「珍しいな…あんたが俺のところに訪ねてくるなんて」
カウンター越しに正面に座る来客に珍しく寡黙なバーテンダーは口を開く。
この店は「なにものであっても拒まない」
というちょっと不思議な文句が口癖の寡黙なバーテンダーがいる小さなバー。
正面に座る彼女はカップに注がれた紅茶の香りを楽しんだ後、ゆっくりと嚥下する。
「…なんだか久しぶりに貴方の淹れる紅茶が飲みたくなったのよ」
美味しいと小さく呟き、もう一口紅茶を含む。
紅茶の香りと仄かに鼻をくすぐるオレンジのような香りが疲れた身体の強張りをほぐしてゆく。
「身体、温まるだろ。少しアルコールを入れたんだ。
たくさん入っちまうと風味がキツクなっちまうが、少量なら香りも楽しめるし血行も良くなる。
まさに一石二鳥だろ?」
そう言って普段滅多に見せない笑顔を零した。
「ふふ、そうね。なんのお酒を入れたの?」
彼女の言葉に後ろの棚から数あるボトルの中で四角い形が特長的なビンをカウンターに置いた。
「今日の紅茶の種類に合わせてみた。入ってるのはコアントロー」
「さすがバーテンダー様は違うわね」
「うっさい」
くすくす笑う彼女に精一杯の抵抗。昔から彼女には頭が上がらない。
照れ隠しからか少々乱暴にカップを引き寄せれば有無を言わせずに紅茶のお代りを注ぐ。
もちろんアルコール入りで。
「…なにも聞かないのね」
注がれてゆく紅茶を見つめながら彼女は静かに口を開いた。
「…言いたくなったら言えばいいだろ。俺からは聞かない。そういう主義なんだ」
「優しいのね」
「どうかな」
彼女に背を向けるとコアントローを元の場所に戻した。
隣に陳列しているワイルドターキーを代わりに手に取れば、自分専用のロックグラスに注ぎ入れた。
グラスにはすでに氷が用意されていて、注がれるアルコールに高い音を立てる。
バーテンダーがウィスキーを一口飲むのを見届けてから
「私が今日、この店に来るのを分かっていたんでしょう?」
カランとグラスの氷が早くも乾いた音を立てた。
「ご馳走さま。次に来たときに話、聞いてくれると嬉しい」
そう言ってこちらを見つめる彼女に小さく頷く。
「ありがとう、ヴァシュロン。紅茶美味しかった」
「もういいのか?」
「えぇ。なんとなく顔、見たかっただけだから」
そう言って出口に向かう彼女を追ってカウンターから出た。
「大丈夫よ、一人で帰れるわ。だからヴァシュロンは優しいのよ」
「気のせいだっつってんだろ」
「ふふ、強情ね。このお店、開店は夕方でしょ。
私が来るの分かってたからお昼過ぎにお店開けてくれてたことなんて、とっくにお見通しなのよ」
カウンターに戻り、彼女が去った扉を見つめながら苦笑を零す。
グラスのウィスキーを煽ると深く息を吐き出した。
「ったく、いつまでたってもミモレットには敵わないな」
空になったグラスにウィスキーを再び注いだことは言うまでもない。