祖国への愛は貴方への愛ほどではないとしても 拝啓 小満の折、お母様におかれましてはご健勝のこととお喜び申し上げます。連戦連敗の就職活動の中、唯一内定をもらえた会社は入社前日に社長が夜逃げ。こんなご時世では再就職は絶望的と、お母様には多大なご心配をおかけしました。五月になって審神者の補欠合格の知らせが来た時には、家族一同、正月と盆が一遍に来たような盛り上がりでしたね。
「今なんと?」
……ごめんお母さん。
「だから、この本丸は呪われてんだ。死にたくなきゃ辞退しろ」
また無職に戻るかもしれない。
「あんた、本当に何も聞いてねーんだな」
「そんなかわいそうな子を見る目で見ないでください」
2225年現在、審神者には見習い制度というものがある。昔はすぐに戦場に放り込まれていたらしいが、今は現役の審神者の下で半年間見習いとして働いた後、正式な審神者となる。一般社会でいうところの試用期間みたいなものだ。
本来は二週間の机上研修を受けてから本丸に配属されるのだが、私は五月になってからの繰り上げ合格だったので、机上研修をパスして本丸に配属されたわけだが……師匠となる審神者と会った途端、これだ。
「顕現できない刀剣がいるって話なら私は気にしません」
「確かに七振りほど顕現できぬ刀剣男士がおりますが、主がおっしゃっているのは……」
体つきががっしりとした男性――多分近侍という役職(?)の人。名前が思い出せずにいると、審神者さんが蜻蛉切と呼んだ――を制し、審神者さんが続きを話す。
「この本丸に着任した審神者五人中四人が死んでる。俺もいつ五人目の死人になるかわからんし、あんたも六人目になりかねない」
戦争に従事する以上、ある程度の覚悟はしていたが、案内パンフレットに書かれていた戦死率と数字が違いすぎる。しかし、審神者さんも蜻蛉切さんも、嘘を吐いているようには見えなかった。
「えっと、私は獅子吼さんが」
「審神者名はあまり口にするな。先生とでも呼んどけって言われなかったか?」
「そういうのは何も。えっと、それでは先生。私は先生が急遽引退することになって、本丸を継ぐ審神者を探しているから、補欠だった私にお呼びがかかったと聞いたんですが……だから、かわいそうな子を見る目で見ないでくださいよ」
既に嫌な予感しかしないのだが、蜻蛉切さんが一通り話してみるよう言うので、私は政府の担当者から聞いた話を先生たちにした。
もっとも、私が話せることはそう多くない。本丸の引継ぎ要員として声がかかったこと、時間がないので机上研修はパスし、引継ぎ先の審神者に講義をしてもらうこと。それから顕現できない刀剣男士が七振りおり、それを了承のうえで引き継ぐよう言われたこと。
顕現できないとされる七振りは、鍛刀を繰り返しても、合戦場をくまなく探しても。どうやっても入手できないのだという。
「刀剣の収集率が成績に反映されるとは言われましたが、別にそれぐらいいいと思ったんです就職さえできれば!」
「職を得たとしても死んでは元も子もないでしょう」
「それはそうですけど、就活って本当に大変なんですよ。戦争のせいで生まれてからこの方ずっと不景気で、軍需産業以外は新卒取る余裕はないし、かといって軍需産業は偏差値高い大学の人しか採用しないし。他の分野でがんばってやっと採用されたと思ったら、社長が夜逃げして、入社式で会社行ったらもぬけの殻だったんです」
「そりゃまた……若いのに苦労したんだな」
苦労マウントを取られるかと思いきや、素直に同情してくれた。第一印象は怖そうなおじさんだったが、本当は優しい人なのかもしれない。だが、私に辞退させたいという考えは変わらないようで、先生は政府の担当者から聞いた嘘を訂正していく。
「まずは俺が引継ぐ審神者を探しているっていうのは、ない。こんな呪われた本丸、俺の代で潰した方がいい。それなのに見習い一人確保したから、そいつ鍛えて継がせろって政府からお達しが来た。何回断っても継がせろの一点張りで、仕方ないからあんたと直に話して説得しようと思ったわけだが……ふざけてんなあいつら」
「あとでこんのすけに確認しましょう」
「頼む。それから座学まで俺に丸投げすんなって言っとけ」
それから先生は、何故自分の本丸を『呪われた本丸』と評するのか説明した。
