々の視線を集めまくっているが、クレノヒは心と気配を無にした。
「衛士も配備されているし、治安も良さそうだから、歩き回るだけで終わるかも知れない。
ただ、一人だと手持ち無沙汰だし……不自然かと思ったんだ。ほら、それとなく監視したい時とかあるだろ? でも張り込みだと思われたくはないし。
君には私の話し相手、ないしは話すふりでもしてくれれば助かる。
依頼されたわけでもないから駐屯所の聖騎士に声をかけるのも気が引けてな。……みんな遊ぶつもりで休暇を取っていたし……」
クレノヒは無視するつもりだったが、カレハの言葉を全て覚えてしまった。記憶力が良過ぎるのも考えものである。
今の説明を要約すると、何事もなければ今日はただ二人で遊ぶだけということだ。無論、カレハには遊ぶという行為とは縁遠いだろうが──人のために働くこと以外何をしたらいいかわからない男である。
人によっては、これをデートと呼ぶかも知れない。
デート。
思い浮かんだその三文字に、クレノヒは自分の頭を殴りたくなった。
「クレノヒ、なんか殺気立ってるぞ。
祭りみたいなものなんだから、表情何とかしろ」
黙れと言うことすら忌々しく、虚無の心でカレハの横を歩くのが関の山だった。
「彼女、かわいいね。広場の方に行くなら俺と一緒に回らない?」
歩き始めてから10分もしない内、クレノヒの悪い予感が的中し、品の無い男に絡まれた。
「悪いが他を当たってくれ」
カレハが即座に撥ね付ける。恐ろしい慣れようである。性別の誤りについて訂正するのは話がややこしくなるだけなので、こういう場合は気にしないことにしているようだ。
男は不意を突かれて固まったが、めげずに話しかける。
「そっちはもしかして彼氏? こんなチビより俺の方が頼りになるよ。ボディーガードにどう?」
クレノヒを指して何か言っているが、当の本人はと言うと、聞いたそばから記憶から削除していたので気にも留めなかった。先程聞いた説明とは違い、正真正銘の無駄だからだ。
しかしカレハの方は少々気に障ったらしく、男を冷たい目で睨む。
「失礼な奴だな。彼は君より百倍は頼りになる。
ほら、行こう」
カレハがクレノヒの腕を掴んで、足早にその場を去る。クレノヒは後方に注意を向けながらも、カレハの手の感触と温度にどうしても意識を奪われた。
■
楽団の観客目当てか、広場の周辺には露店がひしめいていた。当然道は客でごった返していた。
「すごい人混みだな」
どこを見ても人、人、人という状況は、カレハの精神的に良くない。人波の切れ目を探していると
「綺麗なお嬢ちゃん、姫リンゴ飴はいかが? サービスするよ……ほらお嬢ちゃん! あんたのことだよ!」
露店の店主に声をかけられた。穏やかな人相の老年男性だった。
「ええと……私のことですか?」
「そうだとも。これ持って行きな」
「いえ、買いませんが……」
拒食の傾向があるカレハは、リンゴの刺さった串を押し付けられて戸惑う。
「サービスだよ。こんな美人を見れるなんて景気がいい。
というか一人かい? 悪い虫に気を付けて楽しみな」
「? 一人ではありません。今日は一緒に…………あれ、クレノヒ?」
そこでカレハはようやく、相方とはぐれていたことに気付いた。
「おい、ガキ調子に乗んなよ」
クレノヒは路地裏でガラの悪い男たちに囲まれていた。無理矢理連れ込まれた……と言うより、人前で騒ぎになるのも面倒だったので、すすんで連れて行かれたのだ。
先程カレハに振られた男の後ろに仲間が控えていたことは気付いていた。カレハも気付いていたとは思うが、相手が非力過ぎて危機感知の対象外なのだろう。
──人が多過ぎて麻痺してるじゃねぇか。あれで見回りとはよく言う。
「聞いてんのか?
