タイトルは決まっていない(22話目より/27話目追加)『へし切』 前略
この手紙をお前が手にしているということは、俺はもう、本丸には居ないということだろう。
……などと捻りの無いベタな書き出しで、驚きが無くて鶴丸あたりに嘆かれそうだが、まぁいい。これから書くことで少しは、お前に驚きが提供できるだろう。
お前は常々、あからさまには「自分は二振り目だから~」などと嘆くような素振りを見せはしないヤツだったが、大層気にしていたことだと思う。
俺が先達でありながら、半隠居めいた身の振り方をしていたのが、またさぞ気を遣われたようで癇に障ったことだろう。
だが残念ながら、俺は同位体に気を遣うような細やかな性格は持ち合わせていない。俺がこの本丸の運営に積極的に関わらなかったのは、それが主命を守るためだったからに他ならない。
単刀直入に言おう。
お前は、二振り目ではない。
正真正銘、この本丸の主が顕現した、初めての『へし切長谷部』だ。
そして俺は別の本丸で、別の審神者を主として顕現された、本来は他所の『へし切長谷部』だ。
どうだ、驚いたか?
ああ待て、文を畳むな。ふさけてなどいないから、最後まで通読しろ。
俺の元々居た本丸について、細かいことは割愛する。初期刀は陸奥守吉行で、俺は五番目に顕現された古参刀の部類だった。
さて、古参刀だということは、練度も他の連中より早めに上限に達すると言う事だ。あとは修行に出るしか伸び代を増やしようがないわけだが、主の方針でまず極短刀の部隊を作ることを優先することになった。まぁ順番待ち、というわけだ。出陣の機会も減っていた。演練にはよく参加していたが、な。
だが、俺たちは刀だ。さすがにあまりにも戦場で刀を振るう機会が無いのは気の毒だ、と主は考えて下さったらしい。
ある日、練度が上限を迎えた他の古参連中や、もう少しで上限を迎えそうな連中とで部隊を組み、一日出陣するようにとの命が下った。うん、当然主の気遣いは嬉しかった。陸奥守や鳴狐、秋田、今剣たちと他の連中を入れ替えながら、阿津賀志山をぐるぐる回った。
で、その何度目かの出陣中に敵部隊と交戦中のことだ。
俺は、ワームホールに落ちた。
落ちた、というのは正しくないかも知れんな。アレは突然、俺の背後に現れたかと思えば、大きな肉食獣か何かみたいに大口を開き、俺を一飲みにした。
いや実際肉食獣の口の中のようなものだったな。なにせ暗くて臭かった。ああ、本当にとにかく臭かった。ひどい瘴気に満ちていたからな。
今さらお前に説明は不要かも知れんが、ワームホールとは簡潔に言うなら時空の歪だ。自然発生することが全くない――とは証明されていないが、まず天文学的な確率だろう。
アレは、人為的に作られたものだ。俺たち刀剣男士や、時間遡行軍が時間を移動する原理を応用して。
ならば誰がそのワームホールを作り、何故それに俺が『喰われた』のか。当時の俺には全く分からないまま、ただその真っ暗で臭い空間を、ひたすら歩き続けた。じっとしていても何にもならんからな。
しかし方角どころか、足下に地面があるのか、そもそも自分の身体はきちんとそこにあるのかすら分からないほどの暗闇だ。しかも本当にひどい瘴気だった。少しでも弱みを見せるなら自分を失い身体の端から解けていくか、即つけ込まれて堕ちてしまっていただろう。
そんなところをたった一人で歩くというのは、中々に新鮮な体験だった。驚き欠乏症のアイツにも是非体験させてみたいものだ。
戦中にどれだけ重傷を負おうが、お守り片手にウッカリ折れて疑似的に死を体験しようが、それこそ本当に死ななきゃ安いものだ。が、あれは中々に堪えた……何度主の幻覚を見たことか知れない。
で、だ。そのうち飲み込まれた時と同様に、唐突に吐き出されたのだが、そこがまた阿津賀志山だった。しかも悪いことに、時間遡行軍の本拠地だった――そう、あの三日月宗近が発見されるあの地点だ。
いくら練度上限だからといって、まともにあの敵部隊を俺一人で相手になどできるはずがない。負傷しつつも、力尽きる寸前で何とか自慢の脚で相手を振り切るのが関の山。山中にあった小さな廃屋に転がり込み、ぐったりと身体を休めていた。もうほとんど、意識も失っていたはずだ。
そんな俺を発見・保護したのが、お前の主が派遣した部隊だったというわけだ。俺を一番に発見した山姥切国広は、「もう少し発見が遅れたなら、折れていたかも知れん」と言っていた。
ところで、同じ阿津賀志山でワームホールに飲まれ吐き出されたのなら、すぐに政府へと連絡を取り元の本丸に戻ればいいじゃないかとお前は思っただろう。
それができなかったのには、ワケがある。ちなみに本丸IDを忘れたわけではないからな。
俺を保護した本丸――つまりお前の本丸は、俺を顕現した本丸よりも未来に存在していた。
当然、俺の本丸もまだ存在している。主も健在で――そこには俺が居たんだ。他の個体では無い、間違いなく俺そのものが。
主を通じて、こっそりと政府から確認を取ってもらった。間違いない。その本丸の『へし切長谷部』は確実に五番目に顕現された『へし切長谷部』で、複数本顕現したことはない、と。
どうだ、さらに驚いたか。
……いやだから待て。最後まで読んでくれ、頼む。
並行世界、という概念があるだろう。
つまり俺はワームホールに落ちて飛ばされてしまったが、そうではなく本丸に居続けたかも知れないという世界もある。
俺の飛ばされた先は、そういう並行世界なのかも知れない――そう、お前の主から告げられた時の絶望感は、お前も何となく想像ができるのではないか? 全く同じではないだろうが、先に俺の居た本丸に顕現されたお前が、自身は二振り目だ(実際は一振り目だが)と知らされた時に一番初めに感じたものと、それなりに近しいものだと思ってくれて構わん。
つまり、俺は要らない子だと言われたわけで、当然落ち込んだ。
もし俺が俺に接触すれば、少なくともどちらかは世界の何らかの力によって消されるかも知れない。ゆえに帰ることはできない。いや、そもそも全く同一の存在が同一の世界に存在することなど、許されない。
そんなこんなで、数日ほど食事も受け付けないほどに塞ぎ込んで引きこもっていた。俺を保護した審神者も刀剣たちも、無理に俺を引っ張り出そうともせず、使えない刀剣だからと刀解しようともせず、それを許した。とても感謝している。特に燭台切には、とても心配と迷惑をかけてしまったものだ。
ある晩、俺の部屋の障子の前が騒がしくなった。どうやら負傷者が出たらしい――初期刀の山姥切国広が、重傷だと。
どうやら俺が拾われたのは、本丸の立ち上げから日も浅かったらしい。刀種も揃っていなければ、札も満足に無い。出陣も遠征も練度ギリギリで回しながら、何とか阿津賀志山に出陣できる程度になったばかりだったとのこと。審神者も功を急ぎ焦って本丸を運営していたようで、三日月宗近を求めるあまり、手入れ資材が微妙に足りず、ちょっとした騒ぎになっていた。
……その様子があまりに痛々しかったものだから、つい助力を申し出てしまった。取り急ぎ審神者と仮契約を結び、無事な刀数本引き連れて資材確保の遠征に出かけた。いい加減凹むのにも飽きて、暇を持て余しつつあったしな。
それがきっかけで、俺はその本丸の運営に手を貸すようになった。ただしその条件として、審神者とはあくまでも仮の契約を徹底した。刀帳には記帳させなかった。俺はこの世界に居てはいけない刀だからな。
