みをつくし(privatter再掲)+++
岩井、昼からちょっと付き合って。モーニングコールには少し遅い朝の時間に電話が鳴った。
これは知っている。火の消えかけたような声に頼まれれば、断るわけもない。
「南と北、どっちに行きますか?」
これが問えば、間延びした声が「北ぁ」と返した。ドレスコードは単純に、「派手すぎない格好で」。
予定時刻の十分前に駅前に着いた。春の陽気に似合わない、朽葉色の服が目についた。
「じゃ、揃ってしもたし、もう行こかぁ」
本当の目的地は同じ名前の、けれど別の鉄道会社が敷設した駅のそばにある。目的地までの半キロメートルは、線路と生活道路が平行に並ぶ寂れた景色が続いている。
「葉鳥さん、何かあったんですか」
「なんも?」
「ないわけないでしょう、それが急に『付き合え』と言えばいつだって、何かあった後ですから」
「ええやんか。とりあえず岩井と出かけたかってん」
「じゃ、どうして南じゃなくて北に?」
「そういう気分やねん」
南の繁華街、北のベッドタウン。この町に住んでいる誰もが少なからず理解している、物価の落差。巨大な幹線道路とオフィス街を隔てて、たった数十キロメートル離れただけで、景色も人並みも、周りに暮らす人たちさえも、がらりと変わる。
傾いた木造の家と錆びたトタン屋根のガレージ。室外機がむき出しで並んだ二階建ての家屋。建て壊されて随分と経ったであろう更地には崩れかけたコンクリート塀が残っていて、わずかにできた日陰にドクダミが群生している。
「ああ、待って。あっちになんか、鳥居が見えた!」
これは時おり、葉鳥さんを子どもと錯覚してしまう。地元に根付く小さな信仰心の具現は、葉鳥さんとはなんの縁もない地蔵さまか、あるいは稲荷さまか。
小さな石段を登り、心ばかりの賽銭を入れ、祠を守る石の獅子を眺め、かと思えば突然ふいに何かから醒めたように鳥居を出ていく。
初めて葉鳥さんの好奇心を目の当たりにしたとき、これはひどく戸惑いながらも妙な親近感を得た。
難しい名字の表札を、答え合わせもなく読み合ったことがある。いつも降りる駅からひとつ遠い駅で降りて歩いたことがある。あるいはふたりともが全く土地勘もない場所に行って、線路沿いにひと駅だけ歩いて帰ったこともある。
葉鳥さんが「付き合って」と言うとき、これは決まって歩く覚悟をしなければならない。
金網で囲んだだけの線路の向こうには大きな工場があって、葉鳥さんが言うには古くからある酒造会社のものだそうだ。やがて目的の駅が前方に見えてきて、狭かった道路が一気に三叉路、十字路と複雑に膨らみ、交差し始めた。
「ここはええなあ、必要なものがなんでも揃うやん」
駅前のロータリーには客を待つタクシーが並び、バス停には一時間に一本だけのバスが乗降口をぽかんと開けて始発を待っている。駅の改札は歩道橋と繋がった二階にあって、階段さえ登れれば好きなように、道路の向こう側へ渡れるように配慮されている。
「暑いわぁ、屋根あるとこ行こ?」
正午をわずかに過ぎた時刻、葉鳥さんの白い肌にはややきつい日差しだろうか。
小さな手が、腕を掴んで木陰へと引っ張っていく。唯一アーケードのある陸橋からは大回りになるが、葉鳥さんの頼みなら構わない。
「買い物と食事、どちらから?」
「メシ! もうどこにするか決めてるねん」
人もまばらな改札口の前を足早に通り過ぎ、小さなショッピングモールの中に入る。空調のきいた店内には数年前に流行った曲が流れている。
「あれ、こっちやなかったっけ? 別館ってどう行くん?」
大雑把なフロアガイドに葉鳥さんは首を傾げたが、「歩けば分かるかぁ」と磊落な自答と共に廊下をつき進んでいく。
まだ真っ白な閃光に汚されていない、白熱球の照明だけの店内は、昼間と思えないほど薄暗く、平日なのも相まって閑散としている。衣料品のコーナーと家電のコーナー、一足早く並べられた水着のコーナーと通り過ぎ、葉鳥さんは突然に踵を返した。
「夏やな、岩井! 次、どこ行こ?」
「もう次の話ですか」
葉鳥さんが入って行ったのは行楽グッズをまとめた、それも子ども用のコーナーだ。水着を着せられた小さなマネキンの横には、安物のビーチサンダルと緑色の虫篭、体育の授業で必要なのであろう五色のスイムキャップが手ごろな値段で売られている。虫とり網に花火のセット、風呂場で使うにはあまりにも大きな水鉄砲に砂場セット。プールはともかく、まだ夏休みには早くないだろうか。
「ええやん、決めとこぉや! あ、私あれ買おぉかな」
紫色の、一等派手な透明の水鉄砲だ。やけに手の込んだつくりになっていて、本物の拳銃と同じ形をしている。
