局外者「君には当事者意識が欠如してると思うんだけど」
マスクを外した僕の一言にデッドプールはぴたりと動きを止めた。彼のセーフハウスは来る度に場所が異なっていて、そうなると勿論内装や造形も変わる。彼はニューヨークに戻ってくると、だいたい僕に会いに来て、パトロールに誘ってくる。僕はなんだかそれだけだと離れがたくて、その後に彼のセーフハウスまでついて行くのだ。それがわかっている癖に、彼はすぐに場所を変えるのだからなんとも言えない。
彼は物に頓着がないのか、そこまで頭が回らないのか、ベッドの上で食べ物を食べるし、飲み物は飲むし、そしてよく零す。
今日だって、僕を連れてきたくせに、そそくさと一人でベッドの上に寝転んでスナックを摘んでいた。
いい加減諸々が積もり積もっていた僕は、とうとう言ってしまったというわけだ。
「え、何?当事者意識って。俺ちゃんコミックの登場人物だって意識はあるよ」
「はぐらかすなよ」
「え、何が?ほんとに何?」
「僕達は恋人だろ」
彼のマスクに覆われていない口周りはスナック菓子の食べかすと油にまみれ、割れかけた電球の黄色っぽい光に照らされて、てらてらと光っていた。
思わずそこを凝視する僕に向けて怪訝そうな表情を作って見せたデッドプールは、恋人、という単語を聞いた瞬間に合点がいったような、さりとてそれを受け入れるのはあまり好みではない、というような複雑な表情になった。
「…スパイディ、これは何度も言ったことだけどさ、俺ちゃん流石にあんたがハイスクール卒業するまでは…」
「べつに、セックスしようって言ってるわけじゃ…」
「…あ、そう…」
「…うん…」
僕の口からセックスという生々しい単語が出たことに驚いたのか、デッドプールは露骨に視線をさ迷わせて、摘んだスナックの欠片がくっつく指をぺろりと舐めた。
デッドプールの『らしく』ない反応に、なんだか僕もなんとも言えない気恥ずかしさを感じて黙ってしまう。一瞬沈黙が降りた。
けれど、仕方ない。だって、本当にそれについては僕に不満はないのだから。彼はどうやら、僕がしたくてしたくてたまらないと思っている節があるみたいで、僕が何度ちゃんと理解したと言ったところで、些細な事で釘を刺してくる。
僕はいつもなら、それに対して殊勝に頷いて、「わかってるよ」って返すところなのだけれど、今回ばかりはそれよりも先に言葉が出てしまったのだ。
「…僕、大丈夫だから。我慢できるし、君の言い分もわかってるし…勿論、したくないわけじゃないよ」
「あ……うん……」
「それにやろうと思ってればとっくに無理矢理できるんだよ…いや、絶対そんなことしないけど…」
「ヒェ、………いや…まあ、確かに…」
こんなつもりじゃなかった。本当にこんなつもりじゃなかった。僕らしくない、こんなのは僕ららしくない。
デッドプールも反応に困っているというか、困惑しているような表情で、自分の周囲に視線をさ迷わせている。
数分前までの、良くも悪くもいつも通りの空気が霧散する。
いやでも、多少の気まずさを我慢してでも、ここできちんと彼の気持ちとか僕の気持ちを確かめておかないと、きっと、二度とこんなことは話せないだろう。
「その……僕が言いたいのは、別にセックスしなくても、恋人でしかできない事とかあるから、それをしたいって話」
「あーあの、あのさピーター、その、セックスってやめて」
「は?」
「あんたがその単語使うとなんか…」
「ちゃんと言って」
「あんたがその単語使うと、なんか本当にあんたと付き合ってるみたいな、生々しい感じが…」
「君は何を言っているの」
ベッドのマットレスに体の腹側を付けたデッドプールが、もぞもぞと居心地悪そうに身じろぐ。その動きに、僕は色気を感じる。
けれども、僕はデッドプールの発した言葉に気を取られて、思わず眉を寄せてしまう。
「どういうこと? 僕ら付き合ってるじゃん」
「いや、そうだけど…え、やだよ、ぜってえスパイディ怒るもん」
右下方に視線をやったデッドプールが、思わずといった様子でこぼした独り言に反応して徐々に不機嫌になっていく僕に気がついて、さらにデッドプールは慌てたように言葉を発した。
「ほら、もうすごい怒ってる!」
「怒ってないよ」
「嘘つくなよ、可愛い眉間に皺が寄ってるぜ」
「怒ってるとすれば、それは君が僕と付き合ってるっていう自覚がないことかな」
「怒ってるじゃん!」
「理由を教えてくれないともっと怒るよ」
ベッドから起き上がり、デッドプールはマットの上に膝を抱えて座った。その動作のせいで、シミのついたシーツに皺がよる。それからベッドヘッドに背中を預けて、気まずそうに僕を見上げる。
「その…俺ちゃん、誰かと付き合ったって記憶が殆どなくて…あっても直ぐセックスするとかで、段階踏んでデートとかほとんどしたこと無いから…その、セックス抜きだとどうしていいか分かんないんだよね」
おずおずと語られた思わぬ切り返しに、呆然としてしまう。反応のない僕に何を思ったのか、デッドプールは露骨に沈んだ様子で膝に顔を押し付け、喚くようにくぐもった声を上げた。
「引いてるんだろ、わかってるって!
だから嫌だったんだよ、なのにあんた、いっつもセーフハウスに来るから……俺はスパイディがハイスクールを卒業するまでは、付かず離れずでいたかったのに」
「デッドプール、君は」
「あーもうやめやめ、お願いだから何も言わないで!
こんな歳になって情けないのはわかってるし、でもこんな顔じゃ、金払って、最低限のセックス以外なにもできないだろ」
「デッドプール、手を出せ」
「は?」
「手」
ひどく困惑した様子で差し出された、節くれだつ歪な手のひらを握る。彼の指の間に自分の指を差し入れて、ぎゅっと握る。ベッドに乗り上げて距離を詰めた僕は、少し上げられた頭を掴んで上を向かせ、首の後ろを支えて固定した。
彼のむき出しの口のあたりに顔を近づけると、彼がひどく驚いたように目を見開くのが見えた。
「15歳でもキスはありだよね」
「いや、スパ…」
反論を押しつぶすように、スナック菓子でベタベタの彼の口元に舌を伸ばす。薄く開いた唇の隙間に舌を少し差し入れ、内側から唇の薄い皮を舐めた。びく、と体を固くしたデッドプールの首から手を離し、腰に手を回す。ささくれた下唇を食み、上唇同士を合わせる。
とはいえ、僕の頭の中といえば「君が好き、大好き」という、彼が愛しい気持ちと、それが全て伝わればいい、と思う気持ちでいっぱいだった。
唇を離すと僅かに離れた顔同士の隙間で、僕と彼の吐いた息が混じりあった。ふうふう、と息を荒らげながら、僕は彼を見上げる。
「デートもありだよね? 見たい映画はある?」
「なんでそんなにはりきってんの…」
「君がアレしか知らないなら僕が他のことを教えてあげる。
僕が学校を卒業するまで、君の気持ちが離れないように」
「子供にエスコートされるなんて複雑だ」
「君よりは段階をわきまえてるけどね」
デッドプールはちらりと僕の目を見た。それから、渋々といった様子で僕の手のひらを握り返して、小さく何かを呟いた。
今ちょうど公開したばかりの映画のタイトルだった。