なぁ、さっきは優しい彼女に庇われて嬉しかったか? 百倍頼りになる、だってよ」
クレノヒの機嫌は最底辺だった。どうして疎ましい相手と一日付きっきりで歩き回るような状況になったのか。その相手のせいで、こうして面倒な奴に絡まれることになって、結局本人に代わって自分が尻拭いをしている。元はと言えばギルドの仲間たちのせいだ。誰も彼もが俺の邪魔をして──。
「お前釣り合わねぇんだよ。邪魔だからよ、彼女置いてさっさと帰んな」
「あ?」
クレノヒは不機嫌な声を出して男を睨みつける。
挑発としてはそれで充分だった。
「なんだこいつ、泣かされてぇみてぇだな!」
クレノヒより頭一つは大きい男が、顔めがけて拳を繰り出した。少年は避けない。
がん、と衝撃はあったが、頭痛以外の痛覚が鈍いクレノヒは平然としていた。丁度いい。朝から自分の頭を殴りたいようなことばかりで、気分転換したかったのだ。
拳を振り抜いて隙だらけになった男の襟首を、クレノヒの手が掴む。次の瞬間、顔面に正拳を叩き込まれた男は宙を舞っていた。
おまけに蹴りも入れられて弾き飛ばされる。
白目をむいて地面に転がった男を、仲間たちが茫然と見た。次いで小柄な少年に目を移す。
「こ……こいつ……!」
我に返って襲いかかるが、勝敗は火を見るより明らかだった。クレノヒにはカレハほどではないが、体躯に見合わぬ怪力と、軍制式の体術がある。望んで身につけたものではないが、護身にはこうして役に立つ。魔物相手には専ら銃を使うので、世界樹の探索中は披露する機会が無いが。
攻防を数度重ねる内、たまにはこうして下らない連中と殴り合うのもいいな、とクレノヒが感じ始めたその時、
「おい、何をしている!」
一番聞きたくない声が聞こえた。
「チッ、誰か来やがった。行くぞ!」
痛めつけられた男たちがよろよろと去っていく。クレノヒはすっかり冷めた様子で、それを見送った。
「逃がすか」
しかし駆けつけた小柄な人影は、戦意を滲ませて、足を踏み出す。人影の脚力なら一瞬で追いついて、そう、対象を壊滅させるだろう。周囲の建物も多少被害を被るかも知れない。
「待て!」
クレノヒはつい制止の声を上げた。これ以上の面倒ごとは御免である。
「……クレノヒ? 君、一体こんな所で何してるんだ」
駆け寄ってきた、少女のようなかたちをしたものは、紛れもなく今日のクレノヒの相棒──この騒ぎの原因だった。その手にはいつの間に手に入れたのか、リンゴの刺さった串がある。
「君も一緒になって暴れていたようだが。経緯を説明してもらおうか」
「……口論になって喧嘩しただけだ」
険しい調子で問うカレハを、クレノヒは適当に受け流す。
「あのな、私たちは治安維持のために見回っているんだが、忘れてないよな?」
「……」
「一般人相手に喧嘩なんてらしくない。
……ん……? 君、殴られたのか? 頬擦りむいてるぞ」
カレハが一歩近づくと、クレノヒは一歩下がって顔を乱暴に拭った。寄るなという意思表示である。
「君が一発もらうなんて……」
「それより、見回りに戻るぞ。
あいつらはただのチンピラだ。冒険者崩れの連中より余程無害だし、放っておけばいい。
俺ももう勝手な行動はしないから、文句は無いだろう」
言われても、カレハはまだ何か言いたい様子だ。クレノヒからすれば、似合わない気遣いなどされても居心地が悪い。目の前に手を伸ばした。
カレハは不意に手に持った物を奪われて、注意が逸れた。そう言えば姫リンゴ飴を持ったままだったことを思い出す。
クレノヒがつまらなそうにかぶりつく。カレハがこれをもらった経緯も、処分に困っていたことも全て想像がついていた。
カレハは呆気に取られながらも礼を言った。
「……ありがとう」
「取られたのに感謝するのはおかしいだろ」
「いや、でも……君も食べたかったわけじゃないだろう?」
「甘い物が好きなだけだ」
好きなのは本当のことである。が、言ってから、しまったと思う。カレハに自分の好物など教えたくなかった。一気に弱みを晒してしまった気分になる。
「君、甘い物が好きなのか?」
「好きだ」