出陣も、決して初めての戦場にはしなかった。近侍も……実はお前の本丸では正式に就いたことが無い。口と手はたくさん出したが、最初だけだ。俺が居なくては立ち行かない、というようになっては困るから。
そうしてようやく本丸の運営が落ち着いた時分に、お前をみつけた。
朝っぱらから運の悪い日だった。
うっかりとスマホのアラームを切っていて朝寝坊して燭台切の朝食を食べそこね、慌てて身支度をすれば鶴丸が歯磨き粉を練りワサビに変えていて酷い目に遭い(いつもなら見破り仕返しの一つもしてたぞ)、戦装束に着替えようと思えば洗濯当番のミスでストラは生乾きだし、ギリギリにゲートへ出向けばお守りをつけてくるのを忘れてな。
いっそこれは、次にどんな不運に見舞われるのか楽しみだなと思いながら戦っていたら、敵部隊を殲滅直後に『へし切長谷部』を手に入れた。
それ自体は幸運なことだったのだが、何せ気が滅入っておかしくなっていたもんでな。
そうか、これで俺もいよいよお役御免か……などと。いつもなら絶対に浸らないような妙な感慨に浸ってたら、後ろから奇襲をかけられグサリだ。つくづく運の悪い。
まったく何をやってもダメな日というものはあるのだなと、痛感したものだ。
とにかく主の刀は持ち返らなければという一念で、俺はお前を何とか本丸へと持ち帰った。一緒に出陣していた山姥切国広は、手入れ部屋で目を覚ました俺に「あと一撃でももらえば、折れていただろう」と言っていた。ナニコレデジャブ。
お守りも持っていなかったから、危なかった。お前を手にしていたから、何としてでも生きて帰ろうと思えたんだ。感謝している。機会があれば、燭台切の唐揚を一つ分けてやろうと思った。
……それに、お前を手にした瞬間、思ったんだ。
不運続きのせいで俺らしくも無い悲観や寂寥感よりも強く、「やはり俺は帰らなければならない」と。
俺の主は、常々よく言っていた――『何があっても、生きて戻ってくるように』と。
そう、主命だ。
ここが並行世界であろうが無かろうが関係は無い。俺は、俺の居たあの日の本丸へ帰らなければならない。別に俺など居なくとも立ち行く本丸ではあったが、それでも俺は主の下へ帰る。
そのためになら、どんなことだってしよう、と。
それからのことは……特に説明は必要あるまい。
お前は俺に何でか妙な意識を回していたようだが、俺は俺で楽しく過ごさせてもらった。自らを二振り目だと信じ込み、それでも健気に役に立とうと立ち回る貴様を見守るのも中々――待て、紙を破るな。あと少しだから最後まで読め。
別に、わざと訂正しなかったわけではないぞ。ただ俺の存在はイレギュラーなものだから、説明が難しくてな。俺を受け容れた当初のメンバー以外には、このことをいちいち話さなかった。
最初は頼りなかったここの審神者も刀剣たちも、今では随分としっかりしたものだ――仮に歴史修正主義者から本丸に奇襲を受けても、きっと応戦できるほどに。
期は熟し、俺は本丸を去ったはずだ。
後のことは頼んだ――というのは筋違いかも知れん。が、俺だってほんのひとときとは言え、そこの仲間たちと寝食を共にし、審神者のことを主として頂き忠を尽くしたことに、嘘偽りはない。
お前は『へし切長谷部』だ。『へし切長谷部』という刀のことは、俺が一番よく知っているし、お前もまたそうだろう。
だから、俺はお前に託す。
その世界には存在を許されない『へし切長谷部』だが、確かにその本丸に居た〝一振り目〟の『へし切長谷部』として。
追伸:本丸改装に使った博多からの借金、お前が返しておいてくれ。よろしく。
長谷部の年末 何があろうが、朝は必ずやってくる。夜も必ずやってくる。政府のノルマもやってくる。書類の提出期限も当然やってくる。
何も変わりはしなかった。
目が覚めれば手入れ部屋。
あの後――一振り目だと思っていた『へし切長谷部』から腹に穴を空けられた後、俺は燭台切に手入れ部屋へと運ばれたらしい。厠へ行くときに通りすがったのだ、と、目が覚めた後に本人から聞いた。手遅れになる前で良かった、と胸を撫で下ろしていた。
だが燭台切が通りすがったのは、多分偶然では無いと思う。古参刀で、きっとあの『へし切長谷部』の事情を知っていたはずだから。
主は俺が運ばれてから、ずっと付き添っていて下さったらしかった。その手でアイツからの手紙を俺に渡されてから、主は現世へとお戻りになった。相変わらずご多忙らしい。
俺もまた、手入れ部屋を出てからすぐにいつも通りに過ごした。
……凹むことすら許さないような手紙の末尾にしたアイツを、俺は絶対に許さない。腹に穴を空け、ご多忙な主に手入れの時間を割かせたことも許さない。借金も許さない。建て替えてはやる。が、アイツ自身に必ず払わせる!
メラメラとしたそんな怒りを背負っていたからか、その日は五虎退に怯えられ、小夜から「……復讐する?」と尋ねられ、鶴丸が人の顔を見るなり口の端を引き攣らせた。
「弟たちが怖がります」と一期一振に言われるまで、俺は自分がどんな顔をしているのか気づきもしなかった。
俺がそんな様子だったからか、それとも主が何か言ったからなのか。『へし切』と呼ばれていた刀が居なくなったことを、誰も口にしようとはしなかった。
というか、正直それどころではなかった。
だって年末なのだ。年末といえば大掃除と大包平……じゃなかった、連隊戦だ。
「普段から掃除をきちんとしてるのに、今更大掃除なんて。する必要ないでしょう」
しっかりと絞った雑巾で廊下を拭いていた宗三が、バケツに骨ばった手を浸しながらぼやいた。中身は水では無く湯だ。広間の石油ストーブに乗せていたやかんを持って来て、冷水の中に少し熱湯を入れてやった。
「その雑巾の汚れをみて、よくそんなことが言えるな」
ワックスがけの準備をしながら一応ツッコミを入れる。もちろん廊下の掃除は毎日だってしている。が、厨前のこの廊下は何せ往来が激しい。
他にも、粟田口の連中が固まる部屋の前の廊下や、鶴丸の部屋の前の廊下などはすぐに汚れる。理由は推して測るべし。
「長谷部くん。厨の大掃除、終わったよ」
厨のヌシもとい燭台切が、三角巾をつけたまま顔を出した。その日の汚れ、その日のうちに。頑固な油汚れなどは無かったらしいが、
「太郎さん、換気扇掃除を手伝ってくれてありがとう!」
「冷蔵庫掃除はお小夜が手伝ってくれたんだ。おかげで隅々までピカピカになったんだよ、褒めてやっておくれ」
燭台切の後ろから出てきた歌仙が、厨の中で茶を飲み一息吐いている太郎太刀と小夜を示す。
一緒に団子の乗った小皿が出ているのは役得、といったところか。特に小夜は今日秋田と交代するまで、連隊戦初日からずっと出ずっぱりだったからな。
リスのように頬を膨らませている末弟を見た宗三の目が緩んだ。
「ああ、ご苦労だったな」
「ワックスがけするの、手伝おうか?」
「いや、大丈夫だ」
「他にすること、ある?」
「……いや」
特にない、はずだ。燭台切に答えつつ、残りの作業をぼんやりと頭に浮かべる。
本丸は広い。全員の予定を合わせることはできないので、大掃除といったって、丸一日かけて一気に済ませることはできない。極短刀たちを中心にした第一部隊は連隊戦に参戦中で、他の連中は内番をはじめ、遠征・演練・出陣の任務をこなしている。
なのでここ数日をかけて、手隙の者たちを分担して少しずつ済ませて来た。残りは資材置き場と鍛刀部屋と手入れ部屋くらいだ。
資材置き場は明日、大太刀や槍連中を中心に中身を全部出して整理する予定になっている。手入れ部屋は使用することがあるから、まだできない。鍛刀部屋は炉の火を一度消さねばならん――どちらも仕事納めの後だ。
