その四(切国視点) 山姥切国広、と呼ぶ声がした。
透明な水のような声は、今まで聞いてきた誰の声とも違う気がする。何故俺を呼ぶのか考えかけて、ああ、審神者とやらに呼ばれるんだとすぐに思い至った。
足利城主、長尾顕長の依頼で打たれた俺は、常に本歌山姥切と比較されてきた。勝手に期待しては勝手に落胆して、謗られたことも少なくはない。それと同じくらい大事にされてきたのも事実だが、生まれてから今まで比べられ続けた疲れと失望は、そう簡単に消えてくれるわけがない。俺がそうしてくれと頼んだわけじゃないのに生み出され、写しでも代わりでもない「俺」を見て欲しいという願いすら足蹴にされて、何を期待しろと言うんだろうか。
そう、だから俺は、何にも期待しない。力を貸せと言うなら貸してやるが、俺がそうであるように、審神者とやらも期待しなければいい。どいつもこいつも、俺を写し如きとしか見ないのだろうから。
それはそれとして、呼ばれたからには応えなければならないか、と思った。俺は無視を決め込むほど偉くもないし、分霊のひとつがそんなことをして、大元へ抗議にでもいかれたら面倒だ。
声に答えて、目を開ける。水の中から起き上がるように身体を起こせば、水滴の代わりに桜の花びらがひらひらと周りを舞った。急に全身が重くなったかと思えば、ずっと薄靄がかっていた視界がゆっくり晴れていく。
目の前にいたのは、いつぞや大元の一部だった時に見た、隈取りのある小狐。確か、こんのすけと名乗っていただろうか。こいつが同じかどうかは分からないが、多分そうだろう。
小狐の隣にいるのは、女。見慣れない服を着ていて、肩くらいの黒髪と黒い目をしている。俺をじっと見つめる目が鬱陶しくて、大元と同じように被っている布を下げた。
俺を見つめる目は嫌いだ。写しだとがっかりしたような、期待して損したかのようなまなざしが腹立たしい。勝手に期待したのはそっちのくせに。
とはいえ、最初から喧嘩を売っても仕方ない。俺がどう思ったところで、この女が俺の主となる者で変わりはないのだから。
「山姥切国広だ。……あんたが、俺の今代の主か」
「はい。私が今日から、貴方の主となる審神者です。よろしくお願いします、山姥切国広さま」
伸ばしかけた手を引っ込めて、深々と女が頭を下げる。いや、今からは主、と呼ぶべきか。何故手を引っ込めたのは分からないが、どうせ碌な理由じゃないんだろう。礼儀として「よろしく」と返したとはいえ、別によろしくするつもりはあまりなかった。
「……どうせ、すぐ飽きるんだろうからな」
呟いた声は、聞こえなかったらしい。最初から険悪にならなくて良かったと言うべきだろうか。すぐ飽きられるのだろうから、険悪になろうがなるまいが、あまり関係ないのかも知れない。
「山姥切国広様、お初にお目にかかります。私はこの度、こちらの審神者様お付になったこんのすけにございます」
女改め審神者より一歩前に出てきた小狐は、思っていた通り、こんのすけと名乗った。大元の一部として会った時よりは、なんというか、親しみやすいような気がする。親しくするかはともかくとしても。
「そうか……」
「色々とお話したいことはございますが、まずは本丸へ。このまま転移いたしますので、動かないでください。……本当に、動かないでくださいね?」
何故か審神者へやたらと釘をさしながら、こんのすけが陣を展開する。ふわりと足元が浮き、背筋に冷たいものを感じた。俺が大元の一部ではなく「俺」として人の身体を持つのは初めてなのに、地面が消えるような感覚に肌が総毛立つ。刀としても不安定な場所にあるのは嫌だが、そんな感覚の比じゃない。早く本丸に着いてくれと、審神者やこんのすけの死角で二の腕を擦った。
浮遊感は長かったようにも、短かったようにも思う。急に足元へ地面の感覚が蘇って、思わず前を見た。
懐かしいようで知らない風景が広がる。心なしか、全身が温かい。知らない感覚にも驚いたが、目の前に横たわっていた屋敷にも驚かされた。武家社会にあったような立派なもので、数十人は暮らせるだろう大きさをしている。これから審神者は俺以外にも刀を呼ぶのだろうし、そうなのであれば、いつかはこんな広さでも手狭になるんだろう。
……その頃には、俺なんて必要とされなくなるのかも知れないし、考えても詮無きことかも知れないな。
「行きましょう、山姥切国広さま」
審神者は……いや主は、特に驚いた様子もなく、俺を促して歩き出す。審神者になる人間は、それくらいで驚いていられないんだろう。頷いて中に上がると、懐かしいのだか嬉しいのだか悲しいのだか、よく分からない感覚が胸の中を満たしていくような気がした。
