バレンタインSS 今日はバレンタインデー。遠い国の偉人に由来する、恋人たちが愛を誓い合う日。とは云いつつ製菓会社が消費者の購買意欲を煽っていて友チョコやら自分用やら義理チョコなど種類は様々ある。
比留間ミケは悩んでいた。眼の前にあるのは綺麗にラッピングされた見るから高そうな、はっきり本命チョコですとわかるもの。渡す相手はもちろん恋人である村井景虎なのだが、気持ちにいまいち踏ん切りがつかなかった。
年下年上関係なく可愛がられる系の村井は派遣先でも、もしかすると本部内でもチョコレートを貰ってくるかもしれない。お菓子なら甘いものでも何でも好きな彼だがそんなにチョコレートばかりを貰っても仕方がないだろう。
溜息のひとつでも吐かないとやっていられない。今まで貰う側の立場だったが甘いものがそこまで得意ではない自分としてはあまり嬉しくない風習だった。比留間をよく知るカリソメ飼い主はアルコールが使用されたものを贈ってくれたりと気を回してくれていたのでそこまで苦痛ではなかったのだが。
「あー……なんで買っちまったんだろ」
再び眼の前のチョコレートに視線をやる。味については村井が食べやすいようにカカオが控えめな苦過ぎないものを選んだ。つまり自分で食べるとなると甘さで胸焼けを起こしそうなのだ。
「ミケさん!」
バンと扉が開かれる音に獣耳がぴくりと跳ねた。もうそんな時間だったかと時計を見るといつもよりも随分早い帰宅だった。体調でも悪いのだろうかと不安になって小走りで駆け寄る。ぱっと見た感じでは健康そのもののように思える。
「どうした? 今日はやけに早いな」
「えっ、だって今日ってチョコ貰える日っすよね?」
「あ……ああ」
「え、え、まさかミケさん忘れてたんすか!?」
さーっと一瞬で村井の顔色が悪くなる。それがおかしくて思わずぷっと吹き出してしまった。
「え? え?」
先程まで悩んでいたのが馬鹿らしく思える村井の反応に比留間は破顔した。そうだ、彼はいつだって真っ直ぐで。比留間のことしか考えていないのだ。
「……無いって云ったら?」
「……俺、今年チョコゼロっす」
「ごめん冗談、あるよ」
「っしゃああああ!!」
ころころと変わる村井の顔を見ていると楽しい。だからついつい揶揄ってしまう。
ずっと睨めっこをしていたチョコレートを取ってきて村井に差し出すと蜂蜜色の瞳がきらきらと輝く。
「ミケさんありがとうございます!」
「……どーいたしまして」
村井は受け取ったチョコレートを高く掲げて色々な角度から飽きることなく眺める。チョコレートの作り手も包装を考えたクリエイターも幸せだろうと思うほどじっと眺めている。まるで宝物のように。
「食わねえの?」
「あっ、晩飯前っすけど食ってもいいっすか?」
「今日だけ特別な」
親子のような会話についつい笑みが深くなる。テーブルの上に箱を置いて村井にしては慎重な手つきで包装を丁寧に解いていく。蓋が開けられると甘ったるいカカオの匂いが漂ってきた。いろいろな味が楽しめるアソートタイプのものを選んだので村井はどれから食べようか考えあぐねているようだった。
「んー!これ!」
熟考の末に村井が選んだのは真ん中にあったハートの形のチョコレートだった。ショートケーキのいちごを真っ先に食べる彼らしい選択だと思う。
「んー! 美味いっす! すげー美味いっす!」
好みのものを選ぶことができたようで内心ほっとした。いつも飴だってがりがりと噛んですぐに食べてしまう村井が咥内の熱でゆっくりと溶かしながら味わっているのをみると、そのチョコレートに少し興味が湧いてくる。
「景虎、」
「ふぁい?」
くいくいと服の袖を引くとそれに従って村井は上体を折り畳んで自分からでも口付けを仕掛けられる距離になった。
頬に手を添えて性急に唇を重ね合わせる。驚いて眼を見開く村井を見つめながら舌先で唇を啄くと擽ったさからか口許が緩んで隙間から舌を滑り込ませた。
すぐに感じるどろりとした感触と強烈な甘み。しかし村井の味が混ざっているからだろうか。そんなに嫌いな甘さではなくて味の濃い舌をぢゅっと吸い上げる。
「うっ、うう……っ」
村井の熱くなった手のひらが腰に回されて不意に揺さぶられている時の感覚を思い出してきゅうと腹が切なさに鳴く。しかし今はそれよりも甘い口付けを味わいたくて夢中で舌を絡ませ合った。
チョコレートが溶けてなくなっても、村井との口付けはいつだって甘くて、心地好くさせられる。
「……本当だ、美味いなこのチョコ」
「そ、そっすね……」
熱に浮かされた表情の村井の視線を受けつつもまだまだ飽き足らない。適当にチョコレートを選んで口に咥え、オスらしい立派な首に腕を回して甘いキスの続きを求めるのだった。