何かあれば呼んでね、と言う燭台切と、万屋へ買い出しに行くと言う歌仙を見送る。残りのワックスがけ程度なら俺一人でも手が足りるからと、宗三にも先に片づけさせ小夜と団子を食べさせつつ、剥離剤を水で希釈した。その剥離液を、食べ終わった三振りが厨を出た後に床板へと塗布する。
古いワックスが溶けるまで5分。その間にスマホを確認すれば、LINEの『黒田組』グループで今晩飲み会をしようと日本号が言いだしたところだった。早々と博多と厚が参加を表明する中、不参加と返事を打ってアプリを閉じる。
さて、溶けて来たワックスを拭き取るかとゴム手袋をしようとしたところで、着信。日本号からだったので、放置することにした。
「長谷部、少しいいか」
師走の夜は長い。ワックスがけの後、すぐに近侍室にこもり切りになっていた俺を訪ねてきたのは、薬研だった。手には燭台切から託されたのであろう夕食と、今日の連隊戦に関する報告書。
礼を言いつつ受け取ってキリの良いところまで筆を進めてから、茶を淹れるために立ち上がる。薬研は炬燵に入り、自分のスマホを触っていたが、
「飲み会参加しなかったらしいな。日本号の旦那が荒れてたぜ」
こちらの差し出したほうじ茶を淹れた湯呑を受け取りつつ、言った。
「仕事が溜まっている。仕方ないだろう」
「そうか」
じゃあ予め、非番の日を教えてくれ。織田組で、忘年会をやるから、と。
戸棚から出してやった茶請けの煎餅をバリンバリン言わせながら噛み砕きつつ、薬研は笑った。
なんだ貴様、容赦なく逃げ道を塞いでくるスタイルか。
恨めし気な視線を送ってみたところで、薬研にはどこ吹く風だ。そんなことより、飯が冷めちまうぜ。口に運んでやろうか? などと言われて、流石にペンを置いた。コイツ、俺が食事を摂るまで動かないつもりか。
紙束をよけ、箸を取る。
「……いただきます」
「めしあがれ」
すまし汁を一口飲んでから、鶏の入った炊き込みご飯を食べる。冬の寒さに負け少し冷めてはいるが、それでも腹の内側からほのかに暖まる感じがする。
黙々と箸を進めていると、同じく黙ってスマホを触っていた薬研が怪訝な顔をしている。
「長谷部。もう織田組のLINE見たのか?」
「いいや」
今日はあの黒田組のLINEを見て以降、一切スマホに触れていない。
「そうか」
先ほどの忘年会の件でも打ったのだろう。表情を改めた薬研は、何やら手慣れた手つきでスマホを操作してから顔を上げた。視線の先は、近侍室にかかっているカレンダーだ。
「連隊戦があるから、全員が非番を取れる日は無いぞ」
「分かってるさ。けど12月29日なら、さすがに旦那も近侍としては仕事納めしてるだろ?」
主も年末年始は来ないし、別の本丸の長谷部もその日は流石に仕事しないって言ってるぞ。
こちらに目を合わせて尋ねてくる薬研に、思わず飯を喉に詰めそうになる。
「別の本丸の俺だと?」
一体どこの俺だ、そんな怠慢なヤツは。というか、
「よそはよそ、うちはうち」
「そう言うと思って、たった今主にも確認した。29日は長谷部も含めて全員非番。これは主命だそうだ」
まあ諦めるんだな、と笑った薬研は腰を上げると、適当にその辺に投げてあった赤ペンでカレンダーに丸を入れた。その下に小さく、『織田組忘年会』。
「今、宗三と不動が打ち合わせてるみたいだから、決まり次第連絡入れる」
「待て、勝手に俺が参加すると決めるな! 非番なら非番なりに、やらねばならんことが――」
「ちなみに、さっき言った『よそ』の長谷部も参加するらしいぜ」
「なんでだ!」
何故内輪の忘年会によそ者を誘ったんだ、意味が分からん。
というか、よその俺も何故ほいほい参加を承諾した!? 少しは慎め、空気を読め、というか仕事しろ!
イライラしつつもホウレンソウのおひたしを噛めば、じわりと口の中に青臭さが広がった。
「細かいこたぁどうだっていいだろ。せっかくの忘年会なんだから、頭数が多い方が盛り上がるかも知れんし。まぁ楽しもうや、だーんな」
それとも、逃げるってのかい? 『へし切』の旦那なら、むしろ大喜びで参加したと思うがな。
ちらっと揶揄するように口元だけで笑いつつ、薬研が障子を開く。その物言いに一瞬だけ、頭に血が上りかけるが、
「……お前は、そうやってさらっとアイツのことを口にするんだな」
アイツが居なくなってから初めて、俺はアイツの呼び名を耳にしたのだ。
……俺も含め、誰も触れようとしなかったというのに。
そんな男前な短刀を相手に、肩肘を張るのもバカバカしい。
ていうかやはり、お前のような短刀が居るものか。
「……アイツのことなんて、どうでもいい」
「そうかい」
「いや、そこはもっと突っ込めよ」
「なんだ、突っ込んで欲しかったのか旦那? ……『へし切』の話題についてのことだぜ」
「青江の真似はいらん」
ふん、と鼻から強がりの息を吐いて、炊き込みご飯をかきこんだ。頬をいっぱいにして、無理やり咀嚼して、すまし汁で流し込んで、
「おい薬研。お前この後、暇か」
空になった椀と箸を置いた。両手を合わせて、ごちそうさま。
膳は後で洗うことにして、立ち上がる。戸棚を開けて、確かこの辺に――
「ああ」
「よし。なら付き合え」
ああ、みつけた。
どん、と炬燵の上に秘蔵していた『魔王』のラベルのついた酒瓶を置けば、薬研藤四郎は目を猫のように細めて笑った。
「望むところだ」
長谷部と、織田組忘年会「見て下さい不動。この簪、お小夜の髪に挿したら絶対映えますよね!」
「ああ、綺麗な色だな。あ、こっちのアンクレットは宗三に似合うと思う! デザイン作家が同じだし、どう?」
「ふむ。どうせなら江雪にも何か買って帰ったらどうだ? こっちのブレスレットも作家は同じだし、色が江雪の目の色と同じだ」
「へえ、中々いいセンスじゃねぇか、よその長谷部の旦那」
「何かその呼び方長いですね。略して 『よそへし』でいいのでは」
「好きに呼べ。というか、そろそろ何か食べないか? 例のカフェ、そろそろ客足が落ち着いて来てるだろう」
「……女子会か」
もうむり、カエリタイ。腹の底から腹筋を絞るように息を吐いて、天を仰いだ。
よく晴れた昼下がり。日差しは暖かいが、風が冷たい。鳶が羽ばたきもせず高く舞い上がるのを、ぼんやりと見送った。俺も今すぐ飛んでいきたい。遠くへ。いや主の下へ。
織田組忘年会、なう。
忘年会というか女子会、なう。
万屋街にある雑貨店で、アクセサリを手にきゃあきゃあと女性のように盛り上がる宗三、不動、薬研、『よそへし』を横目に、俺はため息を吐いた。
……というか、誘われたからって来るな、よその長谷部。ぽちぽちと操作しているスマートフォンには、ジジのストラップ。そう、コイツはあのジブリが流行った本丸のへし切長谷部である。
ちなみに、今はジブリブームもひと段落した、と鳴狐からは聞いている。
それにしても、忘年会と言えば宴席のイメージだった。不動(極)はさておき、宗三も俺も酒には弱くないし、薬研に至ってはザルだ。どう考えても酒の席を用意すると思うだろう。
それがこんな女子会めいたことになっているのは、
「不動が行きたがっていたカフェですね。雑誌に載ってましたね、確か。パンケーキが絶品の」
「そうそう、あとハニートーストも美味いんだって!」
「甘い物ばかりじゃなくて、ナポリタンも評判がいいって話だ」
「うちの本丸の燭台切も気にしていたから、いい土産話になる」
