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     殺風景な私室を片付けるともなく掻き回していた白い手がふと止まった。一つきりの木棚の片隅で竹簡の束に埋もれた物を引っ張り出す。軽い木箱の中には細々とした過去の断片が残っていた。片手に収まる塗箱に透き通る翅が幾枚か、砕けた木柄つかの欠片、干からびた何かの種子。一番上に据えられた細い苧麻布の包みを取り出すと、小首を傾げた騰は、それきり小箱を思い出すことはなかった。

     新年を控えた城下はどこも忙しい雰囲気に満ちていた。身分の区別なく足早に行き交う老若男女の間を、頭二つ飛び抜けた長身が縫う。淡色の上衣に総髪を靡かせる巨躯、寸鉄を帯びずとも歴戦の武人と窺わせる偉丈夫だった。透過する碧玻璃の眼は遥か先を見通すようで、供も案内もわずかな跫音もない。だが飄々と歩を進める騰を気に留める者は誰もいなかった。主の住まう城奥には泡沫めいた穏やかなさざめきが漂うばかりである。

    「おやぁ。珍しいですねェ、騰」
     色彩渦巻くただなかに、燦然と揺るがぬ気配が振り返る。逞しい弓手が緩く典雅に振られると、一斉に巻き取られ畳み上げられる生地と装束の数々は瞬く間に仕舞われた。記録係の文官と側仕え一行が、無言で立ち尽くす副官へいちいち丁重な礼をしながら退出する。いつの間にか傍らへ寄った主が興味深げに視線を送る先で、改めて両手を重ねた騰が頭を垂れた。
    「懐かしい」
     高い位置で一纏めに括られた髪の根元に触れ、形良い紅唇が綻んだ。整った爪先が辿る飾り紐の端が、淡色の両肩へ垂れて滑り落ちた。

    「こうして見るとずいぶん落ち着きましたね」
     床几に寛ぐ主の横で、解き髮の副官が丸い眼を瞬く。昔から戦術、武威を離れた己個人の事柄には途端に反応が鈍る腹心を微笑ましく思い、主は和毛に指を絡ませた。
    「髪の色ですよォ。これでは少しきついでしょう」
     実戦で鍛えられた厚い皮膚と無数の傷に覆われつつも、無骨さとは無縁の主の指が亜麻色を梳き流す。もう一方の手に巻き取った髪紐を示してみせた。
     碧眼が見据える飾り紐は、漆黒の地に金糸が織り込まれ尾羽根を翻した鳳の姿を表す。精緻な紋様の終い、両端にはそれぞれ真円に磨かれた紅珊瑚が艶めいていた。慎重に包まれ手箱に眠っていたのは、初陣を迎える頃、騰の髪がまだ濃い赤味を帯びていた当時に王騎が与えた物だった。
    「ハ。──しかし殿の御下賜であれば、今後はこの頭髪かしらの色を合わせましょう」
     大真面目に言う腹心の薄い頬を、長い指が摘まんだ。
    「ココココ。もちろん私の見立てですから、いつだってそのままの貴方にぴったりなんですよォ」
    「……はぁ」
     ふにふにと揉まれるような感触に応えが間延びする。これは相変わらず柔らかいですねぇ、と心ゆくまで堪能した王騎は上機嫌に黄金の眼を細めた。
    「とはいえ、違う色味も試してみましょう」

