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    少女革命ウテナ考察今回私はウテナを観る上で、「大人-子供」という切り口、そしてその中間、どちらにも帰属しない者として「思春期」を設定した。ウテナを網羅・全方位的に解釈するのは土台無理なので、こういう一つの視点からの考察だと思って読んで頂ければと思う。

     子供は大人を理想化して居る。大人は偉大で、素晴らしい存在だと思って居るのである。けれどその考え方は、子供にとっての真実でしかなく、当の大人にとってはまるで的外れな見方だ。子供は色眼鏡を掛けて、行動と存在・主体と客体とに分かれた「世界」を見て居る。子供には子供のルールがあり、色眼鏡を通して見た「世界」は美しく、理想と原体験の幻に溢れて居るのだ。
     思春期とは、大人の存在に対して不信を表明する事に始まる。思春期の少年少女達は大人を信じられない。しかし彼等はまだ、大人が「世界を作り続ける力」、「世界を維持する力」つまり「世界にコミットする力」を持って居るという事は信じて居る。また、その「力」の存在も疑わない。彼等は大人からその力を奪い、割り切った大人が作り出す既存の世界に不信任を叩き付け、壊して、新しく子供の理想と幻を現出させる事を夢見て居るのだ。既存の世界の象徴こそが鳳暁生であり、また「世界の果て=世界の限界=卵の殻」でもある。世界の限界、つまり世界の行き止まりとは、世界に自分が生まれ落ちるより前から世界に在るルールを指し示して居る。それは「子供を捨てて大人になる事」という様な約束事を示して居るのだ。
     この作品世界の言葉で言うのならば、子供の理想や幻というのは、黒薔薇編で指摘される「過去の美しい思い出」の事に他ならない。決闘者達は、「過去の美しい思い出」と現実の風景=現在の世界の齟齬が許せないのである。過去を現在に、思い出を現実に現出させる為に、彼等は割り切る事を否定して、大人の手から力を捥ぎ取り、「世界にコミットする力」を手に入れようとして居るのである。

     思春期とは子供と大人の刃境の時期である。それはどういう事を意味しているのだろう。子供ではなく、大人でもない。そして自我がはっきりと成長し、「他の誰でもない私」を自覚する時期でもある。つまり、思春期の「私」とは、「私=他の誰でもない=子供でも大人でもない=何者でもない者」なのである。思うに、思春期とはその人の中に芽吹いた大人が、子供を殺そうとする時期なのではないだろうか。大人になるとは、子供の眼鏡を捨て、子供ルールのゲームを降りる事ではないだろうか。既存の世界の存在を承認する事で、自分の生まれる前から在る不合理なルールによって動かされる「世界にコミットする力」を得る事ではないのだろうか。その割り切りこそが、思春期の少年少女に不信を抱かせる理由の様に感じられる。
     『魔法少女まどか☆マギカ』で指摘された様な、思春期の精神・感情の先鋭化とは、何故起こるものなのだろう。殺されかけた子供の最後の叫びがその正体だとして、それはつまりどういう事を表して居るのだろうか。
     子供が癇癪を起こすのを見て、大人は驚く事があると思う。余りの強さ、迸る何かに圧倒されてしまうのである。あれは子供だけの持つ、大人には無い別の「力」であると私は考える。思春期とは、絶体絶命の子供が、その「力」を大放出させて乾坤一擲の勝負に出る時なのだろうと思う。しかし多くの場合、大人が勝利する。それは大人が「割り切る」事が出来るからに他ならない。