「さっきも言ったが、この本丸には計五人の審神者が着任した。俺は初代と六代目、一度クビになったが出戻ったわけだ。クビになった理由は、采配ミスで検非違使に全刀剣やられたせいだ。で、クビになった俺の後釜に、俺の従兄弟が宛がわれたんだが……」
二代目。先生の従兄弟の男性。解体された本丸から引き取った刀剣男士に切り殺される。
三代目。名家の御曹司。将来有望な審神者だったが、若くして癌になり、癌発覚の一週間後に急死。
四代目。三代目の妹。兄と同じく優秀な審神者だったが、軍事裁判にかけられ謎の死を遂げる。
五代目。ベテランの女性審神者。遡行軍の襲撃に遭い、逃げた先の地下室で中毒死する。
以上が二代目から五代目の身に起こった悲劇だが、聞き捨てならないことがあった。
「ここ襲撃されたんですか?」
「移築したから大丈夫らしい」
「えぇ」
「一から建てるより、ボロボロでも修繕して移築する方が安いんだとよ」
「えぇ……」
「で、そこで一度クビになった俺にお鉢が回ってきて、なんとかまだ生きてはいるが……」
「が?」
「二月に友人が変な殺され方して死んだ」
「……」
「俺が四十半ばで無職になる理由だ」
先生は最後の駄目押しと言わんばかりに、こう言って話を締めくくった。
「現世じゃ単なる偶然とすますかもしれねえが、ここは神の世界だ。あんたは巻き込まれる前に逃げろ」
その場で家に帰らされることこそなかったが、予定していた(予定していたのは私だけだったが)講義は中止になり、政府と話がつくまで客間で待機するよう言われた。
しかし交渉は難航しているらしく、前髪をマルチーズみたいにした男性が夕飯を持って来てくれても、おかっぱ頭の男の子がお風呂まで案内してくれても、おかっぱの子とよく似た子が布団を敷きに来てくれても、先生からの連絡はなかった。
さすがに深夜に連絡は来ないだろうし、いろいろありすぎて疲れたから、十一時には就寝した。しかし、普段より二時間も早く寝たせいだろうか。夜中に目が覚めた。
「(トイレ行きたい)」
枕元に置いた端末で時間を確認すると、午前二時だった。丑三つ時。普段意識したことはないのに、何故か一番にそう思った。しばらく布団の中で迷うも、社会的な死は避けたいので、観念して廊下に出た。
灯り代わりになる端末は置いてきたが、外廊下は月の光で十分明るく、庭の百合が昼とは違った姿を見せる。個人の庭とは思えないほど広大な百合園は、強面の中年男性のイメージとはギャップがあり、おかっぱの子にそれとなく聞いてみれば、現世の季節に合わせて景趣を変えているのだという。
「景趣も全種類あります、か」
政府の担当者曰く、景趣は一定の戦果を上げた審神者への報償で、審神者制度の開始初期しか配付されなかったものもあるため、全種類制覇しているのはベテランかつ優秀な審神者のみだそうだ。
花より団子の人間なので景趣にそれほど興味はないけれど、この本丸は鍛錬所も手入部屋も最大限まで増築済だし、資源の蓄えも万全らしい。今思えば補欠にこれほどの優良物件を引き継がせるわけないのだが、2225年度合格者の所属が全員確定した後に、審神者が引退を申し出たからと言われて信じてしまった。
──確かに七振りほど顕現できぬ刀剣男士がおりますが……。
ふと蜻蛉切さんの言葉を思い出す。先生は顕現できない刀剣男士については否定しなかった。
「(明石国行と、山姥なんとかが二人、それと剣がつくのもいたはず……)」
渡された契約書にも七振りの名前は書いてあったが、きちんと覚えているのは一振りだけ。明石国行は友達に行の字だけが違う同姓同名の子がいるから一発で覚えた。でも残りの六振りはあやふやで、思い出す自信もなかったから諦めた。
トイレは廊下を右にまっすぐ進んだ後、突き当りを左に曲がる。布団を敷きながら男の子が教えてくれたが、あれは寝る前に行っておけということだったのかもしれない。教えてもらったとおりに廊下をまっすぐ進んでいると、向かいから人が歩いてきた。
ホストクラブにいそうな長身のイケメン。あと眼帯。この人は……。
「燭台切さん、お疲れ様です」
軽く会釈するが、燭台切さんは何も言わず立ち止まる。夜中に見習いが出歩くのを訝しんでいるというより、私がいること自体に驚いている。そんな風に見えた。
