マホロア詰め合わせそらの旅人 きらきらして綺麗な空を見上げるのが好きだった。一面に広がる無数の光は宝物みたいで、いつもうんと背伸びしては、手が届かないことに落胆する。
(ボクにモット、チカラがあればナァ……)
そうしたら、あの宇宙を自由に飛び回って、あの輝く宝石箱の中を好きなだけ眺めていられるのに。毎日のようにそう思っているある日、マホロアは故郷の星に、星々を切り裂くように飛翔する船が眠っているという噂を聞いた。
それさえあれば、きっとチカラのない自分にも、自在に宇宙を旅することが出来るだろう。欲しい。どうしても、その伝説の船を手に入れたかった。
「ボク、ソノ船を探しに行こうカナァ」
その話をしてくれた知り合いに言うと、彼はばかにするように「好きにすればいいサ」と笑った。
「自分で体を張るなんて疲れるのによくやるのサ。ボクだったらもっとうまくやるけどねえ」
「フン、マルッキリ他人まかせにスルよりは確実ダヨ」
マホロアがふいっとそっぽを向くと、彼はまた笑った。
この知り合いとマホロアとは、よく一緒にいて話すことが多かった。けれどマホロアは彼のことを友達だとは思っていない。向こうもそうだろう。そもそも彼が遠くから来たのか、それともこの星の出身なのか、そんな基本的なことさえ知らなかったし、興味もない。ただ、どこか心の奥の方、根っこのところで彼と自分とが何か似通ったものを持っていることは薄々感じていた。だからきっと、仲が良いわけではないのに気が付けば並んで座っているのだろう。
「そーかなぁ? ま、すぐわかるのサ。ボクもちょっくら遠出してくるからサ」
「ヘエ? ドコに行くワケ?」
そう聞くと、知り合いは遠い夜空の向こうを見上げた。
「ポップスター。それで、大彗星におねがいしてくるのサ」
「フーン。ソレってカナリたいへんじゃなかっタ? まぁボクにはカンケイないケド。死なないヨウニせいぜいガンバってネ」
「ふふん、失敗したってボクは死なないサ。代わりに星のカービィにやってもらうんだからね」
「星のカービィ?」
マホロアがカービィの名前を聞いたのは、そのときが初めてだった。しかし彼の方は逆に、マホロアがカービィのことを知らないことに少し驚いたように見えた。
「ああ、キミはボクみたいに気軽に他の星に行けないもんなあ。でも、あっちの方じゃかなりの有名人だぜ。くいしんぼうでのんきなヒーロー星のカービィが、またひとり悪いヤツをやっつけた! ……ってサ」
「ナルホド。そしてソコにあたらしくキミの名前がフエルってことダネ」
「うるさいなあ、こういうのは勝った方が正義なのサ。だからボクが勝ったら悪いのはカービィだよ」
「うわあ、ヨク言うヨォ……」
あまりにあっけらかんとした開き直りっぷりにマホロアが呆れると、彼はけたけたと笑って翼を広げた。どうやらもう出発する気らしいと悟り、マホロアは座ったまま彼を見上げて声を掛ける。
「マァ、知り合いのよしみデ、ケントウくらいは祈ってアゲルヨ」
「ありがと。そっちも、気を付けるのサ……ふふ」
どこか含みのある笑みを残して、彼は異空間ロードにつながる裂け目に入って見えなくなる。マホロアはそれを見る度に羨ましくて仕方がなくなり、外の世界に焦がれながら溜息をつくのだった。
どうやらハルカンドラには古くから伝わる伝説がたくさんあるらしいと気付いたのは、この星のどこかに眠るはずの船を探すために、資料を調べているときだった。銀河を飛ぶ機械仕掛けの星に、夢を生む不思議なアイテムなど、まるで夢物語のような話に、マホロアは船を探すという目的を外れて純粋に興味を持った。おかげで目当ての情報がなかなか見つからなくても退屈せずに済んだ。
それでも、ついに天かける船ローアに関する記述を見つけた瞬間の喜びは、マホロアが今まで生きてきた中でも格別で、言葉にするのが難しかった。これだ。これこそ、自分が求めていたもの。記号の羅列のような大昔の文字を指先でなぞり、マホロアはにっこりする。そして窓の外の空を見上げて、絶対に見つけると決心した。
読み解いた資料には、ローアが眠っている場所は、ハルカンドラの中心部にある火山の中だと記されていた。
火山はとても危険な場所だった。星に住む者は誰も近寄らないし、物好きな冒険者が迷い込んでも、それきり行方知れずになっているという話をよく聞いていた。実際にマホロアが火山の麓で観察した様子でも、あながち誇張でもないのではないかと思える。
ひょっとしたら伝説はただの伝説で、天かける船なんて本当はないのかもしれない。あんな古い紙きれの言うことを信じてここまで来てしまったけれど、本当にいいんだろうかとマホロアは思う。
(デモ……)
赤い灼熱が放つ熱気に圧倒されながら、マホロアは火山を見据えた。
(デモ、ボクはどうしても船が……ローアが欲しいンダ)
元々、多少の危険は覚悟していた。バカだなと笑った彼を見返す為にも、諦めるわけにはいかない。いや、そちらは大して問題でもないのだが。
マホロアはぎゅっと拳を握ってから、迷いなく火口に向かって走り出した。
炎に包まれた巨大な岩を避け、赤々と輝く溶岩に触れないように気を付けて進む。それでもいつのまにかお気に入りの白いマントは焦げているし、熱くて堪らないし、少しもしないうちに既にへろへろになっていた。
「アーア……ヤッパリ、ボクにはムリだったのカモ。もうハヤクかえりたいヨォ……」
比較的安全な場所で座り込みながら弱音を吐く。今はようやく山の中腹といったところで、道のりはまだ長そうだ。
「どっか、火山のナカにはいれるトコロないのカナ。ショートカットみたいな……マァないよネェ」
そうぼやいている最中だったので、何の気なしにふともたれかかった壁が崩れたときは死ぬほど驚いてしまった。
「ワッ、え、え、ええェェェ!?」
完全に油断していたので、とっさに体勢を戻すというような器用な芸当はできず、マホロアはそのまま闇の中に転がり込んでいった。
「イッテテテ……もうっ、ナ~ンデあんなピンポイントにくずれるのカナァ! ツイテないよ、ホント……」
いまだぱらぱらと自身の上に降りかかる小石を払いながら、のろのろと身を起こす。あたりは暗い。顔を上げると、大分上の方に微かに明るい空間が見えた。あそこから落ちて来たのだろうが、戻るとなると相当骨を折ることになりそうだ。けれど考え方を変えれば、火口まで行く手間が省けたともいえる。
(タナからボタモチなのか、泣きっツラにハチなのかワカラナイけど、とにかくススんでミヨウ……)
魔法で辺りを照らす小さな光の球を側に浮かべる。見た所段差はかなりきついが、歩けないほどではなさそうだ。マホロアは奥に進む決心をした。
やはり火山の中だからか、さっき外を歩いている時よりもずっと暑くてむしむしとしている。汗をぬぐって、悪路に足を取られ、転びそうになり、段々強くなる帰りたいという思いを何とか押さえつけながら、それでもマホロアは諦めない。あの宝石箱のような夜空に飛び立っていくという願望が、まるで手招きでもしているように、マホロアをひたすら奥へと導いていくのだ。
不意に、壁や天井に当たって縮こまっていた明かりが突然広がって、ぼんやりとした闇へ溶けた。マホロアは戸惑いながら辺りを見回す。ここには溶岩は流れていないからか、マホロアの周囲以外は完全な闇である。唯一見える足元には、岩盤めいた黒く硬い床の所々に、透き通った石の結晶が花のように咲いている。マホロアの吐息以外に聞こえる音と言う音は無く、夜の海底のような静けさがあった。
マホロアはおそるおそる、どこまでも広がるように見える暗い空間に足を踏み入れる。そして、気がついた。
「ア……!」
マホロアは大きな黄色い目を更に大きくして、じっとそれに見入った。
闇の中でも清純な白を保ち、青いエムブレムに星のマークを装った船は、まさしく自分がずっと探し求めたものに違いなかった。
「ローア……ヤットみつけタ!」
はじめて自分の目で見たローアは、思い描いていたよりもずっと綺麗で、マホロアは一目見ただけで心を奪われていた。
長いこと火山に眠っていたのだから熱で機器系統がやられていやしないかと、道中ずっと心配していたのだが、どうやら杞憂だったようだ。近付いただけで船の側面がぱっと輝き入口が現れる。まだ動力が生きているらしい。ハルカンドラの古代の人々はよほど高度な技術を持っていたのだなとマホロアは感心した。
内部はどこもかしこも分厚い埃が積もっていて、入った瞬間思わずマホロアはくしゃみをした。ずっとヒトの手を離れていたのだから仕方がないとはいえ、酷い。何度もくしゃみをしながら中を見て回る。何もない。骨の一つも転がっている覚悟はしていたのに、誰かがいた形跡すらなかった。
(コレをつくったヤツラは、イッタイどこに消えちゃったンダカ)
目に付いた埃の塊をどかすと、パネルが現れる。そしてもわっと埃が舞い上がったせいで、またマホロアはくしゃみが止まらなくなる。
「まずはソウジからハジメルとしようカ……」
初めの数日間は埃を取り去ることに専念し、どうにか落ち着いて作業を始めることが出来る環境になってから、改めてローアを細かく調べ始めた。さすがに何もかもが無傷と言うわけではないようだ。照明は壊れているし、メインコンピュータが壊れているのか、ほとんどの機能が制限されている。やることはたくさんありそうだった。それから、あちこちに取りつけられている球体を外して調べた。
球体の内部に閉じ込められている歯車には、非常に強い力が秘められているらしいことに気付き、マホロアは感銘を受けた。だからこそ、遠い昔に作られた船の中で、まだその働きが生きているのだろう。マホロアは取り敢えずそれをエナジースフィアと呼ぶことにした。ローアを再び夜空に飛び立たせるには、きっとこのエナジースフィアが重要な役割を担うことになる。マホロアは丸い歯車を、壊さないようにそっと元の場所に戻した。
こんなに一生懸命何かに取り組んだのは、生まれて初めてだった。さすがに古代文明の産物だけあって、マホロアにとっての常識がまるで通用しない。どこをどうすればもう一度機能が回復するのか見当もつかず、持ちこんだ歴史書や資料とにらめっこしながら少しずつ復旧作業を進めていくしかなかった。
一番初めに直すことが出来たのは、照明だった。優しい白い光が船の中を満たした瞬間は、本当に嬉しくて嬉しくて、何度も明かりを付けたり消したりしてみた。次はドアだった。それで、壊れて開かなかった別の部屋に入ることが出来た。当り前だが、やはり誰も見当たらない。もっと細かく調べようとした矢先に、くしゅんとくしゃみを一つする。そしてマホロアは、また掃除のし直しかぁ……とがっくり肩を落とした。
修理をするのはとても楽しかった。元々一人でじっくり取り組む作業は好きだったし、機械いじりも得意な方だ。何より、これが終わったらいよいよ憧れの旅に繰り出すことが出来ると思えば、苦になることなどなかった。
しかし、ウィングの調子を確かめたらいきなりぽろっと落ちた時はさすがに驚いた。ものすごい音がしたし、衝撃で落盤が起きたらどうしようかと、かなり長いことびくびくしていた。けれど直すとき、ふっとウィングを改造してみようという考えにいたり、復旧そっちのけでウィングを飛ばして攻撃できるようにしてみた。狭いので動作の確認はできないが、なかなかうまくできたと思う。いつ使うのかと訊かれたら、さあねとしか言えないが。
そんな風に修理と改造を繰り返し、ローアは少しずつ昔の機能を取り戻していった。一番重要かつ大変なのはメインOSの復旧だ。必死に途切れた回路を見つけ出し、足りないエナジースフィアを他の必要ない場所から移してみたりと散々苦労したが、何をやってもうまくいかない。
「モウ! どーしてキドウしないんダヨ!」
ついに我慢できなくなって、マホロアはうんともすんとも言わない操作パネルの前で怒鳴った。そして部屋を見回して、更に当たり散らした。
「ローア! デンセツじゃあキミにはココロがあるんデショ!? ダッタラ多少の不具合があってモ、ボクのガンバリにめんじてキアイでどうにかウゴイテヨッ!」