訝しげに聞くカレハ。その場しのぎの嘘だと思われても都合が悪いので、言い張るしかない。
ふと、カレハと目が合う。
「……好きだ」
無意識に繰り返していた。
「……?」
急に顔を見つめられては不思議に思うのも仕方ない。瞬きを数度した後……
「まあ……甘い物が好きなのはわかった」
何となく気まずかったのか、目を逸らされる。
それで話は終わった。見回りに戻るため、二人は通りに移動することにしたが、クレノヒはふわふわと落ち着かないような、妙な気分だった。
さっきまであんなに機嫌が悪かったのに、今はむしろ良いのが最悪だ。ため息も出ないほど、自分にうんざりした。
■
本日のメインである演奏会の時間になった。
広場は観客で埋まるので咄嗟の時に身動きが取れない。見通しも良くない。ということで、二人は近場の建物の屋上に失礼していた──無論カレハの提案で、梯子なども使わず飛び乗るので、クレノヒは閉口しながらも何とかついて来た。
演目はつつがなく進み、ある曲に差し掛かると楽団の歌手が登場し、更なる盛り上がりを見せる。
「……この歌。ネスラが歌ってた……」
カレハは息を一瞬呑んだ後、クレノヒにこう尋ねてきた。
「クレノヒ……君には好きな歌はあるか?」
歌を習ったのは幼少期だが、あまり思い出したい記憶も無い。黙っていると、カレハがぽつりぽつりと語り出す。
「私は音楽で……いや、芸術で感動したことが無かった。どんな曲も歌も絵も、鑑賞する意味が見出せなくて。
世界樹踏破のため赴任したエトリアで、ある詩人と出会うまでは」
「……」
「彼の歌は妙に心に響いて、自分にもそういう情緒があったんだと、嬉しくなったものだ。
……でも多分、勘違いだった。
彼は私の、いわゆる生き別れの兄だと言っていた。エトリアでの私のギルドの一員だったんだが、打ち明けられたのは全階層の攻略を終えようかという時だ。
幼い頃に聞かされた歌声への懐かしさを、私は音楽への感動と取り違えていたんだろう」
カレハは暗に、この演奏会では何の感慨も湧かないと言う。クレノヒにはとっくに伝わっていたことだが。カレハから感じるのは、寂しい、という感情だ。皆と同じ感覚を持てないことが寂しいのだ。
──実に下らない。
「俺も思ってた」
クレノヒがぶっきらぼうに言い放つ。
「この演奏会は退屈だ。いっそ二人でぶち壊すか。
どう思う、カレハ」
言葉にすると不思議と活力が湧き、全身の血管が熱く脈動する。カレハが頷くなら、本当にめちゃくちゃにしてもいいと思った。
「…………」
予想外の提案に、カレハは大きな瞳で瞠目する。どことなく幼いそれが、クレノヒには今日一番かわいい表情に見えて気に入った。
少し惚けた後、カレハは首を振る。
「……いや。君はそんなことはしない。やめよう。
確かにこんなことで悩むなんて、下らなかったな」
言って、清々しいような、諦めたような笑みを浮かべた。
それからは会話もなく、ただ演奏会が終わるのを待った。
演奏を、観客を、手拍子を叩き踊る人々を、遠くから見守る。
「一応言っておくが……さっきの話、内緒だぞ。バレたら私は聖騎士団に居られなくなる」
カレハが冗談めかして呟いたが、語調とは裏腹な内容の深刻さが、クレノヒの耳に残った。
■
演奏会が終わり日が傾き始めた時分。広場を後にした二人は、ある露店の前を通りかかった。射的の店である。
クレノヒは足を止め、何を思ったのか一射分のコインをテーブルに置き、玩具の銃を手にした。
「クレノヒ、何か欲しい物でもあるのか?」
「どれに当てて欲しい」
質問したつもりが逆に聞き返されて、カレハは一瞬戸惑う。
「ん? ええと、そうだな……。一番小さいあの的とかは難しそうだが……」
「あれに当てたら、あんた俺と付き合えよ」
「は?」
カレハが聞き返したのとほぼ同時に、大して構えもせずにクレノヒが撃ったコルク弾は、一番小さい的を射抜いていた。
その射撃の腕に店主が渋い顔をする。
「おいおい、まさか銃士かよ坊主。彼女にいいとこ見せたいのは分かるが、こんな露店荒らして楽しいか?」