もっと見て周りたそうな主は、こんのすけから無言の圧を受けて「わかりましたよ」と拗ねた声で俺を連れていく。会話で執務室がどうとか言っているようだし、多分そこに行くはずだ。ちゃんと刀の本質を見極めて使ってくれるなら、何処に連れて行かれても構わない。
赤い橋がかかる大きな池を背にした部屋の障子をこんのすけが開けると、そこには先約がいた。桜の花びらが映える着物を着た、主とよく似ている女。客がいるとは聞いていないんだが、俺が聞かされていないだけなんだろうか。
「……主の部屋に、誰かいるぞ。先客か?」
「ええとですね……」
足元のこんのすけが、何故か主よりも言い淀んでいる。対する主の目はひどく冷めていて、感情らしきものを感じられない。あの浮遊感ほどではないにしろ、背筋に氷を落とされたような感覚に襲われた。
あの客人に、何か思うところがあるんだろうか。俺なんかが聞いていいとは思えないが、その冷めた目が気になって、何かを聞こうと口を開く。何が聞きたいのか、俺自身も分からないままに。
「山姥切国広さまには、先にお話しなくてはなりませんね。どうぞ、中に」
「あ、ああ」
尋ねる前にそう言われて、反射で頷いた。追求するな、と言うことなんだろうか。やはり俺如き、主の秘密に触れるなんて烏滸がましいのかも知れない。
主は動かない客人の隣に、なにか呼びかけるでもなく座る。座布団を出してくれたこんのすけに軽く頭を下げた。楽にするよう言われて腰を下ろしたはいいが、一体俺に何の話をするつもりなのやら。
「さて……結論から先に言いますが、私はもう死んでます」
「は?」
大したことじゃないだろうと思っていただけに、いきなりそう言われて間抜けな声が出た。
死んでいる? 主が? 俺を顕現して、あまつさえここまで案内してきたと言うのに?
隣でこんのすけが、いきなりぶっ飛びすぎだとか何だとか抗議していた。主はけろっとしているが、自分の生死について、そんなに無頓着になれるものなんだろうか。と言うより、こんな最重要事項を俺なんかに話していいのか。
俺の混乱と、隣で鬼もかくやとばかりに睨みつけるこんのすけに負けたのだろう。これ話さないと進まないんだけどな、と小さくぼやいていた主だったが、ひとつ咳払いをした。
「失礼。では改めて……十七の誕生日を迎えた日、私は自ら命を絶ちました」
事もなげに話す主の目は、やはり冷めている。あの客人……今や客人というかも怪しい何かに気づいてから、黒い瞳の温度は更になくなっているようにすら思う。こんなに自分の死に対して頓着しない、と言うより、生きていたことを疎んでいたとすら思わせる人間を見るのは、刀であった頃もそうそうなかった気がする。
「そして輪廻に乗る前に、そこのこんのすけから『僕と契約して審神者になってよ』と勧誘されて、断る理由もなかったので着任したのです」
「そんな言い方してないですけど!?」
俺は主がどういうものかなんて知らないし興味もないが、死者でも審神者になれるものなのか。いや、それよりもまだ、気になることがあった。
「……だが、俺には主が普通に見える。幽霊とやらは人に見えないんじゃないのか? 刀剣男士(おれたち)が人と違うとは言っても、身体は人間だ。こんなにはっきりと、あんたの姿は見えないと思うが」
「審神者に就任したことで、審神者名によりある程度の存在が定義されたからじゃないですかね。でも、今のままだと私に触れられないと思いますよ」
言いながら主が、すっと俺に手を差し伸べてくる。見た目だけなら本当に普通の、戦なんて知らない存在の手だ。こうして人の身体を持って初めて触れる人間とは、どんなものなんだろう。
握り返そうと腕を伸ばして、しかし俺の手はあっさりとその手をすり抜けた。そこに姿は見えるのに、存在は全くないのだ。戸惑わずにいられるわけもなかった。
だから言ったでしょうとばかりに、主は緩く首を傾げる。そんなものなのかと、困惑しながらも受け入れ始めている自分を確かに感じた。まさか人の身体を与えられて最初の主が幽霊とは思いもしなかったが、不思議と抵抗や反抗はあまりない。事実を事実として淡々と話しているからなのか。これが大仰に自分語りなんて始めていたら、嫌悪感を覚えていたかも知れない。
それはそれとして、幽霊に審神者が務まるものなんだろうか。馬鹿にしているわけではなく、事実として疑問に思った。俺に触れられないなら、どうやって審神者の仕事をするつもりなんだ。この分だと、刀にも触れられないんじゃないのか。
余計な心配をする俺に構わず、主は話を続けた。
「山姥切国広さまが客人だと言ったこれは、私の身体代わりになるからくり人形です。からくりとは言いますけど、実際にはもっと高度な技術が使われているのだとか……まあそれはいいんですけど」