ドン、と力任せに両拳をパネルに叩き付ける。すると、ガガッと妙な異音が生じた。
「あ……ヤバ……」
マホロアは途端にさっと青褪める。乱暴に扱ったせいでついに再起不能になったのかもしれない。そうなれば今までの苦労もすべてが水の泡だ。
「ド、ド、ドウシヨウ……はやくナントカしなくっチャ! って……アレ?」
マホロアは何かがおかしいことに気付いて、ぱちくりまばたきする。目の前の大きなモニターにざざっと砂嵐が走って、ぱっと画面が切り替わった。
「エ、アレ? ホントにうごいてル? ウソ!?」
砂嵐がひどいし、映像も大きく揺れているが、ついに起動してくれたらしい。さっきの衝撃がうまいこと働いてくれたようだ。
「まるでホントにキアイで動いたミタイ……ナ~ンテ、まさかネェ」
と、マホロアが呟いた瞬間、ビーっと大きなエラー音が響く。慌ててモニターに目を向けると、ローアの全体図が表示された後、一部分がズームになって、特定の箇所にバツ印が表示された。まるで抗議でもされたようなタイミングだったから驚いたが、おそらく偶然だろう。
「ナルホド、ソコにコショウがあるってコトだネ」
マホロアが独り言を口にすると、画面が頷くようにざざっと揺れた。
モニターに表示された場所を見に行くと、なるほど確かに見えにくい所にかすかなひびが入っているのを発見した。多分、あのバツ印がなければいつまでたっても気が付かなかっただろう。マホロアはローアに故障個所を表示させる機能を作った遠い昔のハルカンドラの住人に感謝した。この頃になるとマホロアも手慣れたもので、初めの頃と比べると見違えるように危なげない手つきで部品を交換する。
「ヨシ! コレでカンペキのはず!」
工具をしまっていそいそと引き返し、操作パネルのある部屋まで戻った。危険がないようにと切っていた起動スイッチを押し、わくわくしながらモニターを食い入るように見つめる。
砂嵐は消えていた。バツ印もない。綺麗な映像が表示され、ローアの主だったパーツ部分にマルが被せられる。
「ナ……ナオッタ……?」
じわじわと喜びが胸に溢れ、ある点を越えた瞬間一気にそれが溢れた。マホロアは満面の笑みでぴょんぴょんと跳び回る。
「ヤッタ~~~っ!! さっすがはボク、タッタひとりでハルカンドラの遺産をなおしちゃうなんて、サイノウを感じちゃうヨネッ!」
システムはオールグリーン、いつでも飛べる状態だ。いよいよ昔からの夢をかなえるときが来たのだ。
「さすがにキョウはつかれちゃったカラ、出発はあしたダネ。やっと、やっとコノトキがきたヨォ!」
にこにこしながら、マホロアはローアの鏡のように光る白い壁を撫でた。最初は埃まみれで壊れているところばかりだったが、今は改造の成果もあってすっかり快適な空間と化している。マホロアにとってローアは、なんだかもう他人とは思えないような、そんな存在だった。まあ、所詮はモノにすぎないのだけれど。
その日、マホロアは興奮したせいかなかなか寝つけなかった。横になっても頭にはきらきら光る夜空のことばかり浮かんでくる。そういえば、ローアの修理を始めてから夜空を一度も見ていない。ハヤク見たいナァ、としみじみ思っているうちに、やがてマホロアはうとうとまどろみ始めた。
夜空のことを考えていたせいか、そのとき見たのは自分とあの知り合いが並んで夜空を見上げている夢だった。
「ボクはポップスターに行くのサ」と知り合いは笑う。いつかどこかで聞いた気がするなとマホロアは思ったが、鈍っている夢の中の思考ではどこで聞いたかという考えには至らない。
「銀河に願いをかけるのサ。キミはどうするんだい?」
「ボクはデンセツの船をさがすヨ。それで旅にでるンダ」
「デンセツの船、ねえ……まあ、せいぜい死なないように気を付けるのサ」
え、と思ったのと同時に、ぱちりと目が覚める。目をこすりながらむくりと起き上がって、どうしてあのとき彼は何か含んだような言い回しをして笑ったのだろうと思った。
(タダ船をナオシテ飛ばすダケデ、何のシンパイをしろっていうんダヨ……)
けれど何かが引っ掛かって仕方がない。正体のわからない胸騒ぎで、落ち着かなくなる。
「…………」
マホロアは黙り込んでじっと考えに耽る。しかし、今の段階ではいくら考えても、やはり特に障害となることはないのだった。
しばらくそうした後、マホロアはゆっくりとパネルに近付き、資料と照らし合わせて解読できるようになったハルカンドラの大昔の文字を入力する。行き先はどこでもいい。この星から無事出てしまえば、こっちの勝ちだ。
遠くにワープするにはこの空間は狭すぎるし、まだ修理に問題がないかどうかが不安だったので、一度火山の外に出ることにする。
パネルを操作すると、ローアの前に星型のワームホールが開いた。ローアはふわりと羽根のように浮き上がって、その中へとゆっくり進んでいく。
三日月が見えた。外はまだ夜で、マホロアの好きな優しい闇がハルカンドラを包んでいる。久方ぶりの光景は、胸に沁みるような何かを持っていた。
けれどそこで待ち受けていたのは、そんな懐かしいものだけではなかったのだ。
夜闇に紛れることのない存在感を持って、ローアの進路を塞ぐように羽ばたいているドラゴン。頭上の王冠は、月の光を映してかすかにきらめいている。マホロアは驚愕しながら、こちらを睨む八つの目を見返した。
「コイツはまさか……ランディア!?」
その存在を、知らないわけではなかった。ローアのことを調べるとき、何度も名前を目にしたのだから。
ハルカンドラの守り神ランディアは、今は長い眠りについているが、もしものときに目覚め、この星を守るとされている。まさか実在するとは思わなかった。しかも、こうして生きて動いている姿を目の当たりにするとは。
ランディアは静かにマホロアを見据えている。口の端からちろちろと覗く炎の輝きが、やけに毒々しく見えた。
――それはこの星のものだ。勝手に持ち出すことを許すわけにはいかない。
ランディアの目はそう言っているようだった。
「オトナシクねむったままデいればヨカッタのに、いまさらシャシャリ出てきてジャマをしないでホシイネェ」
マホロアも、ドラゴンを睨み返す。一歩も譲る気などない。
「モウ、ローアはボクのものダヨ。おまえにも、ほかのダレにも、ゼッタイにわたさナイ!」
そんなマホロアの明確な敵意を向こうも感じたのだろうか。なんとランディアはいきなり炎を吐いてきた。
「うわっアブナ!?」
咄嗟に右に避けたおかげで奇跡的にまともに食らうことはなかったが、まだローアの操作に慣れていない状態でランディアの相手をするのはいくらなんでも分が悪すぎる。
「何コイツ沸点低すぎデショ!? というかヤバイ、撃ち落とされルっ!」
万に一つも勝ち目がないことを一瞬で悟ったマホロアは、素早く必要最低限の入力をして、ワープボタンをばしっと叩いた。
「エエイ、逃ゲルが勝ちダヨ!」
目の前に異空間ロードへの道が開くや否や、マホロアは追撃が来る前にすぐさまそこへローアを突っ込ませた。途端に重力が狂ったような、めまいに似た感覚がマホロアを襲う。ずっとこのままだったら、きっと酔っていただろう。幸いなことに今回はすぐその感覚は消えた。
異空間ロードを抜けると、風景がすっかり変わっていた。モニターにはおそろしいドラゴンの姿はない。代わりに現れた黒の中に散らばる数え切れないほどの光は、夢にまで見た光景だ。
「ああヨカッタ……アイツいきなりコウゲキしてくるし、チョーこわいし、ドウナルかとおもったヨォ」
マホロアは心の底からほっとして、詰めていた息をふーっと吐き出す。もしランディアの攻撃がまともに当たっていたら、いくらローアと言えどもただでは済まなかっただろう。ランディアの力は、無限の力を持つというマスタークラウンから引き出されているという話なのだから。
けれどそれももう終わったことだ。今のところマホロアにハルカンドラへの未練はないし、戻るつもりもない。もう二度とランディアに会うことはないだろう。そう考えれば、何も恐れることはなかった。
そして、今頃わかった彼の言葉の裏に気付いて腹を立てた。
(マッタク……アイツ、ゼッタイこうなるっテ知ってたヨネ。オシえてくれればいいノニ、ホ~ント性格ワルいヨ。ボクもヒトのこといえないケド)
もし今度会う機会があったら、盛大になじってやろうと心に決める。とはいってもこれからあてのない旅に出るのだから、会うことがあるかどうかはわからないが。
そう考えて、ついに宇宙の彼方であろうと好きなように放浪できるようになったのだということに改めて気が付いた。知り合いの薄情も直前までの命の危機も頭から吹き飛んで喜びで胸がいっぱいになる。
どこに向かうかはまだ決めていない。それでも今は、ただきらきらと輝く星の光を眺めているだけで満足だった。
ローアとの旅は順調だった。伝説の通り、ローアは星々を切り裂くように異空間ロードを通ってどこにでも行ける。夢にまで見た、あの無数の光の中を、マホロアは好きなように好きなだけ移動することが出来た。
数え切れないほどの星を訪れて、色んな世界を旅する。それこそ様々なひとと出会ったし、見たこともない外の世界は新鮮で、目に入るものすべてに心打たれた。
最初のうちは。
マホロアの旅の道連れはローアだけだった。信じられるのは自分だけだと思っていたし、誰か一緒に旅をしたいと思えるようなトモダチにも出会わなかった。まだあけすけに自分の悪だくみを話すあの知り合いの方が信じられると感じていたくらいだ。旅先で出会った中には、確かに「また会いたい」と言ってくれるような連中もいたが、その中で何人マホロアのことを今も覚えているかなんて、誰にもわからない。口先だけならなんとでも言える。だって、そもそも自分がそうなのだから。
ひょっとしたら、この広い宇宙の果てにはマホロアとはまるで正反対のお人よしが存在しているのかもしれない。だがそれを誰が証明できるだろう。証明できたとしても、マホロアが納得できなければ、それで話はおしまいだ。少なくともマホロアが見て来たたくさんの星々に、そんなひとは一人もいなかった。
「マア、ローアなら信じられるカナ?」
マホロアは操舵室の天井を見上げて、ふふっと笑った。物言わぬローアならば嘘をつくことも裏切ることもないのだ。
けれどいつからか、マホロアはこの旅には何かが足りないと思うようになった。何も困ったことや不満はなかったはずのに、きらきら光る星の輝きを見ても、遠い宇宙の果てにある星の想像することさえできなかった風景も、マホロアの心を満たすことがない。
どうしてだろうと理由を考える。わからない。あれほど夢見た放浪の旅だったのに、自分は何が不満なのか。
「宇宙はコ~ンナニ広いのにネ。ドコに行ってもつまんないナンテ、まいっちゃうヨォ……ハァ」
また新しくつまらない星を見つけただけで、一日が終わろうとしている。今度こそはと思っては期待を裏切られる毎日。死ぬまでこんなことが続くのだとしたら、なんと退屈でくだらない人生だろう? そんなのは嫌だ。でも、だったらどうしたらこの状況から抜け出せるかが分からない。
あれも、これも、それも、皆同じようにきらきら光っているのに、どうやってつまらない星とそうでない星を見分けることが出来るのか。今のマホロアに、そんなことをできる力はない。
「モシ……モット、ボクにチカラがあって……」
窓の外の変わり映えのしない闇を見つめて、マホロアはガラスに手を触れた。
「コノ宇宙を支配できるヨウナ……そんなチカラがあったら……」
マホロアは、かねてからぼんやりと抱き始めていた思いを、はっきりとした形に変えて口に出す。
「この中カラ、ヒトツくらい、見つけるコトがデキルのかも」
宇宙のすべての星を自分のものにして、その中から探せば、退屈でもつまらなくもない、かつて故郷の星から見上げてあこがれたあの気持ちを思い出させてくれるような、そんな星に出会うことが出来るかもしれない。
「…………」