クレノヒは困惑するカレハの手を掴み、引っ張る。
「まあしょうがねえ……景品はやるから二度と来るんじゃ……おい、景品は!?」
店主が景品を手に振り返った頃には、二人はもう歩き出していた。
クレノヒが今一番欲しいものは、既に手の中にある。
「……おい、どういうつもりだ?」
「……」
カレハの力なら、クレノヒの手を振りほどくぐらい造作もないが、大人しく手を引かれている。疑問があり過ぎるのだ。
「付き合う、というのはまさか、恋人になれと言うんじゃないよな」
「……」
クレノヒは説明を拒否した。もう伝わっていることをわざわざ言うことも無い。
「……どうしてだ……? 君、私のことが嫌いなはずだろう……」
「嫌いだ」
言葉とは裏腹に、掴んだ手は放そうとしない。
カレハは溜息をついて立ち止まった。
「わかった。今日は君に付き合ってもらってるから、今度は私が付き合おう。……どうせなら、ちゃんと手を繋ごう」
その気もないのにこういうことを言うからこの男はタチが悪いのだと、クレノヒは眉間のしわを深くした。
手を繋いで、二人で雑踏を歩いた。一緒に軽食を摂り──カレハは茶を飲んでいるだけだったが──色々な露店や出し物を見る。会話はほとんど無かったが、穏やかな時間だった。
歳も近く、身長差もほどほど。私服のカレハは華奢な美少女にしか見えず、傍から見れば似合いのカップルである。
微笑ましく見守る視線や、羨望と嫉妬の眼差し。全てクレノヒには手に取るように感じることができる。普段ならうんざりするような感情の束を向けられても、今だけは愉快な気分だった。
広場の外れ、人が程よく少なくなった所で、クレノヒは石造りの柵に腰掛ける。カレハも隣にならった。
自分と付き合えと言われた時は驚いたが、一通り歩き回って、どうやらクレノヒの気は済んだらしい。
「今日はひとまず大事がなかったようで良かった。君の乱闘以外は」
解散する前にと、カレハが話しかける。
「しかし、君には感謝してる。一人だったら、途中でいたたまれなくて世界樹の巡回に切り替えていたかも知れない。
祭り騒ぎの中に居るより、樹海に居る方が楽だったから」
そんなことは知っている。が、クレノヒは口にしなかった。
「それに、いつもより君と話せて嬉しかった」
カレハは視線を落として手を見る。さっきまでは普通に手を繋いでいたのに、この少年とはもうそんな機会は無いだろうなと思うと、少し残念だった。
「なら、礼をくれ」
「礼?」
また意外な言葉をかけられた。
「感謝の言葉は、さっき言ったよな……金とかか? 自由になる金はあまり持ってないが……。はした金なんて、君にとっては今更だろうし……」
恐らくクレノヒの求める物とはずれているだろうということを感じながらも、カレハはこのように返す他ない。
補足の言葉を待ったが、何もない。
クレノヒは口を開く代わりに、カレハの体を引き寄せ、身を乗り出して……彼の顔と自分の顔をくっつけた。
更に詳しく言うと、唇と唇を重ねたのだ。
「──」
カレハの唇は想像よりも柔らかく、引き寄せた体からはいい香りがして、クレノヒはずっとこうしていたいと思った。キスは数秒のことだったが、二人にとっては長い時間のように感じられた。
顔が離れる。
「……クレノヒ……今の、は……」
近い声が、耳にくすぐったかった。
周囲の何人かの好奇の視線が向けられていたが、互いに気にしている余裕はない。
白い頬を薄く紅潮させ、答えを求めるように、ただこちらを見つめるカレハの姿は、今まで見たどんな生き物よりも美しかった。
──想い合っている恋人同士なのだと錯覚できれば、どれほど良かっただろう。
クレノヒはカレハの手を取って、再度歩き始めた。先ほどよりも強引な足取りだが、カレハは文句も言わずついて行く。
■
しかし、それも途中までのこと。
「クレノヒ……その……」
行先については薄々察していたが、近づくにつれカレハの戸惑いも大きくなった。
宿屋に帰って解散するだけだろうと思ったが、それなら何故、彼はこんなにも強く手を握ってきて、何故、彼の手はこんなにも熱いのだろう?