「君は、どうしてここに?」
夜中に目が覚めてトイレに行きたくなりましたと答えるのは、彼が求めている答えではない気がした。もしかして見習いが来ることを聞いていない? そう考えると、燭台切さんの驚きようも合点がいった。
「今日から配属になりました審神者見習いです。先生から聞かれていませんか?」
「見習い? 何ですそれ」
独特なイントネーション。もちろん燭台切さんではない。声のする方向を見ると、庭に眼鏡をかけた男性が立っていた。
いつの間にと思うより先に、恐怖に似た驚きが来る。記憶違いだと思いたかった。けれど燭台切さんは、明石国行君だよね? と庭に現れた男性に話しかける。
「はじめまして。僕は燭台切光忠。この名前は青銅の燭台を……君は僕を知っているだろうから別にいいか」
何故この人はこんなに落ち着いているのだろう。この本丸では顕現できないとされる七振りのうちの一振りが目の前にいるのに。
真夜中にやって来た客人と考えるには無理があった。顔がこわばる私とは対照的に、明石さん(もう明石国行と認めるしかないだろう)は、私と燭台切さんの顔を交互に見、へらりと笑う。
「もしかして自分、死んでます?」
「どうしてそう思うのかな?」
「さっきまで全身血だらけだったのに、今はピンピンしてますし。それに燭台切はんとその審神者はん、どう見ても援軍ではないやろ」
しゃべれない私の代わりに燭台切さんにつっこんでもらいたかったのだが、彼はそうだねと肯定する。
「僕は御神刀ではないから詳しくはわからないけど、僕の経験上、君は折れている。強い後悔の念を残してね」
「強い後悔、ですか」
「もしくは未練、懺悔、復讐心……。どう? 僕に話してみないかい? 少しは気持ちが楽になるんじゃないかな」
「それも経験上です?」
「う~ん、どうだろう。そう言われると困るな」
燭台切さんはそう言って、さわやかに笑う。一方の明石さんは視線を横にそらし前髪をいじっていたが、決心がついたのだろうか。しばらしくして自分の身に起きた出来事をぽつぽつと話し始めた。
敵襲にあったんですわ。そこの百合園で蛍丸が折れて、自分の記憶もそこまでやから、多分蛍丸と一緒に折れたんやと思います。
自分の主はんは用心深い人で、守りに重点を置く人やった。けど、戦力を出し渋るなってお上に言われて、素直に従ったその日に敵襲ですわ。
主はんの護衛は来派が務めました。室内で夜半で。極めているとはいえ、粟田口あたりが務めるのがええんやろうけど。自分、元専属近侍なんですわ。やる気ないのが売りなのに、慣れというのは恐ろしいなぁ。気づいたら蛍丸と愛染国俊連れて、主はんの部屋に駆けつけてたんです。
主はんは書類を燃やしてました。自分らには電子機器壊すように命じて、それが終わったら、執務室にある緊急避難ゲートから逃げようとしました。
でも、ゲートは動かなかった。敵襲のタイミングを思えば、まあ不思議ではないわな。緊急避難ゲートが使えんのなら、門のゲートもまず無理やろ。それならどこかに隠れて、やりすごすしかない。主はんはこうなることを見越してか、政府に黙って蔵に地下室作ってたんです。もうそこしかないと思うたから、自分と蛍丸が敵を引き寄せ、あとは愛染国俊に託して……。
燭台切はんの言う強い後悔っていうのは、働きすぎたことやろうか。最後の最後まで戦って折れるなんて、自分らしくありませんわ。
なんや、自分が専属近侍やったのが意外です? そうやろうなぁ。演練で燭台切はんを近侍にしてる本丸はちょくちょく見ましたけど、自分は全然見かけんかった。
いや~、自分の主はん、そりゃもう真面目な人で。真面目なだけなら別にええんやけど、他人も自分と同じくらい真面目にせんと気がすまん人なんです。自分は何言われても働きまへんって言ってるのに、自分の顔見るたび働け働け言うてきよりましたわ。
……ああ、すんません。ちょっと驚いてしもうて。自分やっぱり死んでるんやな。邪魔や邪魔や言うとりながら、体の一部と思うとったとは。これ、腕時計。明石国行がしとるなんて意外やろ? 自分が買うわけないやん。しかもこんな盤に花が描いてる女物……ってそこからは見えへんか。
──もう! 時間は有限なのよ!? ほら、これあげる!