「人形?」
「はい。先程も申し上げました通り、私は死人。今見えているのは幽体です。今の私には無機物、有機物問わず、魂を守る器がない状態ということですね。だから、こうして……」
膝立ちになった主が、隣の人形に重なる。今まで見ていた姿がひとつになったかと思えば、微動だにしなかったそれが動き出した。
説明されていたとはいえ、いきなり動かれるとやはり肩が跳ねる。胸の辺りが妙に早鐘を打って苦しいのは気づかないふりをした。
主も気づいていないのか、気づいていてもあえて言わないだけなのか、特に変わらない口振りで続ける。
「魂を守る器が必要、と言うわけです。自分で言うのもなんですけど、こうしてみるとなかなか人間っぽいでしょう? これでもからくり人形らしいですよ」
「……」
「そうそう。この事を私が話すのは貴方にだけですので。これから来るだろう他の刀剣男士さま方には、一切お話する気はありません。ですから山姥切国広さまも、私が死人でこの身体が人形に過ぎないことは黙っていてくださいね」
「あんたがそう命じるなら、俺は従うだけだ。……が、何故俺に話したんだ? 初期刀というだけで、こんな重要な話を俺なんかに聞かせて良かったのか」
こんのすけが勧誘したということは、政府の方で主のことは把握済みのはずだ。死人でも審神者にすると決めたのは政府だろうから、そこは俺がとやかく言うことじゃない。そもそも刀がこうして人の身体を持つことが驚きなんだから、身体のない人がいるくらい、向こうにとってはどうと言うこともないんだろう。
俺はと言えば、幽霊が主ということに少し驚いただけだ。まともじゃない人間なんてごまんといるんだから、幽霊だろうがなんだろうが、まともな審美眼と感性で俺を見てくれるなら、正直そこまで気にならない。
主は、そっと微笑んだ。無表情だと文字通り人形みたいだった顔も、そうやって笑うと途端に生気を感じるから不思議なものだ。死人に生気を感じるのはおかしいのかも知れないが。
「初期刀にだけは話そうと、決めていたことですから。後になって実は死人でした、隠していてすみませんなんて言われても、不信感しか湧かないでしょう? 死人が主とか普通に不気味でしょうし、それが自死した結果と言われても困りますよねぇ」
「いや、そこまでは言わないが……」
「それは良かった。……うん、やっぱり山姥切国広さまを選んで正解でした。貴方は私が自死したと言っても、困惑こそすれ、怒ったり哀れんだりしていませんから」
「怒ったり哀れんだりすれば良かったのか?」
「まさか。御免こうむります」
きっぱり言い切った主が首を振る。別に主が生前どうだろうと、特別な興味が湧くわけではない。俺のことが主に関係ないように、主がどうだろうと関係ないからだ。
むしろ同情してくれと訴えられる方が困るから、そこだけは考えが一致していると言っていいのかも知れない。どうして死んだのか気にならないと言えば嘘になるが、それだけの理由があったんだろう。人が生きる理由も死ぬ理由も、刀の俺には分からないし、関係もなければ興味もない。
「私の死に哀れみも何も要らないんですよ。そうして欲しくて死んだわけじゃないですし。そもそも、どんな生き方しようが死に方しようが、私が私であることに変わりはないですからね」
「……」
けろりと笑って話す主の言葉が、胸の奥を揺さぶる。そうやって言いきれたら、俺だって写しでも代わりでもない俺自身だと叫んで理解してもらえたなら、どんなに嬉しいことだろう。今そうしたところで、主を悪戯に驚かせるだけだ。分かっている。
だからこそ、羨ましいと思った。この女(あるじ)が羨ましくて、妬ましいと思った。生前がどうだったか知らないしどうでもいいが、主は死をもって己を証明できているんだから。
……俺だって、ただの俺として存在できていたなら、どんなに良かったか。山姥切の写しでも霊剣の下位互換でもない、ただの、国広第一の傑作として打たれていたなら、こんなに苦しまなくて良かったんじゃないのか。なのにどうして俺は、俺の、生みの親たる刀工國廣は……。
「そういうわけですから。これからどうぞ、よろしくお願いします。山姥切国広さま」
にこやかな主に声をかけられ、はた、と我に返った。多分あれこれ話をしていたんだろう。重要なことも話していたかも知れない。それを聞いていなかったなんて、流石に失礼が過ぎるんじゃないか。そうかと言って正直に「聞いていなかった」とも言えず、どうしたものかと内心、まごついた。
「……その『様』呼びは何とかならないのか……? 俺なんかに様呼びする必要はないだろう。敬語だって要らない。あんたが主なんだから」