カレハの部屋の前まで来たところで、疑問は確信に変わった。
クレノヒはセイ──カースメーカーの少年──と相部屋で、カレハは一人部屋だ。クレノヒの目的のためにはカレハの部屋を使うしかない。
「鍵」
「……鍵はこれだが……なぁ、クレノヒ? 気付いてるとは思うが、ここは私の部屋で……」
聞き流して、クレノヒは鍵をひったくるようにして受け取った。
躊躇なく鍵を回し、ドアを開け、カレハを押し込んで自らも部屋の中に入る。念の為、内側から鍵をかけた。
振り向くと、心細く立ち尽くす、綺麗なものがいた。
「やっぱり、別の場所にしないか? 話すならここじゃなくても……」
何やら言いかけていたが、その細い肩を掴んで、ベッドに押し倒した。
「……!」
覆いかぶさり、唇を重ねる。先ほどより深く、長く。掻き抱いた体は同じ男とは思えないほど柔らかく、か細く、体温をまざまざと感じたこともあり、意識が遠くなるほどの快感をクレノヒは感じた。
「ン……、……!」
抵抗したがっているような雰囲気は見せるものの、全く力が入っていない。当然だ。本気で抵抗する気なら、腕のひと振りで今頃壁まで吹っ飛ばされている。
カレハがクレノヒに遠慮しても、こちらは遠慮しない。相手は人間を喰う怪物なのだ。人を誘って喰う者なのだから、見目麗しいのも、恐ろしくクレノヒ好みの姿をしているのも当然だ。
頭を後ろから支えてやり、更に深く口付ける。舌を顎の間に差し伸ばし、カレハの舌に沿わせて促すと、体をピクリと震わせた後、恐る恐るクレノヒの舌に応えてきた。快楽を共有できていることが伝わってくる。
クレノヒにとって夢のような時間だった。死にたくなるほどの。
ずっと考えていたことがある。カレハを無理矢理犯して、彼が理性で抑えつけている欲を暴くのだ。抵抗するようなら手足を銃弾で撃ち抜いて……いや、それでも大した枷にはならないだろう。弾を温存しておく必要もある。やらせてくれと頼んだ方が確実だ。断る理由が無いだろうから。聖騎士団の関係者でもないクレノヒには、身体中に恐らくあるであろう不自然な傷痕を隠す必要も無い。
本人は気付かないふりをしているが、カレハは飢餓状態の獣だ。理性のタガが外れれば、目の前の本来の食糧……人間に食らいつかざるを得ない。自分は喰い殺されるだろうが、死ぬ直前に脳天を銃で撃ち抜いてやる。一発で殺れるかは自信が無かったが、それなら死ぬまで撃ち込むのみだ。クレノヒの心臓近くには兵器が埋まっている。爆弾のような使い方もできるそれを起動させてもいい。
そうして二人で死ぬのがクレノヒの理想である。
自分もカレハももう先が無い。生きているだけで辛いのだ。特にカレハの方は人として生きるのに無理があるのだから、本当は痛いのも死ぬのも怖い癖に、本当はいつも体調が悪い癖に、人として死ぬために無理をして。そんな状態なのに、これから先は更なる飢えの苦しみと孤独に戦わなければならないのだから……今終わった方が幸せなのだから……一人残して逝くようなことはしない。
クレノヒがカレハを忌み嫌う理由は、つまるところ、『見ているだけで辛くなる』という一点に尽きる。
人として生きる罰の対価が、人として死ぬことなら、そんな人生に何の意味があるのだろうか?