「『向こう』に行けばいくらでも遊べるでしょう」
「『あっち』は別やん。遊びたいのは私やで? レイはああいうの欲しがらへんもん」
「……すみません」
「あれ、これってサンプルだけ? 緑しか置いてないん? ちょお、待ってて。店員さん探してくる」
これはいつも、混同してしまう。これとそれが同じ感覚で生きているかのように、葉鳥さんとレイとを同一視しようとする。華やかな舞台の向こうにいるのは、決して「葉鳥さん」じゃない。
少なくともレイという男なら、こんな寂れた町に唯一あるショッピングモールに来ることもなければ、子ども用の水鉄砲を見てはしゃぐこともないだろう。
これはずっと不器用で、向こうとこちらで別人になることなんてできなかった。知らないうちに向こうで創った人格が、こちらの自己を侵食して、知らないうちに「これ」は「私」ではなくなった。
初めて葉鳥さんと会ったとき、葉鳥さんは面と向かって仕事上のハンドルネームで呼ばれることを拒絶した。私は私で、レイはレイ。決して越えられない高い壁がそびえていることを教わった。
ささやかな道草の後、葉鳥さんはようやく本来の目的を思い出したようだった。
長い廊下を通って別館へ渡り、狭いエスカレーターを下ってすぐに目的地が見つかった。古びた喫茶店だ。古風な、しかし十数年前とあればきっと近代的と評されたであろう店名で、丸っこい英語のフォントの端に角ばった片仮名文字で読み方が記されている。
窓際に立てられた黒板には日焼けした写真のサンプルが数枚貼られていて、葉鳥さんは上から二番目の写真を指して「これー!」と入店前に宣言した。
デッドスペースを有効活用、とでも言いたげな細長い店内は暗くも清潔に保たれていて、三角傘の間接照明が低い位置にぶら下がっていた。
昼食時だが店内には誰もおらず、腰の曲がった店主は注文を聞くとすぐに奥のカウンターで調理にとりかかった。
「前に来たとき、次はここって決めててん」
「初耳ですね。これが記憶している葉鳥さんは『次はドーナツ屋がいい』と仰っていたはずですが」
「そぉやっけ? そっちは忘れた!」
あっけらかんと言ってのけて、葉鳥さんは猫のように両腕を伸ばした。
レースのカーテンからわずかに見える駅前は、スーツ姿のサラリーマンや普段着の買い物客がまばらに歩いている。それぞれの日常でわずかにすれ違う瞬間を特別とも思わず、他人の顔など気にかける必要もない、当然のように忘れていける平穏のひとコマ。
幼い頃、似たような光景を毎日のように眺めていた。電車は走ってなかったけれど、周りはビルでなく山ばかりだったけれど、「田舎者」と自虐するにはあまりにも中途半端に栄えていた故郷には、常に、かすかに、社会的な人々の息遣いがあった。通学路はまっすぐ一本道で、谷底に貫く大きな道路を見下ろしながら崖沿いの狭い歩道を毎日のように往復していた。
かつてこれに、葉鳥さんのような存在があったなら、もしかすればこれはまだ故郷に住んでいて、外を知らず生涯になんの疑問も持たず生きていたのかもしれない。
ハイカラなランチプレートがふたつ並んで、葉鳥さんが無邪気に目を輝かせる。オムレツとハンバーグをひとくちだけ交換して、少し遅い昼食の時間。
今朝これが確かに聞いた、低く沈んだ声は自然と明るく軽くなり、きっと忘れてしまうであろう次回の予定を決めた純朴な同級生はとりとめもない話を続ける。
誰も、今ここで映画やプラネタリウムの話をする無邪気な人が、別の世界で何万人もの観客を魅了する人外のアイドルだとは知らない。
「ふたりだけの秘密」と言えばクサい台詞かもしれないけれど、これは確信している。最先端の世界に慣れた食傷気味のふたりには、地元の人々にしか尊重されない古びた景色にふさわしい、今めかしい装飾に違いないと。
寝ても覚めてもレイに夢中な葉鳥さんが、レイを忘れて過ごすとき、わずかにこれは罪悪感で胸が痛くなる。
葉鳥さんはこれの期待から遠く離れた場所をずっと見つめているけれど、心のどこかに同じ思い出を共有しているからこそ、これを誘って出かけようとする。
今日という奇妙な休日が葉鳥さんにとって、レイのためでなく、葉鳥さんのために使われる一日となるならば、どれだけこれが振り回されたって、苦にはならない。
葉鳥さんと同じものを見つめられるなら、これの手が届かないと分かっていたって構わない。
今という瞬間は互いにとって、向こうでは決して得られない時間なのだから。
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