     主が手ずから持ち出した大振りの平箱にはぎっしりと細い塗箱が収められていた。優雅な手付きが開く一つ一つから、趣き様々な輝きが溢れ出る。玉を繋いだ豪奢な品、虹色の光沢が艶めかしい幅広の一本、鮮やかな丹色が際立つ凛々しい細身。それぞれ技巧を凝らした飾り紐が整然と並ぶ圧巻に、主の手の動きばかりを追っていた副官は、然程の感慨を持たない視線を送った。
    「これが良いでしょう。ねェ?騰」
     迷いもせず選び出したそれを小箱ごと持ち上げる。無造作に向けられた品を、騰は恭しく両手で受けた。
    「西方の色彩いろだとか」
     促され折り畳まれた紐を取り出す。明るい空色の中心部分から、両端に向かって暮れるように色が濃く深まり、一筋の葡萄色を挟んだ濃藍の終わりは渋い鬱金の縫いで止められて、錆を含んだ切金が垂れる。織られた古様の饕餮文が全体を引き締め品を添えていた。確かめるように辿っていた騰の指先が止まる。くるりと返し、わずかに眼を瞠った。
    「ンフゥ。結ってあげましょう」
    「ハ」
     大将軍の脚の間に収まり無防備な背をさらす。騰は俯き加減に急所を差し出した。大きな手が項から持ち上げた髪を櫛り、強かな指先は繊細な力加減で頭皮を撫でる。静かに弛緩しながら前を見やると、平箱は変わらず華やいで灯火を返していた。
     気まぐれな主の手慰みに身を預ける副官は、少しの緊張と奇妙に安らぐ心持ちを覚えていた。手許に預かる絹紐をそっとまさぐる。触れる空色の部分の裏側には、表と全く異なる意匠が施されていた。黒絹に艷やかな百花の王、もとどりに巻き付けてしまえば決して見えない位置に、咲き誇る牡丹は金色の露も鮮やかに縫い取られている。
    「貴方も選んでくださいねェ」
     きっちりと結紐を整えた主が軽く告げた。仕上げの飾り紐を渡して手ぶらとなった副官へきらびやかな箱を示す。
    「ハ。どれも大層お似合いです」
    「ええ、でも貴方に選んで欲しいのですよぉ」
     重ねて命じられ、騰の顔が引き締まった。研ぎ上がりの刃を検分するに似た眼光が麗々しい細工物を舐めていく。
    「……ンフフフ」
     手早く結い終えた主が楽しげに見詰めるのも意識せず、傍目には厳しい表情のまま騰は途方に暮れていた。揃えられているのは至高の逸品ばかり、加えて主に対して不釣り合いはともかく、似合わぬ物など存在しないと考えている腹心には手強い難問だった。
    「──手に取ってもよろしいですか」
    「どうぞォ」
     頷き謝意を示した騰の指先が迷いなく箱へ伸びた。大きく丸い碧眼を固く閉ざし、手探りで端から順に一定の調子で検めていく。息詰まるような一時の後、ぱちりと開かれた目蓋と同時に淡い唇の端も持ち上がった。
    「畏れながら、こちらを」
     捧げる塗箱を鷹揚な主の手が納める。褐色の大きな掌に五色の輝きが流れた。
    「最も軽く靭やかで、織りに緩みなく密。長く御身に沿いましょう」
     基本の色に加えて黄金彩る組紐は、表裏に寸分の狂いなく吉祥文を表す。よくよく見ればその緻密さは人の業とは思えない程の凄みを帯びていた。両端を留めるのはこれも透き通るまでに澄んだ五色の玉である。通常より幅広く長く、それでいて軽やかな堂々たる品だった。
     馬上にありて剣矛を振るう、武人のかいな指先には常に生死が掛かる。その直感が選った品を莞爾と受け止めて、王騎は至極満足だった。そのまま、副官にとっては想定外の難題を課す。
    「次は結ってくださいねぇ。済んだら茶を煎れましょう」
    「ハッ」
     象牙の櫛からするすると逃げるほどこしのある直ぐな艶黒に、過去のどんな強敵よりも悪戦苦闘すること暫く。無表情に疲労困憊する腹心と項へ緩く結ばれた飾りに笑い、主は優雅に茶卓へ着いた。

     この日、主抜きには進まない案件を抱える百官侍従に泣き付かれて古参の女官長が、張りのある声で呼び掛けるまで、主従のささやかな茶会は続いていた。


    三ツ折 Link Message Mute
    2022/10/10 15:33:20

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    王騰の日に寄せて
    まったりイチャ…としてます 主従に幸あれ

    ・幼少期から一緒に育った壮年主従、年末の息抜きタイム
    ・騰の髪が昔は赤っぽかったという夢を含みます

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    • 月下楼臺原作軸王騰。蛇甘平原の戦いより少し前、戦場に現れなくなって数年経つ王騎将軍の領地内の話。

      ・オリキャラ(モブ)
      ・時代考証粗め、捏造いろいろ
      三ツ折
    • 12/17新刊ご案内2023年12月17日開催のオンリーイベント【全軍前進愛の道 DR2023】にて再録+αの小説本を発行いたします。
      今回P0さんの御厚意により委託させて頂くことになりました。ご縁がありましたらイベントにてお手に取って頂ければ幸いです。

      ◼️スペース:西1 き29a 育雛器さま

      ◼️新刊『月下楼臺』500円

      ◼️王×騰 成人向け小説 文庫70頁

      ◼️原作軸/オリジナル設定・キャラ(モブ)多数

      戦がない季節を過ごす主従と、それを取り巻く人々をメインにした短編集です。

      ◼️収録内容
      Web再録
      ・月下楼臺、拾遺
      ・月も蕩かす
      ・結
      書下ろし
      ・雪待月
      ・夜渡る月の隠らく(※殿の亡骸の描写を含む)
      三ツ折
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