これは恋じゃないよ 藤丸立香は、気がつくと秋色の森の中にいた。
あたりを見渡すと、虫の姿をした妖精たちが飛び出してきて、嬉しそうに立香の周囲を飛び回る。相変わらず何を言っているのかはわからないが、歓迎されていることはわかった。しばらく妖精たちと戯れてから、立香は尋ねる。
「オベロンはどこ?」
それに答えるように、妖精たちは立香を彼らの王様の元へと導いた。
辿り着いた場所は、木々に囲まれた中にある小さな陽だまりだ。そこに、オベロンはいた。木にもたれて足を投げ出して座っている。灰暗色の前髪の下で、その瞳は閉じられていた。立香を導いていた妖精たちが、ふわりと彼の頭や肩に寄り添って、ゆるやかな歌を口ずさむ。その様子は、絵本の一頁のようで、立香は自然と微笑んだ。オベロンの側面に歩み寄ると、その場にしゃがんで至近距離から彼の顔を眺める。思えば、こうやって近くからその顔を見つめたことはなかった。ほんのり血色のある頬に触れてみたくなって、手を伸ばそうとした自分に気付いて、立香は苦笑いする。そうして、そのまま手を下ろし、その場に腰を下ろすと膝を立てて座った。
「オベロンは、狸寝入りが好きなの?」
「きみの相手をしたくないだけだって、なんでわからないかなぁ」
瞼の下の睫が震えて、碧く、冷めた光を宿す瞳が現れる。オベロンは立香の方を見ることなく、小さなため息を吐いた。
「大体、なんでここに居るのさ」
「なんでかな。眠りにつく前に、オベロンのことを考えていたからかも」
「それは随分と夢見がちなことだね。まるで恋でもしているみたいじゃないか」
彼は少し肩をすくめて、揶揄するように言う。それに対して、立香はへらっと笑って人差し指で頬を掻いた。
「へへ、そうかな~」
「何その反応、本気で気持ち悪いな」
「言っとくけど、オベロンの発想も十分夢見がちだから」
座ったまま後ずさり、冷たい視線を向けてくる横暴な王様に、立香は膝の上に頬杖をついて半眼で返す。
「そんなに恋しかった?」
にやりと笑って尋ねれば、彼は心底嫌そうな顔をした。立香は、少しやりすぎたかと思いながらも、その反応が面白くて続ける。
「あ、これ、両思いってやつかな? 手でも繋ぐ?」
そう言ってオベロンに手を差し出せば、彼は小馬鹿にするようにその手を思いきりよく払った。
「両思いでやることが手を繋ぐだなんて、なんて哀れで貧弱な発想力なんだろうね?」
その言いように、今度は立香がカチンとくる。
「はあ? オベロンはキスでもして欲しいわけ?」
「できるものなら、やってみろよ」
「望むところだ、覚悟しろ」
売り言葉に買い言葉。だが、放った言葉を収めることが出来ず、立香はやけくその笑みを浮かべつつオベロンと距離を詰める。それは彼も同様だったようで、その身体は一切後ろに引くことはなかった。立香は正面から、先程触れるのを躊躇った頬を両手で包む。その頬は、ほんの少しひんやりとして柔らかかった。
「に、逃げるなら今のうちだ」
「はっ! 逃げたいのはきみの方だろ」
二人の間に流れる剣呑な雰囲気は、とても今から口付けをするようなものではない。だが、お互いに引けぬ所に来ていた。
オベロンの顔が至近距離に迫る。その整った顔には、立香と同じやけっぱちの笑みが浮かんでいて、それがなんだか可笑しくて肩の力が抜けた。
「オベロン」
小さな吐息のような声でその名を呼んで、立香はオベロンの唇に軽く触れて、すぐに離れた。羽毛で擽られるような軽い口付けに、彼が瞬きをする。
「……お……思い知ったか!」
オベロンの頬からぱっと手を離し、膝立ちで腰に手を当てて勝利宣言をする立香の頬は朱に染まっている。それを見て、どこかぽかんとしていた彼が動いた。両手で立香の頬を挟んで自分の方に引く。そのまま、二人の唇は今度はしっかりと合わせられる。そうして、約二秒後にゆっくりと離れた。至近距離で、立香とオベロンの視線がかち合う。その瞬間、立香はドンッと強く肩を押された。尻餅をつくかと思ったが、その先に地面はなく、広がるは闇。立香の身体は闇の奥の光の方へと落ちていく。
「思い知れ」
彼の馬鹿にしたような声が聞こえた。しかし、その表情は立香から伺うことは出来ない。落下しながら、立香は叫んだ。
「オベロン! また会おう!」
オベロンからの返事はないまま、立香は光の中に吸い込まれ、夢から醒めていった。
立香の姿が消えた後、オベロンは長いため息を吐いて立ち上がり、呟いた。
「きみのそういう所が、心底嫌いだ」、と。