     割り切りとは何だろうか。それは「意義・意味を探し求めるのを止める事」であると考える。行動と存在・主体と客体に、自明の意義が与えられて居るのが子供の眼鏡を通して見た世界だ。けれどそれは色褪せ、思春期の少年少女となった彼等は、自分自身で意味づけを行わなくてはならなくなる。彼等の心にはまだ子供が根を張って居て、無意味、無意義に堪えられないのである。けれどその途方もない作業の辛さの中で、無意味というものを、いとも簡単に「割り切って」受け容れる大人を見た時、彼等は耐えられずに大人に屈してしまう。「何者でもない者=意味付けされ得ない者」が自分自身であるという事を大人に突き付けられ、敗北してしまうのだ。この時彼等の中の子供は殺され、割り切りを覚え、「世界にコミットする力」を手に入れて大人になるのである。
     桐生冬芽は、決闘者の中で、その意味づけの作業が余りに困難なものであると、最初に気付いた人物だと言えるかもしれない。彼は大人のフリをする事で、自分の中の子供を殺さずに匿おうと考えた人なのだろうと思う。彼が鳳暁生に近づいたのは、自分が大人であると(大人の暁生から)認めて貰い、「世界にコミットする力」を手に入れて、その力で子供を守ろうとしたからではないあろうか。ウテナを執拗に説得し、三回目の決闘に挑むのも、要するにウテナに「大人のフリをすれば、こんなに苦しむ必要はないのだ」と伝えたいからなのではないかと考える。
     生徒会のメンバー(他の決闘者達)も、結局のところは意味づけの作業の途方も無さ、大人のフリをせずに子供である自分を、子供のまま守り続ける事の困難さに気が付く。樹璃の話した「姉を助けた男の子の名前を忘れてしまう」という話は、子供が子供のままで居続ける事、思い出を美しいまま保っておく事の困難さを伝えるエピソードなのではないかと思う。
     けれどウテナだけが、子供のままで在り続け、その姿のまま大人の「力」を手にした。そして彼女は子供のままであったからこそ、子供の「力」をも手放さなかった。その二つが重なり合い、融け合う事こそが、「世界を革命する力」が現出する事に他ならないと思う。だからこそ暁生が開けられなかった扉(彼は大人の「力」のみで扉を開けようとした)を、彼女は開ける事が出来た。「既存の世界=鳳学園」からアンシーを外に連れ出す事に成功し、彼女自身も出る事が出来た。学園の卒業は大人になる事を意味する。彼女達が卒業せずに学校を出てゆくのは、既存の世界の破壊に成功したという事なのである。またそれにとどまらず、ウテナは「王子様と王女様」という理想の様式をも破壊する。これは彼女の「過去の美しい思い出」、つまり子供の眼鏡をかけて観た世界の意味付けなのである。王女様は王子様になり、魔女は王女様になる。そして王女様は王子様を探しに旅に出る。これが子供の理想の破壊でなくて何だろう。彼女は二つの「力」を重ね合わせた。その事で二つの世界は壊れ、つまり革命され、本当に新しい世界を打ち立てる事に成功したのである。

     さて、ではどうしてウテナはアンシーと手を取り合って学園を去る事が出来なかったのだろうか。あのシーンをして、ウテナに瑕疵があるのではないかと言われるが、本当にそうなのだろうか。
     ウテナは幼い頃、「生きているのって、何だか気持ち悪いよね」と言って居る。そしてずっと棺に入る道を選ぶ。そして扉の向こうの棺に入って居たのはアンシーだった。棺に入って居るのは紛れも無く死者である。そしてまた、生死という厳格な掟も、既存の世界に自分が生れ落ちるよりも前から定められたルールなのである。
     アンシーは薔薇の花嫁として永遠に苦しまなくてはならない、という。けれど現実的に考えれば、あれだけの刃に貫かれれば、アンシーは簡単に死んでしまう。けれど彼女は死ななかった。それは永遠に苦しむのが彼女への罰だから、というよりも、彼女の命をディオスがぎりぎりの処で引き留めて居たからではないのだろうか。「世界を革命する力」とは、既存の世界の決まり事を破壊する力である。つまり生死の掟を一時的に破壊する事も可能なのである。王子様=ディオスと暁生が同一人物と考えた時、二人には大きな隔たりがある。それは子供-大人の隔たりである。ディオスという王子様は、大人になるという犠牲によって「子供の力」と「大人の力」を一つにして、アンシーの死を否定したのではないだろうか。けれどそれによって彼は子供の頃の自分を忘れて大人となり、アンシーは永劫苦しみ続ける事になった。暁生が現在王子様でない理由は、「王子様と王女様」という子供の理想を捨ててしまったからだ。ウテナが王子様の事を思い出として、おぼろげにしか覚えていられない様に、暁生も王子様だった自分を曖昧にしか思い出せないのではないだろうか。それが彼が大人になる瞬間に「世界を革命する力」を使う事の代償だったのだと、私は考える。
     ではウテナはどうだろう。彼女が「子供の力」と「大人の力」を重ね合わせて「世界を革命する力」を振るう事の代償は、何もないのだろうか。生死の掟を破壊してアンシーを助けた事の代償は、決闘によって既に支払われたと考えて良いのだろうか?私は否、と答えたい。革命された世界に於いて、もう一度ウテナとアンシーが出会い直す事、子供の理想と大人の現実とが練り合わさった世界に於いて、新しい理想=現実を描き直す事、新しく世界の決まり事を作る事が、ウテナ(とアンシー)に与えられた、「世界を革命する力」を振るった事への対価なのである。