とまぁ、こういう話である。不動に甘いのは仕方ないとしても、なんで薬研までノリノリなんだ。女子高生か貴様ら。
「何を難しい顔してるんですか、長谷部」
そんな顔してないで、ほらこれ、などと言いながら、宗三から何やら可愛らしくラッピングされた紙袋を手渡された。何時の間に会計を済ませたんだ。というか、
「何だこれは」
「何って、別に。さっきみつけて、あなたに似合いそうだったから」
いいからほら、とこちらの手に紙袋の持ち手を握らせると、宗三は何やら派手派手しいマフラー(おそらくは粟田口長兄への手土産)を物色している薬研、そして『よそへし』と話をしている不動の肩を叩いて、同様にラッピングされた紙袋を渡した。
薬研も不動も慣れたもので、いつ用意していたのか、お返しのような物を渡している。
『よそへし』にまで「俺には無いのか」と突かれて、大きなため息を吐きながら何かを渡して、またお返しを渡されて――って。待て。ちょっと待て貴様ら。
……俺も何か返さなければならないのか、これは。慌てて店の棚を見渡していると、
「何やってんだ長谷部、もう行くぞー」
「パンケーキとハニトー、楽しみだな!」
「あの店はパフェも美味いと、鳴かない方の狐が言ってたな」
「油揚げ意外に興味を持つなんて。ああいや、あなたの本丸の大きな狐なら、あり得ますかね」
ぞろぞろ連れ立って、宗三たちが店を出ようとしている。
ええいくそ、とりあえず何か急いで見繕って――と棚の端から端まで大急ぎで視線を走らせて、直感で宗三に渡しても嫌がられそうに無いデザインの髪留めを掴んでレジに走る。
さきほど宗三が吟味していた兄弟たちへの土産とは違う作家の創ったものだが、俺の目に留まったのはコレなのだから仕方ない。
……想像してたより高かった。くそ。来月買う予定だった兵法書の購入を考え直さねば。
そうして歩く事、3分。
たどりついたカフェは、とてもこう……何というかこう……燭台切の好きそうな感じだった、と言えば伝わるだろうか――
誰に伝えるわけでもないが、そんなことを考えた。
俺一人だったら絶対に入らない。というか俺一人ならば、そもそも遊びや飲食を目当てに外出はしない。寄り道だって、この間宗三と一緒に入った茶屋がギリギリだ。
店は盛況、やはりというべきか店内に伊達の連中や長船派が散見された。他には乱や秋田、五虎退などの粟田口短刀、蛍丸と愛染、その保護者の太刀などなど。
それに混じって平安刀や、茶に煩い緑の鳥太刀と付き合わされた赤い頭――ああ、お前の居心地の悪さ、とてもよく分かる。余所の大包平と目が合った瞬間、互いに通じ合うものを感じて思わず頷き合ってしまった。
調理も接客も、どこかの本丸の刀剣男士が務めているらしく、レジには厚、ホールに乱、加州、鶴丸。そしてカウンターキッチン型の調理場には、
「……秋田と明石……だと」
どうしてそうなったのか、全く想像ができない。そこは燭台切と小豆だろう、と内心突っ込みながら固まっていると、
「いらっしゃい、5名様でいい?」
こちらに気づいた加州がやって来て、空いているボックス席へと先導していく。
いつの間にか宗三に腕を取られ、引きずられるように連れて行かれた。窓際に押し込められ逃げ道を塞がれた俺は、ぐぅ、と喉の奥で鳴いた。腹の音では無い。
「さあ、何食べます?」
一方、涼しい顔で隣に座った宗三はニコニコしている。真向いに座った不動からメニュー表を手渡され、俺に見せてくる。
「長谷部、甘い物苦手だっけ?」
「いや……」
不動に尋ねられて、首を横に振る。そんなことはない、決してない。だが、
「居心地が悪いんだろう。何、すぐに慣れる」
知ったような口を利くくせに、俺の向かいに座った俺と同じ顔は、ずいぶんと落ち着いたものだった。
俺はこれにしよう、などと言いながら指を差したのは、ものすごく大きくてファンシーなデザインのパフェの写真。いやお前、嘘だろ……それ、相当な量があるぞ。というか俺と同じその顔で、そんな物を食うのか。
「うーん。パンケーキかハニートーストか、悩むなー」
「それなら僕がパンケーキを頼みますから、あなたはハニトーにしては。シェアしましょう」
「ありがとう、宗三!」
満面の笑みの不動の頭を、窓際側の隣に座っていた『よそへし』が撫でる。おいそれはうちの不動だ、勝手に触るな! 博多がいたら金を取るぞ!
「俺っちはこれだ。お子様ランチスペシャル」
反対側の隣に座っている薬研が指さしたメニューには、あえて誰も突っ込まない。薬研は短刀。知っている。
「長谷部、あなたは?」
「俺は……」
正直コーヒー一杯でも十分だ。長居したくない。が、せっかく楽しんでいる連中に水を差すのも憚られる。
「これを」
とりあえず無難に、本日のケーキセットを指さしてみる。店の入り口に立っていたウェルカムボードによれば、今日は紅玉を使ったアップルパイだったはず。
「ご注文は?」
タイミングよく、俺が注文を決めた直後に店員の鶴丸が注文を取りに来た。ウェイターの恰好をしていても、上から下まで真っ白だ。
「このパフェとパンケーキ、ハニートースト、お子様ランチスペシャル、それに本日のケーキセットで」
「飲み物を出すタイミングは?」
「食後で頼む」
メニュー表を返しながら薬研が注文を終える。それを横目で眺めながら、俺は先ほど買った包みを宗三に差し出した。
ぱちくり、と長い睫毛が蝶のようにひらめく。先ほどのお返しだと言えば、それなら頂いておきます、と言いながら懐にしまい込んだ。よし、これで貸し借りはなしだ。
「ところで、そちらの本丸では打刀がもう何本か極めているんですね」
冷水の入ったグラスを半分ほど一度に飲んで、大きく息を吐いた宗三が『よそへし』に話を振った。
「そうだな。短刀連中もほとんど修行を済ませたし、打刀でも残っているのは最近実装された連中ばかりだ」
「へえ、さすが。古参の本丸は違いますね」
「言うほど古い本丸では無い。もっとベテランやランカー審神者が運営する本丸では、極短刀たちの練度をカンストさせるのが流行っているらしいからな」
「そりゃおっかねぇな。俺っちたち極めた刀剣の練度は、1つ上げるだけでも相当大変なもんだが」
「……おしぼりで顔を拭くな。おっさんか、お前は」
薬研の手からおしぼりを取り上げる。その薬研は、うちの本丸の極短刀の中では一番先に修行に出たため、一番練度が高い。それでもようやく、50になったばかりだ。
「そろそろうちも、打刀を修行に出すんじゃない? この間、鯰尾と骨喰が行って帰って来たし」
「主はそのつもりらしいですが、誰を最初に出すか迷ってるみたいでしたね」
こういうときこそ、先陣を切ってみては? と宗三に話を振られて、思わず眉間にしわが寄るのを自覚する。向かいの『よそへし』が探るようにこちらへ視線をよこすのを感じた。ええい煩わしい。
「俺は練度がギリギリだ。その前にとっくに練度カンストの古参連中を出すべきだろう」
実を言うと、俺とて修行へ出てみたい気持ちはある。だが、決めるのは主だ。
俺はこの本丸の打刀連中の中では、それほど古参では無い。重要度の高さで言うなら、もっと相応しい連中がいる。だが、
(たとえば、もし)
もし、『へし切』を自称し他称を許すアイツが居たのなら――
「主は、次は長谷部を修行に出すつもりらしいよ」
「……は?」
ストローでグラスの中に浮かぶ氷を弄んでいた不動が、窺うように顔を上げた。酒気の抜けたはずの頬が、西日に照らされて少し赤く見える。
「『へし切』がさ、推挙したんだって」
「な――」
何を勝手に! 余計なことを!