主はんから押しつけられたんです。なんでも、これ見て時間を意識して動くようになれって。邪魔やし女物やし、けど外すのも面倒やし。それに腕時計つけたくらいで、自分が変わるわけありませんっていう意思表示のつもりで、いつもつけとりました。けど逆効果やった。
──明石の自主性に任せた私が馬鹿だった。私が直々に指導する。
自分になーんも期待したらあきまへん言うとるのに、とうとう主はんの堪忍袋の緒が切れて、自分を近侍にする言い出しはったんですわ。ひどい話やろ? 近侍の生活は、想像してたんより百倍きつかった。朝起きたらおはようの前に働け言われるような生活で、えろうまいりましたわ。
それで、自分思うたんです。これは自分も主はんも死ぬと。主はんは血管が切れて死んで、自分はあいでんてぃてぃの崩壊で死にます。
自分、楽するためには手を抜かん性分なんで。そこからは、主はんに時間をかければええってもんやないこと証明してみせて……らしくないこと言うなって思うとるやろ? 自分らしさを守るためには、自分らしさを捨てんといかん時もあるんや。
主はんは真面目な人やけど、意固地ではなかった。結果的に自分のやり方の方がええとわかると、むやみやたらと働くことはやめました。ああ、今まですまなかったと自分に土下座しましたな。ほんまに、馬鹿がつくほど真面目だった。
まあこれで、自分はお役目御免になると思うとったんです。思うとったのに、元近侍の初期刀はんが君のような人こそ主の近侍にふさわしいとか言いやがりまして。……おっと、すんません。つい本音が。あの素直さは自分やのうて、お兄さんに向けるべきやと思いません?
ん? 審神者はん、あんたしゃべれたんやな。見習い? さっきも言うとったけど、なんですそれ。……へえ、それはご親切なことで。それで見習いはん、何です? ……いつもって言ったやろ。この腕時計はあの夜もつけてた。外したのは、主はんと別れた時や。
執務室出て蔵に向かう途中で、敵の短刀が現れて、蛍丸が真っ先に向かいました。自分も加勢しようと刀を抜きかけたところで、主はん、自分の手を引いたんです。
自分と目が合った途端、泣き始めた。政府に裏切られたとわかった時も、下唇噛んでこらえとった人が、ボロボロ泣くんです。
主はん守る役は自分やなくて、短刀の愛染国俊がええって、互いによくわかってた。けど主はん、自分に行くなと言おうとするんです。審神者になるため何もかも捨ててきた主はんが、そんなこと言ったらあかんし、言わせてもあかん。
とっさに腕時計を外して、主はんに握らせました。主はんはまだ泣いてたけど、突き飛ばして蛍丸に加勢して。愛染国俊が主はんを無理やり引っ張って連れていくのは、見えなくても気配でわかりました。
自分と主はんの関係? おかしなこと聞きますなぁ。なんもありまへん、そう、なんも。
近侍を外れたのも、そんな深い理由はあらへん。そもそも、自分が十年以上も近侍やったのがおかしかったんや。このまま近侍にしてたら、血管が切れて死んでしまうと主はんもようやく気づいたんやろ。それに泣かしてしもうたし。
昔、審神者が結婚を禁じられてたっていうのは……燭台切はんは知ってますか。で、見習いはんは知らんと。
昔は結婚どころか、一度本丸に入ると、二度と現世には帰れなかった。現世の家族や友人、自分自身の幸せ、そういうの全部捨てて審神者になることが求められた時代があるんです。主はんはそういう時代に審神者になった人やった。
自分聞いた時は思わず笑ろうてしもうたけど、主はんの小さい頃の夢、花嫁さんいうんです。それで子供は三人ほしくて、男男女が理想だったとかもいうんです。いやいや、笑うやろ普通。あんな仕事人間が花嫁さんやで?