これからの話をしようとする主へ、この切り返しはずれていると思わなくもない。聞いてないのを誤魔化すためとはいえ、急に呼び名のことを引き合いに出されたら訝しむくらいはするはずだ。
とはいえ、そう呼ばれることに居心地の悪さを感じているのも間違いじゃない。政府とやらは人間より格上だからと敬っていたが、刀は人間が振るってこそだと思っている。ひとりでに動いてなんやかんやする刀なんて、名剣名刀でも稀なはずだ。そんな前提を思えば、写しでしかない俺にまで、ぺこぺこ遜ってもらう必要なんかない。どうせ、本歌山姥切が来るまでの間なのだろうから。
主はそれを聞いても、首を傾げるばかりだった。まあ、見たところ部下を持つような年齢ではなさそうだから、そんな風に振る舞うことへ慣れていないんだろう。
「ですが、私よりも余程位が上の御刀さまに呼びタメは、さすがにどうかと思うのですが」
「よび……ため?」
「呼び捨てと敬語なしの略称です」
やはり、主としての振る舞いに慣れていないらしい。よびためとやらをしたら何がいけないのか分からないが、そこは人間社会の規則に則っているのかも知れない。俺がそこまで分かるわけないので、全部憶測だ。深く知る必要もないんだろうが。
主は腕を組み、何やら考えているようだった。俺の呼び方なら好きにして構わないんだが、何をそんなに悩んでいるのやら。そう長くない付き合いだろうに。
そう考えているのが伝わったのか、はた、と主が何かを思いついたようだった。黒い瞳が煌めいて見えるのは、顔が少しだけ笑っているように思うのは、気のせいだろうか。
「……なら、切国と呼んでも?」
「切国?」
思わず、聞き返してしまった。山姥切でも国広でもなく、それでいてどちらも含んでいる呼び名。山姥切と呼ばれて比較されるくらいなら、と思っていただけに、なんだか拍子抜けしてしまった。それもさっき言っていた「よびため」のような略称、になるんだろうか。
これは「よびため」とは違うんだと、主は緩く首を振った。まだそれを尋ねてはいなかったんだが、俺は存外顔に出やすいんだろうか。人の身体を持ったのなんてこれが初めてだ。感覚がいまいち分からない。
「敬語はすぐに抜けないので、おいおいにはなりますが。せめて呼び名だけでも親しみあるようにしたいなと思ったんです。私の初期刀につける呼び名としては、なんというか、無難ですけど」
「主が『初期刀の俺』に、その名をくれるのか?」
主は確かに「初期刀につける呼び名」と言った。この身を、この立場を表すために、切国という名をくれると言った。
……自惚れて、いいんだろうか。「俺」は主にとって、固有名称をくれる程度には、重宝されるべき刀なんだと。霊剣山姥切の写しだからではなく、俺が俺だから、この呼び名をくれるんだと。
俺の目を真っ直ぐ見つめて、主はひとつ、頷いた。
「私の初期刀、山姥切国広。私を主としてくれるならば、どうかこの呼び名を受け取って欲しいのです。改めて、切国と呼んでもいいでしょうか?」
全面的に信じるには、まだ主を知らなすぎる。名をくれた程度で、俺をちゃんと見てくれるかどうかなんて分かるわけがない。主を含めた人間に対する諦めと不信感とは、未だにこの心へ刻まれているのだ。あっさりと信じるなんて出来るわけがないし、やりたいとも思えない。
それでも、少しだけ。ほんの少しだけこの主と「よろしく」してみようか、とは思った。そうして俺が、本当に信頼に足る人間なのだと判断できたなら、その時はーー。
なんて、未来の話をしたら山姥でも笑うか? 俺は山姥なんか切っていないから、知ったことじゃないが。
「……あんたの命令だからな。好きにしたらいい」
つれないふりで答えたつもりが、目の前に桜の花弁が舞った。どうやらこの身は、高揚が桜となって現れるらしい。なんとも厄介なものだな、と布をほんの少しだけ引き下げた。
今度は大丈夫だからと、主が握手を求めてくる。言葉だけの宜しくと共に握った手は滑らかだったが、生き物の温度はない。事情は知っているから今更驚きはしないものの、やはり人形なんだな、と無駄に感心してしまった。触った手は人間のような頼りなさだというのに、温度だけが綺麗に抜け落ちている。不思議なものだと思いながら手を離した。
「さて……こんのすけ、最初は何をしたらいいの?」
「申し訳ありませんが、すぐにでも出陣して頂きたく。成果をあげねば、資材も何もないのですよ。出来れば刀装くらいはと思いましたが、こればかりはどうしようもないのです……」
「何もなしか……うーん……」