     ところで決闘を重ねさせる事は、当人たちの望みがあったとはいえ暁生が仕組んだ事でもある。彼は一体何をしようとして居たのか。
     思うに、大人の彼は子供の「力」を欲していたのではないだろうか。ウテナから抜かれた剣は、ウテナの「子供の力」を示して居る。その「力」と自らの「大人の力」とで、暁生は再び「世界を革命する力」を欲して居たのではないだろうか。けれど、子供が大人になる事はあっても、大人が子供になる事は出来ない。二度と出来ない。それは子供の世界と大人の世界とに共通のルールである。それは「世界を革命する力」によってでも超克する事が出来ない。彼は、だからこそウテナの剣をもってしても、望みを叶えられなかったのだ。



     黒薔薇編は視聴者に優しいと思う。というのも、幾原監督が言った通り、「言葉で説明できる」物語があるから。けれど、私は黒薔薇編の物語に興味がある訳では無い。そうではなくて、根室教授≒御影草時という人間と、という人間の幻想に不条理を感じるからだ。
     彼は一体何をしたのだろう、という事が疑問なのだ。彼の行いと彼の行いへの報いとは、どう考えても帳尻が合わない気がするのだ。だから、そこの処を考えたかった。

     まず根室教授だった彼が、決闘場への道を開く為に選ばれたのはどうしてだったのだろうか。優秀な人間だったから、勿論そうだろう。けれど、彼が「電子計算機の様な」乾いた人間だった事も関係して居るのではないだろうか。彼はウテナに対してこうも言って居る、「君もむかし、大切な人に出会ったんだろう。それで、その人に自分の人生を変えられてしまったんだろう」と。つまり鳳暁生=世界の果ての目的は、彼が誰か大切な人に巡り合って、「初めて」「他人によって人生を変えられてしまう」経験をさせる事にあったと言えると思う。時子を彼の許へ送り込んだのも、どうやら暁生だった訳だし。

     ウテナが学園から居なくなると、決闘場は単なる森の様になって居た。これは勘ぐり過ぎかもしれないけれど、根室教授に寄生して居た鳳学園の留められた時が、鳳暁生編で進み始め、ウテナが消えて後は、また暁生が宿主を探す段階に一巡して戻ったのではないかと考える。

     暁生の世界≒鳳学園の構造というのは、恐らく誰かの「時を止めて現在に釘づけた思い出」の中に寄生して存在するのだろうと思う。その宿主に選ばれたのが、根室教授だったのだ。

     根室教授の人生を変えたのは勿論千唾時子だった訳だけれど、それは彼女に出会って恋をしたから……では無い。彼女への恋が裏切られ、暁生と彼女の密会を盗み見て、彼女にとって自分が大切な存在ではないという事が分かってしまった(少なくとも、彼にとってはそれが真実だった)という事こそが、彼の人生の変形だったのである。言わずもがな、この時点で暁生の手中である。



