いつかは愛をささやいて 月夜のこと。
とある本丸は、一度に沢山の仲間を迎えた祝宴で、ひときわ盛り上がっていた。
歓迎される側の一振である鶴丸国永は、ささやかながらも賑やかな宴を十分に楽しんでいたが、ふと、この本丸に先だって顕現していた一振の姿が見えなくなっていることに気付く。その姿を探して広間を出ると、目の前に季節の花が咲く庭が広がる。星々のきらめく夜空には、流れる雲の衣を着た月が、世界を優しく照らしていた。
「ははぁ、こりゃいいもんだな」
口にして、その景色を眺めながら庭沿いの廊下を歩く。そして、その先にある一つの影に声を掛けた。
「宴を抜けて、一人で月見酒かい?」
そこには、床に胡座をかいて座り、盃を傾ける三日月宗近の姿があった。
「鶴丸国永か」
その姿を目にした彼は、微笑んで短く答える。そんな彼の隣にどかっと腰を下ろして、鶴丸は片手を差し出した。
「俺も一杯貰おうか」
その手を見て、ほんの少し首を傾げる。しかし、すぐに己の持つ盃を空にして、それを隣に座る刀に手渡した。それから、床に置いた盆の上にある徳利を持ち上げ、盃になみなみと酒を注ぐ。
注がれた酒を口で迎えにいく様子を、三日月は薄く笑んだまま見つめていた。
小さく一口、さらに二口と含み、口内に広がる風味を堪能した鶴丸は、満足そうな顔で「うん、旨い」と呟く。その頬は、宴で飲んだ酒で、ほんのり赤らんでいる。まるで積雪に染み込んだ血痕のようで、よく似合っていた。
月が薄雲に覆われ、闇がわずかに濃くなった世界で、三日月は僅かに目を細めてから空を見上げた。
「……今宵は月が綺麗だなぁ」
「ああ、良い月夜だ」
釣られて見上げた空は、薄暗さはあるものの、しっとりとした美しさがある。僅かな沈黙の後、三日月が視線を戻す。
「とある文豪が、あいらぶゆうを月が綺麗ですねと表現したそうだ」
その言葉に、隣に視線を戻した鶴丸は、一度瞬きをしてから「零点だな」と呆れたように酷評した。
「そうか? なかなかに良い表現だと思うのだが」
「そっちじゃない。きみがすぐに引用元を口にしたことに対してだ」
そう言って、盃に残った酒を飲み干す。そして、空になったそれを盆の上に軽い音を立てて戻した。
「驚きも何もないじゃないか!」
不服そうな声に対して、手元の袖で口元を隠した三日月は、「そう褒められると、面はゆいぞ」、と返した。まるで過分な賛美を贈られてはにかむ少女のような様子に、鶴丸はふっと息を吹き出し笑う。
「本気で言ってるな? こいつは驚きだ」
「驚いてくれたか。やぁ、嬉しいな」
先程までの照れた様子はどこへ隠したのか、涼しい顔をしている彼に、優しく目を細めた鶴丸が片手を伸ばす。その艶やかな黒髪に触れる手前で、はっとしたように手を止めた。
「撫でても良いぞ?」
「……それじゃ、遠慮なく」
「うむ」
その手が三日月の髪に触れる。頬に掛かる髪を指先で一度梳いてから、頭に手を置き、数回柔く撫ぜた。その手つきを、目を伏せ、口元を和らげて楽しむ。
幾度か撫でて満足した鶴丸が、己の手に身を委ねている相手に、ほんの少し気まずそうな顔をする。しかし、すぐに気を取り直して、伸ばしていた手を自分の膝の上に戻した。
「満足そうにしてるとこ悪いんだが、鶴丸驚きポイントは貯まってないからな」
その言葉に、伏せられていた目が開く。それから、ぱちりと瞬いた。
「先程、驚いてはくれなかったか」
「きみの驚きのない発言と相殺した結果、零点だ」
小首を傾げ、片手をひらひらと振って答える彼に、「これは参った」と面白そうに笑ってから尋ねた。
「……それを貯めると、何が起こる?」
すると、にんまり笑った鶴丸が、体を傾け三日月に顔を寄せる。内緒話をするかのように、口元を片手で隠して、耳元で囁いた。
「十点貯めると、俺からのI love youが聞ける」
そう言ってすぐに離れ、きょとんとした顔をする相手を見て、それは満足そうな顔をする。
「驚いた」
「だろう?」
うんうん、と頷く彼に対して、感心しきりといった様子で、「顕現したてなのに、綺麗な発音だなぁ」と言った。その言葉に、驚かせはしたが狙いがずれた事に気付いて、目を眇めて少し悔しそうな声を出す。
「むしろ、きみは俺より前からいるくせに、なんでそんな幼子みたいな発音なんだ」
「横文字はじじいには難しくてな」
ははは、と笑ってそう言った彼に、鶴丸は一息吐く。そうして気を取り直して、にやりと笑った。
「まあいい。そういう訳だから、頑張って貯めてくれよな!」
「あい、わかった」
頷いて、三日月は笑む。まるで一輪の白百合のように、清廉さを感じさせる笑みだった。それを見た彼は、軽く後ろ頭を掻くと、よっこいせとその場で立ち上がった。
「さーて、それじゃあ俺は宴に戻るぜ」
「では、俺も戻ろうか」
続いて立ち上がろうとすると、「月見はもういいのかい?」と悪戯っぽい言葉が降ってくる。
「お陰で、十分に堪能した」
立ち上がり、服の裾を直しながら答える三日月に、鶴丸はあえて何も言わずに「そうかい」とだけ返した。それから、腰をかがめて床に置かれた盆を手に取る。謝礼の言葉を受けながら相手に背を向けると、夜のしじまに似た穏やかな声が尋ねてくる。
「ところで、鶴丸はどうしてここに?」
その言葉に振り向く事はなく、即答する。
「決まってる」
言いながら、視線を空に向け、片手を上げて月の光に翳し。
「雲隠れした美しい月を探しに、だ」
鶴丸が、優しく目を細めて指の隙間から見た月は、雲の衣を脱ぎ捨てて淡い光を纏っていたのだった。