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    しおり
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    呉服屋中川の怪 八丁堀にある呉服屋中川の大旦那の訃報は、秋の夜の帳が落ちたころ大店を駆け回った。もともと体調が思わしくなく、厳しい夏を越えられたことを喜んだのもつかの間だった。月が替わったばかりの今日、眠るように亡くなっていたという。見つけたのは、水を運んだ女将だった。今年に入り体調を崩してから奉公人たちが回復を願っていただけに、訃報は限りなく悪いものであった。それは、去年奉公に入ったおさんにすら理解できた。
     訃報が番頭の藤兵衛によってもたらされてから、店は上から下まで大騒ぎになった。女将は大旦那が亡くなったことがよほど心痛だったのか、顔を出していなかった。もともと身体の弱い人で、女将のほうが先に亡くなるのではないかという噂もあった。なにより大柄で誰よりも元気だった大旦那が先に逝ってしまうのは、誰もが予想していなかったことだった。
    「しかし、これであの放蕩若旦那が落ち着くと思わないんだけどねぇ」
     せわしなく動くなかで、古株のおもんが零したひと言を諫める者はいない。
     藤兵衛がいたら、目の色を変えて叱責していただろう。だが、おもんの懸念は筋違いと言えないのは、彼が誰よりも分かっている。
     おさんは中川の若旦那と直接会話をしたこともなければ、姿を見たのだって数えるほどだ。だが、彼のよろしくない噂は山ほど入ってくる。骨董品の収集癖があるというのはまだ可愛いほうで、それで蔵をひとつ埋め尽くしているとか、若い頃には芸妓に入れ揚げて嫁にもらおうとして勘当されかけたとか。そうした約束を複数の遊女にしていて、刃傷沙汰を起こしたとか、とにかく小さなものから大きなものまで、店の中では格好の話の種として撒かれていた。
     それが本当か嘘かは誰も知らない。確かめようにも、火元がどこかすらもわからないし、だいたいは店の客からもたらされるものだ。少しは嘘もあるだろうというのは分かっていても、噂は店中を巡り、若旦那の悪評に繋がっていた。
     だって、火の無い所に煙は立たないとおさんは思っていた。噂をされるに足るなにかが若旦那にはあった。吉原通いや、生前大旦那様が頭痛の種にしていた骨董収集を少しずつ減らしていけば、そんな悪評にも少しは歯止めがかかっただろうが、歳を経ると悪化している気配さえあった。また、女将に一途で妾も作らず、呉服屋の五代目として店の繁栄に尽くした大旦那がいる限り、若旦那への周りの評価は女たらしの頼りない放蕩息子という色眼鏡をかけざるを得ない。
    「ああ、今日は冷える冷える。おさん、ここはいいから炊き出しを手伝ってきなさい」
    「はい!」
     おもんの指示に、おさんは畳を拭く手を止めた。
     二階の大広間は、もともとは反物を広げるための場所だが、これから数時間後の通夜には、弔問客を通す場所になる。
     反物を管理する隣部屋は、積んでいた反物を蔵へと運ぶ人手でごった返していた。人の間をすり抜け、急な階段を手探りで降りて行く。
     そこから南端にある厨に向かう途中に、ごとんと音が響いておさんは飛び上がりそうになった。
     あたりをきょろきょろと見回しても、誰もその音に気づいていない。慌ただしくおさんの横をすり抜けていくだけで、立ち止まっているのはおさんだけだ。
     気のせいかしら。そう思って厨に向かおうとすると、今度は、トン、と畳を叩くような音が聞こえた。トン、トン、と何回か響く音は、人の足音のようにも聞こえる。いや、もっと細い物で叩く音かもしれない。音の出所を探そうと耳をすますと、それは隣の襖越しから聞こえていた。