そう大声を上げそうになったのを、お待たせしましたーと軽やかな声でウェイターの鶴丸が遮った。盆の上には、注文した品が全部乗っている。器用なものだ、と呆気に取られてつい、毒気を抜かれた。
さっそく不動と宗三は、お互いの食べ物をシェアし合っている。先ほどの話題など、もう頭の中には無いらしい。目の輝きが半端では無い。やはり女子高生か、貴様ら。
薬研はワンプレートにガッツリとおかずの盛られたお子様ランチを、口いっぱいに頬張っている。おい、ケチャップが口元についてるぞ。
仕方なしに、俺も目の前に置かれたアップルパイにフォークを突き刺す。一口含めば、瑞々しい林檎の甘味と酸味がバターの風味と共に広がって、こんな心境だと言うのに美味い。だが、
「……何故アイツが、そんなこと」
そのパイとコーヒーの苦みと共に飲み下すつもり、だったのだが。
うっかりと零れてしまった、俺の呟きは、そのままパイ屑と共に皿へ落ちるはず――
「お前にとって、それが必要だと思ったから……だろう」
だったのに。
よりによって貴様が拾うのか、『よそへし』――よその本丸の、極めた『へし切長谷部』。
――しかも口元に、パフェのクリームをたっぷりとつけた無様な顔で!
「……貴様に、何が分かる」
「うむ。先達として言うなら、修行の旅は楽しいぞ」
「そういうことではなくてだな!」
「なんだ、何が不満なんだ? どのみちいつかは修行に出るんだ。全ての長谷部――いや、刀剣男士にとって、修行は必要不可欠なこと。遅いか早いかの違いに過ぎんだろう」
「それを決めるのは主だ!」
「まぁそうなんだが。
しかしお前の食べてるアップルパイ。それはちょうど、旬の時期に収穫された、最高の林檎だな」
すい、とこちらへスプーンを差し向ける。ええい行儀が悪い!
「物事にも、旬の時期というものがある。練度や古参がどうとか、などということではなくてだな」
そのスプーンを教鞭よろしく振りながら、『よそへし』が言葉を選ぶように視線を伏せたところで、
「おっと『よそへし』の旦那、口元にクリームついてるぜ」
「ん?」
「なぁ、よその長谷部。そのパフェ、一口もらっていい?」
「そっちのハニトーと交換だ」
「長谷部、アップルパイ僕にも分けて下さい」
唐突に、女子高生(めいた)集団の矛先がこちらを向く。おい、俺たちは今、割と大事な話をしているんだ!
「ッ貴様ら、話の腰を折るな! あ、おいこら宗三、勝手に俺のパイを切り分けるな! 薬研も海老フライは要らん、もがっ!?」
だというのに、それに乗じた『よそへし』が、たっぷりとフルーツとクリームを乗せた匙をこちらの口へと突っ込んできた。くっ、口の中に物を入れられたら話ができん! しかも不本意ながら、結構美味い!
悔しさとともに慌てて咀嚼していると、
「ハニトーも美味いんだ! ハチミツがすごくいいヤツだし、トーストもコンガリふわふわ!」
食べてみてよ、と。文句を言おうと開きかけたこちらの口へと、不動がフォークを突っ込んでくる。
「餌付けですか、楽しそうですね。では次は僕が」
「いい加減にやめ、むぐっ!!」
パンケーキもふっかふかだな! だがそうではなくて、
「こっちのハンバーグも食ってみろよ、ジューシーな焼き加減に特製ソースが最高だ」
「うっ、このデミグラスソースめ、ふがっ!!」
「このベリーのムースがな、このパフェの要なんだそうだ。
……次は燭台切を連れて来てやろう」
・
・
・
その晩、俺は胃もたれと胸やけのせいで、燭台切の作ってくれた夕食を摂れなかった。
長谷部と初めての『へし切杯』 1月はゆく。2月は逃げ、3月は去る――と昔の人間は言ったらしい。
言い得て妙だ、とつくづく思う。気がつけば年が明け、七草粥を食べ、連隊戦が終わり、もうすぐ2月になろうとしていた。
政府からは、既に次の任務に就いての告示が成されている。
その間、特に変わったことはない。主は年末年始、特に現世のお勤めがご多忙のようだ。挨拶に顔を出し正月を共に過ごされ、三が日が明けるや否や、すぐに現世へお戻りになられた。
今はいつも通り、遠隔による指示を出されている。
さて。
現在早朝。掲示板の前である。
空はまだ暗い。この時間に起きているのは、爺を自称する三日月宗近くらいのものだろう。
……と、思っていたのだが。
「……何だその目は」
写しだというのが云々。俺の目前には、いつもの卑屈を口から垂れ流しつつ、何やら掲示物を貼り出している布の男。
「ずいぶんと朝早いんだな」
「あんたの方こそ。今日は非番だろう」
「足が冷えて目が覚めた」
「なるほど」
冷え症か、などと一人で納得した山姥切国広は、掲示を終えるとさっさと布を翻した。これからもう一寝入りするのだろうか、と思ったが、ヤツが向かったのはヤツの部屋とは反対――厨のある方だ。
今から行っても、まだ朝食当番だって起きていないだろうに。水でも飲むのか、それとも何かつまむのだろう。
それにしても一体何を貼りだしたんだろう。廊下を曲がるまで白い布を見送った俺は、そっと手にした行燈で掲示板を照らした。
初期刀が何かを貼りだしたのは、大倶利伽羅が昨日貼り出した新作猫写真の隣。
「……これは」
独特の癖のある手書きの文字は、書いた刀の性格を反映してひどく簡素に用件のみを最低限の文字数で表している――『へし切杯』の開催告知だった。
「主催者が居ないのにやるのか」
朝餉の席で、初期刀を捕まえた。いつもなら近侍室で執務の合間に朝食を摂るが、こればかりは問い質しておきたかった。こちらを避けるように目深に布を被り直そうとするのを、無理矢理引っ張って隣の席に座らせる。合掌、いただきます。
「そうするよう、頼まれていたからな」
主語が無くても俺の言いたいことは通じたらしい。同じく手を合わせたあと、味噌汁を一口啜った山姥切国広は、特に動じることも無く答えた。
「今回はあんたも参加するのか」
「いや……」
少し焦げた卵焼き(厨当番に薬研が居たのだろう)を奥歯ですり潰す。我ながら、歯切れの悪い返答になった。山姥切国広が、布の下から黙って視線を向けてくる。頬に米粒が着いているぞ、初期刀殿。
「参加するつもりでいた、んだがな」
卵焼きを飲み込んで、味噌汁で軽く口を潤す。野菜の甘味が口に広がって、食道から胃袋に温かさが広がる感覚。朝の冷えた身体に心地良い。
「しないのか」
「分からん」
一旦こちらから視線を外し、鮭の切り身を取った山姥切国広の手が止まった。改めて向けられた視線には、先程と違い深く斬り込むような鋭さがある。
その目、気に入らないな、などと。アイツならば嘯いて、煙に巻くのだろうか。
「そもそも、アイツがいないのに誰が鬼役をするんだ」
そんなことができない俺は、そう言いながら飯を口に運ぶしかない。誤魔化すというより、それこそが俺にとって重要な点だった。
俺は、アイツに勝ちたかった。結局勝てないまま、アイツは居なくなった。
要するに、今の俺には『へし切杯』に参加する理由がない。
ないのだが、これは主が認めた催し物でもある。たとえ主命では無い、自由参加だろうが、主が是といったイベントに『へし切長谷部』が不参加を表明するなど、そんなこと。
それに、やはり参加しないというのも癪なのだ。それこそ、アイツに負けたような気がしてしまう。
だと言うのに、即答はできなかった。我ながら、サッパリ分からん。
「へし切の代役は未定だ。参加者を決めて、その中から選出しようと思っていた」
大方、博多藤四郎あたりになると思うが、と。言いながら、山姥切国広が俺から視線を鮭の切り身へと戻した。
「俺は今回裏方に徹するばい」
ちょうど食器を片付けに席を立った博多が、通りすがりに答える。アイツの代わりに、やることがあるらしい。
「今剣しゃんに頼んでみんしゃい。一度へし切に勝ってるけん」
「俺もそう思って、頼んでみたんだが断られた。もっとてきしたかたながいるでしょう、と」
「適した刀……」
誰だそれは、と首を横に倒した俺に、
「誰なんかねぇ」
鏡合わせのように博多も首を倒す。
「何だ、そんなの決まってるじゃねえか」
返事は思いもよらぬ相手からだった。山姥切国広の真向かいに座り、助手を自称する脇差に世話を焼かれながら、黙々と白飯をモグモグしていた和泉守だ。ごっくん、と最後の一口を飲み込む。パチンと音を立てて合掌、ごちそうさま。
「和泉守しゃん、誰を推すと?」
「んなもん、長谷部に決まってんじゃねーか」
……。
はい?