こんのすけが申し訳なさそうに俺を見る。何か白い板のようなものを何処からか出した主も、苦い顔で唸っている。要は身一つで出陣するしかないということらしい。備蓄がないというなら、それも致し方ないところだ。態とそうするわけではないのだから、文句を言う必要も、理由もない。
「出陣したらいいんだろう?」
「ですが、ちゃんとした準備も出来ないままでは」
「主の言い分も分からなくはないが、準備するにも備蓄がないんだろう? なら出陣して、政府から資材を貰うしかない。違うか」
「……そうですね。では、切国。出陣をお願いします」
「分かった」
「審神者様の補佐として、私めが戦場への転移、ならびに進軍経路の計算を致します。不可視の式神にて適宜指示を出しますので、よろしくお願いします」
出陣を決めた途端にいきいきとしだすこんのすけをちらりと見て、立ち上がる。主も俺の初陣になるからと、転移に使う正門まで見送りに来た。別に要らないのに、と言いかけたのは飲み込んでおく。好意を無碍にする理由は無いからだ。
「初陣向きの戦場へ繋ぎます。……合戦場情報を検索……該当一件。維新の記憶、函館……転移陣、式神発動問題なし。エラーなし……」
門の隅で半透明の板らしきものを叩き、こんのすけが何やら言っている。宙に浮いて見えるそれは、聞いた記憶のある未来の技術とやらなんだろう。俺が触れることはないはずし、知る必要はあるまい。
「出陣準備、完了しました。山姥切国広様、お願いします」
「ああ」
促されて、一歩踏み出す。本丸に来た時と同じような浮遊感に鳥肌が立った。
やはり、この感覚はどうにも苦手だ。自分の不安定さが増して訳が分からなくなるような、踏み外したら何処までも果てなく落ちていくような感覚が、どうにもおぞましい。これも出陣を重ねたら、慣れていくものなんだろうか。
何となく呼ばれた気がして振り返れば、主が近くまで歩み寄るのが見えた。出陣転移に巻き込まれるか巻き込まれないか、本当にギリギリの位置だった。
「切国。……行ってらっしゃい。帰りを待っています」
微笑みすら湛える唇でそう言われて、左胸の辺りが奇妙にざわつく。知らない感覚だった。転移のあの時みたいな不快感はなくて、そうかと言って心地よくもない。これが一体何なのかも、いつか分かっていくんだろうか。
碌に返事も出来ないまま、浮遊感に飲み込まれる。そうかと思えばもう、本丸だった場所は目の前から無くなっていた。
代わりに広がるのは荒野と、はるか遠い先の山々。何処からかは分からないが、剣戟の音が遠くにこだましている。こんのすけがそう計らったのか、戦場となるこの場所のことは、情報として既に頭の中へ入っていた。
明治は元年に勃発した戊辰戦争。かの有名な土方歳三が最期に立ったのが、今いる函館の地なのだという。まだこの本丸では会っていないが、俺の兄弟らしい堀川国広が、土方歳三と深い関わりがあったはずだ。そこに展開する時間遡行軍の狙いは、土方歳三の戦死を「なかったことにする」というものらしい。敬愛するものが死する運命を書き換えてどうしたいのか、俺にはいまいち分からなかった。
刀の頃云々は関係ない。単純に、そこまでして何を成したいかが分からないだけだ。歴史修正主義者とやらは、神にでもなりたいのだろうか。そんな輩のために運命を書き換えられるなんて、いくら俺でも御免蒙る。
敵陣へ向けて踏み出せば、途端に肌を叩く敵意と殺気を感じた。先達が幾度となくここを駆け抜け、奴らの作戦を頓挫してきたに違いない。
俺もこれから、その一端になるのだ。俺なんかが先達に並ぶのは烏滸がましいのもいいところだが、後輩と呼ばれる存在がいずれは出来るのだから、仕方ないと思うことにした。
「丑寅の方角に気配察知しました! 索敵を!」
「ああ。……確かに、嫌な空気だな。囲まれていないか確認しよう」
どういう原理か宙に浮くこんのすけに言われ、辺りへ目線をやる。すぐに魚の骨のような、頼りない奴がふらふら漂っているのを見つけた。あれで作戦を遂行しているつもりなのか、それとも……俺を写しと侮って、わざとあんな風に動いているのか。
後者であるとしたならば、どんなことがあっても切り捨てるつもりでいた。俺は刀工國廣から第一の傑作と称された刀だ。写しごときと嘲笑う奴らに、後悔を与えてやろう。
こんのすけが接敵を告げる前に地を蹴り、奴らに向かう。ふらふら飛んでいた骨は、短刀を咥えた蛇のような見た目をしていた。俺を見つけて臨戦態勢になるその前に、抜いた刀で袈裟斬り。頭と体が分かれた敵短刀が、金属を引っ掻くような音だか声だかを上げて地面に落ち、黒い塵になって消えた。出来た隙が大きかったらしく、突っ込んできた敵短刀の刃が頬を掠める。痺れるような熱さが走ったかと思えば、何か赤いものが頬を伝った。