     今すぐその場から逃げ出したいのに、おさんの足はその場に縫い付けられたように動かない。あの部屋は若旦那が、蔵に入りきらなかった骨董品を置いている部屋だ。使用人は番頭である藤兵衛以外入ることを禁じられている。今その藤兵衛はこの部屋に入る暇などないし、人がいるわけがないのに。
     トン、トン、と響く音に、微かに金物が擦れる音も混ざる。音は襖に近づいている。
     ぞわぞわとしたものが背筋を走り、おさんは身震いした。
     周囲に助けを求めようとして、ふと誰もいなくなっていることに気づいた。先ほどまであったうるさいまでの人の声も、足音も、すべてが聞こえなくなって、襖越しの音だけになっていた。
     もしかして、若旦那はとんでもないものを家に迎え入れてしまったのではないか。それが原因で、大旦那がお亡くなりになられたのかもしれない——おもんにでも聞かれたら笑い飛ばされるぐらいに突拍子のない話だが、恐怖に慄くなか、一度頭に浮かんでしまうと、自分の中で仕舞う場所が見つけられなければ、考えないようにするほどにこびりついて離れなくなる。
     逃げなければ。抜けそうになる膝を叩いて、おさんは震える足を前に出す。一歩ずつ、襖の向こうの気配に気づかれないように——。
     音もなく、襖の模様が動いた。
     目で追っていくと、細い隙間があった。先ほどまでは見当たらなかったはずの隙間が。覗いてしまったのは、おさんの中のまだ殺しきれない子どもじみた好奇心のせいだ。目を閉じていればまた結果は違っていただろう。
     おさんの目に見えたのは、黒い甲冑だった。部屋は灯りひとつなかったのに、なぜそれが黒だと分かったのか。青白い光が兜の奥で光っていたからだ。ぎろりとその光が睨みつけたような気がして、ひっと息を呑んだあと、彼女が短い生涯のなかで、一度も出したことのない声が口から迸った。



    「ごめんください」
     燭台切光忠が呉服屋中川に向かったのは、夜も明け切らない子の刻に入ったばかりのころだ。
     八丁堀では珍しい、古美術を扱う根元堂に弟子入りをしてから早三年。
     片目を濡羽音色の髪に隠し、髷を結っていない姿は深川の役者に劣らぬ美丈夫ということもあり、彼目当ての客も少なくない。加えて骨董品の知識の深さと物腰の柔らかさで、店主の根元翁とその妻の覚えめでたく、息子のように可愛がられていた。
     今日の通夜も、顔が広がるからという理由で光忠が遣いに出されたのだ。
     最初に覚えた違和感は、表玄関は霊前灯がなかったことだ。大店にしては迂闊すぎる。それに、弔問客の姿は一人もない。店に使いにくる、馴染みの丁稚である平太に呼ばれてから程なく出たからとはいえ、狭い町内なら光忠以外の客もちらほら見えていてもおかしくない。
     玄関先で待っていると、奥から顔を出したのは番頭の藤兵衛だった。
     大旦那の不幸に憔悴しているようで、五十を過ぎて髷も小さくなった彼の姿はいっそう縮こまって見えた。
    「お待ちしておりました」
     深く頭を下げられて、光忠は狼狽した。一体どうしたのだろう。
    「いいえ、僕は根元の遣いですから、そうかしこまらず。頭を上げてください」
    「中にお入りください。報せに走らせたのは、根元様のところだけですから」
     顔を上げた藤兵衛の顔つきは、いつも店先に立つにこにことしたものとは違う厳しいものだった。まるで別人のような顔つきに、只事ならないものを察して光忠も顔を引き締める。
     表玄関を上がり、提灯を片手に藤兵衛に案内されて舞良戸の向こうへと進む。