マホロアの目には、遠い宇宙の果てに残してきた故郷の光景が映っている。赤いドラゴンの、頭の上で輝いていた王冠。無限の力を持つマスタークラウン。
このまま、一生を実のない放浪にあてるなんて耐えられない。そんな空しくて退屈な生き方をしなくてはならないのなら、たとえ誰かを犠牲にすることになったとしても、別の道を探したい。
(大丈夫……ボクにはローアがあるんダカラ)
マホロアはそう思いながら、何故あのときランディアがローアを攻撃したのかを悟った。
多分、ランディアにははじめからこうなることが見えていたのだろう。
あるとき、たまたま出会った旅人から、銀河の果ての大彗星を星のカービィが壊したという話を聞いた。その旅人に「願いをかけたヤツはどうなったんだイ?」と尋ねてみても、願いをかけたのはカービィじゃないのかと旅人は首を傾げるだけだ。彼がどうなったかはわからないが、多分しくじったんだろうなとマホロアは思った。
星のカービィの噂はいたるところで耳にした。妖精の女の子を故郷の星ごと助けたとか、鏡の国を救ったとか、毛糸の国の王子と冒険したとか、出会う人出会う人みんな違う話を知っている。
だからだろうか。ばらばらに砕けそうなローアを必死に動かし逃げる先を考えた時、咄嗟に浮かんだのは星のカービィの話だった。
ポップスターの、星のカービィ――遥か彼方の世界にいるヒーローなら、ひょっとしたら……。
ほとんど、賭けに近かった。マホロアは利害を計算する余裕もなく、無我夢中で異空間ロードへの道を開く。
マホロアの記憶はそこで途切れた。
「ねえ、きみ、だいじょうぶ?」
聞いたことのない声。誰だろう? マホロアはそっと目を開ける。そしてまばたきしながら直前の記憶を探ったところで、がばっと一気に身を起こす。
「そうダ、ローアは!」
転がるような勢いで操作パネルまで移動し、ローアの状況をチェックする。そして一気に血の気が引いた。
「エナジースフィアは……ゼロ!? パーツもソコら中にゼンブおっことしちゃっタ……?」
今まで旅をしてきた中でも、船が壊れるなんて事態に陥ったのは初めてだった。しかもここまで完膚なきまでにぼろぼろにされては、ローアを元通りにするどころか、再び飛ばすことだって難しい。
「ソンナァ……もう絶望ダヨォ……」
まさか、まさか壊れちゃうなんて、とマホロアはしゅんと項垂れる。多少スフィアを落としても、飛べる状態ではあるだろうと予測していた。むしろローアが壊れることがあるなんて、予想だにしていなかったのだ。これでは、ランディアに再戦を挑むことはおろか、この星から離れることさえできないだろう。
「ボクの旅もココでオシマイかぁ……」
「ねえねえ、そのパーツって、さっきポップスターに落ちてったやつだよね?」
「ン?」
そこではじめてマホロアはローアに見たことのない連中が入りこんでいることに気がついた。
「そうダケド……キミたち、ダレ?」
「ぼくはカービィ。で、こっちはワドルディとデデデ大王とメタナイト。ぼくのともだちだよ」
「……今、カービィって言っタ?」
「え? うん、そうだけど……なんで?」
カービィは大きな目をぱちぱち不思議そうにまばたきさせている。
そうか。こいつがあの、星のカービィ。
「イヤ、何でもないヨォ。いいナマエだなって思ったダケ」
「そう? えへへ、ありがとう」
カービィは照れたように笑う。そしてマホロアに「きみは何て名前なの?」と微笑んで尋ねた。
「ボクはマホロア。一応、ずっと旅人をやってきたんだケドォ……マア、ご覧のトオリのアリサマだヨォ……」
これじゃ元旅人だよネェ、と自虐的に付けくわえる。深いため息をついて肩を落としていると、カービィがまたマホロアに話しかけた。
「パーツが集まったら、またこの船は飛べるようになるの?」
「ナルと思うヨ。ボク、シュウリは得意だからサ」
それに一通りのパーツのチェックはしたことがあるから、要領は掴んでいるはずだった。問題は、そのパーツを集めるのがマホロアひとりではとてもできそうにないという点だが。
カービィはマホロアの答えを聞くと、にっこり笑って言った。
「じゃあぼくらが手伝ってあげるよ!」
「エ……ホント?」
思わず聞き返してしまったが、カービィは当たり前のことのように微笑みながら、やっぱり頷いたのだった。
「ほんと。だってきみ、すっごく困ってるんでしょ?」
「ウン。コレ以上ないくらいスッゴク困ってるヨ」
「だったらぼくらに任せてよ。困ってる人は放っておけないもん」
いいよね、とカービィが他の三人に同意を求めると、他の三人もめいめい頷いて協力を申し出てくれた。
「うわあ、助かるヨォ! ホントありがトウ!」
口ではそう言ってにこりと笑ったが、内心ではうまい具合に話が運んだなと思っていた。星のカービィ、噂に違わぬお人よしだ。こんな見ず知らずの他人のために骨を折る気だなんて、マホロアにはとても信じられない。
「ソウだなァ……ボクは船のシュウリをしなくっちゃイケナイから、パーツ集めはキミらにオネガイするヨォ。ボクは船でマッテルから、見つけたラ持ってきてネ!」
本当はわざわざ落ちた所まで探しに行くのは面倒くさいというのが本音だったが、物は言いようである。それに、修理に集中したいのも嘘ではない。
「わかった! それじゃちょっと探してくるね!」
「ウンウン、いってらっしゃ~イ」
マホロアはひらひら手を振って、元気よく草原を掛けて行く四人の背中を見送る。
「ジャマもののランディアをヤッツケてもらえれバいいやって思ってたんだケド……イヤハヤ想像以上の平和ボケっぷりダネェ」
草原を吹きぬける風を受けながら、マホロアは感心して呟いた。策を弄する必要もなく、これでまんまと星のカービィと顔見知りになれたわけだ。あの警戒心のなさを思えば、信用を得るのも大して苦労しないだろう。
「とりあえず、コレならまたキミと旅ができるネ、ローア」
マホロアはローアの白く輝く船体を見上げて微笑んだ。
旅をしているとき、本当にいろんな人に出会ったし、いろんな世界を見て来た。くだらないことでケンカして、負けて酷い目にあわされている人も、たくさんいた。
ローアはともかく、マホロア自身に戦う力はない。だから訪れた星を散策中に誰かとケンカになったとしても、まず勝ち目はなかった。より安全を期すために考えた末マホロアが辿り着いた結論は、その星の誰かとトモダチになることだった。友好関係を築いていればこちらが危害を加えられることはないし、相手が自分を信用していればだますことも簡単になる。どうせ二度と会うことのない連中だと思えば罪悪感も特にない。むしろ騙される方が悪いと開き直る始末だった。
きっと今回もそうなるだろう、とマホロアは思っていた。星のカービィとケンカしてポップスターを追い出されたやつらの噂は今までずっと耳にしてきたのだ。そのカービィを敵に回したところで勝てる保証はない。
(手ごわいテキは、心強いミカタにしちゃえバいいノニ。ソレに気がつかないナンテ、ホ~ント、バカだよネェ)
そんなことを思いながら、マホロアはカービィたちが持ってきたエナジースフィアを人畜無害な笑顔を浮かべて受け取る。
「モウこんなニ見つけてくれたんダ。スゴイヨ、カービィ!」
「へへ、それほどでも!」
「これでどの程度なおるもんなんだ?」
デデデ大王が興味津津といった顔で、マホロアに聞いた。
「そうだネェ……あと三つアレバ、トビラが一つ直せるヨ」
「ほー。どういう仕組みだか全然わからんな」
「まあまあ。その辺はマホロアさんにまかせればいいじゃないですか」
腕を組んで頭を悩ませている大王に、ワドルディがそう言ってフォローを入れる。
そしてそのとき、今まで四人のやり取りを静観していたメタナイトが、珍しく前に出て口を開いた。
「一つ聞かせてもらってもいいか」
「イイヨ。何が知りたいんだイ?」
メタナイトは、マホロアの目を真っ直ぐに見据えた。
「おまえの船は、何故壊れたんだ?」
「……」
マホロアは表情を変えぬまま、目を逸らすことなくメタナイトの視線を受ける。会話が途切れて、しんと静かな空気が場を包む。
しかし不意にマホロアはしゅんと項垂れて、溜息をついた。
「話せば長くなるんだケド……ローアはセカイを移動するとき、異空間ロードっていうチョット変わった場所を通るんダヨ。で、イツモ通りソコを通ってチガウ場所に出たら、なんとソコにちょうど隕石がトンデきてローアにぶつかっちゃってサア……ウマク操舵もデキなかったカラとにかくイチバン近い星に不時着したんだケド、ソレがポップスターだったんダ。まさかあんなコトになっちゃうナンテ、トホホダヨォ……」
最後の部分は本音だったので、意識せずとも悲壮な声になった。
「……そうか」
それは災難だったな、とメタナイトはいつもと変わらない調子で言い、それきりその話題から離れる。けれど本当に納得したのかどうかは、仮面に隠れて読みとれない。
それでもマホロアは、どの道心配することはないとわかっていた。たとえこの中の誰かがマホロアの嘘に気がついたとしても、彼らの中心になっているカービィさえ信用させれば波風が立つことはない。しかもそのカービィは誰かを疑うということを知らないし、どこまでもお人よしなのだ。
「デモ、シンセツなキミたちと出会ってトモダチにもなれたんダカラ、ボクって悪運だけは強いのかもネ!」
マホロアが冗談交じりにそう言うと、カービィは「そうかもね」とマホロアに笑いかけた。
白い白い船の中で、一生懸命にコンソールを叩いていた彼の姿が記憶に焼き付いている。二つの大きな房をかすかに揺らしながら、真剣に修理をしていたマホロア。けれどその記憶も少しずつ薄れていく。声は遠くの彼方に消えていく。彼の口癖は何だった? 何が好きで何が嫌いだった? そばにいたときは簡単に思い出せたそれらの取るに足らないような小さな記憶は、どんどん抜け落ちていく。誰かを失うというのは、そういうことだ。いなくなった後に、記憶の中から、もう一度死んでいく。そして、本当の意味での喪失がその先に待ち構えている。カービィは今まで誰かを喪ったことがなかった。だからとてもこわかった。マホロアがどんどん消えて行くのが。抜け落ちていくのが。不安でたまらなくなって、星を巡って彼を探した。見付からなくても、探さないではいられなかった。
(マホロア……)
はたして、グランドローパーの中でぐったりと意識を失っている彼は、本当にカービィがずっと探していたマホロアなのだろうか。彼は生きているのか、それともあそこにいるのは抜け殻の体なのか、カービィにはわからない。
グランドローパーは異空間の中を縦横無尽に飛び回り、体当たりを仕掛けてくる。カービィはスライディングで紙一重で交わし、衝撃で生まれた星を吸い込んではグランドローパーにぶつける。グランドローパーは痛そうな悲鳴を上げて、怒ったようにカービィを睨みつけた。そして金色の球をいくつも生成して、カービィに向かって放つが、カービィはこれもジャンプして避ける。頑張り吸い込みで飛んできた球をすべて吸い込んで、特大のスターをお見舞いした。
しかしグランドローパーはばさりと羽ばたいてそれを回避する。かすっただけでは倒せない、カービィはもどかしく思いながらなおもグランドローパーとの戦闘を続ける。
「お願い、その子を返して!」
床に飛び込んで、足元から襲ってくるグランドローパーに向かってカービィは叫ぶ。
「ぼくは……マホロアを忘れたくないんだ!」
もう一度だけでいい。おかえり、そう言って笑った彼と、もう一度話がしたい。
そのとき、グランドローパーは金色の球に混じってスーパーブレイドナイトを召喚した。それを見たカービィはすぐさまスーパーブレイドナイトの元まで走って吸い込み、コピーする。
「さあ、これならどう!?」
ウルトラソードをコピーしたカービィは、遠くから勢いを付けてまっすぐ突っ込んでくるグランドローパーの動きを見極める。そして大きくジャンプして、とんでもなく巨大な剣を背中から振りかぶってまっすぐグランドローパーに振り下ろした。
(当たった!)
