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    2018/10/01 18:02:47

    幸福痛

    ユーリと次男の日常話

    ##まるマ
    #まるマ

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    幸福痛 大きな椅子のうえで足をぶらぶらさせながら、ユーリは魔王のお仕事(デスクワーク)に励んでいた。
     深みのある茶色の王様机。のうえに乗っかる書類の束。
     ユーリがにらみつけているのは、そのうちの一枚だ。びっちりと羅列しているのは英語よりもたちの悪い異国の文字で、上から下まで視線でなぞっても、ユーリには全然わからない。
     といっても、この部屋に持ち込まれる書類はすべて事前にギュンターが目を通してくれているので、分からなくてもきっと問題はないのだろう。
     勝負をあきらめ、右下に渋谷有利と書いて脇にのけた。ここは敬遠フォアボール。

     ユーリは机に両手を置き、うつむいたままにやり、と笑うと、顔を勢いよくあげた。

    「どうしました、陛下」
     窓際に立っていたボディガードが、こちらを見つめて微笑んでいる。

     ユーリは内心、ちぇ、と舌打ちした。
    「へーかって呼ぶなよ名付け親」
    「そうでした。じゃあユーリ、サインは終わった?」
    「まだ。全然」
    「そ。じゃ、がんばりましょう」
     ユーリはしぶしぶと次の書類に向きなおる。コンラッドが、窓の外に視線をうつす気配がした。

     カリカリと、羽ペンが紙をひっかく音が部屋にひびく。
     ユーリは書類に顔をくっつけて自分の名前を書いていたが、ふと視線をあげた。
     ―――ほらまた、こちらを向いている優しい顔。
    「あんたってさ」
    「うん?」
    「いっつも俺の方見てるよな」
    「そうかな」
     羽ペンを放りだし、背もたれに寄りかかって、ユーリは大きく伸びをした。両手を頭の後ろで組み合わせる。
    「うん、そう。後ろ振り向いたり顔あげたりすると、絶対コンラッドと視線あうよ俺。いっつも不思議だったんだよ」
     余所に意識を向けている彼の頭を、ユーリはあまり見たことがない。
     コンラッドはさて、と首をかしげている。
    「これって偶然? それとも、分かるもんなの。人が振りかえるタイミングとかって」
     やっぱ軍人80年の経験値スか。
     そう言うと、コンラッドは肩を揺らして笑った。
    「実際ずっと見てるんだよ。ユーリのこと」
    「嘘つけ。さっきまで窓の外見てぼうっとしてたくせに」
    「おや、どうして分かるんです」
    「分かるの。俺の特技なの」
     目で見なくとも、コンラッドがどこを向いているのか、どんな顔をしているのかがユーリには分かる。ひそかな自慢だ。
    「すごいね」
    「だろ」
     あまり役には立たないけれど。
    「じゃあ俺のこれも特技だな」
     コンラッドは窓枠に寄りかかったまま、視線を落とす。
     彼の隣では、白いレースカーテンが揺れていた。わずかに開いた窓から入る風が、コンラッドの横をすり抜けて部屋に外の陽気を伝える。
    「俺もね、ユーリ。ユーリがこちらを向くのが分かるんだよ。ユーリが顔をあげて、黒い瞳で俺を見つめる。そんな予感が確かにするんだ」
     窓の向こうにひろがる青色に目を奪われていたユーリは、コンラッドの顔に視線をうつした。コンラッドはその一瞬前に、穏やかな笑みをユーリに向ける。

    「……なんかずるいな」
     思わずつぶやく。
    「だってそれじゃあ俺、コンラッドのボーッとしてるところ目撃できないだろ。俺、あんたの隙だらけの顔って見たことないよ」
     まぶしい光を背に負いながら、コンラッドは口元に手をやり少しだけうつむいた。
    「見なくていいですよ。というか見せませんよ、そんなの」
    「ちぇ」
     ユーリはふて腐れたように目をつむった。まぶたの裏の暗闇に、ぼんやりと像が浮かぶ。―――コンラッド、いま笑ってるだろ?