「だってそもそもが『へし切杯』だろ? なら、へし切長谷部が仕切るのが、筋ってもんだ」
いや、ちょっと待て。無理があるだろ。初参加でいきなりホスト側? それは無い。
博多も山姥切国広も、その手があったか、なんて顔をしてないで落ち着いて考えてみろ。同位体でも、俺とアイツでは比較にならんだろ。
「もう、兼さんったら、そんなこと急に言っても長谷部さんが困っちゃうでしょ」
自分の分と和泉守の茶碗を重ねつつ、堀川が言う。そうだぞ。長谷部さんは困っているぞ。
「やっぱり長谷部さんには無理ですよ。へし切さんの代わりなんて」
……。
なんだと?
「兄弟、その言い方は良くない。誰にもへし切の代わりなどできないし、そもそも、長谷部はへし切の代わりではない」
「うん、そうだね。へし切さん、本当にこの本丸のためによくやってくれていたもんね」
ちらり、と国広兄弟の脇差が青い目をこちらに流してくる。ええい、打刀の方の国広ではないが、その目は気に入らん!
大体なんだ、その見え透いた煽りは! 長谷部さんは単純だから、こんな風に言えば乗ってくるでしょ、などと。あからさまに過ぎる! 乗らんわ、そんなもの。
「ええー乗らんの?」
「乗らん!」
「なんだ、へし切に負けるのが怖いのか?」
「結局貴様も煽るのか、山姥切。ああ、怖いとも! これで満足か」
「なんでそこまで嫌がるかなぁ?」
嫌だとか、そういうことではない。そもそも、
「むしろ、どうして俺が適役だという話になるんだ。和泉守の言う、『へし切杯』だからとかではなくて」
「俺が本当にそれだけの理由でお前を推したと思ってるのかテメェ」
「違うのか」
「馬鹿にするんじゃねぇ。きちんとした理由だってふたつほどある」
ならば最初からそちらを言え。頭の中で悪態を吐きつつ、目線で和泉守に言葉を促す。
「この本丸は、お前も知ってるたぁ思うが、隠し通路や外敵侵入対処のためのシステムが追加されている。その全てを把握していたのは、へし切だけだったんだ」
はい、兼さんお茶。おおあんがとよ、国広。受け取った湯呑みでゆっくりと口を湿らせて、和泉守は言葉を継いだ。
「俺は実際に『へし切杯』に参加していたが、全てそれらを把握できちゃいねえ。他の奴らもそうだろう。
いくつか前の版の本丸の見取り図も持っちゃいるが、あれから何度か増改築してるだろうしな。
で、最新版の見取り図は、へし切の奴しか持っていなかったんだが。
……お前、アイツの部屋に入ったことあるか」
「ああ」
「なら分かるだろ」
ああ〜、と俺以外の連中が納得のため息を漏らすのを聞きつつ、内心では俺も頭を抱えた――何せアイツの部屋には、何も無かったのだ。
へし切長谷部という刀は、整理整頓が得意だ、と俺は思っている。が、アイツの部屋は、もはやそんなレベルではない。人が長く住んでいるとは思えない程に、物が無かった。
押し入れの中に一揃いの布団。服をかけるためのハンガーが数本。備え付けのタンスの中には、下着や内番着が数着だけ。同じく備え付けの文机の上にはノートPCが一台のみ(セキュリティがしっかりしており、本人以外はアクセスできないらしい)。引き出しの中身は見事に空っぽだ。
……あれだけ、鶴丸と組んで俺をおちょくっておきながら、そのための小道具などの証拠隠滅に余念が無いことに、何度イラついたことだろう。今思えば、本丸を去ることを見越していたのだろうが。
それはそれとして、もし最新版の見取り図があるならば、
「あのパソコンの中か」
「だろうな」
打刀の方の国広が頷く。
「で、だ。ここからが本題なんだが。あのパソコン、リンゴのヤツだろ。ってことは」
「指紋認証だね、兼さん!」
脇差の方の国広が、流石、目の付け所が違うね、などと相方を持ち上げている。
なるほど、言わんとすることは分からんでもない。
「確かに、同位体である俺なら指紋の認証はもしかしたらクリアできるかも知れん。が、その先にアイツが何もセキュリティ対策をしてないワケが無いだろう」
アイツが、この程度のことを見越していないはずがない。いや、
「むしろ見越しているからこそ、何もしてないかも知れん」
「なんだと」
和泉守同様、堀川に差し出された茶を受け取った山姥切国広が、ふーふーと茶の水面を揺らしてから顔を上げた。涼しい顔して猫舌か。
「本当に情報を隠蔽するのなら、恐らくパソコンのデータを消してしまい、物理的に破壊して処分しなければなるまい。もし敢えてそれをしないとしたら……」
「自分が望む相手のみが情報を閲覧できるようにしている、と」
ご指名だぜ、長谷部。そう和泉守が指を鳴らす。ううむ……理に適っている……が。
「データを取り出すことくらいはしてやってもいい。が、やはり初参加でアイツの代わりは」
「まぁ、もう一つの方の理由は、俺たち参加者側の気持ちの問題なんだが」
俺の言葉に被せるように、和泉守は言う。頭を掻きつつ、
「比べるなって言われてもな。やっぱり比べちまうもんだぜ。
本当は、へし切とお前の勝負が見たかったが、こうなっちまった以上は仕方ねぇ。
お前がどれだけやれるのか、俺は知りてぇ」
長谷部と極 迫る壁、釣天井。落とし穴、もしくはそうと見せかけた別の階への入り口。
ダミーの隠し扉だったり、本当に隠し扉だったり。
スイッチを入れると動き出し、相手を取り囲み執拗なまでにくすぐり続けるAI搭載の市松人形たち、度々照射角を思わぬ方向へと変えるレーザーセンサー。
怪しげな床板を踏んづけたら、壁から刀装兵に似たカラクリが現れ、弓を射掛けてきたり。あるいは床が傾斜して、上手から巨大鉄球が転がって来たり。
改めて確認して、呆れかえるばかりだ。日本家屋であるはずの本丸に、一体どうやってこれだけの改築をしてきたのやら。
……しかも誰にも気付かれずに。
「そりゃ今の時代、ネットでポチれば即実装ばい」
俺の手渡した本丸見取り図(最新版)を眺めつつ、博多がしれっと言い放つ。そんなハイテクな時代に、よりにもよって刀で戦をするのも妙な感じである。
というか、これだけの設備を起動させながらオニゴッコなどして、何故俺は全く気づかなかったのか。我ながら全く、何と情けない。
「極短刀の偵察、舐めんなよ。見取り図なんて無くても、大体勘で察知して回避できる」
今回、『へし切杯』不参加を決め込むらしい薬研が、茶と菓子の入った盆を片手にやって来た。燭台切からの差し入れだろう。
「参加者は極短刀だけでは無いだろう」
「打刀以上のダンナ方は見取り図で予習しつつも、極短刀の後追いしつつギミックを回避してたな。結構頭を使ってたと思うぜ」
なるほど、そうだったのか。そんな連中を、アイツは一人で相手取っていたのか。そして初参加なのに、俺が今度は相手取るのか。なにそれツライ。三徹で書類仕上げるよりツライ。
とは言え、良い機会ではあった。実際に見取り図片手に本丸を探索してみたが、アイツの仕掛けは少々遊び心が過ぎていた。少しブラッシュアップしてやれば、本丸のセキュリティとして、申し分が無い。
『へし切杯』の参加者リストに目を滑らせつつ、久しぶりに訪ねたアイツの部屋を思い出す。
住み人を失った部屋には、それでも変わらず日の光が入って暖かい。少し埃の被った文机の上には、リンゴマークのノートパソコンが一台。
それと洗濯しても血のシミが落ちきれなかった、汚れて裂けた片手袋。
パソコンを立ち上げる前にその手袋を取り上げ、眺める。正装時に俺が嵌めている手袋と全く同じだ。当然か、俺もアイツも『へし切長谷部』なのだから。