     光忠はいつも根元がここの若旦那に呼ばれたとき、荷物持ちとして同伴している。間取りも知っているが、当然昼と夜ではまるで見せる景色は違っていた。知っていても先導がいなければ迷ってしまいそうだ。内庭に落とす影はほとんどなく、闇夜に溶けている。月明かりは頼りないから、提灯の明かりだけで廊下を進んでいく。やがて藤兵衛は連なる襖のうちのひとつの前で止まった。
    「これから先のことは、他言無用にございます」
     光忠は頷いた。それを見届けて、藤兵衛が襖を開く。
     十二畳ほどの床の間には、誰もいない。あたりを見回して、ようやく隅にうずくまる人影を見つけた。
    「おさんでございます。去年奉公に来たばかりで、少々ぼんやりしたところはありましたが、素直ないい子です」
     そんな子が、今は隅でうずくまって震えている。なにがあったのだろう。光忠は医師でもなければ、憑き物落しができる神職についているわけでもない。
    「入るよ」
     藤兵衛が声をかけると、彼女の肩が震えた。光忠がその後ろに続くと、頭を抱えて一生懸命に身を縮ませようとしていた。まるで、何かから隠れようとするように。
    「根元さんのところの光忠さんだ。もう一度、なにを見たのか話してごらん」
     彼女の背中に向けて、藤兵衛が話しかける。どれほど経ったか、長い沈黙のあと、おさんが顔を上げた。まだ十四、五のあどけない顔が、涙に濡れていた。
    「あ、私見たんです……鎧のお化けが、鎧の……」
     うわ言のようにおさんが繰り返す。
    「あれが、大旦那様を連れて行ってしまったんです。本当に、そうに違いないです。若旦那様が殺したんですうう」
     最後のほうは嗚咽に塗れて、その背中を藤兵衛がさすり、「馬鹿なこと言うんじゃないよ。気のせいだ」と諌めていた。
    「鎧は、どんなものだった?」
     光忠が距離を縮めて、問いかける。藤兵衛に、ずっと妄言だと見なされていたのだろう。ようやく理解者が来たと縋るように、おさんは顔を上げた。
    「真っ黒くて、青白い目をしていて」
    「おさん」と藤兵衛の声が尖った。
    「私、本当に見たんです、兜の奥の目が光って、私を睨んだんです!」
    「うん、大丈夫だよ」
     光忠が目線を合わせて微笑むと、おさんの体からふっと力が抜けた。そのまま背中をさすっていた藤兵衛の側に倒れこむ。
    「ああ、すみません……」
     おさんは気を失っていた。目を閉じてぐったりとした姿は、痛々しいほど衰弱している。
    「よほど怖い思いをしたのでしょう。しっかり休ませてあげてください。藤兵衛さん、丁稚をお借りしてもよろしいですか?」
    「もちろん。何用でもお使いください」
     光忠の頼みに、藤兵衛は不思議そうに応じた。

     八丁堀から隅田川沿いに上っていくと、吉原へと続く山谷堀へと入る流れがある。
     駒形町は明暦の大火後、多くの寺院が移ってきた土地だが、同じく先の大火によって日本橋から居を移した吉原の通り路としても名高い場所である。
     呉服屋という仕事柄、名前は知っていても、丁稚である平太にとってそこは別世界であり、入ることが許されないところだった。まだ早いと言われれば返す言葉もない、十を過ぎたばかりの平太にとって、男女の色は得体の知れない生き物のようで、あまり近づきたいとは思えなかった。ひとえにここに来ることになったのは、中川で起きた騒動のせいだった。大旦那様が亡くなって、その数時間後におさんが大旦那の幽霊に取り憑かれたという騒ぎが起こった。年下には偉そうで生意気だったおさんがどんな風に変わったのか、平太は知らない。でも、一刻も早く良くなって欲しいと思っていた。
     吉原大門にある会所から許可を得ることで堀を渡り、ようやく入場を許される。平太は店の名前を注げるだけで通された。中川の若旦那が常連だからだ。