どうでもいい他人ならこうはならない。何故こんなにも苦しくなるのか。理由は、考えたくもなかった。
「……ん……」
舌での情交に耽っていたカレハが、舌を引き、顔をクレノヒから逸らそうとする。クレノヒは当然気に入らず、頭を固定し再び口で口を塞ごうとした。それを辛うじて、カレハの指が阻んだ。
「待って、くれ…………だめだ……」
「嫌なのか」
「そうじゃない……」
呼吸は浅く、目は焦点が合っていない。
「きみ、舌噛み切られたくないだろう……。何をするか、自分でもわからないんだ……」
理性をかき集めて、必死に絞り出した警告を、クレノヒは鼻で笑った。
「やってみろよ」
手を払い除け、唇を貪る。カレハを組み敷きながら、片手で自分の外套の留め金を外し、はだけた。外套の下に装備したホルスターには小型の銃が収まっている。
次に、カレハの下半身の着衣に手をかけた。
「!」
のしかかった身体の下から、息を呑む気配がする。
抵抗はほぼない。クレノヒを傷つけないよう自身を制御するので精一杯で、動く余裕が無いのだ。
まさぐって留め具を外す内、女と変わらなくされた所に触れて少し後悔したが、カレハの体が人に見せられない傷だらけなのは承知済みだ。むしろここまでおもちゃにされて、よく今まで処女で居られたなと感心する──聞いたわけではないが、聞かなくても分かってしまうのである。
服を脱がすために自分の身体を浮かせると
「……すまない……」
か細い声が耳に届いた。
「私のせいで、辛い思いをさせたな……。
君はずっと……私には優しかったから……」
「───」
時間が止まった。
──視点の定まらない目で、何を言うのか──
──どうして、今一番言って欲しくないことを言うのか──
『イスカに仲良くしろと叱られでもしたか? 私は気にしてないんだが』
カレハのような生まれつきの怪物には、本当の恋も愛も理解できない。しかし恋ではなかったとしても、それに近い情をもって、自分に心を寄せてくれていた。
それは何故か? 傍から見れば身勝手なクレノヒの行動を、自分のためを想ってくれている故だと見抜いていたからだ。
そう、そんなことは、クレノヒも当然感じ取っている。
ふと、自分たち二人がもしここで死んだら、イスカは後悔するだろうな、と思った。
応援したつもりが二人を一気に失う惨状を招こうとは、少しも……いや、少しは予想していただろう。
それでもクレノヒの胸のつかえを取るために、信頼して送り出してくれたのだ。そういう男である。
クレノヒは、無意識にカレハを抱きしめていた。
カレハは自分を抱きしめる少年が泣いているのかと思ったが、そうではないようだった。腕はしっかりと回されていたが、力任せではなく、優しくて……温かかった。
「クレノヒ……」
「優しくする」
何を、なのか数秒かけて察して、さすがに顔が熱くなる。思わずクレノヒのシャツのしわを握った。今まで自分たちがしていたことも充分過激だったはずだが、改めて告白されると、受ける感覚が全く違った。
「……わからない……。緩やかに、しても、私の理性が持つか……」
「その時は、俺が責任を取る」
不安げなカレハをなだめるように、髪を撫でながら、確かに、『殺す』と告げた。
それで安心したのか、カレハは少しだけ笑って、こう続けた。
「それなら……任せる。
私も、少しでも君の慰めになるなら……応えたい」
クレノヒもため息混じりに笑った。
そうして、二人で再びシーツに沈んでいった。
クレノヒは、カレハが今夜のことを一生忘れないよう願った。