思い切り力を込めた剣先から固い衝撃がカービィにびりびりと伝わる。グランドローパーは大きな雄叫びを上げて苦しがっていた。そしてそのとき、大きく開いた口からマホロアがこぼれ落ちる。
「マホロア!」
どさ、と音がした。カービィは剣を投げ捨ててマホロアに駆け寄る。グランドローパーの方は、どこか悔しそうな様子だったが、劣勢を悟って羽根を大きく動かしてカービィたちから離れる。そして異空間を通ってどこかに消えてしまった。
「ねえ、大丈夫? マホロア、起きてよ!」
「……」
「ねえったら!」
カービィは動かないマホロアに手を掛ける。その瞬間びっくりして反射的に手を引っ込めてしまった。
マホロアの体は、氷のように冷たい。
「……マホロア?」
カービィは目をパチクリさせる。これはいったいどういうことだろう。カービィは、今まで感じたことのないような恐怖が、心を満たしていくのを感じていた。ずっと前、マホロアに握られた手から伝わる温度は、温かかったのに。どうして。何が起きたんだ。
閉じられたまま開かないマホロアの目を見つめてカービィは途方に暮れる。どうしたら、瞼の向こうの金色の瞳をもう一度見られるのだろう。カービィはどうしようもなく苦しくなって、マホロアの傍に手をついて、絞りだすような声で呼びかける。
「ねえ……起きてよ……もう一度、君の話を聞かせてよ」
カービィは、マホロアの反応をじっと待つ。しんとした静寂。一度崩壊したはずの空間には、カービィ以外に音を立てる存在はない。カービィは目を閉じてゆっくりと息をついてから、マホロアを背中にしょった。途中で落としたりしないようにしっかりとマホロアの腕を掴んで、よろよろと歩き出す。ぐったりしているマホロアを運ぶのは、メタナイトやワドルディを背中に乗せるよりずっと大変だった。それでもカービィは何も言わずに来た道を戻っていく。きらきらした星屑がカービィの周りを漂っている。マホロアは目を覚まさない。
やがて、星型の小さな穴が見える。カービィはジャンプして、その穴に飛び込んだ。穴の向こうはもちろん、カービィの見慣れたポップスターに繋がっている。クッキーカントリーの花と草の香りを嗅いで、戻ってきたことを実感した。
「ワープスター!」
すぐさま夜空に向かって呼びかける。途端に夜空の端できらりと光の粒が輝いて、ぐんぐんとカービィの方に迫ってくる。光は夜空で弧を描くと、きらきら光る大きな星がカービィの元に降り立った。
「デデデ大王たちを、三人を呼んできて! 急いで!」
三人、だけで誰のことかすぐにわかったらしいワープスターは、降り立つときの数倍の速さで矢のようにデデデ城の方角に飛んでいく。カービィはそれを見送って、マホロアを草原の上にゆっくりと降ろした。相変わらずひどく冷たくて、目を瞑ったままだった。
「やっと見つけたのになあ」
ぎゅっとマホロアの白い手袋を握る。でも握り返す力はない。それがわかっても手を放すことができない。ひょっとしたら、という僅かな可能性を捨て切れなかった。
こんなことなら探さなければよかったなあ、とカービィは思う。彼が見付からないときよりもずっとずっと苦しくて悲しかった。
「やっぱりきみは帰ってこないんだね……」
そのとき、視界の隅で黄色く輝く光が見えた。ぱっと目を向ける。ワープスターだ。デデデ大王とメタナイトとワドルディがワープスターにしがみついていて、カービィを見つけるとこっちに向かって飛び降りてきた。
「どうした、何があった?」
デデデ大王は今頃は夢の世界に旅立っている予定だったようで、ナイトガウン姿だった。よほど慌てて来てくれたのか、帽子がずれている。
「見つけたよ」
カービィがぽつりと言葉少なに言うと、三人は息を呑んで、倒れているマホロアの存在に気付いた。
「おまえ……ついに見つけたのか。よく頑張ったな」
「でも、気を失ってるみたいですけど……大丈夫なんですか?」
「……」
カービィが何も答えないでいると、メタナイトがゆっくりとマホロアに近づいて、手を触れた。
「……カービィ、こいつは」
「うん。わかってる」
メタナイトの言葉を遮って、カービィは頷く。カービィは確かにのんびり屋でお人よしで、あまり深刻な悩みはないけれど、だからといって現実を見極めることができないわけではない。
「わかってるよ……だいじょうぶ」
三人は何も言わなかった。草むらから虫たちがりーりーと鳴いている声がする。風は冷たいが、乾いている。デデデ大王はカービィに歩み寄ると、そっと手のひらをカービィに乗せた。
「大したもんだよ、おまえは。よく頑張った。だから、あんまり気を落とすな」
「……うん」
今までも、三人はずっと気にかけてくれていた。時々探すのを手伝ってくれたし、カービィがどうかならないかと、いつも心配してくれた。今もそうだ。大王の気遣いがあたたかくて、カービィは目を閉じる。
カービィがふとその気配に気がついたのは、そうやって視界を閉ざしたためだった。カービィを含めれば四人しかいないはずのその場所に、誰かがいる。カービィは驚いて目を開け、辺りを見回した。
「どうしたんですか?」
ワドルディの不思議そうな声も耳に入らない。そして、気がついた。夢で見たのとまったく同じ白い光の粒が、ふわふわと空から舞い降りてきていた。
「ローア……?」
思わずその名前を口にする。三人もカービィの視線の先をたどって、その存在に気がついた。白い光はカービィたちの前まで来ると、カービィの頬をくすぐるように漂う。とても優しい光と動き方だったので、カービィは何か安心感のようなものを感じた。
そして光はマホロアの上に音もなく漂っていって、マホロアを包み込むようにふわりと広がった。かすかに輝く光の粉がマホロアに降り注ぐ。
最後に、少しだけ残った白い光は、カービィに向かって言葉ではない言葉、声ではない声でささやいた。
大丈夫、帰ってきた。
突然強い風が草原を吹き渡る。白い光は風に乗って星空の彼方に舞い上がった。そしてたくさんの光の粒に紛れて、どれがローアなのかわからなくなってしまった。
「帰って……?」
面食らって聞き返してしまうが、ローアはもうここにはいない。確かに帰ってきた。でも彼はもういないのだ。何が大丈夫だというのだろう。だが、そのときだった。ほんの僅かだが、くっと握っている手に力が加わった。
「え……」
ほとんど気付かないぐらいのかすかな動きだった。カービィは目を丸くしてマホロアを見つめる。胸がどきどきした。まさか、まさか。
瞼が震える。そして、マホロアはゆっくりと目を開いた。
「……ローア?」
言葉に詰まったカービィが何も言えないでいるうちに、マホロアはぼんやりした声で天駆ける船の名を口にする。それから、ふと金色の瞳に不思議そうな輝きが宿った。
「ココは……ボクは死んだんじゃ……?」
「目が覚めた?」
カービィが逸る気持ちを抑えてそっと問いかけると、マホロアはカービィに気がついた。そろそろと身を起こして、声の方を見る。
「カービィ……」
その声がとても懐かしくて、彼が呼ぶ自分の名前に、なんだか涙が出そうだった。
「ぼくが……」
胸がいっぱいになってしまって、喉がうまく動かない。カービィは何とか笑みを作って、マホロアに笑いかける。
「ぼくが見つけてから、ずーっと眠ってたんだよ。何があったか、覚えてる?」
星の光を受けて、草原はかすかに揺れている。ポップスターで、いつも夜にお話していた時と同じように夜は穏やかで優しい。
マホロアはぼんやりとした動きで頭を押さえて、なんとかいつも通りの自分を取り戻そうとしているように見えた。
「ボクは、キミたちに負けタ……ソレでボクは、死んだと思ってたんダケド」
「そうだね。ぼくも、きみは死んじゃったんじゃないかって思ったよ」
とっても冷たかった。悲しくなるほど氷みたいに冷えきっていて、眠っているように動かなくなっていた。二度と目をさますことのない夢の中にマホロアはいってしまったと思った。だけど、今マホロアの体はまだ冷たいけれど、金色の目はあのときと同じあたたかい色をしていた。
マホロアは生きている。今、このポップスターの上で、同じ場所の同じ時を生きている。
「探したんだよ。会いたかったんだよ」
「カービィが、ボクに?」
「うん。マホロアともう一度話がしたかったんだ」
カービィは小さな手を伸ばして、ぎゅっとマホロアを抱きしめた。
まだマホロアがいた頃だ。カービィがローアの中に入ると、マホロアはいつもその言葉を口にして振り向いてにっこり笑った。そしてみんなで集めたエナジースフィアを彼に渡すと、すごーく嬉しそうに目をキラキラさせて、いそいそと船の修理にかかるのだ。マホロアは本当にローアが好きなんだなあ、とカービィはいつもその背中を見ながら思っていた。
そのときのことをカービィは思い出していた。あの言葉。いつもは彼が口にしていた言葉を、今度はカービィがマホロアに向かって言った。
「おかえり、マホロア」
マホロアは戸惑ったように少しの間を置く。そして、ごく控えめにただいまと囁いた。
星空の下、ひとりぼっちで座っていたマホロアに話しかけて、とりとめのない話をしてくすくすと笑ったあの日と同じ場所で、カービィはもう一度マホロアと出会った。そうして交わす言葉を、カービィはずっと待っていたのだ。
ずっと以前、マホロアがあの星にいた頃のことだ。どこから来たのかは知らないけれど、どこか自分と似通ったところのある知り合いとよく話していた。仲がいいわけではない。ただ何となく一緒に夜空を眺めていただけだったが、それでもマホロアが一番長く同じ時間を過ごしたのは、今でも彼だろうと思う。
矢継早にマホロアとマルクの関係を問いただすカービィの質問に二人で答えているだけでも随分時間がかかってしまった。いつの間にか日が暮れていたので、カービィは先に帰ることにしたようだ。また明日ねーっと元気よく手を振ってきた道を戻っていくカービィを、ふたりで見送った。
マホロアの方は、どちらから言い出すわけでもなく、マルクと一緒に空のよく見える高台まで来て、昔のように少し離れた位置で並んで座っていた。
「マサカ、キミがいるナンテ思わなかったヨォ。とっくに死んだかと思ってた」
「ボクだって、ちょっと遠出してる間にキミが住むようになったなんて思いもしなかったのサ」
「ナンデマタ、キミは遠出してたんダィ?」
マホロアが当然の疑問を口にすると、マルクはこれまた当然のように答えた。
「ポップスターをボクのものにするためのうまい方法がないかなーって、ウワサを頼りに確認しにいってたのサ」
「…………」
なんというか。
「懲りないネ、キミも」
「そこは向上心をわすれないって言ってほしいのサ」
空々しく訂正を入れてくるマルクに思わず呆れる。あの日、彼がポップスターに旅立っていってからそれなりの歳月が流れたが、あれから彼は何一つ変わっていないのだろうということをはっきりと理解した。
「キミがソウたくらんでるコト、カービィはトーゼン知らないワケだよネ?」
「いや、知ってるとおもうのサ」
「ハァ? え、ダッテ、トモダチって言ってたヨ? キミのこと」
ついさっきまでのカービィの様子を試しに思い返してみる。だが、こんな悪だくみをたくらんでるような輩に対する態度とは、とても思えなかった。
「そんなバカなコトあるワケないヨォ」
「ボクもサ、さいしょはそう思ったんだけど……」
それからマルクは、銀河にねがいをかけたときの話をカンタンに話した。ほとんどは自分の思惑通りに事が運んだけれど、最後の最後でカービィにはかなわなかったと。それは、どこかマホロアのときと状況が似ているように、マホロアには感じられた。