なんで花嫁さんならんかったんって聞けば、あの生真面目な人らしく、審神者としての才がある以上、自分には人々の未来を守る責務があるとか言ってました。
でも、政府は途中で方針転換したんですわ。一般募集で集めた審神者がものになって体制が安定してきたのと、主はんたちみたいな古い審神者のあり方が人権侵害だと問題になったとか……自分にはようわからんけど、主はんがそんなこと言うとりましたなぁ。
方針転換した政府は、主はんたちに結婚解禁の通達を出した。それだけでなくて、現世への一時帰還も許されるようになった。
めでたいことやと思いまへん? 捨てたもんがもう一度戻ってくるんや。親にも会える、友人にも会える、もう一度夢を見ることができる。主はん、子供は厳しい年齢になってたけど、花嫁さんはいつでもなれます。
──こんなおばさんが今更結婚なんて、ありえないでしょう。
めでたいことやのに、喜ぶどころかそんなこと言うて。
──第一、こんなおばさんの貰い手なんてないわ。
書き物しながら言うてたんで、自分は主はんがどんな顔しながら言うたのかはわからんかった。だから、あんなこと言うてもうたんやろうな……自分がおりますって。
いや~、振り返った主はんの顔! もう般若! あ、大般若はんは関係ないで。しかも硯を投げてきましたわ。出陣以外で手入れさせるなって、いつも言うとる人が何やりよるんってかんじで。
それから手当たり次第そのへんの物を投げて、投げて。自分が全部避けたのが気に食わんかったのか、泣き出しましたわ。
──何でそんなこと言うのよ!
──全部捨ててきたのよ! 審神者になるために、他人の子供の未来のために!
──全部、全部、全部、全部!! 全部捨てた!!
──どうして今更そんなこと言うのよ! もう全部捨てたのに!!
それで自分は近侍解任。な? なーんもあらへんやろ。
そこまで話すと明石さんは深い溜息を吐いた。
「自分しゃべりすぎと違います?」
「みんな話し出すと明石くんみたいになるよ」
「みんな、ですか。強い後悔とやらを抱えて死んだ刀がそんなにおるん?」
「少なくとも君以外に五振りはいるね」
「幽霊に会いすぎ」
天気の話をするかのように平然と言うから、ついツッコミを入れてしまった。けどこの人が始めから不自然なほど落ち着いていた理由がわかった。顕現できないとされる刀に会い話を聞いたことが前にもあったからだ。
「で、その後悔の念がなくなれば明石さんは成仏できるんですか?」
私としては当然のことを聞いたつもりだったが、燭台切さんは目を丸くしている。成仏という表現が良くなかったか? 付喪神なのだし仏には成らないか。しかし私の心を読んだ燭台切さんが、そうじゃなくてと言う。
「僕にはない発想だったから驚いただけ」
「もしかして成功者ゼロ?」
「世知辛い世の中ですなあ」
「君が記念すべき第一号になるのは?」
「やる気ないのが売りなんで譲ります」
肩をすくめて首を振る明石さんに、これ以上話を掘り下げる気はなさそうな燭台切さん。聞き上手そうな燭台切さんが全敗しているのなら、私にできることなんてないのかもしれないが、これだけ話を聞きながら何もせず立ち去るのは気が引けた。
生真面目で責任感の強い審神者に顕現された明石国行。彼の抱える強い後悔の念とは何だろう。私と目が合うと、明石さんはへらりと笑う。緊張感のない笑み、話を聞く前だったら悪い意味合いに受け取ったかもしれないが、今は違うとわかる。
「あなたの後悔は、大切な人を守れなかったことですか?」
不躾な質問だが、一番可能性が高いことを聞いてみる。明石さんの主の生死は不明だが、話を聞く限り望みは薄い気がした。素人の私がそう思うのだから、明石さんも同じだろう。けれど明石さんは躊躇うことなく私の考えを否定した。
「主はんは生きてます」
「どうしてそう思うんですか?」
「主はんには愛染国俊がおります。国俊なら主はんを守りきる」
「……」
「楽観的すぎるって? それでも自分は国俊を信じる」
強がりではなく、本心からの言葉だった。それならば、あと私に思いつくのはこれしかない。
「あなたの主に伝えたいことはありますか? 私がお伝えします」
明石さんは腕時計を渡して主の言葉を封じた。けれど伝えたい言葉を伝えられなかったのは、彼も同じはずだ。私の申し出を聞き、明石さんの顔から笑みが引く。何も言わないが、葛藤しているのがわかった。審神者としてあり続けることを願った主のために身を引いた人だ。自分の言葉が主の生きる妨げになるのを恐れている。
