髪を切る話 伸びてきたな、と言ったのはなんとなくだった。
例えば彼が自分に視線を向けるとき、その鳶色のまっすぐな瞳がよく見えないからだとか、ベッドで身を寄せたときにくすぐったいからとかでは決してなかった。
彼は自分の頭に手をやると「そうかな」と呟いた。自分のことにはてんで無頓着な男だ。
彼は不意に茶目っ気のある表情を浮かべて言った。
「じゃあ、君が切ってくれるか?」
は、と返すと、彼は笑う。
「いつも器用に髪を結んでいるから」
とジャヴェルを指差した。
髪の毛が落ちるから、と彼は上を脱いで椅子に腰掛けた。
「どうなっても知らないぞ」
「どうとでもしてくれ」
一応釘を刺しておくと彼は笑って言った。自分に無頓着というのも困りものだ。
彼の丸めた背には、いくつもの古い傷がある。こうして明るい日の光の中で彼の身体を見るのは、彼が囚人であったころ以来かもしれない。
どうして出来たか知っているものもあれば知らないものもある。知らない傷を見つけると胸が疼いた。
彼の髪の毛に鋏を入れる。ぱさりと髪の束が落ちる。揃えさえすれば良いだろう。
「前髪を切る。目を閉じろ」
指示すると、彼は素直に従った。
印象的な鳶色の目が閉じられて、まるで眠っているようだ。違うのは唇にかすかに笑みがあること。
秀でた額の下の意志の強そうな眉は今は白くなり、続く高い鼻梁にも僅かに皺がある。思い出よりも頬は痩けて、顎鬚ももはや白かった。多くの苦渋を飲み込んできた口元にも皺が刻まれている。
彼も、自分も、若い頃と比べられるだけの年を経た。
彼の、裸の鎖骨に日の光が溜まっている。焼印は引き攣れて、今も存在を主張する。陽光に滲むような肌はかつてはなかったもの。
逞しかった肩も随分小さくなった。けれど今も、身じろぎするたび盛り上がる筋肉に目を奪われる。
多くの傷跡を身に宿しながら生き抜いた男の肉体は、美しかった。 ──この身体に、普段抱かれているのか。
そんなことを思うと、つい手が止まる。こんな風に眺めることなどないから、思わず見つめてしまった。
ジャヴェルは自分を戒めながら、彼の髪を切った。
最後に彼の額や、頬を指先で払ってやる。
彼はふっと視線を上げると微笑んだ。
「ありがとう」
「……ああ」
知らず不機嫌そうな声音になったが、彼は何が面白いのかずっと笑っていた。