「ボクが死ぬのかなって思ったときだったよ。カービィが来たんだ。ボクはそのとき虫の息だったけどそれでもまだ生きてた。だから、きっちりとどめでも刺しに来たのかと思ったら、カービィは『一緒にかえろう』なんて言い出したのサ。タチのわるい冗談で憂さ晴らしでもしにきたのかと思うだろ? そうしたらなんのことはない、カービィは本気だったのサ」
そのときあいつが何て言ったかわかる?とマルクは訊いた。マホロアは首を振る。
「キミがボクを助けて、そのあとボクがもう一度同じ事をしたらどうする気なんだってボクは訊いた。そしたらカービィは、もう一度きみを倒して、もう一度きみと一緒に帰るって、そう言ったのサ」
そのときのことを思い出したのか、マルクはかすかに苦笑を浮かべた。聞いているうちに、マホロアにもそのときのやりとりが目に浮かんでくるようだった。
「それを聞いてサ。それでもいいんだなって思ったんだ。何がいいのかって言われたらボクにもわからないけどサ、とにかくそのときのボクはそう思ったのサ。だからボクはそのままでいることにした」
「ソノママ?」
「そう。ボクはボクのまま生きてくし、カービィもカービィのまま生きていく。ボクはポップスターを自分のものにしようとして、カービィはそれを止める。それでいいのサ、きっとね」
「フーン……」
わかったようなわからないような、今ひとつ煙に巻かれたような印象を受けたが、マホロアはそれ以上は訊かなかった。
「さ、ボクのことは全部話したのサ。今度はキミがどうしてここにいるのか説明してくれよな」
「ソウだねェ……あのさ、キミが教エテくれたデンセツの船の話、アレは覚えてるカイ?」
「あー……あったねぇ。そんなの」
「あれからボクはその船を探しに行ったんダヨ」
それからマホロアは、思いつくままに今までの出来事をとりとめなく話した。ローアが埋まっている場所を見付けるのが大変だったとか、最初ローアの内部が埃っぽくてまいったとか、ランディアから逃げるのがこれまた苦労したとか、一度語りだすと言葉はなかなか止まらなかった。そして話しているうちに、懐かしいなという気持ちに囚われた。あのときは一生懸命でがむしゃらで、何をやっても大変だったけれど、代わりに何をやってもどこか楽しかったのだ。何故だろうか? ローアを直しているあの僅かな時間が、今までで一番満たされた時間だったような気さえするのだ。
マホロアは更にランディアに負けた後星のカービィに会ったことを話した。彼とその仲間を利用して、壊れた船を直してもらったことも。そしてマルクと同じように、あと一歩のところで計画が狂ってカービィに負けてしまったことも、全部。
「ボク、あのとき確かに死んだハズだと思うんダ。デモ、こうして生きてまたプププランドにイルなんてすーっごく変な感じダヨォ。一番理解できないのはカービィだケド。ドウして彼ハ、今でもボクのコトを友達だと思えるんだロウ? ソレが全然わからない。なんでボクのことを嫌いになったり、怒って避けたりシナイのカナァ?」
つらつらと話しているうちにいつの間にか考えたこともなかった疑問を口走っていることに、口に出してから気付いた。マホロアは少し自分に驚く。だがこれはまさしく、普段マホロアが感じていた居心地の悪さをはっきりと文章化したものに間違いなかった。気の置けない昔からの知り合いのマルクだからこそ、マホロアがいつもなら心の奥にしまいこんで見つけられずにいた本音を外に出すことができたのだろう。
「ボクもカービィのことは、今もたぶんよくわかってないのサ。お気楽でくいしんぼで、いっつも楽しそうに笑ってて。悩みも全然なさそう。考えれば考えるほど、ボクらとは実に正反対だと思うのサ。たとえばボクはうそをつくけど、その代わりに相手を疑わなくちゃならなくなる。でも、カービィにはそれがない。裏も表も何もないってわけサ」
だからカービィはマホロアを疑わないのだと言いたいのだろうか、とマホロアは首をかしげる。だがそれは、どうしてカービィがいつもマホロアに笑いかけるかの理由にはなっていない。
マルクの方は、マホロアにはあまり注意を向けないまま自分のペースで言葉を並べていく。
「ただ、それはどうもカービィ自身に限った話じゃないみたいだ、ってのがボクの予想で、ボクの用意できるキミへの答えかな」
マホロアはぱちくりとまばたきした。そして、どういうことだろうとマルクの顔をじっと見る。だがそこにヒントらしいサインはなく、マホロアは途方に暮れた。
マルクはそんなマホロアがおかしいのかけらけらと笑った。昔と変わらない、いたずらが成功した子どもの笑い方だった。
「ま、よく考えてみなよ。こればっかりは自分で見つけないと納得できないからサ」
そしてそのまま「じゃーね」と声をかけて翼を広げるマルクを、マホロアはあわてて止めた。
「チョット待って、ゼンッゼンわかんないんダケド! もうチョットわかりやすく言ってヨ!」
「えー? しかたないなぁ……」
マルクは眠たそうにあくびを一つする。それを見て気が付いたが、夜はもうだいぶ深くなっている。星が夜空でちかちかと何かささやき合うようにひそやかに瞬いていた。
「じゃあ、キミがカービィに対して持ってる気持ちを、もう一度きちんと考えてみるのサ」
今度はマホロアが止めてもマルクは気にかけずにそのまま飛んで行ってしまった。残されたマホロアは、自分も帰ろうかと考えるが、今から来た道を引き返すのはすごく面倒だと感じた。そこで今夜はここで夜を明かすことに決めた。どうせプププランドはいつもあたたかく、風邪の心配はない。雨も降らないとカービィも言っていた。
(ボクがカービィをドウ思ってるカ? ソンナこと、まるでカンケイないんジャないノ?)
結局マルクは何を言いたかったのだろう。カービィは、いったい何を考えているのだろう。わからないことがたくさんあった。
カービィと出会う前、たくさんの星々をローアと旅して、たくさんの人と出会っては別れた。たいていの場合マホロアにはほとんど強い印象を残すことのないまま二度と会わずじまいになっていた。少し覚えている中でも、顔はあまり思い出せなかった。その人と何をしたのかも覚えていない。断片的な情景か、前後を思い出せない言葉のかけらだけが、マホロアの中を無数に漂っていた。
マホロアが裏切ったのは何もカービィだけではない。いちいち思い出せない程度には、相手の厚意を無碍にしてきた。そんなときはいつも悲しそうな顔をされた。決まって彼らはこう云うのだ。
「ともだちだと思っていたのに」
それでおしまい。マホロアは次の星へ行く。後悔も未練も後を引かない。相手がマホロアを信じて、そしてマホロアは彼らが信じてもいいような善人ではなかった、ただそれだけのことだと思う。
マホロアは、ずっとひとりだった。それをつらいとも悲しいとも思ったことはなかった。マホロアにとっては一人でいることは何もおかしいことではなかった。一人でいると、何だか古巣で眠りについたような、ほっとする安心感があったのだ。一人なら裏切られることも騙されることもない。何も心配しなくていい。それがとても楽だった。
――みんなと一緒にいると、すごく楽しいもん。
だからマホロアにとって、屈託なくそんなことを笑って言えるカービィは、まさに異次元の存在だった。理解できないし、理解しようとも思わなかった。どうせ相容れることのない相手だと端から決めつけていたのだ。それに自分がカービィにとっての仲間になれるとも思わなかった。何故なら、端からマホロアはカービィを騙して、利用するつもりだったからだ。
夜空をきらきらと流れ星が滑り落ちては消えていく。きれいだなとマホロアは思った。マホロアは何となく手を夜空に向かって伸ばす。でも星に触れることはできない。
(ダッテ、ソレがボクの生き方ダモン。今更変えられナイし、変えたトコロでそれはもうボクじゃないヨ)
だからひとりでもいいんだ。どうせみんなボクのことなんか覚えてない。
「マホロア!」
聞き慣れた声が上からしてマホロアはびくっと体をこわばらせた。さっと素早く声のした方を見上げると、黄色い大きな星に掴まったまるいピンクが視界に入る。
「あ、やっぱりマホロアだ! きみも夜更かししてるの?」
「まぁネ。キミはおさんぽ?」
「そうだよ。夜の空気は涼しくて静かだから好きなんだ」
カービィはワープスターからぴょんっと飛び降りてマホロアの側に着地した。
「ありがとうワープスター、またよろしくね」
カービィが見上げて手を振ると、ワープスターは返事をするように優しくまたたいてから、気ままに飛び去っていく。
「ここってすごくよく星が見えるよね。ぼくも時々見に来るんだ」
「……ソウ」
マホロアの反応が鈍いのにカービィはすぐに気がついて、不思議そうな目をマホロアに向ける。
「どうかした?」
「…………」
今なら。この静かで涼しい夜風が吹く今なら、聞いてしまえるような、そんな気がした。
「どうして、キミは、ソウやってボクに笑いかけるんダイ? ボクはいままでキミのタメにナルコトをシタことがナイし、優シクしたわけでもナイし、キミがボクとナカヨクしたいとオモえるヨウナことなんてヒトツもしなかったノニ。イクラ考えてモ、ボクにはソレがドウしてもワカラないんダヨ」
カービィはマホロアがそんなことを考えていたなんて思いもよらなかったのか、すごく驚いたような、当惑したような表情をした。それから、ゆっくりと言葉を選ぶような時間が二人の間を流れる。
「……あのね、ぼくはきみやメタナイトたちみたいに、むずかしいことはわからないんだ。だから理由って言うほどの理由にはならないかもしれない。それでもいい?」
マホロアは頷く。
「まずね、ぼくはきみと話してるのって楽しいんだ。きみはあんまりぼくが会ったことないようなひとだったから、かな? ほら、プププランドっていい人ばっかじゃない? だからきみみたいなタイプってけっこう新鮮なんだよね。……って言ったら、怒る?」
「イヤ。ボクでもそうオモうヨ」
カービィはちょっとほっとしたように笑う。
「よかった。でね、きみはもう忘れてるかもしれないけどさ、ぼくたちがエナジースフィアを集めてる時、ぼくと出会えてよかった、ぼくとトモダチになれてよかったってよく言ってくれたよね。きみにとってはただの嘘だったかもしれないけど、ぼくはそれを聞くといつも嬉しかったんだ」
「……ボク、そんなニ何度も言ってたカナ?」
「言ってたよ。そっか、やっぱ覚えてないかあ……」
カービィはちょっと残念そうな苦笑を浮かべる。けれどマホロアは、自分で自分に驚いていた。意図的についた嘘ならば覚えているはずだからだ。結局のところ嘘というのは作り話である。ひねり出さなければ出てこないものなのだ。
「前も言ったけど、ぼくから見るきみは何だか寂しそうだった。笑ってても、どんなときも。いまでも、時々そう見えるよ。うまく言えないんだけど……ぼくはきみに友達だって言ってもらえた時、嬉しかったから、ぼくもきみのこと友達だって言いたいから、きみが寂しそうにしてるとぼくも寂しくなるんだ。なんでかな? それで、もっと楽しそうに笑ってほしいなって思って。とにかく、それが理由、だと思うなあ……」
いまいち自信がなさそうにカービィは言う。それはどちらかというと、自身の気持ちに言葉が追いついていないという様子だった。しかしマホロアの方は、カービィの言葉を聞いていて、マルクの言葉を思い出した瞬間に、すべてのパーツが突然あるべき場所に収まったようなかちりとした感覚をおぼえた。
(ナルホド……ソウか、そういうコトか)
無意識の内に何度も友達という言葉を口にしていたのも、カービィの目に自分が寂しげに映っていたのも、マルクが自分で見つけなければ納得出来ないと言ったのも、全部これで理由がつく。