自分の血だと気づくのに、少しだけ時間を要したかも知れない。味をしめたのか、また馬鹿みたいに突進してきたそいつの一撃を避けて、今度は胴を真っ二つにしてやった。何が起きたか分からなかったのか、俺の方を振り向こうとしたまま地面に落ちて、そいつも黒い塵になった。
「お見事にございます。山姥切国広さま」
こんのすけが横で褒めてくれる。お世辞だろうが、まあ、悪い気にはならないから良しとした。それよりも。
刀を握る手に、そっと目線を落とす。握っているのは山姥切国広。俺を、俺が手にしている。ずっと昔から使い込んでいたかのように馴染む刀を、その刃を、見るともなしに見つめた。身体の一部、もといこの姿の元となっているのだから当たり前だ。それでも、不思議な感覚は拭えなかった。
刀工國廣が、長尾顕長の依頼で打った刀。そこに何の願いや思いを乗せたか、俺には分からない。単に依頼されたから作っただけで、特に私情を挟むことなく、仕事をこなしたかも知れない。そんな刀を握るために生まれたようなこの身体を、手を眺めてから、ゆっくりと刃へ視線を移した。
敵を切ったばかりなのだから、当たり前のように汚れのようなものがある。血払いして眺めた刀の煌めきは、俺が俺だと誰よりもはっきり示していた。余計な色眼鏡も、目線も言葉もない。この輝きさえあれば、揺らぐことなんてきっとないはずだ。そう思えてならない。
俺は、俺だ。落胆される理由もなければ、謗られる謂れもない。単純明快な思考で頭の中を満たして、次の指示を待った。
主から何か受け取ったのか。さっきも出していた、透明な板らしきものを叩きながら、何やらぶつふつ言っている。『ルート』だか何かを計測しているんだろう。俺には関係ないと黙っているうちに、計測が終わったらしいこんのすけが俺を見た。
「寅の方角に敵本陣を察知しました。……山姥切国広さま」
「なんだ」
「無茶をしないよう、主さまからの伝言です」
「……」
何故だろうか、見送った主の微笑みが脳裏を過ぎる。忘れかけていたざわつきが、また左胸の辺りに蘇ってきた。
一体なんだと言うんだろう。知らない感覚は薄気味悪くすらあるのに。それなのに。
嫌じゃない、なんて。
「……こんのすけ、補助を頼む」
「はい!」
雑念が混じったら動きが鈍るから、と自分に言い訳して、主のことを一旦頭から追い出す。本陣へ踏み込むや否や、複数の眼が俺をあちこちから見ていることに気づいた。分かれ道の向こうでは、こちらに来いとばかりに短刀が顎を動かしている。先程と同じようで違うそいつらは、俺を嘲笑っているかのようだ。思わず向かおうとした俺の前へ、こんのすけがふっと現れた。
「心中お察しします、山姥切国広さま。しかし、どうか抑えてください」
「俺を侮っている連中を、見逃せと?」
「あれは罠です。本隊から刀剣男士の注意を逸らすため、あえてあのように煽っているにすぎません」
「っ……」
「貴方は初期刀。これから幾度となくこの地を踏み、敵を切り裂くでしょう。一時の感情へ流されますな」
冷静なこんのすけの声を聞いていると、不思議なことに、熱を持っていた頭の芯が冷めてくる。主の顔がまた過ぎった。恐らく主も、同じことを俺へ言うだろうと思ったからかも知れない。
進みかけたのをぐっと堪えて、こんのすけが示す方角へ足を進める。肌を叩く殺気が強くなるのを感じた。『罠』に掛からなかった俺に対して、本気で折らねばならないとでも思っていそうな気配だ。もとから平和的解決なんて考えてはいないが、それなら俺も完膚なきまでに奴らを折る。それ以上でも以下でもない。
意外にも、本陣に敵の姿はまばらだった。数振りほど叩き切ってやれば、人間の上半身に虫のような下半身を無理やりくっつけた見た目の化け物が現れた。傍にはさっき戦った短刀も見える。どうやら、この地における本隊……となるらしい。
脇差一振りに短刀一振りとは、戦力として心もとないんじゃないか。斥候という奴なんだろうか。だったら、こいつらをへし折って本来の戦力をーー。
思考を巡らせる俺の前で、刃が閃いた。
「くっ」
飛びずさって避けたつもりだったが、さっきの攻撃で肩をやられたらしい。炉に突っ込まれた熱さを感じたかと思えば、熱はすぐに痛みへと姿を変えた。利き手側でなかったのは、不幸中の幸いと言ったところだろうか。もし利き手側だったと思うだけで、ぞっとしてしまう。
切りつけてきた短刀に狙いを定めて、袈裟懸けに切り下ろす。思ったよりあっさりと攻撃を受けた短刀は、悶えながら黒い塵となって消えた。こちらに怪我を負わせた割に、随分と呆気ない。やる気がなかったんだろうか。