     大きな柳の下をくぐり、緩やかな曲線を描く通りを抜けると、途端に喧騒がそこかしこから聞こえて、眩しさに目を細めた。
     華やかな吉原は、場所を移してから夜の営業も許され、子の刻でありながら真昼のように明るかった。格子戸の向こうで遊女が物見客に声をかけ、男女の嬌声がさざめく。一瞬、平太が住んでいた村の祭りを思い出したが、すぐに汗とタバコの匂いと、白粉の匂いにくらくらしそうになってその思い出は頭から消え去った。
     人混みをかき分け、十字路の角にある老舗の店を見つけ出す。店の名前を確認して、門番に声をかけようとした。だが、その門前に佇む男の姿に、平太は立ちすくむことになった。
     まず飛び抜けて背が高い。番頭の藤兵衛と比べて一尺は違う光忠様と同じぐらいの大きさだ。顔立ちも、浮世絵で見るような美形だが、まくった袖から見える龍の刺青は只者でないことを教えていた。
     それに、何より特徴的なのはその髪と肌にある。伽羅ちゃんは見つけやすいと思うよ、と教えられたとおり、誰よりも分かりやすかった。毛先に連れて赤茶けた色素に抜けていく髪色と、褐色の肌は、平太が今まで見たことのない色だった。
    「おい、ガキが来るところじゃねえぞ」
     凝視しているのに気づかれて、もう一人の門番に凄まれた。彼は髷もあって、月代は青い。店の者や、外を歩く人と同じ髪型だった。当然髪の色も黒い。日に焼けた肌は魚河岸からの物売りとそう変わらない。同じだと思うと少しだけ恐怖心が薄らいだ。平太は勇気を奮い立たせ、「手前は呉服屋中川の丁稚の平太と申します」と震える声で答えた。
    「はあ? 呉服屋が何の用だ」
     門番の馬鹿にした口調に涙が滲む。平太だってこんなところに来たくなかった。普段は土産に饅頭を持たせてくれる、優しい光忠様の頼みだから嫌な気持ちを飲みこんで来たのだ。
     もうひとりの門番——大倶利伽羅が片眉をあげるのに、平太は緊張した。
    「杉本堂の光忠様から、伽羅様に言伝です。ツクモが現れたといえと言われました」
     大倶利伽羅が口を挟む隙もなく、一気にまくしたてた。
    「失礼します!」
    「おい」
     踵を返して駆け出そうとした途端、首根っこを掴まれた。
    「ヒッ」と思わず声を上げて身を固くすると、ため息の音が聞こえた。首根っこが解放されて、頭が前に傾く。バランスを取る間もなく、べしゃと体が倒れこんで、べそをかきそうになった。
     鼻を鳴らすだけで堪えていると、いつの間にか大倶利伽羅が前に回りこんでいた。
    「俺も連れて行け」
     覗きこんだ顔と目が合わさる。金色の眼だ。一体どこの国の人なのだろう、と思った。
     存外に落ち着いた声音をしている大倶利伽羅の眼差しは優しい。この人は見かけほど、怖い人じゃない。そう思うと、平太自身も次第に落ち着いていくのがわかった。軽く肩を叩かれて立ち上がると、今度は素直に従った。
    「店主に伝えてくれ。今日の門番はこれで上がらせてもらうと」
     門番は困惑を露わにする。だが、逆らわなかった。身長は確かに大倶利伽羅のほうが高いけれど、幅なら負けてはいない。へっぴり腰になっているのが、平太にも見て取れた。きっとそれだけ彼は強いのだ。
    「頼むぞ、助六。今日ぐらいはお前だけで大丈夫だ」
     大倶利伽羅が発破をかけた岸太は、「早く帰ってこい、言わないでおいてやる」と気を良くしたように応えた。



     幕末への足音が近づく江戸後期は、まだ江戸幕府に対する信頼は揺るがない平和な時代である。不穏な色も薄く、江戸では化政文化と呼ばれる町人文化の最盛期を迎える時代でもあった。
     同時に、すでに武士という役職が一部の城を除いて崩壊していく時代でもあった。そのため、貧窮した武士から富の集中した町人へと、骨董品や美術品として、古くからの武具や刀が流れ出てゆくこともたくさんあった。