(ボクはカービィと、友達ニなりたかったンダ)
気がついてみれば実に単純で、笑えるほどくだらない答えだった。ずーっとトモダチなんて必要ないと思ってきたから、そう思わなければいけないと思ってきたから、無意識にその考えを自分で否定していたのかもしれない。でも、カービィにはわかったのだ。カービィには裏表がない。そして、相手の建前も裏表も関係なくまっすぐに見抜いてしまう。そして手を差し伸べるのだ。
なるほど、それが星のカービィであり、星のカービィの強みでもあるのだろう。
急に笑いがこみ上げてきて、マホロアはころころと鈴を転がすように笑った。作り笑いではない笑い声を上げたのはいったいいつぶりだろうか? でもそんなことは今はどうでも良かった。今までぎゅうぎゅうと押し固めて隅に追いやった何かが融解して、その何かの分だけ肩が軽くなっていた。びっくりするほど。
「ぼくそんなに変なこと言ったかな?」
「そんなコトはないヨォ。タダ、オカシくてシカタないんダ」
答えはこんなにカンタンで、こんなに明快なのに、こんなに遠回りしていたなんて。ほんとうにおかしかった。
「うーん、なんだかよくわかんないけど……まあいいや」
きみが楽しそうなら、とカービィもマホロアにつられるようにして笑った。
カービィはまずワープスターを呼んだ。昼間は彼にとっては眠る時間なので、あらかじめ待機しているのでなければ携帯電話を使わないと来てくれない時も多いが(大抵そういう時のワープスターはすこぶる機嫌が悪いので、呼ばれたそのままの勢いでカービィに真っ直ぐ突っ込んでいる)夜はカービィが空に向かって手を振るだけですぐに降りてきてくれる。今夜も、ワープスターは夜空から流れるように降りてきて、カービィの前でふわりと止まった。
「こんばんは、ワープスター。コレカラスターの西の森の近くまで運んでくれる?」
ワープスターは返事をするようにちかちかとまたたく。カービィはにっこりした。そしてぴょんとワープスターに飛び乗ると、マホロアにも声をかけた。
「いいって。さ、マホロアも乗って」
マホロアは少しためらってから、思い切ってワープスターに飛びついた。すぐにワープスターは上昇を始め、勢いをつけて一気に夜の空を彗星のように駆け始めた。
「その森にはナニがあるんだイ?」
「ぼくも直接見たわけじゃないんだけど、この前ドロッチェから聞いたんだ。そこにはお宝の隠された遺跡への道が隠されてるんだって」
「おタカラねぇ。じゃあ、全ウチュウを支配できるヨウなアイテムもあるカナ?」
「……きみって相変わらずだねー」
カービィは珍しく呆れたような苦笑をこぼす。
「悪いけど今度はきみが面倒なことになる前に力づくで止めると思うよ」
「ドウかな? キミにボクをころせるとはトテモ思えないケド」
「ちがうよ、そうじゃなくて。きみが死んじゃったらいやだから先に止めるってこと」
「なかなか笑えるジョーダンだネ」
マホロアは茶化して笑ってみせるが、カービィはそれには何も言わない。代わりに少し経ってから、進行方向を見据えたまま何か考え事をしているような表情で付け加える。
「ぼくはきみが死んじゃったんじゃないかと思った時、ほんとうにこわかったよ」
マホロアは、それに返すべき反応が咄嗟に思い付かず、黙っていた。それにマホロアに話し掛けた言葉というよりは独り言のように聞こえた。ちょっとした沈黙が二人の間に降りるが、カービィは何か思い出したらしくまた口を開く。
「あっ、そういえばドロッチェ、入り口には暗号が必要だとも言ってたなあ。それはマホロアに任せるねっ」
「チョット、なんでソンナめんどくさそうなトコをボクに任せるノ……」
「ぼくよりマホロアの方がむずかしいことは得意でしょ。適所適材!」
そんなことを話しているうちに、ワープスターは目的地まで辿り着いた。彼らを森の近くに降ろすと、ワープスターはまたぐんぐんと空の彼方へと帰っていった。
「ありがとう! またよろしくね!」
カービィは去りゆくワープスターに向かって手を振って、それから意気込みたっぷりの様子でマホロアを振り返る。
「よーし! さっそくお宝探しに出発だ!」
「イイとも! 見つけたモノは早いモノ勝ちってコトで!」
自分の利益になることに関しては割とがめついマホロアもなんだかんだ乗り気で、ふたりは意気揚々と森の奥へと進んで行くのだった。
しかしながら、真夜中の冒険は当初の二人の想定と比べると、思わぬ方向に進んで行った。そう、比喩ではなく、本当に方向を間違えたのだ。
「あっれー? おかしいなあ……こっちで合ってると思ったんだけどな」
「カービィ~……ソレ聞くのもう三回目なんダケドォ……」
「だいじょーぶだいじょーぶ! 今度こそこの道で行けるはずだから!」
「ホントカナァ……」
いったいその根拠はどこにあるんだかわかったものではないが、カービィはきっぱり言い切ってずんずんと草生い茂る道無き道を進んで行く。その背中について行きながら、マホロアは若干後悔し始めていた。どう考えても自分たちは森の中で迷っている。しかも何度もぐるぐる回っているうちに、どちらからやってきたのかさえ、わからなくなっていた。仮に諦めて引き返すことになったとしても、帰ることすらなかなか苦労しそうなほど、彼らは森の奥深くまで入り込んでいるように思う。こうなったら、もうカービィの勘を信じる他はない。マホロアは半分諦めながら、楽しそうに探検をするカービィについていく。先ほど、カービィは危険に際してもそれと気づかないのではないかとマホロアは思ったが、今となってはそれは確信となっていた。カービィにとっては危ないことなんか存在しないのだ。カービィには現在遭難しかかっている自覚などないに違いない。
「ありゃ?」
そのとき、突然カービィが立ち止まった。
「あれは何かな」
「オヤ」
マホロアもカービィの隣に並んでカービィが訝しんだものを目に留める。そして、二人して顔を見合わせた。
そこにあったのは、緑一色の森の中で見るには場違いなほど彩り鮮やかな屋敷だったのだ。
「コ~ンナへんぴな場所にいったいダレが住んでるんダロウ?」
「さあ……でも、なんだかいい匂いがするね。うーんお腹すいてきちゃった」
「いいニオイっていうか甘ったるいニオイっていうか……コレ、あの家からカナ?」
マホロアがそう言ったときにはもうカービィは既にその屋敷の方にふらふらと吸い寄せられるように歩き出していた。
「この辺の人なら、どの道を行けばいいか知ってるよね。ちょっと聞いてみようよ。ついでにおやつとか分けてもらえるかもしれないし!」
「エッ、あんなアヤしい家に行くツモリなのカイ? ていうかこんな夜ふけにお菓子のニオイがスルこと自体なんかヘンだと……ちょ、ちょっとカービィってバ!」
「ごめんくださーい!」
カービィはノッカーをこつこつと鳴らして屋敷の中に呼び掛ける。けれども反応はなかった。
「寝てるんジャナイノ?」
「ぼくはそうは思わないな。もしそうなら、こんなお菓子を作ってる時の匂いはしないよ」
そんなときだった。
かちゃり、と小さな音が、中から聞こえた。
「え」
どう考えてもそれは、鍵が外れる音だった。カービィはちょっと面食らったような顔をしてから、思い切ってえいっと扉を押す。やはり鍵はかかっておらず、ぎいいと思い音を立てて扉はゆっくりと開いた。
「ご、ごめんください……?」
カービィとマホロアは恐る恐る中を覗く。けれども、明かりはついておらず、暗闇ばかりが広がっていて、誰の姿もない。しかし、ならばたった今玄関の鍵を開けて彼らを迎え入れた者はいったいどこにいるのだろう。
「カービィ……やっぱり、な~んかヘンだと思うヨ、ココ。真夜中にお菓子のニオイがスルのも、ソレなのに誰もイナイのも、オカしいヨ」
「まあ、確かにそうだね……」
さすがのカービィも神妙な面持ちでそれを認めたが、すぐにころっといたずらっぽい笑顔を浮かべる。
「でもさ、気にならない? ここに何があって、どうして甘い匂いがするのか、誰が鍵を開けてくれて、どういうつもりでそんなことをしたのか。ここで帰っちゃったら絶対にわからないよ。だから、ぼくは中に入ってみる。マホロアはどうする? もし嫌だったら、外で待ってていいよ」
ここまで来て、しかもカービィが進むと言っているのに、自分だけ外で待機するというのはなんとなく自分の沽券に関わる気がしたので、マホロアは首を振った。本当は、あまり気が進まなかったけれど。
「そんなの面白くないジャン、いいヨ、ボクもキミについていく」
そしてマホロアとカービィは、真夜中のお菓子の家にぴったりと寄り添うようにしてそろそろと入っていくのだった。
ここにはもちろんクールスクープもいないので、コピー能力ライトを使うわけにもいかない。幸いマホロアは魔術師を名乗るだけあって、光を灯す魔法なら使うことができたので、真っ暗闇の中を闇雲に進むような事態にはならなかった。
屋敷はどうやら二階建てのようだった。玄関を入ってすぐに、吹き抜けがあってそこに螺旋階段がある。マホロアが近付いて光の球を近付けると、真っ白な埃が厚く積もっていた。ただ、ごく最近誰かがつけたと思われる足跡が残っている。一人分だろうか、点々と丸い跡が、段の上に一つずつ確認できた。
「やっぱり誰かいるみたいだね」
「デモ、住んでるワケではなさソウ。昔のローアみたいニ、スゴイほこり!」
埃だけではない、ぱっと辺りを見渡しただけでもそこかしこに蜘蛛の巣がかかり、歳月が壁にひびを走らせ家具を痛ませているのがわかる。玄関脇にかけられた鏡など、もうぼんやりとしか辺りを映さないほど曇り切っていた。人の手を離れた建物は、誰かが住んでいる時よりもずっと早く傷んでいくけれども、それを考慮に入れたところでこの屋敷が随分前から無人になっていることはすぐに見て取れた。
マホロアは顔をしかめて、埃を舞い上げないようにそっと離れる。マホロアは散らかっているものや場所がどうも好きになれないのだ。潔癖症だね、と昔何処かの星で会った誰かに苦笑されたこともあった。顔すらも思い出せないのだが。それは、旅をしていて不思議なことの一つだ。顔も名前も思い出せないのに、その人にかけられた言葉や仕草だけを、いつまでも覚えていることがあるのは。
「……ねえ、この足跡なんだけど」
「なんダイ?」
カービィはそっと階段の上にかがみこんでじっと眺めてから、マホロアを振り返った。
「これ、昇った跡しかないよね」
はっとした。
確かにそうだった。昇って降りたなら、一段につき二つ足跡がなければおかしい。だが、目の前にあるのは一方通行の痕跡しかなかった。
つまり、足跡の持ち主は、まだ二階にいる。
「……先に一階を調べた方が良さそうだね」
そんなに大きな声ではなかったが、カービィの言葉は吹き抜けの高い天井に跳ね返って少し響く。それが、なんだか少し嫌な感じだった。まるで、カービィの声にかぶせるように、カービィでもマホロアでもない誰かが何かをひそひそと囁いているようで。
「よーし。とりあえずキッチン見に行こ!」
カービィは気を取り直したようにいつも通りの声で言って、意気揚々と右手の廊下の方に入っていく。
「この期におよんでそんな余裕があるワケ? ホ~ント、ノンキだよネェ……」
マホロアも、この場所で一人きりになるのは気が進まないと感じたので、すぐにカービィの背中を追う。カービィの陽気は空元気ではないようだ。隣に並んで、マホロアはカービィが楽しそうに小さな声で鼻歌を口ずさんでいるのをはっきり耳にした。
(ウワァ……うわさには聞いてたケド、マジで死ぬほどへたくそなんだネェ……)
