嵐を夢見る むしろ濡れていないところを探す方が早いのではないかと思うほどに全身に赤を纏い、むせかえるような血の匂いと愛用の煙草の煙をひき連れてその人は帰ってきた。
「困ったなぁ…」
今朝見たニュースのお天気お姉さんは「今日は曇りのち鮮血が降るでしょう!」と予報していただろうか?と軽い現実逃避をしていた浩はため息をこぼす。
もうその服は着れないですね。新しいシャツは経費で落としていいですか?と軽口を添えて簡単に身を清められるようにタオルを渡す。水分を含み重くなったシャツはシミ抜きでどうにかなるレベルではないと判断し、預かるとすぐに廃棄用の袋に詰め込んだ。できればそのままシャワーを浴びて本格的に綺麗さっぱりして欲しいところだ。
そこで帰宅してから一言も発さなかった男が口を開いた。
「…別に服が汚れるのはこれが初めてじゃねぇだろう。」
「そりゃあ少しの返り血程度なら落としますけど?限度ってもんがあるでしょうよ。」
毎度毎度返り血だのなんだの付けて帰ってくるこの男のおかげですっかりシミ抜きが得意になったし、なんだったら身の回りの世話を任されるようになってから家事スキルがめきめきと成長してきているのだ。自慢じゃないがそこらの主婦よりはデキル能力を持っている自信がある。だがしかし、それとこれとは別だ。
なにしたらそんなに浴びれるんですかねぇ?なんて呆れを隠さずに浩が言えば、男はフッと表情を緩める。
「……たのしかったです?」
「…あぁ、まぁな。」
「そうですか。そりゃぁ、良かったですね。」
見るからにご機嫌な様子から、相当楽しい時間を過ごしてきたのだろうことがうかがえる。
ーーー羨ましいなと率直に思った。
顔も知らない今日のお相手さん達が今生きているかは心底どうでもいいが、男をこんなにも上機嫌にさせられることが出来た彼らにほんの少し嫉妬心の混じった賞賛を送る。
浩は目の前の男が喧嘩をしている姿を見るのが一等好きだった。
躊躇なく最大の火力をもって相手に振り下ろされる拳。いっそ踊っているのかと思えるほど軽やかな動きで敵を蹴散らす長い脚。喉元に噛みつけば一撃で仕留める牙を隠す口元はうっすらと微笑みを浮かべている。己の気が向くまま自由に、純粋に狩りを楽しむようにその場を蹂躙する獅子の暴力を我々は甘んじて受け入れるしかない。嵐のようなそれを、圧倒的な力を持つ自然災害を人が止めることなどできやしないのだから。
それは嵐で、果てしない絶望で、浩にとって真っ暗だった世界に差し込んだ光であり止まった時を動かす原動力だった。
「困ったなぁ…」
前を行く男に付き従う途中、自分にしか聞こえないよう小さな声で思わず音をこぼす。
自分もいつかはあの歯牙に首を差し出す時が来るのだろうか…
裏切るつもりなんてこれっぽっちも無いが、この命散るときは男の手終わらせてほしいと思う。
もしそうなれたら、それは、それはなんて素敵なことなのだろう。
嵐の中で最期を迎える己を夢見て、静かに背中を震わせた。