いや、違う。あいつはもともと、このためだけに俺へ狙われたんだ。何故なら。
「山姥切国広さま!」
火をつけたような脇腹の熱い痛みが、赤く染まる視界が、切られたのだとはっきり俺へ伝えてきた。すぐ近くに脇差がいて、醜い顔を歪めて笑っている。こんのすけの声が遠くなる。
倒れるのだけはなんとか避けたが、踏みしめるだけで激痛に目の前が歪んだ。
傷が浅くないことくらい、さすがの俺でもわかる。あまりにも情けなかった。刀として積み重なった知識は攻め方を知っているのに、体がそこへ追いつかないなんて。
初陣だから。装備がなかったから。向こうの経験値が俺より上をいっていたから。血で汚れているくらいが丁度いい。
そんな言い訳を浮かべかけては、頭の中から追い出した。全部事実だとしても、それを認めてしまっては、本当に……。
「撤退しましょう! 今のお怪我ではあなた様が……!」
こんのすけが焦りながら、足元へと何かの術式を展開し始める。脇差が、にやりとその顔を歪めた。
……俺を、嘲笑っている。写しの分際で図に乗るな。お前なんかが霊剣山姥切に並ぶわけがない。だから偽物なんだ。そんな謗りが多方面から響いた。
「ふざ、けるな……っ!」
先程は堪えてやったが、目の前でここまでこけにされては、もう黙ってなどいられない。鈍ごときがよくもそんな態度をとってくれたものだと、違う意味で目の前が赤く染まっていく。
俺を偽物だと、鈍だと言うのは、誰であろうと許さない。そう、あの主が相手だとしても。
「俺を写しと侮ったこと、後悔させてやる。……貴様の死をもってな!」
踏み込む足に力を込めれば、傷口から血が繁吹く。回転を加えながら切り裂く動きでばさりと布が舞い、顔を隠していたところが首元まで下がる。だが、そんなことはどうだっていい。
今はこいつを、死ぬまで折る。馬鹿にされた以上、死を与えるのは当然のことだ。たとえこの身が灰になろうが朽ちようが、穢された誇りをそのままに出来るはずがないのだから。
ばきん、と鈍い音が鼓膜を揺らした。目の前で黒い塵が散る。暗かったかと思った景色が晴れると、遠くで馬蹄の響く音が聞こえてきた。
遠すぎるし、目眩でよく分からないが、あれが土方歳三なんだろうか。だとしたら、任務は一応成功したと言っていいはずだ。
この地で最期を迎えると分かっていながら、あの男はああして敵陣を駆けるのだろう。何度でも、何度でも、歴史が正しい流れを刻むまで。
その潔さに敬意は払えど、在り方を歪めたいとは思わない。俺が土方歳三と縁のない刀だと言われればそれまでだが、あんな風に気高く生きる魂の道を歪めるなんて、それこそ「偽物」だと、そう思う。
……何にせよ、初陣はなんとか成功といったところか。早いところ帰って、少し、休みを……。
踏み出した地面がぐにゃりと歪む。変だ、と思う前に目の前が大きく揺れて、体も傾いた。
血を、流しすぎたのだろうか。自分のものではない体が、不思議なようで、煩わしい。刀だった頃には、こんなこと、なかったのに。
「山姥切国広さま!」
暗くなっていく中、こんのすけの声だけが、いやにはっきり聞こえた。
◆
あたたかい何かが、俺を包んでいる。そう自覚しながら目を開ければ、光の膜に覆われていることに気がついた。正確には「俺」ではなく「俺の核」という方が正しいかも知れない。
何にせよ、あたたかいな、と思った。一体これが何なのかも分からないのに、妙な安心感がある。
やさしく手入れされるこの感覚は、知っているようで全く知らない、不思議なものだった。柔らかな声で何かを告げられたが、言葉としてはなにも聞こえない。それでも小さく頷いて、また意識を手放した。
……本格的に目が覚めたのは、どれくらい後の話だろうか。あの柔らかい感覚はもう何処にもなくて、寂しいような残念なような、俺もよく表せない気持ちを引きずりながら体を起こす。
「ああ、良かった。お目覚めですか、山姥切国広さま」
未だ夢を引きずるような俺の近くで、ほっと胸を撫で下ろす声がした。ぼんやりそっちを眺めれば、こんのすけが行儀よく座っている。何気なく見上げた先には、真新しい天井の梁も見えた。
「ここは」
「本丸にございます。敵部隊の大将を倒した後は、自動的に帰城するよう、わたくしめに術式が刻まれているのです」
「そうか……」
「それより、お体は大丈夫ですか? 違和感があったり、痛みが残っているなどありませんか?」
心配そうに見つめてくるこんのすけへ、小さく頷いた。あれだけ体を熱くした不愉快な痛みは何処にもないし、体もちゃんと思い通りに動く。
夢で見たあのあたたかさがないことに、どうしようもない喪失感を覚えた。違和感なんて、それくらいだ。