     一部を除いて帯刀を許されない身分である町人にとって、刀という美術品の価値は高く、その価値の高さゆえに、糊口をしのぐための金が欲しい武士は、泣く泣く刀を差し出すという悪循環ができていた。
     大倶利伽羅と光忠の所属する第三部隊の任務は、誰の手に渡ったともしれない刀や武具が付喪神となり、時間遡行軍と手を結ぶのを防ぐというものだ。
     それは今までに幾度となく、時間遡行軍が稀代の名将と縁のある武具や刀の付喪神と手を結んできた。そして時代に翻弄された武将を大将にして、刀剣男士と戦った前例があるからこそ、そうした指令が新たに出されたのだ。
     だが、付喪神の足取りを追うにも、江戸後期に入ると難しくなる。肝心の刀や武具が売られたり流されてしまい、足取りを追えなくなっているものも多いからだ。そこで第三部隊の隊員は変装して潜伏することになった。
     古美術商に入りこんだ部隊長光忠が手に入れた情報によって、呉服屋の中川にはある武将の甲冑があるというのは、ひと月前に共有されたばかりだった。それが大旦那の訃報によって動き出したというのは偶然ではない。
     中川のある八丁堀といえば、経済の中心になる場所でもある。もしそんな場所でひとたび火事が起きれば江戸幕府の損失は甚大なものになるだろう。ただでさえ田舎では地震や飢饉で年貢が取れず、じわじわと財政難が進んでいるのだ。地方都市ではたびたび一揆が起きる騒ぎになっている。黒船の来航の時点で、財政難がさらに悪化していたら歴史が変わってしまう危険性もある。
    「おそらく若旦那を唆したのが付喪神でしょう」
     同じ第三部隊の堀川が言った。
     中川の店は通夜の準備が済んだあたりで、番頭の藤兵衛が「告知は明朝にします。それまでは口外しないよう」と箝口令を敷いた。おさんの件もあって、藤兵衛の対応に大半は肯定的だったと言う。——ただ一人、若旦那を除いて。
     皆が自分の暮らす長屋に戻り、店は静けさを取り戻していた。光忠はそのうちの一室にとおされた。また詳しい話は明朝、ということになったのだ。藤兵衛と入れ違いに、奉公人として潜伏していた堀川が部屋にやってきて、事のあらましを整理していた。
    「数日前から、若旦那が厨に行くのを見かけています。料理に薬を盛れば簡単でしょうね」
     堀川は闇討ち・暗殺を得意とする隠密が刀のころから隣り合わせだっただけに、特に剣呑とした様子もなく当然のように言う。
    「大変なことをしたなぁ。奉行所にバレればただ事じゃ済まないだろうに」
     親殺しは死罪の時代である。光忠が唸ると、堀川が困ったように笑った。
    「バレないと思ってしまうんでしょうね。なんで今回の藤兵衛さんも危ないです。今夜中に通夜にして、顔を売るはずの計画が崩れてしまった。大旦那を殺しただけじゃ、自分が店を仕切れないと気づいてしまったのはまずいです」
     大旦那が死んで、若旦那が支配権を持つようになるとはいえ、店を切り盛りして動かしているのは番頭だ。次に彼が倒れてしまえば、店の存続すら危うくなる。
    「じゃあ、早めになんとかしないとね。和泉守さんに引き渡したら、お取潰しになるのかな」
     もう一人の隊員、和泉守兼定は、奉行所に勤めていた。異例の出世を果たして同心になった現在は、忙しそうに岡っ引きをまとめている。
    「まあ、兼さんに任せてください。そうならないようにうまくしてくれますよ」
     自信たっぷりの太鼓判を押した堀川に、光忠が頷いた。

     子の刻から寅の刻にかわる前に、一艘の船が中川の前に停留した。平太を背負った大倶利伽羅がようやく店に到着したのだ。
     迎えた藤兵衛は、大倶利伽羅の姿を見て一瞬驚いたようだが、すぐに落ち着きを取り戻した。商売人の鑑といえる対応で、程なく光忠のいる部屋に通された。