手袋の一枚や二枚無くしたところで、元より消耗品だ。戦場にも予備を持ち歩く個体もいる、と聞く。
……アイツはどうだったのだろう。同位体である以上、同じ戦場に立つことはできなかったので分からない。あの性格で予備など持ち歩いていたとも思えないし、手袋よりも俺が斬り飛ばした片腕の方が問題だろう。手入れも受けられないまま、阿津賀志山なぞに向かって、あれからどうしたのだろう。
――無事に、帰るべき場所へと帰れたのだろうか。
気を取り直して背筋を伸ばし、パソコンと向き合う。指紋認証はあっさりと成功した。目当てのファイルもすぐに見つかった。
ついでにアイツの弱みになりそうなものはないかと探ってみたが、何も無かった。
あったのは遡行軍に関する有益な情報、考察、戦場のマップや戦術などの資料、刀剣男士のドロップや鍛刀などの集計結果などなど。
あまりに無駄無く整然としているのは『へし切長谷部』として当然ではあるが、同時に明らかに、俺が開くであろうことを想定していたのだろう。その上から目線が最高に忌々しいが、主のためなら、使えるものは何だって使ってみせるとも。
「長谷部はいるか?」
執務室の障子を叩かれて我にかえった。おるよ、と博多が返す。返事の手間が省けたと思っているそばから、するりと障子が開いた。
立っていたのは、膝丸だった。遠征から帰還したばかりなのだろう、微かに山茶花の香りがする。
「遠征の報告書だ。受け取れ」
「ああ、お前は提出が早くて助かる」
一旦参加者リストを脇に置き、報告書に目を走らせる。そのリストをちらりと見やってから、
「兄者がお前がオニだと聞き、楽しみにしていた。俺も少し、楽しみだ」
ぽそりと言って立ち去った。
……いや待て。それ、髭切が言ったのならあまりにも不穏すぎる言葉だろう。斬られるのか俺は。
「オニといえば、そろそろ節分だな。例のイベント、今年もあるんだろ」
恵方巻きも楽しみだな、などと薬研が笑う。人の気も知らず、呑気なものだ。
「主は帰って来ると?」
「先程メールが届いていた。お戻りになるらしい」
ついでに、俺はお呼びがかかっているのだが、そこまで伝える必要はないだろう。用件も何となく察しがついている。極修行の件だろう。
先日、俺はついに練度がカンストした。
短期間で、二番隊を率いての連続出陣をご下命頂いたのは、おそらくそのおつもりだったに違いない。
練度上限になった以上、新たな伸び代を求めるのであれば、修行に旅立つほかない。
アイツが立ち去る前の俺ならば、喜び勇み旅立っただろう。主が他の古参打刀や一振り目だと思っていたアイツよりも先に、俺を選んで下さったのだと無邪気に信じて。
だが俺に白羽の矢が立ったのは、やはりアイツの進言あってこそだろう。主と直接アイツについてお話したことはないが、主にとってアイツの存在は、おそらくは大きかったのだ。
選ばれるのであれば、主ご自身の意思で選んで頂きたかった。もちろん主命とあらば、否は唱えはしない。が、こんな想いを抱えて旅立ったとして、俺は本当に強くなれるのか?
「案外めんどくさいヤツだな、あんた」
お前にだけは言われたくなかった……と言う言葉は、ちょっと渋いお茶を口に含んでこらえた。いやちょっとじゃないな、大分渋い。茶葉を入れ過ぎた。思わず眉間にシワが寄る。
博多と薬研は出陣のため、数刻前に出かけていった。一人になり、悶々としつつも書類を捌いていたところにやって来たのは、山姥切国広だった。内番着のまま手ぶらだったので、何しに来たのかと尋ねたら、
「非番で暇で部屋に居たら、菓子を切らしていたことに気づいたので万屋へ行く。ついでに何か必要な物があれば言え」
とのこと。
別に今は切らしている物も無いし、菓子ならその棚にあるから好きに食え。そのかわり、少し黙ってそこに居ろ。
そんな風に言ってしまうくらいには、俺は煮詰まっていて、それこそこの茶のように色々と感情が濃縮され、扱いに困っていた。
誰でもいい、というわけではない。山姥切国広は初期刀だから、俺が本当にもっと困った刀になってしまう前に、話しておくべきだと思った。
なのに、この言われよう。
「……話さなきゃ良かった」
「そうか」
しまった、山姥切の卑屈スイッチを押してしまったか。写しだから云々言い始めるぞ、と身構える。が、
「悪かったな。俺はへし切長谷部というと、ついへし切の方を基準にしてしまう」
あれが規格外なのは、演練で見かけるへし切長谷部やあんたを見てれば分かるんだが、などと言いつつ眉を下げる。お、おお?
「……写しだから、とか言わないのか」
「今のあんたには、な」
戸棚から出したクッキー缶を開けて物色しつつ、山姥切は言う。
「あんたは写しでは無いが、同位体と比較されてアレコレ言われるのはいい気がしないだろう。だから謝った」
もぐもぐサクサクとクッキーを口に運び、いい感じに冷めた茶を音を立てて一息に飲む。満足げな顔をして、そんなに腹が減っていたのかコイツ。
「とは言え、これからそういう機会は増えるだろうな。
ただでさえ、居なくなったモノは記憶の中で美化されがちだし、同じなのに違うモノは、比較したくなるものだ」
「そういうものか」
「そういうものだ」
何でそんなに力強く断言できるのかと思ったが、他でもないコイツのいうことだ。それにふと、顕現したばかりの頃を思い出して納得した。いつの間にか、ああいうあからさまな比較はされなくなっていたが、これからは記憶の中のアイツと比較されるのだろう。
何よりも、
「あんた自身がそうだろう。そもそも修行というのは、主に命じられて行くものではない。俺たちの方から、滲み出る衝動に突き動かされて切り出すものだ」
あんた自身にその衝動は無いのか、と聞かれ、俺はゆっくりと首を横に振るしか無かった。正直なところ、分からない。
だって今まで、それどころでは無かった。如何にして一振り目と比較されて幻滅されぬよう、『へし切長谷部』として迷惑をかけぬよう立ち回るかということしか考えて来なかったから。
「修行というのは、己と向き合うことだと聞く。へし切や主がどうとかではなく、あんた自身、『へし切長谷部』としてどうありたいのか決めることだ。
決心がつかないのであれば、今回は見送ってもいいんじゃないか。あんたが自分で決めたことなら、主も尊重して待つさ」
美味かった。ごちそうさま。じゃあな。
きちんと手を合わせてから、山姥切国広は席を立った。
……クッキー缶の中は空になっていた。燭台切のように太っ――体型に変化が表れても、俺は知らないからな。
長谷部と奇妙なティータイム あの男――織田信長について、思うところが全く無いわけでは無い。むしろあり過ぎて持て余している。俺とて、へし切長谷部なのだから当然だ。
いつだって、下げ渡された事実を忘れたことは無い。顕現されて日も浅かった頃に宗三や薬研、不動たちと距離を置いた(置きたかった)のも、あの男への感情が関係無かったわけがない。
でも俺は、二振り目だから。
どうせ主の一番にはなれない。『一振り目』が隠居を気取ったとしても、練度的に完全に追いついたとしても、刀を合わせて勝つことができたとしても、共に在った時間と経験は決して越えられない。心のどこかで、ずっとそんな風に思っていた。
「まぁ、強くなるどころか弱体化するがな」
……圧し切ってやろうか貴様。人が悩んでる目の前で能天気にケーキの追加注文なぞしおって。そんなことを平然と言うか普通!