「主様が、ずっと手入れをなさっていたのです。手伝い札を使えばすぐだと申し上げましたが、自分が最後まで責任持って手入れするのだと聞かず……」
全く強情な、とこんのすけは怒っているが、あのあたたかさの源が何なのか、少しだけわかった気がする。
……このまま朽ちるなら、それも構わないと思っていた。消えた後も比較され続けるのは嫌だが、あの程度の鈍にすら苦戦するなんて、恥でしかないからだ。
それなのに。
どうして。
「……主は、何処にいる」
「主様ですか? 先程、厨の方へ行かれましたが」
「分かった」
違和感はなかったものの、あたたかさの離れた体は重い。引きずるように起き上がれば、一瞬だけ目の前が揺れた。心配そうなこんのすけの頭を軽く撫でて、藺の香りも真新しい部屋を出る。
出陣したのは昼間だったはずなのに、外はとっぷりと夜が降りていた。いつ帰ってきて、いつまで手入れを受けていたかも分からない。色々考えかけたのを追い出すように頭を振って、厨へと足を向けた。
こうして歩くと、やはり懐かしいような空間だな、と思う。いつの話かは思い出せないが、もしかしたら長尾顕長の依頼で俺を打った刀工は、こんな場所を見たのかもしれない。
厨に差し掛かった辺りで、何かいい香りがするのを感じた。なんだろうか、と興味を惹かれて入れば、気づいたらしい主が振り返る。
「切国。目が覚めました?」
「ああ」
「良かった。刀の手入れは初めてなので、ちゃんと出来たか不安で」
眉を下げて笑う主の手元で、何かくつくつと音がしている。何をしているんだろうか。こんな夜中に。
俺が尋ねる前に気づいたらしく、ああ、と主は手元へ目線を戻した。
「人は食べないと生きていけませんから。刀剣男士さまも、今は人の体を持っているでしょう? 私の霊力があれば最低限は動けるらしいですけど、やっぱり食事って大事だから」
「……」
「ああ、心配しないでくださいな。これでも自炊には割と慣れてますから、不味いものにはならないはずですよ。とはいえ、お口に合うかまで保証はできませんけど」
言いながら、慣れた手つきで準備する姿を、見るともなしに眺めていた。座るよう促されてようやく、俺に声を掛けたのだと気づくくらい、違う世界のように見えていた。
ぼんやりと厨の椅子に腰を下ろす。ふたりか三人くらい掛けるのが精一杯だろう机に、白い米を掬い入れた椀と、木匙が置かれた。
「これ、お粥って言うんです。初めて固形物を口にする人とか、病み上がりの人とか、すぐにたくさん食べられない相手のための食事なんですよ。格好は良くないですけど、どうぞ。熱いから気をつけてくださいね」
「主は?」
「私? 私は幽霊ですし、この体って食べられるか分からないんですよね」
だから気にせず、と促されて、ゆっくり匙をとる。これだけ言われても断るのは意地が悪すぎるのもあったが、なんというか。こう、腹の辺りが変に締め付けられるような、目の前の『食事』を欲しいと訴えているような気がしてならなかったから。
匙で掬って口に入れた粥はあたたかくて、手入れの時を思い出した。
「どうですか?」
「……分からない。が、多分、不味くはない」
「良かった」
笑う主の顔は、本当に人形なのかと疑うくらいに自然だ。なんだか居心地が悪くなって、軽く咳払いしておいた。
そのまま匙を進めるのを、主はどこか安心したような、それでいて、変な気遣いを抜いた目で見てくる。じろじろ見られるのは好きじゃないし、俺だけがこうして食事するのも、やはり落ち着かない。こんのすけ、と呼べば、すぐ近くに小さな足音が降り立った。
「お呼びですか、山姥切国広さま」
「大したことじゃないが、聞いておきたい。……主は、食事が出来ないのか?」
「主さまがお選びになった体は、旧式ながら飲食したものを霊力へ変換する機能が備わっています。一気に、は難しいですが、少しづつでしたら」
「だ、そうだ。主も一緒に食べてくれ。気まずい」
「うーん……まあ、こんのすけが大丈夫って言うなら……」
悩んだ様子の主はそれでも、同じように粥を掬いに立ち上がる。戻って一口食べては、確かにまあまあね、と小さく呟いていた。
(食べられるのか。良かった)
何故だか安心しかけた気持ちを、粥と一緒に飲み込む。俺なんかに安心してもらっても、別に嬉しくなんてないだろう。
今回は、たまたまこうなっただけだ。全部が偶然で、だからこそ、まだ、心を許してはいけないと思う。そんな風に勝手に俺へ期待して、勝手に失望した人間を、何人も知っているからだ。
「次はもっと、上手く作りますね」
……それでも。
今、この瞬間だけは、穏やかな気持ちになれるような気がして、ならなかった。