     堀川は一度姿を隠し、大倶利伽羅が襖を閉めてから顔を出した。
    「首尾はどうなっているんだ?」と大倶利伽羅が開口一番に聞いた。中川屋のやり取りは主に堀川と光忠が中心となっているせいで、彼にまで情報を届けられなかったのだ。特に、吉原という特殊な場所に潜伏していると、たまに光忠が尋ねるか、堀川がこっそりと忍びこむ以外に接触ができなかった。
    「緊急だ。これから部屋を見に行くところだよ。伽羅ちゃん、よく出てこれたね」
     門番といえば、朝まで交代なしで立っていなければならないだろうに。光忠の感心に、大倶利伽羅は不可解そうに眉をひそめた。
    「出てくると言っただけだ。武装はするのか?」
     今か今かと戦いに飢えた大倶利伽羅が問いかける。ああ、これは相当鬱屈が溜まっているのだと、光忠は悟った。
    「今はまだダメですよ。寝入っていない方もいるので、見られたら事です」
     堀川がたしなめた。
    「これが終わったら任務完了だろうに」と、大倶利伽羅が不満そうに言う。
    「まあまあ、堀川くんの言うとおりだ。可能な限り僕たちの記憶は残さないほうがいい」
     戦国時代と違って、江戸後期は江戸幕府最後の泰平の世だ。
     刀を持ち武装した者を見ることもなければ、戦う様子も喧嘩がせいぜいな江戸の市民たちは驚き衝撃を受け、他のものに伝えたがるに違いない。噂が広まれば「刀剣男士」の存在も広がりかねない。
     不承不承でも了解した大倶利伽羅とともに、堀川の先導で動き出した。
    「それにしても」
     移動する間、囁くような声で大倶利伽羅が独り言ちる。隣を歩いていた光忠は視線を向ける。
    「付喪神たちは、なぜこの時代に集中するんだろうな」
    「ああ、多分それは、人が死ななくなったからだよ」
     光忠の答えには、大倶利伽羅が探るような目つきを向ける。大倶利伽羅は、まだ顕現して日の浅い刀だ。古参とも言える光忠が実質的に教育係となって、同行するときには色々と教える指南役になっていた。どこまでも戦うことを求める姿勢は同田貫に似ているが、人の身体に対する無知さからくる無謀さはまだ抜け切っていない。
     足音もなく進んでいく廊下は、来たときと違って提灯のような光源はなかった。片目の効かない光忠は、隣と前を進む足音を頼りに廊下を進んでいた。中庭を通り過ぎて、階段の近くへと進んでいくと明かりはなく、耳だけが頼りになると、光忠の足取りはおぼつかなくなった。
    「どういう意味だ?」
     なにも言わず光忠の手を掴んだ大倶利伽羅が問いかけた。夜目が効く彼に助けてもらうのは少し情けない気もするが、甘えることにして光忠は答えた。
    「死にたくないっていう以外の欲求が出てきたから、付喪神が応えやすくなってるんじゃないかな。持ち主が思い残したことに反応するわけだから……」
    「大倶利伽羅さん、燭台切さん、着きました」
     堀川の声に、光忠は口を閉じた。今まで身に纏っていた着物が隊服へと変わっていく。手袋を纏った手が、握り慣れた柄を握る感覚。久しぶりで腕が鈍っていないか心配だったが、すぐに頭の中で剣筋が浮かぶ。大丈夫だ。
     おさんが言っていた襖の隙間は今はなく、ぴったりと閉じられていた。
     そこに堀川が襖に手を当てて、数ミリの精度でずらしていく。彼の繊細な索敵に加えて、運が味方した。雲が掛かって月明かりすら届かない。堀川が人差し指を立てて、指を握りこむ。甲冑はあるが、時間遡行軍はいないという意味だ。
     思わず安堵の息が漏れた。槍や大太刀ほどではないが、光忠は室内戦は得意じゃない。
     襖に手を掛けて、先陣を切ったのは堀川だった。