     放火殺人は永遠を手にする為に必要な犠牲・手段だった。彼は「そうまでして永遠を手にする事を彼女は望まないだろう」と考えて居たが、彼女に裏切られた事で、彼女の望みを叶える云々とは別の理由から放火に至る。ではその「別の理由」とは一体何なのだろう。
     時子が永遠を手に入れたい理由は簡単だ。弟の馬宮の病を治したい、馬宮を生かしてやりたい、という願いを叶える為、つまり弟を永遠に生かす事が、彼女の望みなのである。しかし根室教授は「永遠」には事件の前にも後にも興味は無く、放火するだけに終わって居る。彼の中の筋書きでは、馬宮が永遠欲しさに放火し、彼はそれを受け容れるという風に捉えられて居る。
     「僕はすべてを受け入れている。君の弟の罪さえも!」と彼は時子に叫んだ。彼は容赦と受容とで、時子にとって特別な人間になりたかったのだろうか。否、それだけではない。彼はその後御影草時として時を止め、馬宮の幻影と共に幻影として生き続ける。御影の馬宮への執着とは一体何なのだろう。飾られた写真、少年愛にも見える(というかそういう演出を狙って居る)共犯関係、強弱と主従の逆転、彼と馬宮の関係とは何なのだろうか。
     時子にとって馬宮は幸せの「根拠」だった。馬宮が居る事が彼女の幸せであり、彼が居なくなる事が彼女の不幸だった。乾ききった根室教授には、馬宮は「幸せの根拠」と映ったのではなかったか。彼は幸せになりたかった。出来る事なら自分が時子を幸せにし、その事で時子に自分を幸せにして貰いたかった。けれどそれは叶わない。とすれば、彼は時子の幸せを奪うしかなかった。時子の幸せは馬宮によって基礎づけられている。彼は放火する事で、そして自分の思い出を塗り替え、放火した馬宮を赦し、時子と決別するという事で、彼女の幸せの「根拠」を奪い自分のものにしたのだ。
     けれど結局、それは暁生の策略でしかなかった。彼が根室教授の思い出の時間に寄生する為の罠だったのである。馬宮が病気なのに死なないのも、いつからか記憶と現実とが、アンシーの見せる幻影に摩り替わって居るのも、根室教授が高校生になってしまって居るのも、彼が思い出を歪められてしまったからに他ならない。そしてその歪みを作ったのは、他ならぬ時子なのである。この作品の「思い出」は美しい過去の記憶、と定義されて居ると考えられる。けれど、彼の美しい思い出は、全て時子と暁生によって歪められてしまった。それを美しく保とうとする心、醜く移ろう事を否定する思いこそが時を止め、世界を留める。その時刻・時間にこそ、暁生は寄生するのである。

     ところで、本当は根室記念館の火災では死者は一人も出なかったという。では決闘場への道が生まれる条件とは、一体何だったのだろう。それは矢張り、留められた時への寄生なのではないだろうか。
     根室教授の行いと報いが釣り合わないと感じるのは故ある事だ。というのも、彼は、彼の行いによってあの結末を引き寄せたのではない。「君は世界を革命するしかないだろう。君の進む道は用意してある」と暁生は言う。世界の革命は、醜く変えられてしまった世界を否定する、時間を止める事である。そして用意された進む道とは、行いが結末を導くのではなく、最初から結末の決まって居る、終点の決まって居る線路の上を歩いて行くという事なのである。到底採算の取れない道であり、気付けば他に選択肢は無い、そんな絶望の道だったのだろうと思う。彼が追いつめられて絶望のレールの上を進む事、即ち時を留めたいと思う事こそが、決闘場の出現する条件なのである。鳳学園は留められ、歪んだ、進まない時の中に存在する。そしてまた決闘場も、未来を拒否する心(それは前ページの内容に照らし合わせれば、「大人になる未来を拒否する心で」もあるだろう)から生まれたものなのである。

     御影は心の何処かで、全ての絡繰りが分かって居たのではないかと感じられる。けれどそこから目を背け続けて居た。思い出せないのは思い出したくなかったからだ。その気持ちの隙間が垣間見られるからこそ、黒薔薇編は純粋に悲しく思われるのだ。

     それにしても、馬宮は名前の字面が醜い。露悪的とすら言える。彼の幻影の正体はアンシーな訳だけれど、一体、幻影としての彼の姿、醜い名前、彼と言うキャラクターは一体何者なのだろう。幸せの「根拠」という存在がそもそも、儚く醜い幻に過ぎないという事なのだろうか。

    #少女革命ウテナ #考察

    ***
    こちらも支部から。
    ほしなみ Link Message Mute
    2018/06/16 1:20:55

    少女革命ウテナ考察

    既に小説ではない方でも上げてますが、試験。
    #考察
    #少女革命ウテナ

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      #創作 #オリジナル #詩歌
      ほしなみ
    • 麗しの海フェルマイ・星結び後
      Twitterに上げたものをこちらにも。引き続き居場所探し中……。
      #フェルマイ #本好きの下剋上
      ほしなみ
    • 怖いもの知らずを愛する方法 #本好きの下剋上 #フェルマイ