「審神者名を教えてもらえませんか?」
私は聞き上手にはなれず、沈黙に耐え兼ねて再度尋ねる。それでも明石さんは長い間黙り込んでいたが、腕時計を外すと私たちのいる外廊下に近づいてきて手を伸ばす。燭台切さんの顔を見るが、彼は頷き受け取るよう勧める。
取ろうとしてもすり抜けてしまうのではないかとドキドキしたが、時計はしっかり掴めた。盤に花が描いてある女物と言っていたが、想像していた女性らしいデザインではなく、百合の花と蕾が実写的に描かれ、言われなければメンズで通りそうだった。
「高砂」
「え?」
「主はんの名前。本丸を二つ持ってる審神者の高砂。それとその時計あれば、ある程度は絞れるやろ」
「……何と伝えましょう?」
「自分のことは忘れて幸せになり」
続きを待ったが、彼からそれ以上の言葉はなかった。それで本当にいいのかと言ってしまいたかったが、長い葛藤の末の決断を侮辱するようで、口にする前に飲み込んだ。代わりに『わかりました、確かに伝えます』と、そう言おうとした時だった。
甘く濃厚な百合の匂いがした。百合園は見える場所にあっても匂いがするほど近くはなく、風だって吹いていないのに、いきなり強く。匂いの出所を見つけるため辺りを見渡すが、それらしき物は何もなく、けれど匂いは今なお強く漂ってくる。
他の二人も辺りを見渡していたが、何故か私のところで視線が止まる。今更ながら自分がノーメイクの寝間着姿なことを思い出し羞恥心を覚えるが、イケメンは許してくれずなおも私をまじまじと見ている。
「な、何か?」
耐えきれず燭台切さんに聞くと、彼はおかしなことを言う。
「君から匂いがする」
「そんなわけな……」
女の子からは花の匂いがするなんて夢を見すぎだろう。けれど流れで自分の体臭を確かめようと両手を広げたところで気づく。時計の盤に描かれた百合がすべて咲いていた、そして百合の匂いは時計からしている。
──そんな言葉は聞きたくない。
この場にいない彼女の声が聞こえた気がした。燭台切さんは固まっている私の手元を覗き込み、匂いの正体に気づいたようだった。
「高砂という名は百合の花から?」
「さあどうやろ。百合が好きやったからそうかもしれんなぁ」
「それならこれはきっと彼女の意思表示だ」
燭台切さんは私の手のひらから時計を取ると、明石さんに返した。一度渡した物を返されて明石さんは怪訝な顔をしたが、腕時計の変化に息を飲む。
「伝言、変えますか?」
今度は彼の決断に口を挟むことに抵抗はなかった。二人ともそれを望んでいるとわかったから。
「……主はんが審神者せんですむ平和な時代になったら」
明石さんは顔を上げ、笑う。彼が自分の気持ちをごまかすため浮かべていた軽薄な笑みとは違い、穏やかなものだった。
「その時は夫婦になりましょう」
明石さんは頼むで告げたかと思えば、白い煙となりその場から消えた。
明石国行は消え、庭に腕時計が落ちている。庭に下り拾えば、腕時計から百合の匂いはせず、盤の絵も蕾に戻っていた。
本当に彼は死んでいたんだなと改めて思う。幽霊としか説明がつかない事象ばかりだけど、それでも明石さんは動き、しゃべり、生きている私となんら変わりなかった。
「きみ、そんな所で何をしてるんだ?」
背後から話しかけられ反射的に振り向けば、全身真っ白な人が私を見下ろしており、驚きのあまり腰が抜けた。
「何もしていないのに驚かれるのは嬉しくないな」
「え、あの、新しい幽霊ではなく?」
「幽霊なものか。ほら見ろ、足がちゃんとついているだろう」
白い人はぺちんと自分の足を叩いて見せる。見かけは儚そうな美人なのに、声と動作に違和感を覚える。
「最近の幽霊は足がついてるんです。ですよね、燭……」
燭台切さんに同意を求めるが、彼がいるべき場所に白い人がいて、燭台切さんの姿はどこにもなかった。
なんでと疑問に思うと同時に、あることに気づく。自分の顔から血の気が引くのがわかった。
「初対面なのに変なこと聞いて申し訳ないですが」
「なんだ?」
「この本丸で顕現できない七振りの名前を教えてもらえます?」
白い人は渋い顔をし、私も彼の立場なら同じ顔をするだろうと思いながら、お願いしますともう一度頼んだ。教えたところで支障はないと判断した彼は、七振りの名を順に言っていく。
「山姥切国広、山姥切長義、七星剣、一期一振、謙信景光、明石国行、それから」
一拍間を置いた後、最後の刀剣男士の名を告げる。
「燭台切光忠」