ああいや、わかっている。
「貴様に相談した俺が馬鹿だった」
いくら煮詰まっていたからとはいえ、愚痴る相手に亜種疑惑のある同位体(極)なぞ選ぶなど。
「いやまぁ俺にそんな話を漏らした時点で、相当追い詰められてるだろうなとは思ったが。というか、むしろ今はお前の方が亜種疑惑を持たれても仕方ない状況だろう。
修行に行かせてもらえる状況で、自らそれを棒に振ることを考えるなど。お前、本当に『へし切長谷部』か?」
「もっともな意見だが貴様にだけは言われたく無い!」
むしゃくしゃしつつ、コーヒーを流し込む。口に広がる苦味に、眉間の皺が深くなるのを自覚した。
真夜中にベルが鳴った。ジブリ本丸の鳴狐かと思ったらそうでなかった。非通知なので無視して寝ようと思ったら、延々と鳴らされ続けた。そのまま応答拒否すれば良かったのだが、一言文句を言ってやらねば気が済まなかった。
開口一番、非常識な時間帯に非通知でかけてくるな、どこのうつけだ貴様、と怒鳴りつけたら、
『夜分遅くに大変失礼致しました、本丸IDえ 563-561、へし切長谷部と申します。
……いや本当にすまん、鳴狐がこの時間にかけても出たと言うから』
などと抜け抜けと言い放ったのが、コイツだった。
次に鳴狐に会ったら不用意に他人に番号を教えないでくれ、と頼んでおこう。そう固く決意して一方的に通話を切ろうと思ったら、
「ちょっとお前と話したいことがあってな。次の非番はいつだ」
そんな風に言われ、覚醒し切らぬ頭でついつい答えてしまっていた。
で、気付けば日時と場所を決められ、こうして会う約束を取り付けられていたわけなのだが、
「うむ、このチーズケーキは中々。お前も一口どうだ?」
「要らん」
この男、話がしたいと言ったくせに本題を切り出す気配がない。先ほどから話題は、あちらの本丸の鳴狐が最近オンラインゲームにハマった話や、三日月宗近の老体化事件、山姥切国広の筋肉増強でシャツのボタンが吹き飛んだ話など、どうでもい――いや、微妙に気になる話だが明らかに本題では無いものばかりだ。
そう、微妙に気になるからついつい俺も軌道修正できない。相槌を打ちつつ、なんかもうどうでも良くなってきて、自分もケーキ(粟田口に大人気だという触れ込みのイチゴショート)を注文してフォークでつつこうとしていたら、
「ところでお前、そっちの薬研から聞いたぞ。練度カンストしたらしいじゃないか。おめでとう。修行には行くのか?」
……などと。
こちらが見せた隙に対して、遠慮も容赦も無い。唐突に懐に潜り込んできて、喉元に刃を突きつけてくるかのような言動をする。
だから嫌なんだコイツ! おかげでコーヒー吹きそうになった。あと薬研は帰ったら覚えていろ。
「貴様に答える筋合いは無い! 帰るっ」
そう言いながら紙幣をテーブルに叩きつけつつ、席を立とう。そう思っていたはずが、俺ときたら、
「……ケーキの追加注文はいるか。俺が奢ってやる」
ということで、コイツが今つついているガトーショコラは、俺の話を聞かせるために奢ってやった物なのだが。それにしたってコイツは本当に、ああもう。
「なんだ、一口分けて欲しいのか?」
「違う! いや待て、くれるならよこせ」
こちらの湿度高めの視線に気がついた長谷部(極)が、フォークで切り分け刺したケーキを差し出してくる。一度は否定してみたものの、バカバカしくなってきた。
コイツの言う通り、今は俺の方が『へし切長谷部』らしく無いのは確かだ。取り繕ったところで、仕方ない。
ぱくり、とフォークを口に入れると、ほんの一瞬だけ、長谷部(極)が驚いたように目を見開いた。
ふん、少しは驚いたか。
「美味いな。チョコの甘さがちょうどいい」
「それならそっちのイチゴショートもよこせ」
「だが断る」
「お前、それ言ってみたかっただけだろう」
いいからほら、と大きく口を開けてくる自分と同じ顔の男など、全くもって可愛くない。とはいえ、ケーキ一口分でも借りなど作りたくないので、イチゴの乗っていない部分を切り分け口に入れてやる。通りすがりの別本丸の日本号が、ものすごく変なモノを見る目をしていたが、知ったことか。
「ふむ。ある意味、むしろ極めて長谷部らしいのかも知れんな」
ムグムグと俺のイチゴショートを咀嚼していた長谷部(極)――ええい言いにくい、極めた長谷部を略して、きわ部でいいだろう――が、紅茶で口の中を整えてから言う。
「……どういう意味だ」
「お前が修行を躊躇うのは、主のことを真剣に考えているからだろう?」
当然だ。ただでさえ、めんどくさい刀である『へし切長谷部』は、普段から何かと主にご心配をおかけしたり、あらぬ誤解を受けたりしやすいのだ。
これで俺みたいなのが修行に出て、強くなるどころか頭に血が上り、ウッカリあの男を斬ったり、あるいは旅先で折れたり闇堕ちしたりしようものなら、どれだけのご迷惑が主にかかることか!
「……ごく稀に、そういった事例が無いわけでは無いらしいが、お前に限ってそれは無いだろう」
「知ったような口を叩くな」
「そんな……そんなこと言うなんて……俺との関係は、遊びだったとでも言うの!?」
「ふん、今更気づいたか。そうだ、お前など、非番の日に暇つぶしとして会うだけの仲に過ぎん!」
は、は、は。やけっぱちになって、きわ部の昼ドラめいたノリに付き合ってやれば、
「……。
熱でもあるのかおまえ。仕事し過ぎだろう。何徹目だ」
「ッだから貴様は嫌いなんだ!」
本気でドン引きされ、あまりの理不尽さに舌打ちが漏れてしまった。
とは言え、なぜかコイツに太鼓判を押されたことで安心したのも事実だ。それこそ、知った仲といえる程に交友関係があったわけでもないのに。
よくは分からないが、コイツの妙に軽いノリには既視感があるからかも知れない。
「修行先はやっぱり、あの男のところなのか?」
安心した途端に、腹が減っていたのを思い出した。昼食はきちんと摂ってきたもりだが、ここ数日は修行の件で頭がいっぱいになり、いつもほどは量を摂れていなかったかも知れない。ケーキを大きめに切り取り頬張りつつ、ついでに予習でもしておくかと話を振れば、
「ネタバレ、ダメゼッタイ」
「何で急に標語みたいなことを言い出すんだ」
両腕でペケ印を作りつつ、あっさり拒否された。
「そもそも緘口令が敷かれていてな。ネタバレなぞしようものなら、時の政府から消される」
「簡単にバレる嘘をつくな。SNSや某大型掲示板で体験談などが既に出回ってるだろう」
「そういうことをした連中は、大体行方不明になっていると聞いたことはないか?」
「……」
「まぁ嘘だが」
一瞬信じかけてしまった自分の頭を全力で叩き倒したい。
「お前に振った俺がバカだった」
「そうだな。だがネットで出回ってる情報も鵜呑みにはするなよ。中には、遡行軍が流したデタラメな情報もないわけでは無いからな」
そうだ、遡行軍と言えば、ここからが本題なのだが、と。きわ部がケーキの最後の一口を紅茶で流し込み、姿勢を改めた。何だ、俺の修行話が今回の本題では無かったのか。
コイツとは、まだ片手にも満たない回数しかこうして話をしてないはずだが、それでも分かる。コイツがこういう態度を取るときは、聞き逃してはならない話をするときだ。
無意識に俺も居住まいを正せば、長谷部(極)は真顔でこう切り出した。
「先日、蛍丸から相談されてな。遡行軍を斬る時、お前は首からいくか? それとも胴を圧し切るか?」
……。
俺はテーブルの下のきわ部の脚を、力一杯蹴りつけた。