     部屋は暗闇につつまれて、空気は重たく淀んでいた。おさんの言っていたとおり、甲冑は青白い目を光らせて獲物を待ち構えていたようにも見えた。
    「遅いよ!」
     甲冑が構えた刀が振り下ろされる前に、堀川が懐に入って首筋を目掛けて一閃。しかし当たった鎧がへこむだけで、後ろに引いた甲冑が右から刀を降ろす動きを柄で受け止め、後ずさる。
    「隙だらけだな」
     その背後から、大倶利伽羅が休む暇もなく刀を突き出した。体勢を整える前に甲冑の隙間に入りこむ刃は、目を貫いていた。
    「アアアーーー!!!」
     時間遡行軍を倒すときでさえ響かない絶叫が空気を震わせた。びりびりと肌に走る緊張感に息を飲む。大倶利伽羅は刀を離さずに押しこむと、握った柄を一気に押した。
    「うわ」
     思わず光忠が声を上げたのも無理もない。大倶利伽羅の変速的な動きによって、梃子の原理で勢いよく兜が宙へと投げ出されたのだ。天井の梁に兜の装飾品が刺さり、残るは胴体だけになった。
    「今です、燭台切さん!」
    「わかったよ!」
     刀を振り回すだけになった甲冑の攻撃を堀川が防ぐ間に、光忠は懐に入れていた袱紗を取り出した。第三部隊の残りのふたり——にっかり青江と石切丸から預かっていた、清めの塩が入っている。
     他の骨董品にかかるのも構わず、薄紫の袱紗を開き、掴んだ塩を甲冑に向かって投げた。
    「祓い給い、清め給え!」
     光忠の通る声が響いた瞬間、ぶわりと空気が震え、部屋の中が変わった。まとわりつく重たさが消えて、風が一筋、顔の横を通り抜ける。
     最初の異変は甲冑に現れた。動きが止まって、刀が落ちたのだ。続いてがしゃんと音を立てて甲冑は自らの重さを支えきれず、崩れ落ちた。兜はぶら下がったままだったが、叫び声は消えて、塩まみれの普通の部屋になった。
    「本当に効いたのか……」
     大倶利伽羅が呆れ混じりの声を漏らすのも無理はなかった。光忠はただ、ご神刀である石切丸に言われたとおりやっただけだ。
    「なんだろう、刀の仕事じゃないよね……」
     これでは神職や霊能者と変わらない。自分のアイデンティティが揺らぐ戦い方に肩を落としていると、堀川が背中をぽんと叩いた。
    「まあまあ、一件落着、終わり良ければすべて良しですよ」
     どこまでもからりとした気風の堀川が、にっこりと笑った。

     若旦那が奉行所に引かれて行ったのは、件の付喪神を浄化したあと、空が青く染まり始めた夜明け前のことだった。
     大旦那の死因は心労ということにして、その原因は今まで若旦那が窃盗を繰り返していたことだと同心に伝えたのだ。事実、遊ぶ金欲しさに家の金に手をつけていた証拠も揃っていて、若旦那と同じ罪を受けると藤兵衛が土下座をしたこともあって、同心——和泉守兼定がお上に取り計らうという形で話は落ち着いた。
    「皆、お疲れ様」
     第三部隊が集合したのは、一夜明けた光忠が働く根元堂の一室だった。昼の刻に近くなった外は、薄曇りだが人の往来は激しい。中川の憑き物騒動は八丁堀を駆け巡り、光忠は根元翁の計らいでいとまを貰っていた。
     これ幸いと光忠が皆を招集し、彼らのために御茶菓子と共に茶を持って戻ってきた一室には、光忠を含めて六振りの刀剣男士とこんのすけが揃っていた。
    「燭台切様、おまんじゅうをいただいても?!」
     前のめりなこんのすけに笑って光忠がひとつ差し出すと、「揚げには劣りますが美味ですなあ」と満足そうに頬張っていた。
    「やれやれ、やっと帰れんのか」と言ったのは寝不足気味の和泉守だ。ふあ、とあくびを漏らしていると、「大きいねえ。欠伸のことだよ」と青江が茶々を入れる。
    「こんのすけ、主さんからの伝言って?」