      アナスタージウスとフェルディナンドがゲヴィンネンをしながらローゼマインの話をしていたら、おや?様子が……。
      アナスタージウスのコレジャナイ感には目をつぶって頂けると。

      (こちらを久しぶりに動かします。pixivとバイバイしたくて居場所を探し中……。)
      ほしなみ
    • 男と影と影に殺される夢を見た。
      毎日毎日、繰り返し見た。
      段々とそれが本当なのではないかと
      現実よりも真実なのではないかと思って
      汗みどろになって考えた。
      「殺されたくない」
      「殺されたくない」
      必死になって助かる方法を考えた。
      それで、そんな夢見がちで臆病な彼は
      いっそ影を自分から殺してしまえ、と思ったらしい。
      それで、ある秋の夕暮れ時に長く長く伸びた影に、ぐさりとナイフを突き立てた。
      影ば悶え苦しみながら小さく言った。
      お前が俺を殺したその時から、俺はお前でなくなった。俺は殺されて初めて俺になったよ。
      お前が世界の客になる日も、そう遠くは無いぜ。
      そして次の日から、彼に影は無くなった。
      彼は影の最期の言葉を不安に思いながらも、それ以外は心安らかに暮らしていた。
      なあに、あんなのは末期の強がりさ。
      そう思って、幸福をこれでもかと享受していた。
      不安も薄れ、平和が続いたとある日の事、夕暮れ時に影を殺した道を通った時だった。
      前から歩いて来る、真っ黒な奴が居る。
      彼とそっくりの背格好をした、陰鬱で凶暴な気配のする男だ。
      「やあこんにちは、俺を俺にした者よ」
      男は笑ってそう言った。彼はその男の正体に気付いて震え上がった。
      「お前は俺を世界の主にしてくれた。だからお前は世界の客になる。今までと入れ替えさ。さあ、お客人は世界にあれこれ口出ししちゃ失礼だろう」
      そうやって、彼は胸にぐさりとナイフを刺された。どばどばと溢れる血は、地面を真っ黒に染め上げた。男はにやにやと笑いながら、そのまま凝っと血を見つめていた。
      やがて、そろりと歩き出すと、血は影になって彼の足元にへばりついた。

      #創作 #オリジナル

      ***
      Tumblrから。
      影に殺される夢を見た。
      毎日毎日、繰り返し見た。
      段々とそれが本当なのではないかと
      現実よりも真実なのではないかと思って
      汗みどろになって考えた。
      「殺されたくない」
      「殺されたくない」
      必死になって助かる方法を考えた。
      それで、そんな夢見がちで臆病な彼は
      いっそ影を自分から殺してしまえ、と思ったらしい。
      それで、ある秋の夕暮れ時に長く長く伸びた影に、ぐさりとナイフを突き立てた。
      影ば悶え苦しみながら小さく言った。
      お前が俺を殺したその時から、俺はお前でなくなった。俺は殺されて初めて俺になったよ。
      お前が世界の客になる日も、そう遠くは無いぜ。
      そして次の日から、彼に影は無くなった。
      彼は影の最期の言葉を不安に思いながらも、それ以外は心安らかに暮らしていた。
      なあに、あんなのは末期の強がりさ。
      そう思って、幸福をこれでもかと享受していた。
      不安も薄れ、平和が続いたとある日の事、夕暮れ時に影を殺した道を通った時だった。
      前から歩いて来る、真っ黒な奴が居る。
      彼とそっくりの背格好をした、陰鬱で凶暴な気配のする男だ。
      「やあこんにちは、俺を俺にした者よ」
      男は笑ってそう言った。彼はその男の正体に気付いて震え上がった。
      「お前は俺を世界の主にしてくれた。だからお前は世界の客になる。今までと入れ替えさ。さあ、お客人は世界にあれこれ口出ししちゃ失礼だろう」
      そうやって、彼は胸にぐさりとナイフを刺された。どばどばと溢れる血は、地面を真っ黒に染め上げた。男はにやにやと笑いながら、そのまま凝っと血を見つめていた。
      やがて、そろりと歩き出すと、血は影になって彼の足元にへばりついた。

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