    「俺にはもうひとつ特技があってね」
     風のにおいを感じたかと思うと、意外なほど近くから声がした。前髪を、長い指にすくわれる感触。
    「貴方の考えていることが分かるんです。 ―――ユーリ、外に行こうか。仕事、飽きたんでしょう」

     目をぱちりと開けると、見おろすコンラッドの顔があった。
     ほら、やっぱり笑ってる。



     すぱん、と鋭い音とともに、左手に心地よい衝撃が伝わる。

     ユーリはボールを右手に持ちかえると、足を踏みだして思い切り投げた。高く高く、ボールは弧をえがいて飛んでいく。
     ユーリはその軌跡を瞳にうつしながら、腹の底から大きな声をだした。
    「自分がキャッチボールしたかったんだろ! 正直に言えばいいのに!」
     手をのばしてボールを受けとった相手は、満面の笑みを浮かべている。すごく楽しそうだ。
    (俺も楽しい)
     スニーカーの裏に、柔らかい若草を感じる。
     降りそそぐ光。涼しい風。
     楽しくて心地よくて、ユーリは目眩がしそうだった。

     足下に咲く黄色い小さな花をよけながら、かえってくるボールを無心に追いかける。
     そして受けとったボールを、テレビのなかの外野手のフォームを真似て、なるべく高く遠くまで届くように投げかえす。
     相手もそうだろう。
     銀の星が散らばる瞳をさらに輝かせ、昔見た大リーグ選手にでもなったかのように、格好をつけて右腕をうならせているはずだ。

     見なくても分かるんだぜ。

     あんたが子供みたいにはしゃいでること。

     何気なくボールの投げ方を変えてみたらしい相方の挑戦に、ユーリは精一杯走ってこたえた。

    (楽しいよな、コンラッド)

     手をあげて落ちてくるボールを待っていたユーリは、ふいに、顔にさしこむ太陽の光をかんじた。白い歯をのぞかせた笑顔のまま、目をつむる。

    (でも、なあコンラッド)

     ユーリのまわりを、一瞬の暗闇が通りすぎる。

    (なんでそんなに痛そうなんだ)


     高くかかげたユーリのグローブは、飛んできたボールをはじいた。
    「あっ」
     受け損ねた拍子にユーリの体はバランスをくずし、草むらに倒れた。少し離れたところで、ボールが力なく地面に落ちる。
    「いてて……」
    「陛下!」
     足をひねるように転んだのを見て驚いたのか、コンラッドがすぐに駆け寄ってきた。
     実際はどこも怪我などしていないユーリは普通に起きあがろうとしていたが、名付け親の真剣な呼び声を聞くなり、再び草むらに背中を落として両腕をひろげた。死んだふり。
    「大丈夫ですか、陛下」
     傍らに膝をつき、顔をのぞきこんでくる気配。
     ユーリは目をぱちりと開けると、相手の胸倉をつかんで引き寄せた。
     コンラッドは意表をつかれたような顔をして、そのままユーリに覆いかぶさった。すぐ脇の草むらに手をついて体をささえる。
     ユーリは念願の「隙だらけのコンラッドの顔」を目の前にして、してやったりと口元をゆるめた。
    「へーかって呼ぶな。自分でつけた名前を呼べよ、名付け親」
     コンラッドはぱちぱちと瞬きをすると、少々はにかんだように視線をずらした。
    「……そうでした、ユーリ」
     ユーリはコンラッドの顔を両手ではさんで、真正面に向けた。真剣な顔をして、銀の星が散る薄茶の瞳をのぞきこむ。
    「どうしました、ユ―……」
    「なあ、コンラッド」
    「うん?」
    「実はあんた、毎回わざとボケてるだろ」
    「うん」
     あっさり白状した男の前髪を引っ張ってやる。
    「いてて」
    「愚か者」
     そのまま吹きだして、肩を揺らして笑いあった。愉快でたまらなかった。
     ふたりを包んで通りすぎていく、心地よい時間。
    「コンラッドってさ。案外、マンネリな笑いが好きだよな」
    「……そうかもね」
     あたたかい光。穏やかな風。
    「ユーリ、俺は」
     ささやいて、コンラッドはユーリの肩に顔を埋めた。
    「俺は、平凡な笑いの日々の繰り返しが好きだ」

     茶色の髪が、顔のしたでふわふわと動いている。
     その向こうに果てしなくひろがる空を見上げながら、ユーリは目を細めた。まばゆい太陽に、手のひらをかざす。

     ユーリはそのまましばらくの間、口をひらかなかった。
     なぜかはわからない。
     だが、こんなにも幸福に満ちた胸が、どうしようもなく痛かった。
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