     こんのすけが饅頭を食べ終わるころに、堀川が問いかけた。
    「それが、残念なお知らせになり申し訳ないのですが……まだこの時代に時間遡行軍が残っているということで、皆様には引き続き、付喪神の破壊と、討伐に当たっていただきたいのです」
    「嘘だろ?! もう俺は一生分書類と向き合ってんだよ! チェンジ!」
     気を抜いて寛いでいた和泉守がお茶を吹き出し、口の端から零しながら声を上げた。彼がこの六振りの中で、一番過酷な仕事についている。取り乱すのも無理はなかった。
    「まあまあ、僕も手伝いますから」
    「国広ぉ……」
     土方の刀のやりとりを見て、ふん、と鼻を鳴らしたのは大倶利伽羅だ。
    「伽羅ちゃんも食べるかい?」と光忠が饅頭を勧めると、無言で彼が持っていく。礼を言われるようになるのは、いつになることやら。でも、彼と任務を続けるというのは悪い気はしなかった。
    「帰ったらしばらく休暇を与えるよう、審神者にはしっかり伝えておくので、引き続きどうか、何卒よろしくお願いいたします」
     口の端に饅頭の屑をつけたこんのすけが深々と頭を下げる。クダギツネとはいえ、愛らしい動物の姿を取られるとなかなか強く出れるものはいない。
    「仕方ないねえ」
     と、苦笑する石切丸もすでに折れていた。
    「では、また審神者からの伝達を連絡しますので、皆様警戒に当たられてください。燭台切様、お饅頭ご馳走様でした」
     こんのすけはそう言い残して、姿を消した。2205年に通じるゲートは六振り分だと開けた場所や諸々の条件が必要になるが、こんのすけ一匹程度なら屋内でも問題はない。
    「くそっ、逃げ足の速いやつめ」
     和泉守がぼやきながら饅頭を食べていた。お茶を啜って「うまい」と唸ると、堀川がお茶の銘柄を説明し始める。
    「それじゃあ皆、時間遡行軍の討伐と付喪神の浄化の任務に当たって行くっていうことで大丈夫かな。和泉守さんも、それでいいかい?」
    「ああ、仕方ねぇからやってやらぁ」
     蓮っ葉な物言いだが、もうごねるつもりはないようだった。
     光忠が久しぶりの部隊長としての任務だ。最初のうちは個性的な面子に若干の不安はあったが、それぞれが連携し、江戸の町を調査するという手法を選んだのは今では間違いないと思えた。
    「第三部隊、引き続き格好良く行こう」と光忠が言うと、皆の声がおもいおもいに重なった。
    「おう、いっちょやってやろうじゃねえか」
    「そうだね、兼さん!」
    「本当、元気だねえ」
    「厄落としなら任されるよ」
    「……ふん、馴れ合うつもりはない」
     江戸の大捕物は、始まったばかりである。
    ひとは Link Message Mute
    2018/09/26 21:04:18

    呉服屋中川の怪

    みつくりお題をお借りしたものですが、思いのほか長くなった上に、いつものオールキャラ+みつくりになりました。カップリング要素は匂わせ程度です。
    第三部隊の燭台切光忠(部隊長)、大倶利伽羅、堀川国広、和泉守兼定、石切丸、にっかり青江の六振りが、化政文化が花ひらく江戸後期で変装したり潜伏しながら、付喪神を浄化して行く話です。付喪神の概念については刀ステや刀ミュ準拠なので、見ていたら二倍楽しめる仕様になっています。

    #みつくり #刀剣乱舞 #とうらぶ #大倶利伽羅 #燭台切光忠 #堀川国広 #腐向け #二次創作

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    大江戸付喪神捕物帳
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