カービィの話になると、まず話題になるものがある。断トツなのはもちろんその食欲と驚異的な吸い込みの力だが、筋金入りの音痴であるという話もよく聞いていた。何よりマホロアにとって一番の驚きだったのは、話の流れでそのことに触れたときに、あのマルクが本気で嫌そうに「その話はやめるのサ」と言ってきたことだった。何にでも隙を見つけて自身のイタズラの種に変えてしまう彼がそんな反応をするということは、それこそ冗談で済まない何かがあるのだろう。現在は小声かつただの鼻歌であることが幸いして下手だなあという感想で済んでいるが、多分マイクを握るととんでもないことになるのではないだろうか。どうか、これからもその威力を知らずに生きて行きたいものだ。
「ぼくのカンでは、キッチンはここだ!」
恐れ知らずのカービィは、甘ったるい匂いの源と思われる扉を一気に開いた。
中は相変わらず埃っぽくて、真っ暗だ。
「誰もいない……」
「いないワリに、オーブンだけは赤々とシテるっていうネ……誰のシワザなんだカ」
マホロアの明かりを頼りにふたりは更に中へと進んでいく。二人の入った扉から細長くまっすぐ続いていて、中央を大きなテーブルが区切っている。周りの壁に掛けられたくすんだ銀色の鍋や包丁などが、光を反射して鈍く輝いている。右手にある机のまな板の上には、意外に真新しそうないちごが何個か乗せられていた。コンロの上の小さな鍋からはジャムの匂いがした。
カービィは奥のオーブンに近付き、掛けてあった手袋でオーブンの中に突っ込まれていた板を引っ張り出した。
「マフィンがたくさん、程よい焼き色。あの匂いの原因はこれだね」
「あとコッチの机に載ってる大量のカップケーキとスコーンとフィナンシェとクッキーかナ」
「……わお」
焼きたて、というわけではなさそうだが、どれも作られてから時間は経っていないように見えた。ただ、どれも整然と規則正しく並べられているだけで一つも手がつけられていない。
問題は、誰がどういう目的でこれだけ大量のお菓子を焼き続けているのか、ということだ。しかも、何の気配もなく、こんな廃屋でなんて、どう考えても普通ではない。
「はちみつのいい匂いがするしとっても美味しそう! こんなにあるなら一個くらい食べてもいいよね~!」
カービィはそう言ってこのいかにも怪しいマフィンを食べようとする。が、マホロアが反射的にがしっとカービィの手を掴んだことで阻止された。
「ヨシなよ、絶対マトモじゃないッテ! いくら食いしんボウのキミといってもチョットはうたがうキモチも持ってヨォ!」
「えーなんで? 平気だよ、こんなにあまい匂いがしてるのに」
「……じゃあキミは、ジブンが楽しみに作っておいたマフィンを知らないヒトに勝手に食べられテモ黙ってられるのカイ?」
するとカービィはぴたっと動きを止めてから、ものすごく残念そうにそっとマフィンを戻した。
「そうだね……勝手に食べられたらぼくも怒ると思う……」
「ソウソウ、ヤメとくのがイチバンだヨォ」
内心マホロアはにっこりする。相手に気取られないように相手を誘導する手腕はまだ錆びついてはいないようだ。そしてカービィの気が変わらない内にマホロアはいまだ名残惜しそうにお菓子の群れを見つめているカービィの手を引いてさっさとキッチンを後にした。
入ってきたのとは違う扉を通っていくと、そこにはダイニングがある。しかしやはり埃だらけで、テーブルクロスも虫に食われて穴だらけになっていた。途中ふざけてカービィが止まってしまっている鳩時計の針を回して十二時に合わせた所、きっちりと鳩が飛び出してきて二人共思わずびっくりして飛び上がってしまった。
「しかし、本当にどこにも誰かが住んでる跡すらないね。さっきのお菓子を焼いたひともいないし、どういうことだろう?」
「ついでに言うなら、鍵を開けたヒトにも出くわしてナイヨ」
「となると……二階、行くしかないね」
一階はあらかた探し回って手かがかりもなかったのでそうする他はない。カービィとマホロアは玄関の吹き抜けまで戻ると、階段の前に立つ。そして上の様子を窺ってみるが、しんとした屋敷の静けさをより強く感じただけだった。ふたりは少しばかりそうした後に、階段を登り始めるのだった。マホロアはふわふわと浮くだけだが、カービィは一段一段を一歩ずつ進んでいる。段に足をかけるたびにぎしりぎしりと音がする。古くなった木の音だった。マホロアの光球が揺らめいて彼らの影を天井に大写しにする。カービィは、しかし特に不気味とも思わないようで、表情一つ変えずに昇っていった。
二階も一階とそれほど変わりはなかった。マホロアが嫌になるほど埃が積もっていて、誰かの残した古い家具があって、長い間誰かが手をつけた形跡がない。けれども、階段をのぼってすぐの廊下を進んだ先の三番目の部屋は少しだけ様子が違った。今まではどんな人がどんな生活をしていたのかもあまり想像できないほど殺風景で写真ひとつなかったけれど、その比較的小さな部屋は、誰かの寝室であることがすぐわかった。南の窓際にベッドが一つあって、その右手には本棚があって、クローゼットがある。部屋の北側にはドレッサーがあって、おめかしの道具が置いてあった。だからきっと、部屋の持ち主は女性だろう。
マホロアは、ふと机の上に赤い表紙の小さな日記帳が置いてあることに気づいた。
「マホロア、ぼく向こうの部屋を見てるね」
「リョーカイ」
マホロアは、なんとなく興味を惹かれてその日記帳を開いた。読めない字で書かれているかと思ったが、コレカラスターはポップスターに近い星だからか、ポップスターで使われているのとほとんど同じ言葉で書かれていたので、マホロアにも内容を理解することができた。
『森で迷ったかわいそうな子供が来た。男の子と女の子の兄妹だ。たいへんおなかをすかせていたので、私達は甘いお菓子をつくって食べさせてやった。彼らは大変喜んでいた。朝になると彼らは私達になった』
マホロアはページをめくる。無機質な癖のない細い字体だ。かわいらしいぬいぐるみを部屋に置くようなこの部屋の持ち主とは少しミスマッチであるような奇妙な無個性さだった。
『森で迷ったたいへんかわいそうな男の子がきた。ひとりぼっちで彼は泣いていた。私達のつくったお菓子を食べると彼は泣きやんでいた。彼は次の日には私達になった』
ぱらぱらとめくる。どのページもほとんど代わり映えのしない内容だった。このように書くということは恐らく日記の主がこの廃屋の持ち主でありあのたくさんのお菓子を作った張本人なのだろうが、日記の主のことは、ただ自分のことを私たちと呼ぶことの他は何もわからなかった。日記の主は、訪れた迷いびとのことをじっと眺めているだけで、自分のことは一つも書かない。日記とは、普通自分のことを書くものではないのだろうか。
さらにページをめくって行くと、途中でその記録は途絶えていた。一番最後の文章にマホロアは目を通し始める。
『森で迷子になっていたたいへんかわいそうな二人組が来た。青と桃色の二人連れだった。お腹が空いているようだったけれども、お菓子を食べてくれなかった。キッチンまでは来てくれたのに、マフィンを手にとってくれたのに、食べてくれなかった。これでは彼らは私たちにはならない。ダイニングを通って、時計の鳩と遊んでも、私たちのお菓子を食べてくれない。二階を登って書斎に入っても食べてくれない。
どうすればいいだろう。私たちになってもらうには。私たちになってもらうには。私たちになってもらうには。私たちになってもらうには。私たちになってもらうには。私たちに』
マホロアは思わずぱたんと日記を閉じてしまった。
「何コレ」
端が擦り切れた古い赤い日記帳。紙も黄色い歳月の色に染まっている。持ち主の名前はない。持ち主は誰だ?
持ち主は、今、どこにいるのだ?
もう一度読みたい、という積極的な気持ちだったわけではない。でも、悲惨な光景を目撃して、見たくなくてもつい目が吸い寄せられるときのように、マホロアはもう一度だけ日記帳の最後のページを開いた。
『私たちは寂しいのです。森で迷子になって一人きりなのです。お腹が空いて倒れそうなのです。あなた達と同じなのです。あなたと同じなのです。』
そしてマホロアは、最初に気づかなかっただけなのか、それとも最初はなかったのか、さっきは見つけられなかった文字を隅に見付けた。
『あなたを迎えに行きます。』
かたん。
びくっとマホロアは肩を跳ね上げる。音がした。素早く振り返る。光球が動いたことで、影も大きく揺らめいて部屋を横切った。
がた。
更に大きい音。そのおかげで、マホロアは今度は音源の方向を掴むことができた。カービィが調べに行った部屋の方ではない。マホロア達がきた、階段の方でもなかった。入り口から見て右側の方、マホロアが見ていた日記のある書卓の正面、まだ見たことがない部屋への扉がある。音はそこから聞こえた。
この薄い板一枚隔てた壁の向こうに、カービィでもマホロアでもない誰かがいる。
「……」
凍りついたように固まっていたマホロアは、カービィが向かった扉をちらりと見やってから、ぎゅっと目を瞑って首を振った。それからキッと音のする方を睨み付けて、ずんずん向かって行くと、ばんと勢い良く扉を開けたのだった。
ぎゃっと声がした。本当に驚いたような声だ。マホロアはとりあえずその相手に素早く近付くと胸倉をむんずと掴んで先手を取る。
「キミがどういうツモリだか知らないケド、このボクをおどかそうったっテそうはいかないヨォ!」
「いでででで痛い痛い首締めないで暴力反対! 暴力反対!」
ギリギリと万力のように首を締めていると相手は必死に言い募る。けれどもマホロアは構わずに相手が弱るまで締め続けると相手を押し倒し、彼の持っていたひもに手をかざして魔法をかける。すると紐はぐにゃりと動きだし、あっという間に相手の手に巻きついて後ろ手にさっさと縛り上げてしまった。
「ちょっとちょっといきなり何するんです!」
「うるさいヨこの不審者!」
「その呼び方はやめていただきたい! おれっちはケチなドロボー呼ばわりされることがあっても不審者扱いだけは我慢ならないんでさ!」
「何がチガうんダヨ! おなじヨウナものデショ! だいたいコンナ真っ黒なほっかむりしといてドコが不審者じゃナイっていうノ! えーいこんなモノォ!」
「あーれーーーおやめください殺生なーーーー」
不審者のほっかむりをぐいぐい引っ張って外そうとすると、縛り上げられているというのに彼は器用に転がってどたんばたんと抵抗して暴れ回った。
「マホロア!? なんかすごい音してるけど何かあったの!?」
更にさっきの部屋を通ってカービィも血相を変えて走ってきた。そして状況を一目見て目をまん丸にする。
「あれ、タック!?」
「おう、カービィ! こいつあんたの連れかい? なんとか言ってやっておくれよ!」
カービィは彼にしては珍しくちょっと引き気味の笑顔を浮かべる。
「というか……何してんのきみたち……」
言われて気付く。タックは後ろで縛り上げられていて、マホロアがその上にのしかかっているこの状況は、どちらかと言わなくてもマホロアが暴漢だと思われてもおかしくなかった。
「ヤダナァ、勘違いしないでホシイヨ。ボクをからかおうなんて一億年ハヤイってコトを教エテあげただけダヨォ」
マホロアの本性を知らない相手なら一発で味方に引き込むことができるとっておきの笑顔でにっこりと微笑むが、当然ながらカービィには通じない。カービィはため息をついて言った。
「まあよくわかんないけど、タックはぼくの友達だから、一旦放してやってよ。何か誤解があったのかもしれないし、両方の話を聞きたいから」
「……シカタないナァ」
「よーっし、恩に着るぜカービィ!」
マホロアはぱちんと指を鳴らす。すると、紐はするすると一人でにほどけていって、ぽとりと床に落ちた。そして端を少し上に持ち上げている様子はまるでヘビのようだ。紐ヘビはマホロアにちょっと頭を下げてみせると、滑るように這ってどこかの隙間へ消えていった。タックはようやく自由になって手首をさすりながら、それを見て感嘆した声を出す。
「やあやあこいつはすげぇや。にいさんは手品師かなんかで?」
「てっ……魔術師ダヨ!!」
「んじゃあマジシャンってことで。ウィズの旦那とお揃いだねえ」
「カービィ~……こいつ何なノ?」
他人のペースに巻き込まれることが少ないマホロアにとって、のらりくらりと食えない雰囲気のタックには少し苦手意識を覚える。マホロアのうんざりした顔にカービィはちょっと困ったような笑顔を浮かべた。
「えっとねえ……話せば長くなるんだけど。昔ぼくが洞窟をウロウロしてるときに色んな意味でお世話になった……のかな」
「へえ懐かしいすねえ! あんときゃおれっちもあんたにだいぶ世話になったもんだ」
「よく言うよ! きみのやったことってほとんどぼくとヘルパーへのドロボーだったじゃんか!」
「あんたらのおかげでおれっちも生活がすーっごく楽になりましたぜ! 仲間内でもちょっと尊敬のマナザシで見られちゃったりとかして」
「はぁ……」
カービィは深いため息をついた。マホロアの知らない過去に本当に色々とあったようだ。
カービィとタックがはじめて出会ったのは、カービィがピクニックの途中で伝説の洞窟マジルテに迷い込んでしまった時である。元々お宝がたくさんあると噂の場所だからか、マジルテには驚くほどたくさんのタックがいてよくコピーの元を盗んで行った。その中でも今カービィたちの前にいるタックはとにかく逃げ足もすば抜けて速いし手癖もすこぶる悪かった。カービィは何個もコピー能力を盗まれたし場合によってはヘルパーごと持って行かれた。最終的にカービィはこのタックを捕まえることを諦めて、彼がカービィのコピー能力を盗んだ瞬間に彼を吸い込んで、無理矢理その攻防を終わらせたのだった。ヘルパーとしてのタックは、それまでカービィを困らせた分力を惜しまず助けてくれたし、ついでに宝箱もめざとく見つけてくれたので、それでカービィとも仲良くなって友達になり、今に至るというわけだ。
「それで、きみはこの家で何をしていたの? ていうかマホロアと何があったの?」
いまだ疑るような目をタックに向けているマホロアにカービィは不思議そうに目をぱちぱちさせている。
「あー、まあ、いつもの仕事っていうか……ね?」
「ということは、ドロボーしに来たんだね……」
「まあまあそんな呆れ顔はしないで。最初はドロッチェの旦那があんたに話したお宝の話ってのを仲間から聞いて、そいつを見つけようと思ったんでさ。でもいくらうろついていても全然見つからなくって、たまたま見つけたこの家で訪問販売でもしてこうかなーと思って寄って見たら、まあ開けてびっくり! 誰もいやしないってんで、ちょいと金目のものでも失敬しようと思い立った次第で」
「チョット待ってヨ」
マホロアは思わず口を挟んだ。
「じゃあキミがこの家に来るのはハジメテってコト?」
「そうですぜ。なんかおかしなことでもあるのかい?」
タックも不思議そうに首を傾げた。しかし困惑したのは何も彼だけではない。マホロアはさっきの出来事に思考を素早く走らせる。
「……もしかしテ」
「マホロア?」
マホロアはくるりと向きを変えてさっきの部屋に戻った。面食らったような顔でついて来るカービィとタックのことは無視して、さっきの赤い日記帳をさらってぱらぱらとページをめくる。
「……アレ?」
マホロアはもう一度ページを最初から見直してから、さっきと同じ日記帳かどうかを確かめる。古びた赤い布貼りの表紙。間違いなく同じものだ。しかし、中身はさっきと異なっていた。
今の日記帳は、真っ白だった。
「何コレどういうコト? ドウして……」
「マホロア? どうしたの?」
何が何だか、という顔をしてマホロアを見つめるカービィに何と説明すればいいのか。マホロアは少し考えてから、ふっと肩を竦めて首を振った。
「ナンデモないヨォ。ゴメンネ、ボクの早とちりだったミタイ。キミのコト廃屋でお菓子をタクサンつくってるアヤシイひとかと思ったんダ」
結局のところ、唯一の証拠とも言える日記が消えてしまっている以上、何も言うべきことはない。
「いやぁにいさん、そいつはおれっちを買いかぶりすぎですぜ。このケチな泥棒タックが他人のために無償で何かするなんてことカービィのヘルパーになったとき以外にするわけないでしょ」
「それそんな胸張って言うこと?」
「もちろん!」
タックはカービィの言葉にきらきらした表情を浮かべつつ肯定する。カービィはそれに対して何かを言うことを諦めたのか、とりあえず「まあ誤解は解けたみたいでよかったね」と流したのだった。
それから三人でまた家の中を探索したけれども、結局家主のことは何もわからなかったし、お菓子を作っていた誰かにも、鍵を開けて招き入れた誰かにも全く出会うことはなかった。タックが何かにつけて風呂敷の中に細々とした貴重品を失敬しようとするのでそれを止める方が多かったくらいだ。カービィたちは最後に諦めて玄関から出た。
一番最後にマホロアが家から出て、扉を閉めた時だった。
中から、かちゃん、と小さな音がした。
カービィとマホロアは顔を合わせる。そしてもう一度ドアノブに手を掛けるが、押しても引いても開くことはなかった。
「追い出されちゃったね」
と、カービィが言う。特に追い立てられたり、言葉をかけられたわけではなくとも、何故か三人ともそう感じた。
帰り道は、タックが道しるべを通り道に付けていたということなので森を抜けて元の場所に戻る分には問題なかった。「おれっちはもう少しこの辺を捜索してみますわ」というタックと一度別れ、マホロアとカービィはワープスターに来てもらってポップスターに帰り始める。空を抜けて銀河の海を飛びながら、やっと帰れるなあとマホロアは思った。一人きりになったら、すぐに倒れこんで眠ってしまいそうなくらいくたびれてしまった。カービィも少し疲れているのか行きよりも口数が少ない。それでもしばらくすると、ぽつりとカービィが口を開いた。
「ねえ、本当はあの日記に何が書いてあったの?」
マホロアはカービィの表情を見るが、その考えは読み取れない。カービィは自分ではぼくにはむずかしいことはわからないと言うけれど、それは単に彼が文書から得られるような類いの知識に明るくないというだけで、周りの状況を見て行う判断からはむしろ聡いとマホロアは思っている。現に今も、マホロアが何かを隠したことをしっかりと見抜いている。
「死神がボクをムカエにくるって書イテあったネェ」
一部始終を話す気のないマホロアはそう茶化して笑おうとしたが、その前にカービィがマホロアの手をぎゅっと握って言った。
「そんなこと今度こそさせないよ」
その力が存外強くてマホロアは驚き、カービィの方を見つめる。カービィはただいつもの表情で進行方向を見据えていた。
「今度は連れていかせないよ、絶対に」
「…………」
マホロアは、何故かカービィを見続けていることができなくなって、ふっと俯く。銀河の海を、流れ星のように、何も言葉を交わさず、ポップスターに向かってただ飛び続けている。カービィはまだマホロアの手を握っていて、その力が強くて痛いくらいで、それなのに嫌だと感じなかった。それがすごく変な感じだった。
やがてポップスターにたどり着き、見慣れた平野や山や海が見える。そしてクッキーカントリーのあたりに差し掛かったときに、朝日の色に空が染まり始めた。太陽自体はまだ出ていないけれど、大して待たないうちに顔を出すだろうと思われた。
「あ、せっかくだから日の出見ようよ」
「徹夜キネンに?」
「まあそんなとこ!」
カービィは笑い、少し高くなっている丘の上に、ワープスターに頼んで降ろしてもらった。ワープスターもそろそろ寝る時間だからか、お礼を言う間もなくすぐに空に帰ってしまう。小さくなっていくワープスターに手を振ってから、マホロアとカービィは朝日が出るはずの方角に並んで座り、日の出を待つことにした。
「さむくない?」
「このカッコでキミよりサムイように見エルのかイ?」
「あはは、それもそうだね」
寄り添うようにして座りながら日の出を待つうちに、マホロアは段々と瞼が重くなる。あくびをしながら目をこするが、微睡むまでは行きそうになかった。
「眠そうだね」
「ソリャ、徹夜だからネェ。オマケにさんざん森をウロウロしたシ」
「疲れたんならこのまま寝ちゃってもいいんじゃない?」
「ダカラー、はじめに言ったデショ……ボクはひとりっきりのトキじゃナイと、眠レナイんだヨ」
何度も同じことを言わせるな、という意味を込めて溜め息をついてみせると、カービィは「そっかあ」と残念そうにする。でもそれも長続きせず、明るんでいる空の端を見つめて微笑んでいた。そして、意識してか無意識か、楽しそうに小さな声で何かの歌を口ずさみ始める。例によって、元の曲を聴いたこともないのに、下手くそだとすぐわかるようなひどい音程で。
「カービィ、ソレ何の歌?」
「え? これ? うーんとねえ……よくわからないけど、春の歌らしいよ。ずーっとむかし、ポップスターに一度だけ来たぼくの友達が歌ってくれたんだ」
それを聞いた瞬間マホロアの胸にふと疑問が宿る。少し迷ってからマホロアはそれをカービィに尋ねた。
「その子のコト、ハッキリおぼえてるノ?」
「えへへ……実はあんまり覚えてないの。その子がどんな目的で旅をしてて、どんな格好で、どんな歩き方をしてたか。でもね、これだけは覚えてる。歌がとってもうまかったの。今でも、あの子の声は思い出せるよ。ぼくの友達だってことも、勿論忘れてない」
「……ソウ」
ずっと疑問に思っていた。ローアと一緒に旅している時、出会った人々ははたして自分のことを覚えているのだろうかと。マホロアは目を閉じて、静かに息を吐いた。離れていても友達だよと言った有象無象の影がまぶたの裏に映る。そんなことを言ってもみんな自分のことなんか忘れてるに決まってると思っていた。
でも、中には今のカービィのように、自分のことを覚えている者もいるんだろうかと、マホロアは初めてそんなふうに思った。
カービィはそれからまた朝日を待ちながら、続きを口ずさんでいた。所々ふんふんと鼻歌で歌詞をごまかし、音も外れていて、本来なら聞くに堪えないものだったのかもしれない。けれども、マホロアは何も言わずにカービィの声を聞いていた。不思議と不快だとは感じなかった。多分カービィにとってそれが大切な歌だからなのだろう。その気持ちが、声の端々から感じられるのだ。マホロアはまた目を閉じてみる。綿の花みたいなふわふわしたまどろみに包まれていくような感じがした。マホロアは知らず知らずにカービィの方に寄りかかる。カービィが少し驚いて歌を止めたのにも、マホロアは気付いていない。そのときにはすうすう寝息を立てていた。カービィはぱちくりとまばたきしてマホロアを見つめてから、にこりと微笑んでまた歌を再開する。友人の眠りを邪魔しないような小さな声で。
マホロアはそのとき夢の世界で、カービィとともに森のなかに建つお菓子の家の前にいた。屋根は四角いビスケット、壁はバタークッキー、扉は板チョコレートでできている。そして薄い飴でできた窓ガラスの向こうには、一人ぼっちの魔女がいて、石のように動かず何も言わずただこちらをじっと